ケシレカリプの終着駅
忍ミュ第9弾に登場した間切と網問、ホントにかわいかったです。いままでなんであの二人の可能性に気づいてなかったんだろう、と自分の迂闊さを責めたくなるほどです…。
特に網問は、兵庫水軍最年少にして、遠い北の国から各地の水軍を経てやってきた過去を持つということで、そこにはどんな思いがあったのか、そして網問を受け止める間切にはどんな思いがあるのか、いろいろ想像してみました。
-あ~あ、やっぱ一人で来るんじゃなかった…。
にぎやかな往来を、つまらなそうな顔で歩いているのは網問である。
-なんであんなつまんないことでケンカなんかしちゃったんだろ…。
きっかけは実につまらないことだった。その日、水軍若手メンバーで予定の空いている者たちで買い出しを兼ねて街に遊びに行く約束をしていた。
「おうい、街に行くなら、ついでに卵も買ってきてくれ」
皆でわいわいと準備をしていた時、由良四郎がひょいと顔を出すと、それだけ言って立ち去った。
「だって」
「買い出しリストに書いとけよ」
「分かってるって」
買い出しリストにひときわ大きく卵、と書き込んだ重が、ふと「そういや卵料理って久しぶりだなあ」と呟く。
「なあ、卵料理はなにが好き?」
航が訊く。
「目玉焼き!」
「ゆで卵!」
重と網問が同時に声を上げる。
「え、目玉焼きか?」
「ゆで卵じゃなくて?」
一瞬の間をおいて再び同時に声を上げる二人だった。
「いやでも、やっぱ目玉焼きだろ。醤油でもソースでもうまいし…」
重が言いかけたところを網問が遮る。
「ゆで卵だって、パラパラ塩をかけて食べるのうまいじゃないかっ」
「はあ? 塩なら目玉焼きだってかけるだろ」
「さっき醤油とかソースかけるって言ってたじゃないか!」
「何かけてもうまいってことだよ。目玉焼きの勝ちだな」
「なんでそれで目玉焼きの勝ちになるんだよ!」
低レベルながらみるみるエスカレートしていく言い合いに、仲間たちが介入を試みる。
「まあまあ、どっちもうまいんだからさ…」
「そんなケンカするほどのことじゃないだろ…」
だが、少々手遅れだったようである。重は「俺やっぱやめた! 誰が網問なんかと出かけるもんか」と言い捨てて足音荒く立ち去ってしまった。
続いて網問が「だったら俺ひとりで行ってくるから! 誰が重なんかと一緒に行くもんか!」と怒鳴ると、おろおろしている仲間たちを置いて駆けだす。
そういうわけで、ひとり街に来てしまった網問だったが、買い出しメモを置いてきてしまったので買い物もできず、一人では茶屋に寄る気も起きず、手持ち無沙汰に通りを歩くしかなかった。
「よう、そこのお兄さん」
それが自分に掛けられた声であることに気付くのに時間がかかった。
「えっと…呼びました?」
振り返ると、そこには愛想笑いを浮かべた若い男がいた。
「もちろん! さっきから声をかけてたのに全然気づいてくれなかったね。さては恋の悩みでも?」
如才なくさえずっていた男は、気が付くとすぐそばに立っていた。
「い、いや…そういうわけでは…」
悩むような相手もいないとは言いかねて顔をそむけるが、かまわず男はずけずけと続ける。
「なあ、あんた兵庫水軍の者だろ?」
「な、なんでそれを…」
ぎょっとして後ずさりする。
「なんでと言われてもね…」
男は肩をすくめる。「見る人が見れば分かるってもんだがね」
男の視線は重の左袖に向けられている。つられて眼をやった網問は思わず顔を赤らめる。そこには千鳥マークの兵庫水軍の合印が縫い込まれていたから。
「なに、心配することはないさ」
なだめるように男は言う。「実は俺、水軍専門のジョブカフェやっててさ」
「じょぶ…?」
聞きなれない用語に思わず反応してしまう。
「ジョブカフェ。つまり、転職の紹介や体験就労を手伝う仕事さ」
さらりと説明しながら、男はいつの間にか網問の肩に腕を回していた。「でさ、いま水軍市場では兵庫水軍がアツいってわけ」
「兵庫水軍が…アツい?」
いよいよ訳が分からなくなった網問がオウム返しに訊く。
「そ。こんな時代だからどこの水軍も即戦力を欲しがってるんだけど、特に兵庫水軍は実戦経験も豊富だし、場所柄いろんな国の船の警護もしたりして自然と顔が広いだろ? だからどこの水軍もノドから手が出るほど欲しがってるってわけさ」
「そう…なのか? そんな話、聞いたことないけど」
戸惑ったように網問は呟く。男の言うように各地の水軍が兵庫水軍の人材を欲しがっているなら、実際に転職していく者たちがいくらもいるはずである。だが、そんな人物は知る限り一人としていなかった。
「そりゃそうだろうさ。だからこそ、ってのもあるがね」
思わせぶりに男は続ける。
「どういうことさ」
つい訊いてしまう。
「つまり、今まで兵庫水軍から流出した人材は一人もいない。だからこそ市場価値もうなぎ上りだってことさ」
「でも、俺まだヒラだし…」
「さっきの俺の話、聞いてなかったのかい?」
あきれたように男が声を上げる。「誰であろうと兵庫水軍の人材を一番乗りでゲットしたら、それだけで大手柄なんだぜ?」
「でも…別に、兵庫水軍をやめたいわけでもないし…」
自分にとっては一刻ほどひとりで出歩いているだけでも寂しくなるほどの仲間たちだった。
「まあ、ここで会ったのもなにかの縁だ。ちょっと一杯やってかないか?」
考えている網問にかまわず、男は勝手に決めて勝手に歩き出していた。肩を組まれた網問も歩き出さざるをえない。
-えっと…これ、どゆこと?
男と入った酒場だったが、気がつくと男の知り合いという男数人に囲まれていた。
「兄さん、兵庫水軍の者なんだって?」
「すげえよな。あの有名な兵庫水軍だぜ?」
調子よく持ち上げられつつ飲む気分は悪くなかった。すすめられるままに杯を傾けているうちにふと意識を失った網問だった。
-いてて…。
脳内にがんがん響くような頭痛に目覚める。
-あれ…ここどこだ?
しょぼつく眼をこすりながらむくりと身を起こす。家具ひとつない板敷きの殺風景な部屋に自分は寝かされていたようである。
-そういや、じょぶ何とかをやってるとかいうヤツと飲んでたら急に眠くなって…。
そこまで記憶を手繰り寄せると、網問ははっとして辺りを見回す。
-いけね! 早く帰らなきゃ!
ケンカの勢いで飛び出してきたとはいえ、夕食までに戻らなければ仲間たちに心配をかけてしまう。時にケンカで飛び出すことはあっても、夕食までには戻るのが不文律だったし、そんな時間までわだかまりを引きずらないのが兵庫水軍の男たちだった。
だから出口はどこだろうときょろきょろ見わたした網問が部屋の異常なさまに気づくのに時間はかからなかった。
-えっと、これって…座敷牢?
普通の部屋であればあるはずの襖や障子の代わりにぐるりと部屋を囲んでいるのは格子だった。
-すげえ! 座敷牢ってホントにあるんだ!
水軍の先輩たちから、武家や金持ちのお家騒動の挙句敗者が閉じ込められる座敷牢があるという話は聞いたことがあった。だが。
-いやいや、そんなことに感心してるバヤイじゃない。早くここから出なきゃ…ていうより、なんで俺、こんなとこに閉じ込められてるんだ?
まったく身に覚えのない事態だったがなんとかここを出なければならない。立ち上がった網問は格子をつかんで声を張り上げる。
「お~い! 誰かいませんかぁ!」
返事はない。
「もう帰んなきゃいけないんですけど~! ここ開けてくださ~い!」
だが、格子の向こうの廊下にむなしく声が響くだけである。
-まじ? 俺、ここから出られないってこと?
揺すってみたが当然のごとくびくともしない格子に、ようやくじわじわと恐怖感がわいてくる。
「おい! ここから出せよ! おいって!」
力いっぱい格子を引っ張りながら怒鳴る。それでも格子は動かず、誰かが来る気配もなかった。
「ちっくしょ!」
渾身の力で格子を押し広げようとしたり、肩でぶつかったり、飛び蹴りで打ち破ろうとしたが、すべて無駄だった。ついに力尽きた網問はごろりと身を横たえる。
身体を動かす力は残っていなかったが、頭の中は不安と恐怖と混乱が奔流となって渦巻いていた。
-俺、どうなっちゃうんだ?
-このままずっとここに閉じ込められるってこと?
-もしかして、もう二度と兵庫水軍に帰れない?
-間切にも、もう二度と会えない?
-そんなのやだ!
「さて、すこしは落ち着いたかな?」
声にはっと身を起こす。疲れていつしか眠ってしまったらしい。牢の外には恰幅のよい狩衣姿の中年男が立っていた。
「な、なんだお前は!」
すぐに格子に手をかけて網問は怒鳴る。「なんだって俺をこんなとこに閉じ込めるんだよ!」
「それはもちろん、兵庫水軍から君をスカウトするためだよ」
「てことは、お前、あのジョブなんとかってヤツの仲間だな!」
「ああ、あれは私の部下だ」
悪びれるようすもなく男は言う。「あれの話に乗っていれば、こんな真似をせずに済んだのだがね」
「ど…どういうことだよ」
「我々は君を必要としている。君は一言イエスと言いさえすれば事は済んだのだよ」
「…?」
男の言う意味を捉えかねて、格子をつかんだまま相手を睨み据える。
「もう一度訊こう。兵庫水軍をやめる気はないかね」
「ない!」
網問の答えは早かった。「俺は兵庫水軍の者だ! 他のどこにも行くもんかっ!」
「おやおや、威勢のいいことだ」
男は小さく肩をすくめた。「だが、お前に選択肢はない」
「どういうことだよ!」
網問が歯ぎしりをする。
「我々が君に代わって兵庫水軍に辞表を送れば済むことだ」
こともなげに男は続ける。「そうすれば、兵庫水軍は君が裏切ったと判断するだろう。それで一件落着だ。兵庫水軍は二度と君を仲間とは思わないだろう。そして君の居場所はここしかなくなるというわけだ」
「そ…そんなこと…」
あるわけない! と言い切れずに網問の視線がさまよう。水軍の掟とはそういうものだった。たとえ自分が書いたものでなかったとしても、辞表と受け取られればそれは辞表であり、その瞬間から兵庫水軍からは裏切り者、敵とみなされるのだ。それなのに、自分にはそれを止める手段がない…。
「いずれにせよ君は兵庫水軍から放逐される。そのあとどう身を処するかは、よく考えることだな」
勝ち誇ったように言い捨てると男は背を向ける。
「おい! ちょっと待て! 勝手なことすんなよ!」
格子に手をかけた網問が怒鳴るのもかまわず男は立ち去る。
-どういうことだよ…俺、やめる気なんてないのに、やめたことにさせられるってどーゆーことだよ…そんなのアリかよ…。
立ちすくんでいた足から力が抜け、格子の前で膝をつき、そのまま座り込む。
「な、なんだこりゃぁっ!!!」
翌日、戻らない網問を探しにでる準備をしていた兵庫水軍に届いた手紙に、第三共栄丸が声を上げるやその場に倒れこんでしまった。
「お頭!」
「一体どうしたんです?」
わらわらと駆け寄ってきた部下が、第三共栄丸の手に握られていた手紙に眼を通す。
「なん…だと…!」
「どういうことだこれは…」
由良四郎や疾風も呆然と立ち尽くすばかりである。そこへ間切が現れた。
「なんの騒ぎですか」
「なあ、間切。落ち着いて聞いてくれ」
機能不全の幹部たちに代わって鬼蜘蛛丸が舳丸の肩に手を置いて説明を試みる。その手に眼をやった間切がふたたび眼を戻す。
「網問からの手紙だ…兵庫水軍を辞めると書いてあった…」
一瞬意味が分からなかった。何度も何度も頭の中で反芻して、ようやくその意味を捉えられるまでずいぶん長い時間だったような気がした。
呆然と小さく口を開けたままみるみる顔色が変わった間切が、はっとしたように歯を食いしばると、くるりと背を向けて走り出そうとする。
「だから待てと言ってるだろ」
肩は鬼蜘蛛丸に捉えられたままだった。指先がぐいと肩に食い込む。
「放してください! そんなの網問の本心のわけがない! 直接話を聞いて…!」
「網問がどこにいるのか知ってるのか?」
低く問う声に間切の動きが止まる。
「…俺だって、網問が本気で兵庫水軍を辞める気でいるはずがないと思ってる。だとすれば、なんらかのトラブルに巻き込まれた可能性が高い。そうだろ? ここは慎重に動かないと、網問が危険かもしれない。わかるよな?」
間切の動揺に却って落ち着きを取り戻した鬼蜘蛛丸が語り掛ける。網問が戻ってこなくなってからすっかり気もそぞろになっている間切だった。数少ない年下の弟分として誰よりも近い存在だった後輩の不在に、とっくに飛び出して探しに出ていたはずだった。それをかろうじて思いとどまらせていたのは、組織の行動方針を絶対とする間切の自制心だけだった。それが痛いほどわかる鬼蜘蛛丸だったから、言を尽くして落ち着かせる。
「なあ、そもそもこの手紙…本当に網問の字だと思うか?」
「俺はこっちを探す。航はそっちの路地を探してくれ」
捜索隊として街に出た間切の台詞に、航は戸惑ったように視線を向けながら口を開く。
「でも…一緒に行動しろという指示では…?」
「手分けして探したほうが早いに決まってんだろ!?」
苛立たしげに間切ががなりたてる。「この街で見つからなかったら、次の街で探さなきゃならねんだ! その間に網問がどうかなったらどーすんだよ!」
有無を言わさぬ口調に呑み込まれた航が「ああ…」と頷く。
「では、一刻後にここで落ち合うぞ」
言うや人波に姿を消す間切だった。
「いいのかなあ…」
その後姿を呆然と見送っていた航だったが、すぐに自分の役割を思い出して別の通りへと足を踏み入れる。
「…それにしても、水軍専門のジョブカフェなんてうまくいくもんかと思ってたのにな」
「よりによって兵庫水軍をキャッチしたとはな…」
酒屋の前で昼から一杯ひっかけている男たちの声を、間切の耳は逃さなかった。とっさに袖をまくって合印を隠す。
「まったく運のいいヤツだ。今度おごらせようぜ」
「だな」
そこで会話は終わり、残った酒を飲みほした赤ら顔の男たちが三々五々立ち去る。
-待て…!
駆け寄って声を掛けようとした間切だったが、ふと足が止まった。
-あの連中に、どうやって話しかければいい…?
水軍の世界しか知らず、仲間たち以外と話をする機会もめったにない。そんな自分が見ず知らずの男たちにどうやって話しかけて、網問に関する情報を引き出せるというのだろうか…。
-やっぱ、航と一緒にいればよかった…。
こういう場合には自分よりよほどうまく立ち回りそうな、調子のいい後輩だった。うまく指示さえすれば、きっと話を聞き出せていたに違いない。
-だが、このままでは手掛かりが…。
そう思い至った間切はとっさに男たちの一人を追跡することにした。
千鳥足の男を追跡するのは簡単だった。やがて男はとある屋敷の裏木戸に姿を消した。
-この屋敷の下人だったということか…。
思いながら裏木戸に近づこうとする間切の肩が不意に捉えられた。
「だれだ!」
背後の気配に全く気付いていなかった間切だった。とっさに振り向きざま体術の構えを取る。
「私ですよ」
「利吉さん!」
「あの屋敷はヤケアトツムタケの家臣のものだ。なぜあの屋敷に?」
屋敷の裏門を見張るところに間切を引っ張っていった利吉が訊く。
「網問が行方不明になりました。それで探しに来たのですが、酒屋で兵庫水軍をキャッチしたとか言っていたので追跡したのです」
説明する間切の表情には焦燥が色濃くやどっている。網問の居所が分からないことは、耐えがたいストレスをもたらしていた。
「事情は分かりました」
今にも屋敷に突入しそうな間切をなだめるように利吉は言う。「ここは私に任せてもらえませんか? 実は私も、さる依頼であの屋敷を調査することになっていたのです。それに…」
「私も行かせてください!」
間切が遮る。「あの屋敷の中に網問がいるかもしれないのに、こんなところで待ってるなんて…うっ!」
ガマンしていた陸酔いが、いよいよ抑えきれなくなっていた。ぐるぐる鳴る胃からこみ上げてくる感覚に、思わず口を押えながらうずくまる。
「え…ど、どうしました…?」
唐突な容態の変化に、慌てて背中をさする。
「いや、その、これは…うっぷ…陸酔いで…」
「陸酔い!?」
ああそういえば兵庫水軍にはそんな人が何人かいたな、と思い出しながら訊く。「大丈夫ですか?」
「だい…じょぶで…うっぷ」
口にする台詞を裏切って、いよいよ青ざめた顔から脂汗が垂れる。
「とにかくこんな状態で屋敷に潜り込むのはムリです。あなたは海に帰ったほうがいい。自分でも分かるでしょう」
「う…だけど、網問が…うっぷ」
それでも頑固に立ち上がろうとする間切だったが、ついに力尽きたように膝をつく。
「すいませ…ん、やっぱこれ以上は…うっぷ、網問をおねが…う、う、うっぷ」
そしてよろよろと立ち上がると、おぼつかない足取りで兵庫水軍の海へと歩いていく。
「ただ…いま…もど…り…うっぷ」
這う這うの体で兵庫水軍の海まで戻ってきた間切に仲間たちが駆け寄る。
「おい、どうしたんだ」
「航が心配していたぞ」
手下たちの声に水軍館から出てきた第三共栄丸が声を上げる。
「おい、お前たち。余計なこと言ってるヒマがあったら、間切を早く船に乗せるんだ!」
「大丈夫か。少しはおさまったか」
「…はい」
小早(小舟)の櫓を使いながら鬼蜘蛛丸が訊く。まだ若干顔が青ざめたままの間切が応えるが、ふと意を決したように立ち上がる。「兄ィ、俺に漕がせてください」
「ああ」
櫓を預けると、鬼蜘蛛丸は舳に足をかけて腕を組む。いったん海に出ればいつまでも陸酔いを引きずらない。多少まだ気分が悪くても、身体を動かして吹っ飛ばす。それが海の男のやり方である。
「やっぱり海はいいなあ」
海風に髪や袖をなびかせながら、鬼蜘蛛丸は声を上げる。
「はい!」
背後の声に張りが戻ってくる。
「このまま西の岬の向こうまでパトロールするぞ」
「はい!」
力強さを増す櫓の音を耳にしながら、鬼蜘蛛丸は前を向いたまま口を開く。
「航のやつ、心配してたぞ。お前が一人で探しに行っちまって、何かムチャするつもりじゃないかってな」
「すいません」
櫓を使いながらうつむく。「手分けして探したほうがいいと思ったものですから…」
「陸酔い持ちが陸でムチャしていいことはないのは分かってるよな」
鬼蜘蛛丸の表情が締まる。
「はい…」
その表情は見えないものの、声の調子で察した間切が神妙に頷く。「お頭のご指示を破ってしまいました」
「まあ、それだけ網問が心配だったってことも分かってるけどな」
鬼蜘蛛丸の声が和らぐ。「いてもたってもいられなかったんだろ?」
「…はい」
暗い声で間切は応える。「あいつ、俺より年下のくせに、遠い北の国からあちこちの水軍を渡り歩いて、つらい思いもしてきたんです」
「…そっか」
兵庫水軍最年少ながら、波乱万丈の過去を歩んだらしい網問だったが、ここに至るまで何があったかまで詳しく耳にしているわけではなかった。だが、年も近く仲の良い間切はそのあたりの事情も聞いているようである。
「あいつ、言ってたんです。兵庫水軍に来て、初めて居場所が見つかったような気がするって。それまで、そんなふうに思ったこと一度もないって…」
「…そっか」
思いつめた声に、もう一度鬼蜘蛛丸は頷く。だが、言っておかねばならないことがあった。
「お前の気持ちが分からん俺たちじゃない。だが、だからといって勝手な行動は許されない。水軍としての規律の問題だ。分かるな」
「はい」
悄然と間切は応える。「あとでお頭と航に謝ります」
「それでいい」
「それで、街でなにか手掛かりは見つけたのか」
相変わらず舳に足をかけて前を向いたままの鬼蜘蛛丸だったが、その口調は和らいでいる。
「俺、街に行ったときに、兵庫水軍の者をキャッチしたとか言ってたヤツを尾行したんです。そいつはヤケアトツムタケの家臣の屋敷に入っていったんです」
街での出来事を思い出した間切が説明する。
「だが、それは間違いないのか。本当にヤケアトツムタケの家臣の屋敷だったのか」
鬼蜘蛛丸の問いは至極まっとうである。
「間違いないです! 利吉さんが言ってました!」
間切の答えにためらいはない。
「利吉さんが?」
鬼蜘蛛丸が振り返りながら太い眉を上げる。
「はい! 街で偶然会ったんです! 利吉さんもヤケアトツムタケを追っていたようでした」
「利吉さんが仰るなら間違いはないだろうが…」
戸惑ったように鬼蜘蛛丸が呟く。「だとすれば厄介だな…」
「兄ィ!」
言いかけたところに間切が声を上げる。「見てください! あれ、ヤケアトツムタケ忍者じゃないですか?」
「なに!?」
小早はいつの間にか西の岬をまわりこんでいた。その先の浜に見慣れない大きな軍船が停泊していた。そしてその上ではヤケアトツムタケ忍者たちが忙しく立ち働いている。
「昨日にはいなかったのに、連中、いつの間に…」
呆然と間切が呟く。いつの間にか櫓をこぐ手が止まっている。
「おい、間切」
鬼蜘蛛丸が振り返る。「スピードアップできるか」
「は、はい!」
慌てて櫓を構えなおす。
「連中の船団の規模を確認する。ここから西に一気に漕いで、あの船のほかにどれだけ奥に船団を隠しているか見るんだ。ただし、これ以上漕ぎ出ると、向こうに見つかって追いかけられる可能性が高い。
それでも行けるか?」
「俺がカスメ御免だってこと、忘れてませんか?」
鋭い眼で鬼蜘蛛丸を見据えながら、ニヤリとする。「忘れてるなら思い出してもらいますけどね!」
「よし、それじゃ一気に行くぞ」
「はいっ!」
-どうしよ。俺、このままじゃここに閉じ込められたままだ…。
夜になっていた。窓のない座敷牢の中は真っ暗である。耳を澄ましても、屋敷の中はまるで誰もいないように森閑としている。暗闇の中で、網問は膝を抱えて座り込んでいた。
-せっかく、居場所が見つかったと思ったのに…。
北の国の、異なる言葉を話す自分が兵庫水軍にたどり着くまでの道のりは、決して平坦ではなかった。それどころか、ものの数か月で体よく追い出されたり、他の水軍に押し付けられたりの連続だった。そのたびに、文字で記される言葉を覚え、本音を包み隠し、作り笑いでその場をしのぐことを覚えてきた。なぜなら文字で記される言葉を話す人々は、話す言葉と本音は別々で、どこに地雷が埋め込まれているか少年だった自分には到底うかがい知ることができなかったから。その場を平穏にしのぐには、分かっているふりか、分からないふりをして作り笑いを浮かべるしかなかったから。それでも、いつ踏んだのかさえ分からない地雷が炸裂して、また別の土地へと押しやられてきたのだ。
-だけど、兵庫水軍はちがった。
実力も信頼感も抜群で、個性派ぞろいで、だからかどうか分からないが、誰も自分の出自をあげつらったり、違う言葉を話すことを疎んじることがなかった。ごく短い期間で次から次へと水軍を渡り歩くことにいつしか慣れてしまっていた自分が、初めてずっといたいと望んだ。
-間切…。
特に年も近く、いつの間にかペアを組むことが多くなっていた間切にいつの間にか兄のような親しさをおぼえていたことに、あらためて気づく。
-ぶっきらぼうで、目つき悪くて、髪もぱさぱさで…
年もそう違わないはずなのに、なぜか間切は、自分がいつしかうまくたくし込めるようになっていたものに気づいているようだった。
-いつもそばにいてくれた。もしかして今も、すっごく心配してくれているかも知れない…。
不器用ながらも、精一杯のやさしさで受け止めてくれた男だった。
-でも、こんなところに閉じ込められてたら、もう二度と間切に会えないかも…。
先ほどの狩衣の男が言っていたように、本当に兵庫水軍に辞表を出されてしまえば、間切と話す機会は永遠にめぐってこないだろう。それでも、間切は自分を探してくれているという思いは確信に近かった。
-だから、こんなところに閉じ込められてちゃダメなんだ…!
つまり、ここから出る必要がある。
「どうかな。一晩寝て少しは頭を冷やせたか?」
翌朝、座敷牢の格子の向こうに狩衣姿の男が現れた。
「…わかったよ」
膝を抱えて眼をそむけながら、網問はぼぞっと言う。
「ほう?」
男がぐいと眉を上げる。「われらの仲間になることだな?」
「どーせ、兵庫水軍に辞表を出したんだろ。勝手に」
胡乱な目つきで男をにらみ上げる。そしてすぐに眼をそむける。「だったら、ほかに行くとこねーし」
「よい状況判断だ」
満足げに男は頷く。そして背後に控えた部下に言う。「出してやれ」
「で、お前たちは何者なんだよ」
座敷牢から出され、薄暗い屋敷の廊下を歩きながら網問は訊く。
「ヤケアトツムタケと言ったら、どうするかの」
手を後ろ手に組んだ男がうそぶく。
「別にいいけど」
「ほう、構わんと?」
「だって…」
顔をそむけながら網問はぼそりと続ける。「俺、ほかのみんなと違って、あちこちの水軍渡ってきたし。兵庫水軍だって、いつまで俺のこと置いてくれるかなんて分からないし」
言いながら一瞬、笑いかけながら手を差し伸べる間切の表情が脳裏をよぎって胃が締め付けられるような痛みをおぼえた。だが、ここは相手を信用させることが第一だと自分を説き伏せる。
「そうか。兵庫水軍に北国出身で各地の水軍を渡り歩いてきた水夫がいると聞いていたが、お前のことだったか」
納得したように男は何度か頷く。
-なんでそんなことまで知ってるんだよ…?
そんな情報をどこから仕入れるのか知らないが、それが忍者というものなのだろう。少し怖気をふるって網問は黙り込む。
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