兵太夫の宿題

兵太夫は、自分の頭で納得できた事項については、理解力も応用力もある、そんな子なのだと思います。ただ、納得できるまでに時間がかかる、というだけで…。

 

個人的には、作法委員はそれほど騒がしい集団ではないような気がします。きっと、向いている方向がばらばらなんでしょう。で、上級生2人+兵太夫が妙なところでスイッチオンになると、藤内と伝七が振り回される、といった構図がありそうです。角錐台の体積の公式がいろいろな図形の体積算出のベースになることは事実ですが、久しぶりに目にしました…。

 

 

「やあ、伝七」
「やあ、兵太夫」
 委員会室の前で、一年生の伝七と兵太夫が顔を合わせる。部屋の襖を開けながら、兵太夫の抱えている紙束に伝七が眼をやる。
「いったい、なに持ってきたのさ」
「ああ、これ? 宿題。算数の宿題がぜんぜん終わらなくてさ」
 委員会が始まる前に少しでもやっちゃおうと思って、と兵太夫が苦笑する。
「それにさ」
「なに?」
「ちょっと分からないところがあるんだ。伝七、知恵貸してくれないかな」
「まあ、いいけど」
 頼まれて悪い気はしない伝七は、軽く頷いた。

 


「で、どの問題が分からないのさ」
「これなんだけど」
「どれどれ…なんだ、角錐の体積の問題じゃないか。なんでこんなのが分からないのさ」
 その言い方に、兵太夫がカチンと来たようである。
「だってさ、ふつうの体積なら、長さ×幅×高さだろ。角錐になったらどうしてそれに1/3になるのさ。1/3になるなんて、どうやったら証明できるのさ」
「兵太夫…それが分からなかったのか?」
「そうだよ。伝七、分かるなら言ってみろよ」
「そんなん、ぼくが知るかよ」
 言い募られた伝七が持て余しているところへ、三年生の藤内が入ってきた。
「あ、浦風先輩」
「おまえたち、なにをぎゃんぎゃん騒いでるんだ?」
「兵太夫が、算数の宿題が分からないと言ってるんですが、基本的なところからつまづいちゃってて…」
 伝七が頭をかきながら説明する。
「基本的なって、どういうことさ」
「公式の意味が分からないなんて、基本の基本だろう」
 兵太夫が抗議するが、伝七は取り合わない。
「公式の意味が分からない?」
 藤内も、兵太夫の宿題を覗きこむ。
「この問題なんですが…」
「角錐の体積だろ? 長さ×幅×高さ×1/3を当てはめるだけじゃないか…なにがそんなに難しいんだ?」
「その1/3の理由が分からないそうなんです」
「1/3の理由?」
「はい。どうして1/3なんですか?」
 兵太夫に問われた藤内は、はたと考え込む。
 -そういえば、こんなもんだと思って公式を覚えこんでたけど、どうしてなのかなんて考えたこともなかったよな…。

 


「浦風先輩、動きが止まっちゃったね…」
 腕組みをしたまま考え込む藤内を前に、兵太夫と伝七がひそひそと話す。
「兵太夫がへんなこと聞くからだぞ」
「だって、分かんないものはしょうがないだろ」
「とりあえずさ、1/3の理由はあとで考えることにして、問題だけ先にやろう」
 動きが止まった藤内がいては、兵太夫も頷くしかない。
「そうだね。えっと、問題は長さ2寸、幅5寸、高さ6寸の角錐の体積だから…」
「公式は、さっき浦風先輩が言ってたのに当てはめるだけだから…分かるよな」
「え~と、2かける5かける6わる3は…」
 指折り数えようとする兵太夫に、伝七が突っ込む。
「指だけで数えられるような計算じゃないだろ! なにがやりたいんだっ」
「60割る3だ。こういうのは同じ種類の計算を先にまとめてしまった方がやりやすい」
「浦風先輩…」
 だしぬけに藤内が口を開いたので、2人はぎょっとした。
「答えは、20寸立方だ」
「あの…先輩」
 答えを書き付けている兵太夫をよそに、伝七がおそるおそる声をかける。
「なんだ」
「1/3の謎は、解けたんでしょうか…?」
「いや、分からない」
 言い切る藤内に、兵太夫と伝七が脱力する。
「分からないって…先輩」
「こういうものは、そういうものだと覚えておくしかない。僕はそうしている」
「はあ…やっぱり、そうするしかないですか」
 兵太夫がため息をついたところに、襖が開いた。
「綾部先輩」
「なーにやってるのかなー?」
 周囲のことにはたいてい無関心な喜八郎だが、文机の周りに固まっている後輩たちに、珍しく興味を抱いたようである。鋤を担いだまま、伝七の背後から文机を覗きこむ。重たげなくせ毛の髷が、伝七のストレートヘアに重なる。鋤からぽろぽろ落ちる土が背中に当たる。
「あの…綾部先輩、鋤を部屋に持ち込むのは…」
 -あとでこれ掃除するの、ぼくたちなんだけど…。
 振り返った伝七が当惑声で注意するが、応えるような喜八郎ではない。
「鋤だなんて呼び捨てにしないでくれ。これは鋤子ちゃんなんだからさー」
「え、はい…では、その鋤子ちゃんを持ち込まれるのは…」
「で、なーにやってるのかなー、キミたちは」
 -馬耳東風…。
 がっくりくる伝七をよそに、兵太夫が訊く。
「この角錘の計算の仕方なんですけど…」
「もう解けてるように見えるけど」
「はい、でも、どうして1/3なのかが分からないんです」
「1/3?」
 首を傾げる喜八郎に、藤内が説明する。
「つまり、立方体の体積は長さ×幅×高さですが、それが錘形になるとなぜ1/3をかけなければならないかというところが、分からないんです」
「なーんだ、簡単なことじゃないか」
 あっさりと言い放つ喜八郎に、思わず兵太夫たちが顔を上げる。
「お、教えてください! 綾部先輩!」
「どうして1/3なんですか?」
「こーいうものは、実証あるのみ! 僕が立方体と立方錘の穴を掘ってだな…」
 3人が脱力する。
「い、いや、綾部先輩…実証はいいとして」
「なぜだ?」
「つまりですね…」
「なぜ1/3なのかが分かればいいわけでして…」
 今にも穴掘りに飛び出しかねない勢いの喜八郎を、伝七と藤内がなだめているところへ、涼しげな声が響く。
「お前たち、なにを騒いでいるんだ」
「立花先輩!」

 


「ほう、兵太夫の宿題か…」
 軽く首を傾げると、長いストレートヘアもさらさらと流れる。ふと見せる笑顔の毒花のような妖艶さや、柳眉を軽く寄せたときに吐かれる激しい毒舌に、喜八郎を除く後輩たちは、尊敬というより畏怖にちかい感覚を抱いている。
「どれ、私が見てやろう」
 仙蔵は、兵太夫の隣に胡坐をかく。反射的に、兵太夫が正座する。
「お、おねがいします…」
 ごくりと唾を飲み込みながら、兵太夫が宿題を差し出す。
 -キンチョーするんだよなぁ。立花先輩がそばにいると…。
「この、問題なんですが…」
「もう答えが書かれているではないか」
「はい。でも、解き方がよく分からなくて…」
「解き方?」
 首を傾げる仙蔵に、藤内が説明する。
「…つまり、なぜ1/3をかけるのかが分からないということだな」
「はい」
「それは、そのような覚え方をするから、分からなくなるのだ」
「「へ?」」
 軽く頤を上げて宣言する仙蔵に、後輩たちの眼が点になる。
「どういう、ことですか…?」
 伝七が、おずおずと訊ねる。
「きっとお前たちは、体積の算出には、その形状ごとに別々の公式を覚えているのだろうと思う。立方体なら立方体の、円錐なら円錐の体積算出の公式がある。それを教えるのが一般的だからだ。藤内、円錐の体積の出し方は、分かるな」
「は、はい…半径×半径×円周率×高さ×1/3です」
「そうだ。だが、いちいち形状ごとに公式を覚えるのは非効率だし、それ以外の形状には対応できない。たとえばこの問題では、高さ6寸の立方錘だが、この立方錘を高さ4寸で切ったときの体積はどうする」
 宿題の余白に図を描きながら、仙蔵は後輩たちの顔を見回す。
「上2寸の分の体積を別に計算して、全体から引けばいいだけのことだと…」
 藤内たちが、同じことを考えていても、口に出していいものかためらっているところに、喜八郎がさらりと言う。
「そうだな。それが一般的な考え方だ。だが、モノの体積の算出は、一つの法則で貫かれている。それを覚えてしまえば、あらゆる形状に応用できる。その方が簡単だと思わないか?」
「そんな公式が、あるのですか?」
 兵太夫が思わず声を上げる。
「ある」
「教えてください!」
 伝七たちも、身を乗り出す。
「つまりだな…平均面積に高さを乗じる。それだけだ」
「へ?」
 兵太夫と伝七の眼が点になるが、藤内は気付くところがあったようである。
「台形の面積の出し方に、似てますね」
「そうだ…よく気がついたな。だが台形より少し複雑になる。こうだ」
 仙蔵が筆を走らせる。
「高さ×(底面積+上面積+√(底面積×上面積))/3ということだ。これさえ分かれば、どんな図形でも応用できる。簡単だろう?」
「…う…」
「いや、ちょっと…」
「簡単…ですか?」
 藤内たちがうめき声をあげる。
「簡単だろう。私はこれで、要らん公式をいくつも覚えなくて済んで、ずいぶん楽したんだぞ」
 ふっと笑いかける仙蔵に、藤内たちは改めて、委員長と自分たちを隔てる何かの存在を感じる。

「でも、ルートは分数が絡むとややこしいから、やはり別々に計算した方が間違いは少ないと思いますけどねー」
 喜八郎が懐から石筆を出すと、書き込み始める。
「たとえば、先ほど先輩が言ってた4寸で切った場合は、つまり上1/3を先に計算して…」
「何を言う。この式の方が簡単だろう」
 仙蔵も筆を執って計算を始める。
「…てか、いいのか? 兵太夫の宿題、えらいことになってるぞ」
 伝七が、呆然としている兵太夫にささやきかける。
「え?」
 我に返った兵太夫が、みるみる青ざめる。
「げ…ぼくの宿題が…」 
 宿題のペーパーは、すでに仙蔵と喜八郎の書き込みで埋め尽くされてしまっている。
「ほら見ろ、私の計算の方が速いだろう」
「公式をプロセスどおりに使った方が、理解しやすいと思うんですけどー」
「それでは応用が効かんだろう」
「でも先輩…」
 珍しくムキになった2人が、筆と石筆を動かしながら論争を続ける。
「では、この一つ前の問題にある立方体を中線で切り落としたときの体積はどうするのだ」
「切り落とした三角形の体積を先に出してですねー」
 額に手を当てた藤内がぼやく。
「あ~あ、これじゃ、今日の作法委員会はどうなってしまうんだ~」
 兵太夫がうなだれる。
「あした、土井先生になんて言えば…あ~あ、すなおに庄左ヱ門に聞くんだった…がっくり」
 伝七が、その肩に手を置く。
「どんまい、兵太夫」

 


 <FIN>