暁鐘

 

兵庫水軍の25歳コンビ、義丸と鬼蜘蛛丸のお話です。
いまは兵庫水軍のなかでもそれなりにポジションを得て、役目をしっかり勤め上げていますが、二人が一緒になるととたんにとんでもないことを始める、そんな仲だといいなと思うのです。


シェイクスピアの『ヘンリー4世 第二部』に、フォルスタッフの有名な台詞があります。
「真夜中の鐘を聞いたものですな、シャロー君」
暴走老人たちがつかの間、乱暴狼藉を働いた若き日を追憶する、ほろ苦さが漂うシーンです。
そして、義丸と鬼蜘蛛丸にも、いつかこんな台詞を吐いてほしいな、と。

 

 

「楽しかったな~」
「また行きたいよな」
 にぎやかに話しながら航と網問が歩いている。第三共栄丸の使いで忍術学園に行った帰りだった。
「そうだ、兵庫水軍にもバレー部つくりましょうよ!」
 眼を輝かせた網問が声を上げる。
「はは。それいいかもな~」
 第三共栄丸の内容がよほど厄介だったのか、返事はなかなか書きあがらず、大川が頭を掻きむしったりヘムヘムに肩を揉ませたり眠り込んだりしている間、二人は六年生たちとバレーボールに興じていたのだ。
「それにしても、あの小平太ってヤツのアタックはすごかったっすね! あんなのまともに食らったら安宅船にも穴があいちゃいますよね」
「まあな。でも、あのアタックは長次ってヤツのトスがないと出てこないってことに気付いたか?」
 興奮冷めやらぬ様子の網問に、航が得意げに小鼻をふくらませる。
「え? そうでしたっけ?」
 果たして網問は眼をぱちくりさせる。
「そうさ。ほかの連中、文次郎とか伊作のトスはタイミングが合わないみたいだったな。パワーがぜんぜん違ってた…網問ももうちょっとよく観察しろよな!」
「ちぇ、航兄ィ、いばってら」
 網問が口を尖らせる。と、その表情が動いた。
「ところで航兄ィ、なんか変じゃないですか?」
「ああ…俺もそう思ってた」
 きょろきょろ辺りを見回す網問の傍らで航が鋭い視線を走らせる。二人が足を踏み入れた漁村はしんと静まり返っている。
「おかしいよなあ。今頃はこのあたりはサワラとかメバルのシーズンのはずなんだけどなあ」
 航の視線の先には、砂浜に引き上げられたままの漁船がずらりと並んでいる。春の漁のシーズンとしてはありえない風景だった。
「それどころか人っ子ひとりいないなんて…このあたりで戦が始まるなんて話もないのに…」
 がらんとした通りに眼をやりながら網問が呟く。


「そっか。お前たちが通った村もか…」
 難しい顔をして顎に手を当てた由良四郎が眉を寄せる。
「えっ? ほかの村もそうなんですか?」
 水軍館に戻った航と網問がむしろ驚く。
「そうだ」
 東南風が頷く。「由良四郎さんと俺が通った村もそうだった。これから戦でも始まるみたいにもぬけの殻だった」
「まさかホントに戦が起きるなんてことないですよね」
 網問がややおびえたように声を震わせる。
「バカ言え。戦が近づいていたら俺たちに情報が入らないわけねえだろ」
 蜉蝣がぶすっと言う。と、急に陸酔いを催してきたらしく顔が青ざめる。慌てて傍らの鬼蜘蛛丸から海水スプレーをひったくって続けさまにミストを顔に浴びせる。
「でないとすれば、海に近寄れない訳が別にあるってことですか?」
 航が戸惑ったように訊く。
「そ、それってよ…」
 疾風が声を上ずらせる。「ま、まさかヌウリヒョンとかトモカズキとか…」
「疾風はすぐそっちのほうを考えるようだが」
 海水スプレーで陸酔いも収まったらしい蜉蝣が肩をすくめる。「別の可能性を考えた方がいいんじゃないか?」
「んだよ、別の可能性ってよ」
「だから、海に近づかれては困る連中がへんなウワサを流すとかよ」
「へんなウワサ? …そうか」
 呟いた鬼蜘蛛丸がおもむろに地図を取り出して広げる。皆が一斉に覗き込む。
「どうした?」
 由良四郎が訊く。
「由良四郎さんたちが通った村はここ。航たちが通った村はここ…岬を挟んでいるが同じ浦に面した村だ」
 地図を指し示しながら説明する。
「ホントだ!」
 興奮したように網問が声を上げて航たちと顔を見合わせる。
「てことは、ちょっと調べる必要がありそうだな」
 黙っていた舳丸がぼそりと言う。
「そういうことだな…お頭! そういうわけで調査を…あれ?」
 上座に向けて声を放った疾風が空っぽの上座に気付いて眼をむく。
「お頭なら、忍術学園の学園長先生のお手紙の返事が思いつかないって散歩に出ちゃいましたよ」
 鬼蜘蛛丸が肩をすくめながら説明する。
「ったくお頭は…」
 困り切ったように疾風が頭をがしがしと掻く。「大事な時にいつもいなくなっちゃうんだよなあ…」
「まあいい」
 由良四郎がおもむろに立ち上がる。「こういうときは忍術学園が頼りだ。俺はこれから忍術学園に行く。疾風と航、一緒に来てくれ。後の連中は警戒を怠るな。いいな!」
「「へい!」」

 

「あっ、兵庫水軍のみなさんだ!」
「またまたどうしたんですか?」
 由良四郎たちの姿を目ざとく見つけた乱太郎としんべヱが声をかける。
「またまたって…」
 苦笑して頭を掻きながら航が言う。「ちょっと忍術学園の先生にご相談したいことがあってね…」
「先生だって。どうする?」
 しんべヱが小首をかしげる。
「そうだなあ。学園長先生は金楽寺の和尚さまのところにいっちゃったし、山田先生は出張だし…土井先生しかないか」
 きり丸が指折り数えながら言う。
「でも、さっき土井先生のところに潮江せんぱいと食満せんぱいがきてなかったっけ?」
 例によって張り合っていた二人を仲裁するために部屋に呼んだ半助だった。なぜならこれからは組のテストの準備で静かに作業をしたかったから。
「じゃ、土井先生のところにご案内しま~す」
 にこやかに先頭に立つ乱太郎の後ろを「悪いな…」と言いながら三人が続く。

 


「なるほど、そういうわけですか」
 部屋を訪れた由良四郎、疾風、航を前に、半助が腕を組む。とはいえ思考の半分以上は焦りと苛立ちで占められている。
 -なんだって今日に限って次から次へと…!
 部屋の隅には文次郎と留三郎を控えさせたままである。学園長が不在で迷惑な思い付きが出てこない間にいろいろと片付けておきたいことがあった。それなのに厄介ごとは次々と持ち込まれ、頼りになる伝蔵も不在だった。
「戦の噂もないのに、同じ浦に面した村で村人が全員いなくなってしまうというのは、どういうことが考えられるのでしょうか」
 単刀直入な由良四郎の問いに思考が戻る。
「う~ん、聞いた限りの話ではなんとも言いにくいのですが…」
 考え込みながら半助が応える。「ただ、仰るようになんらかの企みが背後にある可能性は高いと思います。最近、ヤケアトツムタケ城が動いているということはないのですか?」
「以前はあの浦で何やら調べてたりもしてましたが、最近はへんな動きはしていないのですが…」
「でも、そんなのヤケアトツムタケはそこらじゅうでやってますから」
 兵庫水軍としても真っ先に疑ったのがヤケアトツムタケだった。だが、海のことは知り尽くしている兵庫水軍をもってしても何らかの動きをしているようには見受けられなかった。
「であれば…」
 考えがまとまらず取り繕うように漏らした一言に、皆が反応する。
「であれば?」
「えっと…」
 さまよう視線が部屋の隅に控える二人を捉えた。「では潮江文次郎と食満留三郎、お前たちが兵庫水軍の調査を手伝いなさい」
「え?」
「私たちがですか?」
 自分たちに話が降られると思っていなかった二人が同時に声を上げる。
「そうだ。これもよい鍛錬になるだろう。お前たちの眼で現場を見て、何が起こっているか、背後に何があるかを探ってくるのだ。外出届を書いておくから、すぐに準備して出かけなさい」
「は、はい!」
「わかりましたっ!」
 二人が慌てて部屋を飛び出す。
「そういうわけで」
 にこやかに半助が由良四郎たちに向き直る。「潮江文次郎と食満留三郎を学園として派遣します。彼らは忍たま最上級生です。忍者としての実力もプロ忍者に近い。きっと役に立つでしょう」
「ありがとうございます」
 必要以上に爽やかな笑みを浮かべる半助に違和感を感じないこともなかったが、学園から人を出してくれれば少しは事態も解明するだろうと期待もする由良四郎たちだった。

 


「…で、なぜお前たちまで逃げ出してきた」
 苛立ちが頂点に達した声に、居並ぶ部下たちが身をすくめる。
「しかし、妖怪の噂が出回って船頭や水夫どもがすっかり怖気づいてしまいまして…」
 仲間内で肘をつつき合った挙句、一人がいやそうに釈明する。
「何が妖怪だっ! そもそも妖怪の噂をまいたのは我らではないかっ! それなのに、その我らが妖怪の噂に尻尾まいて引っ込んでどうするのだっ!!!」
 怒鳴り散らしているのはヤケアトツムタケ忍者の組頭である。その昔、その浦に沈んだ唐船(からぶね・中国船)に積まれていた青銅砲が今も朽ちずに海底にあるという噂を聞いて回収する作戦を命じられていた。そして情報流出を避けるために、近辺の漁村に海の妖怪の噂を流させて漁民たちを首尾よく追っ払ったところだった。そしていよいよ本格的に作戦基地を設営し、必要な船を招集しようとした矢先に、肝心の部下や配下の船の船頭たちが海の妖怪の噂に惑わされて海に出ることを拒否しているのだ。
「いやしかし、実際にトモカズキを見たってヤツがこうも多くては、信じるなという方がムリというものでして…」
「カゲワニを見たって話もあります」
「だからっ!」
 癇癪を起した組頭の怒りがさらにヒートアップする。「そんなのは幻だ! 自分で作りだした影を化け物だと思ってるだけだ! お前ら何年ヤケアトツムタケ忍者やってるんだ! そんくらい分かるだろう!」
「とにかく」
 黙っていた小頭が口を開く。「妖怪が本物であろうと幻であろうと現実に見たという噂が広がっていて、我らの中にもその噂が広く信じられています。まずはその正体を突き詰めるのが先決かと」
 

 

「見てください、メバルやサワラがこんなにとれました! これでお刺身パーティーしましょう!」
 魚でいっぱいの桶がいくつも据えられ、雲鬼が腕を広げて漁獲を報告するが、聞いている八方斎の表情は渋いままである。
「で、軍船作りのほうはどうしたんじゃい。そっちの報告を待っておるのだが」
「え、いや、はい…」
 急に歯切れが悪くなる雲鬼である。「そちらの方は目下鋭意準備中でございまして…」
「準備中、だと?」
 八方斎の眼がギラリと光る。「ひっ」と雲鬼が小さく声を漏らす。
「わしはあの小癪な忍術学園と協力関係にある兵庫水軍を叩けと言ったはずだ。お魚を獲ってこいなどと誰が言った! それに達魔鬼はどうしたのだ!」
「どうしたって…」
 質問の意味を図りかねたように雲鬼が顎に手をやる。「風鬼といっしょに授業参観に行ってますが」
「授業参観、だと?」
 八方斎が視線を泳がせる。そういえば作戦に出る直前に、ドクタケ忍術教室教師の魔界之小路から授業参観の実施計画の書類を見せられた気がする。そのときは作戦のことに気を取られていたのでロクに見もせずに許可したのだが。
「ドクタケ忍術教室の授業参観って、今日だったか…?」
 呆然としたままひとりごとのように呟く。
「はい。八方斎さまも校長先生なんだから行った方がいいんじゃないですか?」
 まさか忘れていた? と思いながら雲鬼が言う。
「う、うむ、そうであるな。やはりそうした方がいいのではないかと思っておったわい。ではわしは授業参観に立ち会うから、お前たちは引き続き作戦を続けるように。よいな」
「へい」
 上の空で言い捨てると八方斎は足早に立ち去った。その背を残された雲鬼が見つめる。
 -ぜったいに忘れてたな…。

 

 

「なあなあ雲鬼、お刺身パーティー早くやろうぜ」
 雨鬼が手にしていた風呂敷を解く。「お醤油とワサビ、持ってきたからさ」
「お、気が利くねえ」
 すでに魚をさばき始めていた雲鬼が陽気な声を上げる。「他の連中も来るんだろ?」
「もちろん!」
 ワサビをすり下ろしながら雨鬼が応える。「どーせ、今日は作戦なんて進められないんだし」
「それにしてもさ」
 包丁をつかいながら雲鬼がぼやく。「なんか俺たちの作戦って、いっつも段取りがうまくいかないよな」
「てか段取りなんてあったっけ?」
 雨鬼の口調も投げやりになる。「そもそもこの作戦だって、ヤケアトツムタケがなんかの作戦のために変なウワサを流して漁師どもを海に近づけないようにしたのを知って、八方斎さまが『妖怪話を流してヤケアトツムタケを追っ払え』って言ったのがはじめだろ?」
「で、追っ払ってから何をしようか考えるいつものパターン」
「達魔鬼も気の毒だよな。いきなり『ヤケアトツムタケを追っ払って浦が空いたから、兵庫水軍を叩くための軍船を作れ』って言われたって、材料も船大工もいないんだもんな」
「だよなあ。だから俺たちも魚獲るくらいしかやることないってのにな…」
 雲鬼が何度目かのため息とともに愚痴ったとき、「お~い、お刺身パーティーやるんだって?」とにぎやかに雪鬼たちが現れた。
「そうそう。見ろよこのメバルやサワラ、うまそうだろ」
「俺たち酒持って来たんだ。早く始めようぜ」
「お、待ってました!」
「どーせ八方斎さま、今日は戻ってこないんだろ? パーッとやろうぜ」

 

 

「ふむ、そういうことか」
 半助から託された文に眼を通すと、第三共栄丸は眼の前に控えた二人の青年に眼をやった。
「そういうことなので、調査はこの潮江文次郎にお任せください」
「んだと! ここは俺が…!」
「まあまあ待て」
 自信たっぷりの文次郎と食ってかかる留三郎に、第三共栄丸がなだめるように声をかける。「君たちには我々の調査を手伝ってもらう。そこでだ、義丸、鬼蜘蛛丸」
「はっ」
「彼らを連れて西の津に情報を探りに行ってくれ。由良四郎たちは沖から例の浦の様子を探ってこい。いいな」
「え、いやでも…」
「それでは私たちが…」
 慌てて口を挟む文次郎と留三郎だった。てっきり敵地に潜入して情報を探るものだと思っていた。
「いや、義丸たちと行け」
 断固と第三共栄丸に言われて頷くしかない二人だった。
「はい…」
 -まあこれで学園への義理は果たしたか…。
 出発する義丸たちの後姿を見送りながら第三共栄丸は考える。半助からの手紙には、文次郎たちに水軍なりの情報の探り方を見せてやってほしいと書いてあったから。

 

 

 


「きゃぁぁっ! 義丸さぁん!」
「こっちに来てぇ!」
「いやよ~、こっち向いてぇ!」
 関船が津に着くや、一斉に嬌声をあげる遊女たちを乗せた小舟が漕ぎ寄せてくる。
「今日はこっちに泊まっていってよぉ」
「だめっ、私よっ!」
「おいおい、そんなにケンカしちゃ、せっかくの別嬪さんも台無しだぜ?」
 船端に立って小舟を見下ろしながら義丸が軽口をたたく。苦笑する表情の間から白い歯が光る。きゃあきゃあ騒ぐ声がいっそう高まる。
「それじゃ、今日は子犬君ちゃんのところに厄介になろうかな」
 ひょいと小舟の一艘に飛び降りる。「え~」と失望したような声が上がる。
「そんなにガッカリすんなって。今度また来るからさ」
 なだめるように声を上げる義丸に、「そんなこと言って期待もたせるのよねぇ、義さんは」「今度はいつのお出ましかしら」と言いながらなおも未練気に流し目を送る遊女たちを乗せた小舟が岸へと戻っていく。
「じゃ、明日な」
 さわやかに片手を振ると、義丸は子犬君という遊女の傍らに座り込んで、ねんごろに肩を寄せて何やら話している。その小船も岸に向けて遠ざかっていく。
「…あの」
 一場を呆然と見ていた文次郎がうめき声を漏らす。「義丸さんは、いつもあんな感じなのですか」
「そうですよ」
 前方に眼をやったまま、鬼蜘蛛丸がなにごともなかったように返事をする。
「いやでも…義丸さんにはいったい何人の…ああいう人が…」
 留三郎もためらいがちに訊く。
「何人ってのは、この津でですか?」
 顔色もかえずに鬼蜘蛛丸は続ける。「両手の指じゃきかないくらいかな…?」
 この津でって…」
 文次郎が絶句する。「他のところでもそうなんですか?」
「見てのとおり義丸はモテますからね」
 航路を注意深く目視しながら鬼蜘蛛丸は応える。「それに、ああ見えてけっこうマメなんです。親しい女にはよく文やらプレゼントやら送ってますよ…よぉし、面舵減速!」
 船の目的地に着いたらしい。鬼蜘蛛丸が声を上げ、ゆっくりと船は河岸へと近づいていく。

 

 

「で、なんか分かったか?」
「ああ。いろいろな」
 翌朝、早い時間に戻って来た義丸だった。
「ていうか、ずいぶん早いんですね…」
 女のもとにしけこみに行ってこんなに早く戻ってくるとは思わなかった留三郎たちは、まだ眠たげな表情である。
「なあ、忍たま上級生諸君」
 軽く首を傾げた義丸が腕を組む。「いずれ経験すると思うが、こーゆーのは夜明け前に床を離れるのがお約束なんだぜ。日が高くなってからノコノコ女郎屋出てくるなんて情緒のカケラもないだろ。一晩濃密な時間を過ごしたら、朝もやに紛れてスッと帰ってくるのが大人ってもんさ」
「…はあ」
「…勉強になります」
 後光が差しそうな勢いの義丸トークに、素直に頷くしかない留三郎と文次郎だった。
「それで?」
 義丸の女通いには慣れ切っている鬼蜘蛛丸が続きを促す。
「ああ」
 どっかと胡坐をかいた義丸が口を開く。「さすが子犬君ちゃんだったな。とっくに情報は掴んでたよ」
 そして一呼吸おいて、続ける。「ドクタケが動いてる」 

 


「なに、ドクタケだと…」
 報告を受けた兵庫第三共栄丸が腕を組む。
「はい。ドクタケがあの浦一帯に近づかないよう指示を出しているようで、物流が滞っていると西の津でも困っているようです」
 第三共栄丸の前で片膝をついた義丸がはきはきと続ける。「ここは、連中がなにを企んでいるか探る必要があると思います」
「…そうか」
 第三共栄丸の反応は鈍い。渋い顔で腕を組んだままである。
「お頭?」
「…相手はドクタケだ。ここは慎重に出た方がいいと思う」
 考え考え第三共栄丸は言って文次郎と留三郎に向き直る。
「忍術学園のお前たちには、このことを学園長先生に報告してきてほしい。次にとるべき手と、特に先生の加勢をお願いしたい」
「しかし…」
「私たちも忍たま最上級生です。ドクタケの偵察は我々にお任せください!」
 文次郎たちが身を乗り出す。
「いや、だめだ。万一お前たちに何かあれば、それは兵庫水軍の責任になる。そんなことはできない。相手はプロの忍者なんだぞ」
「そうはいいましても…」
 どうやらドクタケの実力を知らないらしい第三共栄丸に、ドクタケがどれだけダメか説明しようとした二人だったが、たちまち一喝される。
「黙れいっ! もしドクタケがお前たちの言うようなヘボ忍者だったとしても、相手を見くびることは自殺行為だ! それを忘れるな!」
「「は、はいっ!」」
 思わず居ずまいをただす二人だった。
「しかし、忍術学園から回答が来るまでの間、連中を放っておくんですか?」
 義丸が訊く。「それもあんまりいい手ではないのでは?」
「それは俺も考えた」
 第三共栄丸が苦い顔で言う。「だが、俺たちに忍者の相手などできるか? 海賊相手に戦うのとはわけが違うんだぞ?」

 

「なあ、鬼」
 報告を終え、文次郎たちが学園に向けて走り去った後、やることがなくなって空虚な気分だけが残った兵庫水軍だった。皆、手持ち無沙汰を繕うように船具や武具の手入れを始めていた。
「ああ」
 砂浜に立ってひとり沖を見つめていた鬼蜘蛛丸は、振り返ると軽く顎をしゃくった。
「で、どうするよ」
 浜から離れたところで足を止めると、ようやく義丸が口を開く。
「このまま忍術学園を待て、というのがお頭のご指示だ」
 鬼蜘蛛丸が応える。だが、義丸が自分に声をかけて、それに応じた時点でそれはただの事実の確認に過ぎなかった。
「まあそうだろうな」
 とぼけたようにいなす義丸である。「俺は、お前がどうするか訊きたいんだけどな」
「先に声をかけたのはお前だぞ」
 静かに鬼蜘蛛丸が指摘する。
「まったくだ」
 頭の後ろで腕を組んだ義丸が呵々と笑う。「俺が訊きたいのは、俺の話に乗るかどうかってことだけだ」
「俺はいつも思うんだが」
 負けずに鬼蜘蛛丸も返す。「お前を見てると、よくお頭がお前を鉤役にしたもんだな」
「水軍は実力主義なのさ」
 義丸がつんと鼻を上げる。「少しは人の実力を素直に認めろよな」
「認めてるさ」
 短く返す鬼蜘蛛丸だった。「だからこそ、お頭は少しくらいの逸脱なら許してくださる。だが、俺たちの立場でそれに甘えていいのかってことだ」
「それもそうだ」
 義丸の視線は遠くを見つめている。「だが、こればっかりはな。お前も分かってるだろ」
「ああ」
 小さくため息をついた鬼蜘蛛丸だった。
「なあ、憶えてるだろ。俺たちがガキだったころ、あの浦でよく遊んだよな」
「ああ」
「魚や貝の取り方や潮目の読み方もおしえてもらったよな」
「ああ」
「なら、わかるよな」
「ああ」
 自分たちが子供だった頃、世話になった浦の漁師たちが、いま、その浦から追い払われている。そのことを看過できるはずもなかった。
「じゃ、やるよな」
 肩に手を回した義丸が顔を覗き込む。その顔に視線を向けた鬼蜘蛛丸が口をゆがめてにやりとする。
「お前にしてはまだるっこしいことをやるもんだな」
「そりゃそうだろ」
 義丸も不敵に笑い返す。「お頭の許可なくひと暴れするんだからな」

 

 

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