おねだり

 

一年生の忍たまたちであれば、誰に何をおねだりしても許されてしまいそうですが、虎若がおねだりする相手はおのずから限られてきそうです。しかしそこには競合相手がいるわけで…。

 

タイトルはシューマンの「子供の情景」第4曲 "Bittendes Kind"

 

 

「はぁ~あ」
 ぼんやりと視線をさまよわせたまま、虎若は両掌に顎をのせてため息をつく。
「虎若、虎若ったら、おい」
 隣の団蔵が小声で脇を突っつくが、もう遅い。
「虎若! 授業中にぼんやりするな!」
 眼の前にはこめかみに青筋を立てた半助が立っていた。
「え? は、はい」
 まだ意識が半ば戻っていないのか、ぼんやりした声で虎若は辺りを緩慢に見回す。その様子に半助の怒りも頂点に達したようである。
「虎若! 井戸で顔洗ってこい!」
「は、はいっ」
 ようやく正気に戻ったらしい虎若が、慌てて教室から駆け出す。
「どうしたんだろうね、虎若」
「そういえば、さいきん、すこし元気がないみたいだけど…」
 しんべヱと乱太郎がひそひそと声をかわす。
「ほらほら、授業を続けるぞ。黒板に注目!」
 手を叩きながら半助が声を上げる。

「どうかしたの? さいきん、ようすが変じゃない?」
 放課後に、なおもぼんやりと教室の机の前で座ったままの虎若に、庄左ヱ門が声をかける。その背後から、乱太郎たちが顔をのぞかせる。
「…なにかこまっているなら、相談にのるよ?」
「…え?」
 弾かれたような表情で見回す虎若に、皆が顔を見合わせる。
 -これは重傷だね。
 -どうしたんだろ?
「あのさ、虎若、今日も授業中にぼんやりしてたし、いつもとちがうんじゃないかってみんな心配してるんだよ?」
 気を取り直して庄左ヱ門が言う。
「あ…そ、そうなの?」
「そうなの、じゃなくてさ…」
 机に片肘をついた団蔵が言いかけたところ、
「あ、そうだ! ぼく、これから筋トレしなきゃいけなかったんだ! じゃぁ!」
 早口で言うや、立ちあがった虎若がばたばたと教室を後にする。
「なんなんだ、あいつ?」
「ぜったいおかしいよね」
 教室に残された庄左ヱ門たちが呆然と見送る。

 


「ふぅ」
 校庭の片隅にやってきた虎若は小さく息を吐く。自分がここ数日、気鬱になっていることは確かだった。そして、その理由も明らかだった。
 -どうして照星さんは…。
 ぐっと唇をかむ。
 -どうして田村先輩ばっかり…。
 


 最初は偶然だと思っていた。たまたま自分が演習で学園を留守にしているときに、照星が訪れて三木ヱ門に火縄の稽古をつけたと聞いても、運が悪かったと思うだけだった。実家の佐竹村に帰った時にでもまた教えてもらえばいいと思っていた。
 だが、数日前、休暇で佐竹村に戻ったとき、照星はいなかった。そして、照星が学園を訪れて、三木ヱ門に稽古をつけていたことを知る。
 -さけられている?
 それがどういうことなのか、何ゆえのことなのか、虎若にはまったく理解できなかった。ぐるぐると惑乱する意識の中で、辛うじて浮かんだ答えらしきものがあった。
 -ぼくの火縄の腕は、みこみがないってこと…?
 それもまたありうることだった。自分のやることときたら、転んで頬を腫らしたり、梅干しの種をかじって前歯を折ってしまったり、おおよそ火縄を扱う者にあるまじき未熟ぶりだったから。だから、いよいよ照星に愛想を尽かされてしまったということなのだろうか。
 本当は訊きたかった。自分の何がまずいのか、どのように改めれば、また稽古をつけてくれるのか。だが、できなかった。もしその理由が、自分ではどうしようもできないようなことだったら、もう二度と照星に稽古をつけてもらうことなどできなくなるだろうから。そんな現実が突き付けられるなど、耐えられなかったから。
 だから虎若は耐えるしかなかった。そのためにたとえ授業中に上の空になっても、クラスメートたちに話しかけられたのに気付かなくても、とにかく事実を受け止められるようになるまで、耐えるよりほかになかった。

 


「どうじゃ、三木ヱ門の腕は」
 大川が言葉を切ったとき、庵の外の鹿脅しがすこん、と響いた。
「見込みはあります」
 下座に控えて低く答えるのは照星である。
「そうか」
 短く応じた大川は、ずず、と茶をすする。
「また、あちこちの城からスカウトに来るんじゃろうな」
「おそらく」
 だが、本人はまだ四年生で、学園で学び続けることを望んでいる。
「堂禅としても、断りきれなかったのじゃろう」
 誰にともなく大川は呟く。以前、堂禅のもとで三木ヱ門が披露した石火矢の腕前に、諸方の城から偵察に来ていた忍たちがスカウトに動いたことがあった。そのときは本人の意向もあって学園に残ることになったが、諦めきれない忍たちから堂禅への圧力は強まっていた。年端のいかない少年であろうと、カノン砲や軽量野戦砲、カルヴァリン砲まで使いこなす腕前はどこの城も即戦力として喉から手が出るほど欲しい人材だった。
 -それほどまでに求められているならば、あるいは望む城に就職させることもありやも知れぬ。
 堂禅からの手紙を一読して最初に感じたことだった。そして、その可能性にいろいろと思いを馳せてみた。
 -この時勢じゃ。実力のある六年生といえども確実に就職できるとは到底いえぬ。そうであるならば、多くの城から望まれているうちに、条件のいい城へ就職させる方が本人にとってもいいのではないだろうか。
 だから、本人には伏せて、もう一度堂禅のもとで石火矢の試射をやらせることにした。その条件として、堂禅から諭させるつもりだった。就職先を選ぶことができるチャンスなど、そうあることではない。或いはこれが最後のチャンスかも知れない。だから、選べるときに最もよい条件を提示する城を選ぶべきだと。そして、学園で学ぶことにこだわるべきではないと。
 そのために、照星に依頼して三木ヱ門の石火矢の腕のブラッシュアップを図ったのだ。誰にでも訪れるわけではないチャンスを確実に射止めさせるために。

 


「よお。どうしたんだ、こんなところで」
 さりげなくかけられた声に虎若は顔を上げた。いつの間にか抱えた両ひざの上に頭を埋めて眠っていた。
「あ…竹谷先輩」
 自分がどこで何をしていたかを思い出すのに、少し時間がかかった。
「しけた顔してどうしたんだ? お前らしくないな」
 虎若の傍らにどっかと胡坐をかいて座りながら、八左ヱ門が言う。
「いえ…ちょっと日陰ぼっこでも、と」
「おいおい、日陰ぼっこは一年ろ組の専売特許だろ?」
 苦笑する八左ヱ門に、ふたたび膝の上に顎をのせて視線を前に戻した虎若がぽつりと言う。
「ぼくだって、日陰ぼっこしたいときもあるんです…」
「…そっか」
 

 

 実は八左ヱ門は、三治郎から相談を受けていた。
 -虎若の様子がおかしいと言ってたが、たしかにおかしいな。
 あんなに物憂げな虎若を見るのは初めてだった。
「ただの日陰ぼっこじゃないだろ。何かあったのか? 俺でよかったら聞くぞ?」
 気を引き立てようと話しかけるが、虎若の反応は鈍い。
「いえ、べつに…というか、先輩にお話ししてどうにかなることでもないし…」
「なあ、虎若。俺ってそんなに頼りないか?」
 不意に八左ヱ門の声が沈む。はっとした虎若が顔を向ける。
「…たしかに、俺はまだ五年生だし、リーダーっていっても委員長代理だし、六年生の先輩たちみたいに委員会を引っ張っていけてるわけでもない。だけどさ…!」
 八左ヱ門が声を詰まらせる。いつにない表情に虎若もまた言葉を失う。
「…同じ委員会の後輩だろ? 悩んでることがあるなら俺に相談しろよ。俺には何もできないかもしれないけど、話すだけでも少しは楽になることだってあるんだぜ?」
「せんぱい…」
 肩を落として自分を見つめる八左ヱ門は、どこか寂しげだった。いつも委員会を盛り上げている明るく元気な姿とは裏腹な表情に戸惑う。
 -それって、ぼくのせいなのかな…。
 いつも優しい八左ヱ門が落ち込んでいる。それが自分のせいなのだとしたら、なんとかしなければならなかった。自分が抱えているもやもやを話して済むことならば、話してしまってもいいかもしれないと考える。
 虎若はおもむろに口を開いた。
「じつは…」

 


 -哀車の術、大成功…というか、あれってホントに哀車の術だったのか…?
 虎若の想いを聞き出すことに成功した八左ヱ門はひとり考える。
 -術のわりには、俺へのダメージが大きいんだけど。
 コンプレックスを思いがけず吐き出してしまったからだろうか。術を成功させた達成感とは程遠い感覚だった。
 -まあいい。とにかく、照星さんがもっと虎若に稽古をつけてくれるようにすればいいんだろ…。
 いつまでもぐずぐず考えているバヤイではない、と考えを転換させる。
 -照星さん、か…。
 たしかにそれは、自分に相談されてもどうしようもないものだった。偉大なスナイパーである照星に八左ヱ門が接点など持ちようがなかったし、仮に話す機会があったとしても、おそらく照星なりに考えがあってやっていることを翻意させることなどできるとは思えなかった。
 -それに、あれで解決になるとも思えないし…。
 ひとしきり虎若の話を聞いた八左ヱ門は言ったのだ。
「とにかくさ、そのこと照星さんにお願いしてみたらどうだ? 虎若はなんども照星さんに火縄の稽古つけてもらってんだろ? だったら手紙書くなり、学園に見えたときにお願いするなりしたほうがいいんじゃないかって思うけどな」
 そして、なお逡巡する虎若の肩を叩いて言ったのだ。自分でも効果があるとは信じきれないことを。
「やってみなきゃ分かんないだろ!? ほら、虎若! 元気出せって!」
 それはどれだけ、無責任な言葉なのだろうか。

 


「あの…竹谷先輩」
 数日後、生物委員会の畑を手入れしていた八左ヱ門におずおずと声をかける人物がいた。
「よう、三木ヱ門。どうした、珍しいな」
「はい、あの…いま、よろしいでしょうか」
「ああ。どうした?」
 立ちあがった八左ヱ門は、額の汗を拭いながら畝の外に立っている三木ヱ門に近づいた。
「あの…虎若から聞いたのですが、照星さんにコーチしてもらうための秘策をご存じとか…」
 俯いてもじもじしていた三木ヱ門が、ちらと見上げる。
「え? 秘策?」
 呆気にとられた八左ヱ門がおうむ返しに答える。虎若の話では、照星は三木ヱ門にばかり稽古をつけているということだったのに、何があったのだろうか。
「てか、照星さんは三木ヱ門に稽古をつけてるんじゃなかったのか? 虎若が言ってたぞ」
「そうなんですが…」
 三木ヱ門が俯く。「この前まではたしかに照星さんによく稽古をつけていただいていたのですが、先日『石火矢のことは多田堂禅先生のところで学ぶように』と仰って、それ以来稽古をつけていただけなくなったのです。そのかわり虎若に稽古をつけるようになって…」
「そう、なのか…?」
 八左ヱ門には訳が分からなかった。照星がどんな気まぐれでそのようなことをするのか知らないが、三木ヱ門にとっては『捨てられた』という思いが残るだろう。忍たま上級生といえ、感じやすい年頃にとってそれはどんなに残酷なことだろう。
「あのな、三木ヱ門」
 俯いたままの三木ヱ門に声をかける。
「俺は照星さんと直接話ができるわけでもないし、なんとかしてやりたくても何もできない。だから、虎若に言ってやったのと同じことしか言えないんだ」
「虎若には、なんと仰ったんですか…」
 顔を上げた三木ヱ門が、すがるような目で八左ヱ門を見上げる。
「とにかく手紙でもなんでもいいから照星さんにお願いしてみろってな」
 三木ヱ門の眼が大きく見開かれた。
「それだけ、ですか?」
「ああ。それだけだ」
「それだけで…どうして…」
 顔を伏せて呟く。
「なあ、三木ヱ門」
 ふと気がつくところがあった八左ヱ門が改めて訊く。
「はい」
「照星さんには照星さんなりのお考えがあってそうしてるんじゃねえかって俺は思う。それより、なんで多田堂禅先生のところに行けなんて言い出したのか、お前は確認したのか?」
「…訊きました」
 顔を伏せたまま三木ヱ門は答える。「多田堂禅先生のところで、砲術の腕前を見せるようにと。そこにはいろいろな城からのスカウトが来ているから、きっといい城に就職できるだろうと」
「おほ~、すげぇな」
 顎に手を当てながら思わず八左ヱ門は感嘆する。「四年生で、すでにあちこちの城から引く手あまたなのかよ。大したもんだな」
「でも、私はまだ四年生です」
 思いつめた声で三木ヱ門は言う。「火器のことはともかく、それ以外の忍術はまだまだですし、それよりももっと学園にいたいんです。二度とないチャンスだと言われるかもしれませんが、それでも許される間は学園にいたいんです…!」
「…そっか」
 絞り出すような声に、八左ヱ門は短く応えることしかできない。
 -許される間、か…。
 それはきっと、子どもでいることを許されることなのだろうと考える。学園にいる間は、上級生といえども忍たまである。それはつまり、子どもであることを許される期間なのだ。就職するということは、そのような甘えが許されなくなる世界に入るということなのだ。たとえ三木ヱ門のような年端のいかない少年であったとしても。 
「そのこと、多田堂禅先生にはお伝えしたのか」
「…いえ」
 三木ヱ門が拳をぐっと握る。
「あのさ、三木ヱ門」
 思いつめた表情のままの三木ヱ門にどう言葉をかけようかと考えながら声をかける。
「…たしかにそんないいチャンスがあるのにみすみす見逃すのはもったいないと思う。学園出たって必ずしも忍として就職できるとも限らない世の中だからな…もしかしたら、多田堂禅先生も、良かれと思ってそうしてるのかも知れないぞ? だとしたら、三木ヱ門がほんとうは何を望んでいるのかちゃんと伝えないといけないんじゃねえかって思うけどな」
「でも…そんなことをしたら、多田堂禅先生に申し訳ないです。それに、これは学園長先生のご意向だとも…」
「あのよ、三木ヱ門!」
 気がつくと手が肩を捉えていた。三木ヱ門がぎょっとしたように顔を上げる。
「多田堂禅先生がどうおっしゃろうが、学園長先生がどうお考えだろうが、そんなの全然関係ねぇんだよ! お前の人生なんだろ? お前が選んで忍たまになったんだろ? だったらお前がやりたいようにやればいいんだよ! どんなエライ奴だって、お前の人生に口出しする権利なんかねぇんだよ! そうはっきり言ってやりゃいいだけの話じゃねぇか!」
 気がつけば自分の思いをぶちまけていた。
「先輩…」
 放心した態で三木ヱ門が呟く。
「だ、だからな」   
 我に返った八左ヱ門が取ってつけたようにこほんと咳をする。「まあその、自分の気持ちに正直になれってことだ」
「は、はい…」
 眼を大きく見開いたままの三木ヱ門が曖昧に頷く。

 


「はぁ~あ」
 ぼんやりと視線をさまよわせたまま、虎若は両掌に顎をのせてほんわりとため息をつく。
「虎若、虎若ったら、おい」
 隣の団蔵が小声で脇を突っつくが、もう遅い。
「虎若! 授業中にぼんやりするな!」
 眼の前にはこめかみに青筋を立てた半助が立っていた。
「はい…でも…」
 陶然としたまま虎若は口を開く。
「でも、なんだ?」
 腰に手を当てた半助が訊く。
「このまえ、田村先輩と一緒に照星さんに稽古をつけてもらった夢をみたもんですから…」
 まだ半ば夢のなかにいるような答えに、みるみる半助の怒りが頂点に達する。
「虎若! 井戸行って顔洗ってこいっ!」

 

 

<FIN>

 

 

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