その先、一人

 

忍たま六年生ともなると、卒業後の行動も視野に入らざるを得ない頃でしょう。

どのような身の振り方をするにせよ、忍として生きていくにはかつての仲間といえども必要とあらば倒さなければならない局面を意識し始めるかも知れません。

そのことがもたらす痛みは、たとえ文次郎でも、いや、文次郎だからこそさくりと胸に刻まれる痛みとともに意識してしまうのかもしれません。

 

 

 ごぅっっと風が吹き抜けて頭上の木立が大きく揺れる。風は不意に強くなり、あるいは方向を変え、とどまることなく吹きすさぶ。
 -くそ。気配がまるで追えねえ…。
 風を少しでも防ごうと覆面を視界を確保するぎりぎりまで持ち上げながら文次郎は眉を寄せる。冷たい風に判断力まで凍り付いていくようにおぼえて小さく身震いする。
 六年生たちは冬の森で演習に出ていた。今夜の課題は裏裏山の山中の祠に隠した文書を持ち帰るというものだった。条件は単独行動であること、というだけだった。
 話を聞いたときは拍子抜けするほどだったことを思い出す。たしかにいつ雪になってもおかしくないような冬の山中での演習は身体に堪えたが、これまでの鍛錬を考えれば大したことはなかった。むしろ、わざわざこのような簡単な演習を命ずる教師たちの意図を図りかねて顔を見合わせあったものだった。
 それは演習に出た今も変わりなかった。いや、今はそんなことはどうでもよかった。全身から容赦なく熱を奪う強風から忍としての敏捷さと判断力を守らなければならなかった。そのためには…。
 -伊作だ!
 激しく揺れ動く下草の間に光るものがあった。低い位置に身を隠して、チャンスを見つけて足を狙ってくるのはいかにも伊作らしいやり方だった。
 -そうはいかないぜ。
 その時、ひときわ強く吹き付けて枯葉が一斉に舞い上がる。思わず片手で目を覆う。
 その瞬間を伊作は見逃さなかった。身を低くしたまま一気に地面を蹴って苦無を構えて駆け出す。
 文次郎はその瞬間を待っていた。伊作が動き出すや飛び上がって頭上の枝にぶら下がると、そのまま飛び降りて伊作の背後に回って腕をひねり上げる。
「いてててて…」
 あっさりと苦無を取り落とした伊作が声を上げる。「参った…降参だよ」
「まあ、当然だ」
 余裕の表情で言い捨てた文次郎はすぐに頭上に眼をやると、背後の茂みに身を隠す。伊作のそばにもれなくいるはずの相手と対峙するために。

 

 

「やっぱいたな」
 するすると大木の幹を上って太い枝の上に立った文次郎がニヤリとする。隣の木の上には留三郎がいた。
「けっ、まっさきに伊作からやるとはな…お前らしいぜ」
 覆面から除く切れ長の眼が細くなる。「今度は俺が相手だ!」
 言うや枝を蹴った留三郎が苦無を構えて飛びかかってくる。
「伊作のこととなると見境がなくなるのがお前の悪いところだな」
 挑発しながら身をひるがえして別の枝に飛び移る。
「んだと!」
 伊作の名前を出されてカッとなったらしい留三郎だが、すぐに冷静になる。
「そうやって俺がいつでも揺動されると思ったら大間違いだぜ!」
 言いながらなおも襲い掛かってくる。
 -ならプランBだな。
 素早く作戦を切り替えた文次郎は、枝の上に立ち止まって動きを止める。ふたたび苦無を構えてジャンプしてきた留三郎の眼が動かない相手に見開かれる。苦無の切っ先が自分の肩にぶつかる寸前にしゃがみ込むと、後ろ足で枝を蹴って肩ごと相手の身体に突進する。
「なに!?」
 突然消えた文次郎の姿に一瞬驚いた留三郎だったが、すぐに相手が身をかがめたと思った。だが、次の枝へと空を切っている自分の身体がひどく無防備な状態であることに意識が至った瞬間、腹に強烈な圧迫をおぼえた。
「うぐ!」
 それが文次郎の肩だと理解し、弾き飛ばされた身体が地面に打ちつけられるまでひどく長く感じた。
「だあっ!」
 背中に走る衝撃とともに息が詰まった。そして気付いた時には胸ぐらをつかまれ、首筋には苦無が当てられていた。
「ちっくしょ、降参だ! …俺としたことが」
 悔しそうに顔を背けながら言い捨てる留三郎だった。

 


 -来たな。
 ひときわ強く吹きすさぶ風に、かき回されるように下草が激しくなびく。が、それとは異質な動きが下草を踏みしだいて駆けてくる。
 -気づいてないとでも思っているのか…いや、違う。ヤツは真っ向勝負するつもりだ。
 足音はさらに速度を増し、小さい野分のように下草をかき乱して疾走する。そして、荒れ狂う波濤のように大きくうねった瞬間、「いっけど~ん!」の声とともに忍刀を振りかざした大きな影が飛び出してきた。ぶん、と風をたたき切るように刀が振り下ろされる。
「おっと」
 まともに受けていたら、苦無を弾き飛ばされるどころか、手首ごと切り落とされていただろう。
「やるな」
 身をかわした文次郎に素早く向き直りながら小平太はニヤリとする。
「当たり前だ。いくぜ!」
 苦無を構えるとそのまま突進する。
「よっ」
 案の定小平太は身を翻す。自分からはだれかれ構わず突進するわりに、自分に向けられた攻撃は受けずにかわす小平太らしかった。
 -だがこうやっていけば…。
 かわし続けるのに飽きた小平太はいずれ反撃に出る。それも、後先考えずに動くきらいがあった。
「ほれ、どうだ小平太…ほれ」
 挑発しながらちらちらと苦無の先を向けながら押していく。徐々に小平太の眉間のしわが深くなっていった。
 -そろそろ来るかな。
 そう思いながらなおも斬りかかったとき、くわっと小平太の眼が見開かれた。
「どん、どーーーん!」
 唸り声をあげると、ターボがかかったようにさらに脚の回転が速まった小平太が突進してくる。
「よっと」
 最後の最後まで苦無の先を向けながら受けて立つように攻撃するそぶりを見せていた文次郎がふいに身を翻す。
「どんど~~~んっ!」
 もはや文次郎のことは視界からも意識からも飛んだらしい。恐ろしい力で苦無を振り回し、木々をなぎ倒しながら小平太はまっすぐ走り去る。

 

 

 -さすが長次だな。
 これだけ不規則に風が吹いている中でも、長次の縄鏢は一定のうなりを保ったまま回っている。
 -だが、俺の作戦には気づいてないようだな。
 長次と対峙した文次郎は、あえて木立の外れに場所を移動していた。そこは縄鏢も思う存分振り回せるし、その切っ先がいつ襲ってくるかもわからない場所でもあった。
 -くっそ、思ったより明るいな…。
 ちらと夜空を見上げた文次郎が眉をひそめる。大きな雲がもつれ合いながら高速で流れていく。その隙間からは煌々と月が照っている。
(もそ。)
 長次がわずかに口を動かしたように見えた。が、何を言っているかは距離をとっている中では聞こえようもなかったし、どうでもいいことでもあった。ただ、何の感情も見せず縄鏢を振り回す無機質な表情に、却って身震いするほどの感情の空洞を感じた。
 -何考えてるか分かんねえときがいちばん厄介なんだよな…。
 たいてい無表情な長次だったが、六年ともに過ごすうちに、そばにいれば何を考えているかだいたい分かるようになっていた。だが、こうやって対決する場面では今でも思考も感情も分からないゆえの空恐ろしさをおぼえた。
 -また月が…。
 長次の動きを警戒しながらちらとまた夜空に眼をやる。しきりに夜空を気にしている文次郎の様子に、長次は何かの意味を感じ取ったらしい。縄鏢を振り回しながらじりと間合いを詰めてくる。
 -よし、もう少しだ。
 詰められた分だけ圧されたように後ずさる。だが、その足はさりげなく背後の木立に向かっている。
 -あの雲が抜けたら…。
 みたび夜空に眼をやった文次郎は大きな雲の流れた後にぽっかりと空間があるのを見取っていた。その瞬間を狙ってひときわ高く苦無を振りかざす。果たしてふたたび煌々と照った月光に苦無が反射して長次の眼を射る。
 -それが狙いか…。
 であればと長次はいっそう追い詰めるように縄鏢の縄を長く取りながら文次郎に詰め寄る。ひるんだように文次郎は後ずさると、背後の木立の下薮に飛び込んで身を潜める。思わぬ動きに長次の指先から意志が抜けて縄?を惰性で回るにまかせる。
 -木立に移動すれば縄鏢は使えない。武器を持ち替えるときに必ずスキが生じる。
 果たして文次郎が読んだとおり、木立の中では縄?が使えないと判断した長次は縄鏢を手繰り寄せようとする。その瞬間を文次郎は待っていた。
「スキありっ!」
 苦無を構えて怒鳴りながら下薮から躍り出る。
 -!
 とっさに反応できずに長次の動きが固まる。驚きに眼を見開いたままの長次に駆け寄って首筋に苦無を突き立てるのはたやすいことだった。
「どうだ長次、参ったか」
(…降参だ…もそ。)

 


 -よし、あの祠だな。
 山中の祠が見えてきた。だが、すでにもう一人の気配も感じられた。
 -残るは仙蔵か…さて、どう出てきやがる?
 しばし下草の中に身を隠して出方をうかがっていたが、仙蔵も動く気配がない。その間にも風はいっそうたけり狂って草を根元から引きちぎらんばかりに吹きすさぶ。
 -ここは無形の形でいくか。
 あえて作戦は立てない。出たとこ勝負である。相手の動きを分析し、作戦を読むのに長けている仙蔵がもっとも苦手とする手である。ただし、今のように互いの出方を探ってばかりではらちが明かない。そう考えた文次郎は、あえてゆっくりと下草の中から立ち上がると、ゆうゆうと祠の前の山道に立つ。文次郎の動きに戸惑ったのか、仙蔵は動かない。
「出て来いよ、仙蔵」
 覆面を下した文次郎が声を上げる。「ここで正々堂々と勝負しようぜ」
「正々堂々、か」
 藪の中から覆面をしたままの仙蔵が姿を見せる。「よかろう」
「ここで勝負して勝ったほうが祠に入って文書をゲットする、それでどうだ」
「分かった」
 覆面から除く仙蔵の眼がいたずらっぽく光る。
「じゃ、行くぜ」
「よし」
 苦無を構える文次郎に対し、仙蔵は懐手のままである。
 -焙烙火矢か、手裏剣か…。
 いずれにしても仙蔵相手の場合は接近戦に持ち込まなければならなかった。仙蔵の得意武器の飛び道具を封じ、自分の得意な体術で抑え込めば勝機はある。そのためには…。
「いくぜ!」
 声を張り上げるや、袋槍の穂を構えた文次郎が突進する。
「おっと」
 身をかわした仙蔵が手裏剣を打つ。
「来ると思ったぜ!」
 袋槍の穂で手裏剣をはじきながら文次郎がニヤリとする。しばし二人の攻防が続く。
 -そろそろ勝負をつけるか。
 このまま続けていても互角の勝負が続くだけと判断した文次郎は、思い切って手裏剣を手にした仙蔵に向かって一歩足を踏み出した。果たしてぎょっとしたように仙蔵の動きが止まる。
 -今だ!
 その動きを文次郎は見逃さなかった。一気に苦無を構えて突進する。だが、仙蔵は冷静さを取り戻していた。手裏剣を放ちざま身をかわす。と、その瞬間、激しく吹いた風にあおられた髪がふわりと広がりながら宙を舞って文次郎の手に絡まった。
 -!
 指の動きを封じる髪と、かくりと首ごと背後に引っ張られた感覚に二人が同時に動揺する。が、有利を悟った文次郎が髪に指を絡めたままぐいと引き寄せる。
「う…」
 もう仙蔵は抵抗できない。「そこまで…」
 そこまでしてお前は勝ちたいのか、と言いかけた仙蔵の口惜しげな眼に、瞬間たじろぐ。だがそのための勝負である。
「俺の勝ちと認めるか」
 あえて勝ち誇った口調で文次郎は仙蔵を見下ろす。
「…認める」
 顔を背けた仙蔵がぼそっと言う。
「おっし」
 

 

 もはや誰はばかることなく祠に足を踏み入れた文次郎は、一隅に置かれた文書をたやすく見つけて懐にしまい込む。そして祠から足を踏み出すと、一気に学園に向かって駆け出す。
 風はまだ強かったがもう気にならなかった。あとは学園に戻って教師たちに文書を示せばいいのだ。それで今夜のミッションは終了する。

 

 

 

 

「うむ。潮江文次郎、合格」
 教師長屋で文書を検めた伝蔵が頷く。傍らで鉄丸が帳面になにやら書きつける。
「はっ」
 一礼した文次郎が立ち上がると部屋を出る。そのときまぶしい曙光が眼を射て思わず手をかざす。山の端からちょうど朝日が昇ってきたところだった。
 -よっしゃ。やったぜ俺!
 学年でただ一人の合格者であれば、成績にもかなり反映されるはずである。達成感に満ちて軒先に立って、かっと眼を見開いて朝日に向かって立つ。
 風は相変わらず強かったが、朝日の中で髷を揺らす風はむしろ爽快だった。報告を終えたその足で忍たま長屋に足早に戻る。
「なあ仙蔵!」
 がらりと部屋の襖を開いた文次郎の動きが止まる。部屋はがらんどうのまま薄暗がりに沈んでいた。そしてようやく自分が何をしてきたかを思い出す。
 -そっか…俺、仙蔵たちを倒してきたんだった…。
 不意に心にすっとすきま風が通ったような気がして、襖に手をかけたまま立ちすくむ。
 -仙蔵だけじゃねぇ…長次も小平太も、伊作も留三郎も…。
 あのときは授業の一環と割り切っていたはずだったが、気がつけばかけがえのない仲間たちを倒していたという思いが、じわじわとこみあげてくる。
 -そっか…この先は、俺ひとりってことか…。
 朝日が少しずつ部屋の奥まで差し込んでくる。まぶしさに眼を細めながら黙然と考える文次郎だった。いま、ひときわ強く吹き抜けた風に髷と前髪が揺れる。そのとき、
「よお、なにそんなとこに突っ立ってんだよ」
 揶揄する声にぎょっとして振り返る。庭先の前栽の向こうから声をかけてきたのは、伊作の肩に腕を載せた留三郎である。
「この私を倒しておいてその仏頂面とは、なにが不満なのだ」
 その横で腕を組んで澄ました表情でいるのは仙蔵である。
「そうだぞ! もっと喜べ文次郎!」
 長次と肩を組んだ小平太が威勢よくこぶしを振り上げる。
「あ、ああ…」
 目の前にいる仲間たちの姿がにわかに現実とは思えずに、文次郎はぼんやりと声を漏らす。
「なにぼさっと突っ立ってるんだよ。早く飯に行こうぜ! おばちゃんが俺たちのために、早めに朝食用意してくれてるってさ!」
 つかつかと歩み寄ってきた留三郎に肩を突かれて、ようやく我に返る文次郎だった。
「お、おう…」
「よーし! イケイケドンドンで朝飯だぁっ!」
 元気よく先導する小平太に続いて皆がぞろぞろと続く。
 その背を突っ立ったまま見送っていた文次郎だったが、「行こうよ、文次郎も!」と振り返って戻ってきた伊作に手を引かれて「お、おう…」と歩き出す。

 

 

「…意外でしたな」
 離れたところから見ていた鉄丸が、文次郎たちの後姿を見送りながら呟く。
「そうですな」
 腕を組んだ伝蔵が頷く。
 目的のためなら割り切って行動し、そのことで気を病むようにも見えなかった文次郎が、ひとりを認識したときに見せる思わぬもろさに、二人の教師は驚きを隠せずにいた。
「あれこれ強がってはいるが、彼もまたまだ仲間を必要としているということなのでしょうな」
 考えにけりをつけるように鉄丸は小さくため息をつく。
「そうでしょうな…まあ、それが許されているともいえる」
 ぽつりと言うと伝蔵は踵を返して職員室へと足を向ける。取り残された鉄丸も、まばゆい朝日が激しい風に揺られてちらちらと細かく照り映える前栽を踏み分けて立ち去る。

 

 

<FIN>

 

 

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