野分

 

落乱52巻でもありましたが、犬猿が協力すると大雨になるそうです。そんなことはとっくに分かっていても、それでも必要があれば彼らは協力し合うし、それに伴う大雨を忍術学園の仲間たちは受忍するんだろうな、と思います。

 

 

「風が出てきましたね…」
 半助は、先ほどから小刻みに向きを変える強い風が気になっていた。
「そうですな。雲も速い…」
 伝蔵も空を見上げる。
「どうしますか?」
「野分(台風)が近付いていますな。これは、学園に戻ったほうがいいでしょう」
「わかりました」
 頷いた半助が短く指笛を吹く。たちまち、あちこちに姿を隠していた生徒たちが集まる。
「どうしたんですか、先生」
 庄左ヱ門が半助たちを見上げながら訊く。
「野分が近い。雨風が強くなってからでは危険なので、実習はここで切り上げて学園に戻る。全員ランニングで戻るぞ」
「「はい!」」
 こうして裏山での一年は組の実習は中止となった。

 


「作兵衛、そっちはどうだ」
「異常ありません!」
 校舎の屋根の上では、用具委員の留三郎と作兵衛が屋根瓦の状態を点検していた。
 -ここだけ修理しちまえば、とりあえずこの屋根は大丈夫だな。
 ひびが入ったり欠けたりしている瓦を外すと、下地の漆喰を塗りなおして新しい瓦をはめ込む。
「私も手伝います」
 屋根の反対側の確認を終えた作兵衛が立ち上がった。かがみ込んで作業している留三郎の姿からふと視線を移す。三階建ての屋根の上なので、ここからは学園の敷地全体が見渡せた。
 -あ、一年は組が戻ってきた。
 今まさに、伝蔵と半助が先導する一年は組が一列になって裏門から入ってきたところだった。その後ろには、四年生たちの一団も見える。
 -学園長先生も、忙しそうだな。
 視線を学園長の庵に移す。そこでは、大川がヘムヘムに手伝わせて庭先に並べた盆栽を縁側へと移しているところだった。その向こうの用具倉庫では、用具管理主任の吉野が小松田に指示しながら用具倉庫の窓を板でふさいでいるところだった。
 -そうだよな。窓から雨が吹き込んで用具がびしょ濡れになったらたいへんだ…俺も、はやく先輩を手伝わなきゃ!
 そして留三郎の方へと歩きかけた瞬間だった。唐突に吹き上げてきた風に身体ごと飛ばされそうになる。
「うわっ!」
 思わず声を上げてかがみ込む。
「おい。大丈夫か」
 作兵衛の悲鳴に留三郎が駆け寄ろうとする。
「い、いえ、大丈夫です」
 身体を低い体勢にして、作兵衛は近づいてくる。先ほどから風の方向は一定しない。突然、あらぬ方向から突風が吹きつけてくるのだ。留三郎でさえ時折屋根に手をついて身体を支えなければならないほどなのに、小柄な作兵衛では本当に風に吹き飛ばされかねなかった。
「ここはいい。作兵衛は先に下に降りろ」
 だから留三郎は、これ以上この場所に作兵衛を置かないことにした。
「でも先輩はまだ修理を…」
「ここは俺がやる。作兵衛は煙硝蔵の屋根を見に行ってくれ。あそこで雨漏りでもしたら、大事な硝石が使い物にならなくなるからな」
「わ、わかりました…」
 不承不承縄梯子を伝って地面に足がついたとき、
「せんぱ~い!」
 駆け寄ってきたのはしんべヱと喜三太である。
「よお、お前たち。どうした?」
「はい! 校舎の屋根で食満せんぱいと富松せんぱいが修理をしていたのが見えたので…」
「お手伝いしようとおもって来ました!」
 息を切らせながら2人が説明する。
「そうか、すまねえな。これから煙硝蔵の屋根を点検に行くから、お前たちも来てくれないか」
「でも、でも食満せんぱいがまだ屋根にいますぅ」
 喜三太が口をとがらせる。
「そうだな、俺も心配なんだが、先輩が下に行くよう指示されたんだ。たしかに屋根の上は、俺でも飛ばされそうなほど風が強い。お前たちが行くのは危険だ」
「だいじょうぶ! しんべヱなら18貫(67.5㎏)あるからとばされませ~ん!」
 喜三太がにこやかに宣言すると、しんべヱが胸を張ってふんっ、と鼻息を吐く。
「それじゃ屋根に穴が開くだろ! とにかく俺たちは煙硝蔵に行くぞ、来るんだ!」
「は~い」
「ほぇ~い」
 3人が走り去った跡に、つむじ風が渦巻く。折れた枝葉が巻き上げられる。
 

 

 -やれやれ、早く煙硝蔵に行かないと…。
 道具箱を担いで大股で歩く留三郎の後ろを、平太がちょこちょこと小走りについていく。教室の掃除当番で遅くなった平太は、とりあえず留三郎が校舎の屋根の修理を終えて降りてくるのを待っていたのだ。
 -櫓の鐘も下ろしておかないと危ないな…あれは俺一人じゃ手に余るから小松田さんに手伝ってもらうとして…。
 野分が本格的に襲来する前にやるべきことはいくらもある。それなのに、用具委員はあまりに人数が少ない。おまけに自分と作兵衛を除けば一年生ばかりなのだ。とても危険な作業を任せるわけにはいかない。
 -だいたい用具委員は仕事の量に比べて人数が少なすぎるんだ。あのギンギン野郎の会計委員なんて、予算会議の時しか仕事がないんだから、こういう時くらい手伝うべきだぜ…。
 心の中でぼやいていたとき、
「小松田君!!!」
 吉野の叫び声が響く。
 -…俺たちの仕事が、また増えちまったようだな。
 心の中でため息をつく。何があったか知らないが、こういう時に何かやらかすのが小松田であり、そして吉野がけたたましく叫び声を上げるのだ。
「平太。煙硝蔵は後だ。とりあえずあっちに行くぞ」
「はい」
 吉野の声のした方へと2人は足を速めた。

 


「小松田君! 我々は用具倉庫の窓をふさいで、雨が吹き込まないようにしなければならないというのに、どうしてその正反対のことをやらかすのかね!」
「す、すみません…」
 駆けつけてみると、怒鳴り散らす吉野の前ですっかり小さくなっている小松田の姿があった。それより先に留三郎の視線を奪ったのは、格子窓が周りの板壁もろともはがれて大きな穴が空いている用具倉庫の壁だった。
「こ、これは…」
 あまりに激しい破壊ぶりに、思わず声が上ずる。
「ああ、食満君。ちょうどいいところに来た。小松田君が用具倉庫の窓をふさごうとして、このありさまです。すぐ直してください。もう雨が降り出しそうだ」
「しかし…一体どうしてこんなことに…」
「小松田君がっ」
 吐き捨てるように吉野が説明する。
「窓をふさぐために板を打ち付けようとしたとき、梯子が傾いて格子を引っ張ったものだから、壁ごとはがれて…」
「でも、急に強い風が吹いて来たんですぅ」
「君は黙ってなさいっ!!」
 口をすぼめて抗弁しかけた小松田に、吉野が両腕を振り回しながら怒鳴り散らす。
「とにかく食満君。このまま放っておくわけにもいかない。ここにある板で応急処置をしてください。私はもう少し板を調達してきます。これだけではとても足りないから…小松田君!」
 留三郎に指示しながら、そうっと立ち去ろうとした小松田を吉野は怒鳴りつける。
「は、はいっ!」
 小松田が慌てて気をつけの姿勢を取る。
「君は櫓の鐘を下ろしてきなさい。あのまま吊るしておいては危険だから…そのくらいはできるでしょうね」
「ははいっ! やりますっ!」
 慌てて返事した小松田が櫓に向かって走り出す。
「やれやれ、では食満君、頼みますよ」
「はい」
 はあっ、と大仰にため息をつきながら板を調達に足早に立ち去る吉野の後ろ姿に、留三郎は言い知れぬ哀愁を感じる。
「せんぱい」
 気が付くと平太が袖を引っ張っていた。
「かべのしゅうりを、はじめませんか」
「お、おう。そうだな」
 我に返った留三郎は、道具箱を下ろすと釘と金槌を手に取った。

 


「おい、留三郎」
 平太に手伝わせて大急ぎで用具倉庫の穴をふさいでいたところに声をかけたのは、文次郎である。
「なんだっ!」
 苛立ちがストレートに声に出てしまう。さすがにまずいと思ったがもう遅い。果たして文次郎が不審そうに眉を上げる。
「なにイラついてるんだよ」
「イラついてるんじゃねぇ! こっちは忙しいんだ! 何の用だよ!」
「そうだ。会計委員会室の窓の雨戸がこわれてな。きちんと閉まらんのだ。直してくれないか。野分で雨が吹き込んで大事な会計書類が濡れてはことだ」
 腕組みをしたままごく世間話でもするように淡々と言う文次郎に、留三郎の苛立ちがあっという間に沸点に至る。
「文次郎! てんめぇ、人がどういう状態か分かって言ってんのかっ!!!」
「どういう状態も、直すのが用具委員の仕事だろう」
「こっちは野分の前にあちこち直しておかなきゃならねぇんだよ! さっき校舎の屋根瓦を替えてきたところだし、これから煙硝蔵の屋根を見に行こうと思ったらこのざまだ。おまけに会計委員会室の窓の雨戸を直せだとォ!? そんぐらいてめえで直しやがれ!」
「なんだその言いぐさは! てめえそれでも用具委員か!」
「用具委員だからやることがいろいろあるんだよ!」
「んだと? てめぇ、やるか?」
 文次郎が腕をまくり上げる。
「おう、受けてやろうじゃねぇか」
 留三郎が指をばきばき鳴らしたとき、
「やめてくださいっ!」
 2人の間に割って入ったのは平太である。
「はやくここをなおさないと、倉庫がたいへんなことになるじゃないですか…潮江せんぱいも!」
 留三郎の腰にかじりつきながら、文次郎を振り返る。
「ぼくたち、本当にたいへんなんです! ギンギンに忍者してるせんぱいなら、雨戸くらいなおせますよね!?」
「お、おぅ…」
 平太の剣幕に圧された文次郎が後ずさりながら頭を掻く。
「わかったよ…わかったから、蝶番がどこにあるか教えろよな」
「あ、ああ…用具倉庫の右から2番目の上の棚にある…」
 身を乗り出そうとする自分を必死で押しとどめている小さな身体に、留三郎も気勢をそがれてぼそぼそと言う。
「なあ、平太。わかったから、もう放してくれないか?」
 留三郎の腰にかじりついて制服をしっかと掴んでいた平太がはっとして顔を上げる。慌てて手を放すと後ろに飛びのく。
「す、すいませんでした…ぼく、あのその、つい…」
「分かってる。俺もつい頭に血が上っちまってすまなかった。よし、とっととあるだけの板でここをふさいじまうぞ」
「はい!」
 平太の頭を軽くなでると、留三郎は残りの板で手早く穴をふさぐ。
「あとは吉野先生に任せよう。煙硝蔵に行くぞ!」
「はい!」
 梯子を担いだ留三郎は煙硝蔵に向かって駆けだす。その後ろを道具箱を抱えた平太があたふたとついて走る。
「ったく、しょうがねぇな」
 取り残された文次郎は肩をすくめて2人を見送ると、蝶番や必要な道具を探しに倉庫に足を踏み入れる。
 

 

 閉じた襖や窓の戸板のすき間から、甲高い音を立てて風が吹き込む。ばらばらと大粒の雨が戸や壁を叩く。
「いよいよきたね…」
 庄左ヱ門が呟くと、燭台のまわりの輪がいっそう小さくなった。
「けっきょく、みんな集まっちゃうんだね」
 伊助が苦笑しながら燭台の灯を増やす。灯が一つきりでは吹き込んできた風で消えてしまう恐れがあったし、は組の仲間たちも心細く思うだろうという気遣いだった。
「あれ? 喜三太としんべヱは?」
 姿の見えない2人に、伊助が誰にともなく訊く。
「用具委員長の部屋に行ってくるって」
 乱太郎が応える。
「どうして?」
「この野分でどこかがこわれたら、すぐに出動するんだって」
「ふぅん。なんか、いつもの喜三太としんべヱとちがうね…」
 感心したように庄左ヱ門が呟く。

 


「食満せんぱい」
「失礼します」
「おう。入れ」
 留三郎の部屋を訪れた喜三太としんべヱは、意外な先客の姿に目を丸くした。
「平太…どうしたの?」
「富松先輩も」
 部屋には作兵衛と平太がいた。もっとも平太は留三郎の身体にしっかとしがみついていて、後ろ姿しか見えなかったが。
「おう、お前たちも来たのか」
「いいんだぞ。雨風が強い間は外には出られないから、部屋で休んでいても」
 留三郎と作兵衛が言うが、喜三太たちは首を振った。
「いいです! ぼくたちも、用具委員としていつでも出動できるようにしたいんです!」
「ところで、伊作せんぱいはどこにいるんですか?」
「ああ。伊作は医務室に詰めている。こういう異常な天気のときは、思わぬ病人やけが人が出るもんだって言ってたな」
「そうなんですかぁ」
 喜三太が笑顔で納得したとき、不意にごおっと地響きのように風が鳴って、ばさっと何かが落ちる音がした。 
「ひえぇっ!」
 思わず喜三太たちも留三郎の身体にしがみつく。
「おいおい、そんなに驚くことはないだろう…木の枝が折れただけだ」
 自分の身体にしがみつく3人の小さな背を順々になでながら、留三郎はなだめるように言う。そのとき、

「留三郎」
 声とともに襖が開いた。ぐおっ、と強い風が吹き込む。「ひえっ!」と声を上げて一年生たちが一段と身体を押し付けてくる。
「ほう」
 入ってきたのは仙蔵だった。後ろ手に襖を閉めると、風に乱れた髪をばさりと後ろに払う。
「…用具委員はこんなところで巣篭りか? 仲のいいことだな」
「るせぇ。何の用だよ」
 にこりともせず言い放つ仙蔵を睨み上げながら留三郎がぶっきらぼうに言う。
「ああそうだった」
 仙蔵はぽんと手を打った。「伊作はどこだ?」
「医務室にいる。誰かケガでもしたのか?」
「ああ。文次郎がな」
「文次郎がどうした」
「指をケガしてな…よく分からんが、雨戸の蝶番を直した直後に、急に強い風が吹いて来て雨戸に挟まれたらしい。自分で来ればいいものを、わざわざ私に伊作を呼べというのだ」
「けっ」
 留三郎はせせら笑う。
「ギンギンに忍者してる男のわりにはお粗末なもんだな」
「まったくだ」
 肩をすくめた仙蔵が背を向ける。
「では、医務室に行って伊作を呼んでくるとしよう…文次郎の分際でこの私を使い立てするとはな」
 誰にともなく言い捨てると、がらりと襖を開ける。
「うわっ」
「ひょえっ」
 再びごおっと音を立てて吹き込む風に、一年生たちが再び留三郎にしがみつく。  
「おいおい、野分の間じゅう、俺につかまってる気か?」
 軽口をたたきながら、ふと考える。
 -あの仙蔵がわざわざ伊作を探しに歩き回るということは、文次郎のケガは思ったより重いのか?

 


「畜生、けっこうやってくれたなあ…」
 台風一過の青空の下、グラウンドから学園を見渡した留三郎は苦笑いをしながら腰に手を当てた。
「せんぱ~い、どうしましょう」
 傍らに集まってきた後輩たちに学園の図面を示しながらさっそく指示を下す。
「よし、作兵衛。お前は平太と一緒に学園の塀を見て来い。喜三太、しんべヱ! お前たちは俺と建物の被害がないか確認に行くぞ。修補が必要な場所はこの図面に書くんだ。わかったな」
「は~い」
「ふぇ~い」
 気のない返事をする後輩たちに雷を落とそうとしたとき、
「野分のまたの日は…」
 涼しげに呟きながら仙蔵が現れる。水たまりに陽が映えているのをまぶしそうに眺めやる。
「水鏡の映ゆるも興あることだ…」
 たちまち留三郎の額に青筋が立つ。
「おい、仙蔵! なに雅なこと言ってやがる! とっとと手伝いやがれってんだ!」
 だが、仙蔵は泰然として返す。
「なにをそんなにカリカリしてるんだ?」
「お前な!」
 握り拳をわなわな震えさせながら留三郎は身を乗り出す。
「分かってんのか! そこら中にある水たまりはな、お前んとこの喜八郎が掘りまくった落とし穴が、この雨で全部抜けてできちまったもんなんだよ! とっとと埋め戻さねえと危ねえだろうが!」
「ほう?」
 言われて留三郎がぶんぶん振り回す片腕の方を見渡すと、なるほどあちこちにあるぬかるみや水たまりは、喜八郎の手掛けたものらしくきれいな円形である。いずれもただの水たまりだと思って足を踏み入れれば、数メートルの深さの泥沼にはまることになる。それは場合によっては命に係わる事態である。
「なるほどな。それでは作法委員会も埋戻しに協力するとしよう。喜八郎!」
 新たな落とし穴を掘ろうと鍬を担いで通りかかった喜八郎を呼び止める。
「なんですかぁ?」
「お前が掘った落とし穴がこの野分の雨で残らずぬかるみになっている。誰かがおちておぼれ死ぬ前に埋め戻すぞ」
「えぇ~? 僕のだいじなトシ子ちゃんたちを埋めてしまうんですか~?」
「大事も何も、この雨で蓋が抜けてただのぬかるみになっているだろう。その時点でもう落とし穴ではないのだ。埋め戻しても構わないだろう」
「はあ。まあ、先輩がそうおっしゃるならそうしますけど」
 嫌そうに言う喜八郎に構わず、仙蔵が声を上げる。
「よし、それでは藤内、伝七、兵太夫。お前たちも埋戻しを手伝うんだ。いいな」
「ふぇ~い」
「は~い」
 しぶしぶ返事をした作法委員の後輩たちが鍬やスコップを手に集まってくる。作法委員たちが埋戻しを始めた様子を見届けた留三郎は、後輩たちの報告を聞きながら修補が必要な場所を図面に落としていく。

 

 

「くっそ…いくらやっても終わらねえぜ」
 毒づきながら留三郎が外れた雨戸を直す。傍らを欠けた壁の修補のために漆喰を盛った板を持ってしんべヱたちがあたふたと走る。図面に落とされた要修補箇所は思った以上に多かった。台風の爪痕は学園の至る所に刻まれていた。
「次の雨が来る前に直さねえといけねえのに…」
 だが、人手は圧倒的に足りないのだ。
 -そうだ。用具倉庫に小松田さんが空けた大穴、まだチェックしてなかったっけ…。
 図面上では要修補となっていたが、現状はまだ確認していなかった。ふさいだ板の隙間から雨が吹き込んでいなければいいが…と考えたとき、
「俺も手伝う」
 あまりに聞き慣れた声の、もっともその人物らしからぬ台詞だった。
「文次郎?」
 聞き違いでもしたかと顔を上げる留三郎に構わず、会計委員の後輩たちを引き連れた文次郎は声を張り上げる。
「アンド会計委員会だ」
「会計委員がどうしたんですか?」
 作兵衛たちも珍しげに集まってくる。
「だが、お前、手が…」
 おずおずと留三郎が指差した文次郎の右手は、中指が包帯でぐるぐる巻きにされている。
「ちっ、こんくらい」
 軽く舌打ちして文次郎も自分の右手に眼を落とす。
「…ちょっと突き指みたいになっただけなのに、伊作のヤツ、大げさにこんなに包帯巻きやがって」
「でも、骨に異常があるかもって伊作先輩おっしゃってたんですよね」
 三木ヱ門が言う。
「うるせぇ。お前は黙ってろ」

 


「ほう…」
 埋戻しの手を止めた仙蔵が眉を上げる。
「あの文次郎が協力を申し出るとはな…これは、もうひとつ強力な野分がきても不思議はないな」
「なにぼーっと突っ立ってるんだ。早く俺たちに指示をしろ」
 片手を腰に当てた文次郎がむすりと言う。
「あ、ああ…わかったよ」
 ようやく文次郎の意思をさとった留三郎が、修理を任せる場所を示そうと図面を広げたときだった。

ぽたりと水滴が図面に落ちて文字がにじんだ。
「!」
 文次郎と留三郎がはっとして天を見上げる。晴れ上がっていたはずの空に、いつの間にか黒雲が垂れ込めていた。続いて、次々と雨粒が落ちてきたかと思うと、あっという間に激しい雨になった。
「…やはりな」
 仙蔵がつぶやく。
「やっぱりですね」
 雨をよけて渡り廊下に向けて走りながら、作兵衛が言う。
「どういうことだよ!」
 留三郎が声を荒げる。
「潮江先輩と食満先輩が協力すると…」
「嵐が来るってことで…」
 三之助と作兵衛がちらと顔を見合わせながら言う。
「「俺たちのせいだっていうのかよ!」」
 文次郎と留三郎が同時に叫ぶ。

 

<FIN>

 

 

 

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