孤独を知る眼の男よ

忍たまの登場人物のなかには孤独なキャラは見当たらないのですが、かつてはそうだったのでは、と妄想を膨らませてみました。

今は虎若や三木ヱ門にすっかり懐かれている照星ですが、かつては人を拒む雰囲気をまとった人物だったとしたら…。

 

 

 虫の声繁き夜だった。照星は端近に座っていた。その眼はどこに焦点を結ぶでもなく、ただ庭先の暗がりに顔を向けているだけである。
「照星さん」
 軽やかに近づく足音とともにかけられた声に、おもむろに振り向く。
「若太夫」
「こんなところでどうされたんですか」
 とて、と傍らに腰を下ろした虎若が見上げる。
「虫の声に耳を傾けていた…若太夫はこんな時間にどうした」
「ぼくは、おシッコしてもどろうとしたら、照星さんがおられたので」
「もう遅い時間だ。早く布団に戻ったほうがいい」
「はい…でも、その」
 もじもじした虎若が上目遣いに見上げる。「ちょっとだけ、照星さんとお話がしたいんです」
「話?」
 シュールな形の眉を上げて照星が軽く首をかしげる。
「はい、その…照星さんはどんなふうに火縄のれんしゅうをされたのかなとか、どんな先生におしえていただいたのかなとか」
 前から聞きたいと思っていたことだった。だが、虎若にとって照星と会うときは火縄を手にしているときであって、火縄を手にしているときはそんな話をするより撃ち方の練習が先決だった。このような機会は初めてかもしれなかった。
 ふむ、と記憶を辿るように少し首を傾げた照星は、おもむろに口を開く。
「私の師は、とても優れた狙撃手だった。師のもとで、あらゆる技法を学んだ。師に出会わなかったら、今の私はなかった」
「いまでも、その先生に会われることはあるんですか?」
 身を乗り出して虎若は訊く。照星がそこまでいうほどの人物であれば、一度会って火縄の技を伝授してもらいたいと思った。
 だが、照星は小さく首を横に振って、そのまま黙然と庭先の暗がりに眼を戻すばかりだった。

 

 

 

「精が出ますな」
 翌朝、朝食を終えた照星が自室で手紙を書いているところに、昌義がやってきた。
「昌義殿」
 筆を止めた照星が顔を上げる。
「少し難しい状況になってきましてな」
 失礼しますぞ、と腰を下ろした昌義が口を開く。
「というと?」
「クサウラベニタケ城が火縄の大量調達に動いているという情報が入った」
「ほう」
 照星が眉を上げる。
「おおかたどこかの城に戦を仕掛けるつもりなのだろうが、量が気になる」
 あごに手を当てて昌義が続ける。「数百挺というオーダーという話も入っているが、いまひとつ確証が持てない。もしそんなオーダーであれば、我ら佐武鉄砲隊に匹敵するほどの勢力となりうる」
「わかった」
 筆を置いた照星がまっすぐ昌義を見つめる。「私が堺と国友に行ってくる」
「行ってくださるか…それはありがたい」
 昌義が頭を垂れる。

 

 


「照星さん!」
「田村三木ヱ門」
 堺に向かう街道筋で、向こうから駆けてきた少年に足を止める照星だった。
「あの…照星さんは、どこかに出かけられるのですか?」
 見るからに旅装束の照星を、失望を隠しきれない眼で三木ヱ門が見上げる。
 -私に火縄を習うつもりだったのだな…。
「ああ。堺へ向かうところだ」
「堺…ですか。そうですか」
 うつむいた三木ヱ門が力のない声で言う。が、すぐに作った笑顔で見上げる。「では、お気をつけて」
 そして佐武村の方向へとふたたび歩きはじめる。
「佐武村に行くのか」
 思わず呼び止めていた。
「はい。虎若と約束してますので。照星さんがいらっしゃらないのは残念ですが、二人で稽古します」
「わかった」
「では失礼します」
 ぺこりと頭を下げると、今度こそ佐武村へと足を進める三木ヱ門だった。
 しばし佇んで、その背を見送る。
 
 

 

「三木ヱ門、君はなぜ、火縄を習いたがる」
 いつかそんなことを聞いたことがあった。
「火縄を…ですか」
 明らかに想定外の問いを受けたという態で三木ヱ門が見上げる。だが、すぐに「そうですね…」と物憂げな眼で遠くを見やりながら前髪を軽く払う。
「前に、会計委員会委員長の潮江先輩にも、同じことを聞かれたことがありました」
 何かを思い出すようにおもむろに口を開く。「その時は、強いものが好きだから、と答えました」
「強いもの?」
「小さいころから、ずっと強いものに憧れていました。大きくて、強いものに…それが危ないものだと分かっていても、どうしても憧れずにはいられませんでした。たぶん私が…小さくて弱いからなんだと思います。先輩に聞かれて考えているうちに、そう思うようになりました」
「…そうか」
 とりとめもないようで深遠な答えに、いささかたじろぎながら応える。
 人間は、弱い。その弱さを補うために、さまざまな武具を発達させてきた。殺傷力を高めるために刀や槍を用い、身を守るために鎧や兜を身にまとう。そしてより遠くの敵を倒すために弓矢や火縄を発達させてきた。
「潮江先輩は本当にすごいんです」
 三木ヱ門は話を続けていた。その頬がいささか紅くなっているのは憧れを語っているからだろうか。
「すごいとは?」
「先輩は、私より二つ上なだけなのに、身体は大きいし、力も強いし、なんでもご存じだし、威厳もあるし…私は二年たっても到底同じようにはなれないって、いつも考えてしまうほどなんです」
 その顔がいつしか俯いていた。
「先輩に認めていただくとしたら、私には得意な火器しかない。弱い私がたったひとつ強くなれるとしたら、火器の扱いをきわめるしかないんです」

 

 

 

「おお、これは照星殿、久しぶりだな」
「こちらこそ」
 国友村の旧知の鉄砲鍛冶のもとを照星は訪ねていた。
「まずは上がられよ」
「どうも」
 屋敷の中は鉄板に真金(まかね)を巻き入れて銃身を作ったり、いろいろな部品を鋳出したりする音があちこちで響いてやかましい。大勢の職人が立ち働いていて、いかにも活気がある。
「忙しそうだな」
「おかげさまで。いろいろな城から発注があって、捌ききれぬほどだ」
「結構なことだな」
 そこで会話は途切れ、屋敷の長い廊下の先にある座敷に通される。先導していた弟子のひとりが障子を閉めて立ち去ると、部屋には照星と鉄砲鍛冶だけが残された。
「して、今日はなんのご用で参られた」
 鉄を扱い慣れた掌は分厚い。その手で弟子が置いていった茶碗を持ち上げながら、向かいに座った鉄砲鍛冶が訊く。
「ここに来る前に、堺に行ってきた」
 茶碗を手に取ってぽつりとつぶやくと、照星はずず、と茶をすすった。
「とすると、火縄の大量発注ということかな? 佐武鉄砲隊で」
 探るような視線が照星を見つめる。「残念ながら、納期はお約束できかねますぞ。先ほども申したように、捌ききれないほどの受注残を抱えておる」
「そのことで来たのではない」
「ほう?」
「ある城が、火縄の大量発注をかけていると聞いた」
「ある城、ね」
 思い当たる節があるように鉄砲鍛冶は小さく頷く。
「国友でも受注しているようだな」
「ご想像にお任せするが…いかんせん国友の鉄砲鍛冶はどこも受注残を抱えている。長老が配分に苦労したと聞いておる」
「それでは、いつ生産にかかれるかも分からぬということか」
「どこの発注者も自分の注文を最優先でかかれという。結局、受注した順にこなしていくしかない。後からそのような発注を受けても、どこも当分着手はできまいよ」
「堺でも同じようだな」
「なるほど…堺も苦労されたわけか」
 クサウラベニタケ城が堺にも発注をかけていることを匂わせると、おもむろに照星は立ち上がった。
「どうされたかな」
「私はこれで失礼する」
「来たばかりではないか。もう少しゆるりとしていけばよいものを」
 当惑したように鉄砲鍛冶が声をかけながら立ち上がる。
「忙しいのであろう。あまり邪魔をしたくない」
「そう気遣われずとも…」
 言いながら、すでに廊下に出ている照星のあとに続く。
「世話になった。また来る」
「お待ちしておる。道中、気を付けられよ」
 黒馬にまたがって去ってゆく後姿を見送りながら、より困惑を深めたように鉄砲鍛冶は小さく首を振る。
 -あの照星殿が、佐武村のために情報収集をして回るとは…ずいぶんと変わられたものよ…。
 

 

 

「照星殿、ここにおられたか」
「これは昌義殿」
 端近に胡坐をかいていた照星が振り返る。
「おお、今宵は月がひときわ見事ですなあ」
 言いながら昌義も腰を下ろす。「お邪魔してもよろしいですかな」
「…」
 黙って同意する照星の傍らに、瓢箪と杯を手にした昌義が胡坐をかく。
「照星殿にはお礼の言葉もない」
 しみじみと言いながら、昌義は二つの杯を満たす。「堺も国友も、当分クサウラベニタケの発注には応えられない。それが分かれば我々の対応も決まったようなものだ」
 照星の情報を受けて、すでに次々と手を打っているようである。
「それならよい」
「まったくありがたい限りだ…田村三木ヱ門君には悪いことをしたが」
「田村三木ヱ門?」
 口に出してから、堺に向かう道中で行き会ったことを思い出す。
「照星殿に稽古をつけてもらうつもりだったのでしょう。ひどくがっかりしておった。その代わり、うちの若いのに稽古をつけさせたが」
「そういえば、若太夫もいないようだが」
「学園の休みが終わりましてな、行ってしまった」
 どうやらもっとも触れられたくない話題だったらしい。てきめんに昌義の声が沈む。思えば、ここにやってきたのも、息子が帰ってしまったさみしさを紛らわせるパートナーを探していたのだろう。
「それは寂しかろう」
 ようやくひねり出せた台詞だった。照星にとって、このような場面で適切な言葉をかけるのは、もっとも苦手とすることの一つだったから。
「いかにも、子どもたちがいなくなるとはさびしいものだ」
 月を見上げながら昌義は口を開く。「毎回懲りもせずひどい成績表を持ち帰ってくるがな」
「子は健やかに育つのが一番であろう」
「まったくだ」
 ふたつの杯を満たした昌義がぐいと干す。「まだまだだと思っていたが、会うたびに腕を上げている…虎若も三木ヱ門も」
「そうだな」
「二人とも、照星殿のおかげだとたいそう喜んでおった…はは、私もそれなりに指導したつもりだが、そういうのは顧みられぬものらしい」
 乾いた笑い声をあげる昌義だった。
「私は何もしていない…二人が喜んだならそれは祝着」
 杯を傾けた照星は、徳利を手にして二つの杯を満たす。
「いや、やはり照星殿のおかげであろうな…ここにいた数日だけでも明らかに腕を上げていた」
 指導者としても一流であられる、と続けながら昌義はぐいと杯をあける。

 

 

 

「…ひとつ、お伝えしなければならないことがある」
 照星の声がこころもち固くなる。
「どうされましたかな」
「チャミダレアミタケの殿より文があった…ぜひチャミダレアミタケ鉄砲隊の育成に力を貸してほしいと」
「なるほど」
 照星の杯を満たしながら、昌義は身を乗り出してその顔をのぞき込む。「して、どうされますかな?」
「是非もないこと」
 照星の視線は庭先に向けられたままである。「利益相反行為は致しかねると返事を出した」
「なるほど、利益相反行為か」
 昌義がニヤリとする。いまは学園を通じて味方の城ではあるが、いつ敵となるともしれない相手でもある。「して、どう見られる?」
「武術好きの茶乱網武殿であれば、いつ配下の鉄砲隊を強化しようと思ってもおかしくない。だが、いま動き出すということは、中長期的なリスクを感じられたということ」
「そう見るのが順当でしょうなあ」
 上体を戻してふたたび月を見上げた昌義が駘蕩と言う。「だが、前の照星殿だったら、違う結論を出していた。違いますかな?」
「仮定の問いには答えかねる」
「はは…これもまた、前の照星殿ではありえぬ返しですな」
「…」
 今宵の昌義殿は難しいことよ、とは言いかねて、照星は手にした杯を傾ける。そして、前の自分だったらどう対応していただろうかと考える。
 -条件で選んでいただろう。
 佐武鉄砲隊とチャミダレアミタケ城と、より好条件を示した方につく。それ以外に考えられなかった。自分の実力は高く売りつける。それが戦国の世の生き方だったはずだから。
 -だが、今の私は…。
 迷うことなく佐武鉄砲隊を選んだ。そして、その理由も明らかだった。
「子どもたちは、照星殿を慕っている。まったく、父親なんて寂しいものだ」
 杯をぐっとあけた昌義が声を上げる。「だが、子どもたちが憧れる気持ちも分からんでもない」
「…」
 虎若や三木ヱ門が憧れや期待に眼を輝かせて見上げてくることこそが、照星にとって謎であった。
 -私に近づく者の眼は…。
 自分に仕事を依頼してくる者たちの確実に敵を仕留めることへの期待と侮蔑、いつかその筒先が自分へ向けられかねない猜疑と恐怖、それが照星のよく見知った眼だった。トップクラスの狙撃手であったから、依頼者はたいてい城や忍者隊など大口顧客だったし、彼らは成功報酬は惜しまなかった。そしていつしか自分はカネ次第で誰でも屠る殺人機械として恐れられ、蔑まれていた。
 それでいいと思っていた。狙撃手という稼業を選んだ時から分かっていたことだった。頼れるのは自分の腕と火縄だけである。
「初めて佐武村に来られたころの照星殿は、とても孤独な眼をされていた」
 その頃の記憶を探るように、昌義は視線を漂わせながらゆらりと杯を傾ける。
 -さながら禽獣のような眼だった…。
 多くの獲物を屠った狙撃手の眼だった。
「だが、今は違う」
「…」
 何かを訊ねるように照星が顔を向ける。だが、昌義の横顔は、小さく微笑んだまま月明かりの庭先に向けられている。
 ゆるやかな風が雲を掃いて、月の光がいっそうさやけさを増す。

 

 

<FIN>

 

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