見知らぬ国と人々について

見知らぬ遠い国への憧憬が、庄左ヱ門にはとりわけ強そうで、そんな気持ちを書いてみました。たしか庄左ヱ門は、唐あたりへの留学志望もありましたよね。

 

タイトルは、シューマンの「子供の情景」から、第1曲 Von fremden Lӓndern und Menschen

 

 

 

 

「このように、わが国では硝石が取れないため、火薬の原料となる硝石は輸入に頼っている…」
 教室に、半助の声が響く。
「以前教えたように、はるか昔、元が攻めてきた時に、火薬を使った武器を用いた記録はある。だが、本格的に火器が普及したのは、南蛮から火縄銃がもたらされてからである…こら、しんべヱ寝るな! 喜三太、ナメ壷は教室に持ち込むなと言ったろう!」
「はーい」
 ナメクジを遊ばせていた喜三太が、あわててナメクジを壷に戻す。
「ふぇ? ごはん?」
「まだだよ。授業中なんだから寝ちゃだめだって」
 寝ぼけ声のしんべヱに、乱太郎がいそいで耳打ちする。
「先生!」
 手を上げたのは庄左ヱ門である。
「なんだ、庄左ヱ門」
「硝石は、どこから輸入しているんですか」
「南蛮だ。明の国のはるか南にある土地でしか、硝石は取ることができない」
「じゃ、しんべヱのパパさんたちも、硝石の輸入に関係しているんだね」
「うん! パパの船からもたくさんの硝石が運ばれているよ」
「そうだな。しんべヱのお父上は堺の貿易商だから、硝石の輸入のことにも関係しているんだな…ところで、忍者は、火薬の扱いに詳しくなければならない。それはだな…」
「…」
 なにやら考え深そうに、庄左ヱ門は、壁にかかった地図を眺めている。

 


「ねえ、庄左ヱ門。ちょっとどいてもらっていい?」
 授業が終わってもなお、庄左ヱ門は、席についたまま地図を眺めている。
「えっ…わ、わかった」
 びくっとして振り返ると、掃除道具を手にした乱太郎が、心配そうに顔を覗き込んでいた。
「どうかしたの?」
「い、いやあ、南蛮って、どんなとこかなって思って」
 頭をかきながら、庄左ヱ門は苦笑いする。
「そういや、南蛮って、どうやって行くんだろうな…おい、しんべヱ」
 きり丸も関心を持ったらしく、近づいてくる。
「なあに?」
「南蛮って、どうやって行くんだ?」
「南蛮?」
 しんべヱが怪訝そうに首を傾げる。
「でっかい船で行くんだろ?」
「そう! 南蛮はとっても遠いから、大きい船で行くんだよ。パパの船も博多や長崎を通って明に行ったり、琉球を通って南蛮に行ったりしてるんだって」
 父親から聞いたことのあるうろ覚えの地名を辿りながら、しんべヱが説明する。
「それって、どこまで日本なんだ?」
 きり丸が首をひねる。
「博多はここ、長崎はここ。日本はここまで。琉球はここ。琉球は別の国だよ」
 地図を指差しながら、庄左ヱ門が手早く説明する。
「明はどこなんだ?」
「この地図のずっと左のほう」
「南蛮は?」
「もっとずっと左下のほう」
「へえ…遠いんだね」
 乱太郎たちは、いつの間にか地図のまわりに固まっていた。
「じゃ、カステーラさんも、そんな遠くから来てるんだ」
「ううん。カステーラさんの生まれたポルトガルは、もっともっと遠いんだって。天竺のもっともっと遠くだってパパが言ってた」
「ふうん」
「へええ」
 もはや乱太郎ときり丸にはついていけないスケールの話らしい。2人で掃除道具を手にしたままぽかんとしている。
「地図の屏風があれば、説明できると思うんだけどな」
 実家にある巨大な世界地図屏風を指差しながら、父親やカステーラたちからいろいろな土地の話を聞いた記憶は、しんべヱにも強く焼きついていた。
「ほう、しんべヱの家には世界地図屏風があるのか」
 不意に、背後から声がした。
「土井先生!」
 乱太郎たちの背後に、掃除の様子を見に来た半助が立っていた。
「どうしたんだ。地図のまわりに集まったりなんかして」
「庄左ヱ門が、南蛮ってどんなとこかなって言ってたんで、しんべヱの話を聞いていたんです」
 乱太郎が説明する。
「ほう、庄左ヱ門は南蛮に興味があるのか」
「興味があるというか…どういうところなのかな、と思ったので」
「そうだな。私も、南蛮がどういうところかは分からないな」
 半助の言葉に、きり丸が意外そうな顔をする。
「へえ。先生でも知らないことってあるんだ」
「それはそうだ。世の中には、私も知らないことがたくさんある。まして、遠い外国のことなど、想像もつかないことばかりだ」
「先生は、南蛮に行きたいと思ったことはありますか?」
 庄左ヱ門の言葉に、半助は軽く眉を上げた。乱太郎たちの視線が集まる。
「そうだな。行けるものなら、行ってみたい気もする。だが、いかにも遠いな」
「そうですか。ぼくも、南蛮に行ってみたいです」
「でもさ、南蛮なんてものっすごく遠いんだぜ。どうやって行くんだよ」
 きり丸が突っ込む。
「でも、現に硝石は南蛮からたくさん運ばれてきているんだよ。硝石を運ぶことができて、人間を運べない理屈はないと思うんだ」
「そりゃそうだけど…」
 何のためらいもない庄左ヱ門の返しに、きり丸も口ごもる。
「庄左ヱ門は、南蛮に行きたいの?」
 しんべヱが訊く。
「うん。行きたい」
「どうして?」
 風任せで、海賊に遭遇する可能性もある航海の危険や心細さを、父親やカステーラから聞いているしんべヱには、そこまでして南蛮に行きたいという庄左ヱ門の気持ちは、理解を超えている。
「だって、火縄を持ち込んだのも南蛮人だし、硝石だって南蛮から持ち込まれている。他にも、いろいろな薬や食べ物や知識が南蛮から持ち込まれているって聞いたことがある。そういう知識がある南蛮って、どんな場所なんだろう。もっといろいろな知識を学ぶことができるかもしれないって思わない?」
「そっか、庄左ヱ門は、南蛮に勉強に行きたいんだ」
 庄左ヱ門は勉強好きだからね、と納得顔の乱太郎だったが、庄左ヱ門は小さく首を横に振る。
「いや、それもあるけど…」
「どういうこと?」
「ぼくは、硝石を取っている人たちや、火縄を発明した人たちが、どんな人たちで、どんな生活をしていて、なにを考えているのかを知りたいんだ」 
「そうか」
 庄左ヱ門の頭に手を置きながら、半助は頷いた。
 -庄左ヱ門らしいな。
 ただ知識を求めるだけではない、学んだ知識の後ろにある現実を知ろうと望む庄左ヱ門は、真に知を追い求める姿勢を身につけているのかもしれない。おそらく、無自覚のうちに。
「よくわかんねえけど、なんか庄左ヱ門らしいな」
 きり丸が呟く。
「そうだね、行けるといいね」
 乱太郎が庄左ヱ門の肩に手を置く。
「南蛮にしても、唐、天竺にしても、行くにはその土地の言葉を学ばなければならない。もっともっと勉強が必要になるぞ。それでも行きたいか」
 半助が、確かめるように訊く。庄左ヱ門が力強く頷く。
「はい! そのためにも、もっと勉強します!」
 ためらいなく返事する庄左ヱ門に、乱太郎たちがため息をつく。
 -さすがは庄左ヱ門…。

 

 

<FIN>