飛光よ

15歳で酒を飲むのかとか、15歳に李賀は難しすぎるのではないかとか、ツッコミどころ満載なのは承知の上で、あえて書いてます。

 

最後に登場する李賀の詩は、飛ぶように過ぎ行く飛光(日月の光、過ぎ行く時間)にしばしとどまれと呼びかけ、壮大に人寿無窮の願いを詠み上げるもので、私の大好きな詩のひとつです。大意は次のとおり。

 

飛光よ、過ぎ行く時よ、お前に一杯の酒を勧めよう。

私は、空の高さも、地の厚さも知らないが、ただ見えていたのは、月は寒く、日は暖かで、その繰り返しが人の命を屠ること。

この世には不条理がまかり通っている。神君、太乙などという寿命を延ばす神はどこにいるのだ。

天の東の枯れることのない若木の下に、太陽の灯をくわえた竜がいるということだが、私はそいつが二度と日月を巡れないようにして、永遠に時を止めてやろう。そうすれば、年寄りは死なず、若者は老いを嘆かず、黄金やら白玉を薬にしてまで不老長寿を願わなくても済むだろう。

だけど、そんなことはできもしないこと。どんな帝王だって、時の流れに抗うことなどできないのだから。

 

 

「やっと終わったな」
「ああ、さすがに疲れたな」
 遠くでヒグラシが鳴いている。夏の終わりの太陽が傾きかけ、長い影を路傍に刻んでいた。六年生たちは、校外演習から一週間ぶりに帰ってきたところだった。この一週間、山中や合戦場を模した荒地で、偵察や合戦の訓練を重ねてきたところだった。どの顔も、陽に灼けて精悍さを増している。
「よおし、今日は演習終了の打ち上げやるぞォ! 夕食後に丘の上の一本松の下に集合だ!」
 小平太が元気にいう。
「小平太はホントに疲れを知らないな」
「何を言う! 演習とは学園に戻るまでにあらず、打ち上げまでが演習なんだ。だから私たちは、まだイケイケドンドンで演習中なんだぞ!」
「分かった分かった」
「それじゃあな。みんな適当に酒と肴持って来いよ!」

 


 六年生たちが三々五々、一本杉の下に集まってきた。陽はいよいよ傾き、山の端からカラスの声が聞こえる。
「留三郎、伊作はどうした?」
 小平太が訊ねる。
「ああ、四年の田村が腹の調子が悪いといって医務室に来ているんで、診察してから来ると言ってた」
「新野先生はいないのか」
「出張中だそうだ」
「三木ヱ門も、どうかしたのかな」
「ったく、気合が足りないんだ、アイツは」
 ぶつくさ言う文次郎を、仙蔵がからかう。
「あるいは、お前が演習から戻ってきて、また毎日顔を見るのかと思ったらストレスで腹痛になったのかもな」
「るせえ」
 低く言い捨ててどっかと座る文次郎に、ははは…と笑い声があがる。

 


「それにしても、伊作は医者にでもなったほうがいいんじゃないのか」
 文次郎が、腰に提げてきた酒の入った瓢箪を車座の中心に置く。
「…新野先生の代役も立派に勤まってるしな」
「ああ、アイツの出す薬はよく効くよな」
 肴に持ってきた干魚をもぐもぐしながら、小平太が相槌を打つ。
「だが、伊作は、忍になるつもりなんだろう?」
 仙蔵が、土器(かわらけ)に酒を注ぎながら言う。
「本人は、そのつもりのようだ」
 留三郎が答える。
「アイツに向くのかな」
「けが人を見ると、見境なく手当てを始めるからな」
「…任務を最優先できないようでは、忍に向いてるとはいえないだろうな」
 文次郎の口調が、やや重くなる。伊作が忍に向いていない、というのは、六年生たちに共通した認識だった。だが、一年生のときから共に学び、厳しい訓練に耐え、脱落することなく残ってきた仲間として、そのことを認めてしまうのは忍びがたかった。土器を手にしたまま、みな目線を伏せた。そのとき、
「おーい」
 丘を駆け上る足音が聞こえてきた。伊作である。
「遅いぞ、伊作」
「すまない…三木ヱ門が腹痛を起こしててね。新野先生は出張中でいないし」
「ああ、聞いてるよ。三木ヱ門は大丈夫なのか」
「ああ。ただの食べすぎだ」
「なんだ、文次郎が帰ってくるストレスではないのか」
 つまらん、というように土器を干しながら仙蔵がつぶやく。
「え? なんの話…?」
 不審そうに仲間たちの顔を見まわしながら、伊作が車座に加わる。

 


「まあ、三木ヱ門の診察はすぐ終わったんだけど、ほかに下級生たちが何人か来ていてね」
「なんだ。そんなに病人がいたのか?」
「いや、そうではないが…僕が演習から戻るのを待っていたらしい。いろいろ聞いてもらいたいことがあったようだ」
「それを聞いてたのか」
「まあね。わざわざ待っていたのだから、聞いてやらないと可哀そうだろ」
「誰が来てたんだ?」
「どんな話をしているんだ?」
 興味を惹かれたように小平太と留三郎が身を乗り出した。
「それは言えない。誰にも言わないという約束で聞いているからね」
「そういうのを、下級生と馴れ合ってるというのではないか、伊作」
 信じられない、といったふうで文次郎が言う。
「そうかも知れない。だけど、僕のところに来る下級生たちは、みなひと通り話すと、ほっとしたような顔になって帰っていくんだ。同級生や先生には言えないけど、誰かに聞いてもらいたい話って、みんなあるんだな、と思うんだ」
「それではカウンセラーだろ」
「おまえ自身はどうなんだ、伊作」
 文次郎と仙蔵が同時に訊く。
「僕自身だって、そりゃあるさ。だから、みんなに話して適当に発散している。でも、それが苦手な子たちって多いんだ。忍は誰にも弱みをさらしてはいけないっていう思いが強いんだろう。うまく発散しないと、忍の三禁に手を出すことになりやすいんだけどね…そうならないためのカウンセラーだというなら、それも保健委員の仕事であってもいいんじゃないかな」
「へーえ。世の中にはややこしい奴って、多いんだな」
 あまり興味がなさそうに、小平太は土器に酒を注いでいる。
(小平太のような者の方が少ないと思うぞ)
 長次がぼそっとつぶやく。
「おい長次、それはどーゆー意味だ」
「いや、長次の言うとおりだ」
 

 

「それにしても、会計委員は相変わらずハードにやってるねぇ」
 伊作が手にした土器に、文次郎が仏頂面で答えながら酒を注ぐ。
「どういう意味だ」
「三木ヱ門から聞いたよ。僕たちの演習中、毎日10キロ算盤かついで校外マラソンさせてたんだって?」
「当たり前だ。会計委員は日々鍛錬だからな」
「へええ…そんなの体育委員だってやってないぜ」
 小平太がごろりと横になった。
「だから、会計委員以外はヘタレ委員会なんだ」
「なにがヘタレだ!」
 食って掛かったのは留三郎である。
「ヘタレはヘタレだろう」
「鍛錬するのは勝手だが、必要な予算もつけないでヘタレ呼ばわりするのは許さん!」
「無駄な要求を切っているだけだ」
「それでアヒルさんボートや他の用具の修繕がちっとも進まないんじゃないか!」

「なんだと! それでは会計委員のせいだとでも言うのか!」
「ああそうだ! 予算不足のせいでどれだけ用品の修繕に不自由してると思っているんだ!」
 二人がにらみ合う。いつもの展開である。
(よせ。打ち上げの場だろ)
「そうだぞ。長次もよせと言ってる」
 長次と小平太が割って入る。
「まったく、お前たちももっと大人にならないか」
 肩をすくめて、仙蔵が土器を傾ける。
「それじゃ、俺たちがまるでまだ子どもみたいではないか」
「毎度毎度、同じような理由でケンカばかりしていて、大人とでもいうつもりか」
(お前たちは、一年のときからそうやって張り合っていたな)
「そうだぞ。これ以上、保健委員の仕事を増やしてくれるなよ…でないと、君たちの薬と絆創膏代、別枠で今度の予算会議のときに計上するぞ」
 仙蔵の言葉に、長次と伊作が同調する。
「伊作は一年のときから保健委員が板についていたよな」
 仙蔵が言うと、数人がぷっと吹き出した。
「やめてくれよ。一年からも不運委員長だの不運大魔王だの言われてるんだからさ」
 ふくれっ面になった伊作を見て、長次以外の皆がたまらず笑い声を上げる。

 


「そういや、長次も一年のときからそうやって仏頂面だったね」
 伊作が、表情を変えずに土器を傾ける長次を見やりながら言った。
「そうだったな。それで先輩たちに目をつけられたこともあったな…だが」
 留三郎が続ける。
「…そんなときにいちばん長次を庇ってたのが、文次郎だったな」
「そんな前のことなど、憶えてない」
 そっぽを向いたまま文次郎は干魚を食いちぎる。
「カッコつけちゃって…文次っ」
 小平太がその背中をどん、と叩く。干魚を喉に詰まらせて目を白黒させる文次郎に、伊作が駆け寄る。
「おい、大丈夫かい?」
 なんとか詰まったものが喉を通過したらしい。ぜいぜいと肩で息をしていた文次郎が怒鳴る。
「小平太、大概にしろ! 死ぬかと思ったぞ!」
「学園一ギンギンに忍者してる男が、干魚喉に詰まらせたくらいで死んだらみっともないよな」
 仙蔵がからかう。

 


 日はすでに暮れ、大きな月が丘を照らしていた。虫の声が高まる。
「それにしても、会計委員は、文次郎が卒業したらどうなるんだろうな」
「いま四年の田村が引っ張ることになるんだろうが…大丈夫なのか?」
「当然だ」
「いやに自信たっぷりだな」
「日々の鍛錬すなわち引継ぎだからな」
 文次郎を除く全員が脱力する。
「なんだ、そのリアクションは」
「文次郎らしいといえばらしいのだろうが」
「ま、今よりは穏やかな委員会になるのではないか」
「だが、よほど気をつけないと、三郎あたりにいいようにやられるぞ」
「何を言う。三郎などの好きにさせるか。会計委員会は委員会の中の委員会であるために、常に向上し続けなければならない。顧問の安藤先生の方針だ」
「タテマエはそうだろうが、三木ヱ門が文次郎の方針をそのまま踏襲するようには思えんな」
「んだと。俺が卒業すると、会計委員会がヘタレになるとでもいうのか」
(そうは言わんが、三木ヱ門には三木ヱ門の方針があるだろう。私たちの役割は、後輩たちがうまく委員会の仕事を続けられるように道を作ってやることではないのか)
「人が変われば、組織も変わる。そんなものではないのか」
 仙蔵の口調は、いつにも増して乾いている。 

 


「卒業後のこと、皆はどうする?」
 皆が顔を上げる。問いを発したのがほかならぬ伊作だったから。
「そうだな…」
「先輩たちの中には、今頃には就職先の城が決まっていた人もいたというからな…」
 忍術学園を出ているからといって、忍としての就職が必ずしも有利になるとは限らなかった。自前で忍を育成できない城や忍集団へ人材を供給するのが、忍術学園である。だから、忍の需要が少なくなれば就職先は減る。また、氏素性も分からない若者を、忍術学園の卒業生というだけで受け入れることに躊躇する城や忍集団があることも事実だった。そのため、卒業シーズンともなると、学園長や教師たちは、自分たちの伝手を辿って、受け入れてくれそうな先に卒業生の紹介状を書くことに忙殺されるのだった。
「仙蔵なら、すぐに就職先も見つかるだろうな」
「どうかな。ここ最近は東国の冷害の影響で戦も減って、忍の需要が少なくなっているらしい」
 仙蔵は遠くを見つめている。
「げ…このままじゃ、畑仕事くらいしかないかな」
 小平太が、ごろりと寝そべったまま、あまり深刻でなさそうに言う。
(小平太は、畑を耕すつもりで塹壕掘りにならないよう気をつけないとな)
「大きなお世話だ、長次。お前こそ、就職できなかったら大木先生のところでラッキョ作りでもするんだろ?」
「ったく、忍術学園卒業してどうして畑で塹壕掘りだのラッキョ作りだのという話になるんだ。ここまできたら、忍になるしかないだろう」
「そういう留三郎は、どこかの城か忍集団に伝手でもあるのか?」
「いや、そうではないが…」
「まあ、どうにかなるさ。僕たちは、六年間も忍としての修業を積んできたんだから」
 なぜだろうか。伊作がいつものスマイルで言うと、なぜか皆は、それが客観的にどんなに困難であっても、実現しそうな気がするのだった。
「忍になったとしても、敵味方に分かれれば、命がけで戦うことになるんだぞ」
 文次郎が低く言う。
「むしろ、他のヤツにはやらせられないな」
 留三郎の言葉に、どういう意味だ、と無言の問いが集まる。
「俺たちのうちの誰かが命をかけて戦うとすれば、その相手は俺たち以外にはありえんということだ。特に文次郎」
 留三郎の指が、まっすぐ文次郎を指す。
「なんだ」
「お前が、この俺以外のヤツに殺られるなど、俺は絶対に許さないからな」
 いかにも闘い好きの留三郎らしい宣言だった。
「その言葉、そのままお前に返してやるぜ」
 くっと土器を干した文次郎の手から、土器が消えた。次の瞬間、文次郎の手から放たれていた土器が、がっしと留三郎の手におさまっていた。

 -やるな。
 -当たり前だ。
 二人の矢羽音が交錯する。

 


「それにしても、あっという間だったよなあ…」
 小平太がむくりと上体を起こすと、大きく伸びをした。
(そうだな。入学した頃には、六年生になど永遠にならないと思っていたが、それがもうすぐ卒業とはな)
 名残惜しそうに土器に残った酒をすすりながら、長次が応える。
「飛光の如し、だな」
 仙蔵が、ぽつりと呟く。
「だが、まだ僕たちには時間が残ってる。それを大事にしていけばいいんじゃないか」
 顔を上げた伊作の前髪が、夜風に揺れる。
「そうだな。伊作の言う通りかもしれない」
 留三郎が、自分に言い聞かせるように呟く。

 


「そろそろ酒もなくなったようだな」
「じゃ、戻るか」
「よし、では、あれをやるぞ」
 仙蔵がすっくと立ち上がった。
「仙蔵、今日は私にやらせろ」
 小平太たちも立ち上がる。
「よかろう。『苦晝短』でいくぞ」
「よおし」
 小平太は大きく息を吸い込んだ。
「飛光よ飛光よォ」
「「「爾(なんじ)に勧めん、一杯の酒~ッ」」」
 皆が唱和する。
「吾は識らずゥ」
「「「青天の高く、黄地の厚きを~ッ」」」
「唯だ見るゥ」
「「「月は寒く日は暖かく、来て人の寿を煎るを~ッ」」」
 肩を組みながら、丘を下る。仲間と過ごすこの瞬間のかけがえのなさをかみしめながら、そして学園で過ごす時間も、飛光のように過ぎ去ろうとしていることを感じながら。

 

 

<FIN>

 


◆苦晝短(昼の短きに苦しむ)
           李賀
 飛光飛光         飛光よ飛光よ
 勸爾一杯酒        一杯の酒を飲んでいかないか
 吾不識青天高       私は青い天の高さも
 黄地厚          黄色い大地の厚さも知らない
 唯見月寒日暖       ただ、月寒く、日暖かく
 來煎人壽         めぐり来ては人の寿命を煎るさまを見るだけだ
 食熊則肥         栄える人々は熊を喰らってますます太り
 食蛙則痩         貧する人々は蛙を食べてますます痩せるだろう
 神君何在         寿命を伸ばすという神君とかいう神や
 太一安有         太一とやらはどこに有るというのだ
 天東有若木        はるかな天の東には枯れない若木があって
 下置銜燭龍        その下には蝋燭をくわえた龍がいるという
 吾將斬龍足        私はそいつの足を斬って
 嚼龍肉          その肉を食って
 使之朝不得廻       そんな奴が朝に天地を巡ることも 
 夜不得伏         夜に伏して眠ることもできないようにしてやろう
 自然老者不死       そうして時間が永遠に止まれば、自然と年寄は死ぬことなく
 少者不哭         若者が老いをなげく必要もなくなる
 何為服黄金        不老長生のために黄金を薬にして飲んだり
 呑白玉          白玉の粉を飲んだり、そんなことをするにも及ぶまい
 誰似任公子        任公子は碧い(白い)驢馬に乗って雲の中を飛んだというが
 雲中騎碧驢        いったい何者なのか。
 劉徹茂陵多滯骨      仙人になりたかった漢の劉徹は茂陵で多くの骨となり
 贏政梓棺費鮑魚      不老長寿を願った秦の贏政(始皇帝)はその死を隠し、死臭をごまかすために梓の棺桶のなかにたくさんの鮑を費やしたというではないか