偽造為替の謎を追え

日本中世経済史家の桜井英治氏にはたびたび言及していますが、彼の考証のうち、為替や手形のような信用経済は貨幣経済から派生したものではなく、物々交換から派生したものであるということ、そして、日本経済史において信用経済は拡大した時期と収縮した時期があるということは、とても刺激的なものでした。

室町末期~戦国という時代は、信用経済は収縮していく時期なのですが、それでも物々交換への退行とまではいかなかったあたりが、続く江戸期の信用経済の隆盛への足掛かりのようで興味深いところです。

というわけで、信用経済につきもののこの手の犯罪に、探偵 食満留三郎が挑みます。さて、どんな活躍を見せてくれることでしょう。

 

ちなみにのっけからR-18な内容で始まりますのでご注意ください。冒頭だけ、ではありますが…。

 

 

 -くそ! 俺はまたこの女の言いなりになっている…!
 内心の憤懣を抑えながら、留三郎は傲然と裸の胸をそらせる。そうすることによって、自分が一糸まとわぬ裸であることを忘れようとするように。
「…」
 だが、眼の前で豪奢な錦を纏って腕を組む娘の刺すような視線に、そんな気負いもたちまち萎える。それなのに、自分の男の器官だけは意思に反比例してますます屹立しようとするのだ。
 全身の汗がとまらない。顔も火の近くにいるように火照っている。足の裏だけが、冷やりとした蔵の湿り気を伝えていた。高鳴る心臓が脳にまで響いている。
 -初めてでもないのに、どうして俺はこんなに…!

 

 


 留三郎はふたたび千本木屋に用心棒のバイトに訪れていた。本当は断りたかったのだが、千本木屋の主人の鈴が少し多めに口銭を握らせたので、きり丸が引き受けてきてしまったのだ。
 そして今、留三郎は鈴に蔵の中へと連れ込まれていた。櫃の上に置いた蝋燭が灯るだけの暗がりで、留三郎は全裸になることを命じられていた。
「早くしな」
 傲慢そのものの声が短く響く。
「お、おう」
 眼の前に立ちはだかる娘の身体の後ろに手を回すと、手探りで帯の結び目に手を掛ける。ごわつく錦の衣が素肌に触れる。そして、同じく錦の帯は固く結ばれていて解くのに難渋した。
 -ああ、このにおいだ。
 のしかかるように裸の男の身体が自分を遠慮がちに包み込む。眼の前には上背のある男の肩と首筋にぱらりとかかる後れ毛しか見えない。だが、男の全身から熱とともに放たれるにおいは、以前と変わらぬものだった。そして、自分がこれまで相手にしたどんな男とも異なるにおいだった。
 -鋼と、土と、汗と…。
 これが忍者のにおいというものなのだろうか。緑の森を吹き抜ける風と、血と硝煙と、そしてなぜかやさしくやわらかい乾草のようなにおい。これはこの男そのもののにおいなのだろうか。この正直で、一本気で、おせっかいな男の…。

 


 -くっ、ようやく解けたぜ。
 なるべく鈴の身体に触れないように腕を伸ばして苦労して手を動かしていた留三郎だったが、ようやく帯を解くことに成功した。ぱらり、と音を立てて帯が足元に落ちる。そして、微動だにしない身体から錦の衣を下ろしていく。その下には柔らかい絹の小袖が重ねられている。
 -ひょっとして鈴も、同じなのかも知れない。
 ふと思った。豪奢でごわつく錦の衣の下に薄く柔らかい絹の小袖や襦袢をまとっているように、その心も傲慢で高飛車な鎧の下は柔らかく脆いものが隠されているのかもしれない。
 さらりと襦袢が肌を滑り降りたあとには、女の白い身体があるだけだった。
「…」
 ものも言わず男の腕が女の身体を捉えると、脱ぎ落された着物の上にそっと横たえる。その身体を浅黒い男の身体が覆う。

 


「…ニセモノの為替が流通している…」
 両の胸にうずもれた男の頭に、鈴はあるかなきかに呟く。
「かわし?」
 どんな字を当てはめるべきか明らかに分かっていない切れ長の眼が見上げる。
「そうだ。ウチの振り出した為替を装っているが…くっ」
 男の動きは徐々に性急になる。いまや悍馬が自分の中へと突き進みつつあった。そして自分もたっぷりの愛液で迎え入れているのが厭わしかった。 
 -なぜ、こんな男を私は…。
 だが、待ちかねたように男を招き入れているのは自分の女の器官だけではなかった。そもそもこの男を呼び寄せたのは、常に冷徹であるべき頭脳のほうである。
 -ならば、脳にも仕事させねば。
 波状的に突き上げてくるような甘い感覚に蕩けきっている右脳ではなく、沈黙している左脳を叩き起こすべく、鈴は腕と足に力を入れると、覆いかぶさる男の身体ごと強引に身体を反転させる。仰向けになった男がぎょっとしたように眼を見開く。その顔にのしかかるように顔を近づけると、かすれ声でささやく。
「犯人は十中八九店の者だ。お前も忍者の端くれなら怪しい動きをしてるヤツの動きくらい分かるだろう。それを探れ」

 

 

 

 -店の者っていってもな…。
 ことが終わった後の、いささか空虚な気分であてがわれた自室へと向かいながら留三郎は考える。
 千本木屋は大店である。当然、働く者も多い。それだけでも気が遠くなる思いがするが、為替がどのように偽造され、どのように悪用されているのかまったく想像がつかなかった。そもそも為替とは何かさえ分からないのだ。そのようなことは忍術学園の授業内容には含まれていなかった。
 -だが、誰に訊く?
 店の、為替などという難しそうなものを扱いそうな手代の誰かに訊けば教えてくれないこともないだろう。だが、用心棒として雇われている身で為替がどうのということを訊いて回ればそれだけで怪しまれるだろう。そもそも犯人は店の者というではないか。
 とはいえ鈴に訊くなど論外である。
 -あんなクソ女に訊くくらいなら…。
 思わず歯ぎしりをする。たった今まで濃密に身体を合わせていた相手だが、あの傲然とした態度に生理的な反発を抱くのは止められなかった。
 -だとすれば、誰に…?
 再び問いが戻ったとき、ふいにある人物の姿が脳裏に明滅した。
 -福富屋さんだ!

 

 


「ほう、為替について知りたいと」
 翌日、留三郎は福富屋の座敷にいた。いろいろと理由をつけて休暇を得て、学園から福富屋に文書を運ぶという名目をつけて、ようやくここにたどりつくことができた。
「はい。ぜひ教えていただきたいのです」
 深々と頭を垂れる青年を前に福富屋は眼をぱちくりさせてしばし考えていたが、軽く膝をはたくと「わかりました」と頷いた。
「ありがとうございます!」
 はきはきとした声で青年がふたたび深々と頭を垂れる。

 

 


「これが為替です」
 紙片を示しながら福富屋が説明する。まずは実物を見せたほうが理解が進むだろうと考えた。
「為替とは、早く言えば銭の代用です。特に高額のお金をやり取りする際、いちいち銭に替えていては運ぶだけで大ごとですし、道中で奪われる危険も高い。そのため、為替で代用するわけです。もちろん、為替はだれでも振り出せるわけではない。それなりに信用がある者たちの間でしか流通できない、それも為替の特徴でしょうか」
「なるほど」
 いろいろと書きつけられ、印を押された紙片を熱心に見つめながら留三郎は頷く。そして、疑問を口にする。
「この為替を偽造することは可能なのでしょうか。偽造された場合、どのようなことが起きるのでしょうか」
「偽造?」
 眼をぱちくりさせた福富屋だったが、まっすぐな視線で自分を見つめる青年に何らかの事情があるのだろうと察する。
「さよう。もし偽造された為替が流通すれば、振出人としては覚えのない換金に応じなければならないのだから、当然損失が出るでしょうな。それ以上に、ニセモノが出回っているという噂が立てば、その振出人の為替の信用力が落ちるから、長期的にはむしろそちらの方がダメージは大きいということになりますな」
「なるほど」
 メモ帳に書き付けながら留三郎は頷く。「それで、為替の偽造というのは、簡単にできるものなのでしょうか」
「その気になれば比較的簡単にできるでしょうな」
 あっさりと言い切る福富屋に思わずぎょっとした表情になる留三郎だったが、淡々と続く説明に慌ててメモを続ける。
「ご覧のとおり、筆跡はマネすることができますし、印など印章屋に頼んでしまえば同じようなものはいくらでも作れます。それより難しいのは、どんな為替が振り出されたかを把握することです」
「といいますと?」
 留三郎が身を乗り出す。
「さよう。いくら筆跡をうまく真似て、印を偽造できたとしても、適当に作って替銭屋(両替商)に持ち込めば換金できるというものではない。替銭屋や為替を扱う商人は、振出人が誰に対していくらくらいの額の為替をいつ振り出すのか、だいたい分かっているものです。そこからかけ離れた内容の為替が持ち込まれればまず偽造を疑う。つまり、誰が誰に対してどのような内容の為替を振り出すかをきちんと把握しない限り、いくらうまく偽造できても換金は難しいということです」

 

 

 

 -つまり、内部に犯人か、あるいは内通者がいるということか…。
 堺から千本木屋に戻る道中、留三郎は考えをめぐらす。
 -福富屋さんは『為替を偽造して誰がいちばん得をするか考えなさい』とも仰っていたな…。
 それはいかにももっともに思えた。
 -犯人の目的にもよるな。千本木屋の信用を潰すためにライバルが手の者を送り込む可能性もあるし、単にカネ目当てならもっと容疑者は多い…だが。
 歩きながら顎に手を当てる。
 -福富屋さんが仰るように、怪しまれないような額の為替を偽造するには、この業界をよく知っている奴じゃないとムリだろう。とすると、やはり千本木屋のライバルの同業者が一番怪しい。そもそも為替の偽造は印の偽造や筆跡をマネできるような連中が必要だから、それなりの組織力がないとできないはずだ。だが、待てよ…。
 単純な結論では判断を間違えるような気がした。
 -俺でも思いつくような理屈で本当に合ってるんだろうか。鈴だって同じことをまっさきに考えるはずだし、そんなことをしそうなライバルはとっくに見当がついているはずだ。分かっているなら最初から俺に言うはずだし、そうしないということは、もっと別の原因があると考えているのだろう…たとえば偽造した為替で金を受け取って得する連中がいるとすれば…?
 それも、一見千本木屋とは縁がなさそうな個人なり集団でなければならない。
 -そういえば、千本木屋にもどこかの城の忍者が潜り込んでいても不思議はない…。
 潜り込むといえば千本木屋に質物を取られている個人なり店なり村も同じことを考えても不思議はないが、彼らがプロの忍者のように気づかれることなく紛れ込むことは不可能に思えた。なにしろこちらは百戦錬磨の土倉なのだ。そうそう裏をかくことに成功するとは思えなかった。
 -待て待て、結論を急ぐな…。
 手近に見つけた論理にすぐに食いついてしまう癖のせいで、これまでどれだけ演習で苦労したことだろう。結論を急ぐのは短気な性格ゆえだったが、ここは落ち着いて考えなければならない。
 -考えろ。仙蔵や長次だったら、こういうときどう考ええる?
 頭脳派の友人たちの顔を、演習のときの思考の癖を思い出そうとしながら留三郎は自分に言い聞かせる。
 -仙蔵だったら…長次だったら…。
 だが、そこから先が続かない。ふと脳裏に伊作の姿が浮かんだ。その伊作は首をかしげながら口を開く。「ねえ、留三郎。ニセモノの為替って、どこから見つかったんだろうね?」
 -しまった!
 唐突に頭の中に基本的な疑問が明滅して留三郎は思わず足を止める。偽造為替を誰が、どこで見つけたのかを確認していなかった。

 

 

 

「なんだい、出かけたからには犯人とっ捕まえて帰ってくるのかと思ってたら、そんなこと訊きに戻って来たのかい」
 手代のつけた帳面をチェックしていた鈴は、顔も上げずに呆れたような声を上げる。
「当たり前だ! てかそんなの最初に教えろっ!」
 全く悪びれる気配のない鈴に、たちまち頭に血が上る。
「いちいち喚くんじゃないよ」
 筆をおいて顔を上げた鈴が気だるそうに言う。「偽為替は3回見つかっている。マイタケ、タソガレドキ、ウスタケの城下の土倉と問屋だ」
「その土倉や問屋はどうしてニセモノの為替だと分かったんだ? 千本木屋からの為替を扱ったことがあるのか?」
 福富屋から聞いた話を思い出しながら留三郎が訊く。一瞬、鈴の眼が鋭く細められた。
「どこもウチの取引先だ。先方が偽為替を受け取った数日後にウチが振り出したホンモノの為替が届いたから発覚した。そんなことができるのはウチの従業員しかいないだろう? だから十中八九店の者だといっている」
「…そうか」
 ふと、その話を聞いたときに何をしていたかを思い出して顔が赤らむのが止められなかった。緊密に結びついたまま強引に仰向けにされて、そしてぐいと顔を近寄せて、かすれた声で言ったのだ…。
 その時の全身が心臓になったような脈動と興奮を思い出して思わず顔を伏せる。鼓動が早まる。
「なに思い出して勃ってるんだよ」
 平たい声で言い放つや鈴は立ち上がって言い捨てる。「土倉と問屋の名前は番頭に聞きな」
 そして座敷には耳まで真っ赤になった留三郎が残された。

 

 

 

「そろそろ来る頃だと思ってましたよ」
 番頭の内藤利助は部屋にいた。文机に広げた帳面に眼を通していたところらしかった。
「失礼します」
 前にも会ったことのあるはずの人物だったが、つくづく透明人間のようだと留三郎は思う。その特徴のない風貌や声ゆえに、なんの印象も残さない人物なのだ。忍者にもっとも相応しいともいえた。
「偽造為替の件で、旦那様の依頼を受けているとか?」
「はい」
「これが、偽造為替の発見された店のリストです」
 留三郎がやってくるのを予期していたように、帳面の傍らに置かれていた封書を手渡す。
「ありがとうございます…ところで番頭殿」
 両手で受け取った留三郎が顔を上げる。
「なんでしょうか」
「なぜ、このような事件が起きたとお考えでしょうか」
「事件の、理由…ね」
 言葉を区切りながら利助は探るような表情で留三郎に眼を向ける。だが、その顔はすぐに帳面へと戻っていく。そしてさらりと言う。「そろそろ夕食時ですな。その時にでも、私の思うところを少しお話ししましょうか」

 

 

 

「さあ、君も飲めない口ではないでしょうから、いきましょう」
 それぞれの前に据えられた膳の上に腕を伸ばして利助は酒をすすめる。
「は、はい…頂戴します」
 杯をぐっと開けた留三郎は「番頭殿もどうぞ」と返杯する。
「や、すまないね」
 鷹揚に受けてゆるりと傾けると、利助は箸をとった。ようやく飯にありつけると留三郎も椀を手にする。
「君はたいへん剣の腕がたつそうだが」
 利助が口を開く。
「いえ、それほどでは…」
 そもそも主人のボディーガードとして雇われているのだから、ある程度剣の腕が立つのは当たり前である。
「いやいや、実に大したものだと聞いているよ」
 椀を手にしたまま利助の視線が留三郎の肩から腕をさらりと撫でる。それが一瞬にして筋肉や骨までスキャンされたようにおぼえて留三郎は軽く怖気をふるった。
「それでだね」
 留三郎の感情の動きにまったく気づかないように利助は続ける。「うちの手代や丁稚たちにもぜひ指導してやってくれないかね」
「…は?」
 意図を図りかねた留三郎が声を詰まらせる。
「最近はいろいろと物騒だ」
 ため息とともに言うと利助はずず、と汁をすすった。「重要な書類や為替を持たせるときにはそれなりに護衛をつけたりもするが、それだけでは不安がる者も多い。せっかくなら君から剣なり体術を習いたいと希望する声が多くてね…もちろん旦那様の護衛の合間に、ということだが」
「は、はあ」
 どうやら店の者たちのリクエストを伝えているだけのようである。少し安心した留三郎が肩から力を抜く。いつの間にかがちがちに強張っていた。

 

 

 

「ところで…」
 言いかけた留三郎がはっと天井に眼をやる。そこに気配を感じた。
「どうかされましたかな?」
 煮物を口に運んでいた利助が小さく首をかしげる。
「い、いえ…」
 慌てて留三郎が向き直る。天井の気配は消えていた。いや、もとからそこには何の気配もなかったのかもしれなかった。立ち去れば立ち去ったなりに残る気配というものが感じられなかったから。
「ああ、そうでした。事件が起きた理由でしたな」
 不意に利助の口調が戸惑ったように下がる。慌てて留三郎が居ずまいを正す。「私も理由をいろいろ考えてみました。何のためにするのか、誰が得をするのか…」
「それで…」
 息を詰めて留三郎が身を乗り出す。
「わかりませんでした」
 あまりに利助らしからぬ答えに「はあ…」と間抜けな声が漏れる。だが、小さく眉をひそめて首を振った利助は繰り返す。「本当に、分からないのです…」

 

 

 

「それでは、これより食満留三郎殿による護身術研修会を始める。皆の者、礼!」
「「「よろしくおねがいします!」」」
「よ、よろしく…」
 翌日、十文字屋の中庭に手代や丁稚十数人が並んでいた。利助の声に一斉に頭を下げる。そのような場面に慣れていない留三郎も慌ててぺこりと頭を下げる。
「では、後はよろしく」
 鷹揚に言い残して利助は立ち去った。丁稚たちの期待に満ちた視線を一身に浴びた留三郎が慌てて口を開く。
「それでは早速はじめます。まずはみなさんの実力を知りたいので、捕物はなんでもいいですから一人ずつかかってきてください」
「はい! では、手代、熊吉! てやぁっ!」
「つぎ! 丁稚、金之允! たあっ!」
「つぎ! 丁稚、利兵衛!」
 最初の二人を難なくかわした留三郎だったが、三人目の棒を構えた丁稚に思わず眼を見開く。
 -利吉さん!

 

 

 

「やあ、こんなところで会うとはね」
 その夜、留三郎の居室の天井裏から声とともに現れたのは利吉だった。
「…驚きました」
 正直なところを言う留三郎だった。
「ある城から、十文字屋の内情を探るように言われてね」
 留三郎の機先を制するようにあっさりと利吉は言う。「で、君はどうして十文字屋の用心棒に?」
「きり丸の周旋です」
 露骨に眉をしかめながら留三郎は答える。「前にも頼まれたことがあるもので」
 そしてその時に起こったことを思い出して顔を赤らめる。
「でも、番頭とも話があったようだね」
 さらりと訊く利吉に、前夜のことを鮮明に思い出す。
「やはり、あそこにいらしたんですね」
「もちろん」
 悪びれもせず利吉は頷く。「ここで起こっていること全てを探らないといけないからね」
「いらしたならお判りでしょうが、私はここの店の人たちに護身術を教えるよう頼まれてました」
 偽造為替の件をとっさに伏せた留三郎だった。利吉の依頼主の城がこの事件に関わっていないとも限らなかった。無防備に情報をさらけ出すことはためらわれた。
「そうか」
 それ以上詮索せず利吉は言う。
「まあ、せっかく学園の関係者がいることだ。協力してやっていこうじゃないか。な」
 ぽん、と肩をたたくと利吉は再び天井裏へと姿を消した。

 

 


 -利吉さんも来ているとはな…。
 ふたたび部屋に一人になった留三郎は考える。依頼主がどこかはともかく、城が利吉を使って情報を取りに潜らせているということは、なにかしら厄介なことが起こっている可能性があった。
 -それも、俺よりだいぶ前から潜っているようだ…。
 つまり、利吉をもってしても手こずっている調査らしい。
 -それよか、番頭さんにもらったデータだった。
 利助からもらった紙片を開く。
 -十月に集中してるな。
 それが最初の感想だった。
  十月三日 マイタケ城下 播磨屋
  十月十二日 タソガレドキ城下 楠木屋
  十月二十五日 ウスタケ城下 速水屋
 -年貢の収納時期だから、取引が多くなっているのかもしれない。それを狙っているということか。
 ほかに怪しい点はあるだろうか。
 -どの店でも、偽為替が届いた数日後に本物の為替が届いて事件が発覚したって言ってたな…てか、そもそも千本木屋で為替を扱うのって、誰なんだ? それが分かれば…。
 そこまで考えて、またしまったと頭を抱える。そんなことは、もっと早くに聞いておくべきことだった。鈴は論外として、利助にも今さらのこのこ聞きに行くような内容ではなかった。
 -でも、こんなことでいつまで考えててもしょうがねーし…教えてもらいに行くか…。
 自分のメンツより仕事が先だ、と思い直して立ち上がりかけたとき、ぱらりと紙片が床に落ちた。
「なんだこれ」
 呟いて拾い上げる。どうやら渡された封書に別の紙も入っていたらしい。
 -なんか書いてあるな…。
 紙片に眼を通し始めた留三郎の表情がみるみる紅潮する。

 

 


 -千本木屋で為替を扱うのはおもに10人…。
 翌日、鈴の後について歩きながら鋭い眼で使用人たちが働く部屋をチェックする留三郎だった。
 利助のもう一枚のメモには、千本木屋で為替の業務に関わる部署と担当者、そのプロフィールが書かれていた。留三郎が聞きに来ない迂闊さを咎めるようにさえ感じられるほどの周到な情報だった。そして、その中には…。
 -ここか。
 代官請負部門と札のかかった部屋をさりげなく覗く。
 -いないみたいだな。
 目当ての人物はいなかった。やれやれと内心ため息をついたとき、「出かけるよ」と横柄な一言を残して鈴が足を速める。「あ、ああ」と慌てて後を追う。
 -丁度いいか…。
 襖の前で控えながら留三郎は考える。できれば、店の者がいないところで確認したいことがあった。

 

 

 

「ひとつ確認したいことがあるのだが」
 茶席に向かう鈴の後ろを歩きながら、留三郎は低い声で訊く。
「なんだい」
 鈴の返事はいつものように横柄である。
「店で為替をつくる部署が二つあるということだったが、どういうものなんだ?」
 利助のメモによると、為替は二つの部署で作成され、勘定部門でチェックした後に、鈴が署名し、番頭の利吉が押印して振り出される流れとなっていた。
「代官請負部門と金融部門だよ」
「…というと…?」
 あっさりとした説明についていけない留三郎が重ねて訊く。うんざりしたようにため息をつくと鈴が続ける。
「代官請負は、領主に代わって領地の年貢を取り立てるのが主な仕事だ。取り立てた年貢は為替にして委託元の領主に届ける。金融はふつうの土倉の業務だよ。客から預かった質物をもとに金を貸す。金融部門が為替を振り出すのはいろいろある。最近では、他の土倉と共同融資した先がつぶれて資産整理した時の精算だったり、ウチの持つ債権を他の土倉に売るときとかね」
「ということは、土倉で見つかったってことは、偽造為替は金融部門でつくったものということだな?」
 利助メモの内容を思い出しながら確認する。
「それが違うんだよね~」
 鈴は軽やかに否定する。「どれも、代官請負部門で振り出したものさ」
「だが、為替を受け取ったのは土倉だったんじゃ…」
 うろたえた留三郎が声を上げる。利助メモを見たときに感じた衝撃を思い出した。
「声がでかいよ」
 眉をひそめた鈴が声を低める。「代官請負だって土倉を通すことの方が多い。委託元の領主が借金まみれで他の土倉に銀行管理状態になってる時もあるし、そこまでいかなくても年貢の管理を土倉に委託することも多いからね」
「…そういうことか」
 うなだれた留三郎がぼそっと応える。軽く振り返った鈴がその面立ちにちらと眼をやる。

 

 


 -やっぱり…。
 その夜、自室に戻った留三郎は、懐から出した利助メモに改めて眼を通していた。
 『丁稚 利兵衛、九月より代官請負部門に異動』
 -これが意味することは二つ。
 利兵衛として潜り込んだ利吉が偽造為替について何らかの事情を掴んでいること。或いは、利吉自身が偽造為替に関わっていること…。
 -だが、どうやって確認する?
 前者だったとしても、城からの任務で探った内容を軽々しく打ち明けるはずがないし、後者であればなおさらである。
 ではどうするか。
 -くっそ! なんにも思いつかねえ…!
 床を拳で打ち付けたくなる衝動を辛うじて堪えながら、ふと思いついたことがあった。

 

 


「どうしたのさ、こんなところに呼び出して」
 伊作の口調は、言うほどには尖っていない。むしろ困惑した表情で留三郎の顔を覗き込む。「大丈夫かい? ちょっと疲れてるようだけど」
「あ、ああ…それより、済まなかったな。来てもらって」
 数日後、十文字屋近くの茶屋に留三郎と伊作の姿があった。店主に頼み込んだ留三郎は、特別に店主の控室に通してもらっていた。ここなら誰にも見られることはない。
「いいよ。留三郎が呼び出すなんて、よっぽどのことだろうからね…僕で役に立てばいいけど」
 伊作の言葉に嘘はない。気が強く好戦的な留三郎は、人に弱みを見せることを極端に嫌がる。伊作には心を開いているようだが、それでも一人で抱え込んでいるものがあると伊作は感じている。その留三郎がわざわざ呼び出してまで自分を頼ることが驚きでもあったし、うれしくもあった。
「すまない。どうしても俺だけじゃ考えがまとまらなくてな…伊作の意見を聞きたかった」
 誰の眼にもつかない別室で、天井裏や床下にも気配を感じないのに、誰かに聞かれることを恐れるように留三郎は声を潜める。そして、事のあらましを説明した。
「…なるほどね」
 真剣な表情で聞き入っていた伊作は、少し考えて口を開いた。「でも、もう留三郎にはなにをすべきか分かっているように思うけど」
「な…なんだよ、それ」
 明らかにうろたえた口調で留三郎が身を乗り出す。
「あぶり出さなきゃってことだけど」
 さらっと伊作は言う。なんでわざわざ人に言わせるんだろうと言わんばかりに。
「…そっか」
 観念したように留三郎は俯く。「やっぱ、それしかねえか…」
「ほら。分かってるくせに」
 小さくため息をついた伊作が、ぽんと留三郎の肩に手を載せる。「だいじょうぶ。利吉さんだって仕事なんだから、分かってくださるよ。留三郎は自分の仕事をきちんとやることだけ考えた方がいいよ。僕はそう思うよ」
「…だな」
 うなだれたまま留三郎は応える。「そうだよな…」
「そうだよ」
 伊作の手に力がこもる。「留三郎ならきっとできるよ。ね、自信を持とうよ。いつもの留三郎みたいにさ!」
 微笑みながら語りかける伊作だった。
「ああ…そうだな」
 ようやく覚悟が決まったらしく、留三郎も顔を上げる。そして思う。
 -あ~あ、こうやって結局いつも伊作を頼っちまうんだよな…。

 

 

 

「…」
 数日後、勘定部門から回付されてきた為替に眼を通した鈴は、小さく鼻を鳴らすと傍らの新しい紙に何やら書きつけ、回付されてきた為替を懐にしまって声を上げる。
「この為替、はやく利助のところに持っていきな!」
「はは~い!」
 襖をあけて入ってきた丁稚が、鈴の手渡した為替を捧げ持って部屋を後にする。
 

 


「やるじゃないか」
「まあな」
 数日後、鈴の部屋に呼び出された留三郎は、すべてが解決したことを感じ取った。
「それにしても利兵衛が犯人だったとはね…」
 横座りになってキセルをふかした鈴が視線を漂わせる。鈴なりに見込んでいた男に裏切られたショックがあるのだろうと留三郎は考えた。
 利兵衛扮する利吉が潜っている代官請負部門の振り出した為替の日付を前倒しするよう助言したのは留三郎だった。そして鈴は、代官請負部門が出してきた為替を、日付だけ前倒して書き直して振り出したのだった。果たして決済は順調に終わり、数日後に偽造為替を持ち込んだ十文字屋の丁稚と称する男は、捕らえられてスッポンタケ城の忍者と確認された。そして、これまで偽造為替で詐取されたカネがすべてスッポンタケ城に流れ込んでいたことも判明した。同時に利吉が姿を消した。
「だが、なぜスッポンタケだったんだ?」
 土倉に恨みを抱く城はいくらもある。それでも、土倉を敵に回せばたちまちキャッシュフローを締め上げられて自分たちが困ることも事実だったから、ここまで露骨に土倉に勝負を仕掛けてくる城があるということがにわかには信じられなかった。
「まあね」
 かん、と音を立ててキセルを叩いた鈴が気だるそうに続ける。「スッポンタケの領内の惣借りをいくつか流したことがあってね…それを根に持ってるんだろうよ」
「そうか…」
 相変わらず意味が分からない台詞だったが、もはや留三郎も聞き流す。すでに十文字屋での仕事は終わったのだ。これ以上訳の分からない会話を理解する必要もなかった。そして、この時のために用意していた言葉を口にする。
「…明日、学園に帰る」
「っそ…」
 素っ気なく返した鈴は二服目の煙草をキセルに詰めてゆっくりと吸う。「今日中に給金を精算させるから受け取っときな」
 その乾ききった口調に却って抑え込んだ未練を感じて、ふともう少し残ろうかと言いかける留三郎だった。金も立場も、世間の女には思いもよらないほどに満ち足りているゆえに、世の中すべてに飽きている風を装わなければならない鈴という娘が不憫だった。だが、心の奥では他人とのあたたかな触れ合いに飢えているのだ。留三郎の身体を貪る姿は、餓鬼道に堕ちた魂そのもののように思えた。あるいは自分なら、そのぽっかり空いた空洞のいくばくかも埋められるかもしれないと考えた。
 -余計なお世話なんだろうな…。
 そんなことはプライドという固い鎧が許さないだろう。留三郎が感じる憐れみなど、むしろ最も激しく拒むものだろう。それは却って鈴を深く傷つけるものであろう。だから留三郎は応える。
「わかった」

 

 

 

「やあ、ご苦労だったね」
 校庭の大木に腕を組んで寄りかかっていた利吉に、一瞬ぎょっとする留三郎だった。
「利吉さん…」
 次いで深々と頭を下げる。「今度の件では、申し訳ありませんでした」
「いいさ」
 近寄った利吉は、腕を伸ばして留三郎の上体を起こさせる。「今回ばかりは君に完敗だったよ」
「申しわけありません」
 再び頭を下げる留三郎だった。
「いや…これは私も迂闊だった」
 利吉の表情は、むしろさばさばしている。「まあ、座らないか」
「はい」

 

 


「実のところ、君がどの時点で私の任務に気付いたのか、聞いてみたくてね」
 幹にもたれて足を延ばした利吉が口を開く。
「私も、利吉さんに伺いたいことがたくさんあります」
 並んで座った留三郎が利吉の横顔に視線を向ける。「偽造為替のことに利吉さんはどこまで関わっていたのか、背後にスッポンタケがいることをご存じだったのか…」
「正直なところ、偽造為替のこともスッポンタケが絡んでいることも知らされていなかった」
 顔を上げて空を見上げながら利吉はあっさりと答える。「私に接触した者からは、十文字屋の内情、特に為替の振り出し先と額を探るように言われていただけだったからね。ただ、どこかの城が代官請負の実態を探りたいような意向があることは匂わされていた。まあ、ありがちなリクエストだからね。私もそれ以上は追及しないことにした。依頼主の内情にあまり踏み込むのはフリーとしてはエチケット違反だからね」
 ここまで言えば十分だろうというように利吉は留三郎に目を向ける。次はお前が説明する番だと言わんばかりに。
「私は、偽造為替の調査に雇われました」
 濃密な交わりの最中に唐突に放たれた命令が記憶の片隅を過ぎる。「でも、いろいろな方からお話を伺って勉強しているうちに、この背後にはどこかの城なり勢力が関わっているのではないかと思い始めました。手を下しているのが店の者であることは間違いない以上、忍なり手の者が送り込まれているのだろうと」
「それで私が眼をつけられたというわけか」
 苦笑交じりに利吉が口を開く。「まあ、私の情報をもとにひと月の間に三回も偽造為替を出されるとは思わなかったからね。もし知っていたらもう少し足跡を消す工夫をしていたところだった。自分の提供した情報がどのような使われ方をするかにも気を付けないと、身を滅ぼすもとになりかねないことがよくわかったよ…今回はいい勉強になった」
「そんな」
 慌てて留三郎が利吉に向き直る。「利吉さんほどの優秀なプロ忍者でも、そのように思われるのですか?」
「当然さ」
 まだ口の中に苦みが残っているように端正な顔を軽くゆがめて利吉は笑う。「私だって、まだまだ勉強することばかりだよ…そうでないと、この世界では生き残っていけないからね」
「そうなんですか…」
 すっかり感心したように留三郎は言う。「それなら、私たちなど、まだまだ学ばなければならないことだらけで…」
「いいじゃないか」
 軽く肩を叩く。「君たちはまだまだ学んで、成長しなければならない立場なんだ。失敗しても許される、特権的な立場なんだ。私から見ればね…」
 最後は視線を伏せて言い終えると、利吉は立ち上がる。いぶかしげに留三郎が見上げる。「どちらへ?」
「そろそろ行かなければならないからね。次の仕事だ」
 袈裟懸けにした荷物を結び直す。
「でも、山田先生にご挨拶しなくてよろしいのですか…?」
「ああ、構わない」
 やや硬い口調で利吉は横を向く。「もし父に会ったら、私は忙しくしていたと伝えてくれないか」
「はい…」
「じゃ」
 言い残すと利吉は歩み去る。
 -ひょっとして、思った以上にダメージを感じられているのか…。
 その背を見送りながら留三郎は考える。

 

 

<FIN>

 

 

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