意趣返し

 

いつも予算をくれない会計委員会はほかの委員会から恨まれたりすることも多いようですが、限られた予算を配分する役割の大切さはどの委員会も認めていると思うのです。だからこそ、会計委員会の活動停止という事態には、いささか過激な意趣返しに…。

 

 

「よし、決算書類のチェックはここまでだ」
 ぱたん、と決算書の綴りを文机に重ねた文次郎が言うと、張り詰めた空気が一気に緩んでほっとしたようなため息が漏れた。
 -よかった!
 -今日は早めに寝られる!
 だが、弛緩した空気は続いて放たれた一言でたちまち凍り付いた。
「これから夜間訓練に行く。全員10キロ算盤を持って表に集合」
「えっと…あの、これからですか?」
 後輩たちに視線に押されて三木ヱ門がいやそうに訊く。果たして文次郎がぎろりと後輩たちをねめつける。
「なにを甘ったれたことを言っている。夜こそ忍者のゴールデンタイムといつも言ってるだろ」
 ぶっきらぼうに言い捨てるとがらりと予算委員会室の襖を開ける。「とっとと来い」

 

 

「げ…水練池ってことは…」
「水中で寝る訓練ってこと?」
 月明かりに照らされた文次郎の背中が向かう先に、一番後ろを歩く団蔵と佐吉がひそひそと言葉を交わす。
「やだなあ。水んなかつめたいだろうなあ…な、佐吉」
 がっくりとうなだれた団蔵が話しかけるが、佐吉は思いつめた表情で黙りこくっていた。
「佐吉、どしたの?」
 気になったように団蔵が顔を覗き込む。慌てて佐吉は首を横に振る。
「い、いや…なんでもない」
「そう?」
 あっさりと団蔵は先を急ぐ。先頭の文次郎は腰のあたりまで水につかっている。早くついていかないとまたどやされると思った。
「…」
 思いつめた眼で池を見つめる佐吉の顔色がいつもより悪いことに気付いた者はいなかった。

 

 

「いいか。各自適当に寄り掛かれるところを見つけて寝るように。ただし、10キロ算盤は絶対に水につけるなよ。火縄だと思って頭の上から動かすな」
「そんなあ…」
「うう…つめて」
 すっかり震え上がっている後輩たちを尻目に、すでに文次郎は算盤を頭に乗せたまま寝息をたてている。
「いつも思うけど、潮江先輩ってどうして水の中であんなにすぐに寝れるんだろな」
 左門が誰にともなく言う。
「…ですね」
 団蔵がお愛想程度に頷いた次の瞬間、ばしゃん、と派手な水音が響いた。
「佐吉!」
「どうしたっ!」
 唐突に姿を消した佐吉に、三木ヱ門と左門が算盤を岸に放り上げて池の中に潜る。騒ぎに文次郎が目を覚ました時には、ぐったりした佐吉の身体を三木ヱ門と左門が岸に引き上げているところだった。
「お前ら、何してる!」
「たいへんです、潮江先輩!」
 月明かりにも佐吉の顔色に異変を感じた三木ヱ門が額に手を当てる。「佐吉がすごい熱ですっ!」
「なにっ!?」

 


「まったくどういうことですかっ!」
 夜更けの会計委員会室から苛立った甲高い声が上がる。
「…つねづね潮江君の鍛錬ぶりにはムチャがあるのではないかとは思っていました。しかし、君なりに後輩の体力なり体調を見たうえでのことだと大目に見てきました。だがそうではなかった。君は何も考えずに後輩たちにムチャな鍛錬を押し付けていた! 君がここまで何も考えていなかったとはね。私もとんだ見込み違いをしていたものだ」
 びしょ濡れのまま大柄な体を縮めている文次郎の前で、顧問の安藤は怒りを抑えきれなかった。
「いったい君はこれまで後輩たちの何を見てきたというんです! 何か説明しうることがあるなら言ってごらんなさい!」
「…申し訳、ありません…」
「それは何度も聞きました!」
 安藤の声がまた一段と甲高くなる。
「君の後輩の育成方針はなんだったんです? 六年生にもなって後輩の様子をろくに観察もしてなかったなんてことがありうるんですか? 聞けば君は帳簿チェックを昨日の晩から今日の夜までぶっ続けにやった挙句に水練池で睡眠訓練をやったというではないですか。君が寝ずにどんな訓練をやろうが勝手だが、まだ一年生を含む後輩にそんなことをしたらどういう結果になるか、君にはなんの想像力も働かなかったんですか? それで最上級生ですか? 委員長ですか? どうなんです?」
「…申し訳、ありません…」
「君にはほかに言うことはないんですかっ!!」
 ばんばんばん! と床板を叩きながら安藤が怒鳴り散らす。
「君には委員長などやる資格はない! しばらく謹慎してなさい! 私の部屋への出入りも禁止する! 会計委員会は活動停止だっ! わかりましたね、以上!」
 顔を真っ赤にして喚いた安藤が足音荒く委員会室を後にする。
「あの…先輩…」
 開けっ放しの襖を閉めようとしながら三木ヱ門がためらいがちに声をかける。
「…そういうことだ。お前たちも早く戻って寝ろ」
 うなだれたまま呻くように言うと、文次郎はよろよろと立ち上がって閉めかけた襖に手をかけるとそのまま立ち去る。
「…」
 当惑したように三木ヱ門と左門が黙ったまま顔を見合わせる。床には濡れた身体が座っていた大きなしみが残っていた。

 

 

 ぼんやりとした霧が眼の前を覆っている。身体が石のように重い。頭の片隅から割れるような痛みが波状的に轟いていた。
「…ってて」
 頭の痛みで眼を覚ました佐吉はうっすらと眼を開ける。ぼんやりした黄色い光がまず視界に入ってきた。それは徐々に焦点を結んで、燈台の灯となった。
 -ぼく、寝てたんだ…。
 おぼろげな意識のなかで、佐吉は状況を把握しようとする。
 -そうだ。帳簿のチェックがおわって、潮江せんぱいが水練池で寝る訓練をするといって、それから…。
 ゆるゆると記憶をたどりながらさまよう視線が、燈台の傍らの小さな身体を捉えた。
 -団蔵…!?
 ゆらゆらと上体が前後に揺れている団蔵に近づこうと身を起しかけた佐吉だった。と、その額からぱらりと手拭いが落ちる。その気配に団蔵がはっと目覚める。
「佐吉! よかった、きがついた…!」
 表情を輝かせた団蔵がそっと佐吉の背を支える。「心配したんだぞ…池の中できゅうにいなくなったりしたから…」
「うん…ごめん」
 かすれ声で佐吉が応える。「ごめん、団蔵…みず、もらえない?」
「みず?」
 一瞬、弾かれたような表情になった団蔵がすぐに立ち上がる。「まってて! いま、持ってくる!」

 


「やあ、よかった、意識が戻ったようだね」
「だいじょうぶ、佐吉?」
 団蔵の後ろに現れた二人に佐吉は眼を見開く。
「伊作先輩…乱太郎…どうしてここに?」
「どうしてって、ここは医務室だからね」
 苦笑しながら伊作が佐吉の布団の傍らに座る。
「医務室?」
 慌ててきょろきょろと辺りを見回す佐吉だった。
「そうだよ」
 伊作が手桶の水に手拭いをひたして絞りなおすと佐吉の額に置く。「ひょっとして佐吉はずっと体調が悪かったんじゃないのかい? 少なくとも水練池に入る前には熱があったと思うんだけどね」
「は、はい…」
 安心させるように微笑みながらもその口調に漂う厳しさに佐吉は口ごもる。たしかに徹夜で帳簿チェックをしていたときから全身が熱っぽかったり頭が痛かったりした。
「そんな状態で水の中に入ったりしたらどうなるか、分かるよね」
 微笑んだままの伊作だがその眼は笑っていない。
「…すいません」
「まあ、今回の件は文次郎がきちんと気を配っていなかったのが原因だから…でも、佐吉も具合が悪かったらガマンしないで必ず言うこと。いいね」
「…はい」
 厳しい口調に思わず首を縮めた佐吉だったが、ふと気になって訊く。「あの…それで潮江せんぱいは…?」
「さあ…会計委員会室に戻っていると思うけど?」
 自信なげに言った伊作が団蔵に眼を向ける。
「ぼくもそうおもいます…とりあえず、佐吉はもうすこしやすんだほうがいいよ」
 団蔵も会計委員会室に安藤が乗り込んだことは知らない。会計委員会顧問かつ一年い組担任の安藤がすぐにも飛んでくると判断した三木ヱ門が、医務室で佐吉につきそっているよう団蔵に指示したのだ。自分のクラスのこととなると少々口が過ぎる傾向がある安藤の姿も、一方的に叱られるだけの文次郎の姿も見せるべきではないと思った。
「僕もあとで文次郎に説教しないと」
 煎じたばかりの薬湯を湯呑に注ぎながら伊作がぶつくさ言う。「風邪気味の一年生に徹夜させた挙句に水中で睡眠訓練なんて、まったく! …さ、熱邪を下げる薬湯だ。これを飲んでひと眠りすればもう大丈夫だからね」
「はい…」
 苦みをこらえながら佐吉は少しずつ薬湯を飲む。
「よく飲み干したね。えらいよ、佐吉」
 空になった湯呑を受け取りながら伊作は微笑む。「さ、団蔵、横に寝かせてやってくれないかい?」
「はい」
 佐吉の背を支えていた団蔵が、そっと横たえさせて布団をかける。
「よし、これで今日の処置は完了!」
 伊作が声を上げる。「あとは僕が付き添っているから、団蔵と乱太郎は部屋に戻って休んでいいよ」
「はい、伊作せんぱい」
「佐吉をおねがいします」
 ぺこりと頭を下げた二人が医務室を後にする。

 

 

「会計委員会が…活動停止?」
「だけど、もうすぐ予算会議だぜ?」
「委員会で出した予算要求はどうなるんだ?」
 翌朝、早くも広まった会計委員会活動停止の噂は、学園中で波紋を呼んでいた。
「よお、三木ヱ門」
 四年ろ組の教室に現れた滝夜叉丸が気取った足取りで近づくと、三木ヱ門の肩に手をまわしてしゃがみ込んだ。「会計委員会が活動停止になったんだってな…ということは、予算はアレだろ?」
 顔を近づけた滝夜叉丸がウインクする。
「なんだよ。アレって」
 ぶっきらぼうに三木ヱ門が応える。
「アレといえばアレだ」
 あけすけな言動にろ組の注目が集まるが、それをスポットライトを浴びたような恍惚感で捉えるのが滝夜叉丸である。さらに熱のこもった口調で続ける。「予算争奪フルオープン選手権の開催に決まっておるだろう」
 そうなればわが体育委員会の優位は揺るがない! と胸に手を当てて天井を仰ぐ。肩に回された腕を振りほどいた三木ヱ門が立ち上がる。
「まだなんにも決まってないのに勝手なことを言うな! さっさとい組の教室に帰りやがれ! じゃないとユリコをお見舞いするぞ!」
「おー、こわこわ」
 肩をすくめた滝夜叉丸がふたたび気取ったように廊下に向かう。そして教室の入り口でふと振り返ると「いずれにしても予算を決めにゃならんのだ。そのときは会計委員会も特別な立場ではなくなるということだ。勝負の場で会うことを楽しみにしているぞ。さらば!」
 芝居がかった口調で言い捨てるとひらりと身をひるがえして立ち去る。
「…なんだあれ?」
 唖然と見送っていた守一郎が三木ヱ門に顔を向ける。
「ほっとけ」
 文机の前に座りなおした三木ヱ門がぶすっと言う。「見てのとおり、気取りすぎて頭がおかしくなったヤツだ」
 言いながらも、三木ヱ門は動揺を抑えきれなかった。もっとも懸念していたことをあっさり口にされてしまったことに。

 

 

「…でもさあ、予算会議がなくなることがなんでそんなに問題なんだ?」
 放課後、用具倉庫の前で縄梯子の修補をしながら守一郎が首をかしげる。
「そりゃ大問題ですよ。だって、予算会議がなかったら、各委員会の予算を誰がどうやって決めるっていうんです?」
 しころの目立てをしていた作兵衛が強い口調で言う。
「ああ。そういや滝夜叉丸が『予算争奪フルオープン選手権』がどうのって言ってたな」
「戦か? それいいな」
 教室でのやり取りを思い出した守一郎の言葉に、留三郎が反応する。
「やめてくださいよ、留三郎先輩。それに、学園長先生がへんな思いつきでわけわかんない大会でもされたら…」
 作兵衛がうんざりした声を上げる。
「なに、冗談だ」
 ニヤリとした留三郎だったが、ふいに思案気な表情になる。「それにしても、いま会計委員会は何をやってるんだ? 活動停止って言われたからってホントに何もしてなかったら、マジで予算決める時に騒ぎになるぞ」
「そのことですが、昨日の夜から俺たちの部屋に三木ヱ門が帳簿を持ち込んでなにか計算してるんです」
 守一郎が説明する。「俺も手伝おうかって言ったんですが、ちょっと特殊だからいいって」
「てことは、三木ヱ門だけで何とかしようとしてるってことか…」
 顎に手を当てた留三郎がうなる。「そんなのムリに決まってんだろ」
「やっぱ、俺も手伝ったほうがよかったですか?」
 心配そうに守一郎が訊く。
「いや。お前だけの問題じゃない」
 留三郎が首を振る。「これは学園全体の問題だ」
「じゃ、どうするんですか?」
 作兵衛が気がかりそうに見上げる。
「…それを考えてる」

 

 

「はぁ…」
 まとまらない考えを持ちあぐねて思わずため息が漏れる。放課後、三木ヱ門は会計委員会室に向かっていた。帳簿を自室に引き上げて部屋は過去の帳簿が残されているだけの委員会室には後輩たちも来ないだろう。誰もいないところで少し考えをまとめたかった。このまま無為に予算会議までの時間を過ごしていては取り返しのつかないことになることだけは分かっていた。だが、何をすればいいのかが分からなかった。
「よお、三木ヱ門」
 唐突に声をかけられてはっとして振り返る。渡り廊下の腰板にもたれて留三郎と仙蔵が立っていた。
「なんでしょうか」
 固い声で答える。あまりいい話とは思えなかった。
「もうすぐ予算会議だが…どうするのだ?」
 腕を組んでいた仙蔵の放つ問いにびくりと肩が反応しそうになる。いま、最も触れられたくない話題だった。
「それは…」
「おおかた何も考えられないのだろう」
 ため息交じりに仙蔵が言う。「無理もない。会計委員会は活動停止を言い渡されているのだからな」
「だが、このまま予算が決まらなくて困るのは、皆おなじだろう」
 留三郎が口を開く。「会計委員会がなくて困るのは、俺たちも同じだ」
「それって…?」
 言わんとすることを捉えかねて三木ヱ門の視線が二人の間を漂う。
「つまり、会計委員会が予算会議を仕切るためにはちょっとした作戦が必要だってことだ」
 留三郎がニヤリとする。「ちょっと来てくれ」

 

 

「失礼します」
「入りなさい」
 半刻後、安藤の離れを三木ヱ門が訪れていた。
「どうしましたか。会計委員会は活動停止と言ったはずですよ」
 い組のテスト問題を作る手を止めた安藤は露骨に顔をしかめて言う。
「分かっています」
 機械的に三木ヱ門が応える。「でも、もうすぐ予算会議なのですが」
「予算会議? …ああ、そうでしたね」
 安藤が面倒そうに続ける。「今回は各委員会で決めさせればいいのではないのですか?」
「でも、それではたいへんなことになります。六年生の委員長がいない委員会や保健委員会は予算が取れなくなります」
「まあ、それはそうでしょうね」
 さすがに安藤もそこまでは否定しない。
「ですから、最後は各委員会にまかせるにしても、委員会ごとの目安になる予算額は示さないとまずいと思うのですが」
「目安ね…ふむ」
 筆尻を顎に当てながらしばし安藤が考え込む。「だが、今からではムリなのではないかね。各委員会の要求書をチェックして、過去の決算額とも突き合わせでもしないと目安とはいえ金額を示すことなどできないでしょう」
「私たちならできます」
 意外な台詞に思わず三木ヱ門を凝視する安藤だった。「できる? 今からですか?」
「はい」まっすぐ安藤を見つめながら三木ヱ門は応える。「つねづね潮江先輩からやり方を教えていただいていますので」
「やり方?」
「時間がなくて精査できないときは、前期や前年の予算額を参考に、新たに積んだり引いたりすれば、おおまかな目安の数字は作れます」
「それで間に合うのですか?」
「間に合います」
 大きく頷く三木ヱ門を胡散臭げに見る安藤だったが、すぐに何か思い至ったらしく、ついと顎を上げて言う。
「ああそうですか、ならそうしなさい」
 -何をしたって無駄だというのに…。
 各委員会が闘志をむき出しにして予算を奪いにかかる予算会議をなんとか回せていたのは、委員長の文次郎がいたからに過ぎない。三木ヱ門が目安とやらをいくら振りかざしても、そんなものが通用するとは思えなかった。
 であれば好きにさせればいい。それに、自分にはい組の試験問題作りというもっと大事な用件があるのだ。
「では、そうさせていただきます」
 頭を下げて立ち上がりかけた三木ヱ門に「待ちなさい」と声をかける。
「なんでしょうか」
「その目安額づくりに佐吉は入れないように。佐吉にはしっかり体調を戻してベストコンディションで試験にのぞんでもらわないといけませんからね」
「…はい」

 


 -佐吉は動員できない…か。当てにしてたんだけどな。
 渡り廊下を会計委員会室に向かって歩きながら三木ヱ門は考える。
 -だけど…。
 少し展望が開けた思いがして顔を上げる。
 -先輩たちの仰ってたとおりだ…。
 あのあと、仙蔵と留三郎から知恵をつけられた三木ヱ門だった。
「予算会議のことは俺たちにまかせておけ」
 そう言っていたずらっぽく笑う留三郎と澄ました笑いを浮かべる仙蔵だった。

 

 

「せ、先生! たいへんですっ!」
 ばたばたと離れの自室に駆け込んでくる団蔵と佐吉に、試験の採点をしていた安藤がとがった声を上げる。
「なにごとです、騒々しい。それに今は試験の採点中です。すぐに出ていきなさい」
「いやでも、予算会議がはじまっちゃって…」
「各委員会のせんぱいたぢが委員会室におしかけてたいへんなんですっ!」
 口角泡を飛ばす二人に、安藤が眉を寄せる。
「予算会議? 会計委員会は活動停止なのですよ。いったい誰が予算会議を主宰するというんです?」
 バカバカしいにも程がある、と小さく首を振って試験の採点に戻ろうとしたとき、べりっと音がして障子が破れたと思うとバレーボールが飛び込んできて安藤の顔を直撃する。
「「安藤先生!」」
 ボールが顔にめり込んだまま床に伸びた安藤の身体を団蔵と佐吉が起こそうとしたとき、
「なっはっは! すまんすまん、ちょっと手元がくるってな!」
 呵々と笑いながら入ってきたのは小平太である。
「な、なんですか七松君! ここは私の部屋…」
 言いかけた安藤が文机を持ち上げて盾にする。次の瞬間、ひゅっと風を切って飛んできた貸出カードが数枚文机に突き刺さる。
「な、なにごとですか今度は…!」
 こわごわと文机の陰から顔を出した安藤がただならぬ妖気を感じて青ざめる。
「へっへっへっへっ…」
 そこに立っていたのはこれ以上にないほど凶悪な笑顔で貸出カードを構えた長次である。まがまがしい笑い声のあとにぼそぼそと言う。
「予算は図書委員会がもらった…もそ」
「何を言いやがる! 俺たち用具委員会の貢献を考えれば予算全額用具がもらってもいいくらいだぜ!」
 鉄双節棍を構えた留三郎が躍り込む。
「勝手なことを言っては困るな」
 掌で焙烙火矢をもてあそびながら現れた仙蔵が涼しげに言う。
「学級委員長委員会を忘れてもらっては困りますね」
「そういうこと」
 指に鏢刀を挟んだ三郎と万力鎖をぶんぶん振り回す勘右衛門が背中合わせに縁側に立ってニヤリとした顔を向ける。
「冬の煙硝蔵での作業には甘酒が必需品ですので…必ず予算は頂戴します」
「飼育小屋の増築と動物たちのエサ代も、この際増額要求するぜ!」
 焙烙火矢を手にした平助と微塵を構えた八左エ門が部屋に乗り込む。
「き、君たち、私の部屋で何をしているんですかっ! こんな狼藉は許さん! いますぐここから出て行きなさいっ!」
 武器を構えた上級生たちがひしめいて異様な雰囲気が立ち込めた部屋に安藤の叫び声が響く。
「あれ? だって会計委員会の連中が来たってことは、予算会議はここでやるってことじゃないのか?」
 指先でバレーボールを回しながら小平太がしれっと言うと、「だろ?」と部屋の隅で身を寄せ合って震えている団蔵と佐吉に顔を向ける。
「何を言ってるんですかっ! 会計委員会は活動停止中ですっ! よって会計委員会が予算会議を開くこともないっ! 君たちが予算分捕り合戦をやるのは勝手だが…」
 よそでやりなさい、と言おうとした瞬間、キーンと耳につく音がしたかと思うと、安藤の顔すれすれに鏢刀が飛んで背後の壁に突き刺さる。
「先輩、いくらなんでも用具委員会で予算を独り占めはなしですよ」
 ふてぶてしく笑いながら三郎が次の鏢刀を構える。
「やれるもんならやってみろ」
 鉄双節棍を振り回しながら留三郎がふっと白い歯を見せる。「いくらでもはじき返してやるがな」
「独り占め反対っ!」
 言い終わらないうちに八左エ門が駆け出すと微塵を投げつける。
「おっと」
 ひょいと留三郎が身をかわしたので、微塵は思わぬ鏢刀の襲来に腰を抜かした安藤の身体にまともに当たって巻き付く。
「うわっ!」
 身体の自由を失って再び床に転がるのが合図のように全員が動き出す。
「へっへっへっへっ(図書の購入費が足りない。)」
 いつの間にか縄鏢に持ち替えていた長次がひょうと放つ。「おっと」
 身をひるがえした勘右衛門が万力鎖を投げつける。「でも、学園長命令で茶菓代の確保が先ですよ~ん」
「おもしれえ! 私も混ぜろ!」
 表情を輝かせた小平太が砲弾を取り出す。
「イケイケドンドーン! 砲弾アターック!」
 黒い鋼鉄の塊は恐ろしい速さで安藤に向かっていく。
「ひえっ!」
 慌てて身体を転がして避けたすぐ傍らの床板をドムと音を立てて砲弾が貫く。
「何が煙硝蔵で甘酒だ。そんなふざけた要求に焙烙火矢など持ち出すな」
 部屋の片隅では苛立ったように言い捨てた仙蔵が焙烙火矢を投げつける。と同時に、平助の手からも焙烙火矢が放たれる。「お言葉ですが、生首フィギュアだの化粧道具こそ予算のムダですよっ!」
 同時に放たれた焙烙火矢は部屋の中央でぶつかって爆発する。どかん、と爆音が轟いたと思うと爆風で襖や天井板が吹き飛ばされる。
「くっ、小癪な!」
 仙蔵が次の焙烙火矢に点火しようとしたとき、
「あれえ? 煙でなんにも見えないや」
 何やら手にした伊作がもうもうと立ち込める煙の中を手探りしながら足を進める。
「もう、みんなひどいよ。予算会議の場所が変わったのに教えてくれないなんて…うわっ!」
 何かにつまづいた伊作の身体が前にのめる。同時に手にしていたもっぱんが宙を舞って仙蔵が手にしていた口火に接触する。
「なんだ?」
 立ち込める煙のなかから突然現れた何かが手の上を通過してまた煙の中へと消えていく。何が起きたか分からず焙烙火矢を手にしたまま立ちすくむ仙蔵だったが、小さな爆発音がした次の瞬間、猛烈な刺激臭に思わず袖で口と鼻を覆う。
「お、おい伊作! なに持ち込みやがった!」
「げほげほ…おかしいなあ、誰がもっぱんに点火しちゃったんだい?」
「もっぱんだって?」
「あの保健委員会特製の?」
 煙の中から動転した声が方々で上がる。
「と、とにかくここは危険だ!」
「出口はどこだあ」
 せき込みながらてんでに出口を探す声に両手の自由が利かないまま身をよじらせていた安藤が叫ぶ。
「もうたくさんだっ! 三木ヱ門! 三木ヱ門を呼んできなさぁいっ!」
「お呼びでしょうか」
 煙の中から覆面でくぐもった声がする。その間にもようやく離れからはい出した上級生たちが風呂敷で立ち込める煙を払いにかかる。
「ああ、三木ヱ門、君、予算額の委員会ごとの目安を作るって言ってましたね。あれを持ってきなさい、今すぐ!」
「でも、会計委員会は活動停止中なので、私が目安額を示したとしても何の役にも立ちません」
 煙が徐々に薄れて姿を現した三木ヱ門が平たい声で言う。
「分かりました! 会計委員会の活動の再開を許可します! だからこの事態をなんとか収拾しなさいっ!」
 微塵を振りほどこうともがきながら安藤が悲痛な声を上げる。
「でも…」
「まだあるのですか!」
「私だけでは…潮江委員長がいないと、予算会議は成立しません」
「分かりました! 潮江君の出入り禁止も解きますから早く呼んできなさい! その前に…この微塵をなんとかしなさいっ!」

 


「…先輩」
「どうした」
 予算会議の終わった夜、委員会室に文次郎と三木ヱ門の姿があった。
「今日は…ありがとうございました」
「おう」
 三木ヱ門に呼ばれて安藤の離れに現れた文次郎は、騒いでいる一同を一喝して黙らせると、三木ヱ門の作成した目安額を各委員会に強引に配付して予算会議を終わらせたのだ。
「やっぱり…私には、先輩のようにはできません」
 委員会室に戻した各委員会の帳簿を整理しながら三木ヱ門は嘆息する。いろいろ動きはしたが、結局は仙蔵たちの入れ知恵と文次郎の貫禄で何とか予算会議を乗り切ることができたのだ。そこに自分はなにほどか関与できたのだろうか。
「…悪かった」
 ぼそりと呟く声に三木ヱ門が顔を上げる。
「え…」
「俺の短慮で佐吉があんなことにならなければ、三木ヱ門にこんな心配かけなくてすんだのにな」
 胡坐をかいて背中を向けながらぼそぼそと文次郎が言う。「お前がいなかったら、今日の予算会議はなかった…」
「助けていただいたんです。立花先輩や食満先輩に…」
「そうだろうな」
 ぼそりという声に三木ヱ門が振り返る。「分かってらしたんですか?」
「見りゃわかる」
 背を向けたまま文次郎は言う。「とんだ猿芝居だな…たいした意趣返しだ」
「食満先輩が仰ってました…会計委員会がなくて困るのは皆おなじだって」
「…そっか」
「これで…よかったでしょうか?」
 大きな背中に向かって端座した三木ヱ門が訊く。
「…」
 しばし沈黙が流れる。
 -!
 背を向けたまま唐突に腕が伸びてきて三木ヱ門の首をがっしと捉える。そして強引に前に引き寄せられる。
「あの…先輩」
 前に身体ごと投げ出されそうになって、慌てて文次郎の隣に手をつきながら三木ヱ門が訊きかける。だが文次郎は無言のまま三木ヱ門の頭を自分の胸に押し付ける。
 -先輩…。
 頬で文次郎の体温と鼓動を感じながら三木ヱ門も口を閉ざす。
 -これでよかったんだ…。

 

 

<FIN>

 

 

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