冬の狩人

 

ろ組上級生の髪ぼさぼさな三人に狩に行ってきてもらいました。ワイルドな印象の三人ですが、それなりに息の合った行動をしてくれそうです。狩のときは八左エ門がイニシアティブを取ってくれるといいな…というのが願望ですw

 

 

「困ったわあ…」
 頬に手を当てながら厨房を行き来する食堂のおばちゃんだった。
「おばちゃん、どうしたんですか?」
 食堂で使う薪を割りおわった五年生たちが厨房に顔をのぞかせる。どの顔も寒風にさらされて頬を赤く染めている。
「ああ、久々知くんたち…」
 振り返ったおばちゃんが作り笑いを見せる。「薪割りご苦労さま」
「いえ、そんなことは大したことじゃないですけど…なにかお困りなんですか」
 心ここにあらずといった態のおばちゃんに兵助が声をかける。
「え? いや、そんなあんたたちに心配かけることじゃないわよ…」
 弾かれたような表情でおばちゃんが言いかけたとき、
「おばちゃん! 生ごみ用の塹壕掘り終わりましたっ!」
 明るい声で勢いよく厨房に躍り込んできたのは小平太である。
「あら、七松くん。ありがとね」
 相変わらず呆然と佇んだまま声だけ上げるおばちゃんに、小平太は思い当たる節があるようである。
「まだ業者さんが来ないんですか?」
「そうなのよ、この雪で峠が越えられないらしくて…でも、このままでは食材が足りなくなってしまうわ」
 眉間に皺を刻むおばちゃんの懸念が、ようやく五年生たちにも伝わった。
「そういうことなら、僕たちが食材を調達してきます! ちょっとくらい重くても鍛錬ですから!」
 力強く言って足を踏み出す勘右衛門に皆が頷く。
「そう言ってくれるとうれしいわ…」
 ようやく表情が和らいだおばちゃんが言う。「でも、お米や味噌はこんなこともあろうかと大目に手配してあるの。野菜も畑に埋めてあるから当面不自由はないし。ただ、タンパク源が足りないのよ…」
「タンパク源、ですか?」
 きょとんとした表情で八左ヱ門が訊く。
「そう。つまりお肉とかお魚とか。こればかりは新鮮なものを仕入れないといけないんだけど、業者さんの納品が滞っているから困っているのよ。育ちざかりの忍たまたちには栄養バランスのとれた食事を出さないといけないのに…」
「つまり、足りないのは肉とかってわけですよね」
 大きく頷きながら小平太が言う。「だったら私たちで何とかします!」
 反射的かつ本能的に私「たち」という表現に危機を感じる五年生たちだったが、おばちゃんの手前、一目散に逃げるわけにもいかない。
「なんとかって…七松くん、こんなに雪が降っているのにどうするつもり?」
 格子窓からどんよりと曇った冬空に眼をやりながらおばちゃんは言う。また雪がちらほらと降り始めていた。
「なあに、山に行けば冬眠してない動物はいくらでもいます。そいつを捕まえればつなぎになります! とりあえず行ってきます! 八左ヱ門!」
「へ…は!?」
 唐突に呼びかけられて間の抜けた返事しかできなかった八左ヱ門だった。
「行くよな!」
 ばちん、と音のしそうなウインクを投げられては、すでに選択肢はないに等しい。
「は…はいぃぃ…」
 -がんばれ、八左ヱ門。
 -無事に帰って来いよ。
 同情に満ちた眼で軽く八左ヱ門の肩に手を載せながら仲間たちが立ち去っていく。
「そお? それなら助かるけど…」
 いくぶんほっとした表情になるおばちゃんを眼にしては腹をくくらざるを得ない。
「じゃ、火縄の用意をしてきます」
 言って倉庫に向かおうとしたとき、
「あの、先輩…」
 食堂のカウンターからいつの間にか守一郎が顔をのぞかせていた。
「あら、浜君。どうしたの?」
 おばちゃんが振り返る。
「俺も、ついて行っていいですか?」
 まっすぐ小平太を見つめながら守一郎は言う。
「ん? 別にかまわんぞ。じゃお前たち、準備をして校門前に集合だ!」
 あっさり頷くと小平太は駆け出してしまった。
「じゃ、気をつけて行って来てね…あ、そうだわ。お弁当におにぎり作ってあげるからちょっと待っててね」
 言いながらおばちゃんがいそいそと飯櫃に向かう。
「そ、そうだな…」
 厨房に取り残された八左ヱ門は、期待に眼を輝かせる守一郎に向き直る。「とりあえず、俺たちの外出届を出してくれないか。俺は出かける準備すっから」

 

 

「ジビエだどんど~ん!」
 雪がぱらつく中、蓑と笠、藁沓で完全防備姿となった小平太が上機嫌で歩き出す。
「先輩、ジビエってなんですか?」
 守一郎が八左ヱ門の耳元に口を寄せて訊く。
「ああ、ジビエってのは、狩でつかまえた野生の動物の肉のことだな」
 小声で答えながら、訊かずにはいられない。「で、お前さ、どうして俺たちと一緒に来ようなんて思ったんだ?」
「はい!」
 期待に満ちた眼で見上げながら守一郎は笑顔を見せる。「俺、まだ火薬や火縄のこと勉強し始めたばっかりなので、火縄を使って狩をするところ、一度は見たかったんです!」
「ああ、そういうことか…」
 それはそれで納得のいく答えだったので八左ヱ門は頷く。だが、言わずにはいられない。「でもさ、七松先輩の狩はそんな生易しいもんじゃねえぞ」
「そうなんですか?」
 弾かれたような表情で守一郎が見上げる。
 -やっぱ知らなかったか…。
 内心がっくりしながら八左ヱ門は曖昧に言う。「ま、いずれ分かると思うけどな…」

 

 

「兎の足跡だ!」
 守一郎が弾んだ声を上げる。
「よし、追いかけるぞ」
 火縄を担いだ八左ヱ門が新雪を踏み分けながら言う。最後尾をつまらなさそうに小平太がついて歩く。もっと大きい獲物でないとやる気が起きないのだ。
「あそこで休んだみたいですね」
 守一郎が指差す先には倒木があった。下は奥が雪の壁になっていて穴倉のように見えた。周囲には兎の足跡がいくつもあった。
「このあたりには兎がたくさんいそうですね」
「だな。この足跡はまだ新しい。そう遠くにはいないはずだ」
「はい」
 


「…いたぞ」
「はい」
 八左ヱ門の視線の先、せり上がった木の根の上にウサギがいた。こちらには気づいていないようである。
 ≪ウサギは耳がいいから、気付かれないようにやるぞ。≫
 いつの間にか矢羽音を飛ばしながら、八左ヱ門は手早く火縄に銃弾を込め、火皿に火薬を乗せると火蓋を閉じる。火縄を構えて狙いを定める。息詰まるような数秒を経て引き金にかけた指が動く。
「やった!」
 轟音がまだ峰に轟いている間に守一郎が飛び出す。首尾よく一羽目のウサギを仕留めることができた。
「すげぇ、さすが火縄だ…」
 ウサギといえば罠で捕まえるしかないと思っていた守一郎が駆け寄って耳を掴んで持ち上げる。
「つぎは守一郎、お前やってみろ」
 獲物を入れる袋にウサギを詰めている守一郎に八左ヱ門が声をかける。守一郎が眼を輝かせて振り返る。
「いいんですか!? 俺もやらせてもらえるんですか!?」
「何事も経験だろ?」
 腰に手を当てた八左ヱ門がにやりとする。「さ、さっきの倒木のとこ戻って次の足跡を追おうぜ」
「はい!」  

 

 

「なあ、そろそろウサギはいいんじゃないか?」
 小平太がうんざりしたような声を上げる。
「あ…そ、そうっすね、先輩」
 きまり悪そうな顔をした八左ヱ門と守一郎が首をすくめて顔を見合わせる。すでに袋におさめたウサギは10羽になっていた。次から次へと現れるウサギを追い、最初は当てられなかった守一郎も徐々に命中させられるようになってついウサギばかりにのめりこんでいた。
「たしかにウサギ汁はうまいけど、食えるところがあんまりないですからね…」
 照れくさそうに守一郎が頬を掻く。
「あつらえ向きに見ろよ。これ、鹿の足跡だ」
「よし、追おう。鹿はたいてい群れでいるから、うまくすれば何頭かまとめて仕留められるかもしれないぞ!」
 足跡を指差す八左ヱ門に、どこからか砲弾を取り出した小平太が興奮を抑えきれないように言う。 
「よ~し! 鹿の群れを見つけてイケイケドンドンで砲弾ぶちこむぞ!」

 

 

「う~ん、見失ったか…」
 断続的に強まる雪がいつの間にか足跡を消していた。砲弾を掌でもてあそびながら小平太がぶつくさ言う。
「あの、先輩…」
 寒そうに両手をこすり合わせながら歩いていた守一郎が小声で訊く。「七松先輩が持ってらっしゃるのは…?」
「あれは砲弾だ。本来は大筒でぶっ放すもんだが、七松先輩はあれを蹴りこんで熊を仕留めたことがある」
 いっそう声をひそめながら八左ヱ門が答える。
「あれを蹴りこんで…熊を?」
 まったく状況が想像できない守一郎が絶句する。
「ま、無理して理解しなくてもいい」
 呆然としたまま表情が固まっている守一郎に八左ヱ門はささやく。「あんなこと、七松先輩しかできないから…」
「おい、八左ヱ門」
 不意に足を止めた小平太に声をかけられて八左ヱ門がびくっとする。「は、はい…!」
「聞こえたか?」
「へ?」
「よく聞いてみろ」
「は、はい」
 促されるまま耳を澄ませた八左ヱ門の表情が明るくなる。
「あいつらだ!」
「え? でも、いまのってオオカミでは…?」
 並んで耳を澄ませていた守一郎がうろたえた声を上げる。オオカミは山の獣でもっとも恐れるべきものだったから。
「ああそうだ。八左ヱ門がよく狼煙用にフンをもらってる連中なんだよな?」
「あ、はい、そうですが…それにしても、どうしてこんなところにいるんだろ?」
 小平太の説明を受け流しながら首をひねる。
「なんかいろいろ分からないんですが…その、お知り合いのオオカミがいることの何が問題なんですか?」
 いろいろと事情がつかめない守一郎が最後に思いついた問いだけをようやく口にする。
「まあそう言わず見てろって」
 思うところあるように身を屈める小平太に、守一郎もつられてしゃがみこむ。
「ホーーーイ、ホイホイ!」
 傍らで立ちあがった八左ヱ門が口に手を当てて叫ぶ。答えるように遠くの峰から遠吠えがこだまする。
「どうだ、加勢してくれそうか」
「う~ん、ちょっと難しいようです。アイツらも別の鹿の群れを追ってるみたいです」
「そうか」
 ごく当たり前のように交わされる小平太と八左ヱ門の会話に、「ほええ」と守一郎がため息を漏らす。
「ん? どうした?」
 小平太が振り返る。
「いえ…その、お二人ともオオカミと話ができるみたいで…」
「ま、言わんとすることはだいたい分かるな」
 にやりと白い歯を見せる八左ヱ門に、またも「ほええ」と声を漏らすしかない守一郎だった。白い息が瞬く間に掻き消える。また峰々の梢を鳴らして雪交じりの風が谷底から吹き上げてきた。
「ホーーーーイ、ホーイ」
 風に抗うように両足を踏ん張った八左ヱ門がふたたび声を上げる。その声に反応したようにオオカミたちは次々と峰の向こうへと姿を消していく。
「まいったな。鹿の2~3頭も獲れれば少しは学園の飯の足しになるんだがな」
 その後ろ姿を見送りながら小平太が笠を持ち上げて前髪をがしがしと掻いたとき、「シッ!」と守一郎が鋭く唇の間から息を吐く。「あそこに鹿がいます…」
 守一郎の視線の先には、オオカミの群れに気がかりそうに顔を向けている鹿の群れがいた。
 ≪オオカミに気を取られてますね。やるなら今です。≫
 ≪だが、ちょっと遠い。それにこの雪がな…。≫
 矢羽音を飛ばしながら八左ヱ門が眼を細める。いつの間にか吹雪が白いカーテンになって鹿の群れを切れ切れに隠していた。
 ≪なら、私が風下から追い立てればいいだろう! 守一郎、来い!≫
 割って入った小平太が守一郎の手を掴んで渦巻く粉雪の中に躍り込む。
「せ、先輩…!?」
 思わず声を上げた八左ヱ門だったが、急速に激しさを増す風雪に腕で顔を覆う。顔面に叩きつける雪の勢いが収まるのを待って腕越しに顔を上げた時には、すでに二人の姿は消えていた。

 


「いやっほ~い!」
 腰までつかるような新雪の急斜面を小平太が駆け下りる。谷底から吹き上げてくる風雪と小平太自身が巻き上げる雪煙で、引きずられる守一郎の視界はホワイトアウト状態である。
「ま、まずいですって先輩! 雪崩になっちゃったら…うぐ!」
 もはや鹿の群れのことなど意識から飛んだ守一郎が叫ぶが、急に立ち止まった小平太の背に頭をぶつけた次の瞬間、足元の新雪のなかに顔を突っ込んで息が詰まる。
「このへんでいいだろう!」
 ちらと辺りを見回してひとりごちた小平太は、ついと振り返ると背後で頭から雪の中に突っ込んでいる守一郎の身体を引っ張り上げる。
「おい、どうした、守一郎?」
「どうしたって…ぶふっ…もうどうにもこうにも…」
 激しい風雪から掌で顔を護りながら、口の中に詰まった雪を吐き出した守一郎が絶え絶えに応える。
「ここから二手に分かれて鹿を追い上げるぞ」
 聞いているのかいないのか、腰に手を当てた小平太は斜面の上を見上げながら言う。吹き上げる風に雪まみれのぼさぼさ髪がばさばさと広がってその横顔を隠す。
「守一郎は斜面を左からまわりこんで、鹿の群れが来たらブロックしろ。私はこの斜面から一気に八左ヱ門のいる方へ鹿を追いこむ。いいな!」
「え、でも、この斜面…を?」
 守一郎がためらいがちに訊く。自分に示された斜面は木々の幹や枝を伝いながら慎重に進めばまだ登る余地があったが、小平太が行くとしているのは斜面というよりむしろ崖に近い。
「よぉし」
 渦巻く風雪に激しくなびく髪の間から覗いた横顔がにやりとする。ぱきぱきと指をならすと「いけいけどんど~ん!」の声とともに逆流する雪崩のように雪煙が斜面を駆けあがっていく。
「あ! せ、先輩!」
 守一郎が慌てて示された斜面に向けてそろそろと足を踏み出す。八左ヱ門の言うとおり、小平太の狩はハンパないと思いながら。

 

 

「なははは! 八左ヱ門、よくやった!」
 鹿を二頭軽々と担いだ小平太は上機嫌である。
「は、はあ…」
 鹿一頭だけでも、深い新雪の中を運搬するのに息が上がっている八左ヱ門である。雪は弱まり、雲の間から青空ものぞきはじめていた。次第に身体が汗ばんできたが、藁沓の中には雪が詰まって足首から先の感覚はすでになくなっている上に、詰まった雪そのものが重い足かせとなっていた。
「た、竹谷せんぱい…大丈夫ですか?」
 兎を詰めた獲物袋と火縄を担いだ守一郎が声をかける。
「ま、まあな」
 強がる八左ヱ門だったが、先頭を行く小平太の背が徐々に遠くなっていく。
 -それにしてもやっぱり七松先輩、規格外の体力だ…。
 手ぶらでも難渋するような深い新雪を、鹿二頭担ぎながら軽々とかき分けていくのだ。
「守一郎こそ大丈夫か? しんどくねえか?」
 息が上がりながらも自分を気遣う八左ヱ門にも守一郎は感嘆する。
 -竹谷先輩も、こんな状況で後輩の俺を気遣うなんて、やっぱ先輩ってすごいな…。俺、こんなふうになれるかな…。 

 

 

 

 

 

 

 


「よお、守一郎」
「先輩…お疲れさまです」
 冷え切った身体を湯に浸してようやく人心地がついたところに入ってきたのは八左ヱ門である。
「おほ~っ、やっぱフロはいいなあ…」
 手早く身体を洗った八左ヱ門が湯船に入るや気持ちよさそうに声を上げる。
「ですね…生き返るなあ…」
 湯船のへりに腕を載せた守一郎が陶然と言う。
「なあ、守一郎」
 並んで湯船のへりに腕を載せた八左ヱ門が声をかける。
「はい?」
「…実は、さっきのオオカミの話、俺ちょっとウソついてた」
「…へ?」
 一瞬、何の話か分からず訊きかえす守一郎だった。
「俺だってオオカミの遠吠え聞いたくらいで何が言いたいかなんて分かるわけがないさ。でもな」
 言いさして八左ヱ門は湯船のへりに置いた腕に顎をのせる。「アイツらに俺たちの方に来てもらいたくなかった。だからこっちに来るなって言ってやった。アイツらが山の向こう側に行ったのはそのせいだ」
「でも…どうしてですか?」
 訊いてから小平太がいたせいかな、と思った守一郎だったが、八左ヱ門の答えは違っていた。
「俺たちが火縄を持っていたからさ」
「火縄を、ですか?」
 眼をぱちくりさせた守一郎が、腕に顎をのせてぼんやりと視線をさまよわせる八左ヱ門の横顔を見つめる。
「ああ。アイツらは俺を知っている。だから、呼べばきっと来てくれる。でも、それで俺が持っていた火縄に警戒心を持たなくなったらダメだと思ったんだ」
「そう…なんですか」
 やっぱり先輩はオオカミと話ができるんだ、と思った守一郎は、不意に怖気を振るって八左ヱ門から少しだけ身体をずらした。 
「だってさ、フツー、猟師はオオカミ見れば火縄をぶっ放すだろ? それなのに、俺のせいでアイツらが火縄への警戒心をなくしたら、取り返しがつかないことになる」
「でも…オオカミですよ?」
 あの峰に響く遠吠えを聞いただけでも震えあがるような恐怖を覚えた。あたたかい湯の中にいても背筋に冷たいものが走ったように感じてぶるっと身を震わせる守一郎だった。 
「まあ、フツーそうだろうな。でも、俺にとっては違うんだ」
 いつになく張りを失った声になる八左ヱ門だった。「オオカミの群れってのは、よく観察してるといろいろ学ぶところがあるっていうか、俺なんかまだまだだなって思わされるっていうかさ…」

 

 

「…そうですか」
 ぐるりと身体を返して湯船の縁に寄りかかるついでに、また少し八左ヱ門に身体を寄せた守一郎が、一面に立ち込める湯気に視線を泳がせる。「俺、ちょっと違うふうに考えてました」
「違う?」
 腕に顎をのせたまま八左ヱ門が視線を向ける。
「はい…」
 少し考えるように言葉を切った守一郎がふたたび口を開いた。「俺、ひいじいちゃんから、オオカミは人を喰らうこともあるから、オオカミの声が聞こえたときには火を目立つように焚いて、絶対にホドホド城から出るなって言われてたんです。オオカミは火を怖がるからって…」
「…だな」
 それも事実だと思いながら八左ヱ門が頷く。
「だから、さっきオオカミの声を聞いたときもキ○タマが縮み上がるほど怖かったんです…でも、先輩の持っていた火縄を見てちょっと考えが変わったんです」
「…」
 黙って八左ヱ門は続きを促す。
「火縄ならオオカミにだって勝てる。いや、勝てない動物なんてない。俺、まだ火縄のことは勉強し始めたばっかりだけど、こんなすごい武器を持った人間って動物からしたらどれだけ怖いんだろうなって思ったんです…」
「…だな」
「昔は人と動物はもっと互角だったけど、今はもう違うんだ、だから近づいちゃダメだって教えられたのかなって…」
 谷筋から吹き上げる激しい風雪に抗うように声を上げる八左ヱ門と、立ち去るオオカミたちを見送る寂しげな横顔を思い出しながら守一郎は訥々と説明する。
「そっか」
 ぽつりとつぶやいた八左ヱ門だったが、次の瞬間、にやりとした顔を向けると腕を伸ばして守一郎の頭をがしがしと撫でる。
「分かってるじゃねーか、守一郎」
「あ、ハイ、その…」
 撫でられながら照れくさそうに顔を伏せる守一郎だった。「先輩の、おかげです」

 


<FIN>

 

 

 

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