Over your sunshine smile

 久々知サイドからも書いてみました。

 久々知は、年より考え深くて、その分だけ大人っぽく見える少年という設定です。

 彼の芯にあるものは、勁(つよ)さなのか、脆さなのか…

 きっと、両方を併せ持つところが、この少年の魅力なのかもしれません。

 

 

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「兵助」
 教室で本を読んでいると、八左ヱ門の声が聞こえた。
「なんだ?」
 振り返ると、教室の入り口から、いつもの明るい笑顔がのぞいている。
「そんなシケた顔で本なんか読んでないでさ、外行こうぜ」
「あ、ああ…」
 八左ヱ門はいつもこうだ。あの笑顔で外に行こうと誘って、僕の勉強をジャマする。
 だけど、いつも僕は、八左ヱ門を、あの笑顔を待っている。

 


「キャッチボールでもやろうぜ」
 言いながらグローブを投げてくるのも、いつものことだ。
「いくぞ。ほれ」
 いつからそんなルールになったのか憶えてないけど、僕たちのキャッチボールは、だんだん忍者の修行になってしまう。相手の投げたボールは必ずキャッチする。ルールはそれだけで、あとはどこに投げようが、どんな投げ方をしようが自由だ。相手のいる方向と逆方向に投げるくらいはお約束の部類に入る。
 木立の中に隠れていた僕は、あえて気配を消すのをやめた。八左ヱ門は、きっと僕の気配を察して、ぜんぜん関係ない方向にボールを投げるだろう。だけど、木立のなかでは、ボールを投げられる方向など限られている。簡単なことだ。
 案の定、八左ヱ門は、思った方向にボールを投げる。だからすぐさま下藪の中を移動して、ぎりぎりのところで飛び出してボールをキャッチする。
 -さて、どっちに投げてやるかな。
 着地した僕は、ふと足元にある小さな土くれの山に気づいた。
「なあ、八左ヱ門。こんなところに墓があるぞ」
 確かにそれは、なにかの墓のようだった。土くれに立てられた棒になんか書いてあるようだったが、わざわざしゃがんで見るのも面倒だったので、僕はそこに突っ立って、八左ヱ門がやってくるのを待った。
「ああ、それか?」
 こちらに向かいながら、墓に眼をやった八左ヱ門の表情が曇る。
「それは、一年は組の団蔵が飼ってた鳩の墓だ」
「鳩?」
「ああ。アイツの家は馬借で、家との連絡用に鳩を飼ってるらしい。そのなかの一羽が死んで、団蔵が落ち込んでるって、委員会のときに虎若と三治郎が言ってたから、みんなで墓を作ってやったんだ」
「みんなでって、お前もか?」
「ああ、そうさ」
「ふうん」
 -みんなで、ね…。
 僕には分からないことだらけだった。なんで会計委員の団蔵が飼ってた鳩の墓を生物委員が作らなければならないのかも、たかだかこんな小さい墓を作るためだけになんで生物委員が総出になるのかも、そもそも鳩が死んだくらいで墓など作る必要があるのかも。伝書鳩なら、通信中にタカなどに襲われて死ぬことだってあるだろうに、そんなことでいちいち墓を作るのだろうか。
「どうかしたか」
「いや、べつに」
 だけど、聞かれてしまったらしい。僕が、墓なんているのかな、と呟いたのが。八左ヱ門は、不意にきっとなって言った。
「手元で飼ってた生き物が死んだんだ。墓ぐらい作ってやるのが当たりまえだろ?」

 


 僕は、八左ヱ門がいきなり怒り出したことに驚いたのではない。当たりまえ、という言葉に、心底驚いたんだ。僕にはそういう発想がなかったから。
 野に生きる生物は、死んだからといって誰も墓など作らない。人の手元で育てる生き物は、人は自由を奪う代わりに死ねば墓を作る。僕には、そんなの偽善的な代償行為にしか思えない。
 だけど、八左ヱ門が、そんな偽善的なことをするようなヤツではないことも、僕は知っている。八左ヱ門は、本当に生き物を愛している。死ねば墓を作るというのも、本当にその死を悼んでいるから、それだけ愛情を注いでいるからこそなのだ。だから、当たりまえ、という言葉が出てくるのだ。
 きっと八左ヱ門は、情に厚いヤツなのだろう。いや、そんなことはずっと前から分かっていた。今日、改めて気づかされただけだ。

 


 八左ヱ門と僕は、いろいろな面で違うけど、一番の大きな違いは、きっと感情の量なんだと思う。八左ヱ門はネアカでいつも笑っているけど、怒りや悲しみや悔しさも、すぐに表情に出るし声にも現れる。傍から見ていて本当に分かりやすいヤツだ。感情が表れやすいのは、忍としてどうかと思うくらいだ。
 ずっと前から、忍として生きることを決めたときから、僕は感情を殺して生きていくことにしていた。もともと感情の起伏は少なかったから、それはたいした努力も要らないことだった。
 忍として生きるのに、余計な感情は無用だ。むしろ、害悪ですらある。

 


 でもそれは、都合のいい言い訳なのかもしれない。忍として生きることを決める前から、僕は感情を隠すことに慣れていた。どうしてなのかはよく分からないけど、自分が何を考えているかを知られることに、本能的な懼れを感じていた。
 なぜ、何を守ろうとしているのか。舌が痛い虫歯をついまさぐってしまうように、僕はその懼れの正体を探ろうとしては手を引っ込めることを繰り返していた。僕はいつも合理的に物事を考えるようにしているけど、そこだけは何かひどく非合理的でなまなましい感覚が残されたままだった。
 だからこそ、忍として感情を殺して生きていくことは、自分の中に巣食う非合理を断ち切るいい機会であり、望ましいことであるはずだった。
 それなのに、何かに、迷っている。何かを、恐れている。

 

 

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