毒と美

ペットの毒虫たちに対するエキセントリックな愛情を惜しまない孫兵は、実は人間に対してはひどく客観的な視線を持った少年なのかもしれない…と勝手に設定して書いてしまいました。

そんな孫兵を、理解はできないまでも、温かく見守る八左ヱ門が好きです(え?)

 

 

「孫兵~、どこだぁ」
「伊賀崎せんぱ~い」
 生物委員会の竹谷八左ヱ門や一年生の後輩たちが呼んでいる。それでも、孫兵は黙りこくって、目の前のせわしない営みを凝視していた。
 -他の連中に見つかったら、危ないからな。
 そう孫兵が考えるのもムリはなかった。孫兵が先ほどから観察しているのは、蜂の巣である。すでに十数匹の蜂が、孫兵の顔や体の上を動き回っていた。それでも、こうしてじっと座っているぶんには、蜂も攻撃はしない。難しいのは巣に近づくときと、離れるときである。蜂たちを驚かさないように、そっと移動しなければならない。そうでなければ、驚いた蜂たちの総攻撃を受けてしまう。同じように、突然声など上げて返事をすれば、蜂たちを刺激してしまうことは間違いない。
 それでも孫兵は、しきりに巣を出入りしたり、その上を動き回ったりする蜂たちに眼を奪われ続けていた。
 -誰が、どんな役割で動いているんだろう。
 一匹として同じ動きをしている者がいない、好き勝手に動き回っているように見えて、巣を出入りする蜂たちは衝突することもなく、見えない秩序に従っているようにも見える。一匹一匹を導く秩序のありかをどうすれば見出すことができるのだろう…そう考えれば考えるほど、孫兵は蜂たちから眼が離せなくなる。

 


「う…伊賀崎先輩、見っけ…」
 うずくまる孫兵の姿を最初に発見したのは、虎若だった。なにを観察しているかを見て取るや、口を押さえながらつま先立ちでその場を後にする。 
 -げ、伊賀崎先輩、蜂だらけになってる…。
 巣からじゅうぶん離れたところまでその体勢で移動した虎若は、口から手を放して大きく息をつくと、八左ヱ門に知らせるべく走り出した。

 


 -虎若に、見つかっちゃったか…。
 慌てて駆け出す虎若の姿を視界の端に認めて、小さくため息をつく。空気の流れの変化を感じ取った蜂たちが、一斉に羽を震わせる。
 -ごめんごめん。
 ふたたび、気配を消すときの呼吸に戻りながら、孫兵は蜂たちに目を戻す。
 すでに、蜂たちは孫兵の存在に違和感を覚えていないらしい。孫兵の身体に残っている蜂はほんの数匹だけになっていた。一時は何十匹もいたはずの蜂たちは、どこに行ったのだろうか。巣の表面を動き回る蜂たちの数は、増えたようにも減ったようにも見えない。
 -やっぱりすごい。カンペキな秩序だ…。
 つくづく蜂たちの動きが愛しくて、そう思わずにはいられない。神経毒を発する針をしまいこみ、ふさふさの襟巻きのような毛をまとった蜂たちは、もろい細工物のように儚く、美しい。
 -こんなに可愛い蜂たちを、なぜみんな怖がるのだろう…。
 孫兵に理解できないことのひとつだった。
 -おどかさないようにそっと観察していれば、こんなにおとなしくてきれいなのに…。

 


 ジュンコだってそうだ。冬には冬眠してしまうし、脱皮の時期は情緒不安定になって姿を消してしまうこともあるけど、いつものジュンコはほんとうに穏やかで、自分を信頼しきっている。
 毒をもつ生き物は、健気で美しい。みな、身を守るために毒をもち、その毒をアピールするために精一杯身を飾る。ほんとうは小さくて弱い自分をあえて際立たせることで守ろうとする逆接の美。
 だから彼らは、決して他者を屠るために毒を使うことはない。そんなことをするのは、人間だけである。
 -でもきっと、そんなふうに考えるのは、俺だけだ。竹谷先輩だって、生き物は可愛がっているけど、毒虫たちにはあまり関心がないみたいだし…。
 少なくとも、毒虫たちのもつ美しさに目を奪われるということは、八左ヱ門にもない。
 生き物を愛するのは、五年生の八左ヱ門も同じである。違うのは、生き物たちとの同化にはしりがちな自分と違って、八左ヱ門は人間としての立場から、客観的に生き物たちと接していることだった。
 -生き物たちに対する態度として正しいのは、竹谷先輩のほうなんだろうな。
 人間に対しては怜悧な観察者である孫兵は、そう考える。
 -そういえば、今日は菜園の手入れだったな。
 頬を伝っている蜂の進路にそっと指を近づける。指に乗り移った蜂は、指先まで進むと、羽を震わせて飛び立っていった。その姿を微笑みながら見送ると、孫兵は蜂たちを驚かさないように、静かに巣から離れた。

 


 菜園の手入れが終わりかけた頃、八左ヱ門が一年生たちに声をかける。
「よし。ここはあとは俺と孫兵でやっておくから、お前たちは小動物たちにエサをやってきてくれ」
「「はーい」」
 汗を拭いながら、わらわらと飼育小屋へと走っていく一年生たちを見送った八左ヱ門は、ふたたび鍬を振る。だが、孫兵には、八左ヱ門が何のために一年生たちを先に出したのか、見当がついていた。
「なあ、孫兵」
 えいっ、と鍬を振り下ろしながら、世間話でもするように何気ない口調で、八左ヱ門は声をかける。
「…はい」
「お前の飼っているペット、少し何とかならないか」
 その話とは分かっていたが、あまりに単刀直入な問いに、孫兵は答えを探しあぐねる。
「…いやさ、この前の予算会議のとき、言われたろ? 個人的なペットに関するエサ代は認めないって」
 孫兵の沈黙を抗議と受け取ったらしい。八左ヱ門は言いにくそうに説明する。
「…孫兵が毒虫どもを可愛がりたい気持ちはわかる。俺だって、いったん飼った生き物は、最後まで面倒を見るべきだと思う。でも、たしかにちょっと多いな…」
「…そうですか」
 不思議なほど冷静に、孫兵は八左ヱ門の言葉を受け止めていた。いつもならペットの生死に関わることとなると、自分でも止められないほど感情的になってしまうのに、いま、ペットの数を減らせという話を、孫兵はごく冷静に受け止めていた。
 -きっと、竹谷先輩も苦しいんだ。
 そう思った。
 どう孫兵に切り出すか。衝撃のあまりパニック状態になったらどうするか。あくまでペットの削減を拒否したら…いろいろなことを考えて、八左ヱ門は迷っていたに違いない。それでも、生物委員長代理として言うべきことは言わなければならない。孫兵には、八左ヱ門の苦衷がありありと感じられた。
 -竹谷先輩が、わるいんじゃない。
 もちろん、予算削減を申し渡した予算委員が悪いわけでもない。そもそも、学園でこれほど多くの毒虫たちを飼育することには、決して多くのコンセンサスが得られているわけではなかった。ただ、孫兵の溺愛ぶりに、なんとなく黙認しているだけに過ぎない。
「どうした? 孫兵?」
 鍬を置いた八左ヱ門が、いぶかしげに振り向く。
「…わかりました」
 低い声で、孫兵は答える。
「え?」
 八左ヱ門が聞き返す。
「明日、毒虫たちを逃がしてきます」
「…いいのかよ」
「…はい」
「俺も、行こうか?」
「刺されますよ」
「それなら、孫兵だって同じだろう」
「僕は、大丈夫ですから」
「…そうか」
 一人で毒虫たちとの別れを惜しみたいのだろう、と八左ヱ門は思った。

 


 -ずいぶんたくさんいたんだな。
 翌日、小動物たちにエサをやりながら、八左ヱ門はがらんとした飼育小屋の棚に眼をやった。
 朝から、孫兵は毒虫たちをそれぞれ見つけた場所に放しに行っていた。孫兵の虫たちの壷やかごがなくなった棚は、思ったよりも空白が多かった。
 -まあ、一年生たちは喜ぶだろうけどな。
 エサをやる手間が減ったうえに、一年生たちは毒虫たちを恐がっていた。
 -孫兵は寂しがるだろうが、少しすれば慣れるだろう。
 エサをやり終えた八左ヱ門は、ため息をついて飼育小屋を出る。
「先輩」
 そこには、両手に虫たちの入っていたかごを手にした孫兵が立っていた。
「おう」
 不本意なことをさせてしまった罪悪感から、視線を伏せていた八左ヱ門だったが、孫兵の晴れやかな声に顔を上げる。
「だいじょうぶか、孫兵」
「はい、先輩」
 ふと、手にしているかごの中に動いているものを認めた。
「孫兵、何を持っているんだ?」
「はい! ガマガエルとヤマカガシです! 虫たちを放した帰りに、このヤマカガシがガマガエルを食べようとしていたので、話し合って解決するように諭した結果、2人とも僕が世話することになったんです!」
 -はあ?
 話の内容についていきかねた八左ヱ門は、頭がくらくらしてきた。その間にも、孫兵はうきうきとガマガエルとヤマカガシに話しかけながら飼育小屋の中に入っていく。
「ここが君たちの新しいお家だよ。じきに君たちにも名前をつけてあげるからね。楽しみにしているんだよ」
 その背中を力なく見やりながら、八左ヱ門はがっくりと呟く。
「…俺、次の予算会議、出たくないぞ…」

 

 

<FIN>