Das Spiegelbild

46巻の雑渡昆奈門と忍術学園5,6年の勝負にインスパイアされて書いてしまいました。

あの三郎の啖呵には、なにかが滾らずにはいられませんよね?(←同意を求めるな)

 

Das Spiegelbild(鏡像)は、19世紀のドイツの詩人アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフの作品の中で、私が好きな詩のタイトルをそのままいただいてしまいました。

原作の詩は、深遠かつ幻想的な、鏡に映る自分でない自分を内省的につづったものですが、鏡に映したような双忍な二人には、よく似ているけどでも違う、個性の違いを描いてみようと試みつつ、筆力及ばず力尽きたかもしれません(ヲイ

 

1  

 

 

「こやつが不破雷蔵という忍か」
「は」
「斬り捨てよ」
「首級は」
「たかが忍だ。誰が褒美などつかわすものか。欲しければくれてやる」
 侍大将の言葉に、居並ぶ武士たちが失笑を漏らす。
「では」
 足軽が刀を振り上げる。

 


「待て!」
 雷蔵は叫ぶ。
「彼は僕じゃない、鉢屋三郎だ。不破雷蔵はこの僕だ…!」
 声を限りに叫んだ。だが、だれも気付かないようである。侍大将の前に、後ろ手に縛り上げられて引き据えられた三郎さえも。
「三郎! なんで否定しないんだ! 自分は鉢屋三郎だといいさえすれば、こんなことには…」
 足軽が振り上げた刃が振り下ろされる。と、軽く振り向いた三郎が、小さく笑う。
「これでいいんだ。あばよ、雷蔵…」

 


 -三郎!
 乾ききった喉で、なおも呼びかけようとする自分のあえぎ声に眼が覚める。がばと身を起こす。
 -夢…か。
 まだ激しい鼓動がとどろいている。夜着が汗でぐっしょりと濡れている。
「ん…どした~、雷蔵?」
 隣の布団で寝ていた三郎が、眠そうに声をかける。寝ぼけているのか、ネジの緩みきった声である。
 -起こしてしまったか…。
「いや…なんでもないよ」
「…そっか」
 三郎は雷蔵に背を向けると、また寝息をたてはじめる。
 -どうして、こんな夢を見るんだろう…。
 ここ最近、こんな夢にうなされては起きることが続いていた。いつも、雷蔵の姿をした三郎が、自分の身代わりになる夢だった。
 -どうしてこんな夢を見るんだろう…。
 だが、その原因にも心当たりがあった。

 


「あーあ。今日もダメだったなぁ…」
 忍たま長屋の自室で、文机に突っ伏しながら雷蔵はぼやいた。
「そんなに気にすんなって」
 壁にもたれて本を読みながら、三郎が淡々と言う。
「でもさ、やっぱり今日の演習でも、迷い癖が出ちゃって、忍としては致命傷だって先生にも言われてさ。もう何回同じこと言われてるんだろ」
「直そうと思って直せるものじゃないんだろ? 仕方ないよ」
「そりゃそうだけど…」
 直せるものなら、雷蔵ならとっくに直してるだろ、と言いかけて、三郎は言葉を呑みこんだ。そんなことを言ったら、今の雷蔵は、自分が忍に向かないと解釈してしまいそうだったから。
 だから、三年の後輩の話を持ち出すことにした。
「三年生の神崎みたいな決断力バカでもいいのか?」 
「迷って動けずにいるよりはいいと思うよ。三十六計逃げるに如かず、だろ?」
「そうとも言うな」
「あのタソガレドキ忍軍の組頭を相手にしたときだってそうだったし…」
「アイツか…」
 三郎の声が険を帯びる。その気配に、突っ伏していた頭を上げた雷蔵が、頬杖をついて三郎に眼を向ける。
「あのホータイ野郎だけは許せないな…迷ってる雷蔵をボコりやがって」
 余計な感情に火をつけてしまったようである。雷蔵が慌てて付け加える。
「いや、あれは、僕が迷っていたのが悪かったんだよ。実戦じゃ、誰だってああするさ」
「だけど!」
 三郎の拳が床板に振り下ろされる。
「私は、雷蔵がボコられるところなんか、見たくないんだよ」
「気持ちはうれしいけど…」
 当惑したように、雷蔵が言葉を途切らせる。
「ん?」
「僕がやられた後の三郎、冷静さを失っていた」
 今まで言おうと思って言えずにいたことだったが、あえて言ってみようと雷蔵は考える。
「冷静になれるわけないだろ」
「でも、忍は、いつでも冷静な状況判断をしなければならないって言ってるのは、三郎だろ?」
「まあ、そうだけど」
「僕は、あのときの三郎を見ていてちょっと怖かったんだ。冷静さをなくした三郎はけっこう無防備で、敵につけこまれるスキを与えていた」
「ボコられた直後に、よくそんなに冷静に観察できるな」
「そうだね」
 そうだった。自分でも不思議なほど客観的に、冷静さをなくした三郎の様子を観察していた。
「でも、それが危険なことくらい、分かってるだろ?」
「まあな」
「だから、僕のことで逆上したりしないでほしいんだ。三郎はいつも冷静で、なにがあっても淡々と行動していてほしいんだ。それなら、僕も安心して見ていられるから」
「見くびってもらっちゃ困るな、雷蔵」
 台詞は挑戦的だが、声も表情もまったく変わることなく三郎は言う。
「…どんなときだって、この鉢屋三郎が無防備になることなんてありえない。だから、雷蔵が心配する必要なんて、ぜんぜんないさ。それに」
「それに?」
「私はいつだって冷静さ。だから、いつだって雷蔵を守ってやれてるんじゃないか」

 


 そうだ。あのときの、三郎の言葉が気にかかっていたのだ。いつだって守ってやるさ…その言葉はうれしかったが、危うさを同時に感じたのも事実だった。
 いずれ、自分が忍となって危険な任務についたとき、自分を助けるために、自分に成りすまして敵陣に身を投じてしまいそうで、そして、自分の身代わりに、平然と命を捨ててしまいそうで。
 -そんなことは、耐えられない。三郎は、いつでも僕のペースメーカーでいて欲しいから、いつも一歩先を歩いて、僕がついていく背中を見せていて欲しいから。
 その不安の裏返しなのかもしれなかった。あの夢は。

 


「忍というものは、多芸多趣味でなければならないというのは、皆さんはすでに習っていることと思います…」
 細く震える声が聞こえるが、声の主の姿は見えない。
「特に和歌の心得は、風流に取り入るほかに、連歌師として敵地に潜入するときに必要不可欠といえるでしょう…そこで、今日は西行法師の和歌についてお話します…」
 これでも、今日はずいぶんと順調に授業が進行しているほうである。
「言うまでもなく、西行法師は、新古今和歌集にその歌をもっとも多く採られている歌人であり…」
 声の主は、松千代万である。極端な恥ずかしがり屋の松千代にとって、生徒たちの視線に身をさらすことは、到底堪えられることではない。そこで、松千代の授業を受けることになった五年ろ組では、黒板の前に松千代が隠れられるように机を積み上げておいたのだ。おかげで、松千代は姿を現さずに授業を進めることができた。
「西行法師は、たいへん多くの桜の歌を残しています。つまり、桜についてなにか和歌の素養を示す必要があるときには、西行法師の歌を踏んでさらりと詠み流すことができれば、かなりの確率で相手の歓心を得ることができるといえるでしょう…」
「んなこと、私たちにできるのかな」
 雷蔵に身を寄せた三郎が、耳元でそっとささやく。
「覚えるだけでも精一杯だよね」
 雷蔵もささやき返す。
「だよな」
 つぶやきながら三郎が雷蔵から離れたとき、松千代の読み上げた歌に、雷蔵は凍りついた。
「春風の花をちらすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり…これなどは、西行法師の桜に寄せる思いを歌ったものとして、有名な歌のひとつです…」
 -覚めても胸のさわぐなりけり…。
 あばよ、と笑いかける三郎の顔が過ぎった。目覚めたときの動悸がよみがえる。
 -花をちらすと見る夢は…。
 足軽が振り上げた刀がぎらりと光る。
 -やめてくれ! 彼は三郎だ、雷蔵は僕だ!
「おい、どうした、雷蔵」
 気がつくと、頭を抱えている自分がいた。傍らの三郎が覗き込んでいる。

 


「なあ、雷蔵」
「なんだい」
「やっぱりお前、ちょっと様子がおかしいぞ」
 松千代が逃げるように去ったあとの教室で、三郎は気がかりそうに雷蔵に声をかける。
「そうかな」
 何でもないふうに答えたつもりだったが、内心の動揺を隠せたかは自信がなかった。
「そうさ。授業中にぼうっとしたりいきなり頭を抱えるなんて、雷蔵らしくないぞ」
「…三郎」
 -もうだめだ。言ってしまおう。
 ここ数日、考え続けていたことを、思い切って言ってしまおうと思った。
「なんだい」
 いつになくこわばった声の雷蔵に、三郎は眉を上げる。
「もう、僕の顔に変装するのは、やめてくれないか」
 -え?
 意外な台詞に、三郎の中で言葉が意味を成すのに時間がかかった。
「どういう…こと?」
 聞き返すのがやっとだった。
「言ったろ? 僕の顔に変装するのは、やめてほしいんだ」
「…どうして」
「そんなの、説明しなきゃならない義理はないだろ。とにかく、いやなんだ」
 じゃ、と背を向けて、雷蔵は歩き去る。その肩を捉えようとしておろおろと片腕をあげたままの三郎が、取り残される。
「ちょっと…待てよ…」

 


 -ごめん、三郎…。
 雷蔵が逃げこんだのは、図書室の奥にある書庫だった。
 -なんだって、あんなに冷たい言い方をしちゃったんだろう…。
 書棚に背を凭れ掛けて、ため息をつく。
 ただ、三郎には、自分に変装するのをやめて欲しかっただけだった。少なくとも、あの夢のように自分の身代わりになってしまいそうな三郎を思ってしまう間は。
 それだけのことなのに、三郎に変装禁止を申し渡す自分の口調は、自分でもひやりとするほど冷たかった。
 -三郎、傷ついているかな…。
 迷い癖のある自分にしては、早く決断できた台詞だった。だが、言ってしまったことについてこれだけ後悔するということは、もっと慎重に考えるべき言葉だったのかもしれない。
 -その夢だって、僕が勝手に見た夢なのに…。
 三郎にはまったく関わりのない独り相撲で、三郎を傷つけてしまっている。頭を抱えた雷蔵は、書棚を背にしたまま、よろよろと座り込む。

 


「…で!」
 憤懣やるかたないといった表情で竹谷八左ヱ門が歯ぎしりをする。
「なんで俺なんだよ!」
 翌日から、三郎は八左ヱ門の顔を拝借するようになっていた。
「いいじゃん、同級生のよしみだし」
「いいわけねぇだろ!」
「固いこと言うなって。雷蔵はそんなに怒ったことなんてないぜ」
「だから! なんでいままで雷蔵だったのが、俺の顔になるんだよ!」
「ま、気にすんなって」
「気にする! 理由を説明しろ! いやその前に、今すぐ俺の顔に変装するのやめろ!」
「そんなこと言うなって…ちょっと困ってるんだからさ」
 いつもなら混ぜっ返したりのらりくらりとやりすごす三郎が、不意にぽつりと呟く。
「え?」
 振り上げていた拳をゆるゆると下ろしながら、八左ヱ門が眼を丸くする。
「雷蔵と、なにかあったのか?」
「ああ、あった…というか、私にもよく分からないんだけどね」
「どういうことだよ」
「雷蔵に、言われたんだ。もう雷蔵の顔を使うなって」
「なにかやったんじゃないのか? 雷蔵の顔で」
「それが、心当たりがないんだ…最近は」
「最近はってなぁ…三郎はいつも雷蔵の顔を借りてるから、無意識のうちになにかやらかしたってことはないのかよ」
「それも考えたんだが…どうしても思いつく節がないんだ。どうして、雷蔵はいきなり顔を使うな、なんて言い出したんだろう」
「そう言われてもなあ…」
「だからさ、雷蔵が許してくれるまでの間だけでいいから、お前の顔、貸してくれよ、頼む」
 三郎に手を合わされて、引き気味の八左ヱ門もため息をつく。
「そういうことならしょうがないけど…でも、やっぱり落ち着かないんだよなあ。俺と同じ顔をした他人が目の前にいるのって」

 


 -ったく、参ったよな。
 三郎が立ち去ったあと、ひとり残った教室で腕組みをしながら、八左ヱ門は考える。
 -とにかく、雷蔵がまた三郎の変装を許せばいいわけなんだろ? そのためには、まず、なんで変装するななんて言い出したのかを聞くしかないな…よし!
 すっくと立ち上がると、図書室に向かう。
「雷蔵、いるか」
 がらりと図書室の襖を開きながら、八左ヱ門は声をかける。
「あ…竹谷先輩」
 むくりと身を起こしたのは、貸し出しカウンターの前で寝そべっていたきり丸である。
「お、きり丸。雷蔵はいるか?」
「雷蔵先輩は、奥で本の整理をされてますけど」
「ん、わかった」
 ずかずかと奥の部屋に向かう。たしかに貸し出しカウンターの当番は低学年が担当していることが多かった。奥の部屋で、雷蔵がなにやら難しそうな本の貸出カードを作っているのを何度か見たことがある。
「よお、雷蔵」
 文机に向かっている背に声をかける。
「やあ、八左ヱ門。どうしたんだい?」
 振り返った雷蔵の柔らかい声は、やはり雷蔵のものである。三郎がいくらうまく雷蔵に変装しても、あの柔らかい語り口と笑顔をそっくり真似ることはできない。同級生として雷蔵と長く接してきた八左ヱ門には分かるのだ。
「ちょっといいか」
 どっかと胡坐をかきながら八左ヱ門は言う。
「ああ。なんだい」
「三郎のヤツ、何をやらかしたんだ?」
「え?」
 弾かれたような表情になる雷蔵が、意外だった。
「いや、だって、三郎に言ったんだろ? もう雷蔵の顔を使うなって」
 -ああ、あのことか。
 八左ヱ門の意図が分かった雷蔵は、ふっとため息をつく。
「ああ。確かに、そう言った」
「何かあったのかよ」
「いや…別にそういうわけじゃないんだけど」
「じゃ、どうしたんだよ」
「ちょっと、外に出ないか」

 


「どうしたんだよ。図書室じゃ話しにくいことなのか」
 裏庭に向かう雷蔵に、八左ヱ門が訊く。
「まあね。そもそも図書室では、余計なおしゃべりは禁止されているから」
「あ、そっか」
 図書室での秩序を破る者は、たとえ教職員であっても容赦なく縄標で教育的指導の対象とする図書委員長の面構えが脳裏を過ぎった。
「で、なんで急に三郎にそんなこと言ったのさ」
 校庭の一角の、大きな石の上に2人は腰をおろした。
「それは…」
 雷蔵が口ごもる。
 -理由があんな夢だなんて、きっと笑われるんだろうな…。
 埒もない夢のことで、変装禁止を言い渡したなどと言ったら、八左ヱ門はどう思うだろうか。
「今日、三郎は八左ヱ門の変装してたな」
 遠くに視線を泳がせながら、雷蔵は言う。その視線の先では、低学年たちが遊んでいる。
「ああ…ったく、落ち着かないったらないな、俺と同じ顔をしたヤツが目の前にいるってのは」
 だから、なんとしても三郎には雷蔵の顔に戻ってもらわなければならない。
「それが理由さ」
「あ…え?」
 あまりに削ぎ落とされた答えに、意味をつなぎ合わせようとしているところに、雷蔵は続ける。
「そういうことだから。じゃ」
 立ち上がりざまあっさりと言い捨てると、雷蔵は校舎へと歩き去った。
「おい、ちょっと待てよ…」
 おろおろと立ち上がった八左ヱ門は、後姿につぶやく。
「…どういうことなんだよ…」

 


 -八左ヱ門には、悪いことしたかな…。
 図書室に戻って本の整理を続けながら、雷蔵は考える。
 -でも、やっぱり、言うことはできないから。

 

 

 

Page Top     Next→