The Warrior
アニメでも原作でも、庄左ヱ門と団蔵が一緒にいるシーンって割合多いのではないかと思われます。この2人が一緒にいるときは、どんな話をしているのだろうと思っていましたが、Patty Smyth(←古いのうwww)のThe Warrior を聴いて何かが舞い降りてきました。はい。野生児なのはもちろん、団蔵のほうですw
というわけで、このお話を、最近庄ちゃんにはまっておられる、団庄のお題をくださった春日さんに捧げます。あ、春日さん、私も庄ちゃんをこよなく愛してますから!
放課後の教室で、机に向かっているのは庄左ヱ門である。算盤を弾きながら、クラス費の精算をしている。
傍らには、団蔵がいる。両肘を机に突いて、両掌にあごを乗せて、ぼんやりと算盤を弾く庄左ヱ門の指先を眺めている。
「だんぞ~っ、サッカーやろう!」
廊下をばたばたと駆ける足音が止まったと思うと、教室の入り口に虎若ときり丸が姿を現した。
「ごめ~ん、今日はムリ」
振り向いた団蔵が、すまなさそうに声を上げる。
「どーして?」
「クラス費の精算に付き合ってって庄左ヱ門に頼まれてるんだ」
「悪い、虎若、きり丸。少し時間がかかりそうなんだ」
団蔵に続いて庄左ヱ門も申しわけなさそうに眉を寄せた顔を上げる。
「そっか、団蔵、会計委員だったもんね」
納得したように虎若が頷く。
「じゃ、しょーがねーな。虎若、行こうぜ」
きり丸が駆け出す。
「あ、待てって、きり丸!」
虎若が後を追う。
「2人とも、廊下を走るなって」
声をかけた庄左ヱ門だったが、すでに2人の姿はない。
「ムダだって、庄左ヱ門。どっちみち聞いてないんだから」
ふたたび両掌にあごを乗せながら、団蔵が言う。
「そうだね」
苦笑しながら、庄左ヱ門は書面に眼を戻す。
「…ごめんね、つき合わせちゃって」
「かまわないよ」
庄左ヱ門から頼みごとをされるなんて珍しいことだし、と団蔵は考える。
「どうしても、お金のこととなると一人でやるのは心配だから」
帳簿になにやら書き込みながら、庄左ヱ門は弁解がましく言う。
「庄左ヱ門がへんなことなんかするわけないってみんな思ってるけど、でも、お金のことだからね。会計委員会でも、ゼニ勘定のときはぜったいにひとりでやっちゃいけないっていわれてるし」
「そうなんだ…自分のおこづかいを数えるのとはちがうからね」
「ねぇ、おれは手伝わなくていいの?」
「見ててくれるだけでいいんだ。ぼくが計算まちがいをしないかどうかと、最後に帳簿とお金があってるかってところを」
「わかった! そのくらいなら、おれでもできる」
力強く胸をたたく団蔵だったが、計算過程を検証するというよりも算盤を弾く庄左ヱ門の指先を眺めていた、というほうが実態に近い。
「ねえ、庄左ヱ門」
「なに?」
帳簿の記入にかかりきりになっている庄左ヱ門は生返事である。
「これ終わったら、なにする?」
「これ終わったら?」
筆を止めた庄左ヱ門が、小首をかしげる。
「そうだな…来月の掃除当番の当番表を作らないといけないし、山田先生からこんどの屋外実習の地図作りのお手伝いを頼まれていたし…」
団蔵のあごが両掌から滑り落ちた。
「あのさ、庄左ヱ門…おれが言ってるのは、遊ぼうってことなんだけど」
「そう…そしたらさ、団蔵」
「なに?」
「明日、街に買い物に行きたいんだ。付き合ってくれるかな」
「そうこなくっちゃ!」
「で、なにを買うの?」
翌日、街に向かって歩きながら、団蔵は訊ねた。
「うん。墨を切らしそうだから買わないといけないし、紙も買っておきたいし、それにもうすぐ庄二郎の誕生日だから、なにか送ってあげたいんだ」
「庄二郎の?」
「うん、もうすぐ一歳になるんだ」
「そっかぁ。かわいいだろうなぁ」
以前、炭の運送で黒木屋に寄ったときにちらと見かけた赤ん坊を思い出す。
「ああ、すっごくかわいいし、ぜったい強くてかしこい子になると思うんだ」
「庄左ヱ門よりも?」
「ああ、もちろん」
それってちょっとすごいかも、と団蔵は思う。庄左ヱ門だってじゅうぶん頭がいいし、実技にも優れているというのに、それ以上になるなんて。
「どうかした?」
庄左ヱ門が訝しげに訊く。
「え、いや…すごいなぁって思って」
「すごい?」
「うん。だって、庄左ヱ門だってすごいのに、それ以上になるなんて」
つくづくボキャブラリーの貧困を痛感しながら、団蔵は感嘆する。どうにもすごいという表現しか思いつかなかったのだ。
「すごくなんかないさ、ちっとも」
小さく首を横に振りながら、庄左ヱ門はぼそっと答える。
「どうしてさ?」
団蔵が不思議そうに顔を覗き込むが、庄左ヱ門は苦笑いに紛らせながらふいに口調を変える。
「それより、団蔵さ…」
「なに?」
急にはきはきとした口調になった庄左ヱ門に、団蔵はすこしばかり戸惑う。
「この前、清八さんたちが来ていたけど、なにかあったの?」
「ああ、あれ?」
団蔵は頷く。
「学園に急ぎの荷物があるからって言ってたな」
「そうか。清八さんは腕のいい馬借さんだもんね」
「そうなんだ」
ざっと力強く足を踏み出すと、団蔵はくるりと庄左ヱ門に向き直った。
「清八は、夜中でも山道を走らせることができるくらいすごいんだ!」
「そうなんだ」
庄左ヱ門も足を止める。
「それに、山賊が出た時だって、たったひとりでも、てぃっ、やぁって…」
袖を捲り上げた腕が空を切る。ぼさぼさの長い髷が宙を舞う。
「やっつけたの?」
「そうさ! な? 清八ってすごいだろ?」
自分のことのように目を輝かせて身を乗り出す団蔵に、庄左ヱ門は苦笑いを浮かべる。
「うん、すごいんだね…」
鸚鵡返しのような平たい返事に気づいた様子もなく、拾い上げた枝を振り回しながら団蔵は先にたって歩き出す。そのあとに続きながら、ふと庄左ヱ門は考える。
-団蔵は、どんな忍者になりたいんだろう…?
そういえば、教師たちや利吉のような忍者になりたいと聞いたことを思い出す。
-団蔵なら、そうなれるんだろうな。
なにかというと賢しげに考えをめぐらす自分と違って、団蔵は直感で動く。それは自分を除く一年は組のメンバーに共通したところだったが、とくに団蔵はその気が強い。そして、いちど走り始めた方向を突き抜ける突破力をもっているのだ。それも、やすやすと、底抜けの笑顔で。
だから、団蔵は思い定めた忍者の道に向かって突き進めるのだろう、と庄左ヱ門は考える。それは、すでに忍としての方向性を宣告されてしまった自分にはない道なのだ。それだけの事実だったが、庄左ヱ門には、たとえようもなく眩しく見えるのだった。
「庄左ヱ門、すこし休んでいかない?」
街からの帰り道で、団蔵は声をかけた。
「どこで?」
庄左ヱ門が立ち止まる。
「あの木の下とか、どう?」
団蔵が指差した先には、大木が広げた枝を涼しげに影を落としている丘があった。
「いいね」
「じゃ、決まり!」
言うがはやいか、団蔵は丘を駆け上っていく。
「待ってよ、団蔵」
庄左ヱ門が追いついたときには、団蔵はすでに大きく伸びをして、木陰の草むらの上に大の字になっていた。
「ふゎ~い」
寝そべる団蔵が大あくびをする。
「なんか、疲れてるみたいだね」
解いた荷物を傍らに置いて腰をおろしながら、庄左ヱ門は声をかける。
「うん…じつは、昨日の夜、急に会計委員会の鍛錬があって、けっこう遅くなったんだ…」
「そりゃたいへんだったね」
「潮江先輩は、『夜は忍者のゴールデンタイムだ!』なんていうけど、こっちはおかげでねむくてねむくて…」
団蔵のぼやきは、あくびに紛れてしまう。
「だったら、ムリして街までつきあってくれなくてもよかったのに…」
「そうだけど…」
-でも、庄左ヱ門はいそがしいから、なかなか街にいっしょに行くチャンスなんてないだろ…?
そんな考えが頭をよぎったものの、なんとなく照れくさくて団蔵は口ごもる。
「少し寝たらいいよ、団蔵。まだ夕食まで時間があるし、ぼくも少し休みたいから」
「…」
返事がないので庄左ヱ門が振り返る。団蔵はすでに寝息をたてていた。
-気持ちよさそうに寝ているな、団蔵。
起きているときも元気そのものの団蔵だが、眠っている団蔵は、呼吸に合わせて小さく上下するはだけた胸元といい、着物から大きくつき出した広げた四肢といい、まさにこれから一気に成長を始める寸前の爆発力を秘めているように思えた。
団蔵は、身体も大きくなるのだろうが、心もおおらかな大人になるのだろう。運動神経は間違いなく優れているから、忍としての技量にも不足はないだろう。
自分が大きくなったときのことなど想像もつかないくせに、大人になった団蔵の姿は容易に想像できて、庄左ヱ門はちいさく苦笑する。
-なんでだろう。自分より他人のほうがよくわかるなんて。
だが、それもさほど意外なことではなかった。庄左ヱ門の視野に見えている将来は、やがて家業の炭屋を継ぎ、かつ草として市井に混じって忍として生きる姿だったから。しかし、そのとき自分がどのような大人になっているかはまったく想像できないのだ。
-それにひきかえ、団蔵は…。
大の字になって、わずかに首を傾げて眠っている団蔵は、きっとこのまままっすぐ大きく育っていくに違いない。そして、そう遠くないうちに、御せざる悍馬として自分を乗せたまま気ままに走り回るようになるだろう。今は、ときに自分の傍らで眠る子馬であったとしても。
-そうだ。けっして手懐けられない馬みたいに…。
いや、そもそも手懐けようと考えたことすらなかった。団蔵が他人に手懐けられるなどありえない。むしろ、思うさま自分を乗せたまま走って、知らない世界へと連れ去って欲しいとさえ考えたことがある。
考え疲れて、いささかとろんとした意識で、傍らの団蔵の寝顔に眼を落とす。爽やかな風が丘を吹き上げて、前髪を揺らす。
-そのとき、ぼくはどんな大人になっているのだろう。大人になっても、団蔵はぼくに会いに来てくれるのかな。それとも、敵同士になってるのかな…。
「ふぁ~あ」
大あくびをして身を起こした団蔵は、傍らに背を丸めて眠る庄左ヱ門の姿を認めた。
-庄左ヱ門、ねてるな…。
だが、その寝顔は、眉根を寄せた安眠とは程遠いものである。
-また、おれたちは組のことを考えているのかな…。
苦しげな寝顔に眼を落としながら、団蔵は考える。
-だいたい、庄左ヱ門はいつも考えすぎ。おれたちは組はたしかにいつも庄左ヱ門を当てにしてるけど、結局は突っ走ってなんとかなるんだし。
何とかなっているのは、陰で教師たちが誘導したり、庄左ヱ門が頭を働かしているからということには思いが至らない団蔵は、気楽に考える。
-でも、庄左ヱ門がいるから、は組はなんとかまとまっているんだし…。
個性も自己主張も強いは組のメンバーをまとめられるのは庄左ヱ門しかいないことには、団蔵も気づいている。
-そっか。いつも学級委員長としては組をまとめているから、つかれてるんだ…。
不意に胸の中でもやもやとたゆたっていた考えがすとんと腹に落ちたような気がした。
-でも、せっかくいっしょに出かけているのに、寝てばっかりじゃつまらないしな。
だから、まだ眉根を寄せたままの庄左ヱ門の肩に手を掛ける。
「なあ、起きろよ、庄左ヱ門」
「う…うん?」
「庄左ヱ門! 団子でもたべようよ!」
期待に満ちた笑顔で身を乗り出す団蔵の言葉は、目覚めたばかりでまだぼんやりとした意識のままの庄左ヱ門にはつかみかねた。
「…え?」
「だから、団子でもたべにいこうって!」
まだ半身を起こして眼をこすっている相手にかまわず、団蔵は身を乗り出す。
「ほら! 庄左ヱ門の荷物ももってやるからさ!」
立ち上がって爽やかな笑顔を見せる団蔵に、寝起きで食欲もないとは言いにくいものを感じた庄左ヱ門は、あきらめて訊く。
「で、どこのお団子屋さんに行くの?」
「しんべヱから聞いたんだ。この近くにおいしい団子屋さんがあるって」
「そうなんだ」
「じゃ、行こう!」
2人分の荷物を持って先に駆け出す団蔵に、庄左ヱ門はあわてて声をかける。
「待ってってば、団蔵!」
「庄左ヱ門! こっちこっち!」
遠くから手を振りながら呼ばわる声に、庄左ヱ門は苦笑する。
-ほんとに団蔵には、いつも振り回されっぱなしだ…。
それがけっして不愉快ではない、むしろ内心望んでいた感情であることに、聡い少年はとっくに気づいている。
「ねぇ、庄左ヱ門」
「なに?」
団子屋の縁台に掛けて、足をぶらぶらさせながら団蔵は訊いた。
「さっき、どんな夢みてたの?」
「夢?」
「うん…さっき」
「どうして?」
どんな夢を見ていたかなど、まったく憶えていない庄左ヱ門は、とりあえず質問で答えを先送りすることにした。
「どうしてって…」
ぶらぶらさせていた足が止まった。
「…なんか、とってもつかれてそうだったから、ていうか、つらそうっていうか」
「そうかなぁ」
運ばれてきた団子を大仰に頬張りながら、庄左ヱ門はつとめて明るい声を上げる。
「…わざとらしいよ、庄左ヱ門」
俯いたまま、団蔵がぼそっと言う。
「…おれ、頭はわるいかもしれないけど、庄左ヱ門がどんなおもいをしてるかは分かるつもりなんだ。だから、そんなお芝居なんかしないでほしいんだ…」
「団蔵…」
友人の思いつめた声に、庄左ヱ門は言葉を失う。
「な、庄左ヱ門。庄左ヱ門がつかれてるのって、おれたちは組のせいなんだろ? 学級委員長として苦労してるからなんだろ?」
-…え?
あまりに豪快な的外れぶりに返事もできかねて、庄左ヱ門は大きく眼を見開く。
「庄左ヱ門がこれ以上つらいことがないように、おれもなんとかするからさ、だからどうすればいいかおしえてほしいんだ。おれじゃあんまり役に立たないかも知れないけど、でも庄左ヱ門のたすけになりたいんだ。な? だから、おれになにができるかおしえてくれよ…庄左ヱ門ならわかるだろ?」
団蔵が身を乗り出す。つぶらな瞳から放たれる眼光がまっすぐ自分を射る。庄左ヱ門はおもわず顔をそむけてつぶやく。
「いや、そういうことじゃなくて…」
「ちがうの?」
きょとんとした表情で、団蔵は頓狂な声をあげる。
「うん」
「じゃ、どうしたの?」
あんなにつらそうにしていて、なんでもないなんてことはないよね、と付け加えて、団蔵はふたたび身を乗り出す。
「え、いや、まあ…」
曖昧にごまかそうとしたが、団蔵はひかない。
「とすると、なにかほかのことでなやんでたの?」
-これ以上、ごまかしても、ごまかしきれる相手じゃないよな…団蔵は。
観念した庄左ヱ門は、ため息をついた。
-ほんとうにぼくは、団蔵にはかなわないんだな…。
「…ていうか、これからぼくはどうなるのかなって…」
「どうなるって?」
団蔵が首をかしげる。
「大人になったら、どうなるのかなってこと」
「忍者になるんじゃないの?」
そのために忍術学園に入ったんだし、とばかりに当惑顔になる団蔵に、庄左ヱ門はもうひとつため息をついてから続けた。
「ぼくには、大人になったときに何をしているか、だいたい見えているんだ。でも、それだけじゃいやだ、もっと違うこともしたいって思ってるんだ。でも、自分ではどうすればそうできるかわからないんだ。だから…」
一気に話してしまってから、庄左ヱ門はがっくりとうなだれた。庄左ヱ門の告白が高度すぎて半分も理解できなかった団蔵だったが、最後にうなだれながらつぶやいたひとことだけが頭に残った。
「…このままどこか遠くへ行っちゃいたいって思うこともあるよ」
「どこか、へ…?」
ゆったりと顔を上げて、寂しげに遠くを見やる庄左ヱ門の横顔を見つめながら、首をかしげる団蔵だった。
「若旦那」
「清八!」
清八の姿を認めた団蔵が駆け寄る。
「能高速号は?」
「連れてきましたよ」
「ありがとう、清八!」
うれしそうに愛馬の首をなでる団蔵に、清八は首をかしげる。
「ところで若旦那。能高速号でどこかへお出かけですか?」
「うん。ちょっとね…能高速号をみてて!」
手綱を清八に預けていたずらっぽく笑うと、団蔵は教室へと駆け出した。
教室では、庄左ヱ門がただひとり、予習をしていた。
「庄左ヱ門」
教室に足を踏み入れた団蔵は、つかつかと近寄ると庄左ヱ門の右手首をむんずとつかんだ。筆が指から滑り落ちる。
「だ、団蔵? どうしたのさ…?」
顔を伏せている団蔵の顔は、前髪に隠れて見えない。座ったままの姿勢から庄左ヱ門がその顔を覗き込もうとしたとき、ぐいと手を引かれた。
「おっと…あぶないよ。ねぇ、団蔵。どうしたのさ、急に…それに痛いから、はなしてくれないか」
「いいからついてきて」
突然の強引な行動に抗議するが、団蔵に聞く気はなさそうである。
「困るよ団蔵、まだ予習が終わってないんだ…それに、来月の日直の当番表も作らないといけないのに…」
「あとでやればいいよ。おれもてつだう」
手伝うって言われても…と庄左ヱ門は空いた左手を額に当てる。結局自分でやるしかないことは明らかだったから。
「それに、教室に予習の道具放ったままなんて、まずいよ…」
半ば引きずられるように廊下を連れ出されながら、庄左ヱ門はなおも抗議をやめない。顔を伏せたまま、自分の右手をきつくつかんでずかずかと歩く後姿に、これ以上何を言っても無駄であるとは分かっていたが。
「あれ、若旦那と…庄左ヱ門さん?」
能高速号の手綱を持ったまま佇んでいた清八が、眼を丸くする。庄左ヱ門が馬に乗りたがっているから、と言われて待っていたのだが、目にした状況は、どう見ても嫌がる庄左ヱ門を無理やり引っ張ってきている図である。
「清八。庄左ヱ門を能高速号に乗せて」
「え!?」
なおも振りほどこうとする庄左ヱ門の手首をつかんだままの団蔵に、清八は戸惑う。
「はやく」
「は、はい」
低い声で命令する団蔵に気圧されて、清八はあわてて庄左ヱ門の小さな身体を抱え上げて馬の背に乗せた。
「ありがと。じゃ、ちょっと行ってくるから」
自分もひらりと馬の背にまたがると、手綱を受け取った団蔵はそのまま馬を走らせる。
「あ、若旦那! どこ行くんですかっ」
慌てて声をかけるが、2人を乗せた馬はそのまま壁に向かって走っている。
「すぐ戻るから、食堂でおばちゃんのお茶でも飲んでて!」
振り返りざまの返事に、清八は肩をすくめた。
-やれやれ、若旦那もしょうがないな…ま、急ぎの荷物があるわけでもないし、ちょっとお茶でも飲ませてもらおうか…。
食堂へと歩きかけた清八は、だしぬけに建物の影から飛び出してきた人物にぶつかりそうになって慌てて身を翻す。
「おっと危ない」
「外出届ぇぇぇ!」
振り返りもせず駆け抜けていったのが誰か、その声だけでよく分かった。
-事務の小松田さんか…。
あの勢いでは、俊足の能高速号でも追いつかれるかもしれない、とにわかに興味がわいて、清八は振り返った。
-お、いい勝負だな。
片手を腰に当てて勝負を見物する。いままさに小松田が、能高速号に追いつこうとしていたところだった。と、団蔵がひときわ大きな声でかけ声をかける。馬は大きくいななくと、後足で地を蹴り、そのまま塀を飛び越えていった。
「ひえぇぇぇぇ」
目の前の壁に止まることもできず、そのまま衝突した小松田を見届けると、清八は苦笑しながら小さく首を振って食堂へときびすを返した。
「ねぇ、団蔵、あぶないからもう少しゆっくり行こうよ」
激しく揺れる鞍の上で、必死に団蔵の腰につかまりながら、庄左ヱ門は声を上げる。
「しっかりつかまってないと、ふりおとされるよ」
まったく取り合わない口調に笑いが含まれているのを感じて、庄左ヱ門はそろそろと顔を上げる。激しく風になびく髷の向こうに見える横顔は、不敵な笑いを浮かべてまっすぐ前を見つめている。
「団蔵、わかったからさ…少しゆっくり行かないか」
「なにがわかったのさ」
とりなすように言ったひとことも、あっさりとかわされて、庄左ヱ門はすっかり観念する。
-しょうがない。馬の上では、団蔵にはかなわないや…。
そうだった。もともとかなわない相手なのだが、まして馬上は団蔵の陣地のようなものである。いや、団蔵そのものといったほうが正しいのかもしれない。
「…ねぇ、団蔵、どこに行くの?」
いまは団蔵の心ひとつに自分を委ねるしかないと理解はしたが、その意思のありかをなおも探ろうとする庄左ヱ門だった。
「どこに行きたい?」
「え…?」
軽く振り返ってにやりとする団蔵に、庄左ヱ門は言葉を失う。
「…急にそんなこと言われたって」
「どっかとおくに行きたいっていったの、庄左ヱ門だろ?」
「え…ぼくが?」
「ほら、いっしょに街に行ったとき」
「…ああ」
ようやく団蔵の行動の意味が把握できて、庄左ヱ門は苦笑する。
-団蔵ったら、あれを真に受けちゃったんだ。ぼくはただ…。
自分を待ち受けている将来から、はるか遠くに拉してほしいと願っていたのだが。
「おれがつれてってやるよ。どこだって…はいやっ!」
手綱が大きく振られ、馬がさらに速度を増す。もはや眼を開けていることすらできずに、庄左ヱ門は団蔵の背に顔を埋める。
自分の真意をまったく理解していない、それでも力強い言葉に、庄左ヱ門はしばらく身を委ねてもいいかもしれないと考える。
-わかったよ。それなら団蔵、団蔵の行きたいところに連れてってくれないか? …そこが、きっと、ぼくの行きたいところだから。
<FIN>