照星のかなしみ

17期の「尊敬できる人」の段を見ていると、つくづく虎若の一途さがイトオシイのです。

でも、おそらく佐武村のモデルだったであろう根来衆が秀吉に滅ぼされたように、戦国武将が自前の鉄砲隊を構えたとき、独立した鉄砲隊はもはや必要とされず、そればかりか壊滅させられる運命にあるでしょう。

おそらく、照星は、佐武村の、そして虎若の将来が見えているはずです。だからこそ、自分を慕ってやまない虎若を目にすることが悲痛でならない照星の気持ちを描いてみました。

 

ちなみに、当時、堺とともに鉄砲の産地として有名だった地に、 国友(今の滋賀県長浜市)、平野(今の大阪市)などがあったそうです。文中にもそこまでは史実として登場していますが、そのほかはすべて茶屋の創作ないし妄想の産物です(^^;

 

 

  1  

 

 

 

 

「お~い、しんべヱ~」
 遠くから呼びかける声に、しんべヱは振り返る。往来にひしめく人々や車の向こうから、同級生が手を振りながら駆けてくる。
「あ、虎若~、元気だったあ?」

「ようこそ福冨屋へ」
「お世話になりますな」
 後からやってきた虎若の父、佐武昌義を迎えた福冨屋が挨拶を交わしている間に、子どもたちは波止場へと走っていく。

「虎若、残念だったね。昨日まで、うちに照星さんがいたんだよ」
「ええぇ! 照星さんが?」
 その名前を聞いただけで、虎若の顔色が変わる。気落ちしたふうにつぶやく。
「ツイてないなぁ。あと一日早かったら、お会いできたのに」
 -そして、火縄の打ち方のこと、いろいろ教えてもらおうと思ったのに…。

 


「なかなか、容易ならざる事態ですな」
 照星がまだ福冨屋に滞在していた頃、堺の豪商のひとつである大元屋の茶室に、堺の会合衆(えごうしゅう)が集っていた。
「それは事実なのですか、大元屋さん」
 供された菓子を懐紙にとりながら、福冨屋が訊ねる。
「いかにも」
 冬の昼下がりの陽が障子ごしに差し込んでいる。いつもは薄暗い茶室だが、低い陽が畳いっぱいに陽だまりをつくり、奥の床の間にいけてある山茶花も、露を置いたように照り映えている。
 庭にしつらえたせせらぎの音だけが届く茶室は、柔らかな光と暖かさにつつまれてまどろむような穏やかな時間が満ちていたが、座を占めた3人には氷室の中にいるような緊張感が支配していた。
「噂には聞いておりましたが、東国の大名というのは、やはり、あの殿だったのですな」
 福冨屋の隣に座した坂井屋が呟く。
「堺や平野の鉄砲鍛冶だけでは足りず、近江の国友村まで発注をかけて銃をかき集めておられるとか」
 茶碗を福冨屋に向けてすすめながら、大元屋は淡々と答える。
「さすがは井高野屋さん、ビッグディールをされましたな」
 件の東国大名に銃の納入を成功させたのは、同じく堺の会合衆であり、豪商である井高野屋だった。
「…そういえば、井高野屋さんは、自慢の唐物の茶壷を、その殿に献上されたとか」
 ずず、と茶をすすったあと、その見事な天目の茶碗を眺め回しながらの福冨屋の言葉に、坂井屋がうなずく。
「あれには驚きましたな。たとえ大名の座を譲るといわれても、手放す気はないとまで仰っていた名品でしたからな」
 不意に、山茶花の紅色の花びらから光が消えた。陽が雲に隠れたらしい。すっと茶室の中が薄暗くなる。
「それにしても、これからは堺の立ち位置も難しくなるでしょうな」
 大元屋が眉を寄せる。堺の街を支配する会合衆である彼らには、それだけで意は充分すぎるほど通じる。
「おそらく、大名が堺を通じてこれだけの規模で銃を調達するのは、これが最後でしょうな」
 福冨屋が続ける。かき集められた銃が、近江の攻略に使われることは、すでに福冨屋たちの耳にも入っていた。国友の銃を集めるためにも、堺を使うのだ。だが、近江を攻略して国友を配下に置けば、もはやその必要もなくなる。そして、こんどは堺にその触手を伸ばしてくるだろう。銃の生産拠点を完全に押さえるために。
 -ここは、井高野屋さんには申し訳ないが。
 3人の視線が、同じ意思を認め合う。それぞれのビジネスには口を出さないのが堺の流儀だったが、街を守るためであれば、仲間のビジネスを潰すことも厭わない。それもまた、堺の流儀だった。

 


「照星殿、こちらにおられましたか」
 大元屋から戻った福冨屋は、客間で文机に向かっている後姿に声をかける。
「はい」
 低く照星が答える。
 思えば、福冨屋に滞在している照星は、銃を扱っている商人や知り合いの鉄砲鍛冶を訪ねる以外、客間から出ることはほとんどなかった。ほぼ終日、書物を読んでいるか、手紙を書いているかだった。
 照星が福冨屋を訪れたのは、むろん理由があった。
「お待たせしました。ご所望の品の搬入が終わりましたので、蔵にご案内します」
 福冨屋の後に続いて、照星はいくつも並んだ蔵のなかの一つに案内された。
「こちらです」
 灯を持つ手代に続いて蔵に入ると、外とは違うきいんとした空気を感じる。
「この蔵には、主に輸入した鉄砲や輸出用の刀を保管しています」
 福冨屋が、説明しながら奥へと足を運ぶ。
「あれが、先ごろ南蛮より着いた新式の銃です」
 福冨屋が指差した先には、筵に包まれた銃がある。
「手にとって、ご覧ください」
 手代が持ってきた銃を手に取ると、照星は、構えたり各部を仔細に眺めたりしていたが、やがて「ありがとうございました」と手代に返した。
「いかがですかな」
「火縄を使わないのは画期的と言ってもいいでしょうが、構造的に複雑すぎるところが難点でしょう。それに、命中精度が火縄を上回るとは、考えにくい」
 考え深げに照星は呟く。
「ほう、そうですか」
 淡々と福冨屋が答える。そういうことならあまり大きいロットで輸入しない方がいいだろうな、と考えながら。
「ところで福冨屋さん」
 不意に照星が向き直った。
「なんでしょう」
 下がってよい、と手代に向かって軽く頷く。心得た手代が灯を福冨屋に渡すと、一礼して立ち去る。蔵の中には照星と福冨屋の2人だけである。
「して、ご用件とは?」
「東国のさる大名が、堺で大量に銃を買い付けているというのは、事実ですか」
 -ほう、もう照星殿のお耳にも入っておりましたか。
 軽く眉を上げて、福冨屋は相手のシュールな顔を見つめる。
「お耳に入っているのであれば、話は早い。照星殿、この件について、折り入ってお願いしたいことがあります」

 

 
「ほう、それでは、照星殿とはすれ違いになってしまいましたな」
 座敷で福冨屋と対座しているのは佐武昌義である。虎若はしんべヱと遊びに出たままである。
「そうですな」
「虎若ががっかりしてしまって…しんべヱ君がいて助かりました。少しは気も紛れるでしょう」

「といいますと?」
「虎若は、照星殿にあこがれているのです。照星殿は火縄の名手ですから」
「そうでしたか。しんべヱも、同級生の虎若君が来てくれたので、喜んでいますよ。休み中はどうしても退屈してしまうようですから」
「虎若もそうです。退屈なら宿題でもやれと常々言っているのですが、どうもそういう方向にはいかない。それよりも火縄をいじったり、筋トレをしているほうがいいと言う」
「我が家も同じです。あまり宿題をやれと口うるさくいうものですから、どうも煙たがられましてな」
「ははは…お互い、山田先生や土井先生に合わせる顔がありませんな」
「まったくです」
 しばし、穏やかな会話が続く。人家が密集した堺の街にあって、福冨屋は広い敷地に豪壮な屋敷を構えている。表の喧騒も、奥の庭に面した座敷までは届かない。

 


「ところで福冨屋さん」
「はい」
「堺で集めた銃で、近江を狙っている大名がいるそうですな」
 昌義の眼が光る。
「お耳がお早いですな」
 その眼に何の感情の動きもみせずに、福冨屋は返す。
「率直にうかがいます。堺の、誰が手配をされているのですか」
「それをうかがって、どうなさるおつもりです?」
 こん、と庭の鹿威しが響く。
「その大名が近江の国友鍛冶を手中にしたら、われらの死活問題。それは止めなければならぬ。そのためには…」
「お止めになったほうがいい」
 不意に福冨屋の口調に力が入る。
「なぜですか」
 -ほかならぬ虎若君のお父上だ。多少の義理を果たしても構わぬだろう…。
 本来ならば、商人として、堺を支配する会合衆の一員として、知りえた情報を外部に漏らすことは厳に慎むべきことだった。しかし、いま、福冨屋はその戒めを破ろうとしている。
「…佐武殿がどのような情報を耳にされているかは存じません。しかし、相手は大名です。まして…」
 -あなた方鉄砲隊は、その大名の手先として動くのが生業のはず…。
「しかし、このまま座視していては、われら佐武鉄砲隊は…」
 それも一理あることだった。佐武衆のような独立した鉄砲隊が存在しうるのは、大名の手元に、充分な力を持つ鉄砲隊がないからにほかならない。自分の手勢として鉄砲隊を持つことができれば、外部の、佐武衆のような鉄砲隊には用はなくなる。
 -むしろ、脅威となる。
「ご懸念は私どもも同じことです」
 福冨屋の言葉に、昌義が反応する。
「堺も、動いているということですか?」
「これ以上は…申しわけありませんが」
 わずかに眉を寄せて、福冨屋は頭を下げる。
「これは、立ち入ったことを…どうか、お許しいただきたい」
 昌義も、はっと気付いて頭を下げる。
 -この件については、私どもにお任せいただきたい。
 -わかりました。それでは、我々は、住吉詣ででもしてから、帰るとしましょう。
 無言のうちに、互いの意図を認め合って、2人は軽く笑顔をかわす。

 

 

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