照星のかなしみ(2)

「いかがでしたかな」
 波止場に立つ照星は、背後からかかった声に振り向く。
「うまくいきました」
 その声は、あくまで無表情である。
「そうですか」
 短く答えて、福冨屋は照星に並んだ。空は晴れ渡っていたが、海からの時に強く吹き寄せる風が、袖をはためかせる。
 

 

 人払いをした新式銃をおさめた蔵の中で、福冨屋は照星に、近江を訪れるよう依頼していた。
「国友村へ、行っていただきたいのです」
「国友へ?」
「国友村の長は、照星殿もよくご存知とか」
「はい」
「井高野屋さんとの取引を、止めていただくようお話いただきたい」
「…そうですか」
 照星には、すべて合点がいった。件の大名は、堺の井高野屋を通じて、近江攻略のための鉄砲をかき集めていたのだ。しかし、ひとつ懸念があった。
「おそらく、国友衆は、すでにかなりの鉄砲を作ってしまっているはず。近江攻めを止めるためなら、彼らは協力するでしょうが、損失も大きい」
「ご心配なく。生産済みの鉄砲は、福冨屋が買い取ります」
「本当ですか」

 


 それもまた大元屋の茶室で決まったことだった。福冨屋が銃を買い取り、坂井屋が他の会合衆に根回しを行い、大元屋が井高野屋に引導を渡す、というように。
「もとはといえば、私ども堺が手がけてしまったことです。堺として、後始末をつけねばなりますまい」
「しかしそれでは…」
「ですから、照星殿には、ぜひどれだけの鉄砲が作られているかを見てきていただきたい。よもや彼らが吹っかけてくるとは思いませんが、第三者の眼があればより確実です」
「なぜ、そこまでされるのですか」
「堺を守るためであり、突出した力の出現を防ぐためです」
 照星は、思わず目の前のぽっちゃりした小柄な男に眼をやる。
 -この人のどこに、ここまでの強い意志がこもっているのだろう。
 照星は、つくづく考える。

 


 そして、任務を果たして戻ってきた今、改めて照星は、福冨屋の言葉に耳を傾けている。
「しかし、井高野屋さんも、堺の商人として関わっていたはずなのでは」
「はい。たしかに」
 井高野屋が、今回のビジネスを潰されて怒り心頭になっていることは、すでに耳に届いていた。
「なぜ、堺に仇をなすことになるような仕事を、もっと早く潰されなかったのか」
 福冨屋ほどの商人であれば、そのような情報を早い段階で掴んでいないことあありえなかった。
「保険です」
「保険?」
「そうです。私ども堺の商人は、しょせん大名のような力をもっているわけではありません。私どもは、経済の力で、なんとか堺の街を守ってきた。そのためには、どちらか一方の政治力に頼るのは危険です。そのため、堺の商人は、敵対していることを承知で各地の大名に誼を通じている。どちらが勝っても負けても、その勢力と通じていた商人が叩かれるだけで、堺の街は守られる。そのようにして、私どもはこの街の独立を守ってきたのです。しかし…」
 ひときわ強い風が吹き寄せて、飛ばされそうになった烏帽子を直しながら福冨屋は続けた。
「それも、どうやら限界が来つつあるようですな」
「そうですね」
 強い風を受けた照星の着物の襟も大きくはだけている。
「大名は、独立勢力を嫌う。佐武殿のような鉄砲隊も、堺のような街も、あるいは私のような者も」
「その圧倒的な力の前に、どう身を処していくか、難しいところですな」
「そうです」
「照星殿は、どう見られますかな」
 福冨屋が照星の横顔に眼をやる。照星の眼は、まっすぐ海のかなたを見据えている。
「堺の街は、大丈夫でしょう。独立を失うことは間違いないが、物流の要としての地位は変わらないはずです。しかし、佐武衆は、若太夫の代に、存続できているか…」
「…そうですな」
 ため息をついて、福冨屋は海に目を戻す。
「実力のある鉄砲隊です。真っ先に狙われても仕方がない」
「…はい」
 照星が眼を伏せる。軽く眉を寄せている。その握った拳が、小さく震えていることに福冨屋は気付いた。
 -若太夫は…どうなるのだろうか…。
 いつも眼を輝かせて自分を迎える少年の面影が脳裏に映る。ひたむきに火縄の上達のために鍛練を重ねている少年は、決して贔屓目でなく大きな素質を持っていた。そして、少年がいつしか一人前の青年になったとき、並ぶ者のない火縄の名手になっていることは間違いないだろう。
 が、佐武衆を率いる立場になる頃、佐武衆はあるいは壊滅の危機を迎えているかもしれない。そのとき、虎若は…。
 -若太夫は…。
 照星には、虎若が憐れでならなかった。時代は、虎若が火縄の腕を生かして生きていくことを許さないかもしれない。いや、その存在すら許さないかもしれない。
 照星殿、と声をかけようとした福冨屋は、声を呑みこんだ。顔を伏せた照星の固く閉じた瞼のあたりに、光るものを見たから。
 -照星殿…。

 


「パパ、パパぁ~!」
「照星さ~ん!」
 駆け寄ってくるふたつの足音に、福冨屋が振り返る。
「しんべヱ」
「パパぁ、ここにいたんだね。照星さんが戻ってきたって聞いたから…」
 あとは息が切れて言葉にならない。ぜいぜいと肩で息を切って立ち止まるしんべヱをよそに、虎若が駆け寄る。
「照星さん! やっと、お会いできましたね!」
「若太夫」
 涙をにじませていたことなど微塵も感じさせないシュールな表情に戻った照星が、虎若に向き直る。
「照星さん! ぼく、あれから火縄を一生懸命稽古して、命中率を上げることもできるようになりました! ぜひ、見てくれませんか!」
「わかった、若太夫。見せてもらおう」
「はい!」
「街外れの野原ならだいじょうぶだよ!」
 ようやく追いついたしんべヱが言う。
「ありがとしんべヱ。照星さん、さっそく行きましょう!」
「あっ、待ってよぉ」
 袖を引かんばかりに照星を先導して駆け出す虎若に、しんべヱが情けない声を上げる。
 -照星殿は、虎若君を気にかけておられるのですな。
 ひとり残された福冨屋はひとりごちる。
 あの無表情な顔に、はじめて見せた感情の迸りが、虎若に寄せる思いの強さをなによりも強く印象付けていた。
「パパぁ! いっしょに、虎若の火縄を見に行こうよぉ!」
 しんべヱの声が聞こえる。
「パパはお仕事があるから、しんべヱ行ってきなさい」
 またも傾いた烏帽子を直しながら、福冨屋も大声で応える。
「わかったぁ!」
 手を振って、往来の人ごみに消えていくしんべヱの後姿を見送ると、再び海に向き直る。沖合いは波が高いのか、停泊している船が大きく上下に動いているのが見える。
 -天気晴朗なれど波高し。
 照星にも、自分にも、今日の晴れ渡った空のように、先が見えている。高い波に翻弄される船のような、自分たちの将来が。

 

 

<FIN>

 

 

 

 

 

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