さらわれた庄左ヱ門

 

 あまり知られていない史実ですが、「魏志倭人伝」の時代から日本には奴隷が存在していました。あまり歴史の表舞台に出てくることはなかったのですが、森鴎外の「山椒太夫」にもその実態が現れています。

 古代はともかく、中世ではその多くは食い詰めて身売りされた女子供が奴隷として売買され、その一部は明や南蛮に売られていったという実態がありました。中世史の暗部のひとつです。

 庄左ヱ門も、あやうくそんな奴隷貿易ルートに乗せられかけてしまいます。仲間たちは、どうやって庄左ヱ門を救い出すのでしょうか。

 

 

 -急がなきゃ。
 山道をすたすたと歩くのは庄左ヱ門である。
 -それにしても、庄二郎はまた少し大きくなったなぁ。
 休暇を実家で過ごして、学園に戻るところである。
 -はやく庄二郎が大きくならないかなぁ。
 弟がかわいくてならない庄左ヱ門は、すでに大きくなった弟に忍術のことを教えている自分を想像している。
 -もしかしたら、庄二郎も忍術学園に入るかもしれない。そのとき、山田先生や土井先生が担任だったらいいな。
 でも、庄二郎が学園に入学する年齢になる頃には、自分はもう20歳である。その頃の自分は、きっと黒木屋を継いで、家業の切り盛りに明け暮れているだろう。どこかの城の草となっているかどうかは別として。
 -ちょっと、さびしいな…。
 歳が離れすぎているということは、共に遊んだりケンカしたりするには隔てがありすぎる、ということである。弟とはもっと近しく触れあいたいと思っている庄左ヱ門には、それがいかにも残念なことだった。
 -でも、こればっかりはしょうがないし…。
 いつも、結果としてはそう考えて自分を納得させているのだった。それ以上考えても詮無いことだったから。そして、学園で待ち受けている新学期のことに考えを移そうとしたとき、
 -!
 何かの気配を感じた庄左ヱ門は、とっさに物陰に身を隠す。
 -あれは…オシロイシメジ忍者だ!
 実戦経験豊富な一年は組は、さまざまな城の忍者と遭遇する機会も多かったから、見ればどこの城の忍者かも見分けることができた。
 -何をしているんだろう…。
 数人のオシロイシメジ忍者が筵で覆った荷車の前で車借らしい風情の男たちと何やら話している。だが、庄左ヱ門には、車借の男たちもどこかの忍者のように思えてならなかった。ふと、車借に扮した男の一人が筵をめくり上げた。
 -あれは!
 庄左ヱ門は思わず息をのむ。筵の下にあったのは、数えきれないほどの数の火縄銃だった。
 -あんなにたくさんの火縄をこんな山の中で取引するってことは、きっとなにか悪いことに使うつもりなんだ。それにあの火縄は学園の授業で見たのとはちがう形みたいだ…。
 だが、筵はすぐに元に戻され、火縄の形式を見定めることはできなかった。
 -どうしよう…もうすこし近づけば、見ることができるかな…。
 身軽になるために荷物を解いて下藪に隠した庄左ヱ門は、もう少し近づいてみることにした。
 -何を話しているんだろう。
 荷車と、その傍らにいる男たちに気を取られていた庄左ヱ門は、背後に近づく気配に気が付かない。がさりと下草を踏む音を立てて近づいてくる気配に気が付いたときには、それはあまりに近くにいた。
「油断大敵、火がボーボー」
 音と気配に気が付くと同時に背後から聞こえてきた低い声に思わず背筋が硬直する。次の瞬間、口をふさがれた庄左ヱ門の身体が軽々と持ち上げられた。

 

 

「おかしいですね」
「そうですな」
 一年は組の教室の前で、扉に手をかけようとした伝蔵と半助が立ち止まる。
「いつもなら、宿題のラストスパートで静まり返っているはずなのに」
 教室の中からは、なにか落ち着きなくごそごそと話す声が聞こえる。
「よーし、新学期の授業を始めるぞ!」
 がらり、と扉を開けた半助が声を上げる。続いて手を後ろ手に組んだ伝蔵が足を踏み入れる。ざわついていた教室がしんと静まり返った。
「おや?」
 教室の中には、いつもと違う空気が立ち込めている。その理由も2人にはすぐに勘付くところがあった。
「庄左ヱ門はどうした」
 最前列の机の庄左ヱ門の席がぽっかりと空いていた。
「先生」
 伊助が手を挙げた。
「どうした」
「庄左ヱ門が、まだ来ていません」
「どういうことだ」
「わかりません。誰にも、何の連絡もないんです。庄左ヱ門はいつも新学期の前の日には必ず来ているのに、今日になってもまだ来ないんです」
 一晩中まんじりともせず過ごしたのだろう。伊助の貌には、やつれとも疲労ともつかない影が刻み込まれている。
「誰か、事情が分かるものはいるか」
 伝蔵が教室を見渡す。
「はい」
 団蔵が手を挙げる。
「何か知っているのか」
「いえ…うちと庄左ヱ門の家の黒木屋さんとは伝書鳩で通信できるはずなんですけど、なんの連絡もなかったです」
「そうか」
 いよいよまずいことが起こっているように思えて伝蔵が顎に手を当てる。
「何かあったのでしょうか」
 半助が心配そうに訊く。庄左ヱ門に限って、何の理由も連絡もなく欠席するということはありえなかった。とすると考えられることは、登校中に何かあったということしか考えられない。
「ねぇ、庄左ヱ門はどこにいったんですか?」
 すでに半べそになったしんべヱが鼻水をすすりあげる。
「今のところは、分からないとしか言いようがない。私はこれから学園長先生に報告して、庄左ヱ門を探しに行きます。土井先生、授業をたのみましたよ」
「分かりました」
 頷きあうと、伝蔵はさっと姿を消した。
「ほらほらお前たち、静かにするんだ。庄左ヱ門はきっと山田先生が見つけ出してくださるから、お前たちは落ち着いて授業を受けるんだ」
 ふたたびざわつきだしたは組の生徒たちに半助が声を上げる。
「「は~い」」
 不承不承に生徒たちは静かになる。

 


「何事だ」
 木立の中から現れた仲間に、オシロイシメジ忍者と車借に扮した忍たちが振り返る。
「この小僧が、我々を覗き見していた」
 男の小脇には、猿轡をかまされ、手足を縛り上げられた庄左ヱ門の身体があった。
「ほう…おいガキ。こんなところで何をしていた」
「うぐ、うぐぐぐ」
 もとより猿轡をかまされた庄左ヱ門に返事のできるはずがない。
「どうだ、何とか言ってみろ」
 急に口が自由になった。地面に転がされた庄左ヱ門は、猿轡を解かれていた。
「…!」
 黙ったまま、庄左ヱ門は自分を見下ろす男たちを睨む。相手は忍者である。何か言いつくろったとしても、たちまち言質を取られて自分が忍たまであることくらい見抜かれてしまうだろう。だから庄左ヱ門は何も言わないことにした。
「おい、何とか言え」
 背中を軽く蹴られたが、庄左ヱ門はなおも黙りこくる。
「どうするんだ、このガキ」
 車借に扮した忍がオシロイシメジ忍者に言う。
「このまま帰すわけにはいかんだろう。あの中身を見ただろうからな」
 あの、と荷車のほうに顎をしゃくりながらオシロイシメジ忍者が吐き捨てる。
「じゃ、殺るか」
 オシロイシメジ忍者の一人が刀に手をかける。思わず庄左ヱ門の背が硬直する。
 -ぼく、殺されちゃうかのかな…。
「まあ待て」
 別のオシロイシメジ忍者が制する。
「どうした」
「俺に考えがある…人買いに売っちまうというのはどうだ」
「だが、人買いなど知っているのか?」
「忍者隊のヒューマンリソース担当に相談してみよう…ヤツなら手配師にも顔が広い。手配師はたいてい裏で人買いとつながっているからな」
「なるほどな」
 刀に手をかけていたオシロイシメジ忍者が柄から手を離す。
「人買いなら買ったガキを逃がすようなへまはやらかさないだろう。奴らはたいてい東国や陸奥まで連れてって売りさばくから、このガキが二度とこのへんをチョロチョロすることもない。それに、ちょっとした小遣い稼ぎになるしな」
 親指と人差し指で銭の形をつくる。覆面に隠れているが、口元はにやりとしているに違いない。まわりの忍たちからも小さな失笑が漏れる。
「よし。そうしよう」
 ほかの忍たちも異存はないようである。
「よし、来い!」
 ふたたび猿轡をかまされ、身体ごと抱え上げられた庄左ヱ門は、火縄銃を積んだ荷車の空いたスペースに乗せられて、上から筵をかぶせられた。
 -どうしよう…、ぼく、売られちゃうってこと?
 抵抗しても無駄なことは分かっていた。ここは体力の消耗は抑えて、脱出のチャンスを探るしかない。冷静な頭はそう判断する。だが、その一方で心は不安に押しつぶされかけていた。
 -いやだ! 人買いに東国や陸奥まで連れて行かれて、売り飛ばされるなんてぜったいいやだ!
 だが、自分がこのような危機に見舞われていることを知る仲間は誰一人いないのだ。それはつまり、助けが来る見込みがないことを意味していた。

 

 

「今日の授業はここまで」
「「ありがとうございました」」
 やれやれ、と席を立ちかけた生徒たちに、教室を出ようとした半助が不意に向き直った。
「お前たち、ちょっと聞くんだ」
「「はい?」」
 不審げに生徒たちが眼を向ける。
「庄左ヱ門が来ていないことでお前たちは気になってならないかも知れない。だが、ぜったいに勝手に庄左ヱ門を探しになど行かないように。わかったな」
「「え~!」」
 一斉に生徒たちが不満の声を上げる。
「なにが『え~!』だ! いま先生方が探しに行かれている。お前たちが勝手な行動をすると、却って迷惑になるんだ。だから、お前たちは学園から出るな。わかったな」
「「はーい」」
 いかにも嫌そうな返事だったが、軽く頷くと半助は教室を後にした。

 


「ねえ、どうする?」
 半助が出て行った後の教室では、生徒たちが寄り集まっていた。
「どうするって?」
 しんべヱが首をかしげる。
「決まってんだろ。俺たちも庄左ヱ門を探しに行くかどうかってことだよ」
 きり丸が眉間に皺を寄せて突っ込む。
「でも、土井先生は学園から出るなっておっしゃってたし…」
 兵太夫が肩をすくめる。
「でも! だからってじっとしていられる!?」
 強い声に皆がぎょっとする。声の主が、ほかならぬ伊助だったから。
「そりゃまあ…でも…」
 言いかけた乱太郎を伊助が遮る。
「庄ちゃん、もしかして山賊かどこかの城の忍者につかまっているかもしれないんだよ!? ひどい目にあっているかもしれない。ぼくたちがたすけに来るのをまっているかもしれない! それなのに、ここでじっとしているなんて、ぼくにはとてもできない!」
 伊助はすっくと立ち上がった。
「だから、ぼくは庄左ヱ門をさがしにいく! あとで先生に怒られたって、校庭をマラソンさせられたってかまわない! みんなが行かないって言っても、ぼくは行く!」
「そうだぞ」
 がらりと教室の扉が開いた。
「三郎先輩!?」
 思わず皆が脱力する。入ってきたのは、しんべヱの顔に変装した三郎だった。
「おっと失礼」
 たちまちいつものように雷蔵の顔に戻った三郎は、いつもと変わらぬ声で続ける。
「話は聞いた。私の庄左ヱ門の身に何かあったとあっては、同じ学級委員長委員会の先輩として見過ごすわけにはいかないな」
「じゃ、三郎先輩もいっしょに行ってくださるんですか!?」
 期待に満ちた眼で伊助が身を乗り出す。
「当然さ」
 さらりと言って伊助の頭をなでると、三郎はにやりとした。
「で、お前たちはどうする?」
「もちろん、行きます!」
 立ち上がったのは団蔵である。
「みんな、行くよな!? な!」
「もちろん!」
「そうこなくっちゃ!」
 全員が立ち上がる。
「よーし! これから三郎先輩とぼくたちで、庄左ヱ門をさがしにいくぞ!」
 伊助が拳を突き上げる。
「「おう!」」

 


「まさか、僕に何も言わずに行くつもりじゃないよね?」
 三郎の手引きで学園を抜け出して、庄左ヱ門の実家に向かって走り始めた一年は組たちの頭上から、声が響いた。
「その声は…」
 団蔵たちがきょろきょろと見回す。
「僕さ」
 木の上からひらりと飛び降りてきたのは、雷蔵である。
「雷蔵先輩!」
「雷蔵…どうしてここに」
 戸惑ったように声をかける三郎に、これ以上ない爽やかな笑顔で雷蔵が応える。
「いつも不破雷蔵あるところ鉢屋三郎ありって言ってるのは君だろ? ってことは、逆もまた真なりじゃないかい?」
 ふっと小さく笑うと、三郎は雷蔵の肩に手を回す。
「雷蔵にはかなわないな。私たちと一緒に行動して、あとで先生に叱られてもいいのかい?」
「そのときは、双忍の術でクリアしてみせるさ」
「さすが、私の雷蔵だ」
「私の庄左ヱ門、とも言ってたよね。三郎はなんでも自分のものにしたがるんだね」
 雷蔵がからかうが、三郎は堪えない。
「そりゃそうさ。私は独占欲が強いんだ」
「まったくかなわないな」
 ははは…と笑いあいながら先頭を行く三郎と雷蔵の後を、もはや入り込めずにいるは組の生徒たちがぞろぞろと続く。

 


「ふむ…」
 手紙を読んでいたカステーラは、小さくため息をつくと肩をすくめた。手紙は、瀬戸内の西部でまたも水軍同士の小競り合いが激しくなったことを伝えていた。
 -まったく、戦の絶えないことだ…。
 それはそれで、火縄銃や硝石が売れるのだから望ましいことではあったが、海上交通に影響が出ることもまた事実だった。
 -ところで貴殿の取引先である忍術学園なるものについて教えていただきたい…か。
 手紙を寄越したのは、九州に滞在している宣教師である。世界を股にかけて交易や布教に従事しているポルトガル人からすれば、畿内にある学校の情報を九州にいる同胞が知っていることは驚くべきことでもなんでもなかったが、宣教師が忍術学園の存在に関心を抱くとはカステーラにとっても意外なことだった。
 -商人仲間が関心を持つなら、まだ分かるのだが。
 それも、あまり感心しない理由で、である。
 ポルトガル商人たちが本国からアフリカ、インドを経てアジアに至るまで築きあげた交易網で取引されているおもな商品のひとつに、奴隷があった。そして、ここ日本でも同じように奴隷を調達しては海外植民地へと売り払っていた。
 日本の事情に疎い同胞の商人たちからすれば、他の土地で行っている取引と同じことをするまで、という程度の感覚でしかない。現に、日本にも人買いは存在し、商品の供給に不足はない。日本の権力者たちは表向き奴隷貿易を禁じていたが、西国のキリシタン大名の領国を中心に、かなりの程度で黙認されているのも事実だった。そうであれば、同胞たちが硝石一樽を日本人の娘50人で日本の商人たちに売りつけているのと同様に、忍術学園の生徒がいくらで購入でき、いくらで売りさばきうるかを考えるのは、ごく自然な発想である。忍術学園にはほんの一部を除き、10歳から15歳までの男子生徒しかいないとカステーラが書き送って以来、彼らは忍術学園とは兵士養成学校と考えているらしい。兵士であれば、最近スペインやオランダ、イギリスと散発的に係争が起きている香料諸島に送り込むか、あるいはマカオやマラッカ、インド副王領の警備兵として活用することもできると考えているに違いない。もちろんリスボンの宮廷に送り込んで、輝かしいビジネスの功績の証拠として陳列するという方法だってあるだろう。
 -だが、私には、忍術学園の生徒を海外植民地に売り飛ばすというプランは、荒唐無稽としか思えない。
 忍術学園には優秀な教師陣がいて、彼らは間違いなく一流の戦士だし、カステーラの見る限り、彼らが育成している生徒たちも、とくに年長の生徒たちはそれなりの戦力となっている。そもそもポルトガル人は本国からはるかに遠い地にいる少数者であって、しかもここは戦争慣れした日本人たちの土地なのだ。
 そうでなくてもわがビジネスフレンドたちはあまりにおおっぴらに日本人の奴隷貿易に手を染めていて、権力者たちに眼をつけられていた。彼らがなんの危機感も持たないのが不思議なくらいである。おそらく、自分たちが持ち込む物資が物質主義者である権力者たちをうまく籠絡し、かつ宣教師たちが懐柔に成功しているとでも思っているのだろう。なぜそんな妄想を抱くことができるのだろうか。権力者たちはたしかに我らが持ち込む西洋文明の利器に夢中であるが、いっぽうで醒めた眼で我らの行状を観察しているのだ。今の時点で彼らが日本人奴隷の輸出を続けるなら、いずれポルトガル人というだけで、日本でのビジネスに支障が生じるような気がしてならない。
 -だからこそ、宣教師が忍術学園に関心を持つ理由は重要なのだ。
 これ以上、奴隷貿易を通じて権力者たちを刺激することの危険性を意識しているのか、それとも同胞の商人たちの先棒を担ぐ気なのか。どう返事を出すべきか考えあぐねて、カステーラはまたため息をつく。

 


 今日は忍術学園に赴く日である。もともとは堺のビジネスパートナーである福富屋から紹介された先ではあったが、最近は個別に取引をしたり、用心棒を依頼したりもしている。今日は、学園長の大川に最近マラッカから到着したちょっとした壺などを手土産に商談するつもりである。忍術学園には硝石や新式の銃などをよく購入してもらっている。十代前半の子どもたちにそのような火器の使用を教え込むということ自体がひどく違和感を感じるのはいつものことだったが、ビジネスはビジネスである。供に荷物を持たせて馬で学園に向かう。と、そこへ見覚えのある子どもの一団が現れた。
「あ、カステーラさぁん!」
 真っ先に声を上げたのは、福富屋の息子のしんべヱである。
「カステーラさんだ!」
「今日は学園にご用ですか?」
 わらわらと取り囲むのは、しんべヱのクラスメートの一年は組の子どもたちである。
「おやおや、今日はみんなでどうしたのデスか?」
「みんなで…」
「こらこら、しんべヱ」
「こちらは?」
 元気よく答えようとするしんべヱを、双子のようにそっくりな顔の大きい少年たちが制する。
「こちら、カステーラさん! ポルトガルから来た商人で、パパのお友だちです!」

 


「君たちは、どこにいくのデスか?」
「ぼくたちね、庄左ヱ門をさが…」
 元気よく答えかけたしんべヱの口を、乱太郎ときり丸がふさぐ。
「どうしましたか?」
 カステーラが不審げに訊く。
「い、いえいえ、なんでもないです」
「ちょっとみんなでお散歩に…てな」
 不自然そのものの笑いを浮かべた一年は組と雷蔵、三郎が、しんべヱを引きずりながら校門を離れていく。唖然としてその動きを眼で追っていたカステーラだったが、ようやく用件を思い出すと肩をすくめて校門をノックする。

 


「だめじゃないか、しんべヱ。カステーラさんに言っちゃ」
 カステーラの姿が見えなくなったところで、ようやくしんべヱの口から手を離したきり丸と乱太郎が座り込む。
「え? なんで?」
 しんべヱには、まだ理由が呑み込めていないようである。
「カステーラさんが来た理由を考えてごらん」
 しんべヱの前に腰を落とした雷蔵が、噛んで含めるように言う。
「学園長先生に、会いに来たんだとおもいます」
「だとすれば、カステーラさんに、僕たちの外出理由を知られてしまうのはまずいだろ? 僕たちは無断で出てきちゃってるんだから」
「そうでした!」
 ようやく合点がいったらしく、満面の笑みでしんべヱは手を挙げる。
「ったく、もうちょっと早く気付いてくれよな」
 ぶつくさ言うきり丸を傍目に、雷蔵が立ち上がった。
「さて、これからどこを探す?」
 う~ん…と腕を組んで考え始めるは組たちを、信じられないといった眼で三郎は見渡す。
「君たち、本当に何にも思いつかないのかい?」
「三郎は、どう見るんだい?」
「私の思うに、庄左ヱ門は、あの性分だから、登校する途中に寄り道するとは考えにくい。とすれば、学校に来る道中で何かあったと考えるのが普通だね」
「ということは、まずは庄左ヱ門の家に向かう道を探すってことですね?」
 乱太郎が訊く。
「そういうこと。さ、庄左ヱ門の家に向かう道を教えてくれないか」
「「はーい!」」

 


「はぁ、ひぃ、ふぅ…」
 山道に差しかかってからほどなく、しんべヱは早くも息を切らし始めた。
「もうバテたのかよ」
「ほら、しっかりしてしんべヱ…」
 乱太郎ときり丸が背中を押す。
「大丈夫なのかい?」
 雷蔵が訊く。こんな有様では、庄左ヱ門の行方を探す前にしんべヱを学園に連れ戻すのが先になってしまうのではないかと思いながら。と、しんべヱの足が止まった。同時に口から大量のよだれが垂れる。
「おにぎりのにおいだ!」
「へ?」
 こんな山奥に? と三郎と雷蔵が顔を見合わせる。その間にも何かを感じ取ったように、は組のクラスメートがしんべヱを囲む。
「どっちだ?」
「あっち!」
「よし、行こうぜ!」
「しんべヱ、行け!」
「おにぎり~!」
 きり丸や団蔵がけしかけると、しんべヱは、先ほどまでの鈍足がウソのような俊足で駆け出した。
「どういうことだい?」
 しんべヱの変貌ぶりに唖然とした三郎が訊く。
「しんべヱは、食べもののにおいは犬よりよくかぎつけるし、そうすると馬よりも早く走れるんです」
 乱太郎が解説する。
「だけど、こんな山道でおにぎりなんて…」
 三郎が肩をすくめるが、その間にきり丸たちが足を早める。
「おうい、そんなに走るなって」
「どんな連中がいるか分からないんだぞ」
 しんべヱを追って駆け出したは組たちのあとを、取り残された雷蔵と三郎が追いかける。
 -これが、一年は組があれこれ変な事件に関わる原因だな、と納得しながら。

 


「おにぎり~!」
 よだれを流しながら山道を駆けてきたしんべヱが、不意に藪へと飛び込んだ。
「あ、しんべヱ! どこに行くんだよ!」
 見失わないようにと後に続いてきたは組たちも次々と藪に姿を消した。
 -この先におにぎりがあるというのか…?
 後から駆けつけてきた雷蔵と三郎が、思わず藪の手前で足を止めて顔を見合わせる。と、藪の中から声が上がった。
「ホントだ、こんなところにおにぎりがあった!」
「ちょっと待って、忍たまの友もあるよ!」
「これ、庄左ヱ門の荷物だ!」
 最後に聞こえた伊助の声に、立ち止まっていた雷蔵たちも条件反射のように藪の中に駆け込む。

 

 

 荷物の中に忍術学園に通うことを示すものを全てしまっておいて、これほどよかったと思ったことはない。オシロイシメジ忍者につかまった庄左ヱ門は、荷物を藪の中に置いてきたせいで、身分を知られそうなものは何一つ持っていなかった。忍たまの友も、学級日誌も、手裏剣や五色米などの忍器も。
 -お弁当も入れておいたのは失敗だったけど。
 峠を下ったところで、どこか別の城の忍らしい男たちに火縄を積んだ荷車を引き渡したオシロイシメジ忍者たちは、改めて庄左ヱ門の身体を入念に検めた。そういえば自分を捕えたときは、よほど急いでいたのかろくに身体検査もされなかったことを思い出す。
 荷車から降ろされた庄左ヱ門は、次の峠に向かって次第に山道に近くなる街道筋をオシロイシメジ忍者たちに囲まれて歩かされていた。縛ると却って目立つので手足は自由だったが、その代わり周囲をすっかり固められていて、逃げ出せる隙は全くなかった。
「おい、小僧、何をしている」
 道端の茂みに時折手を突っ込んでは懐に運んでいる庄左ヱ門の様子に気づいたオシロイシメジ忍者が小突く。
「だってお腹すいたし。これからどうなるか分からないから、あとで食べようかと思って」
 庄左ヱ門が開いて見せた掌には、野イチゴの小さな実がいくつもあった。
「なんだ、野イチゴか」
 オシロイシメジ忍者のひとりが、いかにも興味なさそうに呟く。
「ああ、お腹すいた」
 言いながらいくつかを口に放り込みながら、庄左ヱ門は、先ほどから気付かれないように拾った野イチゴを落としている。 
 -どうか、一年は組のみんなに見つけてもらえますように…。
 きっと仲間たちは自分を探しに来てくれる。それは庄左ヱ門のなかでは確信だった。たとえ教師たちが止めても、仲間たちはきっと自分の身に起きた災厄を察知して、助けに来てくれる。実戦経験豊富な一年は組なら、必ずできる。それを信じて、庄左ヱ門は痕跡を残そうとする。
「あの…トイレ行きたいんだけど」
 不意に立ち止まった庄左ヱ門がもじもじする。
「そこらでやれ」
 にべもない台詞が浴びせられる。
「でも、大きいほう…」
 上目遣いに庄左ヱ門は言う。
「しょうがねえな。道端のもの手当たり次第に食ってるからそうなるんだ…」
 先に立って歩いていたオシロイシメジ忍者が肩をすくめる。
「じゃ、そこの草むらでしてこい」
「ねえ、懐紙をちょうだい」
 庄左ヱ門が畳み掛ける。
「何に使うつもりだ」
「お尻をふくのに決まってるじゃん」
「そこらの葉っぱでも使え」
「紙しか使ったことがないのに、葉っぱなんてぜったいムリ! お尻が切れちゃったらどうするのさ!」
 小さい子どものように地団駄を踏んで声を上げる。通りすがりの旅人が不審げに眼をやる。
「わかったわかった、そんなにデカい声を出すな」
 懐から懐紙を取り出しながら、オシロイシメジ忍者がなだめる。
「ほら、この紙を使え…その代わり、変な気を起こすんじゃないぞ」
「ありがとう!」
 何事もなかったかのように笑顔で答えた庄左ヱ門は、そそくさと草むらに身を隠す。

 

 

「庄左ヱ門の荷物だって?」
 がさがさと藪をかき分けて雷蔵と三郎が現れる。そこには、庄左ヱ門の荷物を前に座り込んで涙ぐむ伊助と、沈痛な面持ちで取り囲むは組の生徒たちがいた。
「これ、庄左ヱ門の『忍たまの友』です」
 しゃくりあげながら、伊助は雷蔵たちを見上げた。
「どうして分かるんだい?」
 三郎が訊く。
「これ…この付箋は、いつも庄左ヱ門が予習や復習の時にはさんでいるんです」
「なるほど、庄左ヱ門の字だな」
 言いながら三郎が手に取ろうとしたとき、
「ちょっと待って」
 雷蔵が鋭い声で制する。
「な、なんだい」
「この荷物は、見つかった時のまま、動かしていないかい?」
 三郎の問いに答えず、雷蔵は荷物に近づきながら訊く。
「はい…そうだと思いますが」
 伊助が立ち上がりながら答える。
「ふむ…そうすると、この荷物は、庄左ヱ門が自分で置いたってことになるね。いや、隠したと言うべきかな」
「へ…?」
 は組たちがきょとんとする。いつもなら「わかりました!」と手を挙げる庄左ヱ門が、ここにはいないのだ。
「そうか、庄左ヱ門は身軽になる必要があったということだな?」
 三郎が代わりに応じる。
「そういうこと。藪の下に隠すように置いてあったということは、庄左ヱ門は身軽になる必要があった。きっと、藪を鳴らすリスクを小さくしたかったんだろう。そして、すぐに戻ってくるつもりだった」
「だから、荷物に弁当が入ったままだったということか」
 顎に手を当てながら、三郎が頷く。
「そういうこと」
 にっこりとした雷蔵だったが、すぐに深刻な顔になって続ける。
「…だけど、そうはならなかった」
「あの、先輩」
 遠慮がちな声に、雷蔵たちが振り返る。虎若が、藪の向こう側を指差していた。
「ひょっとしたら、庄左ヱ門は、あの街道を見張ろうとしていたのではないですか」
「街道?」
 全員が虎若の指差す先に眼を向けた。藪を抜けた先には、たしかに街道らしい道があった。だが、通る人影もない裏街道のようだった。
「なるほど、あの街道で怪しげな連中を見つけた庄左ヱ門が、ここで見張ろうとした、ということか」
「そして、おそらく、相手に見つかった…というわけだな」
「ということは、あの街道になにか証拠があるかもしれないってことですね!」
 弾んだ声を上げた団蔵が駆けだそうとする。
「待て待て」
 三郎が団蔵の襟首をつまみ上げながら注意する。
「なんでですか?」
 親猫に運ばれる子猫のように手足をだらりと下げた団蔵が振り返る。
「見ての通り、あの街道は人通りが少ない。ということは、庄左ヱ門の身に何かあった時の証拠がまだ残っているかもしれない」
「そう。お前たちが不用意に足跡をつけたら、せっかくの証拠が消えてしまうかもしれない。だから、そっと近づくんだ。いいな」
 雷蔵と三郎が説明する。
「「はいっ」」

 


「いくつも足跡があるね」
「これって、荷車の跡じゃない?」
 街道に残る痕跡を検分したは組と雷蔵たちが、ふもとに向かう荷車の轍を見つけるのは簡単だった。
「けっこう轍が深いね。なにか重いものを積んでいたのかな」
 しゃがみこんで轍を見た三郎が、考え深そうに言う。
「しかし、牛や馬を使った形跡がない。人手だけで運んだんだな」
 ひずめの跡がないだろ、とは組たちに教えながら、雷蔵が続ける。

 

 

 トイレを理由に草むらに身を潜めたのも、懐紙を手に入れたのも、もちろん目的があってのことだった。
 -とにかく、いま分かっていることをメモに残さなきゃ…。
 そう思って、懐に確保しておいた野イチゴを潰した汁で懐紙に精一杯の情報を書き込むと、紙片をそっと草むらに隠す。
 -どうか見つけてくれますように。
 そう願いながら野イチゴをいくつか置くと、がさごそと藪をかき分けて街道に出る。

 


「おい、しんべヱ。さっきから何食ってんだよ」
 しきりに地面を眺めまわしては拾って口に入れているしんべヱに、きり丸が声をかける。
 -まあ、しんべヱなら、腹をこわすことはないだろうけど。
 と思いながら。
「そうだよ。拾い食いなんて、やめた方がいいよ」
 乱太郎も、お腹を壊すから、とは言わない。
「だって、さっきから道の上に野イチゴが落ちてるんだもん。とっても甘くておいしいよ!」
 数歩先にも野イチゴを見つけたしんべヱが駆け寄ろうとする。
「ちょっと待った」
 苦笑しながら聞いていた三郎が、ふいに固い口調でしんべヱの肩に手を置く。
「どうしたんですか?」
 動きを止められたしんべヱが不審そうに振り返る。
「おかしいと思わないかい、雷蔵」
「ああ、すごくね」
 三郎の意をすでに汲んだ雷蔵が、かがんで道端の草むらを調べる。
「このあたりに野イチゴは生えていない。ということは、自然に落ちてここに転がってきたとは考えにくい…君たちは、何か思いつかないかい?」
 ぐるりと取り囲むは組たちににやりと笑いかける。
「あ…」
 伊助がはっとしたように顔を上げた。
「「庄左ヱ門だ!」」
 数人が声を上げる。
「そういうことなんですか?」
 乱太郎が三郎を見上げる。
「だと思う。さすが私の庄左ヱ門だな」
 笑いかける三郎を、雷蔵は黙って見ていた。
 -三郎、あんなにムリして…。
 雷蔵には分かっていた。本当はじっとしていられないほど庄左ヱ門の身を案じていて、今すぐにでも駆け出したい衝動を必死に抑えているのだ。下級生たちを不安がらせまいとする責任感だけが、三郎をこの場にとどめていることは明らかだった。
 -本当は、一刻も早く庄左ヱ門を探し出したいんだね。
 だから、努めて明るい声を上げる。
「さ、みんな急ごう。せっかく庄左ヱ門が証拠を残してくれたんだ。動物に食べられたりする前に追跡するよ。しんべヱ、どんどん庄左ヱ門が落とした野イチゴを見つけてくれないか」
「わっかりましたっ!」
 元気よく返事をすると、しんべヱは、山道を歩いているとは思えないほどの足歩で峠に向かって登っていく。

 


「わざわざ人を呼んでおいて、『商品』がガキ一人とはな」
 人気のない峠道でオシロイシメジ忍者たちと落ち合った人事部のヒューマンリソース担当の忍は、大仰にため息をついた。
「何か文句あんのかよ」
 庄左ヱ門をここまで連れてきた忍の一人が食ってかかる。
「分かってねぇな」
 ヒューマンリソース担当は肩をすくめる。
「オシロイシメジ忍者ともあろう者が、人買いの市場動向も知らないとは情けない」
「ど、どういうことだ」
 もう一人の忍がためらいがちに訊く。
「あのさ、お前らは人買いが買った連中を東国や陸奥に連れてくとか思ってるようだが、そんなのは昔の話だ」
「今は違うのか」
「…ここ数年、東国は冷害続きで、百姓は食うにも困ってるし大名たちも新たな戦をやる余裕がない。それどころか、年貢も払えず食い物もない貧しい連中が女子供を身売りに出してるから、逆にあっちで売られた連中がこっちに流れ込んできてるくらいだ。逆に西国では南蛮人が人買いから買った連中を唐や南蛮に輸出しているらしいが、南蛮人はこっちまで来ないし、こっちから西国に運ぶのも一苦労だ。特に瀬戸内は海賊が暴れまくってる上に、大名が海上にも手を出してあっちこっちで戦になってるからな」
「そんなものなのか」
「ああ」
 ヒューマンリソース担当は大きく頷くと、胡散臭げな眼で庄左ヱ門にちらと眼をやる。
「だから、このあたりには売られた連中がだぶついて市場価格が落ちてるってことさ。このガキだって、こんな小さいんじゃ屋敷の下働きくらいしか使い道がないだろう。これでよほど美形なら、稚児好きのマニアが喜んで夜伽の相手に買い取りもするだろうが…」
 忍たちの眼が一斉に庄左ヱ門に注がれる。
「だな…」
 忍の一人がため息をついて肩をすくめる。
「だが、だからと言ってここで放り出すわけにもいかんだろう。あの取引を見ちまってるんだから」
「仕方がない」
 ため息をついたヒューマンリソース担当が続ける。
「…このガキは俺が連れて行くよ。昨日、西国ルートに強い人買いから聞いたが、西国に向かう人買い船が堺の港にいるそうだ。大坂屋という商人がエージェントになっているらしい。とりあえずそいつに売りさばいてみるとするさ」
「ありがたい」
 そこで話は終わり、庄左ヱ門を捕えた忍の一人とヒューマンリソース担当が堺に向かうことになった。
「行くぞ、ガキ」
 背中を押されてやむを得ず歩き出す。
 -どうしよう…。
 さすがの庄左ヱ門も、どうすればいいか分からなかった。
 -ぼく、南蛮に売り飛ばされちゃうの…?
 それが具体的にどのような状況になることを意味しているのか、庄左ヱ門の想像を超えていた。

 


「…そういえば、さっき、門の外で子どもたちに会いマシタ」
 吹き渡る風に鳴る竹藪のざわめきを鹿脅しの鋭い音が刻む。学園長の庵で大川と向き合うカステーラは、ここに来るといつも日本らしい簡素な緊張感を感じる。床几にかけた背がしぜんと伸びる。必然的に見下ろす位置にある大川だったが、それを感じさせない存在感はなんなのだろう。
「勝手に出るなといったのじゃが…まったく」
 腕を組んだ大川が小さく首を振る。
「何かあったのですか?」
「生徒が一人、いなくなったのじゃ…おそろく、どこかの城の忍に誘拐されたのじゃろう。いま、先生方が手分けして捜索しているところじゃ。だから、生徒には勝手に外に出るなと言ったのじゃ」
 それでもあのように半ば大っぴらに門のあたりをたむろしているということは、実のところ大川という人物の威光というものは、それほどではないのかも知れないと、ふと感じるカステーラだった。
「学園長先生、失礼します」
 縁側の下から押し殺した声が聞こえる。
「なんじゃ」
 まるで独り言を口にしているように大川がぼそりという。
「庄左ヱ門の行方につながる直接的な証拠はまだ見つかっていません。ただ、ちょっと気になる話があります」
 声の主は、五年生担当の木下である。庄左ヱ門をさらった勢力が、学園の動きに変化が生じているかを観察している可能性がある。だから、あえて一年生は通常と変わらない授業態勢を取っていた。その代わりに動いているのが上級生の担任たちだった。
「というと?」
「オシロイシメジ忍者が妙な動きをしています。今までと違い、西国につながりの深い人買いとの取引を試みているようです。そのうちかなり手広くやっている人買いとは、今日明日にも交渉を始める模様です」
「どういうことデスか?」
 大川と同座して話を聞いていたカステーラが訊ねる。
「オシロイシメジが手元に置いている人間を売り払うつもりなのじゃろう。木下先生がわざわざ報告してきたということは、その中に庄左ヱ門もいるのかも知れぬ」
「そうですか…」
 カステーラは考え込む。西国、という言葉が気になっていた。今時分、西国で大っぴらに人買いを展開していそうな商人のなかには、確実に同胞たちが含まれていたから。
「どうかしましたかな?」
 大川が訊く。その口調は穏やかだが、視線は鋭い。
「西国では、私の仲間たちも人買いを手掛けていマース」
 悄然とカステーラは告白する。
「そのようじゃな」
「もしかしたら、そのオシロイシメジたちが取引しようとしているのも、私の仲間たちかも知れません。すでに、日本人を香料諸島やインドに売り払ったことのある者も少なくない」
「…ふむ」
 大川が腕を組んで考え込む。
「…私は、そのようなビジネスは反対デース。ここはアフリカではない。同じような奴隷貿易ができるなどとは考えにくい。でも、私の仲間たちでそう考えるものは少ない」
「すでに一部の大名は、そのような動きを警戒している」
 カステーラの懸念を確認するように、大川は言い切る。
「私も、それが心配なのデース」
 これ以上、権力者に眼をつけられては、日本でのビジネスが壊滅する恐れすらある。無自覚に近視眼的なビジネスに邁進する西国在住の同胞たちには分からないのだろうが、堺で畿内の空気を肌で感じるカステーラには、すでに自分たちポルトガル人に向けられている視線に警戒感が混じっていることを感じずにはいられない。
「そこでじゃ、カステーラ殿」
 大川が言葉を切ったとき、水音が高く鳴り、鹿脅しがひときわ高く響いた。
「…」
 その続きにはもはや想像がついていたが、カステーラはごくりと唾を飲み込んで続きを待った。
「庄左ヱ門の救出に、ぜひご協力をお願いしたい」

 

 

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