さらわれた庄左ヱ門(3)

 

「商品が一人では収支が取れない…」
 算盤をはじきながら、大坂屋は眉を寄せる。
 琉球人の海賊が乗っ取った石見の船を堺に寄港させた大坂屋だったが、西航する船に乗せるべき日本人奴隷がまったく集まらないことに苛立っていた。今のところ、手元の在庫はオシロイシメジ忍者が持ち込んだ少年一人だけである。
「もう少し荷が集まるのを待った方がよいか…」
 堺でもそれほど大店ではない大坂屋は、このところ経営状態が芳しくなかった。東国の産品を主に取り扱っていたのだが、このところ例年のように東国を襲う冷害の影響で、産品の出入りが極端に減っていたのである。もはや通常の商売では凌げないと非合法を承知で手掛けることにしたのは人買いである。もともと東国や陸奥方面への人買いの流れがあることは把握していたが、これまでは権益が確立していて大坂屋が入り込む余地はなかった。
 東国の冷害は、人買いの需要も激減させていた。そこへ、新たに発生した需要が、西国の南蛮商人である。交易の民である琉球人の海賊とは、同じように商売が傾いていた別の商人がコンタクトをつなぐ。大坂屋が堺で商品であるところの奴隷を集め、琉球人の海賊が西国の南蛮商人へと搬送する流れができた。
 -カムフラージュのためにわざわざ他国の船を乗っ取らせたというのに…。
 乗っ取った船が石見の船だったことがケチのつきはじめだった。石見といえば銀山である。博多が独占している銀の取引に堺が食い込んだかと必要以上に注目を集めてしまった。しばらく目立たないように活動を控えざるを得なかったぶんだけ、商品の集まりが悪くなってしまったのだ。しかも、手を組んだ琉球人の海賊たちは、どこで手に入れたのか最高級の上布でできた着物をこれ見よがしに着て、これまた琉球王府の明への献上品とかいう上等な刀を差して出歩きたがり、目立つことこの上なかった。今のところはこれらが目立たないよう、バブリーな商人が好むような派手な錦の胴着を着させているが、それで怪しまれずに済ませることなど、端から期待していなかった。
 -だから、とっとと荷を積むだけ積んで出港させたかったのだが…。
 さらに面倒なことに、ここ数日は社交行事が重なっていて、ビジネスに割ける時間がほとんど持てなかった。今日は都から来た商人を迎えた宴席だし、翌日は天王寺屋、その次の日は福富屋から招待がきていた。
 とりあえず船が堺を出港してしまえば、もし船が取締船や海賊に拿捕されてしまったとしても、いくらでも関係のないふりをすることができる。そもそもこの手の非合法取引では、当事者の名を記した契約書類の類を作成することもないのだ。だが、船が堺にいる間に正体を見破られてしまっては、言い逃れは不可能である。もう少し『商品』が到着するのを待つか、あまり長い間停泊させて怪しまれるリスクを高めるか、難しい判断だった。
 -まあいい。とにかく、この社交行事をこなしたあとに考えるとしよう。それまでは、あの琉球の連中にもあまり出歩かないよう申し渡しておくとしよう。
 そう考えた大坂屋は丁稚を呼ぶ。
「亀丸と青鉢を呼びなさい」

 


「ほう、君が、大坂屋さんと一緒にいた連中の正体を見破ったと」
 夕食後、車座になった生徒たちとカステーラが救出作戦を相談していたとき、宴席を中座した福富屋が加わってきた。
「そうなんです。伊助が、琉球の上等な布でできた服に気付いたんです。あと、しんべヱも、連中の持っていた刀が琉球のものだと」
 雷蔵が傍らの伊助の頭を撫でながら説明する。伊助がくすぐったそうに首をすくめる。
「ところで、君とそっくりな顔をした子はどうしたのかね。ほかにも何人かいないようだが」
 車座を見回しながら福富屋が訊く。
「僕とそっくりなのは、鉢屋三郎といって僕の同級生です。変装の名人で、いつもは僕の顔に変装しているんです」
「鉢屋先輩ときり丸、虎若、兵太夫は、大坂屋さんの船を見張っています。夜になにか動きがあるかもしれませんから」
 乱太郎が説明する。
「なるほど。ところで、ちょっとまずいことになった」
 福富屋がふいに眉を寄せる。
「どうしたの? パパ」
「それがだ。今日の宴席で、大坂屋さんと一緒に来た石見の商人を名乗る連中が琉球の上布を着ていることに、越前屋さんが気付いてしまった。それも、黙っていてくれればよいものを、連中に言ってしまったのだ。まあ、越前屋さんは琉球貿易に強いし、この件については何もご存じないから仕方ないのだが…」
 その時のことを思い出しただけで冷や汗が出て、額を拭う福富屋だった。
「それで、彼らは何と答えたのですか?」
 カステーラが訊く。
「連中だって馬鹿ではない。博多で琉球の商人からもらったようなことを言ってごまかしてはいたが、あの時の大坂屋さんの表情はただ事ではなかった。ひょっとして彼らは出港を急ぐかも知れぬ」
 自分が大坂屋だったらそうするだろう。福富屋の表情に焦りが浮かぶ。
「もう大坂屋さんの調べは終わったのデスか?」
 カステーラが訊く。
「いや…大坂屋さんも慎重に尻尾を隠している。巧妙に書類を作っているので、あの船が乗っ取られたという証拠をなかなかつかめないのです…もう少し時間が必要だ」
 額の汗を拭いながら福富屋が答える。
「時間を稼ぐ必要があるということデスね…?」
 考え深そうにカステーラが腕を組む。
「であれば、いっそ、私が奴隷貿易を持ちかけてみれば…」
「ほう?」
「なるほど!」
 福富屋と雷蔵が反応する。
「え…パパ、どーゆう意味?」
 話に全くついていけてないしんべヱが訊く。
「いいか、しんべヱ。大坂屋さんは南蛮人との付き合いはないし、奴隷貿易のことにも詳しくない。だから、カステーラさんが奴隷貿易を持ちかけたとしても、怪しまれることはないだろうということだ」
 福富屋が解説する。
「その通りデース」
 カステーラが大きく頷く。
「…だから、もし大坂屋さんが庄左ヱ門君を『商品』として確保しているなら、私が奴隷貿易を持ちかければ、話に乗ってくる可能性が高い」

 


 -ここはどこ?
 薄暗がりの中で、庄左ヱ門は膝を抱えて座っていた。
 -どこかの蔵の中なことはたしかだけど…。
 ひんやりと湿った空気は、実家の黒木屋の蔵と同じものだった。だが、ここは黒木屋と違ってずいぶんいろいろなものがしまいこまれているようだった。臭いだけではそれが何かは推し量ることができなかった。
 ー父ちゃん、母ちゃん…。
 底知れぬ不安に不意に涙が滲む。庄左ヱ門は膝に顔をうずめた。
 -山田先生、土井先生…たすけてください…!
 両親の、担任の教師たちの姿が浮かぶ。
 -ぼくは、どうなっちゃうの…?

 


 庄左ヱ門が不安に慄いていたころ、同じ敷地の大坂屋の座敷では、主に対峙して2人の琉球人が座っていた。
「で、俺たちに禁足令を出すってか?」
 一人が居丈高に声を上げる。
「当然だ。これ以上お前たちに目立ってもらっては困る」
 大坂屋が顔をしかめて言う。
「そんな話は呑めねえな」
 もう一人がぼそりと言う。
「…分かっているのか。お前たちの素性が知れて、しかも今の仕事が明らかになったときには、お前たちは私と一緒に首の分だけ背丈が縮まるのだぞ」
 脂汗を流す大坂屋の切羽詰まった口調に、はじめて2人の表情に動揺が浮かぶ。
 2人は琉球の海賊の頭だった。亀丸、青鉢と名乗る2人は、はじめは琉球沿岸で活動していたが、琉球の国力低下に伴う交易船の減少と、大坂屋に連なる商人の誘いで、西国を中心に商船を乗っ取る稼業を続けていた。そして、いまは乗っ取った石見の船の船主を装って堺に滞在していた。
「だが、女もなしでこんなところに引きこもっていられるか」
「そんなことは女に構っていられる立場になってから言うのだな」
 大坂屋は焦りをにじませて言う。
「…そんな一目で怪しまれる格好でそこらをうろついて、おまけに今日の宴では越前屋さんにお前たちの服が琉球上布だと見抜かれたのだぞ。詮索好きな連中が、滅多に出回らない琉球上布を着た者がなぜ石見の船の船主をしているのかなどと噂を始めたら、万事休すだ」
「だからとっとと出航しろと言ってる」
「年端もいかない子ども一人載せて、何の稼ぎになると思っている」
 これ以上堺に停泊していることのリスクは、亀丸も青鉢もよく分かっていた。だからここはすぐにも出航するよう催促していたのに、算盤勘定ばかりの大坂屋は、発覚した時のリスクを言い立てるわりには動きが鈍い。
「畿内には売りに出ている連中がいくらもいると言ったのは、大坂屋、あんただ」
「だが、堺には入ってこない」
「だったら、とっとと出航するまでだ」
「それでは、金は払えない」
「なんだと」
「だから、子ども一人売り払っていくらの稼ぎになるかと言っている」
「途中で調達できないのか」
「私には調達する手段がない。お前たちが自前で集荷するなら勝手だが」
「なんだと!」
 ついにいきり立った亀丸が刀に手をかける。
「最初からそう言ってあるだろう。私には、堺でしか集荷することはできないと」
 震え声で大坂屋が答える。だが、その口調は、眼の前で刀に手をかけている人物への恐怖というよりは、非合法取引に手を染めたゆえに堺で商売できなくなる畏れが勝っているようである。 
「俺たちだって、このあたりにそんな伝手があるわけではない」
 青鉢がぽそりと言う。そもそも琉球人である自分たちにとって、テリトリーと言えるのはせいぜい薩摩の沿岸までで、瀬戸内や畿内はほぼ未知のエリアである。それでも海上のことであれば、各地の水軍とのつながりで無事に航行することはできたが、陸上で、それも禁制の奴隷取引を行うなどまったく見通しが立たなかった。
「…ではどうすればよいのだ…」
 そして、三人は腕を組んで黙り込む。

 


「しんべヱ。ちょっとこっちに来なさい」
 話し合いが終わって仲間たちは客間に案内されていた。久しぶりの自分の部屋に戻ったしんべヱが就寝前の饅頭を楽しんでいた時、部屋の襖が開いた。
「どうしたの? パパ」
 いつになく厳しい表情の福富屋に、しんべヱが素直に立ち上がる。あの後、宴席に戻っていった福富屋だったが、ようやく宴も果てたようである。酒で顔は赤らんでいたが、その眼は酔った者のものではなかった。
「パパの部屋に一緒に来なさい」
 しんべヱの肩を軽く押してついて来るよう促す。
「パパのお部屋?」
 思わず福富屋の顔を見上げる。こんな夜中に仕事用の座敷に行くなど考えられなかった。
「…しんべヱ、よく聞きなさい」
 長い廊下を、厳しい表情で前を見据えたまま福富屋は語る。
「この堺の街では、どんな形であれ、人買いだの奴隷貿易だのということは禁じられている。それは、大名たちに付け入る隙を作らないためです。そうすることで、この街の独立を守らなければならないのです」
「どくりつ?」
「そうです。忍術学園と同じで、この街はどこの大名の領地でもない。それはしんベヱのおじいちゃんのそのまたおじいちゃんの頃からそうなのです。どこの城の代官もいない代わりに、私たち街を代表する会合衆がこの街を統治している。だが、大名たちはいつも付け入る隙を狙っている。この街から南蛮人に奴隷を売る船が出発したなどと知られれば、たちまち御禁制を破ったということで占領しようとするでしょう。決まりを守れない者に自治など任せておけないと」
 難しい話にしんべヱの眼が点になる。だが、辛うじてこの堺の街に危機が迫っていることは察することができた。そして、そのきっかけが大坂屋の船であることも。
「だからこそ、私たちは、決まりを守れないものには制裁を下さなければならない。そして、御禁制に違反したなどという事実はなかったことにしなければならない…しんべヱ」
 福富屋は言葉を切った。
「なに? パパ」
「福富屋を継ぐ者として、しんべヱは、これからこの街の独立を守るとはどういうことか、その核心を見てもらいます。今日これから見ること、聞いたことはしっかり心に刻んで、忘れないようにしなさい」
 仕事用の座敷の前に着いた福富屋は、襖を開ける。しんべヱは思わず声を漏らした。
「うわぁ、すごい…」
 いつもならこの時間には真っ暗のはずの部屋には、いくつもの灯が入れられて明るく照らされていた。そして、中には数人の男たちがいた。その姿も、しんべヱには見覚えのあるものだった。
「ほう、これはしんべヱ君。また少し大きくなったようだね」
「ささ、こっちにおいで」
「こんばんわ、越前屋さん、角屋さん、大野屋さん!」
 そこにいたのは、堺を支配する会合衆のなかでも主だった人物たちだった。彼らも、つい先ほど、石見の船の正体について福富屋から告げられたばかりだった。にこやかにしんべヱを迎えた彼らだったが、内心はまだ動揺が残っていた。
「さて、遅くにお集まりいただいて申し訳ない。さっそく始めたいと思うのですが」
 座についた福富屋が口火を切る。
「…これまでの調査の結果、大坂屋さんのチャーターした石見の船とやらが、南蛮の商人に人買いから買った人間を運ぶためのいわゆる奴隷船である可能性がきわめて高くなりました。堺としてはそのような船がこの街から出航するようなことは断固として止めなければならない。そして、そのような事実があったことも絶対に外に漏らしてはならない。そのことについては、私たちの間でコンセンサスの相違はないと思いますが、いかがですか」
「おっしゃる通りですな」
「私もそう思います」
 客人たちが頷く。
「となれば、あとはいかに大坂屋さんのビジネスを止め、それをなかったことにするか、ということになりますが…残念ながら、今のところ、あの船が琉球の海賊に乗っ取られたという証拠はありません。書類上は、あくまで石見から雑貨を積んできた船ということになっている」
 苦渋をにじませながら福富屋が続ける。
「やはり、現場を押さえるのが一番ではないですかな。そうなれば大坂屋さんも何の言い逃れもできなくなる」
 角屋が口を開く。
「だが、その場合、堺として奴隷貿易があったことを認めてしまうことになるのでは。いざ大坂屋さんにペナルティを課す段になって、文書で沙汰を明記するよう求められたときに、我らの対応が詰んでしまうことになる」
 考え深げに大野屋が顎に手を当てる。
「そのとおりです。ですから、我々は、大坂屋さんが船に『商品』を積み込む前にその身柄を確保すると同時に、我々がすべてを把握していることを見せつけ、四の五の言わずに手を引くよう圧力をかけなければならない」
 角屋もつられて顎に手を当てる。
「だが、そういつまでも見張っているわけにもいかないでしょう。我々は忙しい。そう毎晩大坂屋さんを釘付けにするための宴会を開いてばかりもいられない」
 越前屋が面立ちに苛立ちを浮かべて言う。
「その通りです。だから、あぶり出すというのはいかがですかな」
 そういうときの福富屋の口調はいかにも駘蕩としていて、うっかりするとその意味を捉え損ねてしまいそうである。
「なにか、策があるということですかな?」
 さすがに福富屋の人柄を知り尽くした大野屋たちはすかさず反応する。
「明後日、我が家でカステーラさんを迎えた宴席を開きます。大坂屋さんも招待しています。その席で、カステーラさんが大坂屋さんに奴隷貿易を持ちかけるのです」
「なんと」
「いやはや」
 淡々と説明する福富屋に、大野屋たちは一瞬口をぽかんと開けたあと、せわしげに扇を使い始めた。
「それはいささかリスクが高いのではありませんかな」
 口元を扇で覆いながら角屋が呟く。大坂屋がそのことを役人に通報しないとも限らないのだ。
「だが、カステーラさんを使うというのは、なかなかの眼の付け所といえるのでは…」
 広げた扇を膝の上に置いたまま、越前屋は考え深げに言う。
「私は、大坂屋さんが役人に通報することはありえないと考えます」
 福富屋が言い切る。
「…大坂屋さんの性格から考えて、そのような藪蛇になりかねないようなことをしてまでアリバイを作ろうとするとは考えられません。それに、これまでのところ、大坂屋さんが『集荷』に成功しているとは考えにくい」
「それもそうですな」
 大坂屋の向かいに店を構える角屋が頷いた。店の者に命じてそれとなく見張らせていたが、目立った出入りは報告されていなかった。南蛮に奴隷として売り払うには、少なくとも数十人単位の『商品』が必要なはずだが、それほどの人数であれば、数回に分けたにしても眼につかないはずがなかった。 
「幸い、現在、しんべヱの友人たちが、大坂屋さんの船を見張っています。怪しげな動きがあれば、すぐに連絡が来ることになっている」
 ほう、と感心した視線が福富屋としんべヱに集まる。
「しかし、夜中に子どもだけで船を見張るなど、却って危ないのでは? うちの手代をやりましょうか?」
 角屋が心配そうに訊く。
「だいじょうぶ! 先輩たちもいるし…」
「しんべヱ…!」
 しんべヱがにっこりと答えかけるのを福富屋が制する。
「いやいや、ご心配には及びません。もうすぐうちの店のものと交代することになっておりますから」
「そうですか…ならばいいのだが」
 取り繕うような台詞に、角屋もそれ以上は追及してこなかった。

 


 -さても慌ただしくなってきたことだ。
 翌日も朝から引きも切らずに訪れる来客に対応しなければならなかった福富屋は、昼食もそこそこに仕事用の座敷にこもった。
 前夜の話し合いで、会合衆のコアメンバーの間では、大坂屋への対応が決まったが、それぞれが大店の主人である彼らはそればかりにかかずらっているわけにもいかなかった。番頭や手代たちがひっきりなしに相談や報告に訪れるし、机の上には眼を通すべき書状が山をなしていた。そこへさらに一通の書状が持ち込まれてきた。なんでも早馬で到着したばかりのものだという。ということは、返事も急がなければならないものであろう。福富屋は書状を開くと眼を通し始めた。
 -おや。
 眉がぴくりと持ち上がる。
 -忍術学園の山田先生が…これはこれは。
 読み終わった書状を机に置くと、福富屋は小さくため息をついてこめかみを軽く押さえた。
 -仕事は忙しいときに重なるというものだが、厄介ごとも同じと見える…。
 伝蔵からの手紙には、大至急硝石を手配してほしいとあった。理由は書いていなかったが、おおよそ見当はついた。
 -また、どこかの城と少しばかりやりあったか、あるいは何とかいう事務員が暴発させてしまったのだろう…。
 それはいいとして、硝石はいま、どこも在庫が足りなくなっている。海上の気候が安定しないためか、今年は唐や南蛮から到着する船が少ないのだ。硝石の入荷も少なくなっていて、どの商人も在庫の確保に四苦八苦している。
 -とはいえ忍術学園さんは大事なお得意先だ。なんとかかき集めなければ…。
 だからといってあまり硝石の在庫集めが目立ってしまうと、福富屋の取引先が戦の準備を強化しているとの噂が立ちかねない。取引先にはいくつもの城も含まれているのだ。そして、ちょっとした噂がきっかけとなって大きな戦になりかねないのがこの時代である。
 -大坂屋さんの件といい、気が重いことだ…だが、そう言ってばかりもいられない。
 もう一度小さくため息をついた福富屋は手代を呼ぶ。まずは忍術学園向けの硝石を集めなければならない。

 


「やれやれ、今日中にはお返事はいただけないってさ…異界妖号」
 福富屋の屋敷にある馬小屋の前で、藁束で馬の身体をさすってやりながら、清八は話しかける。
 忍術学園からの急ぎの書状を運んできたのは清八だった。急ぎの書状であれば、当然返事もすぐにもらえるものと思っていたが、手代が言うには返事には少し時間がかかるので、今日は福富屋に泊まっていただきたいとのことだった。次の仕事が立て込んでいるわけでもなかったので、清八は言われるままに馬小屋に馬を入れることにした。
「それにしてもここ数日、妙に慌ただしいことだな」
 湯をつかったあと使用人用の食堂の片隅で夕食をかき込んでいた清八は、ふと近くで話している声に耳を傾けた。
「そうだよな。南蛮の商人が来たせいか、ここのところ毎晩のように宴会続きだし、しんべヱ坊ちゃんのお友達も来ていて、変な動きしてるしな」
 -お友達?
 汁をすすりながら清八は考える。たしか、福富屋の息子のしんべヱは、自分たちの頭である加藤飛蔵の息子の団蔵と同じクラスと聞いたことがある。
 -てことは、若旦那もこちらに来なさってるのかな…?
 考え込む清八をよそに話し声は続く。
「へんな動き?」
「そうさ。毎晩毎晩何人かがいないんだ。どこに行ってるか知らないが」
「そんなら聞いたことがあるぜ。大坂屋さんの船のところにいて、見張ってるらしいぜ」
 別の声が会話に加わる。
「大坂屋さんの船? ああ、あの石見から来たとかいう?」
 全く関心を示さない声が訊く。
「…あんなここ最近荷役もせずに泊まってるだけの船に何があるっていうんだろうな」
「さあな。ところでよ…」
 ここで話題は転換し、聞くともなしに聞いていた清八もたちまち考えは別の方向へとそれていったのだった。

 


「私は、クエン・カステーラといいマース。ポルトガルから来マシた。どうぞお見知りおきを」
 福富屋の座敷には分厚い絨毯が敷かれ、紫檀でできた長テーブルとイスが並べられている。テーブルには、カステーラの船に同乗していた料理人が腕を振るった南蛮料理がずらりと鎮座している。たくさんのランプの灯が、カットを施されたグラスを満たしたワインの深い紅色に映えて、さながら南蛮の城の宴会場がそっくり移動してきたようである。
「カステーラさんは、日本、なかでもここ堺でのビジネスが長い、我々の重要なパートナーです。今回も無事に航海を終え、ここに到着されたことを心から歓迎します」
 すでにワインの酔いで頬が染まっている福富屋がスピーチを続けている。
「…私たちの多くはすでにカステーラさんとは知り合いですが、より多くの方に知り合っていただき、カステーラさんのビジネスがより大きな成功となりますよう、今日のこの場を設けさせていただきました!」
 -そんなことはどうでもいい。早く終わらないか。
 上機嫌な福富屋の長広舌が続いている間、居心地の悪い思いで慣れない椅子の上で手持無沙汰にワイングラスを持ち上げたりまわしたりしているのは大坂屋である。もう一刻も待てない、早く出航させろと亀丸たちからは突き上げられていた。今回は子ども一人しか『商品』がないが、とにかく堺から船を出すしかないと大坂屋は覚悟を決めつつあった。とにかく出航させた後は、ダーティビジネスに手を染めそうな商人仲間に声をかけて、瀬戸内あたりのどこかの港で追加の『商品』を積み込むしかない。
 -それなのに、こんなどうでもいい宴会に呼び出されるとは…。
 昼間は人目につく。だから夜中にひっそりと蔵の中に監禁している『商品』を船に積み込まなければならなかった。それなのに、毎夜の宴会で作業は延び延びになっていたのだ。
 -おまけに、あやしい子どもが船を見張っているとは…。
 一年は組たちによる見張りは、そろそろ琉球の海賊たちが警戒するレベルに達していた。
 -おまけに追跡をかわすとは、もしかしてただの子どもではないのでは…?
 怪しんだ青鉢が遊びを終えて帰っていく子どもを追跡したが、大通りに出るや蜘蛛の子を散らすように雑踏に姿を消してしまったのだという。
 -ひょっとして誰かの差し金か? あるいは屋敷を見張らせているオシロイシメジ忍者に依頼して調べさせた方がいいのか?
「…ところで、大坂屋さんも、カステーラさんとお会いするのはお初めてとか」
 考え込んでいたところに唐突に話を振られて、大坂屋はあやうく手にしたワイングラスを取り落しそうになった。
「そ、そうですな。初めまして、カステーラ殿。私は大坂屋といいます」
 ひきつった笑顔で取り繕うように言う大坂屋に、カステーラはにこやかに手を差し出した。
「こちらこそ。私はクエン・カステーラといいマース。ぜひ、こんど大坂屋さんともビジネスのお話をさせてくださーい」
「こちらこそ。いたみいります」
 ぼそぼそと答えて眼をそらそうとするが、カステーラの手は大坂屋の手を握ったままである。
「ああ、これは大坂屋さんには慣れないことでしたかな。手を握るのは南蛮の挨拶のやりかたなんですよ」
 当惑したような表情を見取った福富屋が声をかける。
「ああいや、存じておりますが…」
 よりによって、カステーラの隣に席をしつらえられてしまった大坂屋は、その場を立つこともできない。会合衆のメンバーでもない自分が、このような座の中央に通されること自体が不審だったが、それよりも、こんな目立つ場所では、宴の盛り上がりに紛れてそっと帰ることもできないではないか…。
「それでは皆さん! カステーラさんのビジネスの成功と堺の繁栄を祈って、乾杯しましょう!」
 福富屋がひときわ陽気な声で何回目かの乾杯を宣言する。
「「乾杯!」」

 


「お前たち、こんなところで何をしている」
 大坂屋の船を物陰から見張っていた雷蔵、伊助、団蔵の三人は、背後の声にはっとして振り返った。
「山田先生! 土井先生も!」
「ようやく見つけたぞ。まったくお前たちは、学園長先生の許可もなく勝手に庄左ヱ門を探しに出おって。相手はオシロイシメジ忍者なのだぞ。危険なことはするなとあれほど…って、聞いてるのかよ!」
 腕を組んで説教モードに入っていた伝蔵だったが、その間に伊助と団蔵が半助の手を引いて元の場所に戻ってしまい、眼の前には誰もいなかった。
「土井先生、聞いてください! あの船、とってもあやしいんです!」
「そうなんです! 石見の船とかいってるけど、あやしい琉球人たちが出入りしてるんです」
「で、先生方はなぜここが?」
 口々に説明しようとする伊助と団蔵に苦笑いしている半助に、雷蔵が訊く。
「ああ。私たちは学園長先生のご指示でオシロイシメジの動きを追っていて、ここにたどり着いた。どうも庄左ヱ門が行方不明になったあたりでオシロイシメジが動いていたと情報があったからな。お前たちはどうしてここにいる」
「僕たちは、庄左ヱ門が残した証拠を追ってここまで来ました。先生方の仰る通り、オシロイシメジ忍者が庄左ヱ門を誘拐したようです」
「それで、お前たちはなんであの船を見張っているのだ」
 要領よく説明した雷蔵に、半助が訊く。
「どうやら、オシロイシメジ忍者は大坂屋を通じて庄左ヱ門を人買いに売るつもりのようです。あの船は大坂屋のチャーターした船のようで表向き石見の船ということになっていますが、琉球人の海賊に乗っ取られた可能性が高いので、見張っているのです。幸い、ここは堺なので、しんベヱのお父上の福富屋さんやカステーラさんにもご協力いただいて、大坂屋の動きを封じ込めようとしているところです」
「庄左ヱ門は、まだあの船には積み込まれていないようだな」
 いつの間にかそばに来ていた伝蔵が言う。
「どうしてそれを…?」
「ここに来る前、私と土井先生は大坂屋の屋敷の様子を探ってきた。蔵のあたりにオシロイシメジ忍者が何人か張っているのを見かけた。おそらく、庄左ヱ門はあの蔵の中にいる」
「それで、どうしますか?」
 伊助が期待に満ちた目で見上げる。
「庄左ヱ門を奪い返すのは簡単なことだ。オシロイシメジ忍者もそれほど大勢いるわけではないからな。だが、蔵の中に庄左ヱ門のほかに何人、人買いに連れてこられた人がいるか分からん。それに、騒ぎになってはまずいのだろう?」
「そのようです。福富屋さんは、この街で人買いや奴隷貿易が行われていることが大名たちに知られることをとても心配していらっしゃいました。それに…」
 雷蔵が声をひそめて説明する。
「それに?」
「今、三郎があの船に潜り込んでいます。それと、カステーラさんが、わざと大坂屋さんに奴隷貿易を持ちかけてみるそうです。今日の宴で」

 


 -意外に狭いな…。
 船に入る経験の少ない三郎は、外観よりもよほど狭い船内に少し戸惑う。
 -こういう構造では、隠れるのも難しい…。
 普通の家屋と違って、船には床下や天井裏というものがない。その代わり、船尾の屋形がある甲板下の薄暗がりには、天井の低い部屋がいくつもあった。だが、その部屋が無人とは限らないのだ。狭い船には水夫たちをはじめとする大勢の人間がひしめいていたから。
「誰だ!」
 鋭い声での誰何に、三郎は手にした灯を持ち上げる。青鉢に変装した三郎は、自分の変装に絶対の自信を持っている。それが態度にも表れる。
「俺だ」
「なんだ、青鉢か」
 相手は明らかに安心したように声を上げる。
「それにしても、いつもの自慢の上布はどうした」
 緊張が取れたのか、揶揄するように話しかける。
「言われたんだよ。目立ちすぎるからこれ見よがしに着るなってな」
 顔は完璧に変装した三郎だったが、さすがに木綿の上布の着物や錦の上着までは手配できない。だから、着物はいつものものだった。
「はは、ついに大坂屋に言われちまったか…それにしても、ずいぶんなボロだな。お前らしくもねえ」
 -ボロで悪かったな。
 内心、悪態をついた三郎だったが、まったく怪しまれていないことも確認できたので、変わらない口調で言う。
「なに、戻ったらもっと上等なやつを着てやるさ」
 そして、灯を持ったまま船の奥へと足を進める。まだ庄左ヱ門が囚われていないことを確認するために。そして、他にも囚われている者がいないか見極めるために。

 

 

「ところで大坂屋さん」
 ちらりと辺りに眼をやったカステーラが、不意に大坂屋に身を寄せてささやきかけた。
 エキゾチックな雰囲気の宴に、宴会慣れしている会合衆たちも常ならぬ盛り上がりを見せていた。あちこちで声高に話す声やグラスの触れ合う音が響く。福富屋も、隣の南蛮人の宣教師となにやら話し込んでいた。
「なんですかな」
 先ほどまでと様子が違うカステーラの態度に、大坂屋は眉を上げる。
「実は大坂屋さんだけに聞きたいことがありマース」
 怪しまれない程度に声を潜めて、カステーラが続ける。
「福富屋さんのような堺の大きな商人は、あらゆる商品を扱っている私たちの大事なビジネスパートナーです。だが、彼らが決して扱わない商品がありマース。それは、私たちにとってはとても重要な商品でもある」
 思わせぶりに言葉を切ると、カステーラはじっと大坂屋の眼を見据えた。その碧眼は、すでにかなりのワインを飲んだとは思えないほど冴えたビジネスの眼である。
「人間、ということですかな」
 奴隷、とはさすがに言いかねて、大坂屋は言葉を濁す。
「その通りデース。ご存じならば話は早い」
 カステーラの眼が光る。
「だが、大名たちは、人買いを禁じています。特に畿内では、監視が厳しいのです」
「分かっていマース」
 おもむろにワインを一口飲んだカステーラは、さらに身を乗り出す。
「だが、急いでいるのデース。緊急に、日本人の男の子を手配しなければならないのデース」
「男の子?」
 大坂屋は首をかしげる。南蛮人が欲しがるのは若い娘ばかりだと聞いていた。
「そうデース。日本人の男の子は、とても優秀な兵士になる。子どものうちから仕込めば、どんな敵に対しても戦いぬけるようになるのデース」
「しかし、急に男の子を手配しろといわれましても…」
 そもそも手元の『商品』は少年一人である。それでも、この話に乗るべきか、判断がつきかねた。
「実は、マラッカの総督から、日本人の男の子のサンプルを届けるよう、依頼を受けてマース」
「サンプル?」
「そうなのデース。総督は、日本人がどれだけ兵士として使えるか、ぜひ直接確認したいとの意向をお持ちデース。もし使えるということになれば、大量に導入したいのデース」
 カステーラの声が熱を帯びる。
「しかし、なぜそんなにお急ぎなのでしょうな」
 怪しんでいる素振りが露骨に出ないように、何気ない風を装って大坂屋は言う。
「総督が急がれるのには、理由がありマース」
 カステーラも椅子の背にもたれる体勢に戻って、グラスを手に取る。
「日本の商人のみなさんには分かりにくいかも知れませんが、マラッカから東のマカオまでの航路や、香料諸島では、最近スペインやオランダが進出してきているのデース。彼らは、私たちのビジネスを横取りしようとしている。当然、私たちは、守らなければなりませーん」
「そのために、日本人の兵士が必要と?」
「そのとおりデース」
 大きく頷くと、カステーラはぐいとグラスを空けた。控えていた給仕がついとやってきて、グラスを満たす。
「なるほど…」
 一瞬、給仕に話の内容を聞かれたかとびくっとした大坂屋だったが、すぐにカステーラの船でやってきた明人の給仕ということに気付く。  
 -少しばかり神経質になっているようだ…。
 内心苦笑するが、故ないことではなかった。もしそこにいたのが日本人の給仕で、自分たちの話を役人に通報されれば、一巻の終わりである。用心に越したことはない。
 その一方で、この話の損得勘定も始めていた。
 -この話に乗るべきか…。
 周囲の喧騒も耳に入らないように、大坂屋は考える。 
 -そもそも、カステーラはなぜ私にそのような話を持ちかけてきたのだ…。
 会合衆であろうとなかろうと、堺として奴隷貿易には手を出さないことになっている。堺の商人であれば誰であれ、あのような話を持ちかけられれば、言下に断るはずだ。
 -カステーラは何か知っているのか?
 たとえば、自分がチャーターしたことになっている石見船の真の目的とか、自分の屋敷の蔵には『商品』である少年が一人隠してあることとか…。
 -いやいや、そんなはずはない。
 少し疑心暗鬼が過ぎるだろう。数日前に堺に到着したばかりの南蛮人が何を知りうるというのか。
 -カステーラは事情に疎い南蛮人だ。堺が奴隷貿易を禁じていることを知っていて、敢えて私に話を振ってくるということは、会合衆に知られずに奴隷を手に入れる方法によほど困っているということではないのか…。
 それも一理ありそうな考えに思えた。
 -そもそも『商品』は子ども一人だ。いざとなれば密航者だと言い逃れできないこともない。
 そこまで考えた大坂屋は、カステーラに向き直るとおもむろに口を開いた。
「そういうことでしたら、実はよい『商品』があるのですが…」

 

 

← Return to さらわれた庄左ヱ門  

 

Continue to さらわれた庄左ヱ門  →

    Settlement   

 

Page top ↑