さらわれた庄左ヱ門(2)

 

「もうすぐ日が暮れるね」
 傾きかけた陽にちらと視線をやった三郎がつぶやく。
「ああ。今日のところは、どこか泊まるところを探したほうがよさそうだね」
 暗い声で雷蔵が応える。何気ないような三郎の一言だったが、そこに混じる苛立ちをひしひしと感じずにはいられなかった。それなのに、なにもいい方法を思いつかない自分が情けなかった。
 -こんな大人数でのんびり歩いているなんて、本当は我慢できないはずなのに…。
 庄左ヱ門が残した野イチゴは、まるで測ったように一定の距離をおいていた。だが、時間が経てばたつほど動物に食べられたり、旅人の足に踏まれてしまう可能性が高くなる。だから、一人ででも駆け出して庄左ヱ門の証拠を追いたいはずだった。もうすぐ陽が落ちれば、証拠を追うことも困難になる。そして夜のうちに路上に残る可能性はさらに低くなるのだ。そんなことに三郎が耐えられるはずがなかった。
「…こっちに野イチゴがいっぱいある!」
 弾んだ声で、しんべヱが街道脇の草むらに潜り込もうとする。
「ちょっと待て」
 三郎がしんベヱの襟首をつかみ上げる。
「なんでですかぁ?」
 足をばたつかせながらしんべヱが振り返る。
「庄左ヱ門が野イチゴをたくさん置いたとすれば、なにか証拠を残しているかもしれない。だから、慎重にってことだよ」
 雷蔵が代わって答える。
「…それにほら、もう草むらの中は暗くなっている。ここは慎重にやらないといけないんだ」
「そういうこと。まずは私たちが様子を見てくるから、君たちはここで待ってるんだ」
 にこりともせずしんべヱの身体を下ろすと、三郎は先頭に立って草むらを探り始める。
「これは…!」
 三郎たちが草むらの奥に懐紙を見つけるまで、時間はかからなかった。

 


「どうでした?」
 草むらから戻ってきた三郎と雷蔵を、は組たちがわらわらと取り囲む。
「ああ、さすが庄左ヱ門だね。置手紙をしていたよ」
 まだショックから立ち直れずに呆然としている三郎に代わって、雷蔵が苦笑いしながら応える。
「なにが書いてあったんですか?」
 伊助が声を上げる。
「この通りさ」
 手にした懐紙を伊助に手渡す。受け取った伊助が震える手で開く。は組たちが一斉に覗き込む。
「オシロイシメジ…てっぽう…人買いに売られる…どういうこと?」
 懐紙にはつぶした野イチゴの実で書かれた断片的な単語が記されているだけだった。
「庄左ヱ門をさらったのはオシロイシメジ忍者ということだ。彼らは山中で鉄砲の取引をしていた。庄左ヱ門はそれを見てしまい、そしてさらわれた…ざっと、そういったところだろうな」
 動揺を苦労して抑えながら、雷蔵が解説する。傍らの三郎は身じろぎもしない。
 -よりによってオシロイシメジにさらわれたとあっては、ショックを受けるのも当然だな。
 そして、さらに薄暗さを増した空を見上げる。
 -ああ、今日はもうこれ以上進むことはムリかな…。

 

 

 埃っぽい堂内に月の光が差し込んでいる。は組たちはすでに床のあちこちに横になって眠り込んでいた。雷蔵は、背中を丸めて眠り込んでいる身体をそっと避けながら、宿代わりに潜り込んだ辻堂の扉を開けて外に出る。虫の声が一段と高く聞こえた。
「三郎…眠れないのかい?」
 辻堂の柱に腕を組んで寄りかかっている姿が月明かりに照らされている。
「ああ」
「三郎、大丈夫かい」
 辻堂の階段に腰を下ろすと、気がかりそうにそっと声をかける。
「ああ…いや、大丈夫といえばきっと違うかな」
 いつもの強気な態度からは想像できない声で力なく答える三郎が痛ましかった。
「なんなら、君だけ先に行くかい? 一年は組は僕が連れて行くから」
 これ以上は組のペースに合わせてのんびり移動していたのでは、三郎がもたなくなるかも知れなかった。そんなことが雷蔵に耐えられるはずがなかった。
「私なら大丈夫さ。私だけ先に行ったりしたら、は組の連中が心配するだろう? それに…」

 三郎の声からふいに力が消える。
「それに?」
「今の私には、雷蔵が必要なんだ。雷蔵と別々に行動したりなんかしたら、きっと私は不安すぎて普通の判断力を失ってしまう…」
 三郎の視線はぼんやりとさまよう。
「わかったよ」
 立ちあがった雷蔵は、三郎の肩にそっと手を添える。
「…それなら、みんなで行くことにしよう。だから、そろそろ寝ないかい?」
「というか、私なんかよりもっとケアが必要な子がいるんじゃないかな」
「え?」
 腕を組んだまま、三郎が視線を上げる。その先の暗がりに、うずくまる小さな影があった。 
「あれは?」
「すぐわかるさ」
 後ろ足で軽く勢いをつけて柱を蹴ると、三郎は歩き出す。慌ててついていった雷蔵は、小さな影の正体に思わず声を漏らす。
「…伊助」
 うずくまっていた背がぴくりと震える。膝に埋めていた顔がおずおずと振り返る。
「不破先輩…鉢屋先輩も」
 その顔には涙の筋がくっきり刻まれていた。
「どうしたんだい、こんなところで」
「いや、その…」
 言いよどんでまたその顔は暗がりに向けられる。
「庄左ヱ門が心配なんだね?」
 傍らにしゃがみこんだ三郎が、軽く頭を撫でる。その声はいつの間にかいつもの力強い声に戻っている。
「…ぼく、こわいんです」
 抱えた膝に顎を載せて、伊助はぽつりと言う。
「…庄ちゃんが、もう二度とかえってこなかったらどうしようって」
「ホントにそんなこと考えてるわけ?」
「え?」
 あくまで挑発的な三郎の台詞に、伊作の眼が見開かれる。
「庄左ヱ門は必ず取り返す。それに何の問題があるんだい?」
「…でも、庄左ヱ門がどこにいるのかわからないし…」
「だからそれを今、突き止めようとしてるんだろ?」
「でも…」
「心配するなって」
 顔を寄せた三郎が言う。
「今日だって、庄左ヱ門が残した証拠を私たちは見つけることができた。オシロイシメジ忍者にさらわれたことも分かった。明日だって、きっと庄左ヱ門の手がかりを見つけることができるさ」
「でも…」
 言いかける伊助の頭を抱き寄せる。
「言ったろ? 私たちは、きっと庄左ヱ門を見つけられる。そして、そんなことをしたオシロイシメジ忍者たちにきっちりと落とし前をつけてやる。私たちの庄左ヱ門に手を出すとどうなるか、思い知らせてやろうじゃないか」
「でも…」
「じゃあ、伊助は庄左ヱ門が戻らなくてもいいと思っているってことかい? 戻らないかも、と思うってことはそういうことだよ?」
「そんなことは…」
「ねえ、伊助」
 雷蔵も顔を寄せて低く語りかける。
「教室で、伊助はたった一人でも庄左ヱ門を探しに行くって言ってたろ? あの一言があったから、みんなここまで来ることができた。もしここで君があきらめてしまったら、みんなはどうなると思う?」
「でも、ぼくができることなんて…」
 ふたたび抱えた膝に顎を埋めて伊助は呟く。
「僕は思うんだけど、今の僕たちにいちばん必要なのは、庄左ヱ門を助けるっていう君の強い気持ちだと思うんだ。だから、みんなが気持ちを一つにして行動できる。君があきらめてしまったら、僕たちはばらばらになってしまう。僕は、それがこわいんだ…だから」
 伊助の頭をなでながら、雷蔵は微笑みかける。
「庄左ヱ門が見つかるまで、僕たちを引っ張っていってくれると、約束してくれないかい?」
「でも、ぼくに、そんな…」
「伊助しかできないことなんだよ」
 熱っぽく雷蔵が続ける。
「そうだぞ。私たちには、伊助が必要だ」
 三郎がさらに身体を押し付ける。
「わかりました。わかりましたから…」
 伊助がもがくように身体を動かす。
「ぼくもがんばりますから…先輩たち、ちょっとはなれてください…!」

 


「どういうことだ?」
「堺についちゃったぜ」
 庄左ヱ門の残した痕跡を追っていた雷蔵たちは、堺の街を囲む濠が見えるところまでやってきてしまった。
「どう見たって、こりゃ堺の街に連れてかれたとしか思えねえよな」
 腕を頭の後ろで組んだきり丸が言う。
「だが…堺のような人目につきやすいところで、人買いが『商品』をやりとりするものかな」
 疑わしそうに三郎が顎に手をやる。
「でも、それって好都合じゃない?」
 兵太夫が声を上げる。
「どうして?」
 傍らの三治郎が訊く。
「だって、堺と言えばしんべヱのおうちの福富屋さんがあるじゃん。福富屋さんなら、なにか知ってるかもしれなし」
「そっか…!」
 弾かれたようにしんべヱが反応する。
「反応おせえよ、しんべヱ」
 きり丸が突っ込む。
「じゃ、とにかくうちに行こう! パパがなにか知ってるかもしれない!」
「「おう!」」

 


「人買いの…船!?」
 突然押しかけた息子とそのクラスメート、双子のようにそっくりな顔の大きな少年たちに事情を説明された福富屋は眼をぱちくりさせた。
「ねぇ、パパ。なにか思い当らない?」
 しんべヱが膝を揺する。
「ふむ…そう言われてもな…」
 腕を組んだまま福富屋は首をかしげる。
「知ってのとおり、人買いは厳しく禁じられている。諸大名とのお付き合いがある我々のような商人は、そんな御禁制を破ることなどできるわけがないのだよ。そもそも、堺の街は濠に囲まれていて、どの入り口にも必ず人目があるから、人買いに連れられた子どもが連れ込まれるなどと言うことがあるはずがない。その庄左ヱ門君が落としていったという木の実は、何かの間違いじゃないのかね」
「でも、でも、庄左ヱ門が残した手紙だってあるし…」
 なおも言いつのろうとするしんべヱを制した三郎が口を開いた。
「堺に入っている船で、今まで来たことのない船はありますか」
「初めてきた船ねえ…ふむ」
 再び腕を組んで考え込んでいた福富屋が、ふと思いついたように膝を叩いた。
「そうだ、そういえば大坂屋さんの取引先という船がいたな」
「それ、どこに泊まっていますか?」
 は組のクラスメートたちが一斉に身を乗り出す。だが、福富屋は仔細らしく再び首をかしげる。
「だが、その船は石見の船と聞いている。君たちの言うように南蛮の奴隷船と取引しているというなら、九州あたりの船でないとおかしいと思うのだが」
「わかったからパパ! はやくその船のところにつれてってよ!」
 再びしんべヱに膝を揺すられた福富屋は、やれやれといった表情で腰を上げる。
「まあ、持ち船を見に行くついでだからかまわないが…」
 屋敷のすぐ裏の船溜まりには、たくさんの船が停泊しているが、ほとんどはしんべヱも見覚えがある堺の大商人の船や、博多や琉球などからの船である。
「あれだが…」
 ふと足を止めた福富屋が指差す先には、やや小ぶりの弁才船が停泊していた。荷の積み下ろしをしている様子もなく、船員たちの姿もなく、静まり返っている。
「石見と言えは銀だから、てっきり大坂屋さんが石見の銀の取引を堺でも始めるのかとみな色めき立ったものだが…」
 福富屋がぼやく。目下、石見の銀の取引は、精錬技法を持ち込んだ博多の商人が一手に仕切っていて、堺の商人が入り込む隙はなかった。だからこそ、新たにやって来た石見の船には、堺で試験的に取引するための銀がいくばくかは積み込まれていると思っていたのに、ちっともその気配が見当たらない。積んでいたわずかばかりの雑貨を下ろした後は、無為に停泊しているばかりの船に、いつしか堺の商人たちの関心も薄れていた。今となっては、そもそもそれほどの大店でもなく、会合衆のメンバーでもない大坂屋に、石見の銀の取引を堺に持ち込むほどの経営体力があるわけがないと皆が考え始めていた。
「だれもいないね」
 しんベヱが呟く。
「では、パパはうちの船を見に行くからね」
 視界の端に、自分を探している手代の姿を認めて、福富屋は早口に続ける。
「…みなさんも、時間になったらうちに戻ってくるようにしてくださいよ。夕食を用意しておきますからな。あと、あまりうろうろして余所の船の荷役の邪魔にならないように。いいですな」
 踵を返した福富屋は、駆け寄ってきた手代に続いて足早に立ち去る。
「で、どうする?」
 取り残されたは組と雷蔵、三郎は顔を見合わせる。
「庄左ヱ門が堺に連れ込まれたなら、あの船に乗せられる可能性が高いと思うけど。でなければもう乗せられているか…」
 自信なさげに雷蔵が言う。
「だが、福富屋さんの言うように、こんなに人目の多いところで、人買いが取引をするとは思えない。そんなことが大名たちにバレたら、堺の街そのものが眼をつけられかねないし」
 三郎の分析に、一同は納得したように頷く。
「言われてみれば…」
「そうかも…」
「ちょっと待ってよ」
 声を上げたのは伊助である。
「どうしたの?」
 乱太郎が訊く。
「たしかに鉢屋先輩のおっしゃるとおりかもしれないけど、それならみんなはこれからどうするの? 庄左ヱ門をさがすの、あきらめちゃうわけ?」
 いつの間にか口にしていた。前の晩、辻堂の外で三郎たちと話したことが思い出された。三郎たちが自分を必要としている。あの時たしかにそう言われたのだ。
「じゃ、どうすんだよ」
 きり丸が肩をすくめる。
「あの船を見張る。なにか手がかりがあるとしたら、あの船しかないじゃないか」
 伊助は言い張る。
「でも、誰も出入りしてないぜ」
「だからこそ見張るんじゃないか。夜になったら、誰か来るかもしれない」
「よし、わかった」
 伊助の言葉を、三郎が引き取る。
「伊助の言うことも一理ある。どっちにしても、私たちにはこれ以上選択肢がない。だけど、これだけの人数では、どこかに隠れるにしても無理がある。だから、君たち一年は組は遊ぶふりをしながら見張るというのはどうだろう」
「よし、そうしよう。僕たちは隠れて何かあったらすぐに出てくるから、君たちは遊んでいるご近所のよい子たちのふりをするんだ。いいね」
「「は~い」」
 三郎と雷蔵の指示に、皆が手を挙げて応える。

 


「ちょっとあいつら、何やってんだ?」
「何って、見たまんまだと思うけど…」
 物陰に隠れた三郎と雷蔵が呆然と視線を送る。その先には、ご近所のよい子を装って『遊ぶふり』をしている一年は組たちの姿があった。だが、それは、地面に筵を敷いたままごとに他ならなかった。
「あの年頃の男だったら、ボール遊びとかチャンバラとか、もっとやりようがあるだろ」
「う~ん、それは一年は組だから…」
 苛立たしげな三郎に、雷蔵が当惑しながら答えにならない答えを口にする。
「だからって…」
 拳を握る三郎の視線の先では、いま、喜三太が科をつくりながら客を装った伊助に声をかける。
「あらぁ~、いらっしゃいませぇ。ナメクジ屋さんへようこそ☆」
「ナメクジ屋さんて、なんなの?」
「決まってるじゃん。かわいいナメクジさんたちのお店だよ」
 思わず素で訊いてしまう伊助に、これまた素に戻った喜三太が答える。
「ぼく、ナメクジを買いに来たわけじゃないんだけど…」
「ぼくだって、だいじなナメクジさんを売るわけがないじゃん」
「おめーら、なにやってんだよ」
 見かねたきり丸が腰に手を当てて突っ込む。
「商売のまねごとってのはな、こうやるんだよ」
 言うなりきり丸はゼニ目になって科をつくる。
「あ~ら、いらっしゃいませぇ。お客さん、今日も男前ねぇ」
「きりちゃん、気持ちわるいよ」
 乱太郎が平板な声で指摘する。
「んだよ。人がせっかく商売人になりきってるってのによ…」
 地の声に戻ったきり丸が不満そうに言いかけたところに、伊助が鋭くささやく。
「シッ! ちょっと待って」
「どうした、伊助」
「あれ見て。だれか来た」
 伊助がそっと視線を向けた先には、派手な胴着を羽織った商人らしい数人の男の姿があった。
「あれ、大坂屋さんだ」
 しんベヱが呟く。
「しんベヱ、知ってるの?」
「うん。なんかいか会ったことある」
「一緒にいるひとは?」
 団蔵が訊く。
「う~ん、見たことないけど…」
 しんべヱが考え込むように顔を伏せたまま口を濁す。
「どうかした?」
「うん…なんか、ちょっとちがうっていうか…」
「ちがうって?」
 団蔵がしんべヱの顔を覗き込む。
「う~ん、よく分からないけど…」
「それじゃ、こっちはなおさらよく分からないよ」
「そうなんだけど…」
 大坂屋と並んで歩いている男たちの風貌にいわく言い難い違和感をおぼえたしんべヱだったが、それを説明できる言葉が思いつかずに考え込む。
「…」
 筵の上でナメクジを遊ばせている喜三太に身を隠すように座り込んでいる伊助は、商人たちの様子にじっと眼を凝らしていた。伊助も、この商人たちの風体に違和感を感じていた。
 -なんだろう。なんか、ちょっとちがうんだけど…。
 髷の結い方も、形ばかりの口髭も、錦の胴着も、足元を隙なく覆う足袋も、少しばかり派手だがいかにも商家の主人といった風情である。それでは、この違和感はどこから来るのだろう…。
 と、海から強い風が吹き付けてきて、砂埃が舞い上がる。商人たちが掌で眼を覆う。胴着や着物の裾が大きく揺れる。
 -! 
 不意に違和感の正体をつきとめた伊助は、思わず立ち上がる。声を上げそうになった口を辛うじて両手で押さえている様子にただならぬものを感じたは組の仲間たちが、ナメクジに関心を持った様子を装ってそっと集まる。
「どうかした? 伊助?」
 乱太郎が気がかりそうに訊く。
「…あの着物」
 押し殺した声で伊助が呟く。その眼は商人たちの動きに吸い寄せられたままである。
「着物?」
 皆が伊助の視線の先を追おうとする。
「あれ、絶対におかしい。日本の着物じゃない」
 押し殺した声で伊助は続ける。
「どういうこと?」
 伊助の言わんとすることを把握しかねて兵太夫が訊く。
「大坂屋さんの隣にいる人たちが胴着の下に着ている着物、あれ日本の着物じゃない。琉球の着物だ。それもすっごく高級な布でできている」
「どうしてわかるのさ」
「わかるよ。前に、父ちゃんが預かってきたものを見せてもらったことがあるんだ。琉球ではえらい人しか着ることができない木綿の上布って言ってた。でも、時々明国に献上されたりしたものが密貿易で日本にくることもあるんだって」
「そっか。伊助のお家は染物屋さんだもんね。着物のことにはくわしいよね」
 乱太郎が納得したように頷く。
「でも、あれ石見の船だろ? どんだけもうかってるか知らねえけど、そんな琉球のチョー高級品を着てるなんておかしくねえか?」
 腕を組んだきり丸が首をひねる。
「あの船、ほんとうに石見の船なのかなぁ…」
 伊助がぼそりと呟いたとき、雷蔵と三郎がそっと近づいてきた。
「どうした、お前たち」
「伊助が、大坂屋さんのとなりにいる人たちがあやしいって」
「琉球のチョー高級品の着物を着てるなんておかしいって言うんです」
 兵太夫ときり丸が説明する。
「なるほどね、そうだとすればたしかに変だ」
 顎に手を当てて、雷蔵が考え込む。
「でも、ほんとうは石見の船じゃないかもってことなんでしょ?」
 乱太郎が訊く。
「石見の船じゃない?」
 三郎が弾かれたように反応する。
「うん…いや、もともとは石見から来た船なのかもしれないけど、あの人たちに乗っ取られたんじゃないかなって…」
 自信があるわけではなかったが、伊助は思ったままを口にする。
「てことは、あの人たち、海賊ってこと?」
 喜三太が恐ろしげに震え声を上げる。
「あ…わかった」
 いままで話にまったく加わっていなかったしんべヱがぽんと手を打ったので、皆がぎょっとした。
「お、おい、しんベヱ…なにがわかったんだよ」
 額の冷や汗を袖で拭いながらきり丸が訊く。
「あの人たち、石見の人じゃない」
 初めて発見したように言い切る台詞に、全員が脱力する。
「お…おい、話きいてないにもほどがあるぜ」
「そうだよ。伊助がさっきからあやしいって言ってるのに」
 きり丸と乱太郎が突っ込む。
「だって。あの人たちの差している刀、日本のものじゃないし」
「どゆこと?」
「刀の握りが片手分しかないでしょ? 琉球の刀は片手で持つから握りが短いんだ。日本の刀は両手で持つから、握りが長いでしょ?」
 当たり前のことのように解説するしんべヱの額に、思わず乱太郎ときり丸が手を当てる。
「しんべヱ、ひょっとして熱があるんじゃない?」
「でないとすれば、鉢屋先輩がアテレコしてるとか?」
「おいおい、私はここにいるよ。アテレコなんかできるわけないだろ?」
 三郎が苦笑しながら突っ込む。
「でも、しんべヱがなんでそんなこと知ってるの?」
 それまで黙っていた虎若が訊く。
「パパが教えてくれたんだ。琉球の商人からチョー高級な刀をもらったときに」
「「すっげーイヤミ!」」
 ごく天然なしんべヱのセリフに、皆が突っ込む。

 


「とにかく、大坂屋さんの隣にいる連中が石見の商人じゃないとすれば、あの船の素性は極めて怪しいということになる。それに、そのことに大坂屋さんも一枚噛んでいることになるよね」
 三郎がひそめた声で分析する。
「でも、それだけであの船が人買いに関係しているとは言えないよ」
 雷蔵が釘を刺す。
「だからこそ、ちょっとばかり探りを入れる必要がある…しんべヱ」
「はい」
 唐突に三郎に振られたしんべヱが振り返る。
「あの大坂屋という商人と琉球の商人とかいう連中を、少しあの船から引き離してほしいんだが」
「ほえ?」
 三郎の意図を測りかねたしんべヱの眼が泳ぎ始める。
「なるほど、その隙に彼らに化けて乗り込むつもりだね」
 もはや三郎のベターハーフに近い雷蔵は、すぐに反応する。
「さすが、私の雷蔵だ」
 満足げに雷蔵の肩に肘を載せて、三郎がにやりとする。
「で、ぼくはどうすればいいのですか?」
 しんべヱが訊く。
「しんべヱには、お父上を通じて大坂屋さんたちが船を離れる時間を作ってもらいたいんだ。そうすれば、その間に私が船の様子を探ることができる」
「わかりましたぁ!」
 元気よくしんべヱが返事をしたとき、
「しんべヱ坊ちゃん、こちらにいらしたのですか!」
 福富屋の手代の一人が駆けつけてきた。
「どうしたの?」
 きょとんとした表情になる。
「旦那様がすぐにお邸にお戻りになるようにとのことです。お客様がお見えになっているとか」
「お客さま?」
 まったく心当たりのないしんべヱが首をかしげる。

 


「カステーラさん!」
 ひとり家に戻ったしんべヱは、客間の襖を開けた。
「おお、しんべヱ君。待っていましたよ」
 床几に座って待っていたカステーラが振り向く。
「今日はなんのご用なんですか?」
 カステーラの前にちょこんと座ったしんべヱが訊く。
「学園長先生に頼まれました。君たちを手伝ってほしいと」
「ぼくたちを?」
 しんべヱには何のことやらわからなかった。学園の前でカステーラに会った時にはあやうく庄左ヱ門を探しに行くと言ってしまいそうになったが、すんでのところで乱太郎ときり丸に止められたから、そのことは知っているはずがない。それでは、何か別のことと勘違いしているのだろうか。
「さらわれた庄左ヱ門君を探しているのでしょう。私、知ってマース」
「えっ!!」
 ずばり本質を衝かれたしんべヱは思わず飛び上がった。
「で、でも、どうしてカステーラさんが知ってるの?」
「学園長先生から聞きました」
 あっさりとした返事に拍子抜けしたしんべヱが、ふと首をかしげた。
「でも、どうして学園長先生は知ってるんだろう?」
「さあ、私にもわかりませーん」
 肩をすくめたカステーラが続ける。
「…ただ、オシロイシメジ忍者がどうのと話していました」
「オシロイシメジ忍者!?」
 しんべヱの反応に、カステーラが不審そうに眉を上げる。
「どうかしましたか?」
「い、いや、あの…、ちょっとびっくりしただけです」
「そうですか」
 あまり興味なさそうにカステーラが続けたので、しんべヱは、内心ほっとした。
 -それじゃ、庄左ヱ門は、オシロイシメジ忍者にさらわれたってこと?
 だが、その前に訊かなければならないことがあった。
「それで、カステーラさんは、何をてつだってくださるのですか?」
「庄左ヱ門くんを助けることにきまってるじゃあーりませんか」
「でも…どうやって?」
「私の考えでは、オシロイシメジ忍者とやらは、庄左ヱ門君を西国に連れて行くつもりデース。そこには、ポルトガル商人がいる。おそらく、私の知っている者もいるでしょう。そして彼らは、買い取った日本人をマカオやマラッカで売りさばくでしょう」
「ええっ!? それじゃ、庄左ヱ門は唐や南蛮に連れてかれちゃうの?」
「そうなるでしょう。食い止めない限り」
 苦渋の表情でカステーラが眉を寄せる。自分の同胞がビジネスパートナーである福富屋の息子の友人を奴隷として売り飛ばそうとしている。日本にビジネスの根を下ろしたからこそ直面するジレンマだった。同時に、その事実を事実として受け止めているしんべヱの態度に軽い驚きをおぼえていた。
 -10歳とはいえ、さすがは福富屋さんの子息だ。このような話を普通に受け止めるとは。
 それが堺の大商人の血筋であるところのリアリズムなのだろうか。
「でも、どうやってとめるのですか?」
 真剣な眼差しで見上げるしんべヱに、感慨が断ち切られた。
「私の聞いた話では、最近、大坂屋さんが堺から西国まで買い取った日本人を運ぶ役割を担うようになっているそうデース。表向きは豊後、伊予あたりの船を装っていたようですが」
「というか、いまは石見の船ということになってるそうです」
 端座したまましんべヱが指摘する。
「いずれにしても、それはカムフラージュにすぎないデース。大坂屋さんが人買いに加担していることはほぼ間違いない。ということは、庄左ヱ門君が大坂屋さんの船に連れ込まれる可能性が極めて高い、ということデース」
「だとすれば、いささか対応が必要ですな」
 座敷の襖をがらりと開けるととも響いた声に2人がびくっとする。
「福富屋さん!」
「パパ!」
「おおまかな話は伺いました。大坂屋さんがそのようなビジネスに加担しているのだとすれば、会合衆としては見過ごすわけにはまいりません。ただちに事実関係の調査に入るとしましょう」
 カステーラとしんべヱの前に座った福富屋はいつになく厳しい口調である。
「でも、どうやって調べるの?」
「なに、二、三日あの船と大坂屋さんのまわりを洗えば分かることです…だから、その間、あの船を足止めしなければならない」
「どうやって?」 
「そうですな…ああ、そうだ」
 ぽんと福富屋が手を打った。
「ちょうど今夜、うちで京の商人を迎えた宴席があるんだった。そこに大坂屋さんとその石見の商人を名乗っている連中を招待するとしましょう」
「じゃ、あしたは?」
 しんべヱが訊く。
「明日は、天王寺屋さんが大坂屋さんを茶席に招いていると聞いています。おおかた、石見のビジネスの件で今後の展開を探ろうという魂胆なのでしょう」
「じゃ、あさっては?」
「ふむ…明後日はとくに社交の予定が入っているとは聞いてないが…そうだ。いっそ、カステーラさんとお見知りおきいただくための宴を開くとしましょうか」
「でも、そんな突然の招待に来るものでしょうか」
 カステーラが首をひねる。
「大丈夫です。ここは堺。そして私は堺を代表する会合衆の一人です。堺でビジネスを続けるつもりなら、私からの招待を大坂屋さんが断るという選択肢はない」
 -なるほど、これが堺を支配する会合衆というものの正体ですか…。
 言い切る福富屋に、思わず考える。
「そっかぁ。ならだいじょうぶだね! ぼく、先輩たちに伝えておくね!…あ、そうだ。あと、あの大坂屋さんといっしょにいるひとたち、琉球のかいぞくなんだって」
 安心したように笑顔でしんべヱが付け加えた台詞に、福富屋とカステーラが反応する。
「海賊!?」
「どういうことデスか?」
「あのね、伊助が、あの人たちが着てる着物は、琉球のチョー高級な着物だっていってたんだ。それに、刀も琉球のものだし」
「ほう…ということは、大坂屋さんは琉球の海賊と結託しているということですな…」
 顎に手を当てた福富屋が呟く。琉球の海賊であれば、西国のみならず琉球やその先の南海の事情にも通じているだろう。明の海賊取締船の動きも把握している可能性が高い。
 -なるほど、東国相手にビジネスしていた大坂屋さんが西国向けの奴隷移出に手を出せたわけがやっと分かりました…。
 だれが手引きをしたかは知らないが、琉球の海賊と結べば、あとは陸上で『商品』を調達するまでである。
「けったく?」
 視線が泳ぎ始めるしんべヱの頭をなでながら福富屋が説明する。
「つまり、悪いことを一緒にしようと仲間になることだよ」
「そうなんだあ!」
 満面の笑みになったしんべヱと満足げに頷く福富屋を、カステーラは居心地の悪い思いで見ていた。
 -こんな話をごく普通に交わしているとは…なんという親子だ…!

 

 

 

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