半助の結婚?

 

アニメでは時々土井先生の結婚ネタが登場しているようですが、そんな時、きり丸がどんなことを考えるか、ちょっと妄想してみました。

個人的には、土井先生には幸せになってもらいたい気もするし、永遠の25歳イケメン独身コブ付き胃炎持ちであってほしい気もしますが。

 

 

「土井先生」
「やあ、利吉君」
 その日、授業を終えて自室に戻ろうとした半助は、廊下で唐突に利吉と出会った。
「今日は山田先生のところかい?」
「はい。では、私は次の仕事がありますので」
「もう帰るのかい? たいへんだね」
「いえ。それでは」
 失礼します、と足を運びかけた利吉が不意に立ち止まった。
「ときに土井先生」
 顔を寄せてくる。
「な、なんだい。利吉君」
 半助はたじろぐ。利吉の眼のいたずらっぽい表情から、仕事の話ではないらしいことは分かった。同時に、何かあまりいい話でもなさそうな気がした。
「最近、母上がまた女の人のプロフィールを集めるようになりまして」
 あとは分かりますよね、というようににやりと白い歯を見せて言葉を切ると、こんどこそ利吉は足早に立ち去った。
「ちょ、ちょっと待った利吉君。それってどういう…」
 言いかけたところで半助は言葉を呑み込んだ。
 -それって…。
 以前もそんなことがあった。てっきり利吉の嫁候補かと思っていたら、実は半助の嫁候補だったということが。
 -なぜだ。なぜ急に。
 思わず額に手を当てる。
 -私はまだ、結婚など…。
 する気もないとは、伝蔵にも何度も言ってあるはずである。だから伝蔵の口から結婚云々ということは言われなくなったが、奥方にまでは伝わっていないようである。
「せーんせ!」
 小さな手が袖を引っ張る。気が付くと、目の前には三治郎と喜三太、乱太郎がいた。
「「おめでとうございますっ!」」
「な、なんのことだ…」
「あれぇ、土井先生ったらとぼけちゃってぇ」
「ぼくたち、聞いちゃいましたから」
「土井先生がいよいよご結婚されるってこと!」
「おい、ちょっと待て、まだそんな段階には…」
 慌てて否定しようとしたときには、すでに三治郎たちはわらわらと廊下を駆け出していた。
「これ、大ニュースだね!」
「みんなに言わなきゃ!」
「きっと、庄左ヱ門がお祝いパーティーしようって言うよ!」
 大騒ぎしながら駆けてゆくのを、半ば放心状態で見送る。ふと、「廊下を走るな!」と注意し忘れたことに気付いた。

 

 

「ねぇねぇ、だれを招待する?」
「もちろん、土井先生がすきなひとみんな!」
「タソガレドキ忍軍のひとたちも招待しようか」
「でも、尊奈門さんくるかなぁ」
 教室ではさっそく半助の結婚祝いパーティーの話で盛り上がっている。そんな騒ぎを背に、そっと教室を去るきり丸の姿があった。
 -そっか。土井先生、結婚するのか…。
 ひとり裏山の学園を見下ろせる斜面に腰を下ろして、ぼんやり考える。
 -そうだよな。先生まだ若いんだし、お嫁さんもらって当然だよな…。
 理屈では分かっていた。自分たちは組の生徒に接しているときや、休みの時に自分を引き取る半助を見ていれば、子どもが好きなことくらいはかんたんに分かることだった。
 -先生モテるだろうし、きっときれいな奥さんもらって、かわいい子どもができて…。
 一人前の若い男であれば、そうしたいと思うのが当然だろう。
 -だけど…。
 そう素直に考えることができないもう一人の自分がいた。
 -だいたい、先生結婚したら、どう考えたって俺はお邪魔虫だろ。とすれば、休みのあいだ、今までみたいに先生の家にいるわけにはいかねーし…。
 では、どうするのか。
 -やっぱ、出てくしかねーだろ。
 分かっていたことだった。いずれそうしなければならないことだった。それも、自分から。
 -先生、ぜったい、自分からは言いださないだろうから。
 出ていけ、と。
 -だから、俺から言わなきゃいけないんだ。
 きっと半助は止めるだろう。これから休みの間はどうするのだ、と。だが、その答えはまだなかった。
 -住み込みのバイトでもさがすとしかいえねえよな。
 頭の後ろで腕を組んで、ごろりと仰向けになる。広がる青空に、茜色が差し始めていた。
 -あ~あ、どうして俺って、いつもこうなんだろ…。
 ようやく見つけたと思われた居場所から追い立てられるのが、これまでのきり丸だった。
 -だけど、忍者、それも使いパシリの下忍なんて、俺みたいなどーしよーもないのがお似合いなんだろうな。
 だから、学園にいるのだ。居場所のない野良犬のような自分でもそれなりに居場所を見いだせるのが、忍者という世界なのだ。
 -ま、いっか。なんとかなるよな。きっと。
 そうやって自分の気持ちに折り合いをつけるのはもう何回目なんだろう。ふとそんな考えがよぎったが、断ち切るようによっと起き上がると、学園に向かって駆け出す。もうすぐ夕食の時間だった。

 


「きり丸、どこ行ってたの?」
 夕食時を迎えて生徒や教師たちでごった返す食堂で、乱太郎が訊く。
「いや、ちょっと…」
 言いよどむきり丸の顔を、いぶかしげに乱太郎が見つめる。かたわらのしんべヱは一心不乱に飯をかき込んでいる。
 -なんか元気ないみたいだけど…。
 口に出すのはなぜかはばかられた。黙りこくったきり丸が飯をかき込むのを見て、椀を手に取ろうとしたとき、
「あ、そうだ」
 思い出したように乱太郎は声を上げる。
「なんだよ、乱太郎」
「土井先生が、きり丸のことさがしてたよ」
「え、土井先生が」
 むせ返りそうになりながら、きり丸が声を詰まらせる。
「うん」
「なんだって?」
 平静を装いながら、咽喉に残った飯を汁で流し込む。 
「明日の休み、きり丸は土井先生の家でご近所の溝さらいの手伝いをすることになってたんでしょ? まさか約束忘れてバイトの予定入れてないだろうなって心配してたよ」
「げ!…そうだった」
 こんどは汁にむせ返りそうになりながら、きり丸はげほげほと咳き込む。
「ほら、どうしたの、そんなに咳したりして」
 心配そうに乱太郎が背をさする。
「ああ、悪ぃ。ちょっとびっくりしたから」
「まさかきりちゃん、ホントにバイトの予定入れてたりしたとか?」
「い、いや、そんなことはしてねーけど…」
 いま、半助と2人きりになることは避けたかった。きっと、素直に半助の結婚を祝う気持ちになれないから。せっかく折り合いをつけた自分の気持ちが揺らぎそうだから。

 


「きり丸、どうかしたか」
 近所と共同の溝さらいを終えて、囲炉裏端で向かい合って夕食を囲みながら、半助はさりげなく声をかけた。

「…なにがですか」
 きり丸の様子がいつもと違うことには、朝からずっと気になっていた。いつもなら道端の銭を探してうろうろしたり、他愛のないおしゃべりを続けたりするきり丸だったが、今日は家に向かう道中も、溝さらいの作業中も、久しぶりに戻った家の掃除中も、ずっとふさぎ込んだように口数少なく視線を伏せていた。
 -さては、私の結婚の話を聞いて…。
 乱太郎たちがクラスで話しただろうから、さぞ大騒ぎになったことだろう。それを耳にしたきり丸が何を考えるか、半助には痛いほど分かった。
 -きっと、ここを出なければと考えていることだろう。私に気を遣って…。
 ひとりきりで生きてきて、世の中や人の心の裏をいやというほど見せつけられてきた子どもは、人の心を鋭敏に察するくせがついている。かつての自分がそうだったように。
 -だが、きり丸。私は決してお前を追い出したりなどはしない。

 


 -先生、やっぱり俺に気をつかっている…。
 椀の中の雑炊に眼を落としながら、きり丸は黙りこくっていた。
 何か言わなければと思っていた。明らかに今日の自分はいつもと違っていた。だが、何を言えばいいか分からなかった。それどころか、いまは半助の顔を見ることすら辛かった。
 -やっと、俺のことを…。

 

 飯を作ってくれる
 バイトを手伝ってくれる
 話を聞いてくれる
 一緒に歩いてくれる
 一緒に笑ってくれる
 「おかえり」と言ってくれる
 受け入れてくれる
 包み込んでくれる
 要するに「家族」というものをもう一度思い出させてくれた、それが半助だった。
 -いま、先生がいなくなったら…。
 それは、自分がよく見知った、一人きりに戻るということだった。
 -いいじゃねぇか、それで。俺はいままでひとりでも生きてこれた。また、元に戻るだけのことじゃねぇか。
 そう自分に何度も言い聞かせようとした。だが、それでもなお、一人になる、ということは、ぱっくりと口をあけた深く暗い穴に吸い込まれるような戦慄をおぼえさせた。
 -土井先生のためなんだぞ。
 そうだった。たとえ一時的であっても、自分に光と温かさをくれた半助のためなら、自分はなんでもしよう、そう思ったのだった。いまこそ、その決意を行動に移すときではないか。半助の幸せのために、自分がそっと退く、それだけのことではないか。それでも、もう一つの思いを抑えることはできなかった。
 -だけど、俺は、もうひとりになんかなりたくない!
 

 

「言っておくが、私が結婚するという話があるようだが、それは間違いだぞ」
 半助は静かに語りかける。きり丸の肩がわずかに反応した。
「でも…みんなそう言ってましたよ」
 きり丸が顔を上げる。
「それは乱太郎や三治郎たちの勘違いだ…山田先生の奥さんが女の人のプロフィールを集めているらしいし、それが私の嫁さん候補なのかもしれないが、私には結婚する気はない。そういうお話があれば、断るつもりだ」
 静かに、だが決然と半助は語る。
「でも…どうして」
 結婚しないんですか、と続けようとしてきり丸は言葉を呑み込んだ。
 -ひょっとして、先生、俺に遠慮して…。
「もう一つ言っておくが、お前に遠慮しているからでもないぞ」
 きり丸の気持ちを見透かしたように半助は続ける。
「じゃ、どうして…」
「それはだな…」
 思案するように言葉を切った半助は、おもむろに続けた。
「私にはまだ早い、ということだな」
「でも…」
 そんな答えで納得できるきり丸ではなかった。
 -先生はもう25で、強くてカッコよくて、ぜったい女の人にもやさしいし…。
「さ、今日は疲れた。もう寝るぞ」
 ぱたん、と膝をはたいて半助は立ち上がった。
「え…でも」
「きり丸も布団を敷くの手伝うんだ」
「は、はい」
 急にてきぱきと動き出した半助に、きり丸も慌てて立ち上がった。

 


 疲れていたのだろう。横になるとほどなく、きり丸は寝息を立て始めた。
 -きり丸には、いずれきちんと答えてやらないといけないのかもな…。
 布団に身を横たえた半助は、天井を見ながら考える。
 -私が結婚には早いというのは、本当だ。
 その理由が自分の過去にあるということも、いずれは説明しなければならないのだろうか。
 -戦の世とはいえ、私は多くの大切なものを失ってきた。そして、忍として多くの者から大切なものを奪ってきた…。
 苦渋の記憶に、かすかに眉を寄せる。
 -だから、私は、自分が守るべき大切なものを持つことがこわいのだ…少なくとも、まだその準備ができていないのだ。
 まだ自分は、ようやく守るべきものを持つこととはどういうことなのか、学び始めたばかりなのだ。一年は組という、きり丸という、守らなければならないものを、持ったばかりなのだ。ましてや妻や子どもを守りきるようなことができる段階ではない。
 -なかなか、分かってもらうのは難しいと思うが…。
 苦笑した半助は窓から差し込む月の光に背を向けると、まぶたを閉じた。

 


「ちょ、ちょっと父上! これはどういうことですかっ!」
 動転した利吉の声が、教師長屋に響く。
「どうもこうも、書いてある通りだ」
 困惑したように顎髭をつまみながら、伝蔵が答える。
「どうかされましたか」
 授業を終えて戻ってきた半助が見たのは、床に広げられた手紙をはさんで座り込む伝蔵と頭を抱える利吉の姿である。
「聞いてください、土井先生!」
 振り向いた利吉が涙目で訴える。
「ど、どうしたんだい、利吉君」
「母上が、私に結婚しろと言ってきたのです!」
「どういうことですか、山田先生」
 たじろいだ半助は、難しい顔で座り込んでいる伝蔵に声をかけた。
「うむ…それがだな」
 顎髭をつまんだり引っ張ったりしながら、伝蔵は重い口を開く。
「母さんが女の人のプロフィールを集めていたのは、私もてっきり土井先生の嫁候補だとばかり思っていたのだが、今回は違っていたということだ…」
「つまりそれって…」
 にやりとしながら半助が身を乗り出す。
「そうなのです! 母上は、嫁候補に会わせるから帰って来いと…!」
 頭を掻きむしった利吉がそのままうずくまる。
「いやぁ、いい機会じゃないか、利吉君」
 その背をぽんと軽くたたきながら半助はにこやかに言う。
「利吉君は優秀でハンサムだから女の人は放っておかないだろうし、お母上も悪い虫がついたりする前にきちんとした人と結婚してもらいたいと考えておられるのではないかな」
 訳知り顔になった半助がさわやかに続ける。自分に火の粉が降りかからないと見るや、余裕の口調である。

「何言ってるんですか! 私はまだまだ結婚など! それに順番から言えば土井先生の方が先じゃないですかっ!」
 ぐっと身を起こした利吉が拳を握って言いつのる。
「何言ってるのさ。こればかりは縁だからね、利吉君。せっかくの機会なんだから、この際ぜひかわいいお嫁さんと…」
「土井先生っ!!!」
 喚き散らす利吉に、いつもの落ち着き払った風情はない。
「父上からも何かおっしゃってください!」
「ふむ、そうだな…」
 やにわに話を振られた伝蔵も、困惑して頭を掻くばかりである。
「土井先生に所帯を持ってもらいたいというのはやまやまだが、利吉に結婚してほしいという母さんの気持ちももっともだからな…」
 孫と遊ぶというのもなかなか乙なものらしいからな、と軽く頬を染める。
「父上までなんてことをおっしゃってるのですかぁっ!」

 


「…だってさ」
「どうする?」
 部屋の外で様子をうかがっていたのは、一年は組の生徒たちである。
「でも、もうパーティーの準備しちゃったよ?」
 伊助が困り切ったように言う。
「いーじゃねーか。そのまま利吉さんの結婚祝いにすれば」
 頭の後ろで腕を組んだきり丸が言う。
「あ、そういえばそうだね」
 あっさりと伊助も頷く。
「よーし! それじゃ、いそいで横断幕を書き換えよう!」
 庄左ヱ門が拳を突き上げる。
「「おう!」」
 唱和したは組の生徒たちが、わらわらと教室へ向かって駆け出す。
「こらお前たち! なにをそんなに浮かれてる!」
 外の騒ぎに気付いた利吉ががらりと襖を開いて怒鳴るが、すでに生徒たちの姿はない。
「まあ、ここはは組の生徒たちの好意を受けておいた方がいいんじゃないかい」
 余裕綽々の表情の半助が、軽く利吉の肩に手を置く。
「だから私は結婚などっ!」
 つかみかかってくる利吉をひょいと避けた半助は、軽い足取りで教師長屋を後にする。
「さて、は組の連中の手伝いでもしてやろうかな、と」

 

<FIN>