転移と伝染

 

六はの二人の間には、ゆっくりと満ちていくものがあるように見えるのです。

それは不運w

二人の間で転移と伝染を繰り返していくプロセスとはどんなものなんでしょうか。

 

 

 

…とか書いときながら、ホントは留三郎に「俺の伊作」と言わせたかっただけです。ハイ。

 

 

 -急いで帰らないと…。
 無意識のうちに手が薬種を納めた懐のあたりをまさぐる。何度確かめてもそこにあることは間違いないはずなのに、どうしても確認せずにはいられなかった。
 もしかして、自分のとんでもない不運のせいでせっかくの薬種が消え失せてしまうのではないかと気がかりでならなかったから。

 


「大丈夫かい、留三郎」
「ああ、大したことねえよ」
 口では強がっていながらも、顔は痛みにゆがんでいる。
「もう少しだから…」
 留三郎に肩を貸しながら、ようやく学園にたどり着いた伊作は、まっすぐ医務室へと向かう。
「失礼します」
 言いながら医務室の襖を開けた瞬間、肩が急にずっしりと重くなった。留三郎は気を失っていた。

 


「ずいぶんとケガをしましたな。一体どうしたのですか」
 布団に寝かせた留三郎を仔細に診察しながら新野が訊く。
「はい。それが…」
 伊作がうなだれる。「僕と留三郎は薬草採りに行ったのですが、裏裏山で熊に襲われてしまいました。二人で追い払おうとしたのですが、僕は猪垣に落ちてしまって、留三郎が一人で戦ったのです。熊は何とか追い払いましたが、こんなにケガをしてしまって…」
「熊を相手にこの程度で済んだ方がむしろ驚きだが…」
 小さく首を振った新野が、横たわる留三郎に痛ましげに眼をやる。全身打撲傷やひっかき傷だらけである。転倒した時に足をくじいてはいたが、骨折はないようだった。
「とにかく、傷の手当てをしましょう。私が薬を塗りますから、善法寺君は包帯を頼みますよ」
「はい」
 外傷薬を塗り、包帯を巻いている間、医務室は沈黙に包まれた。やがて手当てが終わり、手を洗った新野が気がかりそうに留三郎の顔を観察し始める。
「どうかされましたか」
 包帯と薬を片付けていた伊作が声をかける。
「善法寺君。食満君の顔を見てなにか気付きませんか」
 言われた伊作が慌てて留三郎に顔を寄せる。そして「あ…」と小さく声を漏らす。
「熱が…傷のせいでしょうか」
 いつの間にか留三郎の浅黒い顔が紅潮して息が荒くなっていた。じっとりと汗がにじむ。
「そうですな。それもあるのでしょうが、相手が野生動物というのが気になります」
「どういうことですか」
 不安そうに眼を見開いた伊作が新野に顔を向ける。
「野生動物は、牙や爪にどのような毒をもっているか分からない。その影響を考えた処方が必要ということです。単なる刀傷用ではなく、もっと消毒作用の強い薬を処方しなければ」
「では、すぐに処方を…」
「しかし、いくつかの薬種が足りないのです。それを何とかしなければ…」
「では買ってきます!」
 伊作が立ち上がる。

 

 

 

 そんなこんなで町の薬種屋で無事に必要な薬種を買った伊作は、学園への道を急いでいた。と、自分の名を呼ばれたような気がして足を止める。
 -誰だろう…?
 あたりを見回す伊作が、ふと往来を駆けてくる小さな姿を認めた。
「乱太郎?」
「伊作せんぱい!」
 足音とともに駆け寄ってきた声が自分の胸にぶつかって止まる。自分の身体にしがみついたまま荒い息をする乱太郎だった。いつもなら一緒にいるはずのきり丸としんべヱがいない。とっさになにか起こったと思った。
「どうした? なにかあったのかい?」
「せんぱい、たいへんなんですっ!」
 すがりような眼で見上げながら、乱太郎は息を切らせながら言う。その肩に手を置いた伊作がしゃがみこむ。
「どうした、乱太郎。落ち着いて話してごらん」
「牡丹ちゃんと利梵くんが…ドクタケ忍者に…!」
「ちょ、ちょっと待って!」
 唐突に連発される知らない名前に、伊作が慌てて遮る。「そのボタンちゃんとリボンくんってだれ?」
「抜天坊の、土倉の抜天坊のお子さんですっ」
「なんでドクタケが土倉の子どもを…?」
 言いかけて伊作は納得した。身代金だ。それ以外になにがあるというのだ。
「きっと、きっと抜天坊からお金をとろうとしてるんです!」
 肩で息をしながら乱太郎も同じことを口にする。
「そうか、わかった。ではその牡丹ちゃんと利梵くんがどこにいるのか分かるかい?」
 留三郎には悪いが、薬種は後回しだと思いながら伊作は立ち上がる。手が再び懐を押さえた。
「はいっ!」
 ひときわ大きく頷くと、乱太郎は伊作を見上げる。

 

 


「…しんべヱがおいしいっていってたうどん屋さんにみんなで行こうとしてたら、街はずれで牡丹ちゃんと利梵くんがドクタケにつれてかれるのを見ちゃったんです」
 山道を歩きながら説明する乱太郎だった。「山のなかの小屋にとじこめるのを見たので、きり丸たちには学園に先生たちをよびにいってもらって、わたしは抜天坊にしらせようと街にもどったんです。そしたら伊作せんぱいがいらっしゃったから…」
「そういうことだったんだね」
 頷く伊作だった。「それにしても、ドクタケに見つからずによく追跡できたね」
「まあそれは…」
 乱太郎が曖昧に笑う。「ふたりがおまんじゅうをもってたらしくて、しんべヱがにおいでおいかけられたんです」
「あ…なるほどね」
 それならドクタケ忍者たちに見つからないよう距離を取って追跡することもできたわけだ。苦笑した伊作は、ふと口をつぐんで周囲の気配を探る。
 -いるな…。
 ドクタケ忍者かは分からないものの、自分たちを追尾している気配を感じる。
「乱太郎、ここでちょっと休もうか」
 いかにも大儀そうに道端の岩に腰を下ろす伊作に、乱太郎が食って掛からんばかりの勢いで叫ぶ。
「なにいってるんですか伊作せんぱい! 牡丹ちゃんと利梵くんがつかまって…」
「乱太郎も座って」
 低い声で命じられて何かを感じたらしい。乱太郎も緊張した面持ちで座り込む。
「いいかい。僕たちは誰かにつけられている」
「ドクタケ忍者ですか?」
「それは分からない。でも、相手は一人だ。だから二手に分かれて攪乱する。その前に、牡丹ちゃんたちがどこにいるか教えてくれないか?」
「はい、その…」
 伊作の作戦が理解できない乱太郎はとりあえず訊かれたことだけを答える。「この先のわかれ道を左にいったところにある小屋です」
「そうか、わかった」
 安心させるように微笑みかけながら伊作は頷く。「では、乱太郎はここから学園に向かって進むんだ。僕たちを追っている奴が乱太郎を追ったら、僕がやっつける。動かなかったら僕のほうがやっつけに行く。どっちにしても乱太郎は安全だから、急いで学園に戻って応援を連れてきてほしいんだ。いいかい?」
「はい…でも」
 落ち着かなげに周囲に視線を向けながら乱太郎が不安そうに言う。「伊作せんぱいは、だいじょうぶなんですか?」
「僕なら大丈夫さ。これでも忍たま六年生だからね…さ、立ち上がって行くんだ」
 背を軽く押されて乱太郎はおずおずと立ち上がると、意を決したように走り出す。
 -伊作せんぱいならきっとだいじょうぶ!
 と考えながら。

 

 

 

 -動いたな。
 ひとりで走り去る乱太郎に一瞬戸惑ったように動きを止めた追跡者がふたたび動き出す。
 -よし。岩の後ろを通ったときに…。
 岩の後ろを通ると、座っている伊作の姿が視界から消える。その瞬間、伊作は身をひるがえして岩の後ろに回り込む。
「うっ!」
 唐突に背後から腕をねじ上げられて、その人物は思わず声を上げた。
「つきまとうのはやめてほしいんだけど…まずは名前を名乗ってもらおうか」
 冷たい声で伊作はねじ上げる手に力をこめる。
「いてててて…はなせ、放してくれっ!」
 足をばたつかせて声を上げる人物は、見たところ忍者ではなさそうである。
「誰だと聞いてるんだけど」
 人体の構造を知悉している伊作は、骨が折れる寸前までは力を緩めるつもりはない。
「お、俺は…ただの足軽だ」
「足軽?」
「戦で見方が総崩れになったからこの山に逃げ込んだんだ…そうしたらお前たちが通りかかったから」
「金目の物を奪おうとしたってことか」
 伊作は鼻を鳴らす。言われてみれば、腰に刀こそ差しているが、具足を捨てた足軽に見えないこともない。暴れる相手に腕をねじりあげる手に力がこもる。相手が悲鳴を上げる。
「や、やめてくれ…腕が、折れるっ!」
「このまま山を下りて、もう二度と人を襲わないって約束するなら放してもいいけど」
「約束する! 約束するから…放してくれっ!」
「わかった」
 伊作が手を放すと、相手は肩をさすりながらへたり込んだ。そして次の瞬間、「おぼえてろ!」と毒づくと麓へ向かって駆け出した。
 -ふう。大した相手でなくてよかった…さて、牡丹ちゃんと利梵くんを探さないと…。

 

 

 -あれか…。
 山の中の猟師の避難小屋のような小屋掛けを見つけた伊作は、木の上に隠れて様子をうかがうことにした。ほどなく山道をドクタケ忍者たちが歩いてきた。先頭にいた風鬼が小屋の前に立つと、矢羽根で合言葉らしきものを交わす。
「おい、脅迫状はできたか?」
 扉をガタピシさせて出てきたのは雲鬼である。
「ああ、いま八方斎さまがチェックしてるところだ」
 風鬼が応える。
「早くしてくれないとこっちも困るんだよな。いつまでもガキども預かるわけにもいかんだろ」
 -やっぱりドクタケが誘拐したんだ…。
 小屋の中に牡丹と利梵が閉じ込められているのだろう。中を確かめたかったが、いまはドクタケ忍者たちがいるので動けない。
「で、八方斎さまが雲鬼をお呼びだったぞ」
 風鬼の伝達に雲鬼が眉を上げる。
「ならガキどもの番はどうすんだよ。雨鬼との交代時間までまだ間があるぜ?」
「こんな山奥の小屋に誰が来るっていうんだよ」
 気軽に風鬼が言う。「ちょっとくらい留守にしても見つかりゃしないって。八方斎さまもそうお考えだから呼んだんだろ?」
「あ、ああ…まあ、ちょっとならいいか…」
 小屋の奥を振り返りながら雲鬼が自分を納得させるように呟く。
「大丈夫だって。この辺りは俺たちが巡回するからよ」
 風鬼が言う。
「わかった…じゃ、頼んだぞ」
「まかせとけって」
 言いながら足早に雲鬼が山道を遠ざかる。その背を見送っていた風鬼たちが「俺たちも巡回すっか」と言葉を交わして立ち去る。

 

 
「あねうえ、だいじょうぶです。ここはぼくが…」
 しきりに涙を流す牡丹を必死でなぐさめる利梵だった。
「でも…」
 涙声で牡丹が言う。「こんなところにとじこめられてはにげられないわ…それに、お父さまがわたしたちの身代金をはらうはずもないし…」
「ぼくがなんとかします!」
 どうすればいいか全く見込みがなかったが、それでも気丈に励ます利梵だった。「そうだ! ぼく、近所のおばさんからいただいたおまんじゅうをもってるんです! おいしいものを食べたら、なにかいい考えがうかぶかもしれません」
「でも…」
 後ろ手に縛られていては食べることもできない。言いかけた牡丹が口ごもったところに、ひらりと大きな影が舞い降りた。
「だれだ!」
 とっさに牡丹をかばおうとしながら利梵が鋭い声を上げる。
「しっ。静かに」
 とび色の髪をしたその人物が微笑む。「僕は乱太郎の先輩の善法寺伊作だ。君たちを助けに来たよ」
「「乱太郎さんの!?」」
 期待に声を弾ませる二人だった。
「そう」
 頷きながら素早く二人の縄を切る。 
「さ、ここから逃げよう」
 言いながら二人の身体をそっと両脇に抱える。二人がいぶかしげに伊作の顔を見上げる。
 -囲まれちゃったか…。
 伊作はすでに小屋の外に複数の忍の気配を感じていた。
「ちょっと動くから、二人とも僕にしっかりつかまってて」
 小声で話しかけると、ちいさく頷いた二人が眼を固く閉じて伊作の身体に両脇からしがみつく。
 -来るか…。
 がさ、がさと音をたてて足音が小屋に近づく。やがてその人物が小屋の扉に手をかけて開くだろう。両手がふさがっている伊作はその瞬間を狙っていた。足音が止まった。

 

 

 

「おうい、脅迫状ができあがったぞぉ」
 のんびり声を上げながらやって来たのは雨鬼である。
「やっとかよ」
「待ってたぞ」
 小屋から少し離れた木の下に座り込んでいた風鬼と雲鬼が立ち上がる。
「いやぁ、けっこうあちこち直されちゃってさぁ」
 言いながら懐に手を突っ込みかけた雨鬼がふと足を止める。
 -あれは…?
 小屋に忍び込む伊作の影を捉えた瞬間だった。
 ≪おい、誰か小屋に忍び込んだぞ≫
 とっさに矢羽音に切り替える。
 ≪なんだって?≫
 ≪ちょっと待て!≫
 小屋に駆けつけようとする風鬼の腕をつかんで止める。≪俺が中を確かめてみる≫
 おっかなびっくり小屋に近づいた雨鬼がおもむろに建てつけの悪い悪い扉に手をかけると、ぐいと開く。ガタピシと扉がずれ動いた瞬間、中にいた人物が身体を斜めにしたまま飛び出して肩で雨鬼を突き飛ばした。
「うわっ!」
 雨鬼と背後にいた風鬼が尻もちをつく。突然の事態に呆然としていた雲鬼が、走り去ろうとする人物の後姿に声を上げる。
「お、おい! 子どもが逃げたぞっ!」
「早く追えっ!」

 

 

 

 -相手は三人。
 雨鬼たちを振り切った伊作が走りながら考える。このまま子供二人を抱えて全力疾走するには、学園はやや遠すぎた。
 -もうすぐ学園から助けが来るはずだ。ここは僕が食い止めて、二人は先に行ってもらった方がいいな。
 そう判断した伊作はおもむろに足を止めるとそっと二人の身体を下ろす。そのまま座り込んでしまいそうになるが、何とかこらえて荒い息を整えながら片膝をつく。
「いいかい。ここまで来れば安全だ。君たちはこのままこの道をまっすぐ行ってくれないか。もうすぐ学園から助けが来る」
「でも…お兄さんは?」
 不安そうに牡丹が訊く。
「僕はここで追手が来ないか見張っているよ…だいじょうぶ、君たちが安全に逃げられるのを見極めたらすぐに後を追うから」
 安心させるように言い聞かせると、ようやく二人は逃げ出す気になったようだ。
「では、おねがいします」
「お兄さんもおきをつけて」
 -お気をつけて、か。
 二人の背を見送った伊作が唇の端をゆがめて笑う。すぐ背後に追手の気配を感じていた。
 -さて、どうやって食い止めてやろうか…。

 

 

 

「お、おまえはさっきの…」
「あのガキどもをどうした!」
 息を切らせながら雲鬼たちが、山道に立ちふさがる伊作を睨み据える。
「もちろん、家に帰ってもらったよ」
 しれっと伊作は応える。「それにしても、あんな小さい子どもたちをさらうなんて、ずいぶん落ちたもんですね」
「なんだと!」
 伊作の挑発に雲鬼がいきり立つ。
「じゃ、僕はここで失礼します」
 軽やかに言い捨てた伊作が悠々と背を向ける。「待て!」と雲鬼たちが追いすがろうとする。
「おっと」
 肩をつかみかけた手をひょいと避けると伊作は学園とは別の方向へと走り出した。
「逃げたぞ!」
「追え!」
 囮作戦、ひとまず成功、と思いながら走っている背後から別の声がして、伊作の動きが一瞬止まる。
「待て! そっちはタソガレドキ領に向かう道だ。そんな方向に子どもを逃がすはずがない! 学園への道に逃げたに決まってるだろ!」
 少し遅れて追いかけてきた雨鬼の声だった。
 -しまった。バレたか。
 踵を返すと、苦無を掌の下に隠して、雨鬼の方に向かって引き返していく雲鬼たちの背中に一気に突入する。
「うわっ!」
 伊作の気配に気づくのが遅れて弾き飛ばされた風鬼だったが、雲鬼は重いため伊作の方が弾き飛ばされてしまう。
「このガキ!」
 いきり立った雲鬼たちが苦無を構える。
 -しょうがない。ここで食い止めよう…。
 観念した伊作が苦無を構えながらゆるゆると立ち上がる。

         

 

 

 -伊作のやつ、何やってんだ…。
 山道を見下ろす崖の上で、留三郎は松の大木に寄り掛かっていた。
 -どう考えても時間かかりすぎだろ…。
 実は伊作と新野のやり取りを聞いていた留三郎だった。熱に浮かされながらぼんやりと戻った意識のなかで、枕もとの会話を耳が捉えていた。
 -伊作のヤツ、大丈夫か…。
 思いがけず深い猪垣から這い出すのに手間取っている間に熊を追い払うことはできたが、相変わらずの不運ぶりを発揮している伊作が一人で薬種を買いに行って大丈夫なのかと考える。
 そして、その懸念は伊作がとっくに戻ってきてもいい時間になっても戻らないことで確信に変わった。
 -これはぜったい何かあった…!
 全身の痛みはなぜかあまり感じなかった。幸い、医務室に新野の姿はない。当番の保健委員たちもまだ現れていない。脱出するなら今がチャンスだった。
 熊と戦ったあと、学園に戻る山道で伊作とともに足を滑らせてくじいた足首が気になったが、そろそろと立ち上がって足を踏ん張っても痛みはなかった。
 -よし!
 枕もとに畳んであった私服を着ると、そっと医務室を抜け出す。

 

 

 

「もう少し先まで行ってみるか」
 誰にともなく呟いて立ち上がった時、山道を駆ける小さな足音を耳が捉えた。
 -あれは…。
 次の瞬間、「おぅい、乱太郎!」と声を上げて留三郎は崖を駆け下っていた。

 

 

 

「食満…せんぱい!」
 声とともに唐突に現れた留三郎だったから、普通であればもっと驚いても不思議ではないところだったから、自分の身体にしがみついてきた乱太郎には留三郎の方がいささか驚かされた。
「お、おい…どうした、乱太郎」
 乱太郎の身体を受け止めながら、戸惑ったように留三郎は声を上げる。
「伊作せんぱいが…たいへんなんです…!」
「なに、伊作が!?」
 伊作の名を聞いた瞬間、身体が反応していた。思わずしゃがみ込んで乱太郎の身体を揺する。「どうした! 伊作に何があった!」
「伊作せんぱいが…牡丹ちゃんと利梵くんをたすけようとして…でも、もっとたすけがいるんです!」
「ま、まてまて…そのボタンとリボンってなんだ?」
「だから土倉の抜天坊の子どもの牡丹ちゃんと利梵くんですってば!」
 説明するのももどかしい乱太郎が半ばキレ気味に叫ぶ。
「そ、そうか。で、どうして伊作がそいつらを助けようとしてるんだ?」
「ドクタケが牡丹ちゃんたちをさらったんです。だからたすけにいこうとしたんですが、とちゅうであやしいやつに追われて、伊作せんぱいがくいとめるからわたしに学園にもどって助けをよんでこいって…」
「わかった。で、伊作はどこにいる?」
 落ち着かせるように声を低めながら留三郎は訊く。落ち着かせれば乱太郎はしっかりした子だったから。
「牡丹ちゃんと利梵くんがとじこめれらている小屋にいったと…おもいます。場所はおつたえしましたから」
 果たして少し冷静になったらしい乱太郎がまっすぐ留三郎を見上げながら説明する。
「よしわかった。俺にもその場所を教えてくれないか」
「はい! この山道をいくととちゅうにわかれみちがあって…」
 しゃがみ込んだ乱太郎が地面に地図を書き始める。その図をしっかりと頭に刻みつける留三郎だった。

 

 

 

「うわっ!」
 雲鬼の槍先をかわして飛びのいた伊作の足元がふいに空白になる。
 何が起きたか考える間もない。踏ん張ろうとした足が空を切って、伊作は古い猪垣の中に落ち込んでいた。
 -不運すぎる…同じ話の中で二回も猪垣に落ちるなんて!
 身体が空を切っていた時間はほんの一瞬のはずだったが、ひどく長く感じた。次の瞬間、背中に強い衝撃をおぼえて息が詰まった。
 -くっ!
 穴の底には、石垣からこぼれ落ちた石がいくつか転がっていた。その一つにまともに背をぶつけてしまっていた。あまりの痛みに視界がかすむ。
「それ」
 猪垣の上から覗き込んだ雲鬼が、伊作めがけて槍を突き立てる。
 -おっと!
 とっさに身体をずらしたので、最初の一突きはかわすことができた。だが、すぐに槍は引き抜かれ、今度こそ自分めがけて突き立てられようとしていた。
 -だめだ、もう身体が…。
 観念した伊作が固く眼を閉じる。と、その時、
「俺の伊作に何しやがる!」
 鉄双節錕を振り回しながら留三郎がドクタケ忍者たちのなかに躍り込んできた。
「うげっ!」
「ひえ~」
 すでに数人のドクタケ忍者が鉄双節錕に武器を弾き飛ばされて逃げ腰になっている。
「よお、そこの重そうなおっさん」
 ひゅるひゅると鉄双節錕が鳴る。ニヤリとした留三郎が雲鬼に向かって足を踏み出す。「俺が相手だ」
「な、なにがおっさんだ! それに重いは余計だ!」
 留三郎に向かって槍を構えながら雲鬼は怒鳴る。
 -へっ、バカだな。
 雲鬼の行動に留三郎は内心せせら笑う。猪垣の中に槍を向けて伊作を刺すぞと脅したほうが、よほど俺を困らせられるだろうに、と思いながら。
「なんなら言い直してやろうか? 腹のたるんだおっさん」
 挑発しながらさらに一歩足を踏み出す。
「うるさいっ!」
 カッとなった雲鬼が槍を突き出す。と、ジャンプした留三郎が槍先に足をかけて踏み落とす。
「な!」
 慌てて槍を拾おうとするが、すでに留三郎が眼の前に迫っていた。次の瞬間、強烈なアッパーカットを食らって身体がよろめく。
「てめえ俺の伊作に手を出すとな…」
 遮二無二殴りつけながら留三郎が怒鳴る。「こーなるんだよ!」
 それでもとっさに鉄双節錕で頭蓋骨を砕くのを思いとどまって素手で殴りつけることにした判断に、留三郎は自分でも驚いていた。
 -すげえ俺。こんなヤツ殺してたらすげえ寝覚めが悪くなるところだった!

 

 


「あ、あのう…」
「ねえ留三郎。そのくらいで…」
 あつまってきたドクタケ忍者たちと、猪垣からようやく這い出してきた伊作が声をかける。
「あ?」
 雲鬼の身体にまたがって左右の連続フックをかましていた留三郎がようやく手を止める。
「脳震盪を起こしてるみたいだね…意識が戻るまで安静にして、戻ってもすぐには動かさないように」
 手をついたまま雲鬼の顔を覗き込んだ伊作が周りのドクタケ忍者たちに告げる。
「あ…はい」
「ど、どうも…」
 すっかり戦意喪失したドクタケ忍者たちが曖昧に応える。
「じゃ、行こうか」
 言いながら上体を起こそうとするが、すぐに背中の強烈な痛みに倒れ込む。
「お、おい、伊作!」
 駆け寄った留三郎がそっと上体を起こすと「ほら、背中に乗れ」と背を向ける。
「ありがとう…」
「大丈夫か」
 気がかりそうに訊きながら立ち上がる。と、余分に負荷がかかった足首に痛みが戻る。「うっ」と思わず声を漏らしてバランスを崩しそうになるが、辛うじて踏みとどまると、そろそろと足を踏み出す。
「大丈夫かい? 留三郎こそひどいケガをしてるのに…」
「なに、大したことねえよ。伊作こそどうした。骨が折れてるんじゃないのか?」
「いや、大丈夫。穴の底に石があったけど、背骨の直撃は免れたから…」
 すっかり周囲を無視して言葉を交わしながら立ち去る二人の青年を、取り残されたドクタケ忍者たちが呆然と見送る。

 

 

 

「ねえ、留三郎」
 荒い息をしながら伊作を背負って歩く留三郎に、背後からおずおずとした声がかかる。
「なんだ?」
「もうこのへんで下ろしてもらっていいよ。僕なら大丈夫だから…」
「なに言ってんだよ」
 あっさりと遮る留三郎だった。「そんなケガしてて歩けるわけないだろ。俺にまかせろ」
「でも…」
「いいから!」
 強くなった留三郎の口調が、また穏やかになる。「乱太郎から聞いたぞ。土倉の子どもを助けたんだってな」
「あ、ああ…」
 乱太郎が無事に戻れたと知って伊作がほっとしたように声を漏らす。
「それに、俺のための薬を買いに行ってくれたんだろ? 伊作と新野先生が話してるの、聞こえてたんだぜ?」
「そういえば…」
 ふと手を懐に当てる。と、その顔色が変わる。
「うわああああ!」
 思わず叫んでしまう。
「ど、どうした!?」
 ぎょっとした留三郎が立ち止まって振り返る。
「すまない留三郎…」
 申し訳なさそうに伊作が言う。「さっき猪垣に落ちたときにこぼしちゃったみたい…」
「は?」
 思わず留三郎の声のトーンが上がる。「じゃ、俺の薬は?」
「すまない留三郎。薬は作れない…でも、すごく元気そうだから大丈夫だよね?」
 小さく首を傾けて微笑みかける。
「なんでそうなるっっ!!!!」
 留三郎の絶叫が山中に響く。

 

 

<FIN>

 

 

 

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