冬の作戦

「三年生のピクニック」の段で再登場した藤内そっくりの若殿様がなんかかわいくて、登場してもらいました。数馬いわくうっかりさんだけど、とても部下思いで真面目で、とってもいい子ですよね。
あとはもう少し危機意識を持ってもらえれば…。

 

 

「寒いね~」

「うん、寒い」

 雪が積もった山道を歩くのは藤内と数馬である。学園長の使いに出た帰りだった。

「それにしても、作兵衛に作ってもらった雪沓、あったかいね」

「作兵衛って器用だよね。さすが用具委員会」

「いつも左門や三之介追い掛け回していて、よくこんなの作る時間あるなって思うんだけど」

「本人は食満先輩に手伝ってもらったって言ってたよ」

「作兵衛ってさ、食満先輩のことこわがってるように見えて、実は大好きだよね」

「そうそう、それ僕も思ってた…あれ」

 頷いた数馬が、ふと足を止めて笠を持ち上げる。「また降ってきた」

 白い切片がちらほらと舞い始めていた。

「ううっ、寒いはずだよ」

 蓑の前を合わせなおした藤内が震えあがる。「早く学園に戻ってフロ入ろう」

「そうだね…って、ちょっとあれ見てよ、藤内」

 再び足を止めた数馬が指さす。

「なに? って、なんだこりゃ」

 二人が歩いてきた道と交差する山道には、雪の上に無数の足跡が刻まれていた。牛の蹄の跡やフンもあちこちに落ちている。かなりの大部隊が動いたことが見て取れた。

「どう思う?」

 数馬が藤内の顔を見る。

「まさかこんな真冬に戦とか?」

 藤内が肩をすくめたとき、

「誰か来た!」

 数馬の声に、二人は素早く木陰に身を隠す。

「えっほ、えっほ」

 数人の男たちが山道を小走りに駆けてくる。

 -ドクタケ忍者だ!

 

 

 

「放せ! 放すのだ!」

「うるさい! 暴れるな!」

 山中の小さな集落には、ドクタケの軍勢が臨時の陣を構えていた。村人たちが逃げ出したあとの家の一軒には八方斎たちが勝手に上がり込んで忍者隊の休憩所にしていた。そこに、後ろ手に縛られた羽織姿の少年がドクタケ忍者に引っ立てられて連れてこられた。

「八方斎さま! あの城の若殿を捕まえてきました!」

 誇らしげに敬礼するドクタケ忍者に、八方斎が上機嫌で応じる。

「そうかそうか、コイツがあの城の若殿か。でかしたぞ! コイツは大事な人質だ。しっかり見張っておくのだぞ」

「ははいっ!」

 再びドクタケ忍者に引っ立てられた若殿は、家の裏手の物置小屋に閉じ込められた。

「いてて…」

 狭く埃臭い小屋は、戸を閉められると真っ暗である。後ろ手に縛られたまま放り込まれた若殿は、身を起すと座りなおす。

「しまったなあ…」

 こうなるに至ってしまった状況を思い出して思わずつぶやく。そして、これから自分の身に何が起こりうるか考えを巡らせる。

 -私を人質にした以上、あいつらは父上に降伏するよう迫るに違いない。父上はどうされるだろうか…。

 もし父親である城主が降伏すれは、城はドクタケのものとなり、自分たちはよくて追放、悪ければ皆殺しであろう。降伏を拒否すれば、自分は殺されてしまうかもしれない。いずれにしても悪い結末しか待っていないように思われた。それを回避するにはここから逃げ出すしかないが、自分はたった一人で敵中に捕らえられ、しかも外からは全く分からない物置小屋に閉じ込められている。

 -どうしよう…。

 身体の震えが止まらないのは、地面から凍み上げてくる寒さだけではないだろう。不安に押しつぶされそうになりながらも、必死で耳を澄ませて周囲の状況を把握しようとする。何が起きているかが分かれば、あるいは活路を見出すことができるかもしれないから。

 -こんなにたくさんの軍勢で攻めるつもりなのか…。

 居城は山中にあり、それほど手勢も多くない。だが、ドクタケ軍には大勢の将兵がいるようだ。それに加えて、物資運搬に同意された夫丸、牛たちがひしめいて狭い村の中は騒々しい。これだけの軍勢に攻め立てられればひとたまりもないように思えた。

 -だけど、あんなにたくさんの軍勢が私の城のところに集結できるものだろうか。

 ふとそんな疑問もわいたが、その間に出発命令が出たらしい。外の騒ぎがだんだん遠ざかっていく。やがてあたりはすっかり静まり返ったが、小屋の周りには見張りらしい数人の足音や話し声が聞こえる。どうやら見張りを残して本体は城攻めに向けて出発してしまったらしい。

 -どうしよう。どうすればいい?

 いよいよ絶望的な思いにとらわれる。

 

 

 

「あのさあ、やっぱ僕たちだけってムリがあるんじゃない?」

 手首をつかまれて引っ張られながら喜八郎がぼやきとも抗議ともつかない声を上げる。

「僕も、ヒマってわけじゃなかったんだけどな…」

 同じく手首をつかまれたタカ丸が苦笑しつつ主張する。

「しょうがないんです! 頼れるのは先輩たちしかいないんで」

「とにかく時間がないんです!」

 喜八郎の手を引く藤内とタカ丸の手を引く数馬は、かまわず山道を急ぐ。山中でドクタケの陣を発見した二人は、そこに若殿が連行されているのを目撃した。自分たちだけでは手に負えないと判断して急いで学園に戻ったが、頼りの六年生と五年生は演習で留守にしていた。そこで手近でヒマそうに見えた喜八郎とタカ丸を引っ張ってきたのだ。

「でもさあ…」

 小平太の塹壕掘りで破壊された落とし穴のトシちゃん283号の修理が終わってないんだけど、と言おうとしたところで藤内が足を止めた。

「あれ…ドクタケの軍勢が、いなくなっちゃった?」

 大勢のドクタケの軍勢がひしめいていたはずの集落は、もぬけの殻となっていた。

「まあ、たしかにかなりの軍勢がいたみたいだね」

 雪の上に残された足跡に目をやったタカ丸が顎に手をやる。

「てか、あそこにまだドクタケ忍者がいるんだけど」

 数人のドクタケ忍者の姿に気づいた喜八郎が低い声で言う。

「あれ、若殿様が閉じ込められた小屋です」

 物陰から目をやりながら数馬が応える。

「おやまあ」

 喜八郎が鼻を鳴らす。「つまり、人質はここに温存しておくってことか」  

「でも、あれだけの人数なら勝算ありだね」

 なぜか懐から鋏と櫛を取り出したタカ丸がニヤリとする。

 

 

 戸板が軋んで開く音に、若殿がハッとして顔を上げる。

「若殿さま、だいじょうぶ?」

 駆け込んでくる声に若殿の声も弾む。

「藤内! 助けに来てくれたんだね!」

「やあ、また会えたね、若殿さま」

「数馬! 来てくれてうれしいよ!」

「おやまあ」

 手を取り合う3人を戸口から眺めた喜八郎が声を漏らす。「ホントに藤内そっくりだ」

「ほんとだねえ」

 タカ丸も頷く。「前髪の向きを変えて、眉を整えればもう完全に藤内そのものだ」

「でも、どうしてここがわかったんだ?」

 若殿が首をかしげる。

「僕たち、お使いの帰りにドクタケの軍勢が動いているの見て追跡したんだ。そしたら、若殿さまが捕まってるのが見えたんで」

 藤内が説明する。

「ところで、どうして若殿さまはドクタケに捕まっちゃったの? まさか、またお饅頭を買いに出かけちゃったとか?」

 数馬が訊く。

「いや、今度はお饅頭でもないし、買いに出たわけでもなかったのだ」

 妙にハッキリした口調になる若殿に、喜八郎とタカ丸も小屋の中に入ってきて耳を傾ける。この村に来るまでの道中で、藤内たちがどのようにして若殿と知り合ったかは聞いていた。

「じゃ、どうしたの?」

「知っての通り、ドクタケは私の城を攻めようとしている。そのため、城では戦の準備をしたり、逃げ込んできた領民たちを誘導したりで、この寒いのに皆たいへんなのだ。だから、少しでもあったまってもらおうと甘酒を買おうと思ったのだ」

「やっぱり甘味系なんだ…」

 数馬がため息をつく。

「だけど、戦が近いのに外に出たりしたら危ないのは分かってるから、通販で買うことにしたのだ。それなのに…」

 ぐっとこぶしを握る若殿だった。「甘酒を届けに来た配送業者の人は、実はドクタケの変装だったのだ!」

 全員が脱力した。

「いや、若殿さまが自分で受け取りに出ちゃダメでしょ…」

 起き上がりながら数馬が突っ込む。

「でも、伝票にハンコかサインしないといけないし、みな戦の支度で忙しいから…ところで、その人たちは? 数馬たちの仲間なの?」 

 話を終えた若殿は、ようやく喜八郎たちの姿に気づいたようだ。

「うん。綾部喜八郎先輩と斉藤タカ丸先輩だよ。君を助けるのに僕たちだけじゃ手に負えないから、手助けに来てもらったんだ」

「どうも~」

「よろしくね」

「はい! よろしくお願いします!」

 若殿がぺこりと頭を下げる。

「じゃ、また衣装を交換するよ。僕がここに残るから、君はお城に戻るんだ」

「分かった! けど、どうやって? てか、見張りのドクタケ忍者はどうしたんだろう」

「それなら大丈夫。僕が超テンションの下がる髪型にしちゃったからね!」

 タカ丸が自慢げに胸を張る。

「え…どういうこと?」

「タカ丸さんは元髪結いの忍たまなんだ。それに、お父上はカリスマ髪結いなんだよ」

 着替えながら藤内が説明する。

「そうなんだ…藤内たちの仲間や先輩ってすごいなあ。いろんなことができる人がいるんだね!」

「そうだね。さあ、着替え終わったら、藤内が身代わりになるからここから脱出するよ」

「でも、見張りのテンションが下がってるなら、藤内がここに残らなくてもいいのでは?」

 着替えを終えた若殿が訊く。身代わりに藤内を残すことが心配だった。

「藤内が心配なのは分かるけど」

 意を汲んだように喜八郎が説明する。「人質が逃げ出したって知ったら、ドクタケは一気に城攻めをするよね。人質がいれば、ドクタケも攻撃と交渉の両方をやんないといけないから、こっちとしては時間が稼げる。どっかの城に援軍を頼んでるんでしょ?」

「はい。城の軍勢だけでは手が足りないので」

「だったら決まり。ここから脱出しなきゃ」

 若殿に扮した藤内がにっこりする。「僕は大丈夫。そのうち六年生や五年生の先輩方も演習から戻られるだろうし、そのときに助けてもらうから」

「分かった…藤内、気をつけてね」

「じゃ、行こうか」

 なおも気がかりそうな若殿を促して数馬たちが村を後にする。

 

 

 

「なに、若殿の居場所を知ってるという者が現れただと?」

 その頃、城内では行方不明になった若殿を探して騒ぎになっていた。

「はい。忍術学園の者とか申しておりますが、まだ子どもでして…城外につまみ出しますか?」

 警備担当の侍の報告に、「あいや、待たれよ」と割って入った侍がいた。

「どうされたか」

 城主の身辺警護の侍が不審そうに眉を上げる。

「いや、その子ども、もしや、以前も若殿を助けてくれた者かも知れぬ。それに、私も忍術学園の者に助けてもらったことがある。殿もたいそう感謝しておられた」

「なに、殿にお目見えしたことがあるというのか」

「そう言うことなら話は別だな」

 警備担当と警護担当の侍が顔を見合わせる。

「とにかく、その者を早く殿の元へ通すのだ」

 

 

 

「おお、そなたは若殿を助けてくれた」

 上段の間から降りた城主が数馬の手を取る。「それで、居場所を知っているというのはまことか」

「あ、はい…」

 城主の必死な表情に圧倒されながらも応える数馬だった。「若殿さまはドクタケに捕まっていましたが、僕たちがお助けして、いまはこのお城の反対側の山にいます」

「そうか、無事だったか…それはよかった」

 思わず一筋流れ出た涙をぬぐった城主が、改めて数馬の手を握る。「よく助け出してくれた…だが、そなたはどうやってこの城に入ることができたのだ? 城につながる谷間にはドクタケが陣を敷いて、出入りは完全に断たれているはずだが…」

「はい。その通りなんですが…」

 照れたように数馬は頭を掻く。「自分で言うのもなんですが、僕、存在感が薄いんで、僕は普通に歩いているつもりでも誰にも気づかれないんです」

 だから、ドクタケの陣も、城門の警備も通過できたのだ。

「そうか、そういうことであったか」

「それで、お願いがあるのですが」

 数馬が膝を進める。「向かいの山にいる若殿さまと僕の仲間たちを、このお城に連れてきたいのですが、ドクタケの陣を通らずに来れる道ってありますか?」

「むろんじゃ」

 城主が頷く。「すぐに案内させよう」

 

 

 

 

「父上!」

「おお、無事であったか…よかったよかった」

 城主の元に戻ってきた若殿が駆け寄る。その身体を城主がしっかりと抱きしめる。

「ごめんなさい、父上…私は皆のために甘酒を手に入れようとして、でも外に出たら危ないから通販で買おうと思って…」

「話は聞いておる。だが、あまり皆に心配をかけるものではない。わかったな」

「はい、父上」

「よかったよかった」

「若殿様がご無事であれば、あとは城の守りを固めるだけ」

 見守っていた家臣たちも涙をぬぐいながら小声で頷き合う。

 

 

 

「お殿様、喜んでたね」

「そ~だね~」

 そっとその場を離れたタカ丸と喜八郎は、城の中庭を歩いていた。若殿を城まで送り届けたはいいが、家老にそのまま籠城戦に加わることを懇願されてしまったのだった。

「てか、若殿様、僕たちのことかなり買いかぶってるよね」

「でなきゃ、ご家老が直々に忍たまに頼むわけないよね~」

「って言っても、僕たちまだ四年生だし、そんなに期待されてもね…」

 ぼやきながらタカ丸が辺りを見渡す。中庭のそこここには備蓄食料や武器が積み上げられ、その間を侍や兵士が慌しく走り回る。と、なにかに気づいたように矢狭間に近づいて外を垣間見る。

「ねえ見て…ここから、向かいの山がよく見えるよ」

「へ~え、そうだね~」

 隣の矢狭間に喜八郎が顔を寄せる。

「見てよ。ドクタケが谷間の崖の下に陣を敷いている…どういうつもりなんだろう」

 授業で習った兵法を思い出しながらタカ丸が呟く。たしかに城につながる道を抑えるためにはいい場所だが、背後が危険すぎると思わないのだろうか。

「な~んにも考えてないからね、ドクタケは」

 気のない声で喜八郎が応える。

「でもさあ、あの崖の上、かなり雪が積もってるよ…あ~あ、三木ヱ門がいたらなあ」

「三木ヱ門がいたら、どうするのさ」

 矢狭間から顔を離した喜八郎が訊く。

「そりゃもちろん、石火矢のユリコちゃんを向かいの山にぶちこんで、ドバーっと雪崩アンド土砂崩れを起こすのさ」

 そしたらドクタケの陣まるっと埋まるでしょ、とタカ丸はにこやかに説明する。

「だったら別に三木ヱ門の手を借りなくても、お城の火薬借りて伝火でぶっ飛ばせるじゃん」

「えぇ~? だって火薬の量とか分かんないよ?」

「でも伝火はできるでしょ?」

「まあ、このまえ土井先生に教わったけど…」

「じゃ、決定。すいませ~ん、この人がすごい作戦あるって言ってます~」

 勝手に決定した喜八郎が通りがかりの侍に声をかける。

「ちょ、ちょっとやめてよ喜八郎…」

 慌てて止めようとするがもう遅い。足を止めた侍が「ああ、君たちか」と近寄ってくる。城主の元まで同行した警備担当の侍だった。「それで、なにか作戦とか言っていたようだが?」

「はい。ドクタケの陣をぶっつぶすすごい作戦があるって言ってま~す」

「なに! それは本当か!」

 侍の顔色が変わる。若殿が先ほどまで散々褒めちぎっていたので、疑う余地はないらしい。「それでは侍大将殿に報告して早速作戦会議を開いていただくこととしよう。そこでぜひ君の作戦を開陳願いたい」

「えぇ…?」

「は~い」

 なお返事をためらうタカ丸に代わって喜八郎がいい返事をする。

 

 

「なるほど、対岸の山から雪崩を起して、ドクタケの陣をつぶすというわけか…」

 ドクタケの陣を記した地図を前にした侍大将が頷く。

「たしかに、ドクタケの陣は、背後は崖になっているせいか警戒は手薄ですな」

「しかも狭い谷に布陣している。壊滅させることも不可能ではないぞ」

 脇に控えた副官たちも感心したように頷く。

「えっと…そのためには火薬がたくさん必要なんですが…お借りできますか?」

 上目遣いにタカ丸が訊く。

「むろんじゃ」

 侍大将が頷く。「火薬を扱える兵をつけよう。ぜひ、その作戦、やってもらいたい」

 -このお城の人たちって、あんま戦に慣れてないのかな…あんな誰でも思いつきそうな作戦に感心してるなんて。

 黙って聞きながら喜八郎が考える。

 -まあ、だからお城に逃げ込んできた人をそのままにしてるんだろうな。

 兵法の授業で習ったことに従えば、最悪の手である。逃げ込んできた人々に敵の忍者が紛れ込んで、破壊活動をされるかもしれないし、そうでなくても大勢の人々が逃げ込んだ城ではすぐに食料も尽きるだろうから、ドクタケに城の入り口を封鎖されたらあっという間に飢餓地獄である。

 -あのお殿様、優しそうだから…あんまそーゆーこと考えないんだろうな。

「…で、そのためには向かいの山に伝火を仕掛ける必要があるのですが、仕掛けに行けますか?」

 自信なさげにタカ丸が言う。

「なんの。ここは我らの領地。ドクタケの裏をかいて向かいの山に行くルートなどいくらもあるわい」

 胸を叩いてみせる侍に笑い声が上がる。

「ところでその伝火だが…雪の上に仕掛けられるものだろうか。すぐに消えてしまうのでは?」

 参謀の一人が首をかしげる。

「ああ、それなら、水火縄を使えば大丈夫です」

 そこは火薬委員らしく即座に答えるタカ丸だった。

「水火縄とな?」

「はい。水軍がよく使うのですが、水の中でも使える火縄なんです」

「そうか。それならば大丈夫だな」

 参謀も納得したようである。

「しかし、向かいの山で火薬を爆発させるとなると、領民たちが動揺するやも知れぬ。こちらの動揺に乗じてドクタケが攻め込んできたら…」

 別の侍が顎鬚をなでながら言う。

「お城の裏にはにげられないんですか?」

 喜八郎が訊く。

「いや、城の裏は見ての通り急斜面だ。急な杣道はあるにはあるが、こんな雪が深い時期には通れない」

 苦渋の表情で侍が説明する。

「でも、こっちの細い尾根の反対側に抜けられれば、ドクタケの目につかずに抜け出せるのでは?」

 地図の上を指し示しながら喜八郎が言う。

「地図上では小さい尾根に見えるかも知れぬが」

 侍は腕を組んでため息をつく。「板壁のように高くて、よじ登るのは不可能だ。穴でも掘って抜けるならともかく」

「ああ、穴なら僕が掘っちゃいますけど」

 急に身を乗り出す喜八郎だった。

「なんだと?」

 侍が眉を上げる。

「僕、穴掘りが大得意なんです! 踏鋤のフミ子ちゃんもいるし!」

 いつの間にか踏鋤を肩に担いで見せる。

「だが…」

 なおも言いかける侍に、

「大丈夫です。喜八郎は穴掘り名人で、学園も彼のせいで穴だらけなんです」

 タカ丸がにこやかに口を開く。「だから、抜け穴を掘る許可をいただけませんか? その間に僕は裏山に火薬を仕掛けてきます。あと、数馬は学園に戻って先輩方の加勢をお願いしてきてね」

 手早く指示して立ち上がるタカ丸に、「あ、ああ…よかろう」と頷く侍だった。

 

 

 

「どうじゃ。城への通路は固めたか」

 見回りに来た八方斎が訊く。

「はい! 城への通路はこの道だけですし、もはやアリ一匹出入りできません」

 雨鬼が敬礼して応える。

「よしよし。これであの城も袋のネズミよ。今度という今度こそ落としてみせようぞ。なにしろこちらには若殿という人質もおるのだからの…ぐわっはっは!」

 反り返って笑う八方斎の頭を数人がつっかえ棒で支える。

「それにしても、こうもうまくいくと却ってこわいな…」

「なんか大事なこと忘れてたりしないかってな」

 八方斎が去った後、不安げに声を交わす雨鬼と霞鬼だった。その傍らを何事もなかったように通り過ぎていく数馬に気づく者はいない。

「それにしても寒いよな…」

 谷間を通り過ぎる凍るような風に震えあがる二人だった。

「なにもこんな時期に城攻めなんかしなくてもさ…」

「だけど、この時期だからこそって八方斎様のご判断なんだろ」

 やってきた雲鬼が言う。

「どんなご判断なんだよ」

「これだけ雪が深いと、あの城の裏山にある道は使えなくなる。谷間に出る道もここだけだ。んでもって、城の中には領民どもも逃げ込んでるから、あの城はあっという間に食料が尽きるはずだ。向こうがじゅうぶん弱った頃を見はからって、人質を持ち出して脅し上げるという算段さ」

「人質がいるんだから、余計な手間なんかかけずにとっとと交渉に入ったほうがいいんじゃないか?」

 雨鬼がぼやく。

「だけどさ、連中がまだ元気なうちに人質なんて出したら、かえっていきり立って攻撃してくるかもしれないだろ? こんな狭い谷間で合戦になったらこっちのほうが不利だろうが」

 雲鬼が肩をすくめる。

「そのための人質なんだろうが」

 まだ納得できないように雨鬼がぼやいたとき、

「あれ、なんかおかしくねえか?」

 遠眼鏡をつかっていた霞鬼が声を上げる。「なんか、人が減ってないか?」

「人が減ってるだって?」

 雲鬼が遠眼鏡を受け取ってのぞき込む。「兵たちは普通に動いているぜ?」

「そうじゃなくってさ」

 霞鬼が言う。「さっきまで中庭のあちこちに領民どもがいたんだよ。それがいなくなってる」

「どっかの建物の中にでも収容したんじゃないか? こんな寒空にいつまでも外に放り出しといたら、それこそ騒ぎになるんじゃないか?」

「そりゃそうだけどさ…だが、あの城にあれだけの人数を受け入れられるような建物なんかあるとは思えないんだけどなあ…」

 霞鬼が首をひねりながらぼやく。

 

 

 

「お、おい、どうした!」

「誰にやられた!」

 人質の様子を確認するよう八方斎に命じられた風鬼たちが見たのは、見張りにつけたドクタケ忍者たちが力なく座り込んでいる姿だった。だがそれ以上に目を引いたのが、その髪型だった。おどろおどろしい形に結い上げられ、中央に伝子顔が埋め込まれた髪は、結われた本人のみならず見る者すべてから精気を吸い取るようなまがまがしさを発散していた。

「よくわからないんだが…きがついたらやられてた…」

 髪を解いてもらってようやく口をきけるようになった見張りの忍者が、口を開くのもやっとという態で「説明する。

「そ、そういえば、人質はどうした。まさか逃げ出してないだろうな」

 ふと本来の用件を思い出した風鬼がたちあがる。

「だいじょうぶ、だ…ここには誰も来ていない…」

 息も絶え絶えの説明に頷いた風鬼がガラリと物置の戸を開ける。たしかにそこには、縛り上げられた羽織姿の少年が座り込んでいた。

「よし、いるな…大人しくしてろよ」

 安心した風鬼が戸を閉めようとしたとき、

「待ちな」

 背後からの声に「誰だっ!」と振り返る。

「忍術学園六年い組、潮江文次郎だ」

「同じく立花仙蔵。私の後輩を返してもらおうか」

 袋槍の穂を担いだ文次郎と、腕を組んだ仙蔵が立っていた。

「な、なにを言ってやがるコイツはあの城の若…」

「天誅!」

 いつの間にか点火した焙烙火矢を抱えるように持っていた仙蔵が腕を広げる。地面に落ちた焙烙火矢がなおも火花を散らしながら一斉にドクタケ忍者たちの方へと転がり始める。

「ちょ、ま…!」

「に、逃げろ!」

 てんでに声を上げたドクタケ忍者たちが逃げ出そうとしたとき、閃光と爆音とともに焙烙火矢が一斉に爆発する。

「うわーっ!」

「ひぇーっ!」

 爆風に吹っ飛んでいくドクタケ忍者たちを背に歩む仙蔵の髪もまた強く吹き乱れる。一足先に藤内の縄を解いて背負った文次郎が走りながら怒鳴る。

「おい仙蔵! 人に後輩の救助やらせといてなに気取って歩ってんだよ!」

「手間をかけたな、文次郎」

 顔にかかる長い髪を払いながら、これ以上もない爽やかな笑顔で仙蔵は応える。「だが、連中を片付けるのが先決と思ってな」

「あ、あの、先輩…」

 気まずそうに藤内が口を挟む。「もうここらで下ろしてもらえますか。自分で歩けますんで」

「お、そうか」

 しゃがんだ文次郎の背から降りた藤内が、「ところで、先輩方はどうしてあの小屋に僕がいると分かったんですか?」と訊く。

「数馬に案内されてきたからだが?」

 何を今さらというように文次郎が眉を上げる。

「え、数馬がここまで来たんですか?」

 藤内が意外そうに声を上げたとき、

「僕ならさっきからいるんだけど…」

 切なげな声に慌てて振り返る。

「あ、数馬…いたんだ」

「うん。さっきからね」

「ああ…なんかごめん」

 気まずそうに藤内が言う傍らで、腕を組んだ仙蔵が苛立たしげに城の方を眺めやる。

「それにしてもタカ丸は何をしているのだ。もうとっくに雪崩を起していてもいい頃ではないか」

「この雪だから、ちょっと時間がかかってるのかもしれませんね…」

 藤内が自信なさげにフォローしていた時、ズン、と地響きが轟いた。鳥の群れがけたたましく鳴きながら飛び立つ。

「お、やったな」

 仙蔵の表情が緩む。

 

 

 

「もう、先に学園に戻っちゃうなんて冷たいよ。若殿様だって藤内たちに会いたがっていたんだよ?」

「そうそ。冷たいよね~」

 汁を一口すすったタカ丸が口をとがらせ、喜八郎も頷く。文次郎と仙蔵に連れられて藤内と数馬が学園に戻るとすでに夕食時で、食卓に着いた藤内と数馬が食べ始めたときに、一足遅れて学園に戻ったタカ丸たちがやってきたのだ。

「そういえば、潮江先輩たちはどうしたの?」

 食堂を見回したタカ丸が訊く。

「学園長先生に報告するから、僕たちは先に夕食に行けって言われました」

 生真面目な口調で藤内が説明する。

「僕たちも、学園に戻る前に若殿様に会いたかったんですけど…」

 数馬も残念そうに言う。

「それで、なだれ作戦はうまくいったんですか?」

 藤内が身を乗り出す。

「もちろん! ドクタケの陣はズボッて埋まったしね」

 タカ丸が得意げに言うが、喜八郎が突っ込む。

「てか、火薬多すぎたんじゃ? なだれアンド崖崩れみたいになっちゃって、あやうく尾根の裏に逃げた人たちも巻き込まれるところだったし」

「そうかなあ。なだれを起こすのにちょうどいい量の火薬なんて教えてもらってないから、あるだけ仕掛けちゃったんだ☆」

 てへ、と小さく舌を出してみせる。

「けっこうおそろしい会話ですね」

 数馬が肩をすくめる。

「でも、あれでしばらくドクタケはあのお城を攻めようなんて考えなくなるんじゃないかな。火器の類はぜんぶダメになっちゃったはずだし」

「だよね~。ずいぶん火矢を持ち込んでたけど、バラバラになってたしね」

「よかった…。若殿様のお城って、あんま戦が得意じゃなさそうだし」

 藤内がほっとしたように言う。

「そうだね~。あのお殿様、優しそうだし」

 頷いて煮物を口に放り込んだ喜八郎が、ふと思い出したように言う。「そういえばタカ丸さん、ズルいんだよ。自分だけご褒美もらっちゃってさ」

「え、ご褒美いただいたんですか?」

「何をいただいたんですか?」

 藤内と数馬が同時に口を開く。

「え? やだなあ。人聞き悪いこと言わないでよ」

 タカ丸が頭を掻く。「たしかにお殿様から褒美を取らせるっていわれたけど、要りませんって言ったんだよ? だけど、その時に、若殿様が通販で買った甘酒が届いて、若殿様が戦も終わったしどうしようって困ってたから、それなら引き取りますって言っただけだよ」

 冬の煙硝蔵での作業に甘酒は必須だからね、とにっこりする。

「なあんだ」

「そういうことだったんですね」

 藤内と数馬が頷く。

「そうだ! 甘酒すごくたくさんあるから、みんなで甘酒パーティーしようよ!」

 閃いた、とばかりにタカ丸が声を上げる。

「さんせ~い」

「やったぁ!」 

 

<FIN>

 

 

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