Persona non grata

学園にとって歓迎されざる人物はいくらもいそうですが、単純にメーワクな人物というと、この人以外にはなさそうです。

 

 

「さて、と。やっと片付けがおわったわ」
 前庭を横切って足早にくノ一教室に向かうトモミだった。山本シナに頼まれて、授業で使った備品を倉庫に戻してきたところである。
「ユキちゃんとおシゲちゃん、待たせちゃったかしら…」
 ユキたちは教室の掃除当番だったが、倉庫が予想外に散らかっていたのでついでに整理しているうちに時間がかかってしまった。ユキたちはとっくに掃除を終えて、退屈気に待っているだろうか。だとすれば謝らなきゃいけない? 倉庫が散らかっていたのは私のせいじゃないけど。
 でも待たせたことは悪かったと思っている。今日の放課後は忙しいのだ。宿題を済ませた後に、食堂のおばちゃんにお菓子作りを教えてもらうことになっていたから。
「急がなきゃ」
 ひとりごちて足を速めたとき、ふとか細い鳴き声を耳が捉えて足が止まる。
「えっと…いま、ミャーって聞こえたような…」
 声のしたあたりの下草をもちあげたとき、
「か、かわいい♡」
 そこには子猫がいた。すでに眼はあいていて、トモミの姿を認めると、ひと声ミャアと鳴く。人に慣れているらしく、ちょこちょことやってきて足に身体をすり寄せる。
「どうしたの、こんなところで。お母さんはどうしたの?」
 思わず抱き上げていた。それでも子猫はまったく抵抗せず、ふたたびミャアと鳴く。

 

 

 

「ユキちゃん、おシゲちゃん、お待たせ!」
 子猫を抱いたまま教室に駆け込む。と、文机に片肘をついていた二人が振り返る。
「トモミちゃん、遅すぎでしゅ!」
「なにしてたのよ」
 咎めるように声を上げた二人だったが、「ねえ、見て! この子!」と言いながらトモミが抱き上げた子猫にたちまち声が一オクターブ上がる。
「きゃぁっ! かわいい!」
「私にも触らせて!」
 指先で撫でられても、子猫はくすぐったそうに眼を細めるだけである。その愛らしさにユキとおシゲもすっかり夢中である。
「くノ一教室の庭に迷い込んでたみたいなの。近くにお母さんもいないみたいだし、ほっとけなくて」
「ねえ、もしかしてこの子、お腹すかせてるんじゃない?」
 トモミの腕の中でだらりと手足を垂らしている様子に、ユキが気づいた。
「え…だとしても、なにをあげればいいのかしら。まだちっちゃいし、お母さんのお乳がいるかもしれないけど…」
 虚を突かれたようにトモミがうろたえた声でつぶやく。
「牛のお乳ならありましゅ! しんべヱ様の連れてきた牛の!」
「そうね。牛のお乳なら栄養もありそうだし、この子も飲んでくれるかも」
 ユキが頷くと、「しんべヱ様に分けてもらってきましゅ!」と言っておシゲが小走りに去っていった。 

 

 

 

「ほら、お飲み」
 前栽に面した縁側に置いた皿におシゲが持ち帰った牛乳を注ぐと、子猫は顔を突っ込まんばかりに飲み始めた。
「うわぁ、飲んでる飲んでる」
「やっぱり、お腹がすいてたのね」
 トモミたちが歓声を上げる。
「なんか、こうやって一生懸命お乳を飲んでるところもかわいいわよねぇ」
 頬に手を当てたユキが眼を細めたとき、
「ごろにゃ~ご💛」
 前栽から聞こえる野太い声にユキたちの表情が固まる。その声はあまりにもよく知った、そしていま最も聞きたくない人物の声だったから。
「ごろにゃ~ごって言ってんだろ。こっち見ろよ」
 声の主はがさがさと前栽をかき分けながら、なおも無遠慮な声を上げる。
「その声は…」
 いやそうに振り返った三人の前に立っていたのは、思った通りの人物だった。なぜか猫の着ぐるみをかぶって。
「げ…花房牧之助」
「こんなところで何してるのよ」
 おシゲとユキが露骨に顔をしかめる。
「ていうか、ここはくノ一教室の敷地よ。男子は入っちゃいけないの。出ていきなさいよ」
 トモミがまっすぐ塀を指す。
「いや、私は花房牧之助ではにゃ~い」
 しれっと応える牧之助である。
「だったら、何なんでしゅか」
 おシゲが汚いものを見るような目つきで訊く。
「私はその子猫ちゃんのパパ猫ちゃんにゃのであ~る。パパ猫ちゃんにゃのだ~」
 なにかを強調するつもりか、牧之助は二度繰り返す。
「パパ猫?」
 腕を組んだトモミが鼻を鳴らす。「で、なにしに来たってわけ?」
「そりゃもちろん!」
 言いながらすでに牧之助の口からはよだれがたれている。「かわいい子猫ちゃんのパパ猫ちゃんもご飯のお時間だしぃ。でもパパ猫ちゃんはオトナだから、ミルクじゃなくて食堂のおばちゃんのおいし~いお食事が必要だにゃ💛」
「はあ?」
 露骨に軽蔑した視線を投げつけながらユキが声を上げる。「エサが食堂のおばちゃんの食事ですって?」
「そうだにゃ。パパ猫ちゃんはいまと~っってもお腹がすいてるにゃ。はやくパパ猫ちゃんを食堂に連れて行って、おばちゃんのお食事を食べさせるにゃ~ん💛」
 まったく堪えていないように牧之助は甘ったれた口調を引っ張りながら、縁側に上がり込んでユキたちに身体をすり寄せようとする。
「ちょ、ちょっとこっち来ないでよ!」
「あっち行きなさいよ牧之助!」
 慌ててユキたちが飛びのく。
「ていうかとっとと出ていくでしゅ! じゃないと、学園長先生に言いつけるでしゅ!」
 そのまえに腕を組んで立ちはだかるおシゲだった。 

 

 


「あんだようっせーな」
 急に牧之助の口調が変わる。「つべこべ言ってねーで、とっととおばちゃんの飯食わせろよ」
「ほーら、やっぱり花房牧之助じゃない。なにがパパ猫よ」
 トモミが言い返す。「もう正体分かってんだから。とっとと出ていくのね」
「そんなこと言っていいのかよお前ら」
 すっかり居直ったらしい牧之助が、着ぐるみ姿のまま縁側に胡坐をかいて腕を組む。
「どういうことよ」
「お前ら、窮鳥入懐って言葉も知らねえのかよ」
「知ってるわよ。そのくらい」
「だったら、その意味も分かるよな」
 思わせぶりにニヤリとする牧之助だった。
「どういうことよ」
「追い詰められて懐に飛び込んできた鳥は、たとえ猟師であっても助けるもんだぜ?」
「ていうか、猫だったんじゃないの?」
 冷たい声でトモミが突っ込む。「いつから都合よく鳥になったのよ」
「うっせーな。モノの譬えだよ」
「それに、なにに追い詰められたっていうんでしゅか?」
 おシゲが問い重ねる。
「そりゃ、一年は組の連中に決まってるだろーが」
 腕を組んだまま、用意してきた台詞のように牧之助は続ける。「あいつら、俺を見るや石投げてきやがるんだぜ? それで追い詰められてこっちに逃げ込んできたんだ。もうここしか逃げ場がないってことでさ」
 そして畳みかけるように言う。「まさかくノ一教室の乙女たちが、そんなかわいそうな俺を敵に引き渡すなんてこと、するわけないよな!」
「えっと…どうする?」
 急に強気になった牧之助に思わずたじろぐトモミたちだった。
「たしかに、窮鳥には慈悲で応えるべしって習ったけど…」
「それって、こういうことをいうんでしゅか?」
「ほらみろ!」
 迷い始めたトモミたちに、かさにかかったように牧之助は声を張り上げる。「もう分かったろ? 分かったらとっとと俺を食堂に連れてけよな!」

 

 

 

「だからって…」
 ユキが言いかけたとき、「おシゲちゃ~~~~ん!」
 どたどたと足音とともに現れたのはしんべヱである。
「しんべヱ様!」
 弾かれたようにおシゲが声を上げる。
「おシゲちゃ~ん! もっと牛のお乳がいるんじゃないかと思って、もってきたよ!」
「ついでにやってきたきり丸で~す! てか、げ…」
「乱太郎で~す! わたしたちにも子猫みせてよ! てか、なんで花房牧之助がいるの」
 続いて現れたきり丸と乱太郎が、牧之助の姿を認めて分かりやすく引く。
「よく分からないんだけど、この子猫のパパ猫とか言って上がり込んじゃったのよ…」
 子猫を抱き上げたトモミが後ずさりする。
「ついでに窮鳥入懐とか言ってました」
 平らな声で付け加えるおシゲに、三人が眼を丸くする。
「キューチョーニューカイ?」
「なに語だ?」
「日本語…かなあ?」
 お約束の展開にトモミたちが脱力する。
「えっとまあ、意味はともかく…とにかく、一年は組に石を投げられてここに逃げてきたって言ってるの。あんたたちのせいなんだから、あんたたちの責任で連れ帰ってよ」
 説明を端折ったユキがここぞとばかりに命令する。
「え、え~っ? タダで!?」
「なんでわたしたちが…」
「子猫がいるっていうから、見に来ただけなのに…」
「だって、石投げたんでしょ?」
「なげたっけ?」
「う~ん、なげたかもしんないけど…牧之助を見たら石をなげるのは一年は組のお約束だから…」
「覚えてないんでしゅか?」
「うん! ぜんぜん!」
 わいわい勝手に話を展開させる三人組とユキたちに、おずおずと牧之助が口をはさむ。
「ええっと…ところで、俺に食堂のおばちゃんのおいしいごはんを…」

 

 


「一年は組は、花房牧之助を見たら石を投げるのがお約束だっていってたわよね」
 立ち上がって片手を腰に当てたユキが、ふいに牧之助に向き直ってニヤリとする。
「だったら、くノ一教室としても、なにかお約束のもの投げたいわよねえ」
 子猫を下ろしてふたたび立ったトモミが腕を組む。
「そうでしゅね。たとえばこんなのとか…」
 言いながら三人は手裏剣を手にしている。
「え、えっとォ…」
 形勢の転換に牧之助が口ごもった瞬間、
「「出ていけー!」」
 声とともに手裏剣が放たれる。
「ひ、ひえ~っ! か、かわいそうなパパ猫になにするにゃ…」
「なにがパパ猫よ!」
「都合よく猫に戻るんじゃないでしゅ!」
「いて! くっそ、覚えてろよ!」
 容赦なく手裏剣で追い立てられた牧之助が逃げ惑う。
「あ~あ、牧之助が逃げてるとこなんかじゃゼニとれねーよなぁ」
「牧之助ったら、あいかわらずだね」
「そうだね」
 縁側に腰を下ろした乱太郎たちがのどかにその様子を眺めやる。

 

<FIN>

 

 

Page Top  ↑