兄と弟

 

男性キャラの多い落乱/忍たまですが、兄弟というのは意外に少ないものです。そこで、まずはもっともラブリーな庄左ヱ門/庄二郎を書いてみることにしました。

基本、年齢操作はできない茶屋ですが、こと黒木兄弟については片方が赤ちゃんのままではお話にならないので、ちょいとばかり年齢を加算させていただきました。

自我のはっきりしてきた庄二郎に、今までのような溺愛系だけでは対応しきれなくなった庄左ヱ門の迷いが解消される日は、果たして訪れるのでしょうか。

 

 

 ぼくは、黒木庄二郎。9さい。

 


 ぼくはお兄ちゃんがだいすき。
 とってもやさしくて、
 とっても強くて、
 とってもカッコよくて、
 そして、とっても、遠い。

 

 お兄ちゃんが忍者だってことくらい、ぼくも知っている。忍者の学校で勉強していたことだって知っている。だから、ぼくもお兄ちゃんみたいに忍者の学校で勉強して、忍者になりたい。でも、ぼくがそう言うと、いつもお兄ちゃんはへんな顔をする。わらっているような、困っているような、もしかしたら他のものもまざっているかもしれないへんな顔。
 お兄ちゃんは、ぼくが忍者の話をするのがいやみたい。ぼくは、お兄ちゃんが忍者になるためにどんな勉強をして、いまどんな忍者のしごとをしているのか知りたくてしょうがないのに、ぼくがきくとお兄ちゃんはいつも、「忍者の仕事は誰にも秘密なんだよ」って言うんだ。けっきょく忍者についてお兄ちゃんが教えてくれたことは、忍者というものはどんな仕事をしているかも、自分が忍者だってことも秘密にしないといけないんだってことだけ。でも、ときどきおじいちゃんが「忍者は呪文で大きなガマガエルを呼ぶことができるんだよ」って言うときは、笑いながら「そんなことないよ」って言うんだ。だから、ぼくが忍者について知ってることは、忍者は秘密だらけってことと、大きなガマガエルは呼び出せないらしいってこと。


 ときどき、うちにお兄ちゃんのお友だちが遊びに来ることがある。そんな時のお兄ちゃんはとってもうれしそうで、ぼくや父ちゃんや母ちゃんと一緒にいるときとは全然ちがうんだ。そして、すぐにお店の奥の部屋か茶室に行っちゃうんだ。一回、どんな話をしてるのかなって思って茶室のすぐそばでじっときき耳をしていたんだけど、ものすごく小さい声で話しているから全然聞こえなかったんだ。ああ、忍者はこうやってとっても小さい声で話さなきゃいけないんだ、って思った。なんであんなに小さい声なんだろう。忍者の仕事のことなのかな。馬借の団蔵兄ちゃんなんて、いつもすっごいデカい声なのに、お兄ちゃんと奥の部屋や茶室に行くときだけはぜんぜん声が聞こえなくなるんだ。
 お兄ちゃんのお友だちは、いっつもぼくのことをかわいがってくれる。兵太夫兄ちゃんにはからくりの人形をもらったことがあるし、金吾兄ちゃんはチャンバラの相手をしてくれるし、きり丸兄ちゃんからは「地面に落ちてる小銭の見つけかた」を教えてもらったことがある。そのときだけはお兄ちゃんがきり丸兄ちゃんのことをすごくおこってたけど。


 ぼくは、お兄ちゃんとおふろに入るのがだいすき。
 お兄ちゃんのからだは、団蔵兄ちゃんや虎若兄ちゃんみたいにムキムキじゃないけど、でも大きくて、たくましくて、肩なんかがっしりしてて、父ちゃんとは全然ちがう。お兄ちゃんは、ぼくもちゃんときたえれば同じようになれるって言うけど、ホントかな。
 ぼくがもっと小さかったときは、毎日一緒におふろに入って、頭を洗ってくれたり、おふろのなかでいろんなかぞえうたをしたりして、とっても楽しかったんだ。
 それなのに、ちかごろあんまり一緒に入ってくれなくなったんだ。仕事で夜おそくまで机でなにか書いてたりするから。
 でも、ぼくはときどき思うんだ。お兄ちゃんは、ぼくの前ではだかになるのがいやなのかなって。きっと、ぼくがお兄ちゃんの腕や背中にいくつか傷があるのを見ちゃったからなんだ。ぼくだって知ってるんだ。その傷が、忍者の仕事のときにできたものだって。
 その傷に気がついたとき、ぼくはお兄ちゃんにききたかったんだ。どうしてそんな傷ができたのって。痛くなかったの、こわくなかったのって。でも、なぜかきくことができなかった。どうしてだろう。きっと、きかれたくないような気がしたからなのかな。きっとお兄ちゃんにとって思い出したくないことなんだろうなって思ったからなのかな。


 ぼくはお兄ちゃんがだいすきだから、「誰がいちばんすき?」ってきかれたら、とうぜん「お兄ちゃん!」って答える。このまえ、お兄ちゃんのお友だちが来たときだって、そう答えたんだ。
 あのときは、たしか団蔵兄ちゃんと、乱太郎兄ちゃんと、兵太夫兄ちゃんと、金吾兄ちゃんが来ていて、乱太郎兄ちゃんが「このなかで誰がいちばんかっこいいと思う?」ってきいたから、ぼくはもちろん「お兄ちゃん!」って答えたんだ。
 乱太郎兄ちゃんは「そうだよね。庄ちゃんかっこいいからね」って言ってくれたけど、兵太夫兄ちゃんが「庄ちゃんモテるから、そのうちどっかの女の子にとられちゃうかもね」って言ったんだ。
 そのとき、なんて言えばいいのかすぐには思いつかなかったんだ。お兄ちゃんがきれいなお嫁さんもらって、かわいい赤ちゃんができたらすっごくいいだろうなっていつも思っていたのに、でもそうなったら、もうお兄ちゃんはぼくのことなんかかまってくれなくなっちゃうかもって思ったんだ。

 でも、そのとき、きゅうに忍術学園のことを思いついたんだ。らいねん、10さいになって忍術学園に入ったら、ぼくはほとんど家にいなくなっちゃう。そうしたら、お兄ちゃんがお嫁さんをもらったとしても、そんなにさびしい思いをしなくてもすむかもって。
 だから、「ぼくはらいねん忍術学園に入るから、お兄ちゃんがいなくてもさびしくないもん」って言ったんだ。
 団蔵兄ちゃんや金吾兄ちゃんは「へーえ、すげーな」とか「がんばれよ」って言って頭をなでてくれたけど、お兄ちゃんと乱太郎兄ちゃんだけはびっくりしたような顔になって、あっち向いちゃったんだ。
 なんかすごくわるいことを言ってしまったような気になった。たしかにお兄ちゃんはいつも、ぼくが忍者になりたいって言ってもなんかごまかすようなことを言って、あんまりいいと思ってなさそうだけど、でも、ぼくはどうしても忍者になりたいんだ。

 その日の夕方、ぼくが店の裏庭のたきぎの山にすわって、山の向こうにしずむお日さまを見ていたら、乱太郎兄ちゃんがきた。「ここにすわっていい?」って言うから、「いいよ」ってぼくは言った。
「庄二郎くんは、どうして忍者になりたいの?」
 ぼくのとなりにすわって、乱太郎兄ちゃんはきいた。
「どうして?」
 なんで乱太郎兄ちゃんがそんなことをいきなりきくんだろう、って思った。
「いやさ、忍者のお仕事はとってもあぶないことも多いから、庄左ヱ門はとても心配していたよ」
「ほんとう?」
 忍者になることが心配ってどういうことなのか、ぼくにはわけがわからなかった。だって、ぼくはお兄ちゃんみたいになりたくて、そのためにはお兄ちゃんとおなじ忍者になるしかないって思っていたから。
「ほんとうだよ。庄左ヱ門は庄二郎くんがだいすきだから、できればもっと安全な道に進んでもらいたいんじゃないかな」
 お兄ちゃんがそんなことを考えているなんてしらなかった。ぼくが忍者になることをいやがるのは、ぼくが心配だったからなんて。でも、そうしたら、ぼくはどうしたらいいんだろう。
「でも、庄二郎くんがどうしても忍者になりたいっていうなら、私も応援するよ。なんたっては組リーダーの庄左ヱ門の弟だもんね。きっといい忍者になれるよ」って言って、乱太郎兄ちゃんはぼくの顔をのぞきこんだ。
 なんでだろう。乱太郎兄ちゃんがすっごくやさしく言ってくれたら、なんか頭の中がツンってなって、なみだが出ちゃったんだ。
「…ぼく、ぼくは、お兄ちゃんみたいになりたいんだ。お兄ちゃんみたいに、つよくて、カッコよくなりたいんだ…だから、お兄ちゃんみたいに忍者になって、お兄ちゃんといっしょにお仕事したいんだ…」
 いつのまにか、ぼくは乱太郎兄ちゃんのからだにしがみついていた。「そうなんだ。庄二郎くんもお兄ちゃんがだいすきなんだね」って、乱太郎兄ちゃんはやさしくせなかをなでてくれた。
「さ、もうすぐ夕ご飯だよ。中に入ろうね」
 ぼくの顔をふいてくれながら、乱太郎兄ちゃんは言った。そして立ちあがったとき、乱太郎兄ちゃんの足がたきぎの山に引っかかって、がらがらくずれてきたたきぎの山のうえに引っくりかえったんだ。
「おわ~っ!」
 とっさに乱太郎兄ちゃんがぼくのからだをだきかかえてくれたから、ぼくはへいきだったけど、乱太郎兄ちゃんはぼくのしたじきになってくずれたたきぎの上にのびていた。
 そのとき、おもいだしたんだ。ああ、そういえば乱太郎兄ちゃんはとってもふうんだったっけ、って。

 

 

 ねえ、お兄ちゃん。ぼくはお兄ちゃんみたいになりたいけど、お兄ちゃんみたいになることと忍者になることは、ちがうことなの?

 

 

 

 

 

 もうあれから随分経ったような気がする。今や、黒木屋の若主人として少しは貫禄もついてきた…かな?
 僕は19歳になっていた。両親は引退して、僕が炭屋の黒木屋を継いでいる。
 忍術学園を卒業した僕は、結局家業を継ぐ道を選んだ。一年生だったころ、すでに分かっていたことだった。僕には戦忍やフリーの忍は合わない。城勤めならできるかもしれないが、それよりもは組のみんなの居場所になるほうが性に合っていたということだ。店なら、いろいろな人が出入りしても怪しまれないし、そうすることでは組のみんなといつでも連絡を取れるようにすることが、僕ができる精一杯のことだから。


 最近、弟の庄二郎が忍に興味を持ってきたようだ。しきりに忍術学園でどんな勉強をしたのかとか、今はどんな忍の仕事をしているのかを知りたがる。学園のことはともかく、忍としてどんな仕事をしているかなんて、家族にも話せないトップシークレットなんだけど。
 そもそも僕は、庄二郎が忍の道に進むことにはあまり賛成ではない。忍が将来性のある仕事なら、ちょっとくらい厳しくて危険でも、僕は喜んで庄二郎を忍の道に招き入れるだろう。だけど僕にはそうは思えない。世の中は急速に変わっている、もはや群雄割拠の時代は終わりかけて、覇者がはっきりと見えている。僕が学園にいたころに関わったことのある城の多くは、もはや存在していない。やがて天下が統一される日も近いだろう。そのとき、忍の大部分は不要になる。そのとき、主だった上忍は消され、その他大勢の忍たちは潜ることを余儀なくされる。そんなことが眼に見えている世界に大事な弟を引き込むことはできない。忍とは、憧れだけで勤まる仕事ではないのだ。
 だから庄二郎には、忍以外の道もあるんだよ、ということを事あるごとに教えようとしているのだけど、どうにもうまくいかない。「忍者になるんだ!」といって聞かない。どうしてあんなに強情なんだろう。同じ兄弟でも、僕はあんなに強情っぱりじゃなかったと思うんだけどなあ…。

 今日、団蔵が店にやって来た。団蔵もまた城勤めもフリーの道も取らず、草として生きることを選んだ忍だ。彼の場合、馬借稼業の加藤村の若旦那という立場があるから、もとより進路を選ぶ余地などなかった仲間の一人だ。それで一時は荒れたこともあったけど、いまは一人前の馬借の親方として村を率いている。いい男なんだし、そろそろ結婚してもよさそうなものだけど、なぜかそんな話は聞こえてこない。責任のある立場にいるから、好きだ惚れたで結婚相手を選ぶわけにもいかないのだろう。
「よお、庄ちゃん。元気か」
 丈の短い着物に袖をまくり上げた格好は、学園にいたときと少しも変わらない。変わったのはずいぶんな偉丈夫になったところだ。背は高いし、胸板は厚いし、腕など僕の倍くらいありそうだ。僕も炭を扱うからそんなに細いはずはないのだけど。
「ああ、しばらくだね。元気だった?」
 僕の返事は、は組の仲間たちに対してはたとえ昨日会った相手であっても変わらない。誰が来てもおかしくない店先では、誰が聞いているか分からないのだ。
「まあな。ところで」
 団蔵は言葉を切ってさりげなく周囲を探る。
「ちょっと、いいか」
「ああ、もちろん。ちょっと茶を飲んでいくんだろ?」
 家人たちにわざと聞かせるように声を上げる。この時代、どこかの城の手の者が手代や丁稚として紛れ込んでいないとは保証できない。だから、いかにも友人が訪ねてきたように大仰に迎え入れる。茶室に入ってしまえば、よほどの手練れの忍でも気配を消して近づくことは難しいし、それだけ容易に情報交換ができるのだ。


「庄ちゃんは得意なんだろうけど…」
 いかにも窮屈そうに身を縮めながら、茶室の畳に端座した団蔵が言う。
「そんなことないさ。まあ、ここにいると落ち着くってのはあるけどね」
 茶筅をまわすと椀の中からふわりと茶の濃厚な香りがたちのぼる。僕はこの瞬間が大好きだ。そして、この幸せを客人と分かち合いたいと思わずにはいられない。たとえ、そこにいるのがもぞもぞと落ち着かなげに尻を動かしている大男だったとしても。
「そりゃそうだけどさ…よくこんな狭いところでじっとしてられるよな」
 幅広な肩を窄めながら団蔵は辺りを見回す。薄暗い室内では目立たないが、その額にはたんこぶができているはずだ。身体の大きい団蔵にとって茶室の躙り口は鬼門らしい。いつも額をぶつけるのだ。
「団蔵も加藤村のリーダーなら、茶席のひとつもやってみたらどうだい? 一目置かれると思うけど」
 畳の上に椀をすべらせながら僕は言う。言うだけ無駄なことは分かっているし、からかい半分なのも事実だ。ただ、学園の時に一緒に過ごした仲間がすぐ側にいてくれるだけで、僕はじゅうぶん満たされた気持ちになる。それは理屈じゃない。たとえそれが忍としての情報交換の場だったとしても、すぐ側にいる団蔵は、言葉と本心に何の距離もなかった懐かしい昔を思い出させるのだ。
「んなこと本気で言ってるのか? 俺にそんなマネができないことくらい、いちばん知ってるくせに」
 口をとがらせる団蔵の仕草がうれしかった。ああ、昔のままだと思う。学園で学んだ日々、忍の本質を学んでしまった僕たちは、たとえ家族でさえももはや無心で接することができない。唯一の例外が、共に学んだ仲間たちなのだ。いや、その仲間たちこそ、もっとも用心すべき相手なのかもしれないが。
「…兵太夫と連絡が取れなくなった」
 まずそうに茶をすすった団蔵がぼそりと言う。
「兵太夫は…たしか、敵の領地への潜行調査に行ってたよね。そこで何かあったの?」
 誰かから聞いた兵太夫の最新の任務を思い出しながら僕は答える。
「すっげぇ…さすが庄ちゃん、冷静すぎ」
 団蔵が眼を大きく見開く。
「それはいいとしてさ…それでどうしたの? 兵太夫は敵方に捕まったの?」
 兵太夫は、頭は切れるし身体能力も高いけど、ちょっと強情で自分を恃む気が強いから、ときどき相手との距離の取り方を間違える。それで、潜入先で怪しまれて捕まってしまったのかもしれない。とすれば…。
「よく分からない。はっきり言えば、消息不明だ」
 消息不明か…いちばん判断に困る状況だ。作戦を立てようにも情報が決定的に足りないということだから。まあ、戦となれば情勢は流動的だし、そんな中に巻き込まれれば生きてるか死んでるかなんて分かりようがない。だから、まずは情報収集が先決だ。
「きり丸は動けそうかな」
 フリーの忍になった仲間の中で、いちばんフリーそうな仲間の名前を挙げる。相変わらずアルバイトが主なのか忍が主なのか分からないが、だからこそこのようなときには一番機動力がある。
「それが、どこに行ったのか連絡が取れないんだ」
 困惑したように団蔵が答える。
「また、どっか遠いところに行ってるってこと?」
「そうみたい」
「そう。じゃ、三治郎に連絡してみる」
 三治郎もまた、半ば忍として山伏の修行を続けていた。三治郎は忍たま長屋で同室だったから、兵太夫の思考や行動パターンをいちばん分かっているだろうし、山伏なら七方出の一つで、情報収集には最適だ。
「よかった。頼むよ」
 ようやく安心したような口調で言うと、団蔵は残りの茶を一気にすすった。
「ぐへ…やっぱ苦いわ。庄ちゃん、こんなのよく飲んでられるな」


 庄二郎は、よく僕と風呂に入りたがる。僕も庄二郎と風呂に入るのは好きだ。いつも一緒にいる弟だけど、裸の付き合いというか、風呂に入るときは庄二郎も格別くつろいだ気分になるらしい。普段は言わないようなことも話したりする。といっても、友達の誰それとケンカしたけどどうやって仲直りすればいいとか、木の枝を切りだして作っている車輪をどうやってきれいな円形にできるかとか、他愛のないことだ。
 忍になりたいとことあるごとに言う庄二郎だが、なぜか風呂に入っているときは、そういう話をしない。あるいは、僕が風呂の時はくつろぎたいことを感じ取って、遠慮しているのかもしれない。庄二郎はとても聡いから。ほんとうに、よくできた弟だと思う。そんなことを言うと、親バカならぬ兄バカって言われそうだけど。
 最近はちょっと忙しくて、なかなか一緒に風呂に入ってやることができない。さびしそうな顔をしているのは分かっているし、いずれ年頃になれば、僕が誘っても嫌がるようになるのは僕自身、経験済みだから、もっと一緒に入ってやるべきなのだろうけど。
 忙しいのは店の仕事もあるからだが、ここ最近、忍のほうでも忙しくなっている。もっと言うと、この前団蔵が相談にやって来た兵太夫のことで、しばらく厄介な状態が続いていた。三治郎のおかげで、ようやく兵太夫の無事が確認できたばかりだ。まだ戦は続いているから、安心するには早い。
 店のこともあるし、僕が動くと怪しまれるから、僕の役割はみんなからの情報を集めて、みんなに必要な指示を出すことだ。学園にいたころは、「卒業して敵対する立場になったら、お互い戦うことになるんだね」なんて話もしていたけど、今のところはそのようなことにはなっていない。僕が草として生きることを選んだ理由のひとつは、こうやって動かずに、みんなの居場所になりたいと思ったからでもある。
 もしかして庄二郎は、僕たちのそんな姿を見て忍になりたいと思っているのだろうか。改めて話したことはないからわからないけど、そうだとすればそれはとんだ思い違いだ。
 は組の仲間全員が、こうやってつながっているわけではない。命を落としたとは聞いていないが、数人は卒業してすぐに消息が知れなくなった。そして、いまつながっている仲間たちも、いつ敵同士になるか分からない。そんなはかない小春日和のなかに、僕たちは身を置いている。


 この前、団蔵、乱太郎、兵太夫、金吾がやってきた。乱太郎は城の忍者隊に就職したから、まめに手紙はくれるけど、こうやって訪れるのはとても難しい。ということは、のっぴきならないことが起こったのだろう。
≪虎若が、戦闘中に行方不明になった。≫
 店先で乱太郎と兵太夫が庄二郎とたわいない話をしている間に、金吾が矢羽音を発した。
 反射的に、これは難しいことになるかもしれないと思った。
≪どういうこと?≫
 僕も矢羽音で訊く。
≪僕が巻き込まれた戦に、虎若たちの鉄砲隊も出動していたんだ。僕は三治郎の手引きでうまく脱出できたけど、そのとき、鉄砲隊が敵に包囲されて、その後の消息は不明と聞いた。≫
 金吾に代わって兵太夫が答える。どうやら兵太夫が、動ける仲間たちを集めて相談に来たということらしい。
≪で、三治郎は?≫
≪引き続き様子を探っている。僕も一緒に行くといったけど、僕は敵に顔を知られちゃったし、それより庄ちゃんのところに早く伝えるよう言われたから…≫
 そこまで矢羽根を発した兵太夫が、唇をかむ。戦場に残った三治郎が心配で仕方がないのだろう。そして、それ以上に虎若の身を案じているのだ。
≪庄左ヱ門、どうする?≫
 庄二郎の相手を装いながら、みな僕に視線を送っている。ひょっとしたら、もう手遅れかもしれないという思いと、何か手を打つにしても、まずは情報収集しないと、と考えていた僕の耳に、不意に庄二郎の声が飛び込んだ。
「ぼくはらいねん忍術学園に入るから、お兄ちゃんがいなくてもさびしくないもん」
 忍術学園に入るだって!? 庄二郎のやつ、いつのまにかそんなことまで考えてたのか…!
 忍にあるまじきことだが、僕は頭の中で組み立てていた考えがぜんぶ吹き飛んだ上に、驚きが表情に現れてしまった。

 

「庄左ヱ門、ちょっといい?」
 その夜、乱太郎が僕の部屋に来た。
「どうぞ」
 帳面をつけていた僕は、筆をおいて乱太郎に円座をすすめた。
「虎若のこと、心配だね」
 ありがとう、と座った乱太郎が、顔を曇らせる。
「そうだね。虎若のこと、最初に聞いたの乱太郎なんだってね」
「そう。私の勤めている城の忍者隊が、たまたまその戦の報告をしていたのを聞いたんだ。もうびっくりして、おまけに兵太夫も巻き込まれているって聞いたし…」
「兵太夫は、三治郎のおかげでなんとか救出できてよかったけど…」
「私、急いで兵太夫と三治郎に会って、虎若のことを聞いたんだ。2人とも知らなかったみたいで、すごく驚いていた…」
 その時のことを思い出したのか、乱太郎の声が暗くなる。
「でも、おかげでこうやってみんな集まれたし、とにかくできることを始めることもできたんだよ」
 乱太郎はとても友達思いだ。昔から変わらない。組織の中で働くときに、その優しさがいつか乱太郎を苦しめるのではないかと僕は心配する。もっとも、医療の知識を買われている乱太郎は、忍者隊の中でも後方支援部門に配置されているらしい。それでも、こんな時代では、いつか組織の非情な論理に直面するに違いないし、本人もそのことは覚悟しているようだが。
「うん。私も心配で心配で、『親が病気なんです』ってウソついて休暇取ってきちゃった」
 乱太郎が小さく舌を出す。よかった。少しだけ、いつもの元気な乱太郎に戻ったようだ。
「まずは、情報収集しないとね」
 当面の対応として、動ける仲間を総動員して情報収集にあたることにしたのが、今日の結論だった。僕が書いた手紙を持って団蔵が加藤村に戻ったし、今日、ここに泊まる金吾や兵太夫も、明日にはそれぞれ連絡をつけられる仲間のところに向かうことになっていた。虎若のことを考えると、みな今すぐにでも現地に駆けつけたいところだろうし、それは僕も同じだけど、物事は順序というものがある。それを弁えて行動できるようになったところは、プロの忍というものなのだろう。学園にいたころは考えられないことだ。
「ところで、さっき庄二郎君と話をしたよ」
 何事もなかったように放たれた言葉に、思わず拳を握りしめた。
「…そう」
 とっさに、それしか言えなかった。
「庄二郎君、忍術学園に入りたいって」
「さっきも、そう言ってたね」
 だめだ。あの庄二郎の言葉を思い出すと、また思考がぐちゃぐちゃになってしまいそうだ。今は虎若を助けるための作戦を考えなければならないのに。
「そうだね」
 短い答えから乱太郎が何を思っているかは分からない。ただ、あのあと庄二郎と2人だけになったときにも同じ話をしたのだろう。
「でも、僕は反対なんだ…!」
 庄二郎が忍を目指すことに反対だということは、乱太郎にだけ話してある。僕の気持ちがなかなか庄二郎に伝わらなくて悩んでいた時、乱太郎に相談したことがあるのだ。乱太郎なら、僕の気持ちを全部受け止めてくれる、そんな気がしたから。
「そうだったね」
 首を少し傾げて、にっこりする。こういう時の乱太郎に、僕はいつも甘えてしまう。
「…庄左ヱ門は庄二郎君のことが大好きで、そしてとっても心配しているよって話したら、すごくびっくりしてたみたいだよ」
「それって…どういうこと…?」
「私にも、よく分からない。でも、庄二郎君は、庄左ヱ門みたいになりたいから忍者になりたいんだって言ってたよ。庄左ヱ門みたいに強くてカッコよくなりたいって…それに」
「それに?」
「庄左ヱ門と一緒にお仕事したいって」
「…そう」
 我ながらそっけない返事だと思った。果たして、乱太郎がいぶかしげに眉を上げる。
「それで、庄左ヱ門はどう思うの?」
「きっと、庄二郎は憧れでものを言ってるんだと思う。そのことは折りに触れて言い聞かせていたんだ

けど、でも、もっと分かりやすく言わなければならないようだね」
「そうかな? …私には、憧れだけで言ってるようには思えないけどな」
 静かに乱太郎は言う。それがどういう意味か測りかねて、僕は黙り込む。窓の外の虫の声がはじめて耳に届いた。
「…庄左ヱ門にあこがれているんだよ。庄二郎君は」
 乱太郎の声に、少し力がこもった。
「…僕に?」
「そう。ほんとうに庄二郎君が憧れているのは忍じゃない。庄左ヱ門なんだよ。本人はまだそのあたりがごっちゃになってるようだけど」
「…」
 僕は、何て返したらいいか分からなかった。庄二郎の本心がそんなところにあったなんて。毎日一緒にいるからこそ見えなくなっていたものが、乱太郎にはくっきりと見えているようだ。
「だとしたら、僕はどうすれば…」
 こんな言葉、学園にいたときに一度でも口にしたことがあっただろうか。今までの僕の人生では、物事には必ず答えがあって、僕はそれを比較的容易に見つけることができていた。だけど、庄二郎のことについてだけは、僕は大きく見誤っていたようだし、どうすればいいかも分からなかった。
「それは、私にもよく分からない…ごめんね」
 当惑したように、乱太郎が言う。
「なにか、私にできることある?」
 もしかしたら、乱太郎も、僕が完全に迷っていることに気付いているのかも知れなかった。
「うん。もしかしたら、またお願いすることがあるかもしれない」
 だから、その場しのぎを口にするのが精いっぱいだった。
「わかった…じゃ、私は、もう寝るね」
 僕の苦し紛れを、乱太郎には見抜かれてしまっているのだろうか。
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
 乱太郎が立ち去った部屋で、僕は一人、考えていた。

 

 

 ねえ、庄二郎。
 君が僕に憧れているとしても、だからと言って忍になる必要なんかないんだよ。
 でも、その代わりに何を目指せばいいのか、僕には分からないんだ。
 僕は、忍のことしか知らないから。
 頼りない兄ちゃんでごめんね。
 でも、僕も一生懸命考えるから、一緒に考えて行こう?

 

<FIN>

 

 

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