Hair

学園きっての不思議ちゃん、綾部喜八郎が何を考えているのか、ちょっと掘り下げを試みました。喜八郎は何も考えてなさそうで、けっこう強い精神を持っているのだろうな、と書いているうちに思い至りましたが、それがお話に反映されたかは別の話w

タイトルはLady GaGaの"Hair"より。喜八郎にも、きっとこんなとんがった部分があるんだろうな、と。

 

  

 その夜、僕は忍たま長屋の近くで落し穴のトシちゃん1457号を掘っていた。なぜそこに掘ろうとしたか、そんなことはどうでもよかった。掘りたかったから掘っていただけだ。まあ、六年生の忍たま長屋に近いこの辺りに掘れば、落ちる人はだいたい見当がつくけど。
 と、近くの部屋から話し声が聞こえた。
「仙蔵、その暑苦しい髪、なんとかならんのか」
 -潮江先輩の声だ。
 穴を掘りながら、僕は聞くともなしに続きを待った。
「髪を切れとでも言うつもりか」
 そっけなく答えるのは、同室の立花先輩の声だ。
「そうは言わんが…」
 潮江先輩はイライラしているようだ。まあ、いつものことだけど。果たして、立花先輩があっさりと切り返す。

「なににイライラしてるか知らんが、私の髪に八つ当たりするな」
「八つ当たりじゃねぇ!」
 潮江先輩の声が大きくなった。
「だいたい、髪の手入れにどんだけ時間をかけりゃ気が済むんだ。忍がそんなことにカッコつけてどうする。敵地に何日も潜入しているときには、そんなふうに風呂上りにいつまでも梳ってなどいられないんだぞ」
「まるで、私がいちども敵地に潜入したことのないような言い振りだな」
 立花先輩の声は、何の感情もこもっていないみたいに平板だ。それもまあ、いつものこと。でも立花先輩の場合、声や表情はぜんぜん変わってなくても、実はかなり怒っているってこともよくあるから要注意なんだけど。
「そうは言わんが…」
 潮江先輩が口ごもる。なんだ、もう負けですか? つまんないの。
「風波 離思満ち
 宿昔 容鬢改まる
 独鳥 東南に下る
 広陵 何処(いずく)にか在(あ)る」
 まだ髪を梳っているらしい立花先輩が低く詠じている。そういや先輩はよくわからない漢詩をたくさん知ってる。
「なんだ、その歌は」
「韋応物も知らんのか」
「知るか」
「知識人、特に禅僧は漢詩かぶれが多い。このぐらい知らないと、足元を見られて仕事にならんぞ」
「俺には関係ない」
「忍は敵地に忍び込むだけが仕事ではない。人の心に忍び込むのも仕事だ。ギンギンに手裏剣打ったり苦無を振りかざすだけで務まるものではない」

 あーあ。もう完全に立花先輩のペースだ。
「んだと!?」
 潮江先輩が歯軋りしているけど、もう完全に負けなんだから、降参しちゃったほうがいいんじゃない?
 -深さはこのくらいでいいかな。
 そこまで聞こえたところで、いい感じに穴が掘れたので、僕はカムフラージュ用の枝や葉を集めにその場を去った。

 

 

 翌日、作法委員会に行くと、部屋には珍しく立花先輩しかいなかった。いつものように立花先輩は文机に向かってなにか書きものをしていて、僕が入っていくと目を上げて、「お、喜八郎、来たか」とだけ言って、また書きものを始めた。
 -まだ予算会議には早いのに、何を書いているのだろう。
 ちょっとだけそんな考えが頭をよぎったけど、僕はすぐに鋤子ちゃんを傍らに置くと、壁に寄りかかって、ぼんやりと反対側の窓の格子の向こうに見える空に眼を向けた。
「そういえば、昨日、私たちの部屋の近くで穴を掘っていたな」
 書きものを続けながら、とつぜん立花先輩が口を開いた。
「はい」
 とりあえず答えてから、もしかしたら僕が盗み聞きしたとでも思っているのかな、と考えた。

 -まさか。
 そんなことはないだろう、とすぐに僕は思い直した。だって、僕は穴を掘っていたのだから。音を立てずに穴を掘るなど、無理な話だ。だとすれば、盗み聞きなどなおさらできるわけがない。僕はそこにいただけで、あえていえば正々堂々と聞いていたのだ。
「私たちの話が、聞こえただろうな」
「はい…髪がどうとか」
 立花先輩の声には、探ったり問い詰めたりするようなものは感じられなかった。筆を動かしながら、ほんの世間話でもしているようである。
「どう思った」
「…はい」
 ああ、完全に僕が聞いていたことを前提に話をしている。でも、感想を聞くなんてどういうつもりなんだろう。
「先輩らしいと思いました」
 ふっと思いついたことが、そのまま口から出ていた。まあ、そんなこと僕には珍しいことでもないし、言ってしまってから少し考えたけど、やはりそうとしか言いようがなかった。
「…そうか」
 納得したのかしていないのかよく分からないけど、先輩はそう言って、また黙りこくって書きものを続けている。
「文次郎は、私が髪を伸ばしているのをよくは思っていない」
 これまた唐突に、立花先輩は語り始めた。
 -そりゃ、どう見ても髪を伸ばすのが好きなようには見えないけど。
「だが、私は、短くするつもりは毛頭ない。もし短くすることがあるとすれば、それは自分がそうしたくなったときだけだ」
 ああ、なるほど、と思った。この人は、自分の行動は誰にもコントロールされるつもりはないと言っているんだ。なんだ。それって、僕と同じじゃないか。
「喜八郎は、いつも重そうなくせっ毛だが、やはり切るつもりはなさそうだな」
 そう言いながらも、立花先輩の顔は、文机に向かったままである。
「切りたくなったら切ってもらうだけです」
 まあ、僕は先輩ほど髪にこだわりがあるわけではないから、伸ばそうが短くしようが実のところどうでもいい。僕の考えが立花先輩と同じなのかは分からないしどうでもいいことだけど、先輩は僕にも興味を持っているようではある。

「そうか。それでいい」
 なんかよくわからない納得をしながら、先輩は書きものを続けている。僕は、また、窓の格子越しの空に眼をやろうとした。そのとき、先輩はまた分からないことを言った。
「喜八郎は、長次に似ているな」
 -長次って、あの中在家長次先輩のこと…ですよね?
 そもそも僕は、自分が誰かに似ているかもしれないなんて考えたこともなかったし、興味もなかったけど、よりによって中在家先輩に似ているって、どういう意味なんだろう。
「意外に思っているようだな」
 僕が黙りこくっていたせいか、先輩は顔を上げると、ふっと笑った。
 -そりゃ、誰が聞いたって驚くでしょう。言われた本人がいちばん驚いてるけど。
 僕はまじまじと先輩の顔を見つめた。先輩はそんな僕に構わず話し続ける。
「私から見ると、喜八郎と長次はよく似ている…行動と思考に差がないところなど、特にな」
 -は? どういう意味ですか?
「喜八郎も長次も、実力があるくせに、それを学業に持っていこうという気がまったくない。長次は体術もすぐれているが、語学にも通じているのを知っているか?」
「…」
 僕には知りようもないことだった。中在家先輩はいつも図書室にいることは知っているけど、それは図書委員長だからで、何かの勉強をしているのだろうとはあまり考えたことがなかったし。
「図書室の漢籍も読めるし、南蛮の言葉も分かるらしい…文化祭のときにボーロを作っていたが、あれも南蛮の本に書いてあったレシピによるそうだ」
 -ああ、そうですか。でも、僕に実力があるなんて、なにかの冗談でしょう?
「喜八郎はそうは思ってないかもしれないが、お前には実力がある。あれだけうまくトラップを仕掛けられるのは、物理学や行動心理学に通じていなければできることではない。それに、あれだけ騒々しい学年にいながら、それに引きずられないところもな」
 -それって、滝夜叉丸や三木ヱ門のことですか?
「まあ、それはお前が途方もなく無関心、ということでもあるのだがな…つまり、お前たちが一番似ているのは、何を考えているのかよく分からない、というところだな」 

 先輩はそう言って顔を上げると、初めて僕と眼を合わせて、ふっと白い歯を見せた。
 -あの…分からない納得しないでほしいんですけど。
 でも、僕にも少し思い当たるところがあった。中在家先輩は、きっと自分の考えていることをくどくど説明することが苦手なんだ。だから、他人からは何を考えているか分からないと思われるし、そんなこと、他人からどう思われるかなんてことにキョーミがなければ、ちっとも気に病むことじゃない。
 なんだ。それって、僕と同じじゃないか。

 


「そういえば、昨日先輩が歌ってたのは、どういう歌ですか?」
 低く吟じていた声をふいに思い出して、僕は訊いた。
「ああ、あれか。あれは韋応物の淮上即事広陵の親故に寄すという五律(五言律詩)だ。ひとりで遠くまで来てしまい、南へと帰る一羽きりの雁に老いた自分を重ねた歌だ」

「はあ」
「そういえば韋応物には淮上喜会梁州故人という歌もあったな…韋応物に限らないが、漢詩に髪とか鬢とかいう言葉が出てくるときは、まず間違いなく老いのイメージが伴っている。白髪三千丈とか、冠を置くに足らずとか、簪にたえざらんと欲すとか、な」
 学園一のサラサラストレートヘアと称される髪を無造作に払いながら、立花先輩は静かに言う。
「はあ」
「さっきの詩にもあったろう。容鬢改まる、とな。容貌も、髪も、移ろうものの象徴のようなものかもしれない。それも、花や紅葉のように移ろうさまを常に捉えられているものではなく、気がつくと大きく変わっていたことに驚く、というニュアンスを感じる…だからだ」
「はあ」
「私は、人にとやかく言われてこの髪をどうこうしようとは思わない。時が流れれば否応なしに移ろうものを、なぜ人の言うままに変える必要がある。だから私は、人に言われたことに左右されるつもりもないし、人を左右させようとも思わない」
 正直なところ、僕は先輩の穏やかな口調だが激しい物言いに、少しばかり驚いていた。それに、先輩の言いたいこともおおかた見当がついたから。
 -先輩は髪がどうのと言っているけど、言いたいことは先輩の生きざまのことなんだ。だから、あんなにこだわっているんだ…。
「私が言いたいことはそれだけだ、喜八郎」
 唐突に立花先輩の話が終わった。
 -へ?
 僕はいっしゅん唖然としたけど、すぐに先輩の言いたいことが分かった。
 きっとそれは、これからも好きなように穴を掘れということなのだろう。言われなくてもそのつもりだけど、でもそう先輩が後押ししてくれたことは、なぜかとてもうれしいと感じた。
 不思議な気持ちだった。いままで、人にどう思われようが、ぜんぜん興味がなかったのに。

 

 

「喜八郎! おまえな…!」
 作法委員会が終わったあと、僕は鋤子ちゃんをかついでトシちゃん1458号を掘るのにいい場所はないかな、と校庭に出た。と、後ろからうなるような低い声で呼ぶ声がした。いや、声がする前からビンビンに発散している殺気で、誰が背後にいるのか見当はついていたけど。
「六年生の長屋の前にトラップを仕掛けるとは、いい度胸だな」
「ケマ…せんぱい?」
 振り返ると、そこには果たして憤怒の形相の食満先輩がいた。善法寺先輩に肩を貸している。そうでなかったら、とっくに胸倉をつかまれていそうな勢いだ。

「お前の掘った穴に伊作が落ちちゃったんだぞ!」
「おや、まあ」
「おや、まあじゃねぇ! もっと責任を感じやがれ!」
「留三郎、もういいからさ」
 片足を引きずった善法寺先輩がなだめるように言う。
「それより早く手当てをしないといけないから、医務室に連れて行ってくれないか」
「お、おう」
「喜八郎、おまえ好き勝手するのもいい加減にしろよな」
 振り向きざま歯軋りをすると、食満先輩は善法寺先輩を介抱しながら歩いていった。
 -好き勝手?
 そうなのだろうか。僕は好き勝手なのだろうか。僕は、僕のやりたいことをやっているだけなのに、それは好き勝手といわれてしまうのだろうか。
 たしかに、六年長屋の辺りで穴を掘れば、真っ先にはまるのは善法寺先輩だろう。いつもやさしい先輩をトラップにはめるのは僕だって気がひけるし、敵方の忍者が引っかかったときのような爽快感もない。でもやっぱり、僕は僕のやりたいことをやりたいし、そのことに引け目も負い目も感じたくない。
 だって、僕は僕だから。

 

<FIN>