十四の証

47巻でしたか、五年生は忍術の修行にもっとも身が入る学年みたいな台詞があったと思いますが、その過程ではいろいろな葛藤もあって、それを精神面では処理しきれない未熟さも残したビミョーなお年頃なんだと思います。そんなとき、きっと彼らは仲間たちと過すことで乗り越えているんだろうな、という願望がこんなふうに結実しました。

 

 

「三郎、いるかぁ」
 襖を開けて入ってきたのは、勘右衛門である。
「ああ、なんだい」
 壁にもたれて本を読んでいた三郎が振り返る。
「おまえな…」
 眉間に針を立てた勘右衛門は、つかつかと近付くや懐から出した草紙を三郎に突き出す。
「こんなもん、学級委員長委員会室に持ち込むな! 教育に悪い」
「なんだよそれ」
 八左ヱ門が興味をひかれたように顔を突き出す。と、その顔が真っ赤になる。
「な、なんだよこれ、春画じゃねぇか! こんなもん、委員会室に持ち込んでたのかよ」
「ああ、あそこにあったのか。道理で探しても見つからないと思ったんだ」
 ありがと、と勘右衛門の手から草紙を取り上げた三郎は、何事もなかったかのように文机に置いて、また壁にもたれて本を開く。
「こんなの一年生が見たらどーすんだよ! シゲキが強すぎるだろうが!」
 あっさりとかわされて、一瞬、気勢をそがれていた勘右衛門が、あわてて口角泡を飛ばす。
「そうだぞ。学級委員長委員会は、いまんとこ五年と一年しかいないんだろ?」
 八左ヱ門も加勢する。
「八左ヱ門さぁ…」
 自分に向けてなにやら言い立ててくる二人の、さてどちらを先に片付けようかと軽く思案した三郎は、まず八左ヱ門に矛先を向ける。
「おまえ生物委員会だろ。後輩たちに『生き物はどうやって子どもを作るんですか』って聞かれたら、どう答えるつもりなんだよ」
「え…それはだな…オスとメスが…」
 そこまで言いかけて、八左ヱ門はふたたび顔を真っ赤にした。
「まぐわう、だろ」
 あっさりと続けた三郎は、今しがた文机に置いた春画を手にして八左ヱ門の隣に座る。
「…ほら」
 胡坐をかいた八左ヱ門の足の上で春画を開くと、ぽんと軽く肩をたたく。
「人間は高等な生き物だから、そこにいろいろなロマンを見出す…コレなんか見ろよ、すげーだろ?」
「ななな、何をしやがる」
 動転した八左ヱ門が、あわてて顔を背ける。
「それで勘右衛門さぁ」
 春画を八左ヱ門の足に置いたまま、三郎は勘右衛門に向き直る。
「な、なんだよ」
「勘右衛門から、そんなお説教を聞かされるとは思わなかったよ」
 にやりとした三郎が身を乗り出す。
「なんの…ことだよ…」
 すでに心当たりがあるらしい勘右衛門は、両掌で軽く三郎を押し戻そうとする。
「このまえ、おまえから借りたやつなんかもっと凄かったよなぁ…あんなの、どこで手に入れたのか、こんど教えてほしいんだけど」
「な…!」
 勘右衛門はたちまち耳まで真っ赤になる。
「…俺が言ってるのは、俺たちがそーゆーのを見るのがどうこうということじゃなくてだな、一年生たちが見るかもしれないところに放置するなってことで…」
「だからさ、それはほかの書類と取り紛れて持ち込んじゃって、うっかり忘れただけなんだって…よくあることだろ?」
「「ねーよ!」」
 勘右衛門と八左ヱ門が同時に叫ぶ。

 


「相変わらず、賑やかにやってるな」
 部屋の片隅では、文机に向かってなにやら書き付けている雷蔵と、横から覗きこんでいる兵助がいた。
「…だね」 
 兵助が思い出したように口を開く。
「そういやさ、この前、一年の伊助が話してたんだけど」
「なに?」
「伊助たちの部屋にも、よく一年は組の連中が集まってくるんだって」
「ふうん…まるでいまの僕たちみたいだね」
 部屋の反対側で、まだ春画をめぐって騒いでいる三郎たちに眼をやりながら、雷蔵がにっこりとする。
「そう…だから思い出したんだ」
「なんとなく、集まると安心するってあるよね」
「そうだね…」
 兵助が言葉を切ったとき、二人の脳裏には、同じ思いがあった。
 -特に、こういう夜には…。

 


「で、い組チームはどうだった?」
「2人は確実だけど、もしかしたらもう少しいたかもしれない。ろ組は?」
「こっちは1人。三郎は、それ以上はないって言ってたけど。八左ヱ門も、1人やったかもしれないって言ってたし、僕も…」
 筆を滑らせながら、雷蔵は言いよどむ。
「そうか」
「作戦としては、失敗だったと書かざるをえないよね、やっぱり」
「仕方ないよな」
 雷蔵と兵助は、五年生の合同作戦のレポートを作成しているところだった。
「敵に見つかった原因分析は、どうする?」
「正直に書くしかないだろう。犬を使われたって」
「…わかった」
 ある出城に教師たちが忍ばせた密書を取りに潜入するという訓練だったが、運悪く相手方に見つかった彼らは、一戦交えざるをえなかったのだ。
「味方の損害は…なしでいい?」
「いいんじゃない? ちょっとした金創(刀傷)くらい、損害には入れないだろ?」
「善法寺先輩に聞かれたら、ぜったい診察を受けろって言われそうだけどね」
 忍としての鍛錬を積んだ彼らにとって、警備の足軽を相手に戦うことなど物の数ではない。むしろ、相手を殺傷せざるを得ない事態に至ってしまったことの方が、教師たちからの評価に影響する。
「…」
 しばし筆を走らせながら、雷蔵は、自分が斬りつけた相手のことを思い出していた。その場を切り抜けるためにやむを得なかったとはいえ、振り下ろした忍刀の切先におぼえた感覚は、なんど経験しても慣れることのできないものだった。
 -あの足軽にも、積み重ねてきた人生があって、家族もいて…。
 ふいにそこまで考えが至って、雷蔵は筆が止まる。兵助が訝しげに首をかしげる。
「どうした、雷蔵?」
「い、いや…別に」
 我に返った雷蔵は、あわてて作り笑いを浮かべて、筆を動かす。だが、その裏にある感情を、兵助も感じ取っていた。
 -雷蔵も、きっと思い出したんだ。
 雷蔵はぼかした言い方をしていたが、兵助自身は確実に一人、深手を負わせている。そして、斬りかかってくる多くの足軽たちを斬り払いながら、包囲を突破してきたのだ。そのときの刀の先に感じたものは、初めてのことではなかったとはいえ、決して慣れることのない感

触だった。
 -だけど、いつか慣れる日が来るんだろうか。
 雷蔵の動かす筆先に眼をやりながら、兵助は考える。
 -先輩たちは、どうなのだろう。
 筆が止まった。
「先輩たちは、どう思っているんだろう」
 雷蔵も同じことを考えていたようである。
「やっぱり…自分で折り合いをつけているんだろうな」
 たった一年の違いながら感じる圧倒的な差のなかには、そんな心の強さもあるのだろうか。
「レポートはこんな感じでいいかな」
 雷蔵が、書き上げた書面を兵助に向ける。
「うん…いいと思う」
 眼を通した兵助が軽く頷く。
「じゃ、明日、木下先生に提出しておくよ」
「ああ。怒られるんだろうな、きっと」
「間違いないね」
 肩をすくめて、笑い交わす。

 


「おい、兵助、雷蔵。ちょっとコイツに何とか言ってやってくれよ」
 勘右衛門が声を上げる。
「さっきから、なに騒いでるのさ」
 腰を上げた雷蔵に続いて、兵助も立ち上がる。
「三郎がさ、一年生が春画を見て何が悪いとか言い出してさ…」
「10歳にもなれば、当然そーゆーのにだって興味を持つだろ? それを抑圧するのはよくないって言ってるだけなんだけど」
「だから! アソコに毛も生えてないようなガキにそんなの見せたら、そっちの方面に歪んだ感情を持ちかねないだろ!」
「健全な感情だと思うけどな」
「どこがだ!」
「…あのさあ、三郎も勘右衛門も、なんでそんな話題になったんだい?」
 当惑気味の笑顔で、雷蔵が訊く。
「そりゃもちろん、コイツがっ」
 勘右衛門が、まっすぐ腕を伸ばして三郎を指す。
「…学級委員長委員会室に春画を置き忘れたことを、妙に正当化しようとしてるからだっ」
「正当化じゃないってば」
「じゃあ聞くが、もしあの春画を、たとえば一年は組の庄左ヱ門が見ちゃったらどうするつもりなんだよ」
 勘右衛門がいきり立って訊いたとき、その場にいた全員が、大きな丸い眼をした生真面目そのものの小さい少年の姿を思い出すのだった。
「たしかに、想像しにくいが…」
 ぼそっと呟く兵助をちらと見やってから、三郎がにやりとする。
「ああ見えて、庄左ヱ門はけっこう好きなんじゃないかと思うけどな。態度にはださないだけで」
「おまえ! かわいい後輩になにを妄想してるんだっ!」
 勘右衛門は歯軋りをするが、三郎は堪えない。
「妄想じゃないよ。人間、あまり無菌状態におくと免疫がなくなる。適度のシゲキが必要なんじゃないかって言ってるだけなんだけど」
「コレのどこが『適度』なんだよ!」
「僕も、庄左ヱ門には刺激が強いんじゃないかと思うけど。却って女色に惑うことになりかねないんじゃない?」
 勘右衛門に続いて、雷蔵も軽く眉をひそめながら言う。
「2人とも分かってないんだな」
 三郎は、肩をすくめる。
「だから、免疫が必要なんじゃないか」
「どういうことだよ」
「考えてもみなよ。庄左ヱ門みたいなマジメ人間がいきなり生身の女に接触なんかしたら、それこそ忍者の三禁にはまってしまうだろ? 私はかわいい後輩がそんなことになってほしくないだけさ」
「動機と手段が違いすぎないか…?」
 兵助が呟く。

 


「そうかな。けっこういい線いってると思うんだけど」
「てか、八左ヱ門、さっきからやけに静かだけど、どうしたんだ?」
 兵助がきょろきょろする。と、部屋の壁にもたれて、三郎が持ち込んだ春画に眼を落としている八左ヱ門の姿が眼に入った。
「う…なんか、すげぇ見入ってないか?」
「声、かけづらいね」
 勘右衛門と雷蔵がこもごも言う。
「なあ、八左ヱ門、そう思わないか?」
 ぽんと三郎に肩をたたかれて、八左ヱ門がびくっとして顔を上げる。
「な、なんだよ」
「話を聞いてなかったのかよ」
「聞いてるわけないよな。春画に見入ってたからな」
「おいおい、するなら他でやってくれよ。臭くてかなわんからな」
 にやにやしながら視線を向ける仲間たちに、八左ヱ門の顔が真っ赤になる。
「おま、お前ら、なに言ってやがるんだよ! 俺はべつに…」
「…ごくごくフツーに、男がしたいことをしたいと考えていただけ、だろ?」
 三郎が混ぜっ返す。

 


 -ったく、ホントにガキの会話だな。
 兵助はそっとため息をつく。そして、その理由も分かっているだけに、それはひそやかなものになる。
 -でも、こんな夜に、あっさり床について寝られるわけがない…。
 雷蔵も三郎も、八左ヱ門も勘右衛門も、もちろん兵助自身も、仲間たちと共にいることで、辛うじて恐怖から逃げおおせているのだ。つい先ほどまで手先に感じていた皮膚を切り裂く感覚や忍刀を伝う生暖かいぬめり、耳に残る断末魔の声を消し去ろうとしているのだ。
 だが、そうやって辛うじて精神の平衡を保っているようでは、一人前の忍になどなれるものではないことも分かっていた。
 -今はまだ、こうでもしてないとどうかなってしまいそうな自分を抑えることができない。でも、忍として生きていくためには、ひとりで感情を処理する術を身につけなければならない…。
 それが、果たして自分にできるのだろうか。今はまだ、どうしようもなく仲間たちを必要とする自分に、命を手にかけた事実を淡々と受け入れられる日が来るのだろうか…。

 


「おい、八左ヱ門。おまえ、もしかして、もう変なことしちゃたんじゃないだろうな」
 三郎がにやにやしながら詰め寄る。
「んなわけねーだろ! 三郎じゃねーんだから!」
「ホントか? じゃ、私が検査してやろう…袴を脱げ、八左ヱ門」
 言いながら、三郎が袴の紐に手をかけようとする。
「何しやがる三郎! お前こそ、俺が検査してやる!」
 三郎の手を払いながら、八左ヱ門も三郎の袴の紐を引こうとする。
「おっと、そうはいくか」
「なにを!」
 三郎に足払いを食らった八左ヱ門が床にしりもちをつく。素早く起き直ろうとするが、三郎も上からのしかかろうとする。そのとき、
「おい、三郎。いいかげんにしろ」
「八左ヱ門も」
 雷蔵が、三郎を背後から羽交い絞めにする。八左ヱ門の上体に覆いかぶさって押さえ込んだのは兵助である。
「やめろ、雷蔵」
「はなせってば!」
 三郎も八左ヱ門ももがいたり足をばたつかせながら声を上げるが、それぞれ身体を押さえ込まれて動かせない。暴れても無駄だと悟った2人が徐々に大人しくなる。だが、雷蔵も兵助も2人を押さえ込んだままである。
「わかったよ雷蔵…もうやらないから、はなしてくれないか?」
「おい、兵助…わかったから、もうはなしてくれよ」
 こもごも声を上げるが、雷蔵も兵助も動かない。
「お、おい…そろそろはなしてやってもいいんじゃないか?」
 勘右衛門が遠慮がちに声をかける。と、弾かれたような表情で雷蔵と兵助が顔を上げる。自分が何をしているかを思い出すのにさらに数秒かかってから、ようやく雷蔵は腕の力をゆるめ、兵助が上体を起こす。
「ふぅ、そんなにマジで押さえ込むなよ。ちょっとふざけてただけなんだからさ」
 三郎が口を尖らせる。起き上がった八左ヱ門も、腕を組んで軽く頷く。
 ごめんごめん、といつもの朗らかな笑顔を見せた雷蔵が、笑顔のままで続ける。
「でも…まあ、いいさ。三郎も八左ヱ門も、気が済むまでやっていいよ」
 兵助以外の全員が耳を疑う。
「え? 今なんて言った?」
「俺も気が変わった。好きにやっていいぞ、2人とも」
 雷蔵の代わりに兵助も口を開く。
「ちょっと待て。だから、なんなんだよいきなり」
 まだその意味を捉えかねた勘右衛門が当惑声を上げるが、雷蔵と兵助はさらりと言い捨てて部屋を後にする。
「気が変わった、ってことさ」
 部屋に残された3人が、誰にともなくつぶやく。
「…なんなんだよ、アイツら…」

 


 -同じこと、考えてたんだな。
 廊下を歩きながら、雷蔵と兵助は軽く視線を交わして、意思を確かめる。
 -好きにやらせておけばいいんだよな…生きてるから、五体満足で帰ってこれたから、じゃれあうことだってできる。
 三郎の身体も、八左ヱ門の身体も、温かかった。熱ささえ感じるほど、伸び盛りの力に満ちていた。その熱を確かめたくて、必要以上に押さえ込んでいたのだ。
 -それが、生きてるってことなんだよな。
 -そうさ。生きてるから、あんなに熱いんだ。
 同じ思いを互いに認めて、ふっと笑い交わす。たとえ学園では五年生として、忍術の修行にもっとも注力すべき学年だとしても、まだ十四歳だから。少年から青年へと伸びてゆく真っ最中の、死とはもっとも遠くあるべき年齢だから。

 

<FIN>