くノ一の兵法
山本シナ先生と兵助、ちょっと珍しい組み合わせです。
若かったりおばあちゃんだったりと変幻自在のシナ先生ですが、ここでは若い方の先生です。
若い方のシナ先生って、生真面目な兵助を翻弄するような茶目っ気がありそうです。
「ありがとね。久々知君が一緒に来てくれて助かったわ」
小首をかしげてシナが声をかける。
「いえ、僕でお役に立てたなら、なによりです」
傍らを歩く兵助が居心地悪そうに視線をそむける。
「どうしたの、久々知君? 私と一緒の道中はイヤかしら?」
「そ、そんなことはないです!」
唐突に浴びせられた挑戦的な口調のセリフに、思わず顔を赤らめて声を上ずらせる兵助だった。
「ウフフ…冗談よ。ごめんなさいね」
「…からかわないでください」
顔をそむけたまま低い声でつぶやく。
「でも、久々知君が来てくれて助かったのは本当よ。くノ一会議の皆さんもあんなに喜んでくださったし」
くノ一がもっと積極的な役割を果たすべきと考えるシナは、自らも火縄の名手であると同時に、生徒たちにも火器の扱い方を熱心に教えていた。だが、同業であってもくノ一とはあくまで忍の補助であり、火器のような危険物を扱うべきではないと考える者もまだまだ多かった。だから、各地のくノ一の代表が集まる会議に兵助を帯同したのだ。火薬委員会委員長代理の兵助には、くノ一教室の火縄の指導の助手として手伝いを頼んでいたから。
「久々知君って教え方がうまいって前から思っていたのよ。女の子はどうしても男の子にくらべて腕力が足りないから火縄の構え方もコツが要るんだけど、久々知君はお願いしなくてもそのあたりも踏まえて指導してくれたし」
男ばかりの寮生活で女子に近づく機会すらなかった兵助がくノ一教室に足を踏み入れた時の緊張は、初めて戦場に旗印を取りに潜ったとき以上のものだった。そしてすぐに、自分たちと同じ教え方をしてはいけないと気づいた。くノ一教室の生徒たちは、同学年の男子より背は高く大人びてはいたが、体格も腕もまるで細工もののように華奢だった。だから必死で教え方を考えた。
「でも、くノ一に火器はやはり危険ではないでしょうか」
一生懸命考えた甲斐あって兵助の教え方は好評だったし、腕も上達した。だが、兵助の眼には、服に火薬の臭いがつくの何のときゃあきゃあ言いながら火縄を扱うくノ一の生徒たちは、危なっかしくて仕方なかった。何より、女子が火縄のような危険物を扱うべきではないという思いが拭えずにいた。それなのに、シナは火縄だけではなく、伝火や火矢も教えようとしているのだ。
「どうしてそう考えるのか、教えてくれるかしら?」
シナの口調に咎めるような棘はない。だからこそ、合理的で論理的な答えを求められていると兵助は感じる。
「忍たま低学年でも火縄は持ち重りするものです。特に発射後の反動は身体へのダメージが大きいです。それなりの体格と筋肉がないといけないと思うのです」
これでシナが納得するだろうかと思いながら口を開く。
「だから、反動をうまく逃がすやり方を教えてくれたと思うのだけど」
「はい…そうでした」
シナの指摘は正しい。顧問の半助に教えてもらったのだ。一年は組の生徒たちに火縄を教える時、発射の反動で身体が飛ばないための銃身の扱い方を。自分はそれをそのまま伝えたにすぎない。
「…でも、伝火や火矢はもっと危険です」
つい、決めつけるような口調になってしまう。
「そうかしら」
軽やかに受け流すシナだった。
「それに、他のお城のくノ一代表の方も、くノ一は火器は扱うべきではないと仰っていました」
それは事実だった。くノ一も火器を扱うべきと主張するシナへの反論も多かった。議論を傍で聞いていた兵助には、シナの意見への反論のほうが多かったことに、むしろ安心感をおぼえていた。
「いろいろな意見があることは悪いことではないわ」
シナの口調は変わらない。「でもね、私は、火器はこれまでの武器よりむしろ女には扱いやすいと思っているの」
「そうなんですか?」
思わず足を止めた兵助が眼を見開く。シナほどの優秀な教師がなにか根本的な間違いを犯しうるものだろうか。
「例えば弓矢や刀は、扱うには相応の技術と瞬発力、持久力が必要だわ。槍は、女が扱うには大きすぎるし重すぎる。でも、火縄はコツさえつかめればはるかに扱いやすいと思うの。的を狙う集中力は男女よりも個人差が大きいし、弾込めや火薬の調合みたいな細かい作業は、女の方が得意なのよ」
「そうかも知れませんが…」
「それにね、久々知君」
「はい…」
「こんな戦の世の中では、総力戦でないととても勝ち残ることはできないと私は思うの。男女にかかわらずできることをする、そのくらいじゃないとね」
「…はい」
たしかに戦は女子どもも容赦なく襲う。そうであれば、身を守るだけではなく、むしろ積極的に攻撃するための術を身に着けることも求められるということなのかもしれない。
-攻撃は最大の防御、というわけか。
シナの言わんとすることがなんとなく見えてきた気がした。
「そうは言っても、男にしかできないことと、女にしかできないこともあるから、そこは役割分担も大切ね」
たちまち前言を翻すようなことを言って兵助を翻弄するシナである。
「…それは、どういうことですか」
しばし意味を考えていた兵助だったが、ついに降参する。
「そうね」
気を持たせるように言葉を切ったシナが指先を顎に当てる。「たとえば、男と女では、人を見る目は違うもの、と言ったらどう思うかしら?」
「違う…?」
話が意外な方向に飛んだように思えて、兵助は上目遣いにシナを見やる。
「そう。女人が異性を見るときは、その男性の傍らにいることが幸せか、という眼で見るの。男性とはぜんぜん違うでしょ? 言い換えれば、順忍にふさわしいかということね。どんなに外面がよくても、自分を大切にしてくれない男だと見切れば、女はぜったいに近づかない。最近、女人の眼を通して忍の採用を行う城が出てきたのは、それも理由のひとつね」
「…そういうものなのですか」
「いずれ敵地に作戦工作をすることもあるでしょうから、覚えておくといいわね。敵地の民衆に工作を仕掛けるときには、女を味方につけることが絶対に必要なの。なんだかんだで家の中の実権は女が握っているし、女が束になったら役人や兵隊もうかつに手が出せなくなるわ。それに、女は見知らぬ同性を警戒するから、女の眼から見て受け入れやすい男というのは工作要員として重要なのよ」
「はい…」
初めて聞く話に眼を丸くする兵助だった。
「とは言っても、ぜったい自分を大切にしてくれないことが分かっていても、惚れた弱みで離れられなくなるってケースも多いから、イマイチ信用されないのは女の弱点なんでしょうね」
小さく肩をすくめながらまたも兵助を翻弄するシナだった。
「でも、だからって…」
女性に疎い兵助でも分かる。会議を終えて湯を使っているときの自分を垣間見る視線は、明らかに忍を品定めするものではない、異性を見る嬌声を秘めた視線だった。それは思春期真っただ中の少年にはあまりに刺激的な経験だった。
-俺を見世物みたいにしやがって…!
一糸まとわぬ無防備な姿だったから、辛うじて大事な部分を隠し通すことに必死で、せっかくの湯も汗を流すどころか余計にイヤな汗をかいただけのように思えた。勘右衛門や三郎だったらむしろ見せつけてやれと言うところだろうが。
「ウフフ…みなさん、ああ見えて若い男の子に接する機会が少ないものだから…いちおう私もやめてくださいって言ったのよ。まだ十四歳なんだからって」
あまり申し訳なさそうにシナが言いつくろう。
「もう、女の人のいるところでは湯は使いません」
顔を俯かせた兵助がすねたように口を尖らせたとき、傍らを歩いていたシナが「あら」と小さく声を上げて足を止める。慌てて兵助も顔を上げる。
「こんなところに、臨時の関所が」
道端に陣幕が張られ、大勢の兵士が警備に立ったり行列を整理をしたりしている。仕方なく行列の後尾に並んだ兵助の顔色が青ざめる。
「どうしましょう、山本先生。僕たち、会議で使った火薬や砲弾を持ってます。もし連中に見つかったら…」
「落ち着いて。ここは私に任せなさい。あなたの持っている火薬と砲弾は私に」
「はい」
声を潜めながらもシナの声も態度も冷静そのもので、兵助から受け取った火薬と砲弾をそっと懐に隠す。
-だけど、関所の侍が荷物検めや身体検査もせずに通すとは思えないし、もし見つかったらどうしよう…それにしても、こんなところに臨時の関所を置くなんて、どこの城なんだろう…。
見慣れない紋章の鎧をまとった兵たちを見ながら、兵助の頭の中は不安と恐怖で次第にオーバーヒートに近づいていく。その間にもシナは後ろに並んだ地元のおばさんグループと「まあ、そんなことがありましたの」とのどかに世間話をしている。
やがてシナたちの順番になった。
「おい、そこの女、名前をなんと申す」
「シナと申します」
楚々と進み出たシナが妖艶に微笑むが、床几に掛けた侍は胡散臭そうな視線のままである。
「女が一人でどこへ行く」
「一人ではない!」
凛と声を張り上げてシナの前に割り込んだのは兵助だった。内心は怖くてたまらなかったが、背後にかばうように左腕を広げる。
「なんだお前は」
「僕は、弟です!」
「なに、弟とな」
ますます胡散臭そうに二人に眼をやる侍だった。「それにしてはちっとも似とらんの」
「母の連れ子ですの」
口元に手をやったシナが説明する。「よくあることでございますわ」
「まあよい。荷物を見せよ。それから身体検査だ」
-うげ、身体検査?
ふたたび兵助が青ざめる。風呂敷包みの中にはたいした荷物は入れていなかったが、懐や襟、脚絆などには忍器を仕込ませている。おまけにシナは自分の分まで火薬や砲弾を隠し持っている。見つかればタダでは済まない…。
「あの…、私もですの?」
いかにも当惑したようにシナが胸元に手を当てる。
「当たり前だ。とっとと着物を検めさせるのだ」
「でも…このようなところで…」
「なに、検めさせぬというなら力づくで剥いでもよいのだぞ」
侍がニヤリとしたとき、
「ちょっと! 若い娘さん相手になに絡んでるのよ!」
制止する兵たちを押しのけで踏み込んできたのは、後ろに並んでいたおばさんグループである。
「そうよ! あなたたち、まさかこんなふきっさらしの場所で若い娘さんの身ぐるみ剥いで裸検査しようなんて思ってないわよね!」
「ま、まさか私たちにも同じことをしようなんて、してないわよね…!」
甲高い声に、行列にも動揺が伝播していく。
「聞いたか、俺たちも身ぐるみ剥がれるんだってよ」
「はあ? 俺たちが何をしたってんだ!」
「おまけに若い娘を無理矢理…」
「それじゃ、そこらの野盗どもと変わらないだろ!」
「そもそも、こんなところに勝手に関なんか作りがやって、あいつら何者だ!?」
ざわめきはたちまち増幅し、通行を止められた怨嗟も重なって大きくなっていく。
「お、おい! 静かにせぬか!」
「勝手なことを言うな!」
兵たちが慌てて鎮めようとするがもう遅い。
「俺たちから身ぐるみを剥ぐってのはどういうことだ!」
「まさかタソガレドキの代官の送り状がついたこの荷物まで取り上げる気じゃないだろうな!?」
「関銭とられるだけでも腹立たしいってのに、なんの権限があるってのよ!」
列を崩した人々が陣幕になだれ込んで口々に怒鳴り始める。
「え、ええいっ! 誰が身ぐるみ剥ぐなどと言った! 関銭払えば通してやるから静まらんか!」
動揺した侍が声を張り上げると、騒ぎはようやく収まった。
「なんだよ。初めからそう言えってんだ」
「けっきょく関銭は取られんのかよ」
ぶつくさ言う人々を、兵たちが改めて列に並ばせる。そして、その場からシナと兵助の姿が消えていることに気づいた者はいなかった。
「よかったです。山本先生」
関から離れた道端の木陰で二人は休んでいた。兵助がホッとしたような笑顔でシナを見上げる。
「そうね。あの奥さま方が思った以上にやってくれたおかげで助かっちゃった」
ウフフ、と口元に手をやるシナだった。
「僕も、あそこまでの騒ぎになるとは思いませんでした。皆、武器を持ってる関所の兵が怖くなかったんでしょうか」
「言ったでしょ。女が束になると怖いのよ。それに、臨時の関所なんて勝手に作られて相当うっぷんがたまっていたんでしょうね」
「はい…やっぱり、女の人には気をつけます」
「あらあら、だからってガイノフォビアにならないでね。せっかく女の人にモテる素質があるんだから」
「そんなことは…」
顔を赤らめて俯いた兵助だが、すぐに気になることがあるように顔を上げて訊く。
「ところであの関所を作ったのはどこの城でしょうか。みたことのない紋章をつけてましたが」
「いい質問ね。どこの城だと思う?」
「えっと…」
質問で返されて、腕を組んで考え込む。「このへんはオーマガトキ城の領地だけど、あの紋章はオーマガトキでも、事実上支配しているタソガレドキでもなかった…関をつくるからにはオーマガトキとタソガレドキの許可を得てるだろうし、そんなことができる城なんてあるのかな…?」
「そうね。まだ知らなかったかも知れないわね。あの紋章は、アカツキ城のものよ」
「アカツキ城…そんな城、ありましたっけ?」
キョトンとした顔で兵助が見上げる。
「まあ、まだ知らなくても仕方がないかもね…アカツキ城は、オーマガトキ城主の大間賀時曲時のいとこで大間賀時暁月が最近分家してできた城なの。大間賀時曲時が人望がないのは知ってるでしょ? だから、タソガレドキも半ば公認して、少しはみどころのありそうな暁月を独立させたんだけど、当然曲時はそんなの納得してないから、領地も固まっていないの。だけど、どうやら暁月はあの関のあたりに領地を構えるつもりのようね。近くの山に砦を築いてたわ」
「え…」
思わぬ台詞に絶句する。
「気がつかなかった? 行列の途中からも見えたと思うけど」
「…すいません。気がつきませんでした」
行列に並んでいる間は、どうやって関の侍たちを切り抜けようかとかそればかり考えていた。周囲の観察などとても及ばなかった。
「あの…もうひとつ、分からないことがあるのですが」
おずおずと訊く兵助だった。
「なにかしら?」
「タソガレドキも半ば公認とおっしゃってましたが、タソガレドキにはどんな狙いがあるのでしょうか」
「あのね、久々知君。質問にはいくつかやり方があるの。いまの久々知君の聞き方は、生徒としては正しいやり方だけど、大人らしく見られたければ、違う聞き方も心掛けたほうがいいわね」
「え…」
突然、あらぬ方向に話が飛んでしまったように思えて兵助は絶句する。
「今みたいに『これはどういうことですか』みたいな聞き方をされると、聞かれた方は、『ああ、この人はこのことについて全く知らないんだな』って思うわ。それは、場合によっては何も考えていないと思われてしまう可能性があるの。そうじゃなくて『こう思うですけどどう思いますか』と聞かれると、相手は久々知君の考えがどこまで到達しているかよりはっきりして、久々知君が必要な答えをしようと考えるわね。これからは、そういう聞き方も心掛けるといいわ」
「ということは…その…タソガレドキの狙いについて、僕がどう考えるかを言えばいいということですか」
「そうね。久々知君はどう思う?」
「えっと…タソガレドキも半ば公認ってことは、大間賀時暁月はそれなりの人物ということではないかと…」
ようよう答えを絞り出した兵助がすぐにしまったという表情になる。ついさっき、シナが「少しはみどころがある」と言っていたではないか。
「そうね。そういう考え方もあるわね」
あえてそこには突っ込まずに、気を持たせるように応じるシナだった。
「違う考え方もあるというわけですか…?」
「これはひとつの考え方だけど」
言葉を切ったシナが軽く首をかしげて微笑む。「タソガレドキとしては大間賀時暁月がどんな人物かなんてどうでもいいかもしれない。そうは考えられないかしら」
「それは、どういうことですか」
「タソガレドキの立場で考えれば、オーマガトキがひとつにまとまっているより分裂しているほうが御しやすいってことにならないかしら」
「御しやすい…そうか! 大間賀時曲時と大間賀時暁月を競わせるってことですね!?」
膝を叩いた兵助が声を上げる。
「本当のところは分からないわ。ただ、考えうるあらゆるオプションを頭の片隅に置いて作戦というものは立てるものなの」
言いながらすらりとシナは立ち上がる。
「え…作戦、ですか?」
慌てて立ち上がって袴についた草を払い落としながら兵助が訊く。
「そう。あの砦、壊しちゃわない?」
まるで茶屋で一服しようとでも言うように軽やかに言うシナに兵助の眼が見開かれる。
「え…壊す、ですか?」
「そ。どの見立てが合ってたとしても、タソガレドキに都合がいいことには変わりないでしょ? ちょっとはオーマガトキにも手を割いてもらわないとね」
言いながらウインクするシナに、もはや何も言えない兵助だった。
「あの…これって…」
兵助の声は当惑を超えて拒否を帯びている。
「前から思ってたんだけど、久々知くんってとっても色白だし、女装しても様になるのよね」
澄ました声で楚々と先を歩くシナだった。いかにも物売りらしく、頭の上に野菜を入れた籠を載せている。「でも…」
ちらと背後の兵助に眼をやる。
「もう少し女の子っぽい歩き方をしないといけないわね。その歩き方では、中身は男ですって言っているようなものだわ」
「そうは言いましても…」
頭上の籠に積んだ野菜を落とさないようバランスをとるだけでも大変なのに、歩き方まで気にかけている余裕はない。歩き方に気を取られると、籠が傾いで野菜を落としてしまいそうで、気が気ではないのだ。
「膝の間に懐紙を挟んでいるよう意識してみて。それだけでずいぶん女の子らしい歩き方になるわ」
「は…はい…」
それではほんの少ししか歩幅が取れないではないか、と思いながらも、真面目な兵助は膝をすり合わせるように歩く。
「そう、いいわ、その調子…でも、あまりお尻を振らないように。別の商売の子に見られるわよ」
「は…はい…」
もはや自分がどのような歩き方をしているかを意識することすらできなくなっている兵助だった。頭上と足に注意しなければならないうえに、歩いているのはアカツキ城が砦を築いている山中の道である。
「おい! お前たち、何者だ!」
鋭い声にハッとして顔を上げる。シナについて歩くことに必死で、砦の門前までたどり着いていることに気づかなかった。
「見ての通り、野菜売りでございますわ」
ニッコリとシナが微笑む。「買っていただけませんかしら」
「野菜など必要ない! 帰れ帰れ!」
番兵が追い払う仕草をするがシナはにこやかに微笑んだまま動かない。
「野菜は絶対に必要なものですわ。栄養に偏りがあっては、いざというときに戦えなくなってしまいますのよ」
「そんなこと、お前には関係ない!」
居丈高に言い放つ番兵だが、その視線がためらうようにさまよい始める。
「バランスのいい食事をとってこそ、気力も体力もつくというものですわ。このとおり…」
言いながら頭上に載せていた籠を下ろして兵たちに示す。「この大根はビタミンC、サトイモはカリウムが豊富ですわ。それに…」
ひょいと腕を伸ばして、兵助の持つ籠を手に取る。「小松菜はカルシウムがとっても多く含まれていて、頑丈な身体を作るのに不可欠ですのよ」
「う、うむ…そのようなこと、分かっておる」
「でしたらぜひ、こちらの方々にもたくさん召し上がっていただけないでしょうか。きっと皆さん、元気百倍になりましてよ」
小首を傾げて微笑みながら迫るシナに、番兵はすでにタジタジである。
「え、ええい! 勝手にせい! 食堂は入って左だ!」
「ありがとうございます」
開かれた門を通り抜けざま、流し目でスマイルを送るシナに続いて、兵助もそそくさと足を進める。
-すごい。楽車の術に見せかけた恐車の術…さすが山本先生だ…!
「お前たち! ここで何をしている!」
唐突に背後から響いた怒鳴り声に、思わずぎょっとして立ち止まる兵助だった。
「ごめんなさいませ。私たち、お野菜をお納めに来たのですが、食堂の場所が分からなくて…こちらは初めてなものでして」
「なに、初めてだと?」
胡散臭そうに二人を眺めまわす兵だった。
「はい。いつもお納めに来ている者が急病ということで、商売仲間の私たちが代わりに来た次第ですので」
「ふん、そういうことか」
鼻を鳴らした兵が顎をしゃくる。
「食堂はあっちだ。このあたりは部外者立ち入り禁止だ。お前らごときがウロウロするな」
「はい。失礼いたしました」
にこやかに頭を下げて見せたシナが楚々と歩き去る。
「あの…山本先生」
慌ててついてきた兵助がささやく。「あのあたり、火薬の臭いがするのですが、武器庫ということですよね」
「そうね。どの建物が一番怪しいと思う?」
歩みを進めたままシナが涼しげな口調で訊く。
「僕は、あの兵が立っていた建物が怪しいと思います」
「そうね。私もそう思うわ。だとすれば…分かるわね?」
ちらと振り向いたシナがウインクする。
「はい!」
「伝火の準備ができました」
「ありがと。ご苦労さま」
変装を解いて物陰に潜む二人が声を交わす。
「でも、この伝火の距離では、砦を脱出する前に爆発してしまいます。出入り口を封鎖されてしまえば袋のネズミになってしまいます」
演習の残りが手元にあるだけだったので、伝火はほんの少ししかなかった。
「正しい指摘ね。では、私たちはどうすべきかしら?」
微笑みかけるシナの瞳が、また挑戦的な光を帯びる。
「えっと…二手に分かれて、離れた場所を時間差で爆破するとか…」
まるで試験中みたいだ、と思いながら兵助は考え考え答えをひねりだす。
「いい考えだわ。だとすれば、ここと、もう一か所はどこにしようかしら?」
火薬はまだまだあるから大丈夫よ、と言いながらさらに問いかける。
「敵を攪乱するには…正反対の塀を爆破して、そこから脱出するとか…」
さらに苦吟するように腕を組んで考える。いつの間にか額に汗がにじんでいた。
「それもいいわね。でも、私だったら井戸を狙うかしら」
さらりと放たれた台詞に兵助が眼を見開く。
「井戸…ですか?」
「そう。見たところ、この砦には井戸は一か所しかないわ。この辺りは沢も少ないから、きっと水を手に入れるのは大変な場所なんでしょうね」
「そう…でしたか」
思えば山道を歩いているときは頭上の籠と足取りに気を取られて、周囲を観察する暇はなかった。
「沢といっても、ほんのチョロチョロした流れがあるだけだったわ。だからこそ、あの井戸をつぶせばこの砦は使い物にならなくなると思わない?」
「はい…そう思います」
「だったら決まり」
にこやかにシナは続ける。「久々知君がここを先に爆破してちょうだい。少し間をおいて私が井戸を吹き飛ばすわ。それで内部がパニックになったら脱出よ」
「でも、どこから…」
「久々知君がここに仕掛けた量の火薬なら、この周辺の建物と、周囲の塀も吹き飛ばせるはずよ。塀の向こうは崖になっているけど、すぐ下がこの砦に通じる道になっていて、崖には逆茂木も何もないからすぐに脱出できるはずよ」
「はい…」
もはや疑問も反論の余地もなく頷く兵助だった。
「じゃ、行くわよ。成功を祈るわ」
ウインクしたシナが姿を消す。
「…すごかったですね、山本先生!」
まだ興奮さめやらぬ風で兵助が声を弾ませる。
「そうね、これで大間賀時暁月もしばらく動けなくなるし、タソガレドキもオーマガトキの統治に手を取られるようになるわ。当面新たな戦には手が出せなくなるでしょうね」
涼やかに言い捨てるシナである。
「さすが山本先生です。井戸をつぶす発想はありませんでした」
上気したような表情で見上げる兵助だった。
「観察力は大事よ」
澄ました表情で言ったシナが兵助に眼を向ける。「でも、久々知君にはちょっとムリさせちゃったわね。ごめんなさいね」
「いえ、そんなこと…」
女装のことだと思い当たった兵助が顔を赤らめる。「僕も、もっと自然な女装ができるように訓練します」
「ぜひそうしてちょうだい。久々知君ならきっとうまくいくわ」
「がんばります…それに、今回はとても勉強になりました」
「そう? どんなところが?」
訊きながら小首を傾げる。
「作戦を考えるのに男も女もないんですね…火器を扱うことも、それと同じではないかと思いました」
「そう」
意外な告白に軽く眉を上げたシナがすぐに微笑む。
「それが分かっただけでも、この作戦は大成功ね」
<FIN>
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