初顔合わせ

 

たどりつく場所の続きです。学園の教師になった土井先生と、その担任するしんべヱの保護者の福富屋が初めて顔を合わせます。土井先生が学園の教師になるまでの経緯をすべて知っていながら、何も言わずに穏やかに酌み交わす、このシーンを書きたくて土井先生の過去シリーズを書いてしまったような、今となってはそんな気がします。

忍術学園には授業参観というイベントは存在しないことは、書いてしまってからたまたま原作を読んでいたときに判明しましたw

 

 


「しんべヱ君、いますかぁ」
 午後の授業が始まったばかりの教室に顔を出したのは、事務員の小松田である。
「はーい」
 しんべヱが手を上げる。
「お父上がお見えでーす」
「パパが?」
 半助としんべヱが首をかしげる。

 


「いやいや、少し遅れてしまいましたな。まことに申し訳ない…おや、ほかの親御さんはまだ見えてないのですかな?」
 せかせかと教室に入ってきたのは、しんべヱの父、福冨屋である。
「あの…しんべヱのお父上、今日はどのようなご用件で?」
 当惑顔の半助が訊ねる。
「用向きって、今日は授業参観の日ではなかったのですか? しんべヱの手紙には今日とありましたが」
「えっ? そうなのか、しんべヱ」
「ぼく、そんなこと書いたっけ」
「ほれ、ここに」
 福冨屋が取り出した手紙には、確かに今日が授業参観と書いてある。
「あ…ホントだ」
「しんべヱ、どういうことだ。日付を間違えたな」
「ごめんなさい、パパ…ぼくがまちがえちゃったみたい。ホントは先週だったの」
「ああ…ったく」
 こめかみを押さえて福冨屋がうめく。
「まあ、仕方がない。今日が参観日ではないというのなら、私は失礼します。土井先生、授業のお邪魔をして申し訳ありませんでした」
「いや、せっかくですから、授業を見ていかれませんか」
 一礼して教室を出ようとした福冨屋に、半助は声を掛ける。
「よろしいのですか?」

 


「先ほどは、たいへん失礼しました。それに、授業を見せていただいて、ありがとうございました」
 午後の授業の後、教師長屋の半助たちの部屋に案内された福冨屋は半助と話をしていた。
「いや、他の大人の目があった方が、生徒たちの刺激にもなりますから」
 それは、半助の本音でもあった。
 -さすがに、居眠りする生徒もいなかったし。
「そう仰っていただけると、救われます」
 如才なく頭をぺこりと下げてから、眼の前の黒い忍装束を纏った長身の若者を見上げる。
「本当なんですよ」
 優しい眼で半助が微笑む。
 -この男のために、私は黒松殿とチキンレースを繰り広げたというわけか。
 改めてあの攻防戦の前に一度でもこの男に会っていたら、自分は同じことをしただろうかと考える。このいかにも気のいい青年教師といった風情の若者を、ああまでして手に入れようとしただろうか。
 -いや、この眼は、ただの気のいい若者の眼ではない。
 自分を見つめる優しい眼の奥に潜む押し殺した感情に、多くの人間に接した福富屋は気付いている。
 -このすべてを知って、すべてを呑み込んで、その果てに残ったのがあの優しい眼なのだとすれば、忍としての経験を経てきた眼なのだとすれば、その裏付けはきっと役に立つはずだ…。
 忍術学園の教師になる前の半助の身柄を巡って繰り広げられた攻防戦を、福冨屋は思い出していた。堺の豪商であり、街の支配層である会合衆(えごうしゅう)の一員でもある福冨屋ではあったが、播磨の大名である黒松氏とのパワーゲームは厳しい戦いだった。諸大名や公卿、五山や本願寺といった宗教勢力、諸方の商人たちなど、畿内のあらゆるエスタブリッシュメントがプレーヤーとして入り乱れ、結果として堺は海路の安定と武器の流通による収益を手にしたように思われた。それも、そのような結果になるよう福冨屋があれこれと手を回した成果なのだが、それもこれも、きっかけは、福冨屋が半助の仕事の力量を見込んだゆえのことだった。一介の忍ひとりを手に入れるのがそもそもの発端だったとは、会合衆のメンバーさえ気付いてないはずだったし、絶対に誰にも言えない秘密であったが。
 -最後は、大川殿に盗られてしまったが…。
 思わず苦笑が漏れる。もともとは、半助を福冨屋の手代として手元に置くつもりで始めたゲームだったが、最後の最後で忍術学園の大川に盗られてしまったのだ。そして、今はしんべヱの担任として、自分と対座している。
「どうか、されましたか」
 怪訝そうに、半助が見ている。福冨屋は苦笑したまま首を振った。
「いえいえ、何も…ところで、今日は、学園長先生はおられますか」

 


「それが、金楽寺の和尚様を訪ねておられます」
「そうですか。それは残念ですな」
「学園長先生になにかご伝言があれば、申し付かっておきますが」
「ああいや、実は学園長先生から頼まれていた軸が手に入りましてな、お渡ししようとお持ちしたのです…申し訳ありませんが土井先生、学園長先生にお渡し願えませんか」
 福冨屋は袱紗につつまれた木箱を、半助の前に置いた。
「たしかに、お預かりします」

 


「では、そろそろ私は失礼します」
 話が途切れたところで、福冨屋がおもむろに腰を浮かそうとした。
「今日は、学園に泊まっていかれるのではないですか?」

 半助が意外そうに眼を見開く。
「いえいえ。供の者もおりますし、馬もおります。ご迷惑はかけられませんから」
「ご心配には及びませんよ。お部屋はご用意できますし、馬は学園の厩に入れて、生物委員に任せておけば大丈夫でしょう。これから堺に向かうとなると、途中で暗くなって危険です」
「お心遣いは、ありがたいのですが…」
「今夜はしんべヱと、ゆっくりお話していってください。元気に振舞ってはいますが、きっと寂しいと思ってるでしょうから」
 -これが、教師になって1年にも満たない者の言葉か…。
 福冨屋は、改めて目の前の若者の顔を見つめる。半助がどのような過去を持っているかは知らないが、フリーの忍として鳴らしたと下島から聞いたことがある。あまり子どもと関わる経歴があったようにも思えないのだが、どこで生徒たちの心理を洞察する術を習得したのだろうか。
 -兄弟の多い家庭環境だったのか…。
 まあ、そういったところなのかもしれない、と福冨屋は納得することにした。そして、改めて半助が不審そうな顔で自分を見ていることに気付いた。
「私の顔に、何か?」
「いえいえ、別に。それでは、お言葉に甘えて、今日は学園にご厄介になるといたしましょう」
「そうしていってください」

 


「えー、今日、パパ学園に泊まるの?」
 不満そうな声を上げるしんべヱを、乱太郎ときり丸がなだめる。
「しんべヱ、そんなこと言うなって。せっかくパパさんが来てくれたんだからさ」
「そうだよ。今日はゆっくりお話すればいいよ。滅多にないことなんだから」
「なんなら、パパさんと一緒の部屋で寝たらどうだ?」
 きり丸がからかうと、しんべヱは憤懣やる方ない、というようにすっくと立ち上がって宣言した。
「ぼくは、自分の部屋で寝る! もう子どもじゃないんだから!」
「いや、子どもだろ」
「きりちゃんてば」

 


「…ていうわけで、しんべヱ、なんか嫌がってるみたいなんですけど」
 乱太郎ときり丸の報告を受けた半助は、苦笑を浮かべた。
「仕方がないな。まあ、夕食後に客間に来るように伝えておいてくれないか」
「はーい」
 乱太郎たちが部屋を出ると、福冨屋は肩を落としてつぶやいた。
「やはり…どうも最近、しんべヱが私を避けるような気がしてならなかったのですが」
「それは、しんべヱが自立しようとしているということですよ」
「自立?」
「そうです。自宅を離れて、同年輩の子たちと生活することで、自立心が出てくるものです。ご家族と会って里心が出るのを恐れているのかもしれません。自分の自立心にまだ自信がもてなくて、ああいう態度をとってしまうのでしょう。それに…」
「それに?」
「しんべヱは、きり丸に遠慮しているのかもしれません」
「そういえば、きり丸君には家族がいないとか」
「そうです。戦で亡くしたのです」
「だから、きり丸君の前では私と接するのを避けようとしている…?」
「しんべヱなりに、気を遣っているのでしょう」
 -あの甘えん坊のしんべヱが、そこまでできるようになったとは。
 福冨屋は、ふと視線を落とすと、寂しげな笑顔でため息をついた。
「私も、しんべヱに習って自立しなければならないようですな。今日は、しんべヱに会うのはやめておきます」
「しかし…」
 半助が当惑したように言いかけたとき、部屋の障子が開いた。
「ただいま戻りました…おや、しんべヱのお父上、お見えになっていたのですな」
「山田先生」
「ちょっと事情がありまして」

 


「そうでしたか。しんべヱが、そのようなことを」
 出張から戻った伝蔵は、旅装を解くと、半助と福冨屋の話に加わった。
「しかし、せっかくお見えになったのですから、会って行かれた方がいいと思うのですが…」
 同意を求めるように、半助が伝蔵に視線を向けたところへ、福富屋が声を上げる。
「いや、今日はむしろ、先生方とお話をしたいのですが」
「私たちと…ですか?」

 


 夕食後、客間に居心地悪そうに端座している伝蔵と半助の姿があった。
「どうかしましたかな?」
 福冨屋が訝る。
「いやあ、客間というところには、私たち教師もあまり来ることがないので、落ち着かんのです」
「そうでしたか。では」
 ひょいと福冨屋は立ち上がる。
「先生方がいつもお酒を飲まれるのは、どちらですかな」
「酒…ですか」
「そうです。実は、京の銘酒が届いたので、大川殿と酌み交わそうと思って持ってきたのです」
「いいのですか、それを我々が…」
「いいのです」
 泰然として、福冨屋はいう。
「大川殿には、先ほどお願いした軸をお渡しいただければいい。さて、どこでそれを飲みますかな」
「そうですな…私たちは、屋根の上で飲むことが多いのですが」
「しかし、少し危険なのでは」
 半助が言いかけたが、福冨屋は眼を輝かせて身を乗り出す。
「屋根の上ですか。それはいい。ぜひ、ご案内ください」
「しかしどうやって…われわれは飛び上がってしまいますが」
「はしごを借りてくればいいでしょう。吉野先生にお願いすれば、貸してくれますよ」

 


「なるほど。これは素晴らしいですな。いつもこのような場所で酒を酌み交わしているとは、先生方がうらやましい」
 教師長屋の屋根にはしごを伝ってようやく上った福冨屋は、明るい月夜に照らされた学園の様子や、吹き抜ける夜風が気に入ったようである。
「福冨屋さんこそ、いつもこのような銘酒を口にされているとはうらやましい」
 伝蔵が土器に注がれた酒を飲みながら言う。
「いえいえ…やはり、飲む場所でしょう」
 如才なく答える福冨屋の口調には、やや屈託がある。堺の宴席で飲む酒は、たしかに厳選された銘酒であることが多かったが、そこで飲む相手は諸方の大名やその使者だったり、京から下ってきた五山の僧や公卿だったり、会合衆やその他の商人仲間だったり、相手の口から漏れるどんな一言も逃してはならず、自分の口からいかなる本音や誤解を招く言葉を吐いてはいけない、いわば刃の下での宴席なのだ。酒の味などろくに覚えていないほど消耗することも珍しくない、そんな席での酒にどれほどの意味があるのだろうか。
「場所…ですか」
 半助も銘酒の味に顔をほころばせている。
「そうですとも」
 伝蔵と半助の土器に酒を注ぎながら、福冨屋は力強くうなずく。

 


「ときに今日は、われわれに、どのようなご用がおありだったので?」
「おや、分かっておいででしたか」
「まあ、薄々とは」
「しんべヱの手紙に惑わされたのは、事実なんですよ」
 福冨屋は苦笑して、手にした土器を干す。
「まあ、用件は、単刀直入にいくのがよろしいでしょう…忍術学園が、狙われています」
 伝蔵と半助の眉がこころもち上がる。だが、学園が狙われるのは、今に始まったことではない。
「おそらく、学園に直接攻撃を仕掛けてくるのは、ドクササコ忍者でしょう。しかし、その背後にはある城がある。彼らは手段を選ばないし、実行部隊のドクササコ忍者隊への物資の補給も、万全にするつもりでしょう」
「だとすると、少々厄介でしょうな」
 伝蔵が呟く。福冨屋の言う物資の補給が万全であるとすれば、まずは石火矢で総攻撃を仕掛けてくるに違いない。
 -そのまま心理戦につながりかねない。
 学園にも伝蔵のような火器の練達の者はいるが、数で圧倒されると勝負は厳しい。そもそも学園にいる人間のほとんどは忍たまである。
 さらに、多くの砲弾が打ち込まれ、学園の施設が受けるダメージを目にすることによる恐怖心は、忍たまたちに動揺を与えるだろう。パニックが広がれば、学園が内部から崩壊しかねない。防備は万全にもかかわらず、心理的動揺による内部崩壊から落城に至るケースは、決して珍しくない。

 


「なぜ、学園が狙われるのでしょうか」
 半助が訊ねる。
「その城は、最近、兵庫水軍の制海権を狙っています」
「ヤケアトツムタケではないのですか」
「それとは別です」
「従って、兵庫水軍と関係の深い忍術学園が邪魔だ、というわけですな」
 伝蔵が土器を干しながら言う。
「その通りです…表向きは」
「といいますと?」
 半助の問いに、伝蔵が代わって答える。
「おおかた、忍術学園の存在が、目の上のタンコブなのでしょう」
「さすがは山田先生。お見込みの通りです」
「忍術学園の非同盟主義が気に食わないということですか」
 半助も、気がついたようである。
「そういうことです。だから彼らは機会を狙っている。ご存知のように、最近、この辺りでは小さな戦が多く起こっていて、情勢が流動化している。彼らにとってはいい機会ということです」
「仮に、学園が制圧されたら…」
「兵庫水軍の制海権も危ないでしょう。背後に控える学園が叩かれれば、水軍は一時的にせよ後退を余儀なくされる。そうなれば、堺が危なくなる」
 伝蔵の分析を、福冨屋はうなずきながら聞いている。
「それが、われわれがもっとも恐れていることなのです」
「して、どうなさるのですか」
「いま、会合衆が総出で工作中です。彼らの同盟を壊し、兵糧攻めにして、当分身動きできなくなるようにしています」
「われわれにできることは?」
 気がかりそうに、伝蔵が訊ねる。
「高みの見物を、していただければよろしいです」
 あっさりと福冨屋は言い放つと、にっこりと笑顔になって伝蔵たちの土器に酒を注ぐ。
「大丈夫なのですか」
 福冨屋の土器に酒を注ぎ返しながら、半助が訊く。
「今は、忍術学園さんにしんべヱがお世話になっておりますからな。どうあっても忍術学園に手出しをしてくる相手には、座視できかねるものがあるのです…それに」
「それに?」
「いずれ、その城がどこかお分かりになるでしょう。そう遠くないうちに、領内で一揆が多発して、それをみたドクタケ城やタソガレドキ城が手を出すでしょう。そうなればドクササコも早晩見捨てるでしょう。その城は、もたないかも知れませんな」
 泰然と土器を干しながら語る福冨屋の眼に、半助は言葉を失った。
 -この眼は、人を殺す眼だ…
 半助はその眼に底知れぬ恐ろしさを感じていた。もちろん、福冨屋の眼にいくら殺気が宿ったとしても、自分たちのように刀を抜いて切りつけるわけでも、苦無を振りかざしたりするわけでもない。その代わりに、これと決めた相手は政治的に、経済的に、社会的に抹殺する。それは、自分たち忍が一瞬のうちに命を奪いとるより、はるかに残酷な結果をもたらすのではないかと思われるほど完璧な殺しなのだ。
 -そういえば、私が囚われていた黒松を相手にした騒動も、堺の福冨屋さんが関わっていたといわれている。
 それが、実は自分の身柄を巡る争いだったとは夢にも思わず、半助は思い出していた。半助を含めた全ての人にとって、あの騒動は、堺が長年支配してきた海上交易にちょっかいを出してきた黒松の勢力を、堺が撃退したものと受け止められていた。

 


 風が、やや強くなってきた。遠くの森の梢がごうごうと鳴っている。
「お寒くありませんか。大丈夫ですか」
 伝蔵が気遣うが、福冨屋はいつもの温和な表情に戻って言う。
「いえいえ。せっかくの機会ですし、まだ酒もあります。さあ、今度は、先生たちのお話を聞かせていただく番ですよ。学園の生徒たちのお話を聞かせてください…子どもたちがどのように学んだり、遊んだりしているのか、どんなことを考え、どんな生活をしているのか、ずっとそれが聞きたかったのです!」

 

 

<FIN>