こわがらせ
まだまだ暑い日が続いていますね…ということで、怪談に涼を求めるは組っ子たちを書いてみました。きっとこれだけ多くの男の子たちが寮生活を送る学園では、先輩後輩の間や同級生の間で、数限りない怪談が語られて、ビビりの心胆を寒からしめているのだろうな、なんて考えたり、そんなシーンを想像して萌え萌えしたりしたりしながら書くのは楽しいものです。
タイトルはシューマン「子供の情景」より第11曲"Furchtenmachen"
「ふう、いい湯だったね」
「ほんとほんと。一日の疲れが取れるってかんじ」
夜の忍たま長屋の廊下を、風呂上りの庄左ヱ門と団蔵が歩いている。
「団蔵、なにおじいさんっぽいこと言ってるんだよ」
後ろを歩いていた兵太夫が、団蔵の背を突付く。団蔵がえへへと苦笑いする。
「あ、そういえばさ」
庄左ヱ門が思い出したように言う。
「なに?」
「今日、委員会のときに、鉢屋先輩が変なこと言ってたんだ」
「なんて言ったの?」
「それがさ…」
言葉を切った庄左ヱ門は、声を低くして団蔵たちに向き直った。
「このまえ演習に裏々山まで行ったとき、物の怪を見たんだって…」
「ええっ!」
「ホント?」
思わず団蔵たちの声が上ずる。
「さあ、分からない」
元の声色に戻った庄左ヱ門が肩をすくめてみせる。
「鉢屋先輩のことだから、ちょっとからかっただけだと思うんだけどね」
「でもさ、もしかしたら本当に見たのかもしれないし…」
「そうだよ。その話、もっとくわしく教えてよ…」
兵太夫たちが身を乗り出す。
「べ、別にいいけど…」
思った以上に食いつきのいい兵太夫たちにたじろぎながら、庄左ヱ門は答える。
「じゃ、あとで庄左ヱ門たちの部屋に集合!」
「で、なんでは組全員集まっちゃうかなあ…」
伊助が当惑したような声を上げる。
「ま、いいじゃん。なんかこういうのって面白そうだし」
団蔵がいたずらっぽく笑う。
「で、続きを教えてよ」
わかった、と頷くと、庄左ヱ門は、三郎が話して聞かせたのと同じように声を低くして、少し身を乗り出して話し出した。
「先輩たちが裏々山の演習で野営しようとしたとき、道から少し外れたところに廃屋を見つけたんだって。それで、そこに野営することにして一歩中に足を入れたとき、なんかものすごい妖気を感じて、背中がすっと寒くなったんだって…」
「ねえ、あの三郎先輩がそんなに霊感があると思う?」
乱太郎が、横で寝そべっているきり丸にささやく。
「さあな。あんまそーゆーの信じなさそうだけどな」
きり丸もひそひそと返す。一呼吸おいた庄左ヱ門が続ける。
「…それでも、中に入ったとき、奥の暗がりでなにかがごそっと動いて…」
誰かがごくりと生唾を飲み込む。
「音のしたほうに目を凝らしてみると、真っ暗な中から赤い目がいくつも、じっと先輩たちの方を見ていて…」
「いぃぃ…」
震え上がった喜三太が、傍らの金吾にしがみつく。しがみつかれた金吾も顔面蒼白である。
「先輩たちもびっくりしてすぐに逃げ出してきて、学園に戻ってからいろいろ調べたらしいんだ。そうしたら、昔、裏々山に逃げこんだ平家の落人が、落人狩りにあって全滅したということがあったんだって。それ以来、落人たちの霊が物の怪となって、裏々山をさまよっているんだって先輩は言っていたんだ…」
最後は消え行くように声を低くしながら、庄左ヱ門は話を終えた。
「…」
しばし、全員が黙りこくっていた。その沈黙を破ったのは、兵太夫の笑い声だった。
「は、はは…そんなの、鉢屋先輩の作り話だよ。きっと庄左ヱ門をからかったんだよ」
「そ、そうだよ。それに庄左ヱ門も、へんに声を低くしたりして、妙な演出するんだから…」
伊助も尻馬に乗ったように続けるが、その顔はやや引きつっている。
「いや、分からないよ」
低く呟くような声に、みながぎょっとする。声の主は三治郎だった。
「な、なんだよ、三治郎…」
兵太夫が、珍しくおびえたような声でルームメイトを見やる。いつもはくりんとした眼を細めた顔に、灯影が揺れる。いつもとまるで違う印象の三治郎は、それだけでは組のよい子たちの心胆を寒からしめるには充分だった。
「ぼくの父ちゃんは山伏だけど、山伏の間では、山に住む天狗やヤマンバのあやしい術の話がいくつも伝わっていているんだ…」
「…あやしい術って…?」
誰かが震え声で訊く。
「たとえば、山の中にある小屋に一人で住んでいるおばあさんに、青い草の入った汁を振舞われた人がいたんだって。だけど、実はそのおばあさんはヤマンバで、汁を飲んだ人は馬に姿を変えられて、二度と戻ってこなかったという話があるんだ」
「ウ、ウソでしょ…」
「それに、いくつかの山では、一つ目の妖怪が出るって言われているんだ…」
「なにその一つ目妖怪って…」
兵太夫にも、もういつもの余裕はないようである。それでも、好奇心が恐怖を上回っているらしく、震え声で訊く。
「もともと、山の中で金属を作っていた人たちだけど、山の神様のたたりで一つ目一本足にさせられて
しまったんだって…」
「ねぇ、もうやめようよ…」
乱太郎にしがみついているしんべヱが心細そうな声を出す。
「これ以上聞いちゃったら、もう夜に一人でトイレに行けなくなっちゃうよ」
「じゃ、部屋に戻ってろよ」
きり丸が醒めた声で突っ込むが、しんべヱは激しく首を横に振って乱太郎の身体に顔を押し付ける。
「もうだめ。一人で部屋にいるなんてぜったいムリ」
しがみつかれた乱太郎が当惑した声を上げる。
「ねぇ、しんべヱ。こわいのはわかるけど、暑いからちょっとはなれてくれないかな…」
「それなら、俺も父ちゃんから、山に住む鬼の話を聞いたことがある」
団蔵が口を開く。
「オニ…!?」
「そう。馬借のあいだでは、鬼が住んでいるから、日が暮れてからはぜったい通っちゃいけないっていわれている峠がいくつかあるんだ」
「それって、どんなオニ…?」
金吾にかじりついたまま、震え声で喜三太が訊く。
「背は八尺くらいもあって、ツノが生えていて、人も馬もひとのみにしちゃうんだって…」
「ひぇぇ」
「ねえ、きり丸は、なにか怖い話はないの?」
三治郎が声をかける。
「俺か?」
皆の輪の後ろで寝そべっていたきり丸に、視線が集まる。
「俺は…、あんまそーゆー話は知らねえな」
ぼりぼり背中を掻きながらきり丸は答える。
-でも、いちばん怖いものなら俺だって知ってるぜ。
つまんないの、とばかりに速やかに離れていく視線を見送りながら、きり丸は考える。おそらく、仲間たちには理解が難しいであろう、そして自分には骨の髄まで刻み込まれた事実を。
-お前たちもそのうちわかると思うけど、ホントは、天狗や鬼や物の怪なんかよりもっと怖いのは、人間なんだぜ…。
<FIN>