Cosi fan tutti


Cosi fan tutteはモーツァルトの有名なオペラですが、tutteを男性形のtuttiにすると、「男はみんなそんなもの」という意味になります。

というわけで、思春期の男の子の悩みを三郎次に、あっさりと生物学的に切り捨てる役割を左近に、それぞれ務めていただきました。



「あの、伊作先輩…」
 医務室の当番の交代に訪れた伊作に、読んでいた本を片づけていた左近が遠慮がちに声をかけた。
「なんだい、左近」
 薬戸棚に向かって必要な薬種を懐紙の上に取っていた伊作がにっこりして振り返る。が、深刻そうな左近に怪訝そうに首をかしげる。
「なにか困ったことでもあったのかい?」
「い、いやその…こんなこと先輩にご相談してもよいものかなってずっと迷ってたのですが…でもどうしたらいいか分からなくって…」
 端座した左近が赤らめた顔を伏せる。思い当るところでもあるのか、再びにっこりした伊作が左近に対して座る。
「同じ委員会じゃないか。困ったことがあったらなんでも相談してくれていいんだよ」
「そ、そうですか、では、あの…」
 わたわたと舌をもつれさせながら言いだそうとする左近だったが、ますます顔を赤らめて口ごもってしまう。
「大事なところがちょっと変とか、そういうことかい?」
 いつまで待っても埒が明かないと思った伊作が単刀直入に訊く。果たして脳内で小爆発でも起きたかのように左近の顔が最大限に真っ赤になったと思うと機能停止したように表情が空白になる。
 -図星だったようだね。
 年頃の少年であれば不思議ではなかったが、それにしても、と不審に思う伊作だった。
 -左近や数馬にはいつも診察法を教える時に男女の身体に違いについても教えているし、身体の発達についても教えたはずだから、いまさらそんなことで思い悩むなんてことはないとおもったんだけど…。
 だから、これも率直に口にする。
「でも、左近がいまさらそんなことを気にするとは思わなかったよ。第二次性徴のことはとっくに理解してると思ってたし…」
「僕のことじゃないんです」
「左近のことじゃない?」
 唐突に遮る左近にふたたび首をかしげる伊作だった。
「じつは…三郎次が…」
「三郎次が?」
「はい…見るんです…おフロのときにいつも、僕の大事なところを…」
 ふたたび顔を赤らめながら左近がぽつぽつと言う。「…だから、僕の大事なところってそんなに変なのかなって。でも、伊作先輩に教わったとおりなら別に変なことはないはずなのに、だからどうしてかなって…」
「ふむ、そうか…」
 顎に手を当てて伊作は考える。「で、三郎次のはどうなんだい?」
「それが…うまく手で隠したりしてて、よく見えないんです。でも、あんまりじろじろ見ようとするのも変だし…」
「そうか。それなら…」
 合点が行ったように微笑んだ伊作だった。「もしかしたら、三郎次に第二次性徴が始まったってことかも知れないね。だから気になるんじゃないのかな、他の人がどうなっているのか」
 左近の眼が大きく見開かれた。
「そうなんですか?」
「まあ、僕の推測だけどね」
 ふたたび立ち上がった伊作は、懐紙に残りの薬種を取り始める。「だけど、左近くらいの年ごろだったらもう始まっていても不思議はないからね。だとすれば」
「だとすれば?」
 懐紙の薬種を薬研に流し込む伊作を眼で追いながら左近がおうむ返しに訊く。
「たいていの子は自分の身体の変化を不安に思うものだ。もしかしたら三郎次も同じかもしれない。それなら、保健委員の出番なんじゃないかな」
「保健委員の…出番…?」
「僕たちは知識を持っている。知識は使うためにあるって、いつも君たちに教えてるだろ?」
 ごりごりと薬研を使い始めながら伊作は言う。「だから、もし三郎次が不安に思っているなら、左近が教えてあげないと。心配することないよって」
「僕が…ですか…?」
「だいじょうぶ。左近ならできるって」
 手を動かしながら顔を上げた伊作がにっこりする。「だって、三郎次は左近の大事な友だちだろ?」



 -僕ならできるって先輩はおっしゃるけど…。
 夜の自室で文机に向かって医務室から借り出した薬の調合法の本を書き写しながら左近は考える。
 -そもそも三郎次が本当にそのことで悩んでいるかどうかもわからないし、もしそうだったとしてもどう聞きだせるっていうんだろう…。
 生物学的な知識はそれなりに伊作から教えられていたから、聞かれれば答えることもできるだろう。だが、聞かれもしないのにどう教えられるというのだろう。
 -だいたい、伊作先輩は人間の身体の構造のことになるといさぎよすぎるんだ。僕や数馬先輩はまあ慣れたけど、成長期の男女の身体がどうのなんて、僕たちの年ごろにはシゲキが強すぎるのに、そういう発想がぜんぜんないんだから…。
 口にできない愚痴をならべながら黙然と筆を動かしていたとき、廊下を見知った足音が近づいてきてがらりと襖が開いた。
「ただいま…あ、ごめん。ジャマしたか?」
 入ってきたのは制服から硝石の臭いを漂わせた三郎次である。
「おかえり。別に、そんなことないけど」
 本と帳面に交互に眼をやりながら左近はぼんやりと返事する。
「そっか」
 部屋の真ん中に突っ立ったまま三郎次はしばし文机に向かう左近を凝視する。「もう、フロは済ませたのか」
「ああ」
 顔も上げずに筆を走らせる左近はすでに寝間着姿である。
「…そっか。じゃ、僕もフロにしようかな」
 手拭いを手にしながら取ってつけたように言う。「臭いだろ? 硝石ってどうしてあんなに臭いんだろうな」
「…だね」
 生返事の左近にいよいよ間が持たなくなった三郎次は、わざとらしく咳払いしながら「じゃ、フロ行ってくる」と言って部屋を出ていく。
 -ホントは一緒に入りたかったんだろうな…。
 黙然と筆を動かしながら左近は考える。
 -でも、ちょっと今日はカンベン。三郎次が何に悩んでいるのか、もうちょっと考えたいから。



「おい、聞いてくれよ!」
 翌日の夜だった。左近たちの部屋の襖をがらりと押し開けて久作がずかずかとやってきた。
「な、なんだよいきなり」
「どうしたんだな」
 部屋には四郎兵衛が先客で訪れていた。話し込んでいた三人が一斉に振り向く。
「だいたいさ、くノ一の連中は生意気なんだよ」
 まだ興奮が収まらないらしい久作が息巻く。
「まあまあ、ちょっと落ち着きなよ。いったい何があったの…?」
 おっとりと四郎兵衛がなだめるが、カッカしている久作には届かないようである。
「聞いてくれよ四郎兵衛! さっき図書室の当番してたらくノ一の連中が来てワーワー騒ぐから静かにしろっていったら、そんなに騒いでないだのあんたの方がうるさいだの言った挙句に、そんなんだと彼女できないだの細かい男は嫌われるだの言いたいこと言いやがったんだぜ! そんなのってアリかよ! 俺は図書委員として当然の注意をしただけなのに、なんであそこまで言われなきゃならねえんだよ!」
「ああ、それはひどいね。久作は悪くないのにね」
 いかにも同情したように四郎兵衛が言う。
「だろ? 四郎兵衛なら分かってくれるよな! この俺の理不尽な気持ちをさ…!」
「…てか、2人とも僕たちの部屋でなにやってんだよ」
 四郎兵衛の手を取らんばかりに言う久作に、三郎次が突っ込む。
「なにって、さっきの俺の話、聞いてなかったのかよ!」
「まあまあ久作、もう少し小さい声で話そうよ。じゃないと先生に怒られちゃうよ」
 ふたたびいきり立つ久作を四郎兵衛がなだめる。
「たしかに、彼女できないは余計だよね」
 左近が言う。
「大きなお世話だよな」
 三郎次が頷く。
「左近たちもそう思うだろ?」
 久作がふたたび口を開く。「だいたい、ちょっとくらい背が高いからって俺のことガキ扱いしやがって、ホント生意気なんだよあいつらは!」
「でも、同い年なのに、どうして女の子ってあんなに大人っぽく見えるのかなあ」
 誰にともなく問う四郎兵衛だった。
「まあ、女の子の方がすこし早く成長が始まるからね」
 落ち着き払って解説する左近に、全員の視線が集まる。
「え? なにか変なこと言った?」
 視線を感じた左近が慌てて凝視する三人の顔をきょろきょろと見る。
「いや、そうじゃないけど…」
「そんなもんなのかって思ったから…」
  


「なあ、左近」
 久作たちが帰ったあと、おもむろに声をかける三郎次だった。
「なに、三郎次」
 布団を敷いていた左近が応える。
「女の子の成長が早く始まるのはそうなんだろうけど、男はいつごろからなんだろうな」
 敷き終わった布団の上に胡坐をかいた三郎次が、顔を伏せながらぽつりと訊く。
「いつからって…もう始まっていてもおかしくはないよ」
 人によって早い遅いはあるらしいけど、と敷いたばかりの布団の上に座った左近は付け加える。。
「そうなのか…やっぱり」
「やっぱりって?」
「…だって久作はもう生えてるし…」
 言いさして三郎次に不意に納得した左近だった。
 -そうか。三郎次はまだ始まってなかったから気になっていたんだ…。
 であれば、そう心配するものでもないと教えてやらなければと左近は考える。これこそ伊作の言う『保健委員の出番』なのだ。
「そうだっけ?」
 全く関心を払っていなかったように左近は口を開く。「そういえば、久作は声変わりも早かったよね」
「そうだよ! なのに僕はまだそんな気配もないし…だから他のヤツはどうなのかなって気になって…!」
 果たして左近の予想は図星だったようである。溜まった懸念を吐き出すように三郎次は声を荒げる。
「そんなに気にすることないよ」
「気にするさ! もしこのままだったらどうしようって、考えたらいても立ってもいられないんだ!」
 一気に言いつのる三郎次だったが、急に恥ずかしくなったらしく顔を赤らめる。
「そんなことないって。伊作先輩に教えてもらったけど、そういうのを第二次性徴っていうんだ。男のばあい、声変わりしたり、アソコに毛が生えてきたりするんだけど、人によって差があるから、早いヤツは早いし、そうでなくても必ずそうなるから心配しなくていいんだ。だから…!」
 思わず身を乗り出しながら説明する左近だった。「気にすんなって! 僕だってまだだし、心配になったこともあったけど、伊作先輩に教えていただいたんだ。1年か2年早い遅いはあるけど必ずそうなるって。だから三郎次も大丈夫だよ!」
「そう…なのか…?」
 熱く語る左近に思わずたじろぐ三郎次だった。
「そうだよ! 伊作先輩がおっしゃるんだから間違いないよ!」
「なら…そうかもしれない…な…」
 少し落ち着いてきたらしい三郎次が自分を納得させるように呟く。



「なあ…保健委員会って、いつもそんな話してるのか?」
 ややあって落ち着いてきた三郎次が訊く。
「そんな話って?」
 考え込むように黙り込んだ三郎次をそっとしておこうと文机に向かって書を読んでいた左近が振り返る。
「いや、だから、その…人間のカラダのこととか…」
「もちろん」
 何を当然のことを、と言いたげに左近が視線を向ける。「男と女でも身体の作りは違うし、病状が違うこともあるからね」
「って、それじゃ女の人のカラダも…?」
「もちろん」
 当然のように左近は頷く。
「それって、その…どうやってベンキョーするんだ? し、春画とか…?」
「まさか」
 左近が肩をすくめる。「そんなもの使うわけないじゃないか」
「だ、だよな…やっぱり…」
 誰かが倉庫の奥に隠していた春画をたまたま見つけて思わず見入っていたときのどこか後ろめたさを伴った興奮とその後に訪れた体の一部の異変を思い出した三郎次だった。まさか、医務室であんなものを広げて伊作が真面目くさって解説し、数馬や左近たちが熱心に見ているなどという図はありえないように思えた。だが、続けて左近から飛び出した台詞はあまりに予想外だった。
「もっと詳しい図入りの本があるんだ。そうじゃないと女の人のカラダの構造なんて分かるわけないじゃないか」
 ホンモノを見るわけにはいかないんだし…と付け加えた左近は、いかにも当たり前のことに何をいちいち反応しているのだと言わんばかりである。だが三郎次にはあまりにショッキングな事実だった。あれだけ露骨な描写のある春画よりも詳細な女体の図が描かれている本が存在していて、しかも眼の前にいる同級生はそれを見たというのだ。
「そ、そうなのか…でも、どうして…?」
「どうして、って言われても…」
 左近の表情に当惑が浮かぶ。「南蛮瘡(なんばんかさ・梅毒)のことを教えてもらったときにね…足軽や武士でも感染者が多いから、戦場で負傷者の治療をするときには注意するように言われているんだ」
「南蛮瘡?」
「そう。南蛮から伝わってきたと言われているから南蛮瘡っていわれているけど、琉球瘡っていうこともあるみたいなんだ。どっちにしても、男の人と女の人が交わって移る病気で…」
「へ!?」
 頓狂な声に、却って左近がびくっとする。
「どうしたんだよ。へんな声出して」
「い、いや、だって…交わる、とか」
「春画くらい見たことあるだろ?」
 左近の口調は変わらない。いっそバカにしてくれたほうがこちらも対抗しようがあるのにと思いながらもつい反発する三郎次だった。
「あるに決まってるだろ! バカにするなよ!」
「バカにはしてないけどさ…」
 肩をすくめた左近が続ける。「要はそういうことを通じて感染するおそろしい病気だってことだよ。治療法が見つかっていないからね」
「そ、そうなんだ…」
 曖昧に返事しながらいつの間にか股間に手をやっていた三郎次の背が徐々に丸くなっていく。
「だから、これからどんどん性について興味が出てくるだろうし、春画を見たりすることもあるだろうけど、そういうリスクもあるってことは気に留めておいた方が…って、どうかした?」
 淡々と説明していた左近が三郎次の様子に気づいて声をかける。
「い、いや…お前が交わりだの春画だの言いやがるから…」
 脂汗を流しながら三郎次が口ごもる。
「あ、そうか。勃っちゃって痛むの?」
 あっさりと訊く左近にこれ以上もないほど顔を赤くした三郎次が身を屈めながら恨みがましい視線を向ける。
「あのさっ! …左近には思春期の少年の恥じらいとかためらいとか、そういう感覚ないのかよ…!」
「だって、男の身体なんてそんなもんなんだし、しょうがないだろ? そのうち剥ければ痛くなくなるから…あ、でもムリに剥こうとしちゃダメだよ。傷口から雑菌が入るかもしれないから」
 肩をすくめながら機械的に語る左近に、股間を抑えたままの三郎次が怒鳴る。
「そんな客観的に言うな! 僕はいま痛いんだぞ!」
 やれやれ、と左近が肩をすくめる。
「三郎次はちょっと反応が激しすぎるんじゃない? ちょっと話題にしただけでそんなになっちゃうんじゃ、伊作先輩の女の人の身体の構造の話を聞いたら…」
「だぁぁっ! やめろっ! 左近こそ鈍すぎるんだよっ!」
 さらに真っ赤になった三郎次が怒鳴る。
「そうかなあ」
「そうだよっ! 男ってのはそういうもんなんだよ!」
「いや、僕も男なんだけど…」



<FIN>



Page Top  ↑