HERO

 

留三郎と伊作の絆は、普段はちょっと仲がいい程度の友情のようであっても、いったん相手にことが起こったときには自己犠牲をいとわない強さを見せるのではないか…という願望が結実したお話です。

学園では文次郎と互角に戦える留三郎ですが、プロ相手にはまだまだ及ばないようです。それでも伊作のために立ち向かう姿は、結果はともあれ実にいいものです。(やや自家中毒はいってますw)

 

 

「これは、どういうことだ?」
 冷たい声が放たれて、尊奈門の背に冷たい汗が伝う。
「どうしたと言われましても…オーマガトキ城との戦で…」
「そんなことはわかっている。この負傷者の多さはどういうことだと聞いている。それに、医者はどうした」
 覆面姿の首領の声はいつものように平板だったが、側近く仕えている尊奈門には、首領の怒りがまともに伝わってくる。それは周りに控える陣内たちも同じである。
「侍大将には、オーマガトキ軍の遊撃隊が北の崖から左側面を狙ってくる可能性が高いと何度も進言したのですが、主力の分散は詭道であると言って聞く耳を持ってもらえませんでした。そのため、忍者隊だけで遊撃隊を食い止めざるを得ませんでした」
 自身も激しい戦闘で忍装束のあちこちに埃や血しぶきを浴びている陣内が悔しそうに報告する。
「医者はどうした」
「それが…」
 陣内が覆面の下でぎりと歯を噛みしめる。
「負傷者が多く出たので医者を寄越すよう言ったのですが、本陣にも負傷者がいるので、忍者隊にまわすことはできないと侍大将が…」
 医薬品や包帯を持ち帰るのが精いっぱいだった。
「…あの馬鹿が」
 舌打ちとともに吐き棄てた昆奈門がおもむろに立ちあがる。
「いずれにしても、治療の手が足りない。幸い、この近くに頼りになる人物がいるようだ。急いで連れてくるのだ」
「は」
 短く答えた部下たちが姿を消す。

 

 

「いっててて…」
「おい、伊作。大丈夫か」
 イノシシ狩り用の古い穴に落ち込んだ伊作を、留三郎が引っ張り上げる。
「ああ。すまない、留三郎」
 ようやく穴から這いだした伊作が苦笑しながら見上げる。
「ったく、作戦行動中なんだから頼むぜ」
 仕方ねえな、と留三郎が肩をすくめる。
「ああ。これからはもっと気を付けるよ」
「気を付けてなんとかなるならいいんだけどな」
 ほら、お前のだ、と薪を積んだ背負子を渡す。留三郎と伊作は、タソガレドキとオーマガトキの戦の状況を探るよう命じられて、炭焼きに扮して戦場近くの山野を巡っていた。
「ありがとう」と背負子に腕を通した次の瞬間、2人は気配を察して苦無を構えた。敵の姿は深い藪や木々に隠れて見えない。
 -相手は…思ったより多いな。
 -ここは分かれて突破しよう。僕が煙玉を投げつける。
 -よし。分かった。
 素早く矢羽音で意思を確認すると、伊作が苦無を構えていない方の手をそろそろと懐に入れる。打竹の火を点火して、導火線が十分短くなるまで懐の中に隠す。
 -今だ! 
 煙玉が爆発する寸前に、もっとも敵の気配が濃い藪に投げつける。もうもうと煙が立ち上った瞬間、2人の足が地を蹴った。
 -よし、このまま囲みを突破して…。
 敵の気配の薄い地点に向けて駆け抜けようとした瞬間、足首に衝撃をおぼえた。
 -!
 何が起きたか分からなかった。構わずもう一方の足で地面を蹴りつけようとしたとき、数人の忍が藪から飛び出してきた。
 -これは…。
 思いがけず知った顔が現れて、一瞬動きにためらいが現れる。その瞬間を見失わなかった敵の忍の拳が伊作の鳩尾に打ち込まれる。
「伊作! どうした!」
 異常を感じ取った留三郎が振り返りざまに声を上げる。だが、敵の動きは素早かった。気を失った伊作の身体を担ぎ上げた忍を特定されないように気配を分散させながら散っていく。
「伊作っ!!」
 留三郎の叫び声が林の中に響く。

 


 -ここは…?
 ぼんやりとした意識が徐々に周囲の喧騒を捉えはじめる。
 -薬、湯、血、土間のにおい…ここは病院?
 嗅覚が、自分がどこにいるかを教えている。
 -ということは、ケガ人が!?
 そこまで考えが至った瞬間、伊作はがばと飛び起きた。そして、自分が古びた農家らしい建物の板の間に寝かされていたことに気付いた。
「おや、ようやくお目覚めのようだね」
 枕元から知った声がする。起き上がった伊作は声に向かって端座した。
「これはどういうことですか。留三郎は?」
「君にぜひとも頼みたいことがあってね。御足労いただいたという次第だ」
「留三郎はどこです」
 伊作の眼が険を帯びる。
「君と一緒にいたお友だちかね」
 じらすように言葉をはさむと、昆奈門は眼を細めた。
「どこにいるのかと聞いています」
「我々が用があるのは君だけだ。お友だちには手を出していない。きっと今頃、学園に戻っているだろうさ」
 じらした割にはあっさりと言い放つ昆奈門に、思わず伊作の肩から力が抜ける。
「そうですか…ならよかった」
「そこで、君に頼みがあるのだが」
「人に何かを頼むには、それなりのやり方があると思いますが」
「ことは急を要している。君には申し訳ないと思っているが、これよりほかに方法がなかった」
「どういうことですか」
「あれだ」
 昆奈門が顎をしゃくった方に眼をやった伊作は顔色を変えた。
「どういうことですかこれは…皆、ひどい傷ではないですか…!」
 隣の部屋の薄暗い板の間には、大勢の患者が横たわっていた。時折あがるうめき声がようやく耳に届きはじめた。
「オーマガトキの遊撃隊が思ったより強力でね。このありさまだ」
「タソガレドキ軍の陣には、医者はいないのですか?」
「いるのだがね。本陣のケガ人の治療で手一杯だ」
 自陣のお粗末な医療体制を外部のものに打ち明ける必要はない。分かってはいたが、なぜあの不遜な侍大将をかばうような言い方をしているのか、昆奈門は苛立つ。
 -あの戦バカをかばい立てする義理など、カケラもないはずなのだが…。
「とにかく、治療を始めなければ!」
 いつの間にか手にしていた救急箱を開きながら、伊作は早口に指示を出す。
「まずは手元にある薬と包帯を全部出してください。あと水が大量に必要です。誰か、僕の手伝いをしてくれる人を2,3人つけてください。それから…」

 

 

 -くっそ、クソタレガキの連中め…!
 留三郎は足早にタソガレドキの陣幕に向かっていた。留三郎の眼は捉えていた。伊作を襲撃した敵がタソガレドキ忍者隊であることを。
 だから留三郎は、学園に戻って仲間たちに事の次第を報告すると、作戦行動に加われと言われる前にそっと学園を抜け出してまたこの場所へ戻ってきたのだった。
 -ったくアイツら、何考えてやがる。伊作をちやほやしてたと思ったら、あんな風にいきなり誘拐しやがって…こうなったら学園を代表して俺がクソタレガキの連中を叩きのめして伊作を取り返してやる…!
 タソガレドキ忍者隊の陣の場所は伊作と偵察中に押さえてある。どういう目的か知らないが、伊作が囚われているとすれば、陣の中のどこかに違いない。陣は山のふもとの森に囲まれた場所にあった。背後の山からなら、陣の様子も探れるかもしれない。森の中に張り巡らされた警戒線をそっと潜り抜けて進みかけたとき、
「待て!」
 相手の気配を感じたのと同時に鋭い声が響いた。
 -お出ましになったか。
 苦無を構えながら留三郎も声を上げる。
「お前たちに言いたいことはいくらでもあるけどな…」
 言葉を切って軽く息を吸い込む。その間に相手の気配が増える。その中に、ひときわ長身の隻眼の男も含まれていることに留三郎は察していた。だから、ひときわ声を張り上げて咆える。
「…伊作を返しやがれっ!!!」

 


「やだ」
 至ってシンプルな答えを返しながら、タソガレドキ忍者隊の首領が眼の前に姿を現した。
「んだと…!」
 留三郎が唸る。
「…だったら奪い返すだけだぜ!」
「ほう」
 覆面から覗く隻眼が細められる。
「ずいぶん威勢のいいことだ。まあいい。私もそれほど暇ではないのだが、ほかならぬ伊作君のお友だちのリクエストなら少しくらいなら付き合ってもいいよ」
 -畜生、なめやがって…!
 だが、それは挑発だと感覚が教えていた。
 -そんな簡単な怒車の術にはまってたまるか!
 だから苦無を構えたまま留三郎はにやりと歯を見せる。
「俺だってそんなにヒマじゃねぇ…だが、そっちが伊作を返さねえなら力づくだ」
 やれやれ、と肩をすくめた昆奈門が六尺棒を取る。
「そこまで言うなら付き合ってあげるよ。どこからでもかかって来い」
「言われなくてもそのつもりだっ!」
 留三郎の足が地を蹴る。
 

 

 苦無を突き立てながら突進してくる留三郎を前に、昆奈門は泰然と立っている。
 -直前で身をかわすつもりだな。右か、左か?
 走りながら考えたとき、その姿がふっと消えた。
 -右だな!?
 身を翻して相手に対面しようとしたが、そこには誰もいなかった。と、背後に気配を感じる。身をかがめたその上を棒が貫く。
「青春に向かって突き進むのはいいが、敵に向かうときの猪突猛進は命をさらす行為だよ」
 揶揄する台詞に、頭に血が上る。
「るせぇ! うおりゃぁぁぁっ!!」
 苦無を構え直した留三郎が突進する。

 


「ところで、得意の鉄双節棍は今日は使わないのかね」
 斬りかかってくる苦無をひょいひょいと避けながら昆奈門が言う。
「何を使おうがお前には関係ねえ!」
 斬りかかる動きを見せて足払いを仕掛ける。だが、あらかじめ知らされてでもいたようにひらりとかわされた。
 -畜生! さすがはタソガレドキ忍者隊の組頭ってとこか…!
 荒くなり始めた息を悟られないように体勢を立て直す。相手に息が上がっている気配はない。
「さて。ウォーミングアップはこの辺にしておくかな」
 聞こえよがしに呟くと、棒を八相に構える。
 -くそ…でけえ…。
 長身の昆奈門が六尺棒を立てて構えている。自分の身長の倍以上もありそうな高さから振り下ろされる棒先は、どれだけの破壊力があるだろうか。
 -こうなりゃ、相手の懐に飛び込むしかねえ。
 棒を振りかぶっている分だけ前も脇も空いている。そこを衝くしかないと思った。当然それは相手も意識しているところだろう。だが。
「ウオォォォォォッ!!」
 身を低くした留三郎が雄たけびを上げながら昆奈門めがけて突っ込む。振り下ろされる棒の動きがスローモーションのように追えた。
 -よし! ヤツの前はがら空きだ!
 勢いがつきすぎた棒先は、ひらりとかわした自分の身体があった場所をむなしく切り裂いて地面に激突する、はずだった。だが、次の瞬間、間近にあったはずの昆奈門の身体も棒も消えた。
 -なに!?
 どちらにかわされたか、と素早く左右を探ろうとしたとき、左の太腿に強烈な打撃を受けた。
「うがっ!」
 思わず声が漏れる。とっさに右足で飛びのく。あやうく足から強引に倒されるところだった。そして、ようやく昆奈門が背後に飛びのきざま、左から棒を当ててきたのだと気付いた。
「おやおや。私の棒を受けて立っていられるとはたいしたものだ…」
「うるせえ! そんなことより伊作を返しやがれ!」
「だからやだって言ってるじゃん」
 からかうように口調を崩すと、棒がふたたび襲い掛かる。
 -なんだこの棒の動きは…。
 身を翻して避けながらも、予想外の動きをする棒先にテンポを乱される。それは留三郎が学んだ棒術のセオリーからは考えられないものだった。
 -くっそ、近寄れねえ…。
 棒の動きは容赦なかった。空を切り裂き、或いは衝いて変幻自在の動きを見せていた。これが自分を攻撃してくるものでなかったら、うっとりと見つめていたいほどのしなやかな動きだった。
「くっ!」
 苦無を構えた小手を狙っていた棒先が唐突に脚払いに転じる。辛うじて身を翻して避けたが、今度は胴を狙って突きが集中する。必死でかわしているところにまた棒先が違う動きを見せる。  
 -なに!?
 棒先は脚払いをかけてきたように見えた。素早く飛びのいて避けたはずだった。だが、空を切って通りすぎるはずの動きがなかった。次の瞬間、左肩に電流が走ったような痛みをおぼえた。
 -くっ!
 うめき声を辛うじて呑み込んだ留三郎の視線が、ようやく背後にいる昆奈門の姿を捉えた。
 -くそ…いつの間に後ろにいやがった…。
 だが、その腕の動きまでは追い切れなかった。背後の殺気を帯びた気配を感じてとっさに避けようとした瞬間、背中をどうと棒先が突いた。
「うっ!」
 自分の身体が前へ突き飛ばされた。そしてどうと地面に投げ出されるまでがひどく長く感じた。
 痛みを感じるいとまもなかった。手をついて上体を起こそうとする間もなく、棒が降り注いでくる。ごろごろと転がりながら避けるのが精いっぱいだった。
「おやおや、学園一の武闘派はもう降参かね」
 ひときわ大きく振りかぶった棒が振り下ろされる。直撃されたら死ぬ、と感じた。
「んなわけねぇだろっ!」
 自分でも驚くほどの瞬発力で辛くも棒先を逃れると、昆奈門が構えを直す間に立ちあがって体勢を立て直す。だが、それもほんの短い間だけのことだった。
「そうかな。私には君が得物を間違えたように思えるのだがね」
 言いながら再び棒の猛攻が留三郎を襲う。
「うっせぇ」
 口では返しながらももはや留三郎は防戦一方である。全身の筋肉に着実に疲労の重しがのしかかっていた。重しは留三郎の動きから俊敏さを奪い、動きの鈍くなった身体は棒を避けきることもできなくなっていた。背中や腕、尻を打たれるたびに、ダメージは累増して全身を責め苛んだ。
「おやおや、そんなことでは伊作君を助けるどころではないね」
 伊作、という言葉に身体が反応する。一瞬だけ、全身に力強く血液が循環して筋肉にへばりついていた重しが消える。だが、ふたたび襲い掛かる棒が全身を痛めつける。そして、そのたびに昆奈門は「伊作君を助けに来たんじゃなかったのかね」と言うのだ。
 -くそ、人を生殺しにしやがって…。
 昆奈門があえて伊作という言葉を浴びせているのは明らかだった。そうして留三郎を強制的に蘇生させ、そしてまた痛めつけるのだ。

 


「もう降参かね。残念だね、伊作君はこの奥にいるのに」
 昆奈門が伊作の名を口にするのは何度目だろうか。全身の血管に電流がはしったように、留三郎の意識が一瞬クリアになる。だが、それはほんの一瞬にすぎなかった。すぐに意識はどんよりした暗がりに沈んでいく。
 意識だけではなかった。全身の感覚が泥のように鈍く重くなっていた。痛みさえ疲労の泥の中で遠い感覚でしかなくなっていた。
「はぁっ…はぁっ…」
 それでも荒い息を吐きながら、留三郎はよろめき立った。いや、もはや立ちあがったという意識すらなかった。与えられた刺激に対する脊髄反射のような闘争意欲だけが、留三郎の身体を立たせていた。
「ほぅ」
 隻眼が細められる。
「これだけ痛めつけられてもまだ立つ気力があるとは、さすが武闘派の忍たまだね」
 そのとき、昆奈門に近づいた部下の一人がなにごとかささやいた。「うむ」と頷くと部下は素早く後ずさる。
「るせぇ」
 荒い息の間から吐き捨てると、留三郎は苦無を構える。
 -俺はコイツに勝つ! 勝って、伊作を取り返す!
 だが体力はすでに限界だった。むしろ立っているのがやっとの状態だった。先ほどから視界がかすんでいるのを感じていた。気を失いかけているのだろうか、と朦朧とした意識の中で考える。
 -いや、まだまだだ! こんなところで負けたら伊作はどうするんだ…!
 それなのに、自分はこんなにもダメージを受けているというのに、相手は余裕綽々なのだ。先ほどから何度となく加えられた攻撃も、明らかに手加減していた。
 悔しかった。自分の無力が情けなかった。伊作を救いだすためにここまで来たのに、伊作のもとにたどり着くことすらできない自分がみじめだった。プロと忍たまの差はあれ、たった一人を相手に自分は負けようとしていた。
 -俺は伊作を取り返す! そのためなら腕や足の一本くらいなくなっても構わねえ…!
 ふたたび体内を弱々しいながらもアドレナリンが駆け巡る。くっと歯を食いしばって顔を上げて相手を睨み据える。 
 -?
 ふと、視界から昆奈門の姿が消えた。
 -しまった! 背後に回り込もうとしている!
 慌てて振り返ろうとしたとき、頭上から気配が迫ったと思うと、背中に強烈な打撃を受けた。
「ぐぁっ!」
 自分の声が脳天に響いた。バランスを崩した身体が倒れ込む。それは一瞬のことだったのかもしえないが、ひどく長く感じた。スローモーションで迫ってきた地面に衝突する寸前に、留三郎は意識を失った。

 


「…で、留三郎はどうした」
 文次郎が腕を組む。
「一人で出かけたようだな」
 懐から出した地図を広げながら仙蔵が言う。
「アイツ一人であのくせ者と戦うつもりか」
「そうなのだろうな」
「バカな。いくら伊作と後輩のことになると歯止めが利かないからって…」
 文次郎が眉を寄せてうなったとき、
「文次郎! 仙蔵! いま戻ったぞ!」
 がらりと襖を開けて小平太が上がり込む。そのうしろから長次がのっそりと姿を見せる。
「そんなにデカい声で言わなくても分かっている。それでどうだった、タソガレドキの動きは」
 腕を組んだまま文次郎が訊く。
「ああ、事情はだいたい分かったぞ」
 小平太と長次が地図を囲んでどっかと座り込む。
(タソガレドキは伊作たちが戦況を調査に潜り込んでいることに気付いていたらしい。オーマガトキ軍の別動隊がタソガレドキの本体を脇から攻撃するのを食い止めようとして、タソガレドキ忍者隊に負傷者が出ので、近くにいた伊作を誘拐したようだ。本陣の医者が動いていないところを見ると、本陣のケガ人だけで手一杯なのかもしれない)
 もそもそと長次が解説する。
「それなら、自分の城から医者を呼べばいいだろうが」
「ムリだろうな」
 むすっと言う文次郎に、仙蔵が即答する。
「どういうことだ」

 文次郎がぐいと太い眉を持ち上げる。
「戦のあった場所はタソガレドキ城からは遠い。医者を呼んだとしても一日がかりだ。その前に負傷者は助からないと思ったのだろう」
「だからって、なにも伊作を…」
 あまりに理不尽に思えて、文次郎は言わずにいられない。
「学園の生徒を誘拐したとなれば、学園との対立は決定的になる。それだけ切羽詰まっていたということかも知れない」
「それで、伊作はどうなるんだ」
「ふむ…タソガレドキが素直に返すとは考えにくいが…」
 仙蔵が顎に手を当てて軽く首をかしげる。
「すぐ返すんじゃないのか?」
 やり取りを聞いていた小平太があっさりと言い切る。3人が顔を上げる。
「どういうことだ、小平太」
「なに、簡単なことだ。アイツら、ケガ人が大勢いるから伊作を呼んだんだろ? なら、ケガ人が治れば用はなくなるだろう」
「そうは言うが、学園との関係をここまで悪くした以上、用が済んだから返しますとはいかないだろう…」
 当惑気味に仙蔵が言ったとき、長次がもそもそと口を動かした。
(タソガレドキが返しやすい条件を作ってやれば、案外あっさり済むかもしれない)
「条件?」
(こちらが、伊作が誘拐されたと騒がなければいい。伊作はいつも戦場に潜り込んではケガ人の治療をしている。今回もたまたまタソガレドキとオーマガトキの戦場に紛れ込んだと学園では認識していることを知らせればいい)
「ん? どーいうことだ? もっと分かりやすく教えろよ」
 小平太が口をとがらせるが、仙蔵はすでに何か思いついたように頷く。
「なるほど、それはいい作戦かも知れない。この件はまだ先生方には報告していないからな。だが、タソガレドキは、完全に学園が敵対してくる覚悟でいるだろう。どうやってお前のシナリオを先方に知らせる?」
(伏木蔵だ)
 間髪入れず答えた長次に、皆が一瞬言葉を失う。よりによってビビリの一年ろ組の伏木蔵を一触即発状態にある相手への使者に立てるだと?
「…なるほどな」
 しばし考え込んでいた仙蔵がつぶやく。「伏木蔵は雑渡昆奈門になついていると聞いたことがある。それに、一年生ならタソガレドキといえども手を出すとは考えにくい」
「そうだな。伏木蔵はああ見えて案外図太いところもあるしな」
 文次郎が頷く。自分をつかまえてあっさりとひどく失礼なことを言い放つような後輩であれば、危険な使者の役柄も案外こなせるかもしれない。

 


「組頭も、なにもここまで…」
「あえて失神させたんだ。わからないのか」
 気を失った留三郎の身体を担いだ尊奈門と陣内左衛門がぼそぼそと話している。
「どういうことですか?」
 尊奈門が訊く。
「コイツをあれ以上戦わせるのは危険だった。あれ以上やれば、コイツは死に物狂いでかかってくるだろう。これまでは手加減していたが、そうなったときには不測のことが起きかねない」
「本気で攻撃してしまうかも、ということですか」
「そうだ…」
 留三郎の顔をちらと見下ろした陣内左衛門が言う。 
「コイツの実力はまだ忍たまレベルだが、根性だけはあるようだ。あれだけやられてもまだ立ちあがって戦おうとしていた。だからこそ危険だと組頭も思われたのだ」
「ですが…」
 伊作が仲間たちの治療を終えるまでの時間稼ぎに、手加減しながらも痛めつけていたというのも確かだと尊奈門は考える。 
「コイツはたしかに負けた。それも一方的な負けだ。だが、この経験がコイツを強くする。そう思われたのだろう」
 陣内左衛門はそう理解していた。そうでなければ、尊奈門が言いかけたように、もっと早い段階で片づけていたはずである。
 救護所に着いた。

 


 救護所といっても、住人の逃げ出した農家を拝借したものに過ぎない。当然、医療設備はないに等しかった。陣に同行していた医者が持ち込んでいた医療器具や薬で何とか治療を続けるしかなかった。
 -まあ、何もない戦場で手持ちの救急箱の薬や包帯だけで治療するよりはずいぶん立派な野戦病院というべきなのだろう…。
 いま伊作は外傷の治療に使う膏薬の薬を作っていた。とりあえず救護所に運び込まれた患者の手当ては全て済ませていたが、いずれも応急処置である。包帯を交換するときに塗ってやるための薬を用意しておく必要があった。囲炉裏を使って薬種の入った壺を火にかけ、口の中で薬を作るときの呪文を唱えながらかき混ぜる。そのとき、
「伊作君、患者だ」
 開けっ放しの戸口に人影が現れた。
 -今頃運び込まれるということは、発見が遅れたのだろう…もしかしたら手遅れかもしれない。
 頭の片隅で小さく覚悟を固めると声を上げる。
「分かりました、高坂さん。こちらへ寝かせてください」
 囲炉裏の近くの床を示しながら、包帯を取り寄せようと腰を浮かす。そのとき、床に寝かされた患者の顔を眼が捉えた。
 -留三郎!
 思わず傍らへ駆け寄る。手にした包帯が指から滑り落ちて床を転がる。
「これは…どういうことですか! 学園に戻ったのではないのですか!?」
 いま、気を失ってぐったりと眼の前に寝かされている留三郎は、ひどく痛めつけられていることがすぐに見て取れた。
「君を助けに来た。そして、組頭と戦った」
 短く陣内左衛門が説明する。
 -僕を助けに来た!? そして…。
「雑渡さんが…留三郎をこんな目に…!」
 一瞬、怒りで思考が空白になった。だが、すぐに眼の前に治療が必要な患者がいることを思い出す。
「治療を始めます。あなたたちは出て行ってください」
 手早く薬と水を用意しながら伊作が命じる。
「…」
 小さく黙礼すると2人は去って行った。桶に汲んだ清水で手を清め、手拭いで拭う。手当てを始める前の小さな儀式である。いつもなら続いて患者の着物を脱がせて傷口を探し、水で清めるところだが、ふいにその手が止まる。
 -留三郎…。
 いたましげに留三郎を見下ろしていた伊作が、そっと腕を伸ばして上体を抱き起す。うっすらと開いた口からかすかなうめき声が漏れた。
 -留三郎の馬鹿…僕を助けに来ただって? そのために雑渡さんと戦っただって…?
 ぐったりとした身体を思わず抱きしめていた。留三郎の頭がかくりと伊作の肩に載る。髷がほつれて固い髪が頬をちくちくと刺したが、構わず抱き寄せる。
 -いくら闘い好きだからって…無茶しすぎだよ…。
 なにが留三郎をここまで駆り立てたのか容易に想像がついた。それだけに、留三郎の身体に刻まれた傷は、伊作の心に負い目となってのしかかる。
 -僕なんかのために、こんなになるまで戦うなんて…。
 だが、無二の親友がそこまでして助けに来てくれたことは、甘美な喜びでもあった。肩口に顔をうずめる。いつの間にか涙があふれていた。そしてふと、この感覚がいつか既視感としておぼえる日が来るような気がして伊作は小さくおののいた。なぜなら、いつかまたこのように留三郎の身体を抱き上げたとき、その身体が今のように暖かいとは限らなかったから。自分たちが生きている時代とは、そういう時代だから。
 -プロ中のプロ忍者と戦えばどうなるかわからないはずないのに…僕のせいで君がどうかなったら、僕はどうすればいいのさ…。
 治療を始めなければならないことは分かっていた。そのために、どこにどのようなケガをしているかを把握し、適切な薬を処方しなければならないことも分かっていた。だが、いまはそれよりも、自分のために身体を張って闘ってくれた友人を腕の中におさめて、その温もりを確かめていたかった。

 


「…」
 乳白色の霧に覆われた視界が徐々に明るくなってくる。霞んでいた意識が徐々にはっきりしてくる。最初に現実を捉えたのは嗅覚だった。
 -なんだこの臭いは…。
 それはいつも伊作が部屋で煎じているようないかにも苦そうな薬とは違う臭いだった。
 -これは…?
 そういえば、自分の上体は心地よい温もりに包まれていた。そして、鼻腔のもっとも近くに、慣れたにおいを感じる。
 -…伊作?
 だが、そんなことがあるのだろうか。自分は、タソガレドキの陣営の手前で雑渡昆奈門に倒されたはずではなかったか…。
 -伊作のにおいということは…。
 ゆるゆると眼をあける。急速に景色が薄暗くなって、どこか見知らぬ家の中にいることが分かった。

近くに囲炉裏があるのだろうか。ぱちぱちと薪がはぜる音が聞こえる。そして、家じゅうが膏薬らしい薬の臭いに満ちていた。そして、
 -この状況は…?
 視線を横に移す。そこには細かく震えるとび色の豊かな髷。
「いさ…く?」
 乾いた口から声が漏れる。髷の震えがとまった。
「無事…だったか。心配…したぞ…」
 そろそろと髷が離れて、伊作の顔が視界に入ってきた。大きく眼を見開いて見つめている。頬には涙の筋がくっきりと刻まれている。
「留三郎…」
 うめくように言うと、伊作はふたたび留三郎の身体を掻き抱く。されるがままになりながら留三郎はかすれ声で続ける。
「…よかった…な。無事で、ほんとうによかっ…た…」
「留三郎…」
 掻き抱いた身体に顔をうずめながら伊作は嗚咽をこらえながら言う。
「留三郎のバカ…こんなに傷だらけになるまで戦うなんて…」
「お、おい…どうした、伊作」
 その声に思い詰めた気配を感じて、留三郎はうろたえたように訊く。
 -どうした、だって?
 留三郎の服を握る指に力がこもる。
 -どうして君は、こんなに傷だらけになってまで僕のことを先に心配するんだい…?
 それなのに、自分は、おめおめと誘拐された上に、誘拐した相手のケガ人の治療に夢中になっていたのだ…留三郎の肩に顔をうずめながら、ぎりと歯を食いしばる。
「おい、伊作、どうした…アイツらに何かされたのか…?」
 懸念が、すでに尽きていたはずのアドレナリンを生み出す。もし伊作がひどい目に遭っていたなら、今すぐ昆奈門を相手に闘いに行ける気がした。
「…違うよ」
 くぐもった短い答えの意味が、留三郎にはつかめなかった。
「どうした? なにが違うんだ?」
 ためらいがちに訊いたとき、肩に埋もれていた伊作の顔が急に離れた。その顔にはまだ涙の筋が残っていたが、眼にも表情にも先ほどにはなかった怒りが現れていて留三郎をぎょっとさせた。顔を向い合せるや、伊作がまくしたてる。
「いくら闘い好きだからって、限度があるだろう? …こんなに傷だらけになるまで戦うなんて、どうかしてるよ…!」
「…わるかったよ」
 言いつのる伊作にたじたじになる。と、鼻が異臭を捉える。
「あのさ、こうしてくれるのはうれしいけど…ちょっと焦げ臭くねえか?」
「え? …しまった!」
 伊作がはっとして囲炉裏を振り返る。次の瞬間、留三郎の身体を抱えていた腕が急に離れて、どたばたと囲炉裏に向かって駆け寄る足音が響く。唐突に支えを失った留三郎の身体が、床板に打ち付けられる。
「ってぇっっ! 伊作! なにしやがるっ!」
 激痛に身もだえしながら留三郎が怒鳴る。
「ごめんごめん」
 火にかけた壺の中の薬液をかき混ぜながら、伊作は照れくさそうに笑う。
「これ、焦がさないようにかき混ぜてないとだめだったんだ…危ないところだったよ」
「俺はいいのかよっ!!」

 

 

「タコヤキドキ城のちょっと粉もんさん! おはなしがあります!」
 タソガレドキ陣の陣幕の前に現れた子どもの姿に、警備兵たちがざわついた。
「ここは子どもの来るところじゃない! 帰れ帰れ!」
 兵の一人が追い払おうとしたとき、「ちょっと待った!」と顔色を変えて駆けつけてきた忍がいた。
「忍者隊がこんなところでどうした」
 兵が不審げに声を上げる。
「この子どもは、私が送り返す。おおかた山菜かキノコでも取ってるうちに迷ってここに…」
「ちがいます! ぼくはちょっと粉もんさんにおはなしが…うぐ」
 声を張り上げて抗議しようとした子どもの口をふさいで身体を抱え上げると、忍はへらへらと愛想笑いを浮かべながら走り去った。その後ろ姿をあからさまな不審の眼で警備兵たちが見送る。

 


「おや伏木蔵君。こんなところに一人で来たのかね」
 タソガレドキ忍者隊が控える一角に連れてこられた伏木蔵に、隻眼の大男が声をかける。
「はい! ちょっと粉もんさんにおはなしがあってきました!」
 伏木蔵にとっては顔見知りばかりである。物怖じすることなく声を上げる。
「ほう。どんな話かね」
「これを…」懐をがさがさとかき回して引っ張り出した書状を差し出す。「これを粉もんさんによんでもらうようにっていわれてます」 
「ほう?」
 書状に眼を通した昆奈門は、何ごともなかったように控えていた陣内に手渡す。
「なるほどね。伏木蔵君の先輩には、なかなか知恵者がいるようだ」
「ちえもの?」
 何が起こっているかも書状の内容も知らされていない伏木蔵は、不思議そうに首をかしげる。
「ああ。とても頭がいいということさ。ぜひ、この書状を書いた人に返事を渡してもらえないかな」
 言いながら筆を執ってなにやら書きつける。

 


 険のある表情で伊作が昆奈門のもとに現れたとき、すでに伏木蔵は帰ったあとだった。
「おや、伊作君。どうしたかね」
 何事もなかったように昆奈門が声をかける。
「包帯をいただきに来ました。真新しい木綿の包帯を今すぐご用意ください」
 固い声で伊作は言う。
「新品の木綿ねぇ…」
 昆奈門が呟く。「木綿は貴重品だ。特に戦の陣中ではね」
「ええそうでしょうね。でも必要なんです」
 伊作はまったく取り合わない。
「そんな貴重品をなにに使うつもりかね」
 答えは見当がついていたが、とぼけたように訊く。
「もちろん、留三郎の治療に使うのです」
「あの忍たまの治療なら、使い古しの褌で十分だろう」
 伊作の反応は十分予想できたが、つい言ってしまう。果たして伊作の拳がぐっと握られる。
「誰のおかげで、治療が必要な状態になったのでしょう」
「ずいぶん闘い好きの性分のようだからね。これでも手加減したんだよ」 
「とてもそうは見えませんが…ところで木綿の包帯をくださいと申し上げております」
「貴重品だから難しいと言ったつもりだったが」
「そうですか。それでは」
 伊作は懐から小瓶を取り出す。
「そろそろ尊奈門さんに預けた薬がなくなる頃だと思ってお持ちしたんですが…」
 手に取ってちらと見せると、ふたたび懐におさめる。
「でも気が変わりました。やはり持ち帰ります」
「私にくれるのではないのかね」
「留三郎の包帯をくれないので」
 やれやれ、と昆奈門は肩をすくめる。
「いずれ卒業すれば敵同士になるかもしれない相手なんだよ。そこまで情を注ぐのは危険だと思うがね」
「でも、留三郎は僕にとって大切な友人です。本当なら包帯ぐらいでは済ませられないくらいのことをあなたはしたのですよ」
 静かに伊作は言う-だが、その口調は固いままである。根負けしたように昆奈門が軽く首を振ると声を上げる。
「伊作君に新品の包帯を渡せ」
「は」
 はらはらしながらやり取りを見守っていた尊奈門が走り去る。
「ありがとうございます」
 取ってつけたように伊作が礼を言う。
「なにかまわんよ。君に嫌われてしまっては薬が手に入らなくなるからね…だが」
「なんでしょうか」
「私は、君のような医術に通じた者が友情なんぞというシロモノに捉われているのがつくづくもったいないと思うよ。いずれは切り捨てるべき人間関係にあまりこだわることは、いずれ命取りになるよ」
「捉われている、というのはちょっと違うと思います」
 戻ってきた尊奈門から手渡された包帯を受け取りながら、伊作は答える。
「…僕にとって留三郎は大切な友人です。留三郎のためなら、僕はきっとどんなことでもやると思う。でも、それは僕の一方的な思いです。友情というのは、きっとそうではない、もっと双方向的なものだと思います」
「ああそうかね」
 ため息交じりに昆奈門が言う。
「それに、あの忍たまが君にとってとても大事な友人であることはよく分かっているよ。あんなに掻き抱いたりしてるくらいだからね」
 そういう関係なのかっておじさんびっくりしたよ、とからかうように付け加える。
「分かっているなら、そんなにもったいぶらずに包帯くらい下さってもいいのではないですか…人のこと覗き見てる間に」
 そっけなく言い捨てると、伊作はぷいと背中を向けて救護所に向かって足早に立ち去る。
「やれやれ、気付いていたとはね」
 あまり意外でもなさそうに昆奈門は言う。
「…だから覗き見はよくないって申し上げたじゃありませんか」
 尊奈門がしかめ面で応じる。
「いや、ちょっとからかいたくなっただけだ」
「あまり趣味のよくない冗談です。伊作君はあんなに真剣だったのに」
「だからこそ、というのがあるのだよ」
「本当に組頭は素直じゃないんだから」
「それにしても、あの忍たまも果報者だね…伊作君にあれほどまでに心配されるとは」
「それより、伊作君たちをどうするおつもりですか。いつまでもここに置いておくわけにもいきますまい」
 黙っていた陣内が注意する。
「そうだな。伊作君のお友だちの知恵者に免じて、あの2人を学園に返さねばなるまい…まったく、我々がやったことをなかったことにすると申し出るとは、恐れ入ったものだよ」
「そんなことが書いてあったのですか?」
 伏木蔵の持ってきた書状を読んでいない尊奈門が眼を丸くする。
「ああ。伊作君がここにいるのは、戦況分析のために戦場に潜り込んで、例によってケガ人を見て反射的に治療を始めてしまったためだと理解しているとあったよ」
「つまり、われわれタソガレドキが伊作君を誘拐したとは思っていないと…」
「そうであれば、学園との間に事を荒立てなくて済む。伊作君を穏当に取り戻すためにはこれ以上ない方法だろう」
 尊奈門のつぶやきに陣内が低く答える。
「よし、撤収するぞ」
 立ちあがりざまに昆奈門が唐突に宣言する。
「「は」」
 控えていた部下たちが一斉に声を上げる。その意味を掴みかねた尊奈門が陣内にそっと訊く。
「なぜ撤収なんですか? 本陣はまだ動いていませんが」
「今回のタソガレドキは思ったよりも強力だ。今回はわれらが態勢を立て直さねばならない。本陣もいずれ同じ判断をするだろう。それに、忍者隊のケガ人は伊作君のおかげであらかた歩ける程度に回復したからな」
 陣内も声を潜めて解説する。
「撤収開始!」
「撤収開始だ!」
 その間にも、忍者隊の詰めていた陣の撤収作業が始まっている。

 


「っかしいな…このあたりにタソガレドキ忍者隊の陣があると聞いたが…」
 小平太がきょろきょろと辺りを見廻す。
「待て。ここが陣の跡かもしれない」
 地面に片膝をついてしゃがんだ文次郎が、苦無の先で地面を掘り起こす。そこには、火を焚いた跡が埋もれていた。
「ということは、伊作たちもいるはずだが…」
 仙蔵も周囲に眼をやる。
(まさか、伊作たちを連れて撤収したということはないと思うが…)
「それはないだろう。せっかくの長次の知恵をぶち壊しにするようなことはするまい」
 気がかりそうな長次の呟きを、仙蔵が打ち消す。
「あそこに農家があるぞ」
 小平太が指差す。
「あるいは、タソガレドキ忍者隊の陣に使っていたのかも知れない。そっと近づくぞ」
 文次郎の言葉に、仙蔵たちが頷いて、気配を消しつつ農家に近づく。
「あっ」
「おっ」
 土間に面した囲炉裏のある部屋を覗き込んだ文次郎たちが思わず声を漏らす。
「やはり、ここだったか…」
 あとから覗き込んだ仙蔵が声を潜めて言う。「…それにしても、なんという格好だ」
 ちろちろと火が燃える囲炉裏端で、留三郎が真新しい包帯をあちこちに巻かれて眠っていた。その傍らには、伊作が座ったまま背を丸めてうつらうつらしている。
「こんなところで無防備に寝こけるとは、忍たま最上級生の風上にも置けんな…」
 文次郎がぶつくさ言う。無事に伊作たちが見つかって安心すると同時に急にイライラが蘇ってきた。
「どうする。起こすか? 起こすなら私がイケイケドンドンで…」
(起こさなくていい。放っておけ。)
 小平太が元気よく言いかけたところに長次が言葉をかぶせる。
「そうだな。帰るぞ」
 そっけなく言って仙蔵がついと背を向ける。長い髷がさらりと揺れる。
「ちぇ。つまんねーの」
 頭の後ろで腕を組みながら小平太が続く。
「そういや、またきり丸がバイトの話を持ってきたらしいな」
(ああ。また子守だそうだ。)
「よっし! 子守なら私がイケイケドンドンで…」
 がやがやとした話し声が遠ざかる。

 


 -みんな、ありがとう。
 実は伊作は目覚めていた。友人たちの気配と話し声に起こされたのだ。眼を軽く閉じたまま、留三郎の寝息を間近に聞きながら口に出さずに呟く。
 -もう少し、留三郎が起きるまで、こうしていたいんだ…。

 

<FIN>

 

 

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