二番手の矜持
<リクエストシリーズ 三治郎&彦四郎>
三治郎&彦四郎というたいへん難しいお題でしたが、この2人の共通点はコンプレックスを抱えているというところで、実は忍たまキャラのなかでは稀有な存在なのではないかと思うのです。
コンプレックスを抱えている同士の2人は、クラスの枠を超えてどんな友情を見せるのでしょうか。
「やあ、三治郎」
「やあ、彦四郎」
にぎやかな話し声が交錯する風呂場で2人は顔を合わせた。
「ここ入っていい?」
「いいよ」
すでに上級生たちが多く入浴に訪れる時間だった。上級生に遠慮して2人は湯船の隅に並んで浸かっていた。
「こんな時間におフロなんてめずらしいね。一年は組はいつもいっしょにはいってるのに」
彦四郎が訊く。
「うん。ちょっと…」
三治郎が口ごもる。
「ちょっと?」
「ちょっと、走りこみをしてたもんだから」
「走りこみ?」
「うん。もうすぐ実技のテストがあるんだ。だから…」
「でも、三治郎、走るのはやいじゃん」
運動会で三治郎が披露した俊足がまだ印象に残っていた。
「でも、かてないから」
「勝てない?」
「うん…乱太郎に」
ぽつりと答えると、三治郎はゆらゆら揺れる水面に視線を落とした。そして、ばしゃっと何度か顔を洗った。
「そうか…乱太郎も、足、はやいもんね」
彦四郎が小さく頷く。きっと、こうやって何度も悔し涙を堪えているに違いない三治郎に、なにかいい言葉をかけてやれない自分がもどかしかった。
「それで、彦四郎はどうしたの? いつもこんな時間におフロはいってるの?」
風呂場から長屋に続く渡り廊下を歩きながら三治郎が訊く。
「いや。ぼくも、今日はちょっとおそくなったんだ」
「どうかしたの?」
「うん…」
俯き加減になりながら彦四郎が言いよどむ。「勉強してたりとか、いろいろ」
「ふ~ん。さすがい組だね」
い組が勉強ばかりしていることにはなんの驚きもない。三治郎は興味なさそうに応える。
「ねえ、三治郎」
「なに?」
「庄左ヱ門は、は組の学級委員長としてなにをしてる?」
「え? なにって…」
唐突な問いに三治郎がたじろぐ。「どうしたのさ、いきなりそんなこと」
「知りたいんだ。庄左ヱ門がやっていることを」
「学級委員長委員会じゃ、そういうはなしはしないの?」
彦四郎がい組の学級委員長だったことを思い出した三治郎が訊く。
「もちろん聞いてるさ。でも、ちがうんだ…ぼくが聞きたいこととは」
「ふ~ん…そういわれても…」
何してたっけ、と三治郎は考え込む。いつも当たり前のようにしっかりとした言動を見せる庄左ヱ門のどの部分が学級委員長としてのものなのか、言われてみればよく分からないことに気づく。
「ごめん。ぼくにもすぐにはわからないや」
「…そう」
彦四郎が小さくため息をつく。
「それにしても、どうして庄左ヱ門が学級委員長としてやっていることをしりたいの?」
並んで歩く三治郎が、思いつめた表情の彦四郎をのぞきこむ。
「…だって、庄左ヱ門は一年は組の中心なんだろ?」
彦四郎がぼそりと声を漏らす。
「まあ、そうだね」
たしかに一年は組は全員が個性が強くていつも好きな言動をしていたが、庄左ヱ門が動くと一瞬でまとまることができた。遊んだり喋ったりしている時でも、無意識ながら庄左ヱ門の方に気を向けていた。そして、庄左ヱ門が口を開けば耳を傾け、庄左ヱ門が眼を向けた方に思わず顔を向けていた。それは指示でも義務でもなく、反射的な行動だった。
「でも、彦四郎もい組の学級委員長でしょ?」
「学級委員長だけど、中心じゃない」
ぼそりと彦四郎は呟く。
「え…ちがうの?」
話がよく分からない三治郎が声を上げる。
「ああ。ぜんぜんちがうさ…い組の中心は、勉強もできてリーダーシップもある伝七や佐吉なんだ。ぼくじゃない」
「そうなんだ…」
だから庄左ヱ門がどうやっているかが気になるんだ…とようやく三治郎は納得した。といって答えがあるわけでもなかったが。
「へんなこと聞いてごめん。気にしなくていいよ」
苦笑いを浮かべながら彦四郎が言う。「じゃ、おやすみ」
「おやすみ」
-い組の中心は学級委員長の彦四郎じゃない、か…。
忍たま長屋の自室に向かいながら、彦四郎との話を三治郎は反芻していた。
-たしかには組とちがって、い組はみんな勉強できるし、クラスをひっぱってるのも彦四郎じゃなくて伝七や佐吉だって一平がいってたし…。
それはそれで辛いかも、と三治郎は考える。それでは彦四郎は何をもって学級委員長として認められているのだろう。
-なんか、ぼくににてる気がする。
ふとそう思った。どうやっても乱太郎に勝てない二番手の自分と、クラスの先頭に立つことを望んでいるのに期待されていない彦四郎と。
-彦四郎は、どうおもっているんだろう。
ついに彦四郎には言えなかった思いが過ぎる。
実のところ、いま最も三治郎の心を苛んでいたのは乱太郎に勝てないことではなかった。もはや乱太郎に勝つことを諦める気持ちが徐々に自分の心を占めつつあるという危機感だった。
-そんなことをしたら、ぼくはずっと負け犬になっちゃうのに…。
それでも、いくら挑んでも勝てない勝負から降りる誘惑は止むことはなかった。
「おそかったね、三治郎」
部屋に戻ると、新たなカラクリの仕掛けを考えていたのか、文机の上に広げたいくつもの木片を組み合わせては紙片になにやら書きつけていた兵太夫が顔を上げた。
「うん。ちょっとね」
壁際にたたんだ制服を置いた三治郎は布団を敷きはじめる。
「ちょっと?」
「うん…彦四郎と」
「彦四郎と、なにしてたの?」
「おフロで彦四郎がはなしてたんだ…学級委員長なのに、クラスの中心じゃないって。クラスの中心は伝七や佐吉だって」
「ふ~ん、そうなんだ…」
関心があるのかないのか分からないような返事をした兵太夫だったが、木片をいじりながら声を上げる。「でも、伝七はそうはおもってないかも」
「どういうこと?」
敷き終わった布団の上に胡坐をかいた三治郎が眼をぱちくりする。
「作法委員会のときに伝七がいってたんだ。い組はみんな成績優秀だから、みんながリーダーになろうとするんだって。でも、けっきょく彦四郎がなんとかしてくれるって」
「なんとかって?」
「さあ。それはわからない」
木片を置いた兵太夫は、なにやら帳面に書き付けながら言う。「でも、い組にはそういう人が必要なのかもね」
「そっか」
三治郎は小さく頷く。なるほど、誰もが前に出たがるい組には、一歩引いたところから皆をまとめる彦四郎のような存在が不可欠なのだろう。
-でも、彦四郎だって、もっとクラスの中心になりたがってるんだ。
自分が競走で乱太郎に勝ってクラスで一位になりたいように。
「彦四郎!」
三治郎が医務室に駆け込む。患者の傍らに座っていた新野と乱太郎が驚いたように顔を上げる。
「大ケガしたってきいたけど、だいじょうぶなの!?」
自分でもなぜそれほど取り乱しているか分からなかった。ただ、無性に心配で駆けつけたのだ。
「やあ、三治郎…」
布団に横たわった彦四郎が弱々しい笑顔を向ける。「ちょっと木から落ちちゃってね」
「木から?」
「うん。校庭で勉強してたら、プリントが風に持ってかれて、木の枝に引っかかっちゃったんだ。取りに行ったんだけど、そうしたら枝が折れちゃってね…」
淡々と説明する彦四郎が付け加える。「でも、そんな大ケガってわけでもないから、だいじょうぶだよ」
「なに言ってるの彦四郎。一歩まちがえたら骨折するところだったんだからね!」
「そうですよ。幸い足首をひねった程度で済んだが、それでも2~3日は安静にしてないといけないんですよ」
乱太郎と新野が口々に注意する。
「ま、そういうわけだから、少し安静にしてないといけないみたいだけどね」
困ったような笑顔のまま彦四郎は言う。「でも、お見舞いにきてくれてうれしいよ」
「え? どういうこと?」
きょとんとした表情で三治郎が訊く。
「い組はまだだれもお見舞いにきてないんだ」
言いにくそうに乱太郎が説明する。
「しょうがないよ。明日、忍術の歴史のテストだから…」
彦四郎が小さく首を振る。
「だけど…」
もしこれがは組のできごとだったら、全員が見舞いに押し寄せて収拾がつかなくなるほどなのに、と考える三治郎は納得がいかない。
「とにかく彦四郎君には安静が必要です。心配する気持ちは分かりますが、お見舞いの時間はこれでお終いですよ」
新野に穏やかに諭された三治郎は、立ちあがるしかなかった。
「じゃ、彦四郎。はやくなおってね」
「うん。ありがとう」
-あれは?
翌日、実技の授業中に、伝蔵はある変化に気づいて小さく眉をひそめた。
-三治郎…一体どうしたのだ?
今日の授業は瞬発力を身につけるためのスタートダッシュの練習だった。いつもの三治郎なら、乱太郎と張り合って必要以上に打ち込むところだったが、今日の三治郎はどうだろう。まるで強いられた動きをなぞるようにまるで身が入っていない。
-何かあったのだろうか…。
気にはなったが、それは授業の後にでもそれとなく訊くことにして、三治郎以上に動きがだれてきた他の生徒たちに向けて声を張り上げる。
「こら! ダラダラするんじゃないよ! スタートダッシュなんだからもっと素早く、強く足を踏み出さんか!」
「「は~い」」
緊張感に欠けた返事が上がる。
「まったくたいへんだったよ」
一平がため息をつく。
「なにが?」
三治郎が訊く。
放課後、生物委員会の菜園の手入れをしていた2人が、雑草を抜きながらぼそぼそと話していた。
「こんどい組で裏裏山まで自然観察に行くことになったんだけど、リーダーをだれにするかでモメちゃって…」
「そうなの?」
「みんながリーダーになりたいって言いだしちゃってさ…そりゃ、こういうときにリーダーになれば成績にも加算されるからみんながやりたがるのはわかるけど…」
-このまえ、兵太夫が言ってたい組の話みたいだ…。
兵太夫とのやり取りをぼんやりと思い出しながら訊く。
「それでどうしたの?」
「どーしても決まらなくてさ、しょうがないから安藤先生のところにリーダーを決めてくださいってお願いに行ったんだけど、そんなこともクラスで決められないのかっておこられちゃって」
「そんなものなの?」
は組ではおおよそ考えられない事態だった。そういう時は庄左ヱ門があっという間に裁定してくれるだろうから。
「そんなもんってことみたい」
投げやりな口調で一平が言う。「まあ、彦四郎がいないからしょうがないんだけどね」
「どういうこと?」
「だって、いつもならこういうときは彦四郎がみんなをなだめながらうまくまとめてくれるし」
「そうなんだ…」
頷きながらふと三治郎は考えた。つまり、それこそが彦四郎にしかできない役割なのではないかと。
「具合はどう? 彦四郎」
当番で医務室にやって来た乱太郎は、布団に横たわる彦四郎に声をかける。
「うん。わるくはないけど…でも、いつまでこうしてないといけないんだろう」
天井板を見上げたままため息交じりに彦四郎は応える。「じっとしているのもけっこうしんどいんだけど」
「きもちは分かるけど…」
口ごもった乱太郎だったが、気を取り直したように続ける。「でも、新野先生が、そろそろ動いてもだいじょうぶって言ってくださるかもよ」
「だといいんだけど」
「ところでさ」
「なに?」
「三治郎のことなんだけど」
思い切って訊いてみる乱太郎だった。
「三治郎の?」
「うん…いつもとちょっとちがってるんだ。元気がないみたいっていうか…なにか心あたりがあるかなっておもって」
言ってからちらりと彦四郎の表情をうかがう。
「どうしてぼくが?」
彦四郎の表情は動かない。やや硬い声で訊き返す。
「だって、なんかさいきん彦四郎と三治郎はなかがいいみたいだし…彦四郎がケガして医務室にはこびこまれたときだって、すっごくあわてて飛んできてたし」
「…」
「今日の実技の授業のときさ…」
黙り込んだ彦四郎に、乱太郎は語りだす。「スタートダッシュの練習をしたんだけど、いつもなら少しでもはやく走れるようになるっていっしょうけんめいやるのに、今日はぜんぜんだめで、私までなんかやる気なくなっちゃうっていうか…山田先生にはおこられるし」
「…そうなんだ」
気がつくところがあって彦四郎は小さく頷く。
-そうか。乱太郎も、ライバルの三治郎がいるから、あんなにはやく走ることができるんだ…。
「もうよくなったの?」
「うん。あと2,3日で実技の授業も出ていいって」
数日後、校庭の隅の木陰に三治郎と彦四郎は座っていた。
「そうなんだ。よかったね」
にっこりと微笑みかけた三治郎だったが、校庭に眼を戻したときにはその横顔はうつろなものになっている。
「ねえ、三治郎」
「なに?」
「さいきん、乱太郎が走るの、おそくなったと思わない?」
さりげなく放たれた一言に、三治郎がつぶらな瞳を精一杯見開いて顔を向ける。膝を抱えて、三治郎に向いてにっこりとする彦四郎がいた。
「え…どういうこと?」
「だからさ。三治郎ががんばらないと、乱太郎もはやく走れないみたいだよ」
「でも、それって…」
それは、自分が挑むことを止めてしまったから。負け犬根性を受け入れたから。それなのに、なぜ乱太郎までが早く走れなくなったというのだろう。
「乱太郎が言ってたよ。三治郎のやる気がないと、こっちもやる気がなくなっちゃうって。乱太郎がはやく走るためには三治郎が必要なんだね…ていうか、いまなら三治郎のほうがはやく走れたりするかもね」
「そんなこと…」
言いかけて三治郎は考える。
-てことは、乱太郎もぼくも、きそいあってたからはやく走れたってことなのかな…。
考え込む三治郎の顔を覗き込んだ彦四郎が微笑みながら続ける。
「どう? もういっかい乱太郎とかけっこしてみようって気にならない?」
「うん! 思う!」
気がつくと眼を輝かせて言い切っいた三治郎は、ふと考える。
-彦四郎ってすごいな。いつもこうやってみんなのやる気を出させるんだ…。
「彦四郎、すごいね」
だから三治郎は素直に感嘆する。
「え、なにが?」
弾かれたような表情で彦四郎が眼を見開く。
「なんか、彦四郎が言ってくれたことでぼく元気になれた! きっと、い組のみんなにもそんなふうにしてあげてるんだろうなっておもったから」
「そ、そうかな…」
照れたように顔を伏せる彦四郎に、ふと思い出すことがあった三治郎が続ける。
「そうだよ。それに、い組は彦四郎がいないとまとまらないって伝七も一平も言ってるんだよ!」
-そうか。みんなそう思ってるんだ。ぼくはやっぱり調整役なんだ…。
三治郎がかけた言葉は逆効果だったようだ。急速に気持ちが醒めていく思いがして、彦四郎はおざなりに返す。
「うん、ありがと…」
彦四郎にとってクラスの皆をまとめるということは、強いリーダーシップを示すことではなかった。皆をなだめすかしてようやくその場をしのぐようにしてまとめていくというのが、偽らざる実感だった。だから、そう言われれば言われるほど、自分が求めているものとは違うものを期待されているという事実が容赦なく突き刺さるように感じてしまうのだ。
-でも、ぼくだって、クラスの先頭に立ちたいんだ…!
だが、続いて放たれた三治郎の台詞に、はっとして顔を上げる。
「そういうふうにみんなをまとめるのって、彦四郎にしかできないんだろうね」
-ぼくにしか…できないこと?
それは今まで考えたこともないことだった。誰でもやっていることだと思っていた。むしろ、誰でもできるようなアプローチでしか皆をまとめることができないということがコンプレックスだったのだ。
「そう…かな」
「そうだよ!」
三治郎が身を乗り出す。「一平がいってたよ。彦四郎がケガしていなかったときに自然観察のリーダーをきめるときなんか、みんながリーダーをやりたがってきめることができなかったって。きっと、いつもならそういうときには彦四郎がなんとかまとめてたんじゃないの?」
「う…ま、まあ、そうだけど」
自然観察があったことも、リーダーが決められなかったことも初めて聞くことだった。きっと、きまり悪くて誰も言えなかったのだろうと思った。そして、自分ならどうするだろうと考えた。
-自然観察なんだから、生物委員の一平に『リーダーおねがい!』ってひとこと言えばすむことだろうな…。
だが、それだけのことも、自分が不在のい組ではできなかったのだ。
「ほらね!」
にっこりとして三治郎が軽く首をかしげる。「やっぱり、彦四郎しかできないことなんだよ」
「う、うん…そうかもね」
小さく頷いた彦四郎は、ようやく照れたような笑いを浮かべながら顔を上げた。
「よかった! やっと彦四郎がげんきになった!」
いまや満面の笑みになって三治郎が声を弾ませる。「やっと彦四郎におれいができた!」
「お礼?」
彦四郎が訊く。
「そう。彦四郎のおかげで、ぼくももうちょっとがんばろうってきになれたんだ。だから、彦四郎にもげんきになってもらいたかったんだ」
「うん。ありがとう」
彦四郎が言ったとき、鐘の音が聞こえた。
「あ、夕食だ」
三治郎が立ちあがった。「彦四郎、行こう!」
「うん!」
彦四郎も立ちあがる。
「だいじょうぶ?」
「うん、だいじょうぶ」
まだ少し足を引きずる彦四郎を気遣いながら三治郎もゆっくり歩き去る。2人の影を傾きかけた陽が黒く刻む。
<FIN>
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