十分に、幸せ

<リクエストシリーズ 兵太夫&三治郎>

 

春日さまよりリクエストをいただいていた兵太夫三治郎なお話を書き上げたので、ここに謹呈いたします。

 

リクエストは随時受け付けておりますので、茶屋に何か書かしたれ! と思われた向きは、こちらからドゾ///

 

タイトルは、シューマンの「子供の情景」から第5曲 Gluckes genug

 

 

 鐘が鳴った。
「よし。本日の授業はここまで」
 教室に半助の声が響く。
「「ありがとうございました」」
「明日は算数のテストを行う。秋休み前の最後のテストだから、各自しっかり準備して臨むように」
「「えぇ~っ」」
「なにが『えぇ~っ』だ。点数が悪いものは追試だからな」
 は組の生徒たちの反応は織り込み済みである。半助はあっさりと聞き流して教室を後にする。

 


「ねえ、三治郎」
 兵太夫が声を上げる。
「なぁに?」
「このカラクリなんだけど、どう思う?」
 授業の間に書き上げたらしいカラクリの設計図を教室の畳に広げる。
「どれ~?」
 三治郎は、兵太夫の隣に座りこんで、図面に眼を落とす。興味をひかれたらしい団蔵と虎若が、背後から覗きこむ。
「これって、床にしかけるからくりだね?」
 楽しそうな笑顔で三治郎が訊く。もっとも、本人としては、ごく普通に訊いたまでのことだったが。
「そうなんだ。ここをふむと、蝶番がはずれて、このばねがびょんってなって…」
「前後からはさみこむってことだね!…でも」
 うれしそうににっこりした三治郎だが、ふとあごに手をやる。
「どうかした?」
 気がかりそうに兵太夫が声をかける。
「うん…どうせなら、板がはねるのといっしょに、釘が飛び出したらいいなっておもったもんだから…」
「それいい!」
 弾んだ声をあげる兵太夫に、席にいた伊助や金吾たちも気になったようだ。
「どうしたの?」
 金吾が、そっと虎若に声をかける。
「兵太夫と三治郎が、また例によってえげつないからくりを考えてるみたい」
 虎若も小さく答えるが、図面を前にした兵太夫と三治郎の耳には、外野の反応は届かないようである。
「そしたらさ…、このばねのところに釘をしこんだ小箱をセットして、板がはねるのといっしょにふたが外れるようにして…」
「釘のかわりに、まきびしでもいいかもね」
「すごいよ三治郎! そのアイデア、最高だよ! そしたらさ、こっちから釘、こっちからまきびしがとび出すってどう?」
「それカンペキだよ! さっすが兵ちゃんだね!」
 うきうきと何やら図面に書き加える兵太夫と、満面の笑みで見守る三治郎を、クラスメートたちは少し離れたところからうすら寒い思いで眺めていた。いつか、この2人のからくりで死人が出るに違いない、と思いながら。

 


「ほんとに兵太夫と三治郎って、なかよしだね」
 庄左ヱ門の前で、文机に頬杖をついた乱太郎が言う。
「そうだね…でも」
 考え深げに言葉を切った庄左ヱ門を、怪訝そうに乱太郎が見やる。
「どうかした?」
「うん…ぼくの気のせいかもしれないけど、なんか兵太夫と三治郎、いつもとちょっとちがうような気がするんだ」
「ちがうって?」
「よくわからないけど…なんかよそよそしいっていうか、わざとらしいっていうか…」
「そうかな…?」
 仔細ありげに兵太夫たちを見やる庄左ヱ門に、乱太郎はただ感心するしかない。
 -さすが庄ちゃん。庄ちゃんがそうおもうってことは、きっとなにかあるんだろうな。
 庄左ヱ門の懸念の所在は分からないながらも、全面的に学級委員長を信じている乱太郎は、素直にそう思った。

 


 実のところ、兵太夫はここ数日、気鬱だった。
 -秋休みか…そんなもの、なくていいのに。
 もちろん、学業から開放される休暇が楽しみでないはずはなかった。また、実家が武家である兵太夫には、休暇で家に戻っても、収穫作業に追われるということもなかった。
 -家に帰ったら、また、あのこと言われるのかな…。
 それこそが、兵太夫の気鬱の原因だった。

 


「兵太夫、いつまで忍者などというものにこだわるのだ」
 目の前にそびえる大きなシルエットが腕を組む。先ほどから膝を正したままの兵太夫が、少しだけ身をかがめて上目遣いになる。
「やはり、忍術学園はやめるのだ。お前にはもっとほかに学ぶべきことが…」
「いやだ!」
 兵太夫は叫ぶ。
 夏休みのことだった。惨憺たる成績表をもって実家に戻った兵太夫を待っていたのは、父親との面談だった。
「ぼくは、忍者になりたいんだ! だから、忍術学園はぜったいにやめない!」
 兵太夫にとっては、やっと学園生活に慣れて、楽しさを感じ始めたところだった。同室の三治郎や、クラスの仲間たちと遊んだり、共に追試や補修や、それに伴ういろいろな騒動や冒険を乗り越えたりすることも、許可を得て部屋をからくり部屋に改造することも、何もかもが楽しくてしかたがなかった。そして、先輩や教師たちの姿から、忍への憧れも確実に増していたのである。
「だが、この成績で、忍者になどなれるのか」
 痛いところを衝かれて、兵太夫はうっと黙り込む。
「兵太夫」
 なだめるように一段低い声で、声は続ける。
「お前はこの笹山家を継ぐ血筋のものなのだ。強情を張るのはやめて、家に戻ってきなさい。お前には個人教授をつけよう。漢籍から武家としての作法まで、いまから徹底的に教えてもらえば、まだ何とかなる」
「…」
 うつむいたまま、兵太夫は唇をかむ。
 -ぼくが、もっと成績がよければ、学園に残るんだって言えたのに…。
「お前はまだまだだと思っているかもしれないが、元服まであっという間なのだぞ。こんな成績のまま無為に過ごさせることなど、とうてい認めるわけにはいかぬのだ」
 父親の声は、説得の調子を帯びてさらに低くなっている。それでも、兵太夫は、膝の上で拳を硬く握り締めたまま、畳の目をじっと見つめていた。
 -でも、学園をやめるなんて、ぜったいいやだ!


  

 そして、秋休みが迫っている。今回渡される成績表も、また前の学期と似たような内容になりそうなことは、自分がいちばんよく分かっていた。そしてまた父親に、学園をやめるよう言われることも眼に見えていた。そして、自分にはろくな抗弁もできないことも。
 だからこそ、秋休みが気鬱なのだ。いや、休みではなく、休みに実家に戻らなければならないことが気鬱なのだ。
 -どうしよう。今度こそ、学園をやめることになっちゃうかも…。
 だが、誰に相談できるというのか。たとえ庄左ヱ門であっても、大人が決める話に対抗できるような知恵が期待できるとは思えなかった。担任の伝蔵や半助も、保護者が決めることを翻意させられるようには思えなかった。あるいは、多少は説得してくれるかもしれなかったが。
 -そんなこと、とてもは組のみんなにはいえない…。
 しかし、自分の感情をうまくしまいこめるような歳でもない兵太夫には、もやもやとした苛立ちをことさら明るく振舞うことで塗りこめることしかできなかった。そんな厚塗りした感情を庄左ヱ門が勘づきつつあることに、兵太夫は気づかない。

 


 -でも、三治郎にはわかっちゃうかな…?
 同室で、いつも近くにいる三治郎には、もしかしたら自分の態度がいつもと異なることが分かってしまうかもしれない。だから、三治郎には、ことさらオーバーアクションな反応を見せてしまうのだ。それが却ってわざとらしさを増しているだけであることも分かっていた。それでも、ほかにどうしようもなかったのだ。そしていま、部屋で一人になった兵太夫は、ぼんやりと本に眼を落としている。もとより、内容はすべて読んだそばから滑り落ちてしまっていたが。
 三治郎は生物委員会の菜園の手入れがあるとかで、授業が終わってからすぐに出てしまっていた。今日は委員会のない兵太夫は、部屋でひとり、文机に向かう。指は読みたくもない本の頁を機械的をめくっている。
「ねぇ…兵太夫ったら、聞いてる?」
 気がつくと、部屋には三治郎が戻っていた。先ほどから声をかけていたらしい。声には苛立ちが混じっている。
「あ、三治郎。なに?」
 びくっとしたことを悟られないように、声は平静を装うが、うまくいっただろうか。
「なにじゃないよ、さっきから声をかけてるのに無視するなんて」
「無視じゃないよ。ちょっとぼんやりしてたから」
「なにかあったの?」
 三治郎の声に、心配そうな気配が加わった。
 -どうしよう。このままじゃ、三治郎に言っちゃいそう…。
 ときおりおそろしく黒い言動をみせる三治郎だったが、いつもは明るくて優しい三治郎だった。その優しさにほだされて、つい自分の気鬱の原因を聞いてもらいたくなる。
 でも、三治郎にそんなことを言っても、余計な心配をかけるだけで、何の解決にもならない。だから、兵太夫はとっさに声を上げる。
「べつに!」
 言ってからしまったと思った。思った以上に自分の口から放たれた声は、とげとげしいものだった。
「べつにって、それじゃ、やっぱり無視してたんじゃないか!」
 果たして、三治郎の声も険を帯びる。
「そんなことないってば」
「じゃ、あんなに声をかけたのに、どうして無視したのさ」
「だからそれは…」
「やっぱり無視したんだ」
「ちがうってば」
「どうちがうのさ」
「うるさいなぁ」
 思わず言ってしまっていた。
「うるさいとはなんだよ!」
 三治郎が拳を握って立ち上がる。反射的に兵太夫も立ち上がっていた。
「やるか!」
「そっちこそ!」

 


「たいへんだ、兵太夫と三治郎がケンカしてる!」
「なんだって!」
 自室に飛び込んできた乱太郎に、庄左ヱ門が立ち上がる。
「どこでケンカしてるんだ?」
「2人の部屋」
「よし」
「俺たちも行こうぜ」
 長屋の廊下を駆け出す庄左ヱ門と乱太郎に、きり丸たちが続く。
「ケンカはやめるんだ!」
「そうだよ2人とも!」
 がらりと襖を開けて部屋に踏み込んだ庄左ヱ門たちに、つかみ合っていた兵太夫と三治郎が思わず叫び声を上げる。
「あ、あぶない!」
「そこ踏んじゃだめ!」
「「え!?」」
 ばたん、と大きな音がしたと思った次の瞬間、床板が庄左ヱ門と乱太郎を乗せたまま勢いよく跳ね上がった。
「「うわ~っ!!」」
 2人の身体が、屋根を突き破って飛ばされていく。
「そこには跳ね板が仕掛けてあるって言おうとしたのに…」
「夜には吹っ飛ぶ布団になるんだよって言おうとしたのに…」
 つかみ合った態勢のまま、兵太夫と三治郎が戸惑ったように解説する。
「しまったぁ、ここが兵太夫たちのからくり部屋だってこと、すっかり忘れてたぜ…」
 きり丸が頭を掻きながら、屋根に空いた穴を見上げる。
「ていうか、兵太夫も三治郎も、ケンカしてたんじゃなかったの?」
 しんべヱが首を傾げる。
「あ、そういえばそうだったね」
「うん、でも、なんでケンカしてたんだっけ?」
 虚を衝かれた2人は顔を見合わせる。互いの襟をつかんでいた指をゆるゆると離す。互いのうろたえた表情に、ふいに可笑しさがこみ上げる。
「そういえば、忘れちゃったね。あはは」
「ぼくも。あはは」
 笑いあう2人に、きり丸たちが肩を落とす。
「あのなあ…」

  

「ねえ、兵太夫」
 涼しい夜風が、さわさわと髷を解いた黒髪を揺らす。三治郎は、忍たま長屋の襖を開け放って、縁側に半身を乗り出すように寝そべっている。
「なに?」
 文机に置いた灯台の火が揺れて、本に眼を落としていた兵太夫は少し眉をひそめた。顔を上げると、三治郎が、改まったように座りなおして、こちらを見ていた。
「昼間は、ごめんね」
 まじめな顔つきで、三治郎は口を開いた。兵太夫もあわてて座りなおす。
「ぼくこそ…ごめんね、三治郎」
「ぼく、兵太夫に聞いてもらいたいことがあって、でも兵太夫がなかなか気づいてくれないから、ついイラっとしちゃって…」
「ぼくも、ずっと考えてることがあったから、ぼんやりしてたんだ」
「ねえ、兵太夫」
「?」
 答えるかわりに軽く首をかしげて、兵太夫は続きを促す。
「あのさ、秋休み、どうする?」
「どうするって?」
「それがさあ…」
 三治郎が口ごもる。庭先の虫の声が一層喧しく聞こえる。兵太夫は小さくため息をついて本を閉じると、立ち上がって三治郎のとなりに胡坐をかいた。
「どうかしたの?」
「うん…実は、ぼく、秋休みに行くところがなくなっちゃったんだ」
 三治郎は、父親が山伏で、休みの間は共に修行で山にこもるはずである。兵太夫は首をかしげた。
「また、山伏の修行をするんじゃないの?」
「それがさ…」
 三治郎は口ごもる。
「この前、父ちゃんから手紙が来て、こんど大峯に入るから、修行に連れて行けないって。順峯だから、途中で合流することも難しいって書いてあったんだ」
「じゅんぷ?」
「熊野から吉野に向かって大峯を行くこと。山伏にとってはとってもだいじな修行なんだ」
「熊野か…とおいね」
「うん。熊野に行くのもとおいし、いったん大峯にはいったら、途中で帰ることもできないし、でもそれじゃ新学期に間に合わないから、今回は修行に連れて行けないんだって」
「そうなんだ」
「どうしよっかなぁって思ってさ。生物委員会で飼ってる生き物の世話でのこってもいいんだけど、ひとりじゃさびしいし、伊賀崎先輩の毒虫たちの世話はこわいし…」
 三治郎はまた寝そべって、縁側に頬杖をついて夜の庭に眼をやる。いつも笑っていて、前向きな三治郎の物憂げな表情を初めて見た気がして、兵太夫はどう声をかければいいか分からなかった。頬杖をついた三治郎の横顔は、兵太夫の視界からは、なかば黒髪に隠れている。
「ねえ、三治郎」
 三治郎の隣にごろりと横になる。頭の後ろで手を組んで、仰向けになった。昼間、自分たちの仕掛けで飛ばされた庄左ヱ門と乱太郎が開けた天井の穴が眼に入る。とりあえず板でふさぎはしたが。
「なぁに?」
 庭を見つめたまま、三治郎は訊く。
「ぼくの話も、聞いてもらっていい?」
「うん。どんなこと?」
 半身を起こした三治郎が、首をかしげて訊く。
「実はさ…親に、学園をやめろって言われてるんだ」
「どういう…こと?」
 兵太夫があっさりと言い放った言葉がにわかには信じかねて、つぶらな瞳を精一杯見開いた三治郎が、声を詰まらせる。
「ぼくの成績がわるすぎるから…アホみたいだよね。こんな成績じゃ忍者になれないっていわれて、なんにも言い返せなかったんだ」
 自嘲的に兵太夫は言う。
「でも…でも…」
 不意に三治郎がしゃくりあげた。
「どうしたの? さ…」
 三治郎、と言いかけて兵太夫は言葉を呑み込んだ。三治郎は伏せたまま、顔を袖で覆っていた。その身体が細かく震えている。
「そんなのいやだよ、兵太夫がいなくなっちゃうなんて…そんなのうそだっていってよ…!」
 三治郎がくぐもった声で、とぎれとぎれに言う。
「ぼくだって…」
 三治郎と離れるなんていやだ、と思う。だからこそ、なんとか親を説得しなければならなかった。この休みこそ。だが、どうすれば…。
 -そうだ、三治郎だ!
 ふいにひとつのアイデアがひらめいた。そして、その可能性をいろいろ考えてみた。
「ねえ、三治郎」
 身を起こした兵太夫は、そっと三治郎の肩を押して、伏せた身体を自分に向けさせる。三治郎はそのままよろよろと身体を起こして座りなおしたが、涙顔を見られたくないのか、顔を伏せる。
「三治郎は、秋休みに行くところがないっていってたよね」
 顔を伏せたまま、三治郎はこくりと頷いた。
「だったら、ぼくといっしょに行かない?」
「え…どこに?」
 三治郎が、涙が伝ったままの顔を上げる。
「ぼくのうち」
 兵太夫が微笑む。
「でも…どうして?」
「三治郎がいっしょだったら、なんとかなるかもしれないから。親に、学園にどうしても残りたいって言えそうだから。だから、いっしょにきてくれる?」
 三治郎の肩に置いた指に力がこもる。
「ぼくで…いいの?」
「もちろん! …ていうより」
 兵太夫は言葉を切る。
「三治郎じゃないと、だめなんだ…」
 やっと自分が言いたかったことを見つけた気がした。
 -これからも、三治郎といっしょにカラクリを作ったり、は組の仲間たちといっしょに冒険したり、忍者になるための勉強をするんだ。そのためにも、親にはぜったい学園をやめないって言わなきゃならないし、三治郎がいれば、きっと言える!
 問題はまだなにも解決していなかったが、必ずうまくいくと思った。三治郎と離れることも、は組の仲間たちとわかれることもないと思った。それだけで、じゅうぶん幸せな、そんな気がした。

 

<FIN>