Over your sunshine smile(2)

 

 今日は学園の外で、演習という名のいつもの勝ち残りゲームだ。最近、演習というとこればかりのような気がする。先生たちも、少しは考えてほしいものだ。
 開始早々、八左ヱ門が三郎を追い詰めるのを見かけた。三郎も、あんなに分かりやすく変装するとは、授業をなめている証拠だ。きっと、僕と同じく、勝ち残りゲームには飽き飽きしているのだろう。あの投げやりな変装は、とっとと負けて、休んでいたいということなのだろう。

 


 僕も、同じように負けて早く休んでしまいたかった。だけど、先生が様子を伺ってるのが分かっていたから、気配を消して近づいて、それから八左ヱ門の前に出た。形だけでも戦っておかないと、講評のときになにか言われそうだったから。
「八左ヱ門、悪いな」
 口ではこういったけど、ホントは勝っても負けても、どっちでもよかった。勝つつもりだったら、奇襲かけてやったほうがよっぽど見込みはあったけど。
「おう。こっちこそ、勝負してやるぜ」
 八左ヱ門はにやりと笑った。それから互いに苦無を構えて戦ったけど、本気になってない分だけ雑念が入っていて、自分でも分かるくらい動きがぎこちなかった。その時、不意に考えてしまった。将来、忍になったとき、いつかこうして八左ヱ門と戦うときが来るかもしれない。その時は、プロの忍として、命がけで。
 -そんなことが、僕にできるのかな。
 そんなことを考えるだけで、プロの忍としては失格だ。それが任務ならば、相手が誰であろうと倒さなければならない。だけど…。
 -八左ヱ門がいなくなったら、誰が、笑いかけてくれるんだろう。
 僕はいつも、自分を高い塀で囲い込むところがあった。隠し、覆い、囲い込むことで、自分を守ることができると考えているのだろう。
 だけど八左ヱ門は、軽々とそんな塀を越えてやってくるのだ。そして、閉じこもろうとする僕をひょいとつまみあげて、外の世界に連れ出してくれるのだ。そんなことをしてくれる人は、いままで僕の周りには誰一人いなかった。僕がどんなに塀を高く築いても、八左ヱ門は必ずやってきて、僕の目の前に立って笑いかけてくれた。
 -どうしたというのだろう。僕は、一人になるのが怖いのか。
 忍として生きていくことは、つまりは究極的な孤独の中で生きるということだ。僕は、それを受け入れると決めたはずだった。忍が他人を信じ、依存することは、身を滅ぼすことなのだから。
 -それなのに。
 …要するに、僕は、八左ヱ門が好きなのだ。頼っているのだ。だから、もしいなくなってしまったら、などと埒もないことを考えてしまうのだ。忍の世界なんて、任務次第で自分の運命が決まってしまうようなものなのに。

 


 僕の苦無が弾き飛ばされた。すぐに忍刀を構える。
 -だめだ。こんなことを考えていては。授業は実戦なのに。
 だけど、僕は冷静に八左ヱ門の動きを見定めることなんかできなかった。とりあえず彼の動きを封じるために、やたらと斬りかかるしかなかった。僕の心の動きを読み取られないために。なんだかひどく動揺していることを悟られないために。
 刀を返した瞬間、八左ヱ門の苦無が弾き飛ばされた。とっさに僕は八左ヱ門に足払いをかけて、馬乗りになって、喉元に刀を突きつけた。
 -そうだ。こうしないと。いざとなれば、八左ヱ門の喉を掻き切ってやれるくらいでないと、忍とはいえない。
 いやむしろ、僕が刀を突きつけているのは、僕の心にいる迷いだった。そんなものは、掻き切ってしまえ。今すぐ。

 


「降参だ。負けたよ」
 八左ヱ門の声が聞こえた。眼に動揺が浮かんでいる。なにか、異形のものをみるような眼。彼の眼に、僕はどんな顔をして映っているのだろう。
「おい、兵助。降参だって言ってんだろ」
「そんなことはないだろう」
「どういう…意味だよ」
「その手に持ってるのはなんだ…いざとなれば、一握りの砂だって目潰しの役には立つ。八左ヱ門が授業で習ったことは、僕も習ってるんだよ?」
 僕にとっては、取ってつけたような理屈だった。ただ、この手を離してしまうと、迷いがよりパワーアップして僕の中に戻ってきてしまいそうで、それが怖かっただけだ。
「わかったよ…」
 八左ヱ門は地面に大の字になって顔を背けた。ゆっくりと開いた掌から、砂がこぼれ落ちる。
「これで分かるだろ。降参だ。もう好きにしやがれ」
 僕の左手は、八左ヱ門の袷を掴んで身体を地面に押し付けている。その左の拳を通じて、八左ヱ門の身体の力が抜けていくのが分かった。と同時に、体温とかすかな鼓動の伝わりを感じた。
 -そうだ。僕が刀を突きつけているのは、八左ヱ門だ。八左ヱ門だから、こんなに暖かい。
 そう思った瞬間、僕は我に返った。僕は、このままだったら、本当に八左ヱ門の喉を掻き切っていたかも知れない…。
 左の拳が熱い。八左ヱ門は、体温が高いのだろうか。熱い血が、流れているのだろうか。八左ヱ門の熱い身体は、これからも、僕の冷えた心を暖めてくれるのだろうか。

 


 ゆっくりと左手の拳を離す。それから馬乗りになっていた足をどかして、刀を鞘に戻す。
 口惜しそうにゆがめた顔を背けていた八左ヱ門が、刀を戻す音に気付いて、僕のほうを見る。その眼に、さっきのような異形を見る怯えはない。僕は心から、ごめん、と言った。

「いいさ。授業なんだから、真剣勝負で当然だろ」
「ああ。だけど…」
「なんだ?」
「僕は、八左ヱ門を…」
 殺すところだった。自分の中の、実体があるかどうかもあやふやなものと誤認して。
「気にすんなって」
「いや…」
 僕は手を差しだして、八左ヱ門が身を起こすのを手伝った。そんなことで赦されるとは、思ってなかったけど。

 


「それにしても、調子の悪い兵助に負けるようじゃ、俺もまだまだだよな」
 背中や髷についた土埃を落としながら、八左ヱ門が笑いかける。いつもの太陽のような笑いではない。自嘲的な、らしくない哂い。 
「調子が悪いだって?」
「ああ。いつものお前なら、あんな余裕のない斬りかかりはしないからな。さっきのお前は、まるでケガした小鳥みたいだったぜ」
 -小鳥…か。
 そんなものかもしれない。いくら八左ヱ門の喉元に刃を突き立てていていも、ほんの小さな動きで彼の命を奪える立場にあっても、結局、僕は、彼の掌の中に包まれた小鳥にすぎない。弱った羽で暴れようが、小さい嘴でつつこうが、八左ヱ門は暖かい掌でそっと包み込んで、優しい顔で覗き込んで言うのだ。…コイツ、かわいいヤツだな、と。
「はは…そんなことないさ」
 繕うように哂う。むしろ僕は、大きな八左ヱ門の掌のなかに護られる小鳥になりたかった。もし許されるなら。
 でも、忍として生きていくと決めた以上、そんな甘えは許されない。人は易きに流れる。いちど八左ヱ門の庇護に狎れた僕は、二度と一人で立っていくことはできないだろう。
「それにしても、マジで殺られるかと思ったぜ。さっきの兵助の顔、ハンパなく怖かったんだからな」
 よほど思いつめた顔をしていたのだろうか。八左ヱ門は、軽口を叩く。
「そうだな。さっきの八左ヱ門の顔、本気で怯えてたからな」
 僕にも、ようやく少し余裕が戻る。
「なに。ちょっとビビっただけだよ」

 


「ほれ、兵助! お前、まだ勝ち残ってんだからはやく行けよ。でないと雷蔵たちに見つかるぞ」
 八左ヱ門の手が、力強く肩を叩く。
 痛いなあ、と言いながらも、僕は木立に姿を消す。
 

 

 

 僕が眼をそらし続ける感情の正体は、おそらく、忍として致命的なもの。

 

 

 <FIN>

 

 

 

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