二つの未来の間に(2)

 

 庄左ヱ門は校舎の壁に寄りかかった。頭の後ろで手を組む。
「いいな、庄左ヱ門は。うちは…」
 団蔵も、同じように壁に寄りかかる。
「でも、忍術学園に入れてくれたんだから、忍者になることもありっていうことじゃないの?」
「そうかもしれないけど…」
 あのときの飛蔵の口調を思い出す。とにかく学問をさせるために学園に入れたのであって、忍者になることなど問題外、という口調だった。

「それに、忍者って、必ずしもお城や忍者隊に入るものではないっていうし」
「どういうこと?」
「穴丑のこと、授業で習ったろ?」
「へ?」
 団蔵が眼を丸くする。教科担当担任の土井半助がこの場にいたら、「教えたはずだ!」を涙目になって連呼しただろう。
「街の中でふつうの人に混じって活動する忍者のことだよ。味方の忍者にもほとんど知られていないことが多いって、土井先生がおっしゃってた」
「ふーん」
「穴丑は、ぱっと見、ふつうの人と同じように商売したりしているんだ。炭屋とか、馬借とかね」
 庄左ヱ門は、片目を軽くつむった。
「そうかあ。庄左ヱ門は、穴丑になりたいの?」
「まあ、それもありかな、と思ってる」
 以前、半助に、忍には向いていないと宣告されたときの記憶が頭を過ぎる。半助は、忍にはなれなくても、学園で勉強を続けることは、将来きっと役に立つと言ってくれたが、庄左ヱ門には、それでもショックは強く残っていた。だから、穴丑のように、忍らしくはなくても何らかの形で忍に関わる道があると、自分なりに解釈することにしていた。
「ふーん。ぼくはやっぱり、先生たちや利吉さんみたいなカッコいい忍者になりたいな」
 団蔵には団蔵なりに、少年らしい忍者への憧れがあるようである。
 -それが、ふつうなんだろうな。
 庄左ヱ門は考える。本来なら退学してしまっても不思議ではないようなショックだったが、庄左ヱ門の中の冷静さが、辛うじて自身を押しとどめていた。それまでは、庄左ヱ門の中にも、カッコいい忍者への憧れはあったのだから。
 -だけど、ぼくは現実を知ってしまった。
 庄左ヱ門は、寂しげに空を見上げる。壁から背を離した団蔵が、訝しげにその表情をうかがう。
「どうしたの、庄左ヱ門」
「ううん、いや、なんでもない」

 


「あれ? 彦四郎は来ないのか?」
「はい。安藤先生のい組の実習に行ったまま、まだ戻ってきてません」
 学級委員長委員会室には、鉢屋三郎と庄左ヱ門の2人だけである。
「しょうがないな。では、今日の学級委員長委員会は延期!」
 三郎は、気軽に延期を宣言すると、座を立とうとした。
「あの、鉢屋先輩。ちょっといいですか」
 庄左ヱ門が中腰になって呼び止める。
「どうしたんだい」
 三郎は座りなおす。
「その…」
 どう話を切り出そうか迷って、庄左ヱ門は口ごもる。三郎は軽く首をかしげて待っている。
 -自分の相談ではないな。
 そもそも、庄左ヱ門は、自身のことで三郎に何かを相談してきたことがない。自身に関する相談事がないのであればいいのだろうが、三郎には、そうは思えなかった。
 -庄左ヱ門は、自分のことは自分で解決する癖がつきすぎているのではないか。
 なんでも自分だけで解決しようとすることは、ときに思考が循環参照に陥って、解決を遅くするだけである。特に庄左ヱ門のような生真面目な人間は。 だから、いずれ機会を見つけて分からせてやらなければ、と三郎は考えていた。庄左ヱ門に必要なものを。
「あの…こんなこと訊いていいのかわからないんですけど…」
 庄左ヱ門が、ようやく口を開いた。
「鉢屋先輩は、お家の家業と忍者のどちらを取るか、迷われたことはありますか?」
「ないよ」
 三郎はあっさりと答える。
「それは、どうしてですか?」
「まだ設定されてないからね」
「おっしゃることが、よくわからないのですが」
 庄左ヱ門が首を傾げるのに構わず、三郎は続ける。
「クラスの誰かが、そのことで悩んでいるのかい?」
「はい。実は」


 
「庄左ヱ門は、学級委員長として、そんな相談にも乗っているんだ」
 団蔵の悩みを手短に説明した庄左ヱ門に、三郎はまず感想をもらした。
「はい。同じクラスの仲間ですから」
 迷いも淀みもない庄左ヱ門の答えに、三郎は目を見張る。もっともそれは、勘付かれない程度の微細な表情の揺らぎに過ぎなかったが。
 -クラスの、仲間ね…。
 三郎にとっては、この二つは別のものである。仲間は仲間としてかけがえのない存在だが、学級委員長として接するクラスは別物というのが、三郎の考えである。クラスとは、気に食わなかったり、どうしてもうまくやれない人物が混ざっていて、それでも役割上まとめていくだけの存在なのだ。
 現に学級委員長をつとめている五年ろ組にそのような人物はいなかったが、組織として接するクラスであれば、当然そのようなことはありうるのではないかと三郎は考える。
 -まあいい。それより、庄左ヱ門の相談に、応えてやらなければな。
 端座して、自分をまっすぐ見つめてくる少年の真ん丸い眼に軽くたじろぎながらも、三郎は考えをめぐらせる。

 


「僕たちは、すごく恵まれてると思わないかい?」
「どういう、ことですか?」
 不意に三郎の口をついて出た問いに、庄左ヱ門は、眼をぱちくりさせた。
「庄左ヱ門、君はいま、いくつだ?」
「10歳です」
「そうか。農家にしても職人や商人にしても、その年になれば、普通に働き手としてカウントされるのは、庄左ヱ門も分かってるよね。僕の年になればなおさらだ。それなのに、忍術の学校に入れて勉強させてくれる、それは、他の同い年の連中と比べてものすごく恵まれている、そう思わないといけないんじゃないかな」
 自分の言葉が答えになっているか、今ひとつ確証が持てないまま、三郎は続ける。
「団蔵の家だってそうだと思う。馬借の世界はよく分からないが、馬を引く手は多いに越したことはないはずだ。それも、親方の息子であれば、当然引き手になってしかるべきところだろう。それを、わざわざ馬借稼業とは関係ない忍術の学校に入れているんだ。ムリに家業を継がせるつもりなら、そのようなことはしないはずだと思わないか」
「そう…思います」
「それに、馬借は、七方出と同じくらい、敵地に潜入しやすい稼業だ。それこそ忍に向いていると言えるのではないかな。近江の馬借は、水上交通とも縁が深いからなおさらだと思うが」
「つまり、団蔵の親御さんは、忍者と馬借は両立できると考えておられる、ということですか」
「そこまで考えておられるかは分からない。だけど、団蔵がそのことを説明すれば、安心されるのではないかな」

 


 庄左ヱ門の表情が明るくなった。
「ありがとうございます、先輩。今の話、団蔵にしてもいいですか」
「いいよ」
「さっそく、話してきます! ありがとうございました」
 立ち上がった庄左ヱ門は、深々と一礼すると、は組の教室へ向けて走り出した。
 -ホントに君って、友達思いなんだね。庄左ヱ門。
 ひとり委員会室に残された三郎は、ふっと笑う。人に対して、あれだけまっすぐな気持ちを、自分は今まで持ったことがあっただろうかと思いながら。

 


「ふーん、そんな相談があったんだ」
 忍たま長屋の縁側に、三郎と雷蔵が腰を下ろしている。
「…案外、いいとこあるね、三郎」
 雷蔵が、くっと忍び笑いをする。
「どういう意味さ」
 少し気を悪くしたように、三郎が訊く。
「悪い悪い。でもさ、いつもの三郎だったら混ぜっ返しているところだろうな、と思ったから」
「可愛い後輩が相談してるんだ。そんなことするわけないだろ」
「そうだね。庄左ヱ門には、まじめに答えてやらないといけない雰囲気を感じるしね」
「そうなんだ…」
 あの生真面目そのものの丸い眼を、三郎は思い出していた。その横顔を、雷蔵が見つめる。ぶらぶらさせていた足を、三郎が不意に止める。
「雷蔵」
「なんだい」
「僕たちにも、あまり時間はないんだな」
「…そうだね」
 雷蔵には、三郎の言いたいことがよく分かった。
 -僕たちが、世の中の同世代の連中とまったく別の環境で勉強できる時間も、そんなに長くは残っていない。卒業したとき、一人前の忍としての実力をつけていなければ、自分たちには、職業経験すらない落伍者としての烙印が押されてしまう。
 では、自分たちはそれだけの実力をつけているのか。自分たちが学園で学んだことは、外の世界で果たして通用するのか。卒業を意識するにつれ、不安が膨らんでどうしようもなくなることがある。きっと三郎も同じなのだろう。プライドの高い三郎が、そのような不安をストレートに口にすることは決してなかったが、雷蔵には、不安に押しつぶされそうになっている三郎の気持ちが痛いほど理解できるのだった。

 


「団蔵のお父さんが、どう思って、団蔵が学園に入るのを許されたのかは分からない。でも、きっと忍者の世界がどのようなものかを、よくは知らないから、団蔵が忍者になるのに反対されるんだと思うんだ」
 ふたたび校舎の裏で、庄左ヱ門と団蔵が壁に寄りかかっている。
「それって、どういうこと?」
 団蔵が、庄左ヱ門の顔を覗き込む。
「つまり、馬借の仕事と忍者は、どっちかを選ばなければならないものではないということが分かれば、団蔵のお父上も、団蔵が学園で勉強することを許してくださるのではないかな、と思うんだ」
「ぼくに、うまく説明できるかな」
「それは、団蔵しだいだけど…」
 -だけど、団蔵ならできる。いや、できてもらわなければ困るんだ。一年は組から団蔵がいなくなったら、困るから。誰か一人欠けても、は組はは組ではなくなってしまうから。
 だから、庄左ヱ門は、団蔵の肩を力強く叩く。
「ここでうまく説明しなくてどうするのさ! 団蔵ならできるって!」

 

 

<FIN>

 

 

 

 

 

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