Home~還るべき場所(2)

 

「久しぶりだな。勢至丸…いや、土井半助」
 不意に声が上がる。苦無を構えた半助が向き直った木立から、一人の忍が悠々と手を後ろ手に組んで現れた。
「…弾正だな」
「前回は、堺まで巻き込んで派手に逃げ回ってくれたが、今回はそうはいかん。覚悟してもらおうか」
 -堺?
 その意味が、半助には見当がつきかねた。だが、その前に、ひとつ明らかにしなければならないことがあった。
「はじめから、弾正に会わせるつもりだったんだね。顕光君」
「そのとおりです」
 低く、冷たい声で顕光は答える。
「なぜだい」
「兄の仇だからです」
 -やはり。
 


「そうだろうと、思っていたよ」
「気付かれていたんですね」
 顕光の声は変わらない。当然のことを聞いたように。
「ああ。君はお兄さんによく似ている。ウソが苦手なところもね」
「その兄は…あなたのせいで」
 初めて顕光の声に、感情が加わった。
「お兄さんには…恒光には、申し訳ないことをした。私を庇おうとして…」
「兄の名を気安く呼ぶな」
 一段低い声で、顕光が遮る。
「私は、全てを聞いた。兄が、あなたのために、城でひどく責められ果てるまでの全てを」
「それは…」
 たしかにそれは事実だった。恒光は、最後まで自分を庇おうとして、そして自ら果てたのだ。それを、自分は止めることもできなかった…。
「見苦しいぞ、土井半助」
 面白そうに半助と顕光のやりとりを見ていた弾正が、揶揄するように声を上げる。周りを囲んだ忍たちも、失笑を漏らす。
 -こいつらは、顕光君に何を吹き込んで、自分たちの仲間に引き込んだというのだ…。
 実際には、恒光を捕らえて、城に連行する前にひどく拷問したのは、弾正一派だった。その事実は、顕光には知らされていないようである。
「さあ、顕光君、君の兄の仇が目の前にいる。思うさま、仇を討つのだ。こやつのために命を落とした兄に恥ずかしくないようにな」
 弾正が顕光の肩を軽く押す。顕光が静かに刀を抜く。
 -顕光君。これは罠だ。
 顕光の動きを見れば、剣術は半助の腕には到底及ばないことは明らかだった。それを知っていて、弾正は、顕光を半助と戦わせようとしている。弾正にとっては、顕光が倒されるのは想定内のことのはずである。そして、顕光が倒された後、数を頼んで半助を消すつもりなのだ。あるいは仮に顕光が半助を倒すことに成功しても、弾正はこんどは顕光を消すだけのことである。こうして弾正は過去にかかわる厄介な人間を相討ちさせて葬るつもりなのだ。
 だが、それをどうすれば顕光に伝えられるというのか。いまや、憤怒をぎらぎらと宿した眼で半助を睨み据えながら、刀を構えているこの青年に。
「刀を抜け。土井半助」
 顕光の凛とした声が響く。観念した半助が、刀の柄に手を掛けたとき、「ぐ」という声とともに、木の上にいた忍の一人が落ちてきた。その胸に苦無が突き立っているのが見て取れた。
「!」
 弾正と半助がはっとして見上げる。と、忍が落ちてきた枝から二人の人影が飛び降りてきた。
「山田先生! 戸部先生!」
 思わず声を上げていた。そこにいたのは、紛れもなく忍術学園の同僚の山田伝蔵と戸部新左衛門だった。
「なに、土井の仲間か」
 弾正が声を出すと、周囲に潜んでいた忍たちが姿を現した。
「山田先生、なぜここに…」
「土井先生。あなたは生徒たちに、忍の任務遂行に関わる心得を教えたはずだ。なぜ、それを実践できないのですかな」
 伝蔵の声は、教師長屋で交わすときと変わらない落ち着き払った声である。
「これは、私の問題です。私一人で解決しなければならない問題なのです。手出しは無用に」
 いつ斬りかかってくるとも分からない顕光の動きに警戒して、刀の柄に手を掛けたまま、半助は言う。
「忍は、目的を果たすためなら、意に沿わないことも受け入れなければならない、違いますかな」
「何をごちゃごちゃ話しておる! 早く始末するのだ」
 弾正の声に、数人の忍が斬りかかる。しかし、たちまち伝蔵と戸部の刀の前に倒れる。あとの忍たちは、じりと間合いを詰めながらも、まだ斬りかかることができずにいる。
「我らの現在の任務は、生徒たちを教え導くこと。違いますか」
 静かに問う戸部の声に、半助は答えることができない。
「そのためには、われわれは、土井先生を失うわけにはいかないのだ。それが、われわれがここに来た理由です。土井先生にもご事情がおありなのでしょうが、ご理解いただかねばならぬ」
 伝蔵が続ける。
「しかし…」
「話が長いですよ、父上」
 不意に、頭上から涼やかな声が響く。
「利吉!」
「利吉君!」
 太い枝の上に足を組んで掛けているのは、利吉だった。
「なぜここに…」
「言っておきますが土井先生、私はあくまで通りすがりのギャラリーですから」
「ギャラリーだと?」
 弾正が歯軋りをする。
「私はあくまで、今日という今日こそ父上を母上のもとにお連れするために来ただけのこと。たまたま、この場に居合わせただけということです」
「では、手出しはしないでいてくれるね」
「さあ」
 利吉はしれっと肩をすくめる。
「…ギャラリーというものは気まぐれなものですから。気が向いたらどちらかの味方をするかもしれませんね」
「黙れ!」
 弾正の手下の一人が放った手裏剣を、利吉はこともなげに苦無で払う。
「ばかな人たちですね」
 冷ややかに利吉は言う。
「私も、どちらの味方をするか、決めてしまったではないですか」
 苦無を構えたまま、ひらりと枝から飛び降りる。
「まったくいつもいつもカッコつけたマネをしおって…かわいくないやつだ」
 伝蔵がぼやいたのに、涼しい顔で答える。
「何を言っているんですか…それより、私も次の仕事があるから、父上を早くお連れしなければならないのです。早く始めませんか」
「何をしている…早くかかれ!」
 弾正の声とともに、半助も刀を抜く。一斉に斬りかかってくる弾正の部下たちを、4人が鮮やかに倒していく。

 


 残るは弾正と顕光だけだった。事の展開に、顕光はただ刀を構えたまま立ちすくんでいるだけである。
「…」
「…」 
 唇を引き結んだまま、2人は構えたまま動かない。先に動いた方が、負けとでもいうように。
「どうした。かかって来ぬか」
 弾正が苛立った声を上げる。
「負けだな」
 戸部が低く呟く。その声に、弾正がほんの一瞬、気をとられたとき、半助の足が地を蹴った。すかさず弾正も動く。
 半助と弾正が切り結ぶ。互いが押したために、一瞬、刀が離れた。次の瞬間、再び切り結ぶ。と、弾正の身体から急速に力が抜けて、がっくりと倒れこむ。その胸には、心臓の位置に正確に、棒手裏剣が突き立っていた。二回目に切り結んだ瞬間に、半助が手甲に隠していた棒手裏剣を突き立てたのだ。
「ふむ。相変わらず、鮮やかだな」
 感心したように伝蔵が顎に手をやる。
 崩折れた弾正の前に、半助は刀を払って立っている。その無表情な眼に、利吉は見覚えがあった。
 -あれは、仕事をしている時の眼だ…。
 今しがた人を斬ったばかりというのに、痛みも悲しみもない空洞のような眼。忍にそのような感情は必要ないことは分かっていたが、人を斬ったときの半助の眼は、さながら殺人機械のような無機質だけがあった。そして利吉は、その眼に冷やりとすると同時に、底知れぬ恐ろしさと、哀しみを感じたのである。

 


「行くぞ、利吉」
 気がつくと、伝蔵が側にいた。
「しかし父上、まだ一人、残っているのでは」
「これからが、半助の本当の過去の清算なのだ。われわれがいるべきではない」
「では、母上のもとへ参りましょう」
「い、いや、それはだな…」
 急に伝蔵が口ごもる。
「まさか父上、このまま学園に戻ると仰るのではないでしょうね」
 利吉の口調がきつくなる。
「いや、まあ…生徒たちの授業も遅れているし…そのつもりなのだが」
「だめです! 今日という今日こそ、母上のもとまで私が責任を持って送り届けて見せます!」
「いや、その…戸部先生?」
 救いを求める眼で戸部に声をかけた伝蔵だったが、戸部の返事はつれない。
「私は剣術師範ゆえ、カリキュラムについては分かりかねる。私は学園に戻りますゆえ、御免」
「戸部先生、私も…」
「だめです! 父上は私と来ていただきます」
「わ、わかったわかった…だから利吉、私の荷物から手を離しなさい」
「だめです!」
 利吉に引きずられるように、伝蔵も連行されていく。

 


「顕光君。君はだまされている。君のお兄さんは、確かに私を庇うために、自ら果てた。だが、そのお兄さんを捕らえたのは、弾正たちだ」
 刀を構えたままの顕光に、半助は静かに語りかける。刀は右手に提げたままである。
「…」
 顕光は何も言わない。だが、その眼は、半助の言葉を受け入れることを拒否している。
 -私は、君を斬りたくない。だが…。
 その覚悟をしなければならなくなったようである。

 


 じりじりと顕光が間合いを詰めてくる。だが、その剣先は迷うような揺らぎがある。人を斬ったことのある剣ではない、ふとそう思った。
 -もはや、私の言葉は、君に届かないのかもしれない。だが…。
 言っておかなければならないことがあった。
「顕光君。ひとつだけ言っておきたいことがある。聞いてくれなくてもいい。言わせてほしい」
 言葉を切る間にも、顕光が刀を構えなおす。
「私には、恒光も顕光も、大切な兄弟だ。かけがえのない…」
「問答無用!」
 一声叫ぶと、顕光は地を蹴って駆け出した。大きく振りかざした刀を振り下ろす。
 最初の一太刀はかわした。だが、顕光は、半助の予想を超えた機敏さで、何度も斬りかかってくる。
 -弾正たちに、鍛えられたか。
 それも言葉巧みに。ただ、自分を倒すためだけに。
 不意に、顕光が足払いをかけてきた。ほんの一瞬、避けるのが遅れた。刀はかわすことができたが、着地したとき、身体のバランスが崩れる。
 その瞬間を、顕光は見逃さなかった。刀をまっすぐ半助に向けて突き立ててくる。もはや半助に、余裕はなかった。懐の苦無を、顕光に向けて投げつけると同時に、横に倒れこむように身をかわす。
 どう、と音がしたのは、自分の身体が地面に当たった音か、それとも顕光の身体か。
 周囲には物音がしない。そろそろと顔を上げる。
 -顕光…。
 そこには、刀を手にしたまま倒れている顕光がいた。その胸には、ついさっき自分が放った苦無が深々と刺さっている。

 


 -私が、やってしまったことなのか?
 目の前の現実は。
 -私は、顕光を、殺してしまった…。
 傾きかけた陽が、血の気を失った顕光の顔を染める。
 しばらく、顕光の前に座り込んで、立ち上がることができなかった。
 -いや、こうしてはいられない。埋葬してやらねば。
 いまの自分には、墓を立ててやることも、経を唱えてやることもできない。だから、せめて、屍をさらすことないように埋めてやって、花の一つも手向けてやらなければ。
 よろめき立った半助は、弔ってやる場所を求めて、あたりを見回す。

 


 -そうだ。よく木登りをした柿の木の下に…。
 半助は苦無を取り出すと、無心に穴を掘り始めた。時間をかけて、十分な大きさの穴を掘り、そっと顕光の身体を穴の底に下ろす。握り締めていた刀から指をほどき、傍らに添える。
 そして、顕光の身体に土をかけていく。肩まで土がかかったところで、半助は手を止めた。
 顕光は、数日前に再会したときと同じように、色白で女性のようにたおやかな顔立ちだった。まだ小さかった頃の顕光を、恒光はいつも可愛がって背負っていた。半助も、指先を近づけると小さな手で握ったり開いたりする顕光が可愛くて、飽かず相手をしていたものだった。物心ついたころの顕光は、恒光と半助を兄のように慕って、どこまでも付いてこようとした。兄弟のいない半助には、恒光たち兄弟と遊ぶときだけが、子どもでいることを許されている時間であり、おおきな慰めだった。あの頃、どうして予想ができただろう。まさかその顕光を、この手にかける日が来るとは。恒光、顕光の兄弟こそ、自分に兄弟の暖かさを教えてくれた存在だった。そして、その二人を喪ったのだ。自分のせいで。

 


 顕光の顔は、眠っているように穏やかだった。ふたたび土を掛ける手を動かし始めたとき、半助はとても眼を開けていられなかった。闇雲に手元の土を穴へと戻して、ようやく眼を開けたときには、もう顕光の姿は見えなくなっていた。
 半助は、山門の下まで降りていった。道の両側には、色づき始めた稲穂が一面に広がって、夕日を浴びていた。その畦に咲いた彼岸花を見つけると、半助は根ごと掘り取って、柿の木の下まで戻った。彼岸花を植え、泥まみれの手をそっと合わせる。
 -こんなことしか、私にはできない。すまない。顕光…。
 不意に一陣の風が、渦を巻いて通り過ぎていった。植えたばかりの彼岸花が倒れそうに揺れる。
 -顕光…。
 急に激しい感情がこみ上げてきて、半助はその場に手をついた。食いしばった歯の奥から嗚咽が漏れるのも、固く閉じた眼から涙がこぼれるのも、止めることができなかった。もう自分にはとっくに涸れ果てていたと思っていた感情が一気に噴き出して、半助はその場に崩折れた。声を上げることも厭わず、泣いた。

 


「先生!」
「土井先生!」
 教室の窓から、半助の姿を認めたは組の生徒たちが、門を飛び出して駆け寄ってくる。
 生徒たちには、あるいは半助が二度と戻らないかもしれないということが伝わっていた。詳しい事情は知らされなかったものの、半助がのっぴきならない事情を抱えて学園を後にしたことは聞いていた。だから、半助が戻ってきたことに喜びを隠し切れないのだ。
 ひとり、またひとりと、生徒たちが半助の身体に飛びついてくる。あっという間に、半助は、生徒たちに囲まれてしまった。どの顔も泣き笑いである。半助の顔を見たことで、それまで我慢していたものが、すべて決壊してしまったようだ。
「ほらほら、お前たちはなんだ、そんなに泣いて…忍者のタマゴがみっともないぞ」
 やさしい半助の声に、生徒たちの泣き声がさらに上がる。自分の身体にかじりついてくるひとりひとりの頭や肩を撫でながら、半助は改めて、生徒たちを限りなく愛しく感じた。
 まだ、側に来ていない生徒がいる。少し離れたところで、しゃくりあげているのは、庄左ヱ門である。
「ほら、庄左ヱ門も来なさい」
 半助の手が庄左ヱ門の肩を軽く引き寄せると、ついに堪えきれなくなったように庄左ヱ門も、大きな泣き声を上げながら半助にしがみついてきた。
「庄左ヱ門は、庄左ヱ門はね…」
 しきりにしゃくりあげながら、乱太郎が説明しようとする。
「先生がいないあいだ、ひとりでクラスを守ってくれたんですっ」
 安藤のイヤミから、い組や上級生たちのからかいから、小さな身体を張って庄左ヱ門は、は組を守ったのだ。半助の不在が長引くにつれ、ともすればばらばらになりそうなは組のチームワークを必死でつなぎとめていたのだ。
「そうか。済まなかったな、庄左ヱ門」
 庄左ヱ門の返事はない。他の生徒たちに混じって、ひたすら華奢な肩を震わせながら、半助の着物の襟を濡らしている。

 しゃがみこんで生徒たちをまとめて抱きしめてから、涙声になりそうなのを振り払うように声を上げる。
「さあ、遅れていた授業を取り戻すぞ。さっそく授業を行う。全員、忍たまの友を持って教室に集合だ!」
 えー、と抗議の声が一斉に上がる。だが、皆、半助にまとわりつきながら校門をくぐり、教室へと向かっていく。
 もう二度と離さない、というように半助の手をつかんだり、身体を押し付けてくる生徒たちの温もりを感じながら、半助は、自分の居場所を感じていた。ここが、自分の還るべき場所だと。

 

<FIN>

 

 

 

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