きり丸の奨学金(3)

 

「おーい、きり丸が見つかったぞ」
 偵察に出ていたメンバーが戻ってくる。
「よし。いま、どうしている?」
 佐吉が訊ねる。
「彦四郎がうまく小銭でコースアウトさせたけど、三治郎が探しに来たので妨害してる」
「三治郎は、すぐきり丸を見つけそうか?」
「いや、たぶんムリだと思う。彦四郎がすごく深い沢に小銭を投げ込んで、そっちに向かっていったから」
「そうか…」
 あごに手を当てて考えていた佐吉が、口を開く。
「彦四郎にも戻ってくるよう、伝えてくれないか。これからぼくたちはは組の罠を突破する」 

 


「チェックポイントの問題が早口言葉とは思わなかったな」
「参加者が多すぎて、学園長先生が問題を考えるのが面倒になったらしい」 
 話しながら走ってくるのは、い組の一平たちである。
「よし、行くぞ」
 団蔵が勢いづく。
「まて、団蔵。あいつらは、おとりかもしれない」
 庄左ヱ門が、駆け出そうとする団蔵たちを制する。
「そんなわけないだろ。あいつらが、ぼくたちの本当の作戦会議を聞いてたとは思えない」
「そうだよ。ちょっと考えすぎだよ。何の気配もしなかったじゃないか」
 団蔵と金吾が言い返すが、庄左ヱ門は引かない。
「そうだけど…い組がまとまっていないのは変だと思わないか」
「そういえば…やっぱ、庄ちゃん冷静だね」
 乱太郎がつぶやいたが、団蔵たちの耳には届いていない。
「走ってるうちに離れることだってあるさ」
「そうだよ。それに、今から行かないと、仕掛け網に追い込めないよ」
「よおしっ、行っくぞ!」
「は組突撃隊出動!」
「伊助も来てくれ」
「分かった」
 3人は駆け出してしまった。庄左ヱ門がつぶやく。
「しょうがないなぁ…それじゃ、仕掛け網担当の虎若と、橋担当の兵太夫も、行ってくれないか」
「了解」

 

 

「おい、一平」
 団蔵が一平たちの前に回りこんだ。
「なんだ、団蔵」
「覚悟しろ!」
「なっ」
 団蔵の背後の茂みから、木の枝を剣代わりに構えた金吾と伊助が現れた。
「突撃ーっ!」
 団蔵が叫ぶとともに3人は一平たちに向かって駆け出した。
「な、なにすんだ!」
 逃げる一平たちも、団蔵たちの動きを目で追いながら慎重に足を運ぶ。
 -おかしいな。落とし穴の担当は団蔵と金吾と兵太夫のはずなのに…。
 兵太夫がいないということは、どこかで別の仕掛けを作っているのでは、と一平が考えたとき、
「今だ! 虎若!」
 金吾が叫ぶ。と同時に、何かが一平たちの頭上に覆いかぶさってきた。
「え!?」
 頭上からの攻撃に無防備になっていた一平たちは、たちまち仕掛け網に絡みとられてしまった。
「引っかかったーっ」
 団蔵たちがにやにやしながら近づこうとしたとき、茂みから声がした。
「引っかかったのはそっちだよ」
「なに? 誰だ!」
「お前たちの相手は、成績優秀な一年い組だということを忘れてもらっては困るな」
「伝七!」
 茂みから出てきたのは伝七たちである。団蔵たちは包囲されていた。  
「しまったぁ…囲まれた」
「まあ、アホのは組には、このくらいが限界かな」
「なんだと…」
「団蔵たちを捕まえろ!」
 伝七が叫ぶとともに、い組が一斉に襲いかかった。そのとき、何かがまた覆いかぶさる。
「!」
 い組と団蔵たちがつかみ合っているところに、もう一つの仕掛け網が降ってきたのだ。
「仕掛け網のスペアがあったんだ。枝の上に」
 枝から飛び降りてきた虎若がしれっと言う。だが、スペアの網は小さかったので、団蔵たちが絡みとられてしまったが、伝七や佐吉たちい組の数人が、網から辛うじて逃れた。
「けっ…、アホのは組にしては、やるじゃないか」
「いちいちアホ言うな!」
 網の中から団蔵が怒鳴る。
「ほざけ! 虎若は一人だ。あいつも捕まえろ!」
 伝七たちが忍び鉤を取り出したとき、一斉に石が投げつけられた。
「なんだ!」
「は組には、まだ戦力が残っていることを忘れてもらっては困るな」
「庄左ヱ門!」
 庄左ヱ門に続いて、乱太郎たちが苦無や手裏剣や、思い思いの忍器を手に、網から逃れた伝七たちを囲んだ。
 -は組はきり丸たち4人がいない。人数でも実力でも、ぼくたちい組のほうが優勢だな。
 伝七が計算しているところに、佐吉がささやく。
「ここは危ない。これ以上なにが仕掛けられてるか分からないから、あっちの少し開けたほうに動こう」
「わかった」
 伝七はささやき返すと、声を上げて、開けた方向へ走り出した。
「よし、こっちだ」
「伝七たちが動いたぞ」
「追え!」
 もうすぐ木立を抜ける、というところで、は組は一斉にい組に飛びかかった。い組も応戦する。と、突然足元の感覚がなくなり、体が宙に浮いた。
「「「!?」」」
「うわ!」
「落とし穴だ!」
 木立を抜けたところには、大きな落とし穴が仕掛けてあった。全員が落ちている。
「くっそ。もうやけくそだ! こん中では組をやっつけろ!」
 伝七が叫ぶと、庄左ヱ門も負けずに怒鳴る。
「こっちこそ! 構わないからやっちゃえ!」
「おう!」
 双方が叫び声を挙げると、穴の中でい組とは組の戦いが始まった。もはや忍器は投げ捨て、取っ組み合いの殴り合いである。
 -戦力は互角。だけど、こっちにはまだ手勢が残っている…。
 殴りかかってくる佐吉の手首をとっさに掴みながら、庄左ヱ門は周囲に眼をやった。
 -きり丸、三治郎、いまどこにいるんだ。喜三太、いったいどこに消えたんだ…。
 その間にも、仕掛け網を苦無で切り破いた団蔵や一平たちが、次々と穴に飛び込んで加勢する。

 


「あの騒ぎは?」
「始まっちゃったか…」
「どういうことだ? 三治郎」
 きり丸と三治郎が、穴の縁にやってきた。中で何が起きているか把握すると、きり丸は迷わず穴に飛び込もうとした。しかし、誰かに背後から引っ張られ、勢い余って地面に投げ出された。
「誰だ!」
 い組の残党か、と素早く周りを見回したきり丸の視野に入ったのは、三治郎である。
「悪いけどきり丸、入っちゃだめだよ」
 いつものにこやかな表情からは想像もつかない険しい顔で低く言うと、三治郎は穴の中へ飛び込んだ。
「おい、三治郎! なんで俺を突き飛ばすんだよ!」
 穴の縁からきり丸が怒鳴る。

 

 

「きり丸、いいから早く行け」
 庄左ヱ門が叫ぶ。
「いいわけねえだろ。すぐ行くから待ってろ」
「きり丸…じつは、ぼくたちは、きり丸を優勝させるために、みんなで参加したんだ。いままで黙っててごめん…だから、ゴールに向かってくれ。あとはぼくたちが何とかするから」
「え…」
 三治郎の思いがけない言葉に、きり丸は言葉を失う。
「だから、早く行くんだ」
「そうだよ、早く」
 虎若や伊助が声を上げる。
「でも…でも、俺、やっぱ行けねえよ。みんなを置いてくなんて」
「言ったろ、きり丸。お前が行って優勝してくれないと、ぼくたちが参加した意味がなくなっちゃうんだ」
「早く行けったら、きり丸! じゃないと…」
 眼に涙をいっぱいに湛えながら、乱太郎は手裏剣を構えた。
「乱太郎…」
 その間にもい組の攻撃は止まない。手にした手裏剣を投げつけ、次の手裏剣を構えると、再びきり丸に向き直る。
「いますぐ行かないと、打つからなっ! 本気で、打つからなっ!」
「そうだよ! 早く!」
 伝七と取っ組み合ってごろごろ転がりながら、金吾も叫ぶ。
 それでも、その場を動けずにいるきり丸だった。

 


「ナメ太郎、こんなところにいたんだね。ずいぶん探したんだよ」
 行方不明になっていたナメクジを袖の中から見つけた喜三太が、先を急いでいた。ナメクジを探している間に、は組からすっかりはぐれていた。
「はにゃ?」
 この先で土煙がたっている。喜三太は首をかしげながらも、とっさに身を隠した。とりあえず様子を窺う。まず目についたのは、木からぶら下がった仕掛け網と、その裂け目から次々と駆け出すい組とは組である。
 -あれは、い組の一平たちと、団蔵、金吾、伊助だ…。
 団蔵たちが駆けていく先の落とし穴の中でも、い組とは組の残りのメンバーが戦っている。そして、穴の縁で佇んでいるのは…。
 -きり丸だ。
 切れ切れに声が聞こえる。
「早く行けったら、きり丸…」
 乱太郎の声だ。
「いますぐ行かないと、打つからなっ…」
 -そうか。
 喜三太はようやく事態を把握した。
 -は組のみんながい組を食い止めているのに、きり丸ったら、は組を見捨てて行けないんだ。だったら…。
 喜三太はにやりとする。
 -ナメクジさんたちの出番だよ!

 


「きり丸の動きが止まってる。今のうちにきり丸をどこかの木にでも縛っておくんだ。絶対にゴールさせるな」
「よし」
 伝七と佐吉が穴から飛び出す。
「しまった!」
 乱太郎が叫ぶ。
「どうした?」
 庄左ヱ門が苦無を構えながら訊く。
「伝七と佐吉が、きり丸のほうに…」
「なんだって!」
 2人の視界に入ってきたのは、きり丸に詰め寄る伝七と佐吉の姿だった。
「きり丸、悪いな…奨学生の座は、い組がもらった」
「う…お前ら」
 きり丸が手裏剣を構えながら後ずさりする。
「まずい…きり丸が、やられてしまう」
 庄左ヱ門が歯軋りしたとき、聞き覚えのある声が響いた。
「伝吉! 佐七! 2人がかりなんて、ひきょうだぞ!」
「伝七だ!」
「佐吉だ!」
 伝七と佐吉が振り返りながら同時に叫ぶ。
「あの声は…」
「喜三太だ!」
 乱太郎たちも、声の方を振り向く。
「今まで、どこ行ってたんだ」
「でも見て…喜三太、やる気だよ」
 乱太郎の声に庄左ヱ門が眼を凝らす。喜三太の手には、ナメクジの壷がある。その蓋に手がかけられる。
「な、なんだよ…」
 伝七と佐吉が思わず後ずさった瞬間、
「ナメクジさんたち! あいつらをやっつけるんだ!」
 喜三太が手にした壷から、ナメクジが一斉に伝七と佐吉に向かって放たれた。
「ぎえぇぇぇ!」
「ナメクジ!」
 ナメクジが伝七と佐吉の顔に張り付く。
「気持ち悪いぃ!」
「取って! 取って!」
 腰を抜かして闇雲に顔を払っている伝七と佐吉を横目に喜三太が叫ぶ。
「きり丸! 今のうちに、はやく行くんだ!」
「う…わ、わかったよ。サンキューな、喜三太」
 きり丸が、狼狽しながらも学園に向かって走り出す。
「お礼は、ナメクジさんたちに言ってね」
 喜三太はのんびりと手を振っている。

 


「くっそ…こんなナメクジなんか…」
「ろ組と違って、こんな作戦は、ぼくたちには通用しないんだ!」
 ようやくナメクジを顔から払った伝七と佐吉も駆け出す。
「三治郎! 頼んだ!」
 庄左ヱ門が叫ぶ。
「よしきた!」
 三治郎が穴から飛び出すと、伝七たちを追う。
 -三治郎が一人で追ってくる…どういうことだ? 奨学金ねらいか?
 伝七たちに疑念が過ぎる。と、背中に痛みがはしった。
「なんだ!」
 振り返ると、三治郎が撒菱を投げつけながら走ってくる。
「食らえ!」
「三治郎、邪魔だ!」
 佐吉が撒菱を投げ返す。
「あわわ…」
 たちまち三治郎は立ち往生してしまう。
「よし、三治郎は止めたぞ。あとは兵太夫ときり丸だ」
 伝七たちが一気に足を速める。その背中を悔しそうに睨みつけながら、三治郎は呟く。
「くそぅ…兵太夫、頼んだぞ」

 


 -来た来た。
 その頃、橋のたもとの草むらには、兵太夫が潜んでいた。その眼が、伝七と佐吉の姿を捉える。
 -おかしいな。2人だけか。残りの連中はどうしたんだろう?
 作戦では、橋に向かって追い込んでくるはずのは組の姿の見当たらない。
 -ま、いいか。とりあえず橋を落とせば、あとの連中も足止めできるし。
 先に行ったきり丸さえゴールできればいいのだ。
 -悪いけど、優勝するのはきり丸だから。
 伝七と佐吉がやってくる。2人の足が橋にかかる。にやりと笑いを浮かべた兵太夫が、仕掛けにつながる紐を引いた。

 


 テストに参加した一年生たちが校庭に並んでいる。ろ組の2人ときり丸、喜三太、兵太夫を除いて、みな制服はほこりだらけ、顔も手足もこぶやあざやすり傷だらけである。伝七と佐吉に至っては全身びしょぬれで、髷や制服からはまだ水が垂れている。
 大川が進み出る。
「今回の奨学生選抜テストだが、調査の結果、重大なルール違反が発覚したため、無効とする」
「「「「え~!!!」」」」
 大川が宣言すると、一斉に声が上がった。
「なにが『え~』じゃ! い組とは組! お前たちの妨害工作は眼に余る!」
「それはい組が」
「は組が先に仕掛けてきたんだろ」
「学園長先生」
 庄左ヱ門が進み出た。
「なんじゃ、庄左ヱ門」
「い組はともかく、は組で今回の妨害工作をしようと言い出したのはぼくです。特にきり丸は、何も知らなかったんです。だから、は組を罰するなら、ぼくだけにしてください」
「庄左ヱ門、何を言うんだよ」
「そうだよ。私たちだって賛成したんだから同罪だよ」
 団蔵や乱太郎が慌てて口を挟む。
「まあ待て。それに、もうひとつ」
 伝蔵が続ける。
「テストのあと、このことを知った事務のおばちゃんに、『奨学金なんか作れるような財政状態じゃないんですっ!!』と学園長先生が怒られてな」
「え~! それじゃ、優勝した俺の立場はぁ…」
 きり丸がへたり込む。
「そうだな。きり丸はせっかく優勝したのだから、何もなしというのはあまりにも気の毒だ。だからな」
 伝蔵が懐から紙束を出した。
「学園長先生と土井先生と私のポケットマネーで、食堂のタダ券10枚だ。がんばったな、きり丸」
「タダぁ~!」
「よかったね、きり丸」
 乱太郎が微笑む。
「ところで…」
 厚着が歯軋りをした。
「一年い組! あの程度の仕掛けにあっさり引っかかるとは何事だ! 弛んでいる証拠だ! 罰としてグラウンド20周! さっさと行って来い!」
「は、は~い」
「は組もだ!」
 伝蔵も怒鳴る。
「どこが悪かったかいちいち挙げられんくらいの情けなさだ! 誰が悪かったか以前の問題だ! お前たちもグラウンド20周! さっさと行け!」
「え~」
「仕方がないよ。行こう」
 乱太郎が言う。
「庄左ヱ門だけが罰せられるくらいなら、私たちみんなで走ったほうがまだいいよ」
「俺も行くぜ」
「きり丸?」
「とっとと20周、走っちまおうぜ。それに、グラウンドに小銭落ちてるかもしれねえからな」
 きり丸が片目を瞑る。
「そうだね」
「じゃ、先行くぜ」
「あっ、きり丸、待ってよ~」
 乱太郎たちがわたわたと追いかける。
「よーし、は組も出発進行! きり丸に追いつくんだ」
 庄左ヱ門が声を上げる。
「おう!」
 返事はいいが、まだもたもたしている仲間たちに向かって、振り返りざま声を上げながら、きり丸はなおも走る。
「お~い、早く来いよ。い組なんか、追い抜いちまおうぜ」
 -みんなが俺のためにやってくれたこと、俺、すごくうれしかったぜ。
 そう、呟きながら。

 


「あいつら、本当に反省してるんですかね」
 わらわらと走り出すは組を見ながら、半助がぼやく。
「いや、反省はしとらんでしょう…だが」
 腕を組んでは組を見つめる伝蔵の表情は、穏やかな笑顔になっている。
「…彼らは、大事なことを学んだ。チームワークというものを」
「それもそうですね」
 半助も微笑む。
「学園長先生の意図とはだいぶ外れたようだが、結果オーライということで、良かったのではないですかな」
「はい」

 

 

<FIN>

 

 

 

 

 

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