将を射る(2)
「では、気を付けていくのだぞ」
「はい。父上も」
翌朝、街道の分かれ道に佇む伝蔵と利吉の姿があった。
「私はちょっとした出張だから大したことはないが、本当に一人で大丈夫なのか? やはり誰かに加勢してもらった方が…」
気がかりそうに言いかけた伝蔵を利吉が制する。
「大丈夫ですよ、父上。昨日、学園長先生に見せていただいたホウキタケ城の構造は頭に入っていますし、学園の先生方はみなお忙しいですから」
本音は一人でやったほうが気楽だし、加勢をたのむほどの敵ではないと思っていたが、そんなことを言えば伝蔵は「敵を侮るな」と説教にかかるだろう。
「そうか。それならよいのだが」
その言葉と裏腹に、伝蔵の声は懸念が深く刻まれている。その理由も、利吉はよく理解できた。
-忍に、安全な仕事などないから。
この時代、忍として生きることを選んだ瞬間から、それはいつどこでのたれ死んでもおかしくない人生を歩むことを選んだことを意味していた。どんなに実力のある偉大な忍であっても、時の運に見放されればあっけなく命を奪われても不思議はないのだ。だからこそ、父は、伝蔵は、一期一会のように自分に接するのだ。いつ、どちらが帰らぬ人となってもおかしくない時代だったから。
-そのことは、いつも心に刻んでおかなければならない。
生への、成功への狎れこそが、忍にとって最大の敵なのだ。父は、それを態度で教えようとしたのだろう。だからこそ、自分も心して作戦にかからなければならない。いつになく神妙な心持でホウキタケ城に向かって歩いていた利吉だった。
ホウキタケ城が見えてきた。
-さて、どうやって潜入するか…。
歩きながら考えていた利吉は、唐突に呼びかける声に思わず肩を震わせた。
「利吉さん!」
弾んだ声の主は大木の陰から姿を現した。声を耳にした瞬間、利吉の脳内には、その後に訪れるあらゆる災厄のイメージが奔流のように駆け巡った。
「小松田君、なぜここにいるのです」
冷たい声で利吉は問う。
「はい! 僕は、優作兄ちゃんのお手伝いに小松田屋に戻るところなんです!」
「…そうですか」
ならばよい、と利吉は考える。とにかく小松田と一緒にホウキタケ城に向かう事態だけは避けなければならなかった。
「はい! でも、ちょっと時間があるから利吉さんのお手伝いをしよっかなって…」
「ちょ、ちょっと待て!」
慌てて利吉が遮る。
「その『お手伝い』は、学園長先生の許可をいただいているんだろうな?」
「許可…!? まさかぁ」
ふにゃりとした笑い顔になる小松田に、脱力感に見舞われる利吉だった。
-意外に早く終わったな…。
用件が早く済んだ伝蔵は、学園に続く峠道を急いでいた。
-これなら、今日のうちには組の追試の準備に取りかかれるかも知れぬ…あれさえ何とかすれば、だが。
すでに、自分を尾行している気配に気づいている伝蔵だった。そして、それが誰かもおおよそ見当がついていた。だから、足を止めた伝蔵はついと振り返って声を上げる。
「稗田八方斎! 何をこそこそついて来ている! 私に何の用だ!」
「まあ…さすが忍術学園にその人ありと言われる山田伝蔵ね。でも、人の名前は正しく呼んでいただきたいわ」
つつつ、と物陰から姿を現したのは壺装束姿の八方斎である。
「な、なんと…!」
あまりにも意外な登場に、さすがの伝蔵もたじろぐ。
「わたくしは、八方子。は・ぽ・こですわ」
「は、はぽ…」
思わず口ごもる。
「山田伝蔵、いいえ、山田伝子。あなたいつもブサイクな女装でいい気になってるようだけど、本当の美とはどういうものか、この八方子があなたに教えてあげるわ」
伝蔵の前に立ちはだかった八方斎が不敵な笑みを浮かべる。
「な、なんですってぇ…!」
いつの間にか女装していた伝蔵が歯ぎしりをする。
「八方子! あんたこそそんなデカい顔で何が『本当の美』よ! 片腹痛いわ!」
「あんた、本当になんにも分かってないのね。そんなバケモノみたいな顔で『伝子さんとお呼び』なんて、ちょっと図々しいんじゃないかしら」
「なにが図々しいよ! あんたこそそんな汚らしい顔で何を教えられるって言うのよ!」
女装を否定するということは、最大級の侮辱である。伝蔵の眼はすでに怒りで血走っている。
「それじゃ、どっちが美しいか、第三者に決めてもらうってのはどうかしら」
ま、私が勝つに決まってるけど、とおちょぼ口になる八方斎だった。
「この峠を通る旅人に決めてもらうってことね。望むところだわ」
髪を撫でつけながら伝蔵が応える。
「それなら決まりね。ルールは、同時に現れてどっちが美しいと思うか訊く。衣装や化粧はそれぞれ最大級にする。いいわね」
「いいわ」
じり、と鋭い視線を交わした2人だったが、次の瞬間、それぞれ物陰に隠れて化粧と着替えに勤しむ。
「この石段の下が牢だ。私が先生を救出してくるから、君はここで待っているんだ」
ホウキタケ城に潜入した利吉は、記憶に従って手早く牢の入り口までたどり着いた。その背後には、無意味にきょろきょろしながらついてくる秀作の姿があった。
-ここまで誰にも見つからずに入り込めたのが、むしろ奇跡だ…。
あまりに無警戒で無防備な同行者に、苛立ちのあまり周囲への警戒も途切れがちになる。
-だが、この先にはさすがに牢番くらいはいるだろう。この先、小松田君に同行されると、堂禅先生の救出作戦に障る…。
そう考えた利吉は、周囲に素早く眼をやりながら小声で指示して長く続く石段を降りようとする。
「えぇ~、僕を置いていかないでくださいよぉ」
秀作が肩に手をかけようとする。
「ここから先は危険なところなんだ。君がいると、はっきり言って邪魔なんだ。だからここで待ってろと言っている」
立ち止まった利吉は背を向けたまま低く唸る。
「だって、ひとりでこんなところにいたら、こわいじゃないですかぁ…」
「怖いとか何とか言うくらいなら、なぜここまでついて来た!」
背を向けて肩を震わせていた利吉がつと振り返って凄む。
「えへ☆ だって利吉さんといっしょに…」
「なにが『えへ』だっ!」
怒りを抑えきれなくなった利吉が胸倉を掴まんばかりに迫るが、ふいに任務を思い出したらしい。顔をそむけて小さくため息を吐くと、「とにかくここで待っているんだ」と言い捨てて石段を駆け下りる。
「あ、待ってくださいよぉ…うわぁぁっ!」
慌てて追い縋ろうとした秀作が、足をもつれさせて、腕を振り回しながら石段に倒れ込む。
「!」
次の瞬間、利吉の両足が動かなくなった。ぎょっとして見下ろすと、自分の両膝を秀作の腕がしっかりと捉えていた。
「ちょっ…!」
身体能力を誇る利吉だったが、上体に勢いがついたまま唐突に足の自由を奪われた状態を立て直すことができず、膝にしがみついたままの秀作もろとも石段を転げ落ちる。
「は、はなすんだ!」
ごろごろと転げ落ちながらも秀作を振り落とそうとするが、なおさら強くしがみついてくるばかりである。
「いたいいたいいたいですぅっ! そんなにぶたないでくださいぃっ!」
「ぶってるんじゃない! 石段を転げ落ちてるんだっ!」
-来たな。
石段の上から大仰な騒ぎが聞こえる。右手を懐にしたまま、石段の曲がり角に身を潜めているのは、早すぎた天才である。
-いまがチャンスだ。
ふっと唇の端をゆがめて笑う。
堂禅がホウキタケ城にさらわれたことを知った早すぎた天才もまた、救出のために潜り込んでいたのだった。
-ここで私が多田堂禅先生を助け出すことができれば、きっと先生も、春牧行者様も、私の能力を認めて私の研究にもっと協力していただけるはず…!
かつて所属して、勝手知った城である。牢の入り口まで忍びこむのは簡単なことだった。だが、鍵を破る術を持たない早すぎた天才は、自慢の火器で牢番を脅して救出することにしたのだ。
-それにしても、牢番にしては騒がしいな。喧嘩でもしてるのか…。
そう考えを巡らせている間にも石段を伝わる騒ぎは急速に近づいてくる。ふんっ、と鼻で息をした早すぎた天才は、曲がり角から姿を現すと、石段の中央に立ちふさがる。右手には火種、左手にはこの日のために用意した爆発力を強化させた焙烙火矢。
「やいっ、命が惜しければ多田堂禅先生のところに…」
だが、最後まで言い終わらないうちに、叫んだりつかみ合ったりしながらもつれ合って石段を転げ落ちてきた利吉と秀作の身体が衝突する。
-なにごとだっ!?
薄暗く狭い石段にあって、ごろごろ転がり落ちながら秀作の身体を引き離そうとしていた利吉の背中に、新しい衝撃が加わった。
「ひゃぁぁっ!」
明らかに秀作とは別の人間が、いま自分の背中に張り付いている。その手は自分の髷を掴んで離さない。
「痛いっ! 私の髪を掴むなっ!」
喚きながら振り返ろうとしたとき、「僕じゃないですぅっ!」と足元から声がする。
「んなことは分かってる! とっとと離れろっ!」
渾身の力を振り絞って、膝を絡めている秀作の腕を振り払おうとしたとき、今度は頭上から「ぎえぇぇぇっ!」と声がした。その声には、聞き覚えがあるような気がしたが、いまの利吉には思い出す余裕はなかった。
「お前は誰だっ!」
頭を振って髷を掴む手を振りほどこうとする。
「ああっ! 私の新式火矢がっ!」
明らかに動転した甲高い声は、利吉の問いに答える余裕はないようである。そのとき、早すぎた天才は見たのだ。十分に離して持っていたはずの火種と焙烙火矢が、ぶつかった衝撃で点火してしまい、石段をバウンドしながら落ちていくのを。
-このまま牢のところまで転がり落ちたら危険だ! はやく逃げねば!
そう思って掴んでいた髷を離して逃げようとしたとき、その襟を掴む手がある。
「誰だと聞いている!」
利吉だった。
「は、はなせ! この下には火がついた火矢があるんだぞ!」
「なにっ!?」
その声に、利吉が思わず石段の下に眼をやろうとしたとき、唐突に石段が途切れ、壁が迫ってくるのが眼に入った。
もはや何の防御を取る暇もない。利吉が思わず固く眼を閉じた次の瞬間、三人の身体は石段の終点の壁にしたたかに打ち付けられた。
「くっ!」
「ぎゃっ!」
「ふみゃぁ」
三人三様に声を漏らしたところに、ごそごそと人の気配がした。
「何ごとか…騒々しい」
「多田堂禅先生!」
絡み合った秀作と早すぎた天才の身体を振りほどこうともがきながら、利吉が声をかける。
「お、おたふけにまいりまひたぁ」
転がり落ちる途中で頭を打ったのか、眼を回したまま秀作が言う。
「助けに来るのなら、もう少し静かに来てもらいたいものじゃ…ところで火矢のにおいがするが、誰か牢を破るつもりなのかな?」
堂禅には、床に伸びているもう一人の人物が早すぎた天才であることは分からない。だが、その影が堂禅の声にびくりと反応した。
「そういえば、火矢がどうとか…」
したたかにぶつけた背中をさすりながら利吉がいぶかしげに呟いたとき、はっと眼を見開いた早すぎた天才が、仰向けのまま手足をばたつかせて叫ぶ。
「たいへんだぁっ! 早くここから逃げないと、特別に爆発力を強化した私の焙烙火矢で…」
「へ!?」
「ということは…」
利吉と秀作と、牢の格子に手をかけた堂禅の視線が、壁際に転がった黒い球体と、ちりちりと音を立てている赤い火花に集まる。と、その火花が黒い球体に吸い込まれた。
「まっ…たくっ」
いらいらと毒づきながら早足で歩くのは、利吉である。
「まってくださいよ~ぅ」
舌ったらずな声を上げて追いすがるのは秀作である。
「…くっ!」
振り向きもせずに足取りを速める利吉だったが、その姿は常の眉目秀麗な姿とは程遠い。顔も手足も煤と泥にまみれ、髪は爆風でちぢれている。
「利吉さんたら~」
秀作の姿も同じようなものである。この2人が同じような災厄に見舞われたことは、傍目にも明らかだった。
「大きな声で私の名前を呼ぶな!」
一瞬、足を止めて振り返った利吉は、一声叫ぶとまたくるりと背を返して歩き始める。
「ほぇ?」
気を抜かれたように立ち止まって首をかしげていた秀作も、慌てて後を追う。
「どーしてそんなにおこってるんですかぁ、利吉さ~ん!」
「私の名前を呼ぶなと言ってるだろう!」
必要以上の火力でホウキタケ城の牢に大穴があいたため、脱出は簡単だった。救出のためにホウキタケに忍んでいた山左ヱ門に堂禅を預けた利吉は、長居は無用とばかりに足早に立ち去る。まだ頭から煙を上げたままの早すぎた天才はよろめきながらどこかへ姿を消したが、秀作はなお後ろをついてくるのだった。
「で、出たぁぁぁっ!」
「物の怪! 物の怪!」
「お、おたすけ!」
峠道をパニック状態の旅人達が駆けてゆく。麓の村には、たちまち峠にこの世のものとは思えない女の形をした怪物が出没するという噂が広まった。村人たちは、役人と相談して、峠の通行を妨げる化物の討伐隊を編成することにした。
「おかしいわねえ」
「どうしてあんなに急いで行ってしまうのかしら」
峠では、伝蔵と八方斎が、逃げ去る旅人の背を見ながら当惑顔で佇んでいた。
「あら、今度はたくさんの人が登ってきたわ」
峠道を登ってくる討伐隊の気配に気づいた伝蔵が言う。
「どうせなら、ここで決着をつけるのはどう?」
八方斎がにやりとする。
「多数決で決めるということね。望むところだわ」
マニキュアを塗り直した爪に息を吹きかけながら、伝蔵が鼻息荒く同意する。
「…このあたりなのか?」
打物を手にした討伐隊の先頭に立つ役人が、目撃者の旅人に声をかける。
「は、はい…」
いやいや道案内をさせられた旅人は、もはや逃げ腰である。
「なにをへっぴり腰になっておる。化物が出たところまで案内せよ」
今にも腰を抜かしそうな旅人をせっつく。
「あ、あのあたりで…」
旅人が震える指で薄暗い木立を指差した瞬間、
「伝子よォォォ♡」
「八方子よォォォ♡」
科をつくった伝蔵と八方斎がしゃなりと姿を現す。
本当に出没した異形の女たちに討伐隊が崩壊するのに、時間はかからなかった。
「…というわけで、山田利吉の行動に大きな制約をかけるのに、小松田秀作がたいへん役に立つということが実証されました。また、山田伝蔵の動きを止めるために八方斎様がおおきな役割を果たし得ることも明らかとなりました」
ドクタケ城の城主の間に、鹿爪らしく報告する達魔鬼の姿があった。
「報告することはそれだけか」
苦りきった顔の竹高が、張り子の馬の型枠をいらいらと指先で叩いている。
「は、以上でございますが」
顔も上げずに達魔鬼が応える。
「それで、大川平次渦正はどうしたのだ! 忍術学園は何のダメージも受けておらぬではないか!」
「それは…!」
苦労して平板に答えていた達魔鬼の口調が感情を帯びる。
「忍術学園への総攻撃を命じる直前に、張り子の馬が破れて張り替え用の紙を入手するようドクタケ忍者隊にお命じになったために、総攻撃が中止になったと理解しておりますが」
「なんだと! わしのせいだと言う気か!」
額に青筋を浮かべた竹高が怒鳴る。
「私は事実をご報告したまでで」
顔を伏せたまま、達魔鬼は押し殺した声で答える。
「それに八方斎はどうしたのだ!」
「八方斎様は、なお山田伝蔵と女装勝負を続けておいでで」
ふたたび感情を抑え込んだ声で達魔鬼が応える。
「なに! まだやっておるというのか!」
「さようで」
「いったいどうなっておるのじゃ!」
甲高い声でわめき散らす竹高の前で頭を伏せながら、達魔鬼は考えずにはいられない。
-そろそろ、転職を考えた方がよいかもしれぬ…。
<FIN>
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