巻き込まれ厳禁(2)


「それにしてもめずらしいよね」
「うん。こういうときに食満せんぱいにあうなんてね」
「いつもだったら立花せんぱいにあうんだけどね」
 傍らでごそごそ話す声に思考が中断された。
 -いけね。そういえば仙蔵に、この2人を城から連れ出すよう頼まれてたんだ。
 はっとした留三郎は腿の上の重みに気がつく。頭を預けて眠る少年に起きる気配はない。
「お前たち、この若様の布団を敷いてくれ。風邪でもひかれたらかなわんからな」
 留三郎の指示に頷いたしんべヱたちが布団を引っ張り出す。延べた布団の上に少年を横たえてそっと上掛けをかけると、「よし。これから学園に戻るぞ」と2人に言う。
「「はい」」
 ようやく学園に戻れるとほっとした表情で返事をした2人だったが、ふと気づいたように留三郎の足に眼をやる。
「ところでせんぱい。どうしてそんなへんな歩きかたしてるんですかぁ?」
 縛られた膝のせいで、立ち上がるにも常のようにはいかず一苦労の態だから気付かれても仕方がない。舌打ちをこらえて説明する。
「もっと女らしく歩くようにとな。ったく仙蔵のヤツ…」
 言いかけたところへ、
「ホントですか?」
「やっぱり立花せんぱいもきてたんだ!」
 2人が弾んだ声を上げたので慌てて制する。
「おい、そんなデカい声出すな。起きちまうだろ」
「あ…」
「ごめんなさい」
 首を縮めた2人にため息をついた留三郎は「まあいい。行くぞ」と声をかける。
 -そういえば、仙蔵が任務に失敗するときはたいていこの2人が絡んでいたな…。
 と思いだしながら。



 -よし、来い!
 しんべヱと喜三太を従えて廊下の角から顔をのぞかせて様子をうかがった留三郎は、爪先立ちで小走りに廊下を進む。次の廊下も人影がないことを確かめてからそっと歩き出したとき、ついと廊下に面した襖が開かれた。
 -げ!
 留三郎たちの動きが止まる。同時に廊下に甲高い声が響いた。
「あなた、そこで何をしているのです!」
 間の悪いことに、そこに現れたのは女中頭だった。
「若様のお相手が終わったらすぐに女中部屋に戻るように言ったでしょう! しんべヱ様と喜三太様も、若様のお相手がないならお部屋にお戻りください!」
「は、はい」
 ここはひとまず女中頭についていかざるを得ない。「お前たちは部屋に戻ってじっとしてろ。後で行く」と小声で指示してから女中頭の後を小走りに追う。



「ちょっとあなた、仙子さんといったかしら」
 女中部屋に入った女中頭は、その場を通りかかった仙蔵に声をかける。
「はい」
 立ち止まった仙蔵が楚々と一礼する。
「この子、見習いなんだけど、まだお城のしきたりもお部屋の配置も分かっていないようだから教えてあげて頂戴。よろしいわね」
「かしこまりました」
 ふたたび深々と頭を下げる仙蔵の返事も半ば聞き流したまま女中頭は小走りに立ち去る。
 -で、こんなところに何しに来た。
 咎めるような矢羽根に留三郎も矢羽根を返す。
 -しょうがねえだろ。しんベエと喜三太を連れ出そうとしたときにあのおっかない女中頭に見つかっちまったんだよ。
 -仕方のないことだ。
 ちいさく首を振った仙蔵は「こちらにおいでなさい」と先に立って歩き出す。



「これは…」
 掃除道具部屋に連れ込まれた留三郎は、用心しながら扉を閉めると、懐から取り出した紙束を手渡す。素早く眼を通した仙蔵が小声を漏らす。
「そうだ。お前が探っていた塩の価格操作の証拠だ」
「だが、どこで手に入れた」
「しんべヱが持っていた。かくれんぼの最中に見つけたらしいが、どこで見つけたかは本人も覚えていなかった」
 ふむ、と仙蔵が鼻を鳴らす。「そんなことだろうとは思ったが…せめてもう少しヒントが欲しいところだな」
「若様とかくれんぼしてたということは、若様の居室からそう離れた部屋ではないだろう。それで見当がつかないか?」
「そうはいってもな…」
 顎に手を当てた仙蔵が考え込む。「あのあたりには御家老や奉行方の部屋が集まっているからな」



「あ、食満せんぱいだ!」
「せんぱい!」
 翌日、掃除道具を抱えて廊下を歩いている留三郎の姿を認めたしんべヱと喜三太が駆け寄ってきた。
「あ、あの…わたくし、これからお掃除が…」
 人目を気にしながら戸惑ったような声を上げて見せた留三郎だったが、人気のない廊下の片隅に潜り込むと身をかがめてひそめた声で訊く。
「おい、若様はどうした。今日は一緒に遊んでいないのか」
「若様は、いま先生といっしょにムズカシイ本をよんでるところです」
「だからぼくたちは外にいなさいって」
 おおかた漢籍の素読でもやっているのだろうと留三郎は思った。そうであればこの騒がしい2人は外させるのが順当だろう。だが、自分もつまらなさそうな顔の後輩たちにかかずらってばかりもいられない。
「俺は祐筆殿の部屋の掃除を言いつかっている。お前たちを学園に連れ戻す方法は後で考えるから、それまで大人しくしてるんだぞ。いいな」
「「は~い」」 
 これだけ言い含めておけば、しばらくは大人しくしているだろうと思いながらふたたび廊下を歩き始めたとき、曲がり角の先から数人の足音が聞こえたので、留三郎は廊下の端に膝をついて控えた。果たして現れたのは数人の侍だった。
「ああ、そこの娘」
 侍の一人が足を止めた。
「はい」
 掃除道具を抱えたまま頭を下げる。
「奉行殿の部屋の掃除を頼む。すぐにな」
「あ、あの」
 そのまま立ち去ろうとする侍に慌てて声をかける。「お奉行様のお部屋はどちらでしょうか」
「曲がって右の部屋だ」
 言い捨てた侍が立ち去る。
「かしこまりました」
 深々と頭を下げて見せた留三郎が「失礼します」と教えられた部屋の襖を開ける。
 -へえ、お奉行様の部屋って、こんなものか。
 広々としているが調度品はほとんどないがらんとした部屋だった。隣の部屋には奉行付の者たちが詰めているらしい。人の気配がする。
 -しょーがねえ。こっちから先に掃除すっか。
 まずは床の間の埃を払おうとしたとき、
「あ、この部屋だ」
 ひそひそ声がしてひょいとしんべヱが顔を出した。
「お、おい…こっちに来るな」
「そうだよ、ダメだよしんべヱ」
 出し抜けに姿を現した後輩に、慌てて声をひそめて追い返そうとする留三郎に続いて、喜三太ももっともらしい顔で注意する。
「でも、ここであの鼻紙をみつけたんです」
 文机を指差しながらしんべヱが言う。
「なに、あの紙束をか?」
 留三郎の表情に緊張が走る。
 -てことは、塩の価格操作は奉行の仕業ということか…?
 これは仙蔵に伝えなければと考える。

 


「若様、まだお勉強おわんないのかなあ」
「つまんないね。食満せんぱいもどっか行っちゃったし」
 あてがわれた居室に戻るよう指示された2人は、いかにも退屈そうに壁にもたれて足を投げ出していた。
「そういえば、立花せんぱいもきてるっていってたよね」
 ふと思い出したように喜三太が言う。「どこにいるんだろう」
「きっと、またなにかの任務できてるんだよ」
 しんべヱが難しい顔をしてみせる。
「あはは…しんべヱへんなかお…でも、なんの任務だろう」
「きっと、このお城でわるいいんぼうがあって、それをあばきにきたんだ」
「そんでもって、わるいやつをやっつけるんだね!」
 いつの間にか勝手なストーリーを作って楽しんでいる2人だった。
「そうそ。そしてお城はへいわになりました、めでたしめでたしって…あれ?」
 勝手にストーリーを終わらせたしんべヱが、ふと開け放した襖から坪庭越しに廊下を歩く人物の姿を認めて声を上げた。
「え? 食満せんぱいがきた?」
 喜三太も身を乗り出す。
「ううん。あれ、立花せんぱいだ」
 長いストレートヘアを垂らして楚々と歩く姿は、紛れもなく仙蔵のものだった。
「てことは…!」
「これからわるいやつをやっつけに…!」
 期待に満ちた笑顔で向き合った2人が大きく頷く。
「いつものとおり、立花せんぱいのすけだちにいくよ!」
「おう!」



「どこにいくんだろうね」
 そっと仙蔵の後をつけながら喜三太が呟く。
「ひょっとして…あのおへやかなあ」
「あのおへやって?」
 考え深げに言うしんべヱの台詞に喜三太が反応する。
「ぼくが鼻紙をみつけたおへや。ほら、そのことをいったとき、食満せんぱいもなんかナットクしたような顔してたし」
「そっか。あのへやがあやしいんだ」
「だから立花せんぱいがむかってるってわけだね!」
「あのおへやだったら、ぼくいいこと知ってる!」
 喜三太が声を弾ませる。
「なになに?」
「あのおへやにはんたいがわから入る方法。ひみつのろうかがあるんだよ」
 いかにも重大な秘密をつかんでいるかのように喜三太は声をひそめる。
「そっか。そしたら、はんたいがわからぼくたちが『わっ』ておどかしたら、せんぱいびっくりするかなあ」
 しんべヱが悪戯っぽい笑いを浮かべる。
「びっくりさせちゃだめだよしんべヱ。ぼくたち、せんぱいのすけだちにいくんだから」
「あ、そうだっけ」


  
 -ここだな。
 留三郎に教えられた奉行の座敷の前で足を止めた仙蔵は、一瞬周囲の気配を探ってからおもむろに襖を開けて素早く身をすべりこませた。
 -意外になにもないな…。
 がらんとした座敷に文机と傍らに文箱が置かれたきりの部屋である。仙蔵の視線は床の間の隣に作りつけられた戸棚に向けられる。
 -あの戸棚が怪しいな。あるいは床の間の下に隠し戸棚を設えている可能性もある。
 そっと足を忍ばせて座敷を横切ろうとしたとき、
「やいっ、わるものめ!」
「かんねんしろっ!」
 すたん、と音を立てて廊下と反対側の襖が押し開かれた。威勢のいい台詞とともに座敷に乗り込んできたのはしんベエと喜三太である。
「あれ…?」
「せんぱい…?」
 2人にとっても、座敷に仙蔵の姿しかなかったのは想定外だったらしい。きょとんとしてその場に立ちすくむ。
「なにごとだ、騒々しい」
 声と同時にもう一方の襖が開かれた。奉行付の執務室に続く襖から現れたのは奉行その人だった。
「何者だ! くせ者!」
 仙蔵の姿に声を上げた奉行が、続いて部屋の真ん中で立ちすくむしんベエと喜三太を認めてぎょっとしたように顔をこわばらせる。
「お、お前たちは若様の…」 
 -まさか、後背地の城が子どもを間者として放ったということか…?
 事態を解釈しようと必死で考えをまとめようとしたとき、しんべヱが声を上げた。
「やいっ! わるものめ! かんねんしろ!」
「そうだぞ! おまえのわるだくみなんか、ぜんぶここにいる立花せんぱいがおみとおしなんだからな!」
 -げ! こいつら、なぜ塩の価格操作のことを知っているのだ…!
 仙蔵と奉行が同時に考えたとき、
「「ねっ! 立花せんぱいっ!」」 
 満面の笑みを浮かべた2人が仙蔵を見つめる。
 -くっ、かくなる上は…。
 内心舌打ちをした奉行は振り返って叫ぶ。
「何をしておる! ここにくせ者がいるぞ! すぐに斬り捨てよ!」
 自らも抜刀して構える。
「ひえぇぇっ!」
「こわいよせんぱい!」
 しんベエと喜三太が仙蔵の身体にしがみつく。
「先輩、というからには、お前もこの子どもらの仲間というわけだな。お前、どこの城の間者だ!」
 奉行が叫ぶ。間者、という言葉に背後にいた奉行付の侍たちからどよめきが上がる。次の瞬間、侍たちも次々と刀を抜いて構える。
「せんぱいはあやしいやつなんかじゃない! わるものはおまえだ!」
 仙蔵の服の裾をつかみながら喜三太があいた手でまっすぐ奉行を指差す。
「そうだそうだ! おまえたちのわるだくみは、ぜんぶこの立花せんぱいがおみとおしなんだからな!」
 尻馬に乗ったようにしんべヱも声を上げる。
「あ、あのな、お前たち…」
 さきほどから2人が同じことしか言っていないことに気づいた仙蔵が戸惑ったように言う。「私が何を探りに潜ったか知っているのか?」
「「へ?」」
 弾かれたような表情で見上げる2人だった。
「なんのことだかしってる? しんべヱ」
「ううん。喜三太は?」
 首をかしげながら訊きあう2人に、脱力感をこらえながら拳を握る仙蔵がうめき声を漏らす。
「お、お前ら、それすら知らずに…!」
「あ! でも!」
 不意にしんべヱが声を上げる。「ぼく、このへやであやしいかみを見つけたもんね! それを食満せんぱいにわたしたんだ!」
「なに!?」
 刀を構えたままの奉行が眉を寄せる。「あの書類を盗んだのはお前だというか…!」
「そうだ。あれこそが塩の価格操作の…」
 動かぬ証拠、と言おうとした仙蔵だったが、更に声を上げたのは喜三太である。
「ほらみろ! やっぱりおまえがわるものだ!」
「せんぱい、こんなやつやっつけちゃってください…ねっ!」
「ねっ!」
 ふたたび期待に輝いた眼が仙蔵に注がれる。
 -くっ!
 ぴくりと仙蔵の眉が動く。事ここに至っては、調査どころではないことは明らかだった。せっかく塩の価格操作の首謀者を掴んだのに、その目的を探ることができないまま、いま自分は窮地に立たされている。それもいつもの2人のせいで。
「ああ、そのつもりだったさ。そのつもりだった…がな!」
 いつの間にか仙蔵の手には大量の点火された焙烙火矢があった。



 ずしん、と低く轟く爆発音に、廊下の雑巾がけをしていた留三郎が足を止めた。続いて悲鳴と叫び声。
「ん?」
 何があったのかと立ち上がって辺りを見廻したとき、
「せんぱい~~~っ!」
「たすけて~~~っ!」
 どたどたと足音が近づいてきた。
「しんべヱ、喜三太。いったいどうし…」
 慌てて2人に駆け寄ろうとしたとき、再び爆発音が轟いて留三郎は思わずよろめく。その身体の陰にしんベエと喜三太が身を隠す。
「お、おい、何やってんだ…」
 事態が呑み込めない留三郎が背後にまわりこんだ後輩たちに声をかけようとしたとき、ふとこの世ならぬ殺気に思わず首を縮めた。
 -な、なんだよこの殺気は…!
 そろそろと視線を上げる。
「げ! どうした仙蔵…!?」
 そこには女中姿のままの仙蔵がいた。だがその手には大量の点火した焙烙火矢があった。そしてその眼はもはや慣れ親しんだ友人ではなく、修羅のものだった。
「しんべヱ、喜三太。お前たちはいつもいつも…!」
 地獄から轟くような憤怒の声に、留三郎までが背筋を凍らせた。
「お、おい。どうした仙蔵。落ち着いて事情を…」
 説明しろよ、と言う前に「問答無用!」と叫ぶ仙蔵の手から焙烙火矢が放たれる。
「げ! ちょ! ま!」
 逃げ足はしんべヱと喜三太の方が早かった。その背に向けて、もはや殺意そのものと化した仙蔵の手から次々に焙烙火矢が投げつけられる。
「待て! 落ち着け! なんで俺まで!」
 慌てて逃げ惑うしんベエと喜三太を追いながら留三郎が叫ぶ。
「黙れっ! 留三郎も同罪だっ!」
 焙烙火矢を投げつけながら仙蔵が怒鳴る。
「なんで俺が同罪なんだよっ!」
 しんべヱと喜三太に追いついた留三郎が2人の身体を両脇に抱え上げた瞬間、剣呑な気配にふっと身体を横に逸らす。次の瞬間、脇をかすめた焙烙火矢が爆発して廊下と柱を粉々に吹き飛ばした。
「言ったはずだっ!」言いながら仙蔵は焙烙火矢を投げる手を止めない。「その2人をとっとと城から連れ出せとっ!」更にもう一発を投げつける。「それなのにお前がぐずぐずしているからっ!」次の火矢が放たれる。「その2人がのさばって私の調査を台無しにっ!」ひゅるる、と空を切って更に火矢が飛ぶ。
「いや、だからそれはっ!」駆け出しながら留三郎が叫ぶ。いつの間にか膝をくくっていた紐も切れたかほどけたかしたらしい。女中姿のままどたどたとがに股で走りながら抗弁する。「女中頭に見つかっちまったんだからしょーがねーだろ、おっと!」ひょいと身をかわしたところに次の爆発が起きて壁がぼろぼろと崩れ落ちる。
「うるさいっ! 全てお前の監督不行き届きだっ!」
「なんでそうなるっ!」
 方々で爆発が起きたカエンタケ城はもはやそこここで炎が上がり、パニックの中で崩壊が始まっていた。だが仙蔵と留三郎たちにその様は眼に入らない。
「いつもいつもだっ! しんベエと喜三太が関わるといつもだ!」
 ぶんと放たれた焙烙火矢の気配に留三郎が慌てて身を屈める。その上を風を切って通りすぎた火矢が壁に当たって爆発すると、めりめりと音を立てて屋根が崩れ落ちてきた。
「だからっ!」
 今度は足元を狙って投げつけられた火矢を必死でかわす。飛びのいた次の瞬間、轟音がして床板が木っ端微塵に吹き飛ぶ。それでも走りながら留三郎が叫ぶ。
「俺を巻き込むなぁっ!」


<FIN>





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