同床異夢/異床同夢(2)

 

「待て!」
 鋭い声に思わず硬直する左近だった。傍らの陣内左衛門はすでに予想していたようにゆるりと振り返る。
「へい。私たちに何かご用で?」
 ドクササコ忍者が多数出没するエリアに入ってしまった以上、低学年の忍たまを連れて突破するのは困難だと判断した陣内左衛門は、あえて常の姿で村人を装うことにした。
「こんなところで何をしている!」
 見たところ、居丈高に声をかけてきたのは忍ではなく、ドクササコ城の下級武士のようだった。
「へえ…用足しをして村に帰るところですが…」
 とぼけて応える陣内左衛門だったが、鋭い眼でちらと左近を睨んだ武士の「そのガキは何者だ!」との問いに思わず言葉を呑みこむ。
 -兄弟と言うには似てないし、子どもをさらってきたと思われると面倒だ…。
 とっさに考えを巡らせるが、左近の声にそれもあっという間に霧消する。
「弟ですが」
 落ち着きを取り戻した左近がきりっとした声で言い切る。「ね、お兄ちゃん!」
「あ、ああ…」
 思わぬ左近の台詞に脳内で何かが破裂したような気がして、陣内左衛門は曖昧に言い紛らわすのが精いっぱいだった。果たして武士は胡散臭げにじろじろ見ながら言う。「兄弟という割にはちっとも似てないな」
「よく言われますぅ」
 陣内左衛門が何か言う前にすかさず声を上げる左近だった。「でも、兄弟なんですけど」
 言いながら身体を寄せてくる左近の子どもらしい体温に頭がぼんやりしてくる陣内左衛門だった。
 -やべ、俺もうすぐ鼻血出る…。
 立ちくらみをおぼえながらも、手は無意識のうちに左近の肩に載っている。武士もそれ以上の追及をする気はないらしい。
「まあいい。ちょうど奉行代様がドクササコに行くのに人足が足りなかったところだ。ちょっと手伝ってもらおうか」
「え…でも」
 相手の意図を探る絶好の機会だったが、一応断ってみせる。地元の村人であれば、唐突に人足として徴発すると言われればまずは断ろうとするのが通常である。
「つべこべ言うな」
 果たして武士が声を尖らせる。「ついて来い!」

 


 -ドクササコとアカトキの奉行代が何の話をしようと言うのだ。
 アカトキの奉行代の従者として荷を運びながら陣内左衛門は考えを巡らせる。
 -あまり接点があるようには思えないのだが…あるいは、ないからこそ新たな同盟の交渉をするつもりなのかもしれない…だが、奉行代が交渉にあたるというのは解せない…。
 同行している供の侍との話から判断するに、少なくとも眼の前を歩いているのは城内の総務担当ともいうべき奉行代らしかった。もっぱら内部管理にあたる立場の者が外部と同盟交渉に当たるなど考えられないことである。
「よし、着いたぞ。お前たちはここで待っておれ」
 町はずれの茶店の前で供の侍が命じる。
「はい」
 陣内左衛門と左近が控えたとき、
「お待ちしておりましたぞ」
 言いながら出てきたのがドクササコの奉行代らしい。
「お待たせしてしまいましたかな」
「いやいや。こちらこそお呼びたてして…」
 声を交わしながら奥の席へと向かう。その後ろ姿に眼をやりながら陣内左衛門は考える。
 -ずいぶん親しげに話していたな。ということは、アカトキとドクササコの奉行代はもう何度も会っているということか…。

 

 

「で、いかがですかな。ご検討の結果は」
 出された茶を一口すすったドクササコの奉行代が口を開く。
「よく検討させていただきました」
 短く応えたアカトキの奉行代は、一瞬探るような視線で相手を見た。「そのまえに確認させていただきたいのだが」
「何なりと」
「本当に先方は五千貫文の上乗せに応じるということなのですかな?」
「ごもっともです」
 ドクササコの奉行代が懐から取り出した紙片を示す。「これをご覧ください」
「これは…」
 紙片に眼を通したアカトキの奉行代の表情が動く。
「いかにも」
 ドクササコの奉行代が大仰に頷く。「ドクタケも本気ということです」
「ということであれば、我らも断る理由はありますまい」
「必ずや、ご信頼にお応えしましょう。あとは大船に乗ったおつもりで我らにお任せいただきたい」

 


「…」
 奉行代たちのやりとりを、少し離れたところで控えていた陣内左衛門は読唇術でつかもうとしていた。
 -ドクタケが絡んでいる話のようだが、イマイチ抽象的で分からない話だ…。
 陣内左衛門がいる場所からは、紙片の内容も探りようもない。
 -仕方がない。アカトキ城でもう少し事情を探るとしよう。

 


「で、首尾はどうであった」
「は。ドクタケは五千貫文を追加で出すつもりのようです」
「五千貫文…か」
 アカトキ城では、家老のもとに奉行代が報告に訪れていた。
「ドクササコとしては、ドクタケとの同盟関係を生かしてこの話を一気に進めるつもりのようです。大船に乗ったつもりであとは任せてほしいとも言っていました」
「それは結構な話だが、どこまで信じうる話なのだ」
 脇息に寄り掛かった家老は神経質そうに指先で手にしている扇をいじる。
「無防備に話に乗るのはたしかに危険です」
 奉行代は落ち着き払って言う。「ですが、このままでは現状のまま塩漬けになってしまいます」
「それもそうだが…本当にドクササコの話に乗ってよいものか」
「これはドクササコの奉行代から聞いたのですが」
 奉行代はもったいぶったように言葉を切った。「もともとドクササコもこの話は無理があると考えて賛成はできないとドクタケに伝えていたようです。ただ、ドクタケがあまりにアプローチしてくるので、五千貫文くらい上乗せしないと先方は動かないだろうと言ったところ、それならとドクタケが増資を丸呑みしたので、ドクササコとしては乗らざるを得なくなったというのが真相のようです」

 

 

「何かわかりましたか?」
 アカトキ城の使用人たちに割り当てられた部屋の一室で、天井裏から戻ってきた陣内左衛門に左近が訊ねる。
「いや…あまり分からなかった」
 ため息をつきながら陣内左衛門は正直なところを言う。
「でも、お疲れさまでした」
 立ち上がった左近は、胡坐をかいた陣内左衛門の肩を揉む。
「すまない」
 まだ小さく温かい手が肩をほぐす感覚に陶然となりながら陣内左衛門は言う。「ただ、ドクタケが大金を支出するのにドクササコとアカトキはバックアップするつもりのようだ…ところで」
 言葉を切った陣内左衛門は天井に眼を向ける。「そんなところにいらっしゃらないで入ってこられたらどうですか、組頭」
「えっ? 雑渡さんが?」
 左近がぎょっとしたように左右を見渡す。と、天井板がはがれて大柄な忍がひらりと舞い降りる。
「うわっ!」
 思わす後ずさる左近の前で現れた昆奈門が横座りになる。
「ふ~ん」
 覆面からのぞく隻眼が細くなる。「で、こんなところで左近君としけこんで何をしてたのかな~?」
「しけこむなど…!」
 陣内左衛門の顔が紅潮する。「左近君を忍術学園に送ろうとした途中で、アカトキの侍に人足として徴発されてしまったのです」
「へ~」
 明らかに聞き流した昆奈門がねっとりした口調で続ける。「肩なんか揉んでもらっちゃって、ずいぶんいい思いしちゃってるようにしか見えなかったんだけどな~」
「ですからそれは…!」
「それより雑渡さん」
 ふたたび陣内左衛門の肩を揉みながら左近が口を開く。「アカトキとドクササコがドクタケをそそのかして何かやろうとしているようなんですけど、お心当たりはありませんか?」
「ほ~、一応そんなこと探ったりもしてたんだ」
 まだ絡むつもりらしい昆奈門の口調は変わらない。「で?」
「ドクタケは大金を出して何かしようとしています。その背後にアカトキとドクササコがいますが、ドクササコがもっぱら主導しているようです。ただ、もともとはドクササコもあまり乗り気でなかったところにドクタケが食いついてきて、結局ドクササコも乗らざるを得なくなった、というような話をしていました」
「目的語がないだけで決定的に意味が分からなくなる典型例だね」
 平たい声で指摘する昆奈門である。「だが、探る必要はありそうだな」
 要領を得ない話ではあったが、それだけに背後関係が広がりそうな予感がした。「陣左、もう少し左近君としけこんでてもいいからアカトキ側から調査を続けろ」
「はっ」
 陣内左衛門がかしこまる。「組頭は…?」
「我々はドクタケを探る。まあ分かりやすい連中だから、動いた後には証拠をいろいろまき散らしてるだろうからね」
「かしこまりました」
「その前にさ、左近君」
「なんでしょう?」
 肩を揉みながら顔を上げた左近だったが、眼の前のにやけた眼つきの昆奈門にぎょっとして手が止まる。
「私の肩もちょっと揉んでくれると嬉しいんだけどなあ…」
「もう六年生の試験期間も終わったので、伊作先輩も医務室に戻られていると思いますが」
 すぐに冷静さを取り戻した左近は、あっさり言い捨てると再び肩を揉む手を動かし始める。

 

 

「なに、達魔鬼がオーマガトキに行っているという話がある?」
 半助が眉をひそめる。
「はい」
 思いつめた表情で庄左ヱ門が頷く。学級日誌を届けに教師長屋を訪れた庄左ヱ門は「ちょっとお話があるのですが」と前置きすると、しぶ鬼から聞いた話を半助に聞かせたのだった。
「そうか…それは大きな話になるかもしれないな…」
 顎に手を当てて考え込みながら呟く半助だったが、「あの…」と不安げな表情で声をかける庄左ヱ門に我に返る。
「大事な情報をよく聞き出せたな」
 言いながら少年の頭をなでる。
「でも…」
「大丈夫だ。むろん山田先生にはお話しするが、悪いようにはしない。だから庄左ヱ門はなにも心配しなくていいんだぞ」
 低い声で語りかけながら半助はにっこりする。ようやく安心したように庄左ヱ門は「はい!」と返事をすると、「失礼します」とはきはきした声で言って頭を下げて部屋を後にする。
 -しぶ鬼と会っていたのか…。
 一年は組とドクタケ忍術教室の生徒は親しくしているが、金吾といぶ鬼に続いて庄左ヱ門としぶ鬼が個人的に仲良くしていることが半助には意外だった。
 -クラスのリーダー同士、通じるものがあるんだろうな。
 だからこそ二人だけでピクニックにも行くのだろうし、親密な話もするのだろう。そして、そこで耳にしてしまった情報を悩んだ挙句、報告に来たのだろう。真面目と責任感が服を着て歩いているような少年だから。
 その一方で考えずにはいられない。
 -ドクタケがオーマガトキに接近しているとは…タソガレドキに手を出そうという魂胆か? だが、それでドクタケに勝算はあるのか…?

 

 

「あの~、陣内左衛門さん」
「どうした」
 左近と陣内左衛門がアカトキ城内に与えられた部屋は、本丸から少し離れた郭にあった。夕刻近くになって城内が慌ただしくなってきたが、特に仕事を与えられていない二人は部屋のある郭から出ることも許されず、じっとしているしかなかった。
「僕たち、いつまでここにいないといけないんでしょうか」
「そうだな」
 何度も抜け出すチャンスを見つけようとした。だが、意外に人の眼が多くて動くことができなかった。その間に随行を命じられたりして数日が無為に過ぎようとしていた。
 -組頭はもうすこしアカトキ側で調査をするよう仰っていたが、このままでは埒があかない。左近君をいつまでもここに留め置くわけにも…。
「僕、忍術学園に戻りたいんです」
 悄然として左近が言う。「僕がここにいること、学園の誰も知らないんです。それなのに何日も連絡が取れないままだし、みんな心配していると思います。それに、授業も遅れちゃうし…」
 思えば、医務室から出てきた左近を拉致同然に連れてきたのは自分なのだ。責任を感じずにはいられなかった。
「…すまない。もう少し、考える時間をくれないか。必ず左近君だけでも脱出させてみせる」
「でも、それじゃ…?」
 不安そうに左近がにじり寄る。そのとき、「いるか」と居丈高な声がして板戸が開けられた。
「おい、おまえ、歳はいくつだ」
 見慣れない侍が左近に訊く。
「じゅ、十一です」
 陣内左衛門の身体にしがみつきながら左近が答える。
「十一か…まあいいか」
 考え込むようにひとりごちた侍が再び声を上げる。
「お小姓の従者がカゼで倒れてな。その間お前に代わりに勤めてもらう」
「あ、あの…」
 ようやく口をはさむことに成功した陣内左衛門が慌てて言う。「弟は私の手伝いを…」
「そんだけ図体がデカけりゃ自分でできるだろう」
 面倒そうに侍が言う。「来い!」
 有無を言わさずついていくしかない左近だった。

 

 

「ああ、キミが代打の従者?」
 城主の側から下がって来た小姓が胡散臭そうに左近を上から下まで一瞥する。
「は、はい…左近ともうします」
 かしこまって頭を下げる。
「あっそ…まあ僕は誰でもいいけどさ。とにかくちょっとマッサージしてくれる?」
 畳の上にごろりと横になった小姓が尊大な口調で言う。「早く」
「は、はい」
 慌てて駆け寄った左近が肩のマッサージを始める。
 -ずいぶん凝ってるな…。
 小姓といえば上級家臣の子息なのだろうが、ほぼ終日城主の側で控えているのだからさぞ気疲れするだろうなと思う。果たして小姓は気持ちよさそうに声を漏らす。
「う~ん…キミうまいね。背中と腰もやってよ」
「はい」
 -うわあ、こっちもすごい凝ってる。
 固くなっている背の筋肉をもみほぐしながら左近はさりげなく声をかける。
「一日中、お殿様のお側にお仕えするのもたいへんですね」
「まあね」
 大儀そうに小姓は応える。「だけど、さいきんお殿様もとてもお忙しいし」
「そうなんですか」
「それに、ドクタケだのオーマガトキだの、ややこしい話も多くってさ…僕なんか聞いててもぜんぜん分からないけどね」
「ドクタケといえば、戦好きの悪い城じゃないですか。オーマガトキはタソガレドキになかばコントロールされてるし…」
「キミ、ずいぶん事情通だね」
 小姓が顎の下に敷いた腕から横顔を上げる。「なんでそんなこと知ってるの?」
「あ…いやその」
 口ごもった左近が慌てて言い訳をひねり出す。「私の実家は商人なもので、いろいろそんな話が入ってくるのです…どこの城とどこの城が戦をはじめたとか、どこの城が関銭を取るようになったとか…」
「ふ~ん」
 興味なさそうに鼻を鳴らすと、小姓はふたたび前に組んだ腕に顎を乗せる。「ま、いいけどさ」
「…でも、さすがにドクタケとオーマガトキっていう組み合わせはなさそうですね」
 マッサージの場所を腰へと移しながら左近は言う。
「それがそうでもなさそうだよ」
「そうなんですか? …ああ、お腰も凝ってますね」
 意外な台詞に思わず声を上げそうになった左近が慌てて声を飲み込む。
「そうなんだよ。お側で控えているだけでも意外に腰が痛くなっちゃってさ」
 自分より一つか二つくらいしか違わなさそうな少年だったが、年寄りくさいことを言う。「ドクタケがオーマガトキの何ちゃらを買うのどうのって、ここ数日はご家老様のお話もそればっかりでさ。何の話かしらないけど」
「それはたいへんですね」
 適当に話を合わせながら左近はマッサージを続ける。
 -アカトキとドクササコがドクタケをそそのかしてなにかやろうとしているって陣内左衛門さんは言ってたな…それにこのお小姓様によれば、ドクタケがオーマガトキの何かを買おうとしているってことだったな…。
「もういいよ」
 ふいにかけられた声に左近の思考が中断される。
「あ、はい」
 手を止めた左近が控える。「お疲れさまでした」
「僕は今日はもう下がるから、キミも下がっていいよ」
 立ち上がった小姓が伸びをする。
「あ~スッキリした。キミ、ホントにマッサージうまいね。明日も頼むね」
「はい」
 刀を手に取った小姓が悠々と立ち去る。屋敷から迎えに来た従者に荷物を渡した左近が、ふうとため息をついて座り込む。ようやく一人になれた。
 -陣内左衛門さんとお小姓様の話をミックスすると、アカトキとドクササコが示し合わせてオーマガトキから何かを買い取るようドクタケをそそのかしてるってことになる。何をしようとしているんだろう。 そこまで考えたとき、ガタリと天井板を踏み鳴らす音がした。
「誰だっ!」
 とっさに身構えながら声を上げる。
「僕だよ」
 天井板が外れて顔をのぞかせたのは伊作だった。

 

 

「伊作先輩っ!」
 ひらりと床に降り立った伊作に左近がしがみつく。「こわかったです…もしこのまま学園に戻れなかったらどうしようって…」
「そうだね。よくがんばった」
 左近の頭をなでながら伊作は穏やかな声で言う。左近は伊作の胸に顔をうずめたまま小さく肩を震わせている。きっと泣いているのだろうと伊作は思う。何があったか知らないが、見知らぬ城にたった一人連れ込まれて慣れない仕事をやらされていたのだ。不安で押しつぶされそうだった感情を、ようやく表に出すことができたのだ。
 -でも、いつまでもこうしているわけにもいかないな…。 
 何やら廊下を通る足音が慌ただしくなってきたのを感じた伊作は、まずはここから脱出することにした。左近の頭をそっと身体から離すと、膝をついてまだ涙目のままの顔に向き合う。
「よく聞くんだ、左近。僕たちはここから脱出しないといけない。学園に帰ろう。いいね?」
「はい…でも」
 立ち上がりかけた伊作の手を引く左近だった。伊作がいぶかしげに振り返る。
「陣内左衛門さんが…」
「ああ、高坂さんも一緒だったんだね」
 伊作が頷く。「でも、高坂さんならきっと大丈夫。優秀なタソガレドキの忍者なんだ。いざとなればご自身で判断して脱出されるさ。さ、行くよ!」
 左近の身体を天井に押し上げると、自分も天井裏へと這い上がる。
「こっちだ」
 ささやきながら侵入してきた方へと伊作が足を向けたとき、
「誰だ!」
 薄暗がりから声がした。とっさに伊作がきっとした眼つきで暗がりを睨みながら左近をかばう。
「お前…忍術学園の生徒だな。なぜここに…!」
 現れたのはドクササコの凄腕忍者の部下である。覆面からのぞいた白眼に、伊作たちも相手を認識したようである。
「僕は、委員会の後輩を助けに来ただけです。ドす部下の白眼さんこそなぜここに?」
「なにがドす部下だ!」
 白眼が声を荒げる。「それに、用件など言えるか。それより」
 懐から苦無を取り出す。「こんなところをウロチョロされては困る。とっとと去ってもらおうか…」
 言いかけたところに、「あれえ、どこ行っちゃったんだろうねえ」「それより、あっ、またクモの巣が顔に…」
 のんびりと声を上げながら天井板の上を這って来たのは新人忍者二名である。
「お前たち、どこへ行っていた! それに声がデカいし足音もデカいしっ!」
 白眼が苛立ちをあらわにするが、二人の耳にはスルーされたようである。
「あっ! そこにいるのは誰だ!」
「誰だっ!」
 笑いをこらえている伊作と左近に気付いて声を上げる。
「ぷふっ…僕たち忍術学園の生徒ですが、ドクササコの新米忍者さん、相変わらず変な顔ですね」
 噴き出さないように必死にこらえながら左近が言う。
「なにっ!」
「変な顔はよけいだっ!」
 新米忍者がつかみかかろうとするが、伊作が左近をかばいながらひょいと身をかわす。
「ま、そういうわけなんであとはご自由に…って、うわぁっ」
 左近を先に立てて去ろうとした伊作が天井板を踏み抜いて廊下に落下する。近くにいた左近も「ひゃぁっ!」と声を上げながら巻き込まれて落ちる。
「あ、逃げたぞ!」
「まてっ!」
「おいっ、相手にするな…」
 いきり立った新米忍者たちが同時に足を踏み出した瞬間、二人の重みに耐えきれなかった天井板もめりめりと割れて、白眼を巻き込んで三人も廊下に墜落した。
「曲者だぞ!」
「そっちに逃げたぞっ!」
「出あえ出あえっ!」
 廊下で勃発した騒ぎに駆けつけた侍や番兵たちが大声を上げる。
 -しまった!
 伊作も自分の身を隠すだけで精いっぱいだった。だが廊下には左近が腰を抜かして座り込んだままである。
「お前は…お小姓様付きの者ではないか。こんなところで何をしている!」
 左近の姿に気付いた番兵が鋭い声で訊く。
「いや、そのお…」
 とっさに苦笑いに紛らわせる左近だった。「廊下を歩いていたら、いきなり天井から怪しい人たちがいっぱい落ちてきたんでびっくりしちゃって…」
「そうか」
 従者の服のままだった左近に番兵はそれ以上関心を払わなかった。「とにかく怪しい連中が増えている。お前もお小姓様の身をきっちりお守りしろ。わかったな!」
 言い捨てて他の番兵たちとばたばたと立ち去る。
「…ふう」
 ドクササコ忍者たちも姿を消して廊下に一人取り残された左近はため息をつく。
 -まあいいや。この騒ぎに紛れて僕も脱出しちゃおっと。

 


「すまなかったね、左近。大丈夫かい?」
 アカトキ城から脱出した左近を、一足先に出ていた伊作がすぐに保護する。
「はい。この服のおかげで、怪しまれずに済みました」
 従者の服の袖を持ち上げながら左近が照れくさそうに笑う。
「でも、城の外ではかえって怪しまれる」
 立ち止まった伊作は背中に結わえた荷物を解く。「はい、これに着替えて」
「これ…」
 左近の眼が見開かれる。「僕の私服じゃないですか…どうして先輩が?」
「野村先生にお願いしたんだ。アカトキにも一緒に来てくださっているんだよ」
「えっ、先生が?」
 着替えの手を止めた左近が声を上げる。
「ああ。先生はもうすこし情報を取ってみるということで城内に残っているけどね」
「あの、そういえば僕、この件でドクタケとオーマガトキが絡んでいるって話を…」
「知ってるよ」
 伊作がにっこりする。「あのお小姓が左近に話していたとき、僕たちは天井裏にいたからね」
「そうなんですか…」
 全然気づかなかった、と左近はしょんぼりする。いくら教師と最上級生とはいえ、気配に全く気付かなかったのは迂闊だった。
「でも、大事な情報をよく取れたね。いい楽車の術だったって野村先生も仰ってたよ」
「ホントですか…」
 顔を伏せたまま頬を赤らめる左近だった。

 

 

 -あの騒ぎは…?
 にわかに城中が騒がしくなって、陣内左衛門が部屋から顔を出す。と、天井から慣れた声が響く。
「いつまでこんなところにいるのかね。左近君はとっくに城から脱出しているよ」
「左近君が!?」
 思わず天井に向かって詰問する。「どういうことですか、組頭!」
「そう騒ぐな。もうここに用はない。行くぞ」
「は…ところで」
 天井裏へと飛び上がった陣内左衛門が気がかりそうに訊く。
「なんだ」
「ドクタケのほうはどうだったのでしょうか」
「キャプテン達魔鬼を使ってオーマガトキ、ドクササコ、アカトキと交渉させている」
 梁を伝ってすばやく移動しながら昆奈門が言う。「なにやら売りつける交渉をしてるようだがね…それより」
「それより?」
「忍術学園の連中も探りはじめている。陣左も左近君に余計なことは話してないと思うが、用心が必要だな」
「はい…」
 思えば左近と二人きりという気安さから必要以上に情報を話してしまっているという自覚がある陣内左衛門が形ばかりに応える。

 

 

「なに? 忍術学園の生徒がアカトキ城に潜り込んでいただと?」
 凄腕忍者の尖った声に白眼が身をすくめる。
「はい…」
「いたのは生徒だけなのだな?」
 凄腕忍者が念を押す。
「はい、そうだと思うのですが…」
「思う?」
 覆面からのぞく眼がぎらりと光る。
「いやその…こいつらが騒ぎを起こしてしまって、他の忍がいるかを確認するどころの騒ぎではなくなってしまって…」
 こいつら、と白眼が視線を投げつけた先には、小さくなっている新米忍者2名がいる。
「またお前らかよ」
 凄腕忍者が怒鳴りつけようとしたとき、
「もうよい」
 黙って腕を組んで聞いていた家臣が口を開く。
「は」
 凄腕忍者も控える。ドクササコ城の一室では忍者隊の数人と責任者の家臣がいた。
「お前たちはよい」
 部下たちを下がらせると、家臣は凄腕忍者に向かい合う。
「…それで、ドクタケの方はどうだった」
「は」
 凄腕忍者が応える。「どうも様子がおかしいようでした」
「ほう?」
「どうもドクタケは我々ドクササコがタソガレドキとも通じているのではないかと疑っているようでした。ドクタケとしてはまだ決定的な証拠を握ったわけでもないので、却って疑心暗鬼になっているというのが現状です」
 当初はタソガレドキからの依頼を受けてドクササコがオーマガトキ領内に持つ保護権を売却しようとしていたのは事実だった。その後、ドクタケがより好条件を引っ提げて交渉に入ってきたため、ドクササコとしてはドクタケを主な交渉相手としていた。世間はドクタケとドクササコは同盟関係にあるので、特に違和感を持っていないようだった。
「…実のところ、ドクタケが食いついてきたのは計算外だったが」
「といいますと?」
 家臣が意外なことを言いだしたので思わず訊き返す凄腕忍者だった。
「ドクタケは、我らが保護権を持つオーマガトキ領内の村に戦略的な価値を見出したらしい。保護権をタソガレドキに売却しようとする我らの動きを察して、それなら自分たちがより高く買い取ると言ってきたのだ」
「それで五千貫文も追加で出して、大間賀時曲時殿を買収すると言い出したわけですか?」
「そういうことだ」
 侍は頷く。「実のところ、ドクタケから最初に話があったとき、政所としては反対だった。一応タソガレドキとの買収交渉中だったからな。だから勘定奉行殿がドクタケに対してかなり吹っ掛けた条件を示したらしい。だが、ドクタケがそれを丸呑みすると言ってきたので、こちらとしてもドクタケの話を断るわけにもいかなくなったのだ」
「それにしては、ドクタケの動きが鈍いのが気になります」
 凄腕忍者が不審げに言う。「我らドクササコを疑っているのは分かるとして、それはそれとしてオーマガトキとの交渉を進めない理由にはならないと思うのですが、どうもドクタケとオーマガトキの交渉も進んでいない気配があります」
「おおかた、オーマガトキもドクタケとタソガレドキを両天秤にかけているのだろう」
 家臣はため息交じりにいう。「少しでもいい条件を引き出すために必死だからな」

 

 

 

→Continue to 同床異夢/異床同夢(3)

 

←Return to 同床異夢/異床同夢

 

Page Top  ↑