同床異夢/異床同夢(3)

 

「いったい何を考えておるのじゃ、オーマガトキは…!」
 先ほどからタソガレドキ城の城主の間では、木野小次郎竹高が張り子の馬に乗って落ち着かなげに行ったり来たりしている。
「オーマガトキはとにかく約束した額を支払えの一点張りでして」
 控えたキャプテン達魔鬼が小さく首を振る。
「水利権の裁定が終わらぬことには保護権の価格査定もできぬと言っておる」
 アカトキが保護権を持つ村とドクササコが保護権を持つ村の間で水利権をめぐる争いがあった。オーマガトキの領内のことなのでオーマガトキが裁定を下すことになっていたが、それが長いこと放置されたままになっていた。ドクタケとしては水利権の裁定の行方によっては保護権の価値に差が出てくるので裁定を待ってから価格査定をするつもりだったが、オーマガトキとしては保護権の価値など関係のないことなので、大間賀時曲時への五千貫文を早く払えとの催促がやかましかった。
「いかにも」
 達魔鬼が頷く。「水利の件はいま詮議をしているとの一点張りで、五千貫文を早くしろと」
「それとてタソガレドキと手を切るのが先と言っておろう。なんど同じことを言わせるつもりじゃ」
「…しかし、このまま同じやり取りを続けていても埒があきますまい」
 達魔鬼がおもむろに口を開く。「ここは少し揺さぶりをかけねば」
「揺さぶり?」
 足を止めた竹高がじろりと達魔鬼に眼をやる。「何か策があるというのか?」
「いかにも」
 確信に満ちた笑みで達魔鬼が近寄る。「少々お耳を…」

 

 

「まあ、曲時さまったら、お召し物に食べこぼしが…お行儀の悪いお殿さま☆」
「おうおう、食べこぼしがついておったか…でも、これは伝子さんのせいなんだよ?」
「あら、伝子がなにかいたしましたかしら?」
「食事の時も伝子さんにうっとり見とれているから、ついついこぼしてしまうのじゃ」
「まあ☆ でも、伝子うれしい☆」
 城主の間でイチャイチャする2人に思わず眼をそむける家臣たちだった。
「あの…殿。ドクタケから書状が届いておりますが」
 2人が視界に入らないように額が床につくほど頭を下げながら家臣の一人が文を差し出す。
「ふむ…ドクタケか」
 呟きながら書状を開きかけると、心得た伝子が「では、私は下がっておりますわ」と言いながら立ち上がろうとする。
「もう、待ってよ伝子さん」
 曲時がその手をつかんで引き戻す。
「あれ~」
 わざとらしい嬌声を上げながら曲時にしだれかかる伝子である。
「そなたはわしのものなのじゃ。もう離れることは許さんぞ」
 伝子の肩を抱き寄せてささやく。恥じらうように顔を伏せた伝子がちらと見上げて媚びた視線を向ける。
「こんな時に文を寄越すとは、ドクタケも無粋じゃのう」
 伝子の反応に安心した曲時が、ようやく書状を開く気になったらしい。ぶつくさ言いながら 眼を通していた曲時の顔がみるみる紅潮する。
「な、なんじゃと!」
「あの…曲時さま?」
 伝子が首をかしげて見せる。
「うむ、伝子さん、ちょっと用事が出来ての、今日のところは下がってくれぬか」
「わかりましたわ」
 楚々と立ち去る伝子の後姿を未練げに見送っていた曲時だったが、すぐに声を上げる。
「ドクタケがとんでもない文を寄越してきたぞ! すぐに会議じゃ!」

 

 

 -やれやれ、ドクタケが偶発債務を理由に交渉延期を申し出てくるとはな…。
 ケロッとした顔で自室に向かう伝蔵だった。先ほど、曲時の肩にしだれかかりながら書状の内容にしっかり眼を通していた。
 庄左ヱ門の情報から忍術学園もドクタケとオーマガトキの動きを探ることにしていた。そして、曲時が伝子に弱いことを知っていた伝蔵は、大乗り気で伝子になりきってオーマガトキ城に乗り込んでいたのである。
 -さて、オーマガトキはどう出るか。
 伝蔵の眼にもオーマガトキが資金難に陥っていることは明らかだった。領内の村々は惣を組んでオーマガトキに年貢を納めないか、納めたとしてもほんのわずかに過ぎなかった。それより実力のあるタソガレドキやドクササコ、アカトキにつく方を選んでいた。だからドクタケがオーマガトキの取り分を多くするという条件を下げてドクササコやアカトキの保護権を買収する話に飛びついたのである。それなのに、ドクタケが交渉延期を申し出てきたということは、オーマガトキの資金難がいよいよ厳しくなるということだった。すでに伝蔵の耳は、城内の家臣や兵たちの給料が滞っていることを捉えていた。
 -大間賀時曲時はいよいよ裸の王様になりつつあるな…。
 もともと領民からの人望が薄いうえに、城内の家臣たちからも愛想をつかされつつある。その不安の裏返しで伝子を側に置いているのだろうが、それがさらに人心を離反させていることには果たして気付いているのだろうか。

 


「どういうことだっ!!」
 怒気をはらんだ声が広間に響き渡る。
「ドクタケが偶発債務を理由に買収延期を言い出してきたと思ったら、今度はオーマガトキがドクタケの調査不十分を理由にして保護権の売却中止を申し入れてきただと?」
 書状に眼を通したドクササコの家老の顔には青筋がいくつも浮いている。
「そのようで」
 書状を届けた家臣が答える。
「そもそもドクタケとオーマガトキの交渉状況はどうなっておったのじゃ! 忍者隊からは報告が上がっておらんぞ!」
「正確には、動きが見えない乃至動いていないらしいということしか分からないとの報告をお上げしております」
 凄腕忍者からの報告を逐一上げていた家臣の口調は事務的なままである。
「それは何も報告してないのと同じではないかっ!」
 ふたたび家老が怒鳴り散らす。
「いずれにしましても、この件にオーマガトキが口を挟む筋合いはありません。ことは我々とドクタケの話ですから」
「そうとも言えぬぞ。読んでみろ」
 書状を放った家老が苛立たし気に脇息を握りこぶしで何度か叩く。「我らの保護下の村とアカトキの保護下の村の水利争いの裁定については、ドクタケとの交渉の方向性によって決めるなぞと書いてきておるぞ。くそ! オーマガトキの分際で我らを両天秤にかけてきおって!」
 -やれやれ。たしかにオーマガトキの分際で変な小技をかけてきたな…。
 書状に眼を通した家臣が内心ため息をつく。

 

 

「…へえ」
 同じ書状を受け取ったアカトキの家老が皮肉に唇をゆがめて笑う。「つまりドクタケはろくなデューデリジェンスもできてないから相手にするなということだな」
「ついでにドクササコと我々を仲間割れさせようと図っておるのでしょう」
 書状を届けた家臣が肩をすくめる。
「たしかにドクササコにも言いたいことは山とある」
 家老がいかにも軽蔑したように鼻を鳴らす。「そもそも今回の件、大船に乗ったつもりでいろと言ってきたのはドクササコだったな。それが、ふたを開けてみればドクタケにもオーマガトキにもまともにグリップが利いてない上に、オーマガトキに足元を見られてこんな文を送りつけられるとはな…何やってんだか」

 

 

「みてみて! ウグイがつれたよ!」
「ほんとだ! おっきいなあ」
「庄左ヱ門がさっきつったオイカワほどじゃないけどね」
「そんなことないよ…ほら、しぶ鬼のほうが大きいよ」
 次の休日は釣りに出かけた庄左ヱ門としぶ鬼だった。
「あとで焼いて食べようよ!」
「うん!」
 顔を見合わせてくすりと笑った2人だった。
「そういえば、しぶ鬼は達魔鬼さんとつりに行けたの?」
 そんな話をしていたのを思い出した庄左ヱ門が訊く。
「ううん」
 しぶ鬼は肩をすくめる。「もうそれどこじゃないみたい」
「お仕事でいそがしいの?」
 庄左ヱ門の視線は川面に揺れる釣り糸の先を向いたままである。またも探りを入れるような問いかけをしている自分に向けた自己嫌悪をしぶ鬼に悟られまいとしていた。
「パパもたいへんみたい。オーマガトキがへんな文書をドクササコとかにおくったせいで、話がぐちゃぐちゃだっておこってるし」
「ふうん、たいへんだね」
 関心なさげを装って庄左ヱ門が返す。
「べつにいいよ、学園の先生に話しても」
 突き放したような口調でしぶ鬼が言う。「忍術学園としては、気になってとうぜんだもんね」
「え…わかってたの?」
 思わず動揺が表情に現れてしまう庄左ヱ門だった。
「もちろんさ」
 しぶ鬼が川面を向いたまま続ける。「ぼくだってドクたまなんだよ?」
「ごめん」
 竿を置いた庄左ヱ門が向き直って頭を下げる。「ぼく、どうしても報告しなきゃって…そのせいで達魔鬼さんのお仕事がうまくいかなくなるかもしれないのに…」
 歯をぐっとくいしばった庄左ヱ門がちらとしぶ鬼を上目遣いに見る。「…ゆるして、くれる?」
「どっしようかなあ…」
 生真面目な声に顔をそむけていたしぶ鬼が、ぷっと笑い声を漏らす。
「しぶ鬼?」
 庄左ヱ門が顔を上げる。
「ははは…」
 こらえきれずにしぶ鬼が笑い転げる。「いいよ、そんなこと。どうせロクなことじゃないんだし、そもそもパパのほんとのお仕事じゃないんだしさ!」
「でも…」
 戸惑ったように庄左ヱ門が顔を向ける。
「もひとつ教えてあげようか…オーマガトキは、アカトキにもへんな文書をおくったみたい」
「そうなの?」
 庄左ヱ門が眼を見開く。
「だってさ」
 ニヤニヤしながらしぶ鬼が続ける。「さいきん、パパがやたらそんなことをぼくに話すようになったんだよ…誰に言ってもいいとおもってるに決まってるじゃん。ホントにだいじな話なら、家族にだって話すわけないんだから」
「でも、どうして達魔鬼さんがそんなお仕事をいいつけられたんだろうね」
 もはや安心して話ができると安心した庄左ヱ門が、ふたたび竿を手にしながら訊く。
「どうせ、ほかの人にはまかせられないからじゃないの?」
 川面に視線を戻したしぶ鬼が応える。「パパはドクタケ忍者のなかじゃそれなりにできるし、水軍創設準備室長っていったってなんにもやることないし」
 父親へのリスペクトと現実をいともあっさり口にするしぶ鬼だった。
「結局、どんなお仕事だったんだろうね」
「さあ、わかんないけど…」
 しぶ鬼が肩をすくめる。「オーマガトキが相手だから、どうせうまくいかないだろうなってパパは言ってたけど」
「そうなんだ」
「パパがあんなにいそがしいってことは、うまくいかなかったってことなんだと思うよ」
 ふたたびしぶ鬼が突き放したような口調になる。「こっから先は忍術学園の先生たちがさぐったほうがはやいと思うけど」
「うん…そうだね」
 しぶ鬼の変化に戸惑ったような表情を浮かべる庄左エ門だった。 

 

 

「…つまり、庄左ヱ門の情報では、ドクタケはオーマガトキ、ドクササコ、アカトキを相手に交渉していた。そして左近の情報では、ドクササコとアカトキがドクタケを背後で操って資金も出しているようだが、仕切っているのはドクササコということだったな」
 忍術学園の教師長屋の一室で伝蔵が口を開く。伝蔵の傍らに座る半助が腕を組んで頷き、二人の前には伊作、左近、庄左ヱ門が端座していた。
「はい」
「その通りです」
 庄左ヱ門と左近が頷く。
「それに、ドクタケはオーマガトキから買い取ろうとしているのはとてつもなく高いもののようです」
 伊作が補足する。
「ふむ…いったいドクタケはドクササコと組んで何をしようとしているのだ…」
 腕を組んだ伝蔵が唸ってところに、「だいたい分かりましたぞ」という声が降ってくる。
「野村先生?」
 伊作たちが見上げた天井板の一枚が外れると、ひらりと雄三が舞い降りた。「状況がだいぶ分かりましたぞ」
「して、どうなのですかな」
 伝蔵が身を乗り出して訊く。
「さよう」
 気取ったようにこほんと咳をした雄三が続ける。「ドクタケが買おうとしていたのは、ドクササコとアカトキがオーマガトキ領内の村に持っている保護権のようです。ただ、どういうわけか交渉は滞っているようです。それに乗じてかオーマガトキが動きを見せているようですが、そちらはもうすこし探る必要があるようです」
「しかし、いくらオーマガトキの領内とはいえ、ドクタケとタソガレドキが直接対峙するようなことになるのは危険ではないのですか?」
 半助が疑問を呈する。
「ドクタケはむしろ、この機会にオーマガトキに食い込んで、タソガレドキの影響力を一掃したいところなのでしょうな」
 腕を組んだ雄三が考え深げに言う。
「そんなにうまくいくのでしょうか」
「だからこそ、ドクタケは、保護権の買収後は年貢のオーマガトキの取り分を増やすと約束しているようです。ほかに、大間賀時曲時に大金を提供するとまで言ってきているようです」
「なりふり構わぬ、といったところですな」
 顎髭を引っ張りながら伝蔵が呟く。「ところで左近」
「は、はい」
 左近が弾かれたような表情で返事する。
「タソガレドキ忍者の高坂陣内左衛門と行動を共にしていたようだが、高坂は何か探っていたか」
「アカトキ城ではあまり情報が取れなかったようです。それより雑渡昆奈門さんがドクタケに潜っていろいろ探ってました…それより」
 左近が言葉を切ってごくりとつばを飲み込んだ。「ドクタケが五千貫文を出すのどうのって、ドクササコのえらい人がアカトキのえらい人に話していました」
「なるほどな」
 雄三が眼鏡を押し上げる。「大間賀時曲時を買収する費用は五千貫文ということか」
「でも…」
 信じがたい大金の話に左近が語気を強める。「そんな大金、本当にドクタケは払う気なんですか?」
「むろん、話だけだろう」
 伝蔵が代わりに応える。「まずはオーマガトキの出方を見て、それによっては何かと理由をつけては減らしたり遅らせたりして値切るだろうな」
「そうですかあ…やっぱりドクタケはセコいなあ」
 呆れたように声を上げる左近だったが、「そうともいえんぞ」と鹿爪らしく眉を寄せたままの伝蔵が言う。
「どういうことですか?」
 左近が意外そうに訊く。
「好条件を最初に示して相手を釣ったあとに、交渉で条件を下げていくのはむしろ常套手段に属するということだ」
「まあ、そのくらいはオーマガトキも織り込み済みだろうが」
 半助が補足する。「だからこそ探らなければならないことがある」
「なにを探るんですか?」
 黙っていた庄左ヱ門が訊く。
「ひとつはドクタケがドクササコ及びアカトキと交渉を滞らせている理由。次にオーマガトキがこの状況に乗じて何をしているか。最後に、この動きにタソガレドキが絡んでいるかどうかだ」
「それでは、野村先生には引き続きドクタケを探ってもらえますかな」
 てきぱきと伝蔵が指示する。「私はオーマガトキ、土井先生はドクササコをお願いします。伊作は庄左ヱ門と左近を連れて学園に戻りなさい。これ以上関わるのは危険だ」
「あの…」
 左近が手を上げる。
「どうした、左近」
「僕、アカトキを探ります」
「何を言うんだい、左近」
「そうですよ。先生もキケンだっておっしゃってるし…」
 伊作と庄左ヱ門がぎょっとしたように口を挟む。
「でも、僕、お小姓様付きとして城内に知られているから怪しまれないし、お小姓様は殿さまの側にいるから、いろいろなことを探れると思うんです。それに、先生方はアカトキ城には潜られないし」
「…それもそうだな」
 腕を組んだ伝蔵がうなる。当事者が多すぎて手が足りなかった。左近が怪しまれずに潜ることができるというのはメリットには違いなかった。
「どうしましょう」
 戸惑ったように半助が呟く。
「左近。ひとつ約束するんだ」
 口を開いたのは野村だった。
「はい、先生」
 左近がまっすぐ担任を見上げる。
「決して無理に情報を取ろうとするな。お前はあくまで何も知らない小姓付きの従者だ。そう振る舞えるか」
「はい!」
「…そうか」
 伝蔵が組んでいた腕をゆるゆると解く。「では、アカトキ城の情報収集は左近、お前にまかせたぞ」

 

 

「開門! …してくださいませんか」
 アカトキ城の城門で声を張り上げた少年が、自信なさげに付け加える。
「なんだ。お前は、お小姓様付きの者ではないか。こんなところで何をしている」
「そもそもお前、どこに行っていたのだ。勝手に持ち場を離れるなど、処罰ものだぞ」
 番兵たちがじろじろ見ながら訊く。従者の服装に身を包んだ左近が小さく肩をすくめる。
「僕だって好きでこうなったわけじゃありません」
「じゃ、どういうことだ」
「侵入してきた変な忍者にさらわれたんです。東の森の中に監禁されていて、ようやくスキを見て脱出してきたところなんです! またあの忍者が来るかもしれないんです。早くお城に入れてください!」
「そうか」
 番兵たちが顔を見合わせるが、やがて城門を開いた。
「入れ」
「まあ、ご苦労だったな」

 


「忍者にさらわれてたんだって?」
 城主の前から下がって来た小姓が左近の姿を認めて口を開いた。
「はい…ひどい目に遭いました」
 小姓の刀を両手で受けて刀掛に置きながら左近は言う。
「で、どこの忍者だったの?」
「それが、よくわからないのです」
 横になった小姓のマッサージを始める左近だった。「相手はどこの忍者か言わなかったし、私には見ただけではどこの忍者かなんて分かりませんし」
「そもそも、なんでさらわれちゃったのさ」
「その忍者が天井から落ちてきたところにいたから…だと思います」
「ああ、あの騒ぎの時ね…キミ、そこに居合わせちゃったわけ?」
「そういうことです」 
「そりゃ災難だったね…あ~、そこもっと強く」
「はい」
 小姓が黙ったので左近もしばしマッサージに集中した。
「…それにしても、天井踏み抜くようなドジ忍者に忍び込まれるとは、我々もなめられたもんだね」
 ふいに腕に顎を乗せたまま小姓が呟く。
「結局、どこの忍者だったのでしょうね」
 肯定も否定もしないように気を付けながら左近が言う。
「おおかたドクササコかタソガレドキだろうさ」
「え…?」
 あっさりとした小姓の台詞に思わず声を詰まらせる。
「ほかに考えられるか?」
 投げやりな口調で小姓が続ける。「ドクササコは我々がドクタケとどういう交渉をしているか知りたがっている。タソガレドキはオーマガトキに強い影響力を持っている。保護権の売却のことだってとっくに掴んでるだろうから、探りを入れてきても当然さ」
 前回のときは何も知らなかった小姓がずいぶん詳しくなっていることに内心驚いた左近だった。
 -これって、いろいろ動きがあってこの人の耳にも入って来たってことなのかな。それとも、僕のことも忍者の仲間と疑ってはったりをかけているのかな…?
 もっと詳しい話を聞きたかったが、ここで食いついては疑われると判断して関心のないふりをする。
「よくわかりませんが…すごいことになっているんですね」
「まあ、商人ふぜいでは、知らなくても当然だけどね」  
 事情通をアピールしたいらしい小姓が自慢気に小鼻を膨らませる。「でも、キミもこういうところに勤めているんだから、もう少しいろいろな動きを知っといた方がいいんじゃないの?」
「はあ…はい。ぜひ教えてください」
「じゃあついでに教えてあげるけど…ドクタケがオーマガトキの水利権の裁定を理由に買収交渉を止めたせいで、今度はオーマガトキが我々にドクタケと交渉するなって言ってきたようだよ」
「難しいお話、ですね」
「なに、大したことないさ」
 小姓は左近の反応が気に入ったようである。いつになく饒舌に説明を続ける。「ドクササコの保護下にある村と我々の保護下にある村の水利権争いがあるんだが、元来はオーマガトキの領地だから裁定はオーマガトキが行うことになる。だから、オーマガトキとしてはどっちかに有利な裁定を出すことを匂わせて我々とドクササコを離反させようとしている。裁定の結果によっては保護権の価値にもかかわってくるからドクタケもうかつに手を出せないしね。それで、オーマガトキも強気になって、本来関係ないはずの保護権買収交渉に干渉してきたってわけさ」
 -なるほど、そういうことなんだ。
 ようやく雄三の話の続きの全貌が見えた左近だった。
「すごいですね…これからどうなるんでしょうか」
「まあ、しょせんオーマガトキはまな板の上の鯉だからね…何を言ったところで誰も聞きはしないさ。水利権のことだって、あまり裁定を引き延ばすと、今度は村の連中の農作業に関わることだから一揆を起こされかねない。近いうちに裁定を出すだろうし、それによって買収交渉もまた進むだろうさ」
「なるほど…」
「さ、もういいよ」
 小姓が身を起こすと部屋を出て行く。廊下に控えていた従者に荷物を渡すと、左近はいま聞いた話を自分の中できちんと整理しようと壁にもたれて座り込む。と、天井板の一枚が外れて長身の忍がひらりと舞い降りてきた。
「うわっ!」
 考えに集中して天井の気配に完全に気付いていなかった左近が驚いて後ずさる。
「私だ」
「高坂さん!」
 どうしてここに…と言いかけた左近を遮るように陣内左衛門がぬっと顔を近づける。
「ここにいては危険だ。脱出するぞ」
「え? でも、僕、今日ここに戻って来たばっかりだし…」
「いいから! すぐに脱出するんだ」
「でも…」
 なおも言いかけた左近が声を飲み込んで眼を丸くする。自分の身体を軽々と抱き上げたまま陣内左衛門が天井裏に飛び上がっていた。

 

 

「ちょっと…ちょっと待ってくださいよ高坂さん!」
 あっという間に城を脱出して人目につかない裏道を速足で進む陣内左衛門に、抱きかかえられたままの左近が抗議の声を上げる。
「少し静かにしてくれないか…人さらいと思われては厄介だ」
 左近の身体を抱く手に力を込めながら陣内左衛門がぼそりと言う。
「それに、何が危険だっていうんですか」
 さすがに声のトーンを落とした左近が訊く。
「ドクササコが動き始めている」
 聞こえるか聞こえないくらいの声で陣内左衛門が説明する。「オーマガトキの書状を受けてアカトキが共同歩調を崩さないかを探りに来ている。そんなところに我々タソガレドキや忍術学園が紛れていることが知られれば大ごとだ」
「タソガレドキ忍者が忍び込んでる可能性については、とっくに疑ってるようですが」
 小姓の話を思い出した左近が指摘する。
「疑うことと、現場を押さえられることは別だ」
 陣内左衛門の声はどこか苛立っている。情報がうまく取れなかったのだろうかと左近は考える。
 -…。
 しばし陣内左衛門の身体に身を寄せかけていた左近は、さらに耳元に口を寄せるとささやくように言う。
「お小姓様が言っていました。水利権の話は近いうちに片がつくだろうと。そうすれば、ドクタケとの交渉も進むだろうって」
 左近を抱き上げる腕に一瞬力が入った。
「水利権?」
 戸惑うように陣内左衛門が呟く。
「よくわかりませんが、オーマガトキが水利権の裁定を遅らせているせいで交渉が止まっているらしいです…」
「それはつまり、アカトキとドクササコが保護権を持つ村ということか…?」
 思わず引き込まれるように聞いてしまう陣内左衛門だった。と、左近が耳元から顔を離してニッとする。
「すいません。僕、疲れて寝ちゃってたようです…もし寝言で変なこと言ってたらごめんなさい」
「あ、ああ…」
 唐突な変化に戸惑ったような視線で見つめる陣内左衛門に、畳みかけるように左近が続ける。
「ここまでくれば、一人で学園に戻れます。もう下してもらえませんか?」
「ああ…」
「じゃ、失礼しま~す! 高坂さんも気をつけてくださいね!」
 駆け出した左近が足を止めて振り返ると手を振る。
「ああ…」
 つられて手を振った陣内左衛門だったが、再び駆け出した左近の姿が見えなくなるとゆるゆると手を下ろす。
 -…。
 つい先ほどまで左近の身体の温かみをずっと支えていた手をじっと見つめる陣内左衛門だった。 

 

 

<FIN>

 

 

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