命のリレー(3)

「新野先生、医務室のお掃除にきました」
 伏木蔵がぽそりと言って入ってくる。
「…はい。ご苦労さま」
 新野は、薬の調合をしながら答える。一日に何度掃除に来れば気が済むのだ、という言葉を飲み込みながら。
 -善法寺君の指示だな。
 翌日、医務室には終日、つまらない用事でやってくる保健委員の下級生の姿が絶えなかった。新野から眼を離すな、という指示が伊作から出ているのは明らかだった。
 -困ったものだな。
 だが、下級生たちも、なぜ新野から眼を離してはいけないのかまでは聞かされていないようだった。意味なく小さな手で文机の同じところを拭きながら、伏木蔵はちらちらと新野の姿に眼をやっている。それは明らかに、自分の任務の意味を知らされていない眼だった。だから、新野が書籍を取ったり、厠に行くために立ち上がるたびに、彼らは新野の姿を眼で追いかけ、医務室から出るや後をつけてくるのだった。
「失礼しまあす」
 不意にやってきたのは、事務員の小松田である。
「新野先生に、お手紙が届いています」
「手紙? どなたからですか?」
 びくっと肩が震えそうになるのを辛うじて抑えながら、新野は落ち着いた声を装った。
「さあ」
 小松田は、首をかしげる。
「誰が届けにきたのですか」
「それが、門前の掃除をしていたら、越前の商人と仰る方がきて、新野先生にお渡しするよう言付かってきたといって渡されたのです」
「それは、どんな人でしたか」
「さあ、普通のおじさんといった感じの方でしたけど」
「普通のおじさんって…」
 どうせ変装しているのだろうから、人相など聞くだけムダと分かっていても、小松田の頼りない返事には脱力させられる。
「こちらがお手紙です」
「ご苦労さま」
「失礼しましたあ」
 にっこりと手紙を手渡すと、小松田は鼻歌を歌いながら廊下を歩み去った。
 -これは、道順の字ではない。
 表書きに記された自分の名前を見ただけで、新野にはこの手紙の内容がほぼ予想できた。
 -いよいよ、動き出したか。

 


「新野先生が学園を去る?」
「それはどういうことだ」
 作戦会議の翌日、職員室の山田伝蔵と野村雄三のもとに、仙蔵と留三郎がいた。2人は、伊作から聞いた話と、その後六年生でまとめた作戦について相談に来たのだ。
「それで、伊作はどうしたのだ」
「伊作は、寝込んでいます。新野先生に知られたくないということで、私たちの部屋で」
 留三郎が説明する。
「それはまたどうして」
「心労なのだと思います。しかしそれ以上に、新野先生と誰にも言わないと約束したことを、これ以上自分の口から話すのが耐えられないからなのではないかと思います」
「そうだとすれば、忍としては線が細いな…それはさておき」
 雄三は、眼鏡を押し上げながら呟く。
「作戦としては、君たちの案はよくできていると思う。しかし、その前に、新野先生を狙う勢力がどこかを突き止めなければならない。山田先生」
「そうだな。我々も、情報収集する必要がある。利吉はフリーで動いているから、何か耳にしているかもしれない。早速、呼んでみましょう」
「私も、伊賀でなにか動きを把握していないか、確認してみましょう。他の先生方にもお願いするとして…くれぐれも、新野先生には知られないように」
「お願いします」
 仙蔵は一礼して続ける。
「…私たちは、上級生を動員して、学園周辺の警戒に当たります」
「新野先生の身辺は、どうするのだ」
 伝蔵が訊ねる。
「現在、伊作の指示で、保健委員会の下級生が見守っています」
「しかし、このことは、知らされていないのだろう」
「そのようです。しかし、保健委員会以外の生徒が警戒につくことは、新野先生に気付かれることになりかねないので、このままで行くしかないと思います」
「まあ、それはそうなのだが」
 伝蔵は腕を組む。
「敵の動きは、予想外に早いかもしれない。いざとなれば、下級生も含めた対策を組まなければならない。お前たちの計画では、敵襲があったときには下級生は後方支援に組み込んでいるが、特に演習経験が少ない一、二年生にできるかどうか、私は疑問を持っている」
「お言葉ですが、以前、オオマガトキ勢力に攻められた村の防衛戦では、一年生も活躍していたと思います」
「あれはは組の特殊事情だ」
 伝蔵は眉根を寄せた。
「一年は組は、無駄に実戦経験が多いからな…しかし、それを当てにするのはリスクが高い」
「わかりました。その点は、見直します」
「必要があれば、下級生は学園から退避させることも視野に入れて検討してほしい」
「そこまで…」
 仙蔵と留三郎は、息を呑む。
「あらゆる選択肢を排除してはならない。そして、最悪の場合の選択肢を常に念頭に置いて、作戦というものは立てるものだ」
「はい」
 2人は職員室から出た。

 


「さて、どう思います」
 職員室に残った伝蔵と雄三には、まだ戸惑いが残っていた。実のところ、新野については、2人ともよく知っているわけではなかった。さる高名な医者の一番弟子で、各地の城からのスカウトが殺到していたところを、学園が首尾よく獲得したのだと学園長の大川が自慢していたのはよく耳にしていたが。
 確かに新野は、医術の腕も高く、本草学から火薬の扱いまで精通していることから、学園でも一目置かれる存在だった。本人の出しゃばらない、穏やかな人柄が、却って新野に、過去のことを訊ねにくいものを漂わせていた。そもそも学園では、忍としての過去を訊ねるのは暗黙のタブーとされていたが。
「一度、伊作からも、事情を確認した方がよろしいでしょうな」
 雄三は腕組をして考え込んでいる。
「仙蔵と留三郎の話は、あくまで伊作からの又聞きですからな。その話を前提にした学園防衛計画なるものを他の先生方に提案しても、おそらく賛同は得られないでしょう。優秀な六年生である彼らが、なんの確証もなしにあのような計画を持ってくるとは思いませんが」
「だからこそ、われわれ自身も、新野先生と学園の危機について、確証を持たねばならん、ということですな」

 


「伏木蔵、私の部屋に、医心方の2巻があるから、持ってきてくれませんか」
 いよいよ掃除する場所がなくなり、薬戸棚の取っ手を磨き始めた伏木蔵に、書きものをしていた新野が声をかけた。
「は、はい」
 返事はしたものの、新野から眼を離さないよう伊作から言い含められている。あいにく乱太郎も左近もはずしていた。
 -どうしよう。新野先生を一人にしてしまう。
「取ってきてくれませんか」
 新野はもう一度言った。その声はいつも通り穏やかだったが、否とは言わせない押しがあった。
「はい、すぐ、取ってきます」
 伏木蔵は、観念して席を立った。
 -すぐに戻れば、大丈夫だろう。それに、乱太郎たちが戻ってくるかもしれないし。
 伏木蔵の足音が遠くなると、新野は書きものを続けたまま言った。
「お手紙は、読みましたよ」
 天井で、気配が動いた。
「それで、返事は」
「お断りします」
「しかし、われわれも、ああそうですかと帰るわけにはいかない」
「そうですか」
「あなたには、来ていただく。お返事がどうあれ」
「お断りします、と申し上げたはずだ」
「それなら無理にもお越しいただくまでのこと」
「あまり、いい結果をもたらすとは思えませんが」
「他の城が、忍術学園の襲撃に失敗したことは、われわれも把握している。だが、今回もうまくいくとはお考えにならないほうがいい。われわれは、あなたの身柄を確保する。そして忍術学園は…」
「そのような脅し文句に屈するとでもお考えですか」
「これは最終警告だ。次回お目にかかるときは、我らの手の内で、ということになることをお忘れなく」
 天井の気配が消えた。
 -やれやれ。思ったよりも動きが早いですな。
 筆を滑らせる手が、速くなった。
 -時間がない。
 いま書いている文は、伊作に与える最後の文章になるはずのものだった。いよいよ学園に敵襲があったとき、より効果的に敵にダメージを与えるための毒物の活用法について、具体的に解説したつもりだった。あの書を引き継いだあとの最初の試練にしては、今回は少しばかり伊作には荷が重過ぎるだろうと考えて、残すことにした文である。
 -毒薬の調合も、急がねば。

 


 夜更けの教師長屋の一室には、まだ灯がともったままだった。部屋には、伝蔵と雄三、半助など、数人の教師がいた。対座しているのは伊作と、付き添いの留三郎である。体調はまだ思わしくないらしい。伊作の顔色はひどく悪い。教師長屋に来るにも、留三郎の肩を借りなければならなかったほどである。
「まだ休んでいなければならないところを呼びつけてすまない。だが、事が学園の危機ということなので来てもらった」
 伝蔵が口火を切る。
「私こそ、このようなときに寝込んだりしてしまい、恥ずかしく思っています」
 伊作の声は細く震えている。部屋の隅に控えた留三郎が、気遣わしげな視線で見る。
「早速ですまないが、今回の新野先生の件、直接話を聞いた君から詳しく説明を受けたいと思うのだが」
「…はい」
 伊作は、新野とのやり取りを説明する。
「そういうことか…」
 伝蔵は改めて腕を組んで考え込む。
「新野先生が、なぜ…」 
 初めて話を聞いた半助は、ショックを隠しきれない。
「…それから、一年ろ組の伏木蔵から報告を受けたのですが」
 伊作は、ためらうように言葉を切った。
「どうした」 
「今日の午後、新野先生に不審な手紙が届いたそうです。なんでも越前の商人が届けにきたとのことですが、受け取ったのが小松田さんなので、どのような人物だったかは分からないそうです。ただ、その後、新野先生は伏木蔵を物を取りにやらせて、医務室に一人になったとのことです」
「おい、新野先生は保健委員がつきっきりで見てたのではないのか」
 留三郎が思わず声を上げた。
「…すまない。結果的に、そのようになってしまったんだ」
「どうやら、新野先生は、敵と接触を図ったようだな」
 腕を組んだまま、伝蔵が言った。
「敵と、接触を…?」
「ということは、すでに敵は学園内に侵入しているということですか!」
「まあ、そういうことだ」
 伝蔵が肩をすくめる。
「それで、手紙はどうしたのだ」
 留三郎が身を乗り出す。
「新野先生がすぐに懐にしまわれたので、見ることはできなかったそうだ」
「そうか…」
「いま、新野先生はどうされている」
 不意に、雄三が口を開いた。
「お部屋に戻られたところまでは、左近が確認しています」
「そのあとは」
「数馬が引き継いでいます」
「急いで、新野先生が在室されているか、確認した方がいいな」
「どういうことですか?」
「すでに、新野先生が、学園を去られている可能性が出てきた」
「なんだって?」
「それはどういう?」
 半助たちが思わず腰を浮かせたとき、半鐘が連打された。そして叫び声。
「曲者だ!」

 


「来たか」
 伝蔵がゆるりと立ち上がる。他の教師と留三郎も倣う。伊作も立ち上がろうとしたが、すぐに座り込んでしまった。
「お前はそのまま座っていろ。無理するな」
 駆け寄った留三郎が肩を支える。
「留三郎、お前たちの学園防衛計画は、もう発動しているのだろうな」
「はい。仙蔵を総指揮者にして、すでに上級生全員で敵の探索に動いているはずです」
「山田先生、学園長先生には…」
 半助が気がかりそうに訊ねる。
「一報はお知らせしてある。だが、すぐに今の話も含めてご報告し、指示を仰がねばならない。留三郎、一緒に来なさい。野村先生、他の先生方へのお知らせをお願いしますぞ」
「分かりました」
「伊作はここで休んでいなさい。まだ安静が必要なのは、自分で分かっているだろう」
 なおも立ち上がろうとする伊作の肩を、半助がそっと抑える。
「し、しかし…」
 なおも伊作が抗弁しようとしたとき、部屋の障子が開いて数馬が飛び込んできた。
「伊作先輩! たいへんです! 新野先生がいなくなってしまいました。それから、文机の上にこんなものが…」
「なに…!」
 善法寺伊作殿、と表書きされた手紙を、伊作がひったくるようにとって読み始めた瞬間、ずん、と大きな振動がはしり、立っていた者の足をふらつかせた。
「焔硝蔵の方だぞ!」
「火消しの用意をしろ!」
 叫び声が上がる。
「…あれは、おとりだな」
 半助が低く言う。
「さよう。われわれの注意を焔硝蔵に向けさせておいて…」
 伝蔵が続ける。
「…狙いは、医務室か新野先生のお部屋だな」
「数馬! 保健委員はどこにいる!」
 だしぬけに伊作が叫んだため、その場にいたものはひどく驚いた。
「全員、医務室やその周辺で、新野先生を探しています」
 事態の急変に、数馬の声は震えている。
「下級生たちが危険だ! 全員、医務室周辺から退避させるんだ!」
「どういうことだ」
「先生は、医務室とご自分の部屋に伝火と組み合わせた毒物噴射装置を仕掛けられた。敵が集まったところに一気にダメージを与えるおつもりらしい」
「そんなものを…」
「数馬、お前は先生のお部屋の近くまで行って、下級生がいたらすぐにこちらに来るよう呼びかけるんだ。ただし、絶対に部屋に入ってはいけない。異臭がしたら、すぐに口と鼻を頭巾で保護してその場を離れろ。あと、敵が聞いてるかもしれないから、理由は言うな。私は医務室に行く」
 伊作はよろめきながら立ち上がった。
「数馬、はやく行け」
「は、はい!」
「伊作、無茶するな!」
 留三郎が肩に手を掛ける。伊作はその手を振り払った。
「保健委員の後輩が危ないんだ。私が行かなくてどうする」
「だったら、俺が行く!」
「留三郎、お前は、山田先生と一緒に、学園長先生にご報告に行くんだろう。はやく行くんだ」
「そうだったな」
 伝蔵が言う。
「留三郎、私と来るんだ。土井先生、伊作を頼みましたぞ」
「分かりました。さあ、伊作。私の肩につかまれ」

 


 学園内は、敵の侵入の情報に緊張感が高まっていた。校舎の廊下や学園の敷地内を、数人ずつのグループになった上級生たちが警戒してまわっている。
「立花先輩! どうして私たちは、警戒に入ることができないのですか!」
「そうです! 敵を探す眼は、多い方がいいに決まっています。私たちにもやらせてください!」
 総指揮者となった仙蔵が陣取る教室には、下級生たちが詰め掛けていた。
「だめだ。今度の敵は危険なのだ。お前たちは動くな」
 腕組をしたまま、仙蔵は低く言う。
「なら保健委員は、どうして下級生の左近や乱太郎たちも警戒に入っているのですか」
 二年生の能勢久作が食い下がる。
「保健委員は、警戒に入っているのではない。新野先生の…」
 警護を、と言いかけて仙蔵ははっとする。
 -しまった。このことは、まだわれわれ六年と先生方だけの話だった…。
「新野先生が、どうされたのですか」
「い、いや…保健委員は、新野先生の手伝いをしているのだ。救護所の設営をしている」
「本当ですか?」
 疑わしげな視線が集まる。
「も、もちろんだ」

 


「きり丸、団蔵、ちょっと」
 庄左ヱ門が、仙蔵の周りに詰め掛けた人垣から、2人をそっと呼び出す。
「どう思う? 立花先輩のいまのお話」
「どうって…」
「きり丸、乱太郎から何か聞いてないか? 今朝から、保健委員の行動がおかしいとずっと思っていたんだけど」
「さあ…特に聞いてねえな。だけど、そういや、やたらと医務室に出入りしてたな…特に会議というわけでもなさそうだったけど」
「ぼくもおかしいと思っていた」
 団蔵が思い出したように言う。
「…会計委員会のときに、三年の神崎先輩が言ってたんだ。今朝から三反田数馬先輩をぜんぜん見ないって」
「こりゃ、保健委員会が、この騒ぎに関係しているな」
 きり丸が考え込む。
「…そういやさっき、保健委員長の伊作先輩が、真っ青な顔で、留三郎先輩の肩につかまりながら職員室の方に向かっていたな」
「それだって、変だよ。もし救護所を作っているなら、伊作先輩が先導しているはずだろ? それに具合が悪いのなら、なんでわざわざ留三郎先輩の手を借りてまで、職員室に行かなければならない?」
「そうだな。たしかに変だな」
「いま、乱太郎はどこにいるの?」
「んー、救護所を作っているのなら、医務室なんじゃねーのか」
「よし。乱太郎を探しに行こう。何が起こっているのか事情を聞くんだ。それによっては、実戦経験豊富なは組の出番になるかもしれない」
「よし、行こう」
 教室を出て医務室に足を向けた三人の背後から、声がかかった。
「待て」
 ぎょっとした三人が、こわごわ振り返る。立っていたのは、仁王立ちになった文次郎である。
「お前たち、どこへ行く」
「…潮江先輩…!」
「ちょ、ちょっと乱太郎に用がありまして…医務室に行ったらいるかなって…」
 きり丸が取り繕うように言いかけたが、文次郎がぴしゃりと言う。
「今はだめだ。医務室には近寄るな。自分たちの教室に戻れ」
 文次郎も、つい先ほど、新野の仕掛けについて聞かされたばかりだった。
「でも…」
「団蔵。お前、俺の指示が聞けないのか。言うことを聞かないと、あとで10キロ算盤持ってうさぎ跳びだぞ」
「は、はいっ! 戻ります!」
 団蔵はこわばった顔で回れ右をすると、教室に向けて走っていった。
「お前たちも、はやく戻れ」
「は、はい」

 


「新野先生、新野先生…」
 伏木蔵が、泣きながら呼んでいる。
「伏木蔵、泣くなって。お前のせいではないんだから」
「そうだよ。私たちも、外してしまったのは悪かったと思っているし」
 左近と乱太郎が慰める。3人は、姿を消した新野を探して、新野のいそうな場所を当たっていた。しかし、どこにも見つけることができず、ひとまず医務室に戻ろうとしていた。
「待った…!」
 左近が、乱太郎と伏木蔵の頭を抑えて、自分も身をかがめる。
「どうしたんですか、左近先輩」
「医務室の方に、人の気配が向かった。敵かもしれない」
「えーっ」
「声を立てるな。お前たちはここにいろ。僕は、医務室の様子を探ってくる」
 左近がそっと医務室に近づこうとしたとき、背後から声がした。
「それはやめておけ」
「誰だっ」
「私たちだ」
 3人が振り返ると、半助と伊作がいた。
「土井先生、どうしてここに…?」
「伊作先輩、もう起きて大丈夫なんですか?」
「いや、まあ、大丈夫でもないんだが、君たちが心配でね」
「先輩、ごめんなさい…ぼくが部屋を離れたばっかりに、新野先生が…」
「伏木蔵、お前のせいではない。だから、もう泣くな」
「ほら、伊作先輩もこうおっしゃっているんだし…」
 乱太郎が、伏木蔵の涙をふいてやる。
「ところで、どうして医務室に近づいてはいけないんですか?」
 左近が訊く。
「…それは、医務室には敵が入っているからだ。それに、新野先生は、すでに去られている」
 半助がいぶかしげに伊作の顔に眼をやる。後半の言葉が気になっていた。数馬が持ってきた手紙には、仕掛け以外のことも書かれているらしい。
「とにかく、ここを離れるんだ。自分たちの教室に戻って、そこから決して出るな」
「…はい」
 3人が駆け出したのを確認すると、伊作は呟いた。
「数馬も危険だ。呼び戻さなければ」
 そのとき、医務室の障子越しに一瞬、明るい光が走った。次の瞬間、障子が揺れ、ぼ、と煙のようなものが充満したように見えた。同時に複数の叫び声が上がる。
「土井先生。ここも危険です。離れましょう」
「どういう毒を使ったのだ」
「さあ、トリカブトかドクゼリか、そういったあたりの神経毒を使われたようですが」
「危険だな」
「粉末状にして散布したとすれば、あまり大量に摂取することはないでしょうから致死量には達しないでしょう。それでも、危険なことには変わりありません」
「敵はどうする」
「煙が落ち着いた頃に、捕えに行くしかないです。もちろん、鼻と口を厳重に防護する必要があります」
「わかった。では、引き上げよう」
 半助が言った瞬間、次の閃光と小さな爆音。
「…新野先生の、お部屋だな」
「はい…数馬が心配です。行きましょう」

 

 

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