伊作奔る(4)

今夜も、伊作は戻ってこない。
 -どういうことだ。
 留三郎は苛立ちを抑えきれない。忍器の手入れも一向に身が入らず、文机に投げ出したままである。
 -伊作は、何をやっているのだ。
 ここ数日、伊作は医務室にほぼ籠もりっきりである。授業には出てきているが、その顔には深い疲労と隈が刻まれている。留三郎と話をすることもない。授業が終わると、逃げるように医務室に向かい、そのまま医務室で夜を明かしているようだった。
 -また、身体を壊すぞ。
 不意に、夕食のとき、文次郎とかわした会話を思い出す。

 


「おい、留三郎」
「なんだ」
 いつもなら、余計なケンカを防ぐためにも別の席で食べている文次郎が、膳を留三郎の隣に置きながら話しかけてきた。気がかりそうに眉を寄せている。
「伊作のヤツ、ちょっと様子が変じゃないか…同室のお前が気づいたことはないかと思ってな」
「なにかあったのか?」
 なぜか、心臓がびくんと反応するような不安を覚えて、留三郎は箸を止める。
「ああ…さっき、風呂で伊作と一緒だったんだが、アイツ、湯船の中で何度も寝そうになってたぞ。一度なんか、寝たまま湯船に沈んでいって、俺が引っ張り出してなかったら、そのまま溺れていたぞ」
「そんなことがあったのか」
「お前は、気づいたことはないのか」
「気づくも何も…最近、伊作はほとんど医務室に泊り込んで、部屋に戻ってこない」
 -そして、明らかに、俺を避けている…。
 残りのセリフを飲みこんで、留三郎は唇を噛んだ。
「伊作、なにか企んでいるのかも知れないな…俺たちに伏せて」
「アイツ、一人で抱え込むところがあるからな」
「だろう? だが、医務室のこととなると、俺たちが口を出せるようなことではないし…」
「ふむ…どうするかな…」
 並べた膳を前に考え込む文次郎と留三郎の姿に、下級生たちの好奇の視線が集まる。

 


 伊作は医務室の文机に向かって、引継ぎ文書を書いていた。
 すでに徹夜に近い状態で数日を過ごしていた。体力はほぼ限界に近づいていた。もはや、疲れという感覚すら失われていた。
 -これさえ終われば…。
 あらゆる手は打ったつもりだった。自分の不在の間、診療が必要な患者が発生したときのために、近在の町医者に往診の依頼を出して、応諾を受けていた。ツキヨタケ城に潜るために、身分を隠し、別の新野の知り合いの医者を仲介にして、葛西のもとに弟子入りの依頼状も出してあった。これも、近々許可が出そうだとの感触は、仲介した医者から伝えられていた。そして、医務室を自分に代わって守るべき保健委員、特に数馬への引継ぎ文書の作成も、完成に近づいていた。

 


 新野は疲れきって床に倒れこんだ。葛西たちの実験は日ごとに進歩を遂げていた。今日は強水(硝酸)と硫火水(硫酸)を合成して混酸の合成に成功していた。すでに実験は危険なレベルに達していた。たとえば、強水を何らかの手段で前線の足軽たちに噴霧させる手法が開発されれば、それだけで敵の前線が壊滅することは間違いなかった。
 研究が進めば進むほど、新野の役割は重くなっていた。すでに強水の精製が成功した頃から、新野は必要不可欠な人材と位置づけられ、城内でも一目置かれるようになっていた。表向き新野は研究に協力的に振舞っていたし、研究が順調に進行するにつれ、眼に見えて新野に対する警備体制は緩くなっていた。
 -私は、何をしているのだ。
 本来なら、この機を狙って破壊工作に取り掛かる予定だった。また、やろうと思えばいくらもチャンスはあった。だが、一歩踏み込めない自分がいた。
 -このような危険な計画を止めるために、あえて敵中に潜入したのではないか。それなのに、今自分がやっていることは、敵の技術開発の先導ではないか。
 死の覚悟を撤回しかかっている上に、利敵行為に走りつつある。新野には、自分が二重に裏切り行為を行っているようにしか思えなかった。
 -しょせん、私は、死に場所を求めてさまよっていた男ではないか。いずれ野垂れ死ぬなら、ツキヨタケの経済力と葛西の頭脳が生み出した殺人科学と刺し違えるほど、お似合いの死に際もまたとないではないか…。
 最近、床に倒れこむと、伊作から受け取った手紙の内容を思い出す。半ば強引に自分の後継としてあの文書を引き継がせてしまった伊作が、その重さにあえぎながらも精一杯自分を気遣って寄越した手紙である。

 

≪この手紙が届く前に、あるいは先生は果ててしまわれているかも知れません。しかし、生きてお読みいただけることを願いながら、この手紙を書いています。
 結論から先に書きます。先生、もし生きてこの手紙に目をお通しいただいているなら、私たちに力をお貸しください。ツキヨタケの企みを粉砕する私たちの計画に、力をお貸しください。利吉さんをはじめ、忍術学園からツキヨタケに潜入するアプローチはすでに始まっています。
 先生から受け継いだ書を、私は毎日読んでいます。読めば読むほどに、このような貴重な書を私が受け継いでしまっていいのかと思うと同時に、選ばれた誇りを感じています。私の、忍として生きていく意思は変わりません。しかし、だからこそ先生の思いをしっかりと引き継いでいかなければという思いも、日々強くなっています。
 しかし、私はまだ未熟です。そしてこの戦の世においては、多くの命が散っているのが現状です。このような世だからこそ、命を救う手はいくらあっても足りないのです。多くの病み、傷ついた人々が、ほんの簡単な手当てで助かる命が、あっさりと失われている現状と、自分の非力さに、私は絶望に近い思いを持っています。だからこそ、先生がいらっしゃれば…と思うことも多いのです。
 昨日、中在家長次と、最近入荷した薛氏医案(へきしいあん)について話をしました。医学の進歩は日進月歩であり、昨日救えなかった命も、今日には救えるような、そんな時代に私たちは生きています。だからこそ、先生ならどのようにされるかを、私はまだまだ学びたいのです…≫

 

 伊作の思いが、痛いほど伝わってくる。それに対して、現在の自分の行動は、彼の思いにきちんと応えているのだろうか。
 -善法寺君、私こそ、君に向き合う資格のない人間なのかもしれない。
 自分は、伊作に偉そうなことを言ったが、今の自分は、人の命を救うという大原則を忘れた、葛西と同じ、科学を弄ぶ者に堕している。
 -だが、私は必ず、この計画を止めてみせる。科学がこれ以上、人類に刃を向けるものとならないように。そして、学園を守るために。
 そのために、利吉からのアプローチにも応えずにいるのだ。この計画は、やはり自分ひとりの責任で行わなければならない。学園が関係していることが知られては、ツキヨタケが学園に手を出す口実を与えてしまうのだ。

 


「私が、ツキヨタケに…ですか?」
 医務室で薬研をつかっていた伊作の手が、思わず止まる。
「そうだ」
 言いにくそうに、伝蔵が続ける。
「さらに…」
「さらに?」
「学園長先生が、この作戦を六年生の卒業試験の一環と位置づけると仰っている」
「ということは、先生方のご助力は仰げないというわけですか?」
「いや、われわれ教師や利吉の加勢は許すとの仰せだ。しかし、計画は六年生で立てるように、とのことだ」
「…わかりました」 
 顔を上げた伊作の晴れやかな表情に、伝蔵は眼を疑う。
「いいのか?」
「はい」
「危険な、任務なのだぞ」
「分かっています…実は、私も同じことを考えていたのです。先生方が反対されても、私は行くつもりでした。ただ、その前に医務室を数馬に引き継ぐための準備が必要でした」
「準備?」
「はい。数馬はまだ三年生ですから、薬の処方や診察を全て任せるわけにはいきませんし、薬の在庫管理も不慣れです。だから、彼に任せられる仕事についてマニュアルを作っていたのです。それも、ようやく完成しました」
 

 

「…というわけで、私たち六年生で、ツキヨタケの研究阻止と新野先生救出計画を立てよとのことだ」
 急遽医務室に呼び集められた六年生を前に、伊作が口を開く。
「…」
 誰も、一言も発しない。下級生であれば、学園長に対する恨み言のひとつも出るところだが、卒業を間近にした六年生には、通り抜けるべき一つの関門といえた。学園にいる間に、どのような実戦経験を積んだかということが、卒業後に城や忍者隊に就職する上で大きなポイントとなるのだ。だから、学園長や教師たちは、あらゆる機会を捉えて実戦を積ませようとする。それが分かっているからこそ、皆、頭の中で、どのような計画を立案すべきか必死で考えているのだ。

 

 

「仙蔵、ちょっと」

 作戦会議が終わって、部屋を立った六年生たちの中から、仙蔵の姿を認めて、伊作は声をかけた。
「どうした」
「ちょっと残ってくれないか」
「ああ」
 2人だけが残った医務室で、伊作と仙蔵が対座する。
「仙蔵、知恵を貸してもらいたいことがあるんだが」
「というと?」
「これさ」
 伊作は立ち上がると、戸棚から紙包みを取り出した。包みを開く。中には、灰褐色に鮮やかな赤色が混じった粉があった。
「これは?」
「硝石に鶏冠石を混ぜたものだ。火をつけるとかなり激しく燃える」
「ほう」
 火薬の取扱いに詳しい仙蔵が、身を乗り出す。
「ただし、燃焼は瞬間的なものに過ぎない。これに、油を組み合わせると、爆発的かつ燃焼が持続する爆弾が作れると思うんだけど、どう思う?」
 伊作の言葉に、仙蔵は思わず伊作の顔をまじまじと見つめる。医術や薬学に詳しいことは知っていたが、このような火器にも関心が及んでいるとは。
「このようなものを、どうやって配合できたのだ?」
「長次が、図書室の南蛮の書から見つけてきた。南蛮にはギリシャの火という、砲筒から打ち出すだけで点火して爆発的に燃え続け、水をかけても消えないという爆弾があったそうだ。いまはその製法も絶えてしまったが、この硝石と鶏冠石の粉で着火して油で燃焼を続けさせれば、同じような物ができるかもしれないと考えたんだ。油なら、水をかけて消そうとしても、却って逆効果だからね」
「そうか…」
 仙蔵は、あごに手を当てて少し考えた。
「…そうだな。たしかに有効かもしれない。携帯性を考えると、油は綿にしみこませた方がいいだろう。あとは、それをどう有効に敵方にぶつけるかだな」
「そこなんだ。硫火水(硫酸)を保管している実験室を破壊するには、砲撃がいちばん効果的だと思うんだけど、これをどうやって砲撃に使える形にするかを、仙蔵に考えてほしいんだ」
「わかった。構造的には震天雷と同じようなものと思うのだが、少し工夫が必要と思うから、その粉を少しサンプルにくれないか」
「ああ。そのために、これを用意したんだ」
 伊作は、紙包みを仙蔵に手渡す。
「それにしても、驚いたな」
「なにがさ」
「伊作が、このような火器を考案するとは、ということさ」
「そうかもね」
 伊作は寂しげに笑う。
「学園と新野先生のためさ。手段を選んではいられないということかな」

 


 仙蔵が去った後も、伊作はしばらくがらんとした医務室にひとり残っていた。薬研で硝石を砕く音だけが響いている。
 -仙蔵の言うとおりだな。私がこのような火器を考え付くとは。
 自分でも予想外の事態だった。新野からあの書を引き継いだ夜から、全てが変わっていったような気がする。それは、親元を離れて忍術学園に入ったとき以来の環境の激変かもしれなかった。
 -いや、それ以上だな。
 ごり…ごり…と音をたてて車輪が硝石を砕いていく。
 自分が考案したものが何を意味するか、仙蔵に手伝いを依頼することがどのような結果になるか、分かりすぎるほど分かっていた。
 -仙蔵なら、すごい砲弾に仕上げてくるだろう。ためらいもなく。
 砲弾の基本的な設計については、仙蔵と共通認識はできていた。発射から着弾までは、硝石と鶏冠石の混合物でまずは激しい燃焼を起こし、火勢を維持するとともに、油の燃焼へとつなげる。着弾と同時に、燃焼している油が飛び散り、一気に火勢を拡げる。鉛の砲弾が、対象施設の破壊を目的としているのに対し、この砲弾は、火災を起こすことを目的としている。利吉の報告によると、研究室は塗込のような防火措置は施されていないということだから、中身の油が燃え盛って火の玉のようになった砲弾を一発か二発も撃ち込めば、たちまち炎上してしまうだろう。そのとき、高温にさらされた硫火水の壷がどうなるかは明らかである。
 いや、たかが硫化水を保管している研究室を破壊するのに、これほど大仰な破壊力を持つ火器を開発する必要がないことは分かっていた。残余のエネルギーは、おそらく怒気によるものだった。
 -だが、このままでは、必要以上の砲弾を作ってしまう。
 すでに、硝石の粉末は、十分すぎる量ができていた。鶏冠石は、直射日光が当たると劣化が早いので、調合する直前まで粉末化しないことにしていたが。
 -いったい、私は何をしようとしているのだろう。
 自分が分からなくなりつつなりながらも、手は薬研を動かし続けている。

 


「伊作、ちょっといいか」
 翌日、仙蔵が医務室に顔を出した。
「もうできたのか」
「ああ。急を要するからな。徹夜で完成させた」
 そう言いながらも、仙蔵の端整な顔には、さほど疲労の影は残っていない。むしろ、その眼に宿るぎらぎらしたものに、どことなく禍々しいものを感じて、伊作はその成果物を目にすることに一瞬ためらった。
「…それで、どのようなものなんだ」
「その前に…入ってくれないか」
 仙蔵が招じ入れたのは、留三郎と五年生の久々知兵助だった。
「よお」
「失礼します」
「留三郎…久々知、いったいどうして」
「私が来てもらったんだ。石火矢の管理は用具委員だし、火薬は火薬委員の管轄だからな」
「伊作、すごいものを開発したそうだな」
 どっかと胡坐をかいて座りながら、留三郎が破顔する。
「いやあ…実際に作ったのは仙蔵だが」
「いや、伊作のアイデアがなかったら、このようなものは作れなかっただろう。実際、どれほどの爆発力があるかは、やってみないと分からんが」
 仙蔵は、木箱から布地に包んだ砲弾を取り出した。
「立花先輩、どのような構造か、教えていただけませんか」
「ああ、そうだったな」
 懐から構造図を取り出して広げながら、仙蔵は説明を始める。
「学園の石火矢で発射することを前提にした口径だ。昨日の伊作の話では、南蛮でギリシャの火と呼ばれるものは、発射すると同時に点火するということだったが、サンプルの粉末ではそのままでは着火が難しいと思われる。だから、震天雷と同様に、別途導火線をつけた。着火法は震天雷と同様だが、口径が小さい分、内部への着火が早い。どれだけ着火から発射までの時間を短くするかが課題だが、いちど着火すればその威力はすさまじいものになるはずだ」
「久々知、どう思う」
「そうですね…」
 兵助は首をひねる。
「先輩方もご存知のように、通常の石火矢では、内部に砲弾を装填してから発射まで、どうしても時間がかかります。その間に内部で爆発してしまった場合、砲弾と違って弾そのものが激しく燃えるということですから、石火矢が壊れてしまう可能性があります。かといって導火線を長くした場合、発射の衝撃で火が消えてしまう恐れがある。これは、石火矢でなければならないものなんですか」
「というと?」
「城の内部に予め仕掛けて、伝火で点火するか、あるいは水軍が使うという投げ焙烙のように、至近距離から投げ込むという方法ではだめでしょうか」
「なるほど…」
 仙蔵は感心したように頷いた。
「留三郎は、どう思う」
「俺も、久々知の提案がいいと思う。至近距離なら、木砲という手もあるぞ。木砲なら、筒が短いから導火線が短くてもとりあえずぶっ放すことはできる。携帯性もあるしな」
「よし、それでは、木砲及び投げ焙烙でさっそく実験だ」
 仙蔵が立ち上がる。
「…ほかの六年生にも見せてやろう。これで、作戦の最終的な見直しができるはずだからな」
「五年生を呼んでも、いいですか」
 兵助が訊ねる。
「僕たちも、このようなすごい火器を使う瞬間を、ぜひ見たいのです」
「ああ、いいさ。その代わり、見て驚くなよ」
 ふだんクールな仙蔵にしては珍しく、口調が高揚している。
「…それでは、学園裏の演習場に集合だ!」

 


 演習場には、五年生と六年生が集合した。数人の教師が背後の森から覗っていることも、気配で察せられた。
「では、さっそく見せてもらおうか」
 文次郎が腕を組んで言う。
「ああ。砲弾は二発作ってある。まずは木砲だ」
 仙蔵が構えた木砲に、砲弾がセットしてある。兵助がまず砲弾の導火線に点火してから、手早く木砲の導火線にも点火する。息が詰まるような数秒を経て、ぼん、と音を響かせて砲弾が発射された。
 それは、通常、木砲から発射する烽火と変わりのないような音だった。だが、烽火であればそろそろ煙を上げるというところで突然、まばゆい光が眼を射た。思わず皆が手をかざした瞬間、ぼ、と小さい音がして砲弾は白い火の玉と化した。火の玉は激しく炎を上げながら、数十メートル先に着弾した。その瞬間、ひときわ激しく炎が上がると、炸裂した砲弾からいくつもの小さな火の玉が飛び出して、燃え広がった。
「消せ! 消すんだ! 燃え広がったらどうする!」
 動転した文次郎が怒鳴る。その声に弾かれたように、五年生たちが水の入った桶を持って駆け出す。
「だめだ。水をかけるな。危険だ!」
 仙蔵が叫ぶ。
「なぜだ!」
 文次郎が怒鳴り返す。
「これは油なんだぞ! 水などかけたら逆効果だ!」
「ではどうすれば…」
 雷蔵が、桶を手にしたまま、当惑したように訊く。
「筵(むしろ)を使え!」
 留三郎が、筵を抱えて雷蔵たちのもとに駆け寄る。
「こうやって筵を水に浸してだな…」
 雷蔵たちの持つ水桶に筵を突っ込むと、しずくがぼたぼた垂れる筵を、燃え盛る火に覆いかける。じゅ、と黒い煙が上がって、炎が消えた。
「他の火も、こうやって消すんだ!」
「はい!」

 


「あれでいいのか?」
 消火に駆け回る五年生たちや文次郎、留三郎を眺めながら、仙蔵が訊く。
「いや、本来なら砂が一番効果的だ。おそらく、着弾したときに火が分散して小さくなったから、濡らした筵でも消火できているのだろう」
 伊作の表情は、どころなく放心状態に近い。伊作の中では、自分の思いつきによる火器の予想以上の威力への恐れと、改良を要する点の検討がせめぎあっていた。
「そうか。火力の面で、まだ改良の余地があるということだな」
 仙蔵があごに手をやる。
「水への耐性を高めるには、石灰や松脂を混ぜるといいかもしれない」
 視線を少し宙に浮かせながら答える伊作の顔に、仙蔵が眼を向ける。

 


 ようやく鎮火した。五年生たちや留三郎、文次郎の顔は、煤ですっかり黒くなっている。
「ったく…」
 文次郎が額の汗を拳でぐいと拭う。額に煤の黒い線が太く引かれる。
「何なんだったんだ、いまのは」
「新型砲弾の威力さ。どうだ」
 立てた木砲に肱を突いて、仙蔵が涼しげに言う。
「ったくお前ら作法委員と保健委員は…」
 どっかと座り込んだ文次郎は、恨めしげに仙蔵と伊作を睨む。
「碌なもんを作らんな。今度の予算会議で経費をばっさり切ってやるから覚悟しろよな」
「何を言う。これで、ツキヨタケ攻めの最終兵器が完成したんだぞ。私たちに感謝こそすれ、予算を削られるいわれはないな」
「んだと!」
「まあまあ、いいじゃないか…とりあえずは、作戦の最終的な詰めを決めよう」
 伊作がとりなすように言う。
「そうだったな。おい、五年生…聞いてってもいいんだぞ」
 そっと立ち去ろうとした五年生に、留三郎が声をかける。
「いいんですか?」
 三郎が訊ねる。作戦が六年生の卒業試験を兼ねていることは、すでに耳にしていた。そのようなものを決める場に、自分たちがいてもいいのか、半信半疑だった。
「構わないさ、なあ」
 伊作が皆を見渡す。
「ああ」
「構わんさ」
「いい機会だ。しっかり聞けよ」
 誰も反対しないのを見て、五年生たちが六年生たちの輪の外に控える。演習などで六年生と組むことは多かったが、本物の城攻めの作戦会議は初めてである。いや、学園にいる限り、まずありえない機会だった。眼を輝かせて、六年生たちの議論に聞き入る。
「武器はこれで決まった。あとは、どのタイミングでやるかだ」
 仙蔵が、口火を切った。
「まず、私が葛西先生の弟子に紛れ込んで、研究室に潜入する。そして、新野先生にコンタクトを取って、作戦への協力をお願いする。おととい、弟子入りの許可が出たから、あとは潜り込んで新野先生にお会いするチャンスを狙うだけだ」
 伊作が続ける。
「ただし、それだけではまだ決め手に欠ける。それに、木砲にせよ投げ焙烙にせよ、城に十分近づかなければならない。当然、警備の兵に見つかってしまう。だから、城中でちょっとした騒ぎを起こす必要がある」
 仙蔵は淡々と語る。
「というと?」
「ツキヨタケ城は、台所女中を募集している。私がそこに潜りこむ。外部との連絡は、足軽として潜りこんでいる利吉さんにお願いできるだろう。期日を決めたら、私が食事に毒を盛る。城中が騒ぎになり警備が手薄になったところに砲撃を加える。砲撃担当は私と伊作を除いたここにいる全員。新野先生の救助は伊作と利吉さんが担当する。私は援護に回る。ざっとこんなところでどうだ」
「毒はどうするのだ」
 留三郎が訊ねる。意を得たりと仙蔵が頷く。
「そこでだ…生物委員」
 竹谷八左ヱ門を振り向く。
「え、ええ!?…僕ですか?」
「そうだ。せっかくこの場にいるのだからな、少しは出番も必要だろう」
「え、いや、そうムリして作っていただかなくても…」
 苦笑いで遠慮しようとしたが、仙蔵に狙われては逃げられない。
「いや、うんと貢献してもらうぞ…生物委員にはハンミョウを大量に集めてもらう。その意味は、分かっているな」
「は…はい」
 観念したように八左ヱ門は両手を挙げた。
「ハンミョウの粉ですね…」
「そうだ。頼んだぞ」
 -やれやれ。
 八左ヱ門はがっくりしていた。
 -六年生の話を聞けたのは良かったけど、立花先輩にこう来られるとはな。
 生物委員会では、(主に三年生の伊賀崎孫兵の選好から)多くの毒虫を飼育していたが、ハンミョウは飼っていなかった。だが、時期的に豆類の栽培されている畑に行けば、相応の数を確保する見込みはあった。それを知っていて、仙蔵は話を振っているのだろう。
 -仕方がない。下級生を動員するしかないか。
「わかりました。生物委員会の総力を挙げてハンミョウを集めます。ただ、数を集めるには少し時間をもらえませんか」

 

 

     ≪ 4 ≫