用間論(3)

 

「どうかね、そろそろ君の返事を聞きたい」
 数日後、街外れの茶屋に伊作はいた。
「そうですね。そろそろ、決めないといけないことですよね」
 伊作の傍らには、笠を目深にかぶった達魔鬼が掛けている。
「で、返事は」
 湯飲みを手にした右手を腿の上に置いたまま、達魔鬼は短く促す。
「…あれから、私もずっと考えました。これが答えになるかは分かりませんが…」
 湯飲みを傍らに置くと、伊作は地面に視線を落とした。
「…あなたの言うとおり、私は忍より、医者の道を目指すべきなのかもしれない。人の命を救う方が、私の性に合っているのかもしれない…でも」
 伊作は言葉を切った。しばし、沈黙が流れる。
「…私は、忍の道を諦めきれないのです。そのために、忍たまとして六年間も過ごしてきたのです。だから、私は、学園に…」
 伊作の手が拳を握る。
 -よし。よい反応だ。
 笠の下で、達魔鬼は満足げにほくそえむ。
 -ホイホイ学園をやめてこちらに来られても困る。その程度の覚悟では、とても内間としては使えないだろう…。
 そもそも、ドクタケ水軍は自分一人しかいない、という事実にはあえて目を向けないことにして、達魔鬼は、説得の次の段階に入ることにした。
「そうか…それは残念だ。だが、諦めるのは早いのではないかな」
「…どういう、ことですか」
 伊作が顔を上げる。
「君の意思は、私も尊重したい。だが、君が学園に残るという理由には、わがドクタケに関する誤解もあるのではないか、と私は考えている」
「誤解、といいますと…?」
「忍術学園がわがドクタケをどう見ているか、我々もよく分かっている。戦ばかり仕掛けている悪い城、とでも思っているのだろう。だが、それは誤解だ。わがドクタケの実態を、君のその眼で見て欲しい。結論を出すのは、それからでも遅くはないと思うのだがね」
「つまり、一度ドクタケに来てみろ、と…?」
 -なるほど、そう来たか。
 伊作は、達魔鬼の意図が少し見えてきた気がした。
 答えを渋ったのは、伊作の作戦だった。ほかのドクタケ忍者ならともかく、達魔鬼を相手に、簡単に説得に乗ったのでは、却って怪しまれるだろう。
 -ドクタケ城で、上の人間に引き合わせる気だな…達魔鬼も、私を内間として適当か、迷っているに違いない。
 相手の本心が見えれば、対応のしようもあるし、なにより、精神的に安心できる。しかし、続く達魔鬼の言葉に、ふたたび伊作は困惑する。
「それもあるが、実はひとつ頼みたいこともあるのだ」
「といいますと?」
「現在、ドクタケ城には医者がいない。だから、病気や怪我のドクタケ忍者も、充分な手当てを受けることができない。もちろん、忍たるもの、最低限の医術は身につけてはいるが、どうもそれでは及ばない症状のものもいるのだ。ぜひ、彼らを診てやってはもらえないだろうか」
「患者が?」
 思わず、伊作の声のトーンが上がる。
「静かに」
 達魔鬼が低く注意する。
「つまり、患者を放置しているということなんですか?」
 慌てて声を潜めながら、伊作は咎めるように問いかける。
「残念ながら、その通りだ」
「それが本当なら、放っておけません。すぐ行きましょう」
 伊作は立ち上がる。その手には、いつの間にか救急箱が握られている。

 

 

「どういうことですか…これは」
 ドクタケ城の医務室に案内された伊作は、言葉を失う。
「面目ない限りだが、ご覧の通りだ」
 そこには、あらゆる症状を訴えるドクタケ忍者たちが横たわっていた。
「この人は破傷風寸前だし、この腫れは放っておいたら確実に膿になる。この顔色は脾臓の働きが低下している証拠だし、この目のただれは、すぐに炉甘石をささないと失明してしまう…いくらなんでもひどすぎる」
 達魔鬼を振り返った伊作の眼は、すでに医療者のものになっている。
「水を汲んできてください。それから、包帯が大量に必要です。まずは、傷口の消毒と包帯の交換を行います」
「わ、わかった」
 あわてて駆け出す達魔鬼の背を見送ると、伊作はさっそく救急箱を開いて手当てを始めた。
 -いったい、なにがあったんだ…。
 医務室に横たわる患者たちの容態を素早く眼でチェックしながら、伊作は考える。
 -怪我人が多い割に金創(刀傷)が少ないのは、最近戦をやっていないからだ…それだけ、戦力を蓄えているということになる。
 患者の包帯を解いて消毒や治療を施す伊作が、火傷の患者が多いことに気付くのに、時間はかからなかった。
 -それに比べて火傷の患者が多すぎる。いったい、なにをやっているのだ…。
 その理由も問診と治療を重ねるうちに程なく知れた。ドクタケの新型火器の実験が失敗続きで、火傷者が続出しているらしい。その火器は水底雷という、魚雷の一種らしい。
 -魚雷ということは…狙いは兵庫水軍か…。
 兵庫水軍は忍術学園と関係が深い。兵庫水軍を壊滅すれば、少なくとも海上においては覇権の空白が生じる。
 -だが、その空白を埋められるだけの戦力が、ドクタケ水軍にあるとは思えない…。
 伊作はすでに、ドクタケ水軍なるものが、達魔鬼が室長に任命されている創設準備室に過ぎないことを見取っている。いくら水底雷の開発がうまくいっても、その程度の勢力で、兵庫水軍にダメージを与えられるとは考えられない…。
 -つまり、ドクタケの最大の弱点は、アンバランスだ…。
 圧倒的に優位な物量と、それをまったく生かせていない人材、明からの直輸入の火器の開発と、それを活用できるレベルに達していない技術力、すべてにおいてアンバランスなのだ。
 -だとすれば、あまりに明らかなアンバランスを衝かないという法はない。
 伊作は考える。
 -まずは、兵庫水軍と協力して、ドクタケの計画を潰さなければならない。
 その一方で、疑問は相変わらず心に引っかかっていた。
 -ドクタケの本当の狙いはなんだ? まさか、本当に私に診察させるためだけにドクタケ城に呼んだのか…?
 いや、そんなはずはない。あの達魔鬼が絡んでいる話である。そんな単純な話であるはずがない。だが、水底雷のような重大な秘密を容易に探られる状態でありながら、どうしてもドクタケ側の本音が読み取れないのだ…。
 -どうやって、探り出そう。
 薬房で、薬研をつかいながら、伊作は考える。
 -少し、城内を探ってみるか…。

 


「新式の水底雷の研究はどうだ、八方斎」
 ドクタケ城主の間には、八方斎が竹高に研究の進行状況の報告に訪れていた。
「は…起爆装置の防水措置に目処がつきましたので、まもなく完成いたします。これで、兵庫水軍は木っ端微塵間違いありません」
「ほう…木っ端微塵か…」
 竹高があごに手をやる。
「忍術学園と組んで、われらドクタケの邪魔ばかりしよる兵庫水軍が、木っ端微塵になるところ、ぜひ見たいものじゃ」
「お任せください」
 八方斎がにやりとする。
 -なんか、八方斎が本当に悪役っぽいぞ…。
 竹高と八方斎のやりとりを、天井の梁に身を潜めた伊作が聞いていた。
「して、作戦は」
「は」
 八方斎が図面を広げる。
「水底雷は、その名の通り、水底に仕掛ける地雷です。そこで、兵庫水軍を挑発して水底雷を仕掛けた場所へと誘い込み、破壊範囲に入ったところで起爆装置を起動させます。さすれば、兵庫水軍の安宅船といえども木っ端微塵はまちがいありませぬ」
「ほう」
「殿におかれましては、兵庫水軍の船が吹っ飛ばされるさまを、陸よりゆるりとご観戦いただくというのも一興かと」
 勝利を確信した笑みをたたえて、八方斎は主君を仰ぎ見る。
 -兵庫水軍が壊滅すれば、ドクタケが水軍を持つ必要も当面はなくなる。そうすれば、あの達魔鬼もお役御免だ。これを一石二鳥といわずしてなんと言おう。
 自分の賢さに酔ってしまいそうで、八方斎の顔が上気する。
「さにあらん、さにあらん」
 竹高も興奮を隠しきれない。張子の馬にまたがったまま身を乗り出す。張子の馬の鼻先が八方斎の顔にぶつかる瞬間、八方斎は身を翻すと、懐から取り出した苦無を天井に投げつけた。
「くせ者!」
「なに、くせ者か?」
 竹高も天井を見上げる。
「…」
「…」
 竹高と八方斎と小姓が天井を見上げたまま、数秒が過ぎた。
 -いつもなら、ここで忍術学園のお子さま忍者が天井板ごと落ちてくるところだが…。
 なにも起こらない。
「…八方斎、くせ者はどうしたのだ」
「え…い、いや、まあ、気のせいだったかもしれませぬ」
 照れ隠しのように頭を掻きながら、八方斎があいまいに説明する。
「…水底雷は、最高機密に属しますゆえ、少々神経質になっていたやもしれませぬ…たいへん、失礼いたしました」
「まあいい…たしかに、心配してもしすぎることはないほどの作戦だからの」
「ははっ」
 八方斎が下がると、竹高は高ぶった気を鎮めるために、廊下まで遠乗りする気になった。
「遠乗りにゆくぞ」
「は、ひひ~ん」
 小姓があわてて効果音用の椀を手にして竹高に続く。

 

 

「…」
 実は、天井裏にはまだ伊作がいた。梁につかまっていたから、乱太郎たちのように天井板ごと落下するようなことはなかったが、八方斎の投げた苦無は、伊作の指先からほんの一寸ほどのところに刺さっていた。
 -さすがは、ドクタケ忍者隊の首領だな。
 あまりなめてかかってはいけないだろう、と思いながら、伊作はそっと梁を伝って、医務室の奥の薬房へと戻る。

 


「善法寺君、いるかね」
「はい」
 達魔鬼が薬房の襖を開けると、伊作が何食わぬ顔をして坩堝に向かっていた。
「ずいぶん暑いね、ここは」
「はい。火傷によく効く膏薬をいま作っています。膏薬は熱した油に、紫根や当帰などの薬効成分を溶かしだして作るので、仕方がありません」
 汗を拭いながら、伊作が答える。
「すまないね」
「いいえ。けが人は放っておけませんから」
 ぼそっと呟く伊作は、どことなく放心状態に見える。部屋の暑さに頭がぼんやりしているのだろうかと達魔鬼は考える。
「君の処方してくれた薬は、実に素晴らしい。すでに患者の半分は完治して任務に戻ったほどだ」
 ぐつぐつと煮詰まっていく坩堝を見つめる伊作の横顔に、達魔鬼は語りかける。
「だが、このドクタケの薬房の素晴らしさは、君ならその価値も分かるだろう。あらゆる薬種がここにはある。現に、君が必要とした膏薬の材料は、すべてここで調達できた」
 達魔鬼は、手を広げる。
 -ほとんどは期限切れだったけどね…。
 伊作は、心の中で舌打ちをする。確かに、ドクタケ城の医務室に付属した薬房は、薬種問屋をそのまま持ってきたかと思うほどの充実ぶりだった。だが、在庫点検をただの一度もやっていないことは、薬種棚を開けば一目瞭然だった。
 -ここにも、ドクタケ特有のアンバランスがある。何の気か知らないが、薬種だけはたくさん揃えたが、それを使うということをまったく考えていない。だから、これだけ怪我人や病人がいても使われないし、その結果期限切れになっても誰も交換しようとしない…。
 実際、薬を処方しようとした伊作が薬種を使おうとしても、大半は使い物にならなかった。腐ったりカビが生えたりした部分を取り除いて、辛うじて使えそうな部分でようやく処方できたのだ。
 -たしかに、学園では手に入れようもない高価な薬種もある。だけど、私はやはり、学園の医務室の方がいい。新野先生に教えていただきながら、薬の処方をしていたい…。
 たとえ、予算会議で予算を削られて、購入するつもりだった薬種の自家栽培を余儀なくされても、この死んだ薬種棚が並ぶだけのドクタケの薬房よりははるかにましだった。
「達魔鬼さん」
「なにかね」
 すっかり煮詰まってペースト状になった濃い紫色の薬液を厚手の布に塗りながら、伊作は静かに声をかける。
「火傷の患者がずいぶん多いようなので、火傷に効く膏薬を作っておきました。必要に応じて使ってください。今回は、これで私は帰らせていただきます」
「そうか。いろいろと世話になったね」
「いえ」
 -ここまでドクタケの奥深くに入り込んだ私をあっさり帰すというのか…。
「善法寺君」
「はい」
「ドクタケの医療水準は、君の見たとおりだ。できれば今後も、時に応じて治療を頼みたいのだが」
 -なるほど、こうやって私を取り込むつもりか…。
 患者を見ると本能的に治療してしまう自分を、すでに達魔鬼には見取られてしまったようである。
「患者を放っておくことは、私にはできません」
「それは、ありがたい…では、また連絡させてもらう」
「そうですか」

 


 -そういえば、この前の水底雷の実験で怪我人がずいぶん出ていたな…。
 城主の間からさがった八方斎は、見舞っておかなければ、と考えて医務室に向かう。十数人が火傷を負って医務室に収容されたと聞いていた。
「どういうことだ?」
 医務室に入った八方斎は、思わず声に出して言う。
 医務室は、数人が横たわっているだけで、ほぼ空っぽになっていた。
「ああ、八方斎さま」
 残っていた患者の一人が口を開く。
「けが人はもっといたはずではないのか」
「はい。たくさんいたのですが、キャプテン達魔鬼が連れてきた医者のおかげでほとんどは退院しました」
「なに、医者だと?」
 -そんなことは聞いておらぬぞ。
 つい先ほど、城主の部屋の天井裏に感じた気配を思い出した。
「その医者は、どのような風体だった」
「どのようなと言われましても…ずいぶん若い感じでしたが、腕は確かでした」
「…そうか」
 -若い、というと、あるいは忍術学園の忍たまか?
 むくむくと疑問が湧きあがる。
 -達魔鬼に話を聞かねば…。


 

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