用間論(6)


 細い煙が、高く立ち昇った。
「よし、合図だ」
 兵庫水軍の安宅船からは見えない岬の影に隠れていた恐竜さんボートが一隻、安宅船に近づく。少し離れたところでその動きが止まる。次の瞬間、乗っていたドクタケ忍者たちが一斉に法螺貝や鉦や太鼓を打ち鳴らす。
「なんだなんだ」
 水軍の者たちが船縁から顔を覗かせる。そのとき、ドクタケ忍者の一人が立ち上がって、安宅船に矢を一本、射かけた。矢はまっすぐ飛んで、帆柱に刺さる。
「やや、これは」
 蜉蝣が、矢に結わえられた文に気付いて、兵庫第三共栄丸の元へ持っていく。
「親方、こんなものが矢に結わえてありました」
「矢文か。どれ」
 文を開いて目を通した兵庫第三共栄丸の顔が、みるみる紅潮する。
「あ、あの野郎…ふざけやがって!」
「親方、何があったんですか」
「読んでみろ」
 突き出された文に眼をやった蜉蝣が、呆れたような声を上げた。
「なんですかこれは」
 その声に、他の者たちも集まってきた。文にはただ一行。
『兵庫第三共栄丸のアホ』
「お前たち、なにのんびりしてやがる。総員配置だ! あのふざけた恐竜さんボートを追え!」
「「へい」」
 水軍たちが配置につこうと動き始めたとき、次の矢が飛んできた。やはり文が結わえてある。やはりただ一行、『兵庫第三共栄丸、いちいち名前が長いんじゃボケ』とあるだけである。
「…まさか、これが挑発のつもりではないだろうな」
 文を手にした仙蔵が、呆れ顔でつぶやく。
「帆を上げろ! ドクタケの恐竜さんボートに引き離されるぞ!」
 帆が大きく風をはらんで、安宅船はゆるゆると動き出した。一度動き出せば、折からの風に乗って船足は速い。一気にドクタケの恐竜さんボートが先ほどまで潜んでいた岬を回りこむ。
「ここから先はドクタケの領海です。気をつけないと」
「忍術学園の情報によると、水底雷が仕掛けられた海域も近いな」
 由良四郎と鬼蜘蛛丸が、海図を広げながら話し込む。
「どっちにしても、このあたりの海域は浅瀬ということですから、この安宅船は近づけません。深くなっているところに誘導されないよう気をつけるとすればなおさらです」
「作戦としては、浅瀬の外側から、連中のふざけた恐竜さんボートを一隻ずつ火矢でも射掛けて沈めていくしかないな」
「君の意見を聞きたい。忍術学園の…」
 由良四郎が、控えていた仙蔵を振り返る。
「立花仙蔵です」
「そうだった、立花君」
「海戦についての知識はあまりないので、立ち入ったことは言えませんが、ひとつ気になることがあります」
「というと?」
「ドクタケが水底雷を使って安宅船を沈める気なら、安宅船が近づける水域に仕掛けるはずです。あの一部だけ深くなっているという場所に誘導するとしても、こんなふざけた方法で、本当に入り込むと思っているのでしょうか」
「どういうことだ」
「安宅船をこの水域に追い込むために、別の作戦を使ってくるかもしれないということです」
「しかし、あのふざけた恐竜さんボートを何十隻漕ぎ出しても、この安宅船を追い込むことなんぞできないだろう。下手に近づけば、俺たちが火矢を射掛けてくることくらい、いくらドクタケでも分かってるはずだ」
「そうなのです。だから、分からないのです」
 仙蔵が腕を組むと、つられたように由良四郎と鬼蜘蛛丸も腕を組んで考え込む。
「どうするんだ、これ以上近づくと、浅瀬に突っ込んでしまうぞ!」
 手引の疾風が飛び込んできた。
「帆をこれ以上あげておくと、危険ということだな」
 由良四郎が確認する。
「そうだ」
「親方、どうします?」
 それまで黙って聞いていた兵庫第三共栄丸に、全員の視線が集まる。
「…」
 腕を組んだまま、口を引き結んでいる。
「…親方?」
 たまりかねた鬼蜘蛛丸が、声をかける。
「…うぇっぷ」
 突然、兵庫第三共栄丸が口を押さえたので、全員が脱力した。
「親方…こんなときに、船酔いですか?」
「…こんなときだから、船酔いなんだ…誰か、桶と水もってこい…」
 あえぎながら、兵庫第三共栄丸は、それでも作戦指揮を執るだけの気力は残っているようである。
「疾風、帆を降ろせ。浅瀬には近づかないように、舵取りの蜉蝣にも伝えるんだ。水底雷を仕掛けた海域に追い込むために何か仕掛けてくるかもしれないから、沖側に注意しろ。それから…は、はやく、桶もってこい…」
 いよいよ吐き気が我慢できなくなったらしい。限界といった様子で口を押さえているところに、桶を持った間切が駆け込んできた。
「親方、お待たせしましたっ!」
「うっ、うぇ~っ」
 桶に顔を突っ込んでいる兵庫第三共栄丸をよそに、部下たちは素早く行動を始めている。
 -これが、兵庫水軍というものか…。
 船上ではやることがない仙蔵は、感心して一部始終をみていた。
 -これだけ船酔いがひどくても、適切な指示を出せるからこそ、兵庫水軍は、この人を総大将として頂いているんだ…。
「仙蔵、ここにいたのか」
 図面を睨んでいた仙蔵が、顔を上げる。小平太が船室に入ってきていた。
「どこに行ってたんだ」
「なに、ちょっと周りを眺めてただけだ」
 懐の遠眼鏡をちらと見せながら、小平太はにやりとする。
「ドクタケの殿さんは、岬の上の陣幕からご観戦のようだな。駕籠がついていたから、もうご一行は陣幕に入ったと見える。それにな…」
「どうした?」
 小平太が気がかりそうに口ごもる。仙蔵は小平太に向き直る。
「沖側に、動きの怪しい恐竜さんボートが一隻あった。あれは、ボートごと突っ込んできて、この船を水底雷を仕掛けたあたりに追い込むつもりなんじゃないかな」
「どうしてそう思う?」
「船首の恐竜さん飾りが邪魔でよく見えなかったが、船になにやら仕掛けているように見えた。別の恐竜さんボートからなにかいろいろ運び込んでいたからな」
「ほう」
 興味をひかれた仙蔵は、おもむろに立ち上がる。
「私も見てみよう。その遠眼鏡を貸してくれ」
「そら」
 船が揺れて足元が不安定にも関わらず、小平太は懐から出した遠眼鏡を無造作に投げて寄越す。
「おっと…」
 辛うじてキャッチした仙蔵が、小平太を軽く睨む。
「壊れ物なんだぞ。もっと大事に扱え」
「お、すまんすまん」
 たいして済まなさそうでもない顔で、軽く言い捨てると、小平太は先に立って船室を出る。

 


「あれだ」
「ほう?」
 ドクタケ忍者たちに勘付かれないように、舷側に身を隠し、銃眼に遠眼鏡をすえて怪しい恐竜さんボートの様子をうかがう。
「確かに、動きがおかしいな」
 仙蔵が遠眼鏡を覗き込んだときには、二隻の恐竜さんボートのうち、一隻が離れていくところだった。残されたボートに乗ったドクタケ忍者たちが、オールを構える。離れていったボートは、少し離れたところで動きを止める。その瞬間、仙蔵はドクタケが何をたくらんでいるか、はっきりと捉えた。
「小平太! すぐに兵庫第三共栄丸さんたちを呼ぶんだ。この船が危ない!」

 


「なにがあったというんだ」
 急ぎ集まった兵庫第三共栄丸が訊く。
「あれを見てください」
 仙蔵が手渡した遠眼鏡を覗いた兵庫第三共栄丸の顔がみるみる青ざめる。
「どうしたんですか」
 由良四郎たちが訝しげに総大将の顔をうかがう。
「あの恐竜さんボートは、こっちに突っ込むつもりだ!」
「なんだって!?」
「そうです。それに、あのボートには、おそらく爆薬が仕掛けてある。それで、この船を水底雷の仕掛けてある場所に追い込むつもりです」
 仙蔵が説明する。
「だが、そんなことをすれば、あのボートに乗っているドクタケ忍者も…あっ!」
 兵庫第三共栄丸が声を上げる。その声に、仙蔵たちも恐竜さんボートに眼をやる。
 ボートには、数人のドクタケ忍者が乗って、安宅船に向けて勢いよく漕ぎ出していた。だが、船に推進力がついたと見るや、海に飛び込んで、背後に控えていたもう一隻のボートに泳ぎ着いていく。

「あのボートは、空のままこちらへ突っ込んでくるぞ!」
 小平太が動転して怒鳴る。
 -まずい、このままでは、船があのボートの破壊範囲に巻き込まれてしまう。
 たとえボートが安宅船に直接ぶつかることはなくても、ボートに積んだ爆薬が爆発すれば、ダメージを受ける危険性は高い。それをよけようと思えば、水底雷が仕掛けられた水域に逃げ込まざるを得ない。
 -それこそ、ドクタケの思う壺ではないか…。
 仙蔵が唇を噛んだとき、
「任せてください!」
 船縁に立ったのは鬼蜘蛛丸である。
「どうするつもりだ」
 兵庫第三共栄丸が訊く。
「なに、あのボートを沈めてくるまでですよ」
 涼しげに言い放つや、鬼蜘蛛丸は船縁から海へときれいなフォームを描いて飛び込む。
「気をつけろよ!」
 船縁から身を乗り出した頭領の声に軽く手を振り上げて応えると、鬼蜘蛛丸はボートに泳ぎ着いて、爆薬のありかを探る。
 ボートの縁のすぐ下の部分に、爆薬は仕掛けてあった。導火線はすでにかなり短くなっている。
「こんなところに仕掛けやがって」
 呟くと、船縁に足をかけて一気に踏み込む。たちまちボートは傾く。もう一度踏み込むと、ボートはついにバランスを失って、重い船首から沈み始めた。ボートを飲み込む海水が導火線まで及ぶと、じゅっと小さく音を立てて、火は消えてしまった。

 


「なぜだ。なぜ、爆破用の恐竜さんボートが沈むのだ。誰も乗っていないはずなのに…!」
 竹高の脇に控えた八方斎は、安宅船を爆破するはずだったボートが、波にあおられたわけでもないのに沈むさまに、歯軋りをする。八方斎のいる岬の陣幕からは、鬼蜘蛛丸の動きは死角になっていた。
「どうした、八方斎」
 作戦の概要しか知らされていない竹高は、安宅船を水底雷で沈めるには、水底雷を仕掛けている海域に安宅船を追い込まなければならないことを知らない。だから、空のボートが沈むのを見ても、泰然と扇を使っている。
「いえいえ、何でもありません、殿」
 八方斎が作り笑いを浮かべる。
「…それより、早く水底雷の威力を見せぬか」
「ははっ」
 -ええい、こうなっては、水底雷の威力を見せるだけでも、やらねばならん。安宅船が少し岸に近づいているから、我々の恐竜さんボートで追い込んでから爆破すれば、少しはダメージを与えられるかも知れぬ。
 そう考えを巡らせた八方斎は、傍らの部下に命じる。
「安宅船を包囲して、追い込むのだ」
「はっ」
 部下が合図を送ると、それまで隠れていた恐竜さんボートが一斉に安宅船に向けて漕ぎ出す。

 


「ほう、そう来たか」
 船縁から、急速に展開し始めた恐竜さんボートの群れに眼をやりながら、仙蔵は顎に手をやった。
「ふざけやがって。おい、飛爛珠であのふざけた恐竜さんボートを沈めろ」
 兵庫第三共栄丸が怒鳴り声を上げる。部下たちが飛爛珠の用意にかかろうとしたとき、
「待ってください」
 声の主は、船縁に片足をかけた小平太だった。
「なんだ!?」
「何をする気だ?」
 兵庫第三共栄丸が振り返る。仙蔵も訝しげな視線を送る。
「これから、私たちがあの恐竜さんボートの底に、水底雷をくくりつけてくる…行くぞ! 長

次!」
 小平太が制服を脱ぎ捨てて襦袢姿になる。長次も倣う。小刀を口にくわえて、2人は次々と海に飛び込んだ。
「小平太たちが水練が得意とは、聞いていなかったが…」
 舷側から水面を覗き込みながら、仙蔵は呟く。
「まあ、体力には自信のある小平太と長次のことだ。何とかなるだろう」
「よ、よし! 舳丸! 重! お前たちも援護しろ!」
 唖然としていた兵庫第三共栄丸が、慌てて声を上げる。
「「へい!」」

 


「…小平太たちが海に入ったぞ」
「よし、我々も行動開始だ」
 ドクタケの岬の陣幕から少し離れた崖の上から、文次郎たちが遠眼鏡で海の様子を観察していた。
「じゃ、行ってくるぜ」
 サングラスをかけながら、留三郎がにやりとする。
「俺は、街道筋を張っている」
 むすりと言うと、文次郎も走り去る。
 留三郎は、城からの急使を演じることになっていた。実際にタソガレドキ忍軍がドクタケ城を占領したとすれば、急使が城を脱出するのを見逃すようなへまはするはずがなかったから。
 -だが、それでは困る。
 ドクタケには、水底雷の作戦が失敗したら、すみやかに城に引き上げてもらわなければならないのだ。アウェーの慣れない水域にいる兵庫水軍は、それだけで不利である。水底雷の攻撃は不発だったとしても、恐竜さんボートで包囲されて火器の集中砲火を浴びることにでもなれば、いくら兵庫水軍が誇る安宅船といえども危険である。
 -さて、そろそろ、お楽しみの時間だな…。
 安宅船と、ぐるりと包囲する恐竜さんボートの群れを一望できる大木の枝に腰を据えた留三郎は、おもむろに遠眼鏡を取り出す。
 間もなく、ドクタケの水底雷作戦の失敗が明らかになるだろう。そのタイミングを見計らって、陣幕の中で呆然としている連中に城の大事を伝えるのが、留三郎の役割だった。仮に本物の使者が来たとしても、街道筋を警戒している文次郎が、適当に始末することになっていた。

 


「どうしたのだ、八方斎。早く水底雷とやらの威力を見せぬか」
 恐竜さんボートが安宅船を取り囲んだまま動きを見せないことに、竹高ははやくも苛立ち始めていた。
「は、はは。いましばし、お待ちを…」
 作り笑いを浮かべる八方斎の表情が、引きつっている。
 -いったい、何をやっておるのだ! はやくあの安宅船を、水底雷の敷設水域に追い込むのだ!
 そのとき、沖合いに波がうねって、安宅船が作戦水域に向かって動き出したように見えた。
 -いまだ!
 こうなっては、返す波で安宅船がまた作戦水域から離れる前に、爆破するしかない。
「よし、綱を引くのだ!」
 八方斎の指令は、たちまち岸の岩陰に隠れたドクタケ忍者たちに伝えられた。
「よし、八方斎さまの指令だ。綱を引け!」
「えいやさっ」
 -あれ、もう起爆しても良さそうなものだが。
 -まだじゃないのか。もう少し引くんだ。
 綱の感触に違和感を感じたドクタケ忍者たちだったが、とりあえず指示のままに綱を引く。
 -よし、手ごたえがあったぞ。
 -そのまま思い切って引け! 起爆するには少し強く引けと八方斎さまから聞いている!
 ドクタケ忍者たちが力を込めて綱を引いた瞬間、兵庫水軍を挑発して、いま岸に近づいていた恐竜さんボートがぐらりと揺れた。 
 -へ?
 海上と陸上にいたすべてのドクタケ忍者たちが首をかしげたとき、ずん、と突き上げるような地響きがして、水面が大きくうねった。と、次の瞬間、凄まじい爆音とともに水煙がいくつも上がって、ばらばらになった恐竜さんボートの破片が周囲に飛び散る。
「「ぎょえ~」」
 海上に展開していた恐竜さんボートが、つぎつぎと爆発しては乗っていたドクタケ忍者たちが吹っ飛ばされていく。そのさまを高台からのぞんでいた竹高は、じろりと傍らに控えた八方斎をねめつける。

「…八方斎、事情を説明してもらおうか」
「い、いやぁ…ちょっとしたアクシデントが発生したようで…」
 八方斎が、愛想笑いを浮かべながら後ずさる。みるみる竹高の額に青筋が現れる。
「どんな事情があれば、あそこまで無様なっ…!」
 竹高の口調に含んだ怒気がいまにも爆発しそうになったとき、陣幕の外がにわかに騒がしくなった。警備の侍たちの短い叫び声や足音、馬のいななきが混じる。
「なにごとだ」
 竹高が声を上げたとき、侍大将が駆け込んできた。
「殿、城より早馬が到着しました」
「通せ」
「は」
 次の瞬間、使者が転がり込むように駆けてきた。息せき切って叫ぶように報告する。
「殿! 一大事でございます!」
「なにごとだ」
 思わず立ち上がった竹高だったが、急使の報告に、こめかみに手を当てながら床几に崩れるように座り込む。控えていた小姓が、あわてて上体を支える。
「タソガレドキ忍者が、わが領地に侵入し、城を伺う様子を見せているとのことです」
「なに! 城が!」
 そういえば、城はわずかな手勢を残しただけであることを、全員が思い出していた。その状況で、よりによってタソガレドキに領域侵犯されるとは…。
 -誰かが、裏で手を引いているのか?
 一瞬、そんな疑念が頭を過ぎった八方斎だったが、
「今すぐ、今すぐ城に戻るのだ!」
 動転した竹高の声に、とりあえずは当面必要な指示を出さざるを得なかった。
「すぐに城に戻る! 殿の駕籠の用意を! 殿の警護に必要な分を残して、あとの兵力はすぐに城に向かわせるのだ!」
 急激な事態の展開に混乱しつつも、陣幕では動きが生じていた。

 


「お~、やってるやってる」
 安宅船の上で、小平太が遠眼鏡を覗きながら面白そうに声を上げる。
「どうした?」
「ドクタケの殿さんが、泡くってご帰還のようだぜ」 
「ほう?」
 小平太の言葉に、兵庫水軍のメンバーも一斉に岬の陣幕に目を向ける。
「おう、本当だ」
「あいつら、相当慌ててるな」
 岬と浜辺の陣幕からわらわらと姿を消していくドクタケの姿を見て、水軍のメンバーに小平太が加わって勝ち鬨を上げる。仙蔵は、ひとり離れ、船尾に仁王立ちになって陸を見つめている長次の姿に気付いて、近づいた。
「どうした、長次」
(…。)
 むすっと口を引き結んだまま、長次は振り向きもしない。だが、仙蔵には、長次の不安が分かった。
「…今回は、相手がドクタケだったからうまくいった、ということだな」
(ずいぶんいろいろな城が、偵察に来ていたようだ…いずれ、海戦に、このような火器が普通に使われるようになるだろう。)
「そういうことだな」
 強い風に吹き上げられた仙蔵の長い髪が、長次の顔にもぱらぱらとかかる。
「すまない」
 急いで髪を引き戻しながら、仙蔵は長次の表情をうかがう。その顔は、相変わらず無表情である。
(私たちには、その準備が、できているだろうか…。)
 戦の世にあっては、次から次へと新しい火器や、それを活用した戦法が生み出されている。海外からの新たな火器や知見の流入が、拍車をかける。
「学園には、いつも最新の知識が集まってくる。私たちは、つねに、それを吸収してきたのではないか」
(際限のない、鬼ごっこだ。)
「そうだな。たしかに、そうだ…」
 船はすでに、ドクタケの領海を出て、兵庫水軍の本拠地に向かっている。ドクタケの最新兵器を打ち破った興奮と、祝宴への期待だろうか。誰もが浮き立っているようである。
 浮かれた陽気さに背を向けて、仙蔵と長次は、白い航跡を黙然と見つめている。陽が傾き始め、海が青黒さをまし、白い航跡がだいだい色に照り染めてきた。

 

 

「ただいま」
「おかえり…遅かったな」
 部屋で忍器の手入れをしていた留三郎は、疲れた顔で戻ってきた伊作をねぎらった。
「ああ…けっこう絞られてね。学園長先生に」
「そうだったのか」
「独断で反間気取りのまねなど、危険きわまりない、とね…まあ、当然といえば当然だけど」
「災難だったな」
「でも、最後に言ってくださったよ」
「なんてだ?」
「二つの城を手玉に取るとは、なかなかやるのう、ってね」
「そうだな」
 本人がどこまで分かっているかは分からないが、伊作の医術と人柄は、相手をたらしこむのに十分なレベルにある、と留三郎は考える。
 -ひょっとしたら、俺などよりはるかに忍に向いているのかもしれない。
 身体的能力には自信のある留三郎だったが、忍として求められる能力を考えると、にわかに自分に自信がなくしてしまいそうで、留三郎はふと考え込む。
「ねえ、留三郎」
 不意に真剣になった伊作の口調に、留三郎は顔を上げる。
「なんだ」
「私は…忍に向いていると、思う?」
「なんだよ、やぶからぼうに」
「留三郎は、どう思う?」
「向いてるも向いてないも…俺たちは、忍になるために、学園に入ったんだろ」
 ふたたび忍器の手入れを始めながらの留三郎の言葉は、拍子抜けするほど真っ当すぎて、伊作は言葉を失う。
「そりゃまあ、そうだけど」
「もっと自信を持てよ、伊作!」
 それが自分の抱えている進路の迷いをまったく意識していない言葉と分かっていても、その力強い口調に伊作は安心感をおぼえる。
「そうだね…もっと、自信を持たないとね」
 軽く微笑んでひとりごちた伊作は、手裏剣や苦無を手にして、留三郎に向かい合って座った。
「なんだよ、伊作」
 留三郎が顔を上げる。
「私も、忍器の手入れをしようと思ってね」
「自分のところでやれよ」
「いいじゃないか。どうせ同じ部屋なんだし」
「好きにしろ」
 ぶっきらぼうな口調ではあったが、留三郎は安心していた。数日前の、どこか別なところへ行ってしまいそうな覚束なさが、伊作から消えていた。いまの伊作は、いままでと変わらず、自分と同じ忍を目指す道に戻ってきている。
 -もう、どこにも行くな。俺たちは、忍を目指しているんだろ?
 優しい表情で手裏剣を磨いている伊作に眼をやりながら、留三郎は考える。
 -目差す方向性は違うかもしれないが、同じ忍になるんだよな。
 確認するように、もう一度、伊作に眼をやる。無心に手を動かす伊作の豊かな前髪が、ほの暗い火影に揺れて、額に影を落とす。

 窓の格子から、月の光が差し込んでいる。

 

<FIN>

 

 

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